矛の残照 徒華の盾   作:生野の猫梅酒

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第六章 取引

 ──目が覚めて最初に見えたのは、よく磨かれた岩の天井だった。

 

「ここは……」

 

 明らかに見覚えのない空間に、思わず更夜の声から疑問の声が零れた。

 

 どうやら臥牀(しんだい)の上で寝かされているらしく、全身に柔らかく温かな衾褥(ふとん)の感触が伝わって来る。状況を飲みこめぬまま身体を起こせば、いやに節々が痛い。そこで初めて、更夜は全身至るところに包帯が巻かれていることに気が付いた。

 誰かが黄海の外で治療してくれたのだろうか? しかし更夜の記憶違いでなければ、自分とろくたは間違いなく黄海に居た。あてもなく彷徨っている途中で、無数の妖魔に襲われ命からがら逃げだしたのは覚えている。だがその先の記憶は靄がかかったかのように曖昧だった。

 

「そうだ、ろくたは……?」

 

 状況を飲みこめぬまま、見慣れた天犬の姿を求めて周囲を観察してみる。

 臥室(しんしつ)なのだろうか、小さめの簡素な空間だ。周囲の壁は天井と同じくよく磨かれた石になっていて、松明によって複雑な陰影を照らし出している。床には見事な佳氈(しきもの)が敷かれており、その上には水差しと湯呑みの載せられた品の良い小卓(つくえ)が鎮座していた。

 かなり整った色を見せる空間だが、不思議なことに扉はない。あるのはせいぜいが壁の一角に掛けられた、天井から床まで届く珠簾(すだれ)くらいであり──

 

「どうやら目が覚めたみたいね」

「……!?」

 

 不意に、その珠簾の奥から、鈴の音と共に女の声が聞こえてきた。

 珠簾を潜るように入って来たのは、年の頃なら十五、六ほどの美しい娘だ。簡素だが仕立ての良い黒を基調とした襦裙(きもの)を纏い、これまた黒い長袍(うわぎ)を涼し気に羽織っている。けれど肌は雪のように白く、足元まで伸びた長髪までも対照的な白である。全身を黒か白で染めながら、唯一瞳だけは神秘的な紫を湛えていた。

 だがそれよりも、醸し出す雰囲気の方が更夜には気になった。退廃的なようで、溌剌(はつらつ)としているようにも思える(たたず)まい。まるで矛盾した雰囲気を発しているというのに、どうしてか違和感を覚えない。

 

 女は気負いなく更夜へと歩み寄って来る。ちりん、また鈴の音が響いた。軽やかな音の出所は女の腰元、赤い紐で結ばれている古びた白い鈴だった。それを見て、ふと黄海に入る前にした剛氏とのやり取りを思い出す。

 あなたは、まさか──疑問が口元まで出かかったが、それよりも女の後ろに現れた赤い影に目元がほころんでしまう。いつの間にかやって来ていたのは、更夜にとって最も付き合いの長い育ての親だ。

 

「ろくた!」

 

 喜びと共にその名を呼べば、天犬もまた嬉しそうに更夜の下へと嘴を擦り付けてくれる。そんな彼の頭を優しく撫でてあげていると、女はいつの間にか(ながいす)に腰かけ更夜たちを眺めていた。

 

「……人間と妖魔なのに、随分と仲が良いのね。こんな光景初めてみるわ」

「あなたが、おれを助けてくれたんですか?」

「ええ、そうよ。随分と傷だらけだった割に、一日寝れば癒えるなんて回復が早いのね。それとも、実は仙だったりするのかしら?」

 

 問うような口調だったが、どうやら更夜が仙だと確信を得ているらしかった。女は薄く笑い、更夜を正面から見据える。

 

「先に自己紹介かしらね。私は竜胆よ。黄海では百華仙君とも呼ばれているけど、恥ずかしいから自分で名乗ることはあまりしないわ」

「黄朱たちの伝説は、本当だったのか……」

 

 黄海を行く者を助けるという女神の存在、半信半疑だったが実在していたとは。

 更夜は驚きに目を見開いてしまうが、まずは名乗る方が先だろうと思いなおした。ろくたを撫でる手を止め、身体の痛みをこらえて丁寧に向き直る。

 

「自分は雁国は元州に仕えていました、(うじ)を駁、(あざな)を更夜という者です。この度はお救いいただき誠にありがとうございました」

「傷に障るだろうから無理しなくて良いわよ。それと、あんまり堅苦しいのも苦手だから楽にしてちょうだい」

「……なら、お言葉に甘えさせてもらってもいいのかな?」

「私がそうしろと言ったのよ、不服なわけないじゃない」

 

