矛の残照 徒華の盾   作:生野の猫梅酒

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第八章 残照

 

「にしても奇妙なもんだ、どうしてその天犬はあんたに懐いているのやら」

 

 不思議そうな黄朱の言葉に、更夜はただ苦笑を返すより他に無かった。

 黄朱の里、郊外にて。二人の黄朱と共に数日間黄海を練り歩いた更夜は、疲労を覚えながらもしっかりとした足取りで里を目指していた。

 

「おれの場合は子供の頃に拾われたというのもあったのかもね。それか、うちのろくたが特別気紛れな妖魔だったかだ。そうでもなければ、おれを育ててくれて、しかも無暗に人を襲ったりしないなんてあり得ないだろう」

「そりゃそうだがなぁ……いや、こうまでお前さん達が仲良くやってるの見ると、俺らももしかして妖魔と共存できるんじゃねぇか? なんて邪念が湧いちまうんだわ」

「違いねぇ、はははっ!」

 

 皮甲(よろい)を着込んだ黄朱が言えば、もう一人の巨漢の黄朱が豪快に笑い飛ばした。どちらも本気で言っている訳ではない。ただ、その方が黄海で生き残れる可能性が高まるから嘆いているだけである。

 

「どちらにせよ、思った以上にお前は優秀だよ。黄朱の暮らしなんざ良いもんでも無いってのに、文句の一つも言わねぇ。そこの天犬もちゃんと主の事を慮ってやがる。おかげで俺たちまで妖魔の奇襲から守られちまった」

「主というか親だけどね……でもうん、黄朱の暮らしに不満は無いさ」

 

 むしろ恵まれているくらいさ──そんな言葉を、更夜は胸の中だけに留めた。

 例え竜胆の口添えがあるとはいえ、彼ら黄朱は妖魔と共にいる更夜をなんの不満も疑いもなく受け入れてくれている。かつて、ただ一人だけ更夜を人として扱ってくれた令尹(れいいん)のようで、更夜としても非常に心地の良いものであったのだ。

 

「百稼は中々悪くない味だし、水だって手段を知っていれば案外簡単に手に入る。妖魔に襲われにくい方法や場所もよく分かった。こうして歩いてみれば、黄海もまるで国のようだよ」

「──はっ、ははははは! 安全な国と黄海を秤にかけるたぁ、こりゃまた随分と面白いこと言いやがる! 俺たち黄朱だってんなこた言わねぇぞ!」

「いや全く、最初はよそ者かと思ってちょいと警戒してたのが馬鹿らしいくらいだ。あんたは紛れもなく妖魔の民、黄海の民だ。俺たちが保証してやってもいい」

 

 男たちの野太い笑い声が天に木霊する。これが里より離れたところなら妖魔が聞きつけ大問題だったろうが、里の近くなら何の問題もない。既に竜胆の妖魔たちが睨みを利かせている土地なのだから。

 森の中を歩いていく内、遠く空に煙が昇っているのが見えた。陽もだいぶ傾き、もうすぐ夕暮れ時だ。きっと誰かが晩飯の支度を始めているのだろう。黄朱の中には、数こそ少ないが女性もまた存在するのだ。

 

 まるで本当の家族のような絆で繋がった黄朱達。だからだろうか、巨漢の黄朱がふと呟いた。

 

「俺たち黄朱に子供が作れりゃ、それこそ本当の黄海の民なんだがな。ま、そいつは高望みってもんか」

「それは……」

「むしろこうして王や国に縛られず、自由に生きていられるだけでも十分なんだ。だがよ……やっぱ、子供ってのは欲しいもんさ」

 

 しみじみと皮甲の男が言う。更夜は返す言葉を持たなかった。

 黄朱の里には里木がない。里木が無ければ子供はできず、また安全地帯も存在しない。故に里というのも名ばかりの、ただ人が集まり家を建てただけの集落に過ぎないのだ。それがこうして曲がりなりにも安全地帯となっているのは、結局のところ黄朱達の手によるものではない。

 誇り高く、独立不羈(ふき)の黄朱達だからこそ、いっそう里木が欲しいと願ってしまうのだ。現状がどれだけ恵まれていると弁えていても、無茶な願いだと知っていても、やはりこればかりはどうしようもない真摯な祈りだった。

 

「そうか、里木か……」

 

 豪快に笑い、力強く黄海を行く彼らであっても、どうしようもないことは沢山ある。その最たるものの一つが里