 女──竜胆が含羞(はにか)むように言った。本当に気兼ねのない態度には更夜もいくぶんか気が楽になる。天仙というのはもっと気紛れで、些細なことで大変なことになるかと思っていたのだ。

 

「それにしても、どうしておれは此処に……? いや、それよりもまず此処はどこなんだい?」

「此処は私の住処で、人からは百華洞などと呼ばれてるところよ。そこの天犬が傷だらけのあなたを連れて入口までやって来たから、捨て置くのもどうかと思って治療させてもらったわ」

「そういうことだったのか……改めて礼を言わせてくれ、ありがとう」

「別に良いわ、慣れっこだし。それよりも此処まであなたを連れてきた天犬の方に礼を言ってあげなさい」

「勿論。ろくたも助かったよ、迷惑をかけてすまないね」

 

 更夜がもう一度天犬の頭を撫でてやれば、ろくたは「気にするな」と言わんばかりに喉を鳴らした。彼が何処で百華洞の事を知ったのか気になるが、きっと教えてはくれないだろう。妖魔とはえてして秘密主義である。

 だが竜胆の方は何か気になったようで、怪訝そうな視線をろくたへと向けている。その姿に更夜が首を傾げた。

 

「”ろくた”だなんて、随分と蓬莱染みた名前ね。でも海客には見えないし……胎果だったりするの?」

「いや、おれは蓬莱の生まれじゃないよ。でも、こいつの名前は蓬莱生まれの友人から貰ったんだ。子供の時に、友人の名を忘れないように付けたから」

「蓬莱生まれの六太(ろくた)、か……まさかとは思うけどそれ、馬鹿なんて酷い字を付けられたどこぞの麒麟じゃないわよね?」

「……もしかして、延麒の六太を知っているのか?」

「やっぱり。そうじゃないかと思ったわ」

 

 呆れ果てたような苦笑を浮かべ、竜胆が天井を仰いだ。その顔にはありありと渋面が浮かび上がっている。

 

「はぁ……彼には随分と手を焼かされたわ。好奇心に任せて此処の物を散々引っかき回すわ、蓬莱まで勢いで飛び出しちゃうわ。おかげでこっちは千年ぶりくらいに帰郷する羽目になったのよ? なのに今でもたまに来ては王様の愚痴を零して去ってくし。そりゃあ私は話が合うだろうけどさ」

「六太らしい……でも、麒麟と知り合いなんて驚いた。やはり仙君と呼ばれるだけあって、そういった存在との繋がりも多いのかい?」

「確かに麒麟はこぞって百華洞まで訪れるけど、そういう理屈じゃないわ。百華仙君の名自体は黄朱達が勝手につけた綽名(あだな)だし、少なくとも私は玉京(ぎょっけい)なんて行ったことも無ければ、本当に有るかどうかすら知らないもの。第一、分類するなら間違いなく妖魔に近しいのがこの私よ、仙君なんて敬われる者じゃないわ」

 

 玉京というのは、この世界を創ったとされる天帝が住まう土地の名だ。しかし長い十二国の歴史の中でも天帝に会った者は一人として聞かないし、実際に玉京があるかも確証はないのだ。唯一知っていると考えられるのは蓬山に住まう女仙の長こと碧霞玄君玉葉だが、素直に訊けば教えてくれるような彼女でもない。

 故に竜胆が天帝と面識が無いのは当たり前と流しても良いのだが、それ以上に無視できないのが妖魔という言葉である。

 

「妖魔……? 妖魔には(おす)しかいないと聞いている。あなたはどう見ても女性のはずだが……」

 

 更夜の疑問に竜胆も頷いた。

 

「妖魔の(めす)は誰も見たことが無いのはその通り。でも、見たことが無いからと言って存在しないという証明にはならないわ。それなら、皆が知らないだけで何処かに妖魔の牝が居てもおかしくはないでしょう? ──例えば、私のように」

「……そう、かもね」

 

 有無を言わせぬ口調で返され、それ以上更夜には踏み込めなかった。

 おそらく、竜胆は自分自身のことはちゃんと把握しているのだろう。ただ、それを初対面の相手に話すつもりが無いだけだ。それなりに複雑な事情があるのだろうから、これ以上は迂闊に聞くべき内容ではないと自制した。これで友好的な彼女の逆鱗に触れてしまえば元も子もない。

 

「それじゃ、今度は私の番ね。普通、妖魔とは人を襲い仇なす存在よ。それがどうして共に手を取り合い、家族のように絆を結んでいるのかしら? 差し支えなければ話を聞かせてもらいたいのだわ」

「ああ、構わないとも。元々おれは捨て子で──」

 

 更夜の過去は人に話すには憚られるような内容だが、助けられた礼なら安いものだ。

 子供のおり、親に捨てられたこと。妖魔に拾われ育てられたこと。その少し後に延麒六太と出会い、名を貰ったこと。各々かいつまみながら緩やかに語っていく。

 こうして思い返してみれば、色々な事があったと思う。だが、その始まりは更夜にとって大切な思い出ばかりなのも事実だった。

 

「だからこいつ、ろくたはおれにとっての親代わりなんだ。他に誰が居なくても、ろくたと一緒なら俺は生きていける」

「……素敵だと思うわ。人も妖魔も、真に生きたいと願えば条理なんて容易く覆せる。あなたたちはそれを体現しているのね。まあ、不思議だと思う気持ちは相変わらずだけど」

「いや、そんなことは無いと思うけど?」

 

 意味が飲みこめていないのは竜胆だけだった。更夜は苦笑してしまう。

 

「あなたは人を助け慣れていると言って、しかも妖魔とも言った。なら、少なくとも妖魔が人を助けることはおれ以外に前例が無い訳じゃない。この状況だって証明しているじゃないか」

「あー……これは一本取られたわね。確かにその通りかもしれないわ」

 

 竜胆が照れ隠しに頭をかいた。白髪が宙を舞い、雪のように落ちていく。誤魔化すように笑った顔は、更夜と同じ年頃の娘にしか思えなかった。

 

「でも、それなら猶更(なおさら)疑問ね。人に追われて黄海に来たなら理解できるけど、それじゃ仙になっている理由が付かない。かといって一度は仙になって追放されたというなら、仙籍は剥奪されているでしょうし……その妖魔で騶虞(すうぐ)でも捕えてこいなんて言われたの?」

「いいや、違うよ。こっちもこっちで、色々と事情があったものでね」

 

 今度は更夜が質問をはぐらかす番だった。ほんの少し前、友である延麒六太を人質にとっての元州謀反の話は、わざわざすることではないだろう。彼女が執拗に訊ねなければ、話すべきは結論だけで十分だ。

 

「延王はおれに、おれもろくたも追われることのない土地をやろうと言ってくれた。完全に信じてるわけじゃない。でも、あの男が言うなら少しは信じてみようと思った。だから、おれは黄海で雁がそういう国になるのを待つことにしたんだ」

 

 雁の荒廃は根深い。新王登極から二十年経ってもまだ、民は苦しんでいる。そんな中で延王が言うような妖魔を受け入れられる国を作るには、十年や二十年ではきっと足りないだろう。

 だから、更夜はこの地に足を踏み入れた。妖魔の土地こそ本来は彼にとって相応しい土地だと考えたから。ここで雁が妖魔すら受け入れれられる国になるまでいつまでも、ずっと待ち続けるつもりで来たのだ。

 

 果たして竜胆はどこまで察してくれたのだろうか。更夜の説明にそれ以上を求めることはなく、短く「そっか」とだけ頷いた。

 

「雁が妖魔すら受け入れられるようになるまで、か……甘い理想論かもしれないけど、私は善い志だと思うわ。かつての延王、梟王(きょうおう)は酷すぎたもの。それくらいがちょうど良いわ」

 

 梟王とは今の延王の先代に当たる王の諡号(しごう)であり、長く善政を敷いたが最後には乱心し民を殺し尽くした暴君とされている。ついに王が倒れ白雉が崩御を叫んだ時など、虐げられた民の快哉が他国にまで響いたと言われるのだから相当だ。

 うんうんと頷く竜胆は、この黄海から雁の様子を見ていたのだろうか。やけに実感の籠もった言葉であった。同時に、纏っている退廃的な雰囲気まで強まった気がしてならない。王なんて下らない──そう言外に述べているかのようである。

 

 だが、彼女の様子はすぐに戻った。再び退廃的で溌剌という矛盾した印象を更夜に抱かせる。

 

「ま、雁の現状はひとまず置いておきましょう。それであなたは雁が良い国になるまで待つために黄海に入り、そして見事に死にかけたと」

「……返す言葉も無いよ。全てはおれの甘さが招いた事態だ」

 

 黄海に入る前、二人の熟練剛氏から警告をされていたのに、仙で妖魔が隣にいるという根拠だけで黄海に乗り込んでしまった。しかし結果はこのざまであり、ろくたの機転が無ければ命は無かったかもしれない。それくらい、黄海とは恐ろしい土地だったと思い知らされた。

 竜胆もそのことを指摘しているのか、更夜の言葉を否定はしなかった。更夜はまだ知る由もないが、生きるという行いに対して彼女は貪欲なのだ。蔑ろにする者に対して批判的なのは否めない。

 

「どうにかして、黄海で生きる術を学ぶことは出来るだろうか?」

「……黄海の事情を学ぶのは大変よ。黄海で生きる黄朱ですら、子供の頃から宰領(おやかた)の下で学んでようやくやっていい事と悪い事を理解する。付け焼刃の知識じゃ仙といえども命は無いわ」

「ならどうすれば良い? 武力を付け、一人でも妖魔に対抗するべきなのか? それとも大人しく黄海を去れとでも?」

「前者は悪くないと思うわよ。私だって武力というか使()れ──……失礼、妖魔の部下が居てくれたから今日まで生きているんだし。単純な武力というのは、黄海における御名御璽(ぎょめいぎょじ)にも等しいわ」

「妖魔の部下……」

 

 妖魔は同族を呼び寄せることが出来るというが、そこに上下関係があるとは聞いていない。ましてや竜胆は何の妖魔なのかすら不明なのだ、とてもじゃないが同族を呼べるとは思えなかった。

 なのに妖魔を部下に出来ると言うのは、まるで麒麟のようにも思えてしまう。あるいはこれこそ百華仙君の百華仙君たる由来なのかとも思うが、確信には至らない。

 

 悩む更夜の前で、竜胆は「でも」と微笑んだ。

 

「あなたは仙なのでしょう? なら話は変わってくる。黄朱が子供の頃から黄海について学ぶのは、単純にそうでないと時間が足りないからよ。だけど仙なら十年や二十年程度、平気で浪費することが出来る」

「それはそうかもしれないが……しかし学ぼうにも人が──」

 

 そこまで言って気が付いた。居るではないか、目の前に。黄朱について知っていて、かつ黄海にも詳しい話せる存在が。

 

「これでも私、案外と暇をしてるのよ。生きているのは素晴らしいことだと思うけど、そうなると今度は娯楽や暇潰しが欲しいと思っちゃうわけで。一つの欲を満たして満足できないのは、知恵ある生き物特有の悪い癖ね」

「……つまり、あなたが黄海についておれに教えてくれると?」

「そういうこと。勿論、暇潰しとはいえただの慈善のつもりも無い。折角なのだし、あなたにも黄朱を助ける一員となってもらうわ」

「それは構わないけど……別に今も百華仙君が居るのだから、これ以上黄海の守護者は必要ないのでは?」

「だってほら、私だけ如何にもって名前で呼ばれても恥ずかしいじゃない。勝手に女神だなんだと言われて崇められたら、蓬山の玄君に顔向けできないわ」

「なんだか、それこそ女神らしくもない俗っぽい理由だね」

「好きに言いなさい。私はただ生き汚いだけの竜胆であって、女神なんて胡散臭い存在に変化した覚えはこれっぽっちも無いんだから」

 

 ばっさりと言い切った竜胆は、おもむろに立ち上がった。

 

「この百華洞内部は自由に使ってもらって構わないわ。でも洞窟を再利用したものだから、結構迷うかもしれない。もし迷ったら遠慮なく言いなさい、誰かがすぐに駆け付けるわ」

 

 それだけ告げると部屋の出口、珠簾の下へと歩いていく。話はこれで以上ということなのだろう。いつの間にか部屋の隅で成り行きを見守っていたろくたが、首を上げて見送っていた。

 

「そういえば」

 

 けれど、竜胆は不意に足を止めた。これを訊くのを忘れていたとばかりに更夜へと振り向く。

 

「六太は王について何か言ってたかしら? 彼、麒麟の癖に案外と王が嫌いだったはずだけど」

「……おれの仕えていた主は、彼の王に比べれば屑らしいよ」

「そう。口では散々にこき下ろしておきながら、やっぱり麒麟らしく王を好いているのね」

 

 呟いた竜胆の口元に浮かんでいたのは、自嘲の笑みだろうか。莫迦にしているような、憧れているかのような、複雑な色を見せている。更夜にはその理由が分からなかった。

 

「答えてくれてありがとう。まずはしっかり傷を(なお)しておきなさい」

 

 そして、今度こそ竜胆は珠簾の奥へと消えていった。軽やかな鈴の音を響かせながら。

 




後書き解説

騶虞(すうぐ)…白い身体に黒い縞模様の入った、虎に似た妖獣。非常に利口であり、空を飛べば一日で一国を横断できるという。これを捕えて調教してから売れば、莫大な財産が手に入るとされる程の代物。特に国の王宮では騶虞がよく見られ、中でも延王がよく乗り回している。名前はたま、とらなど。
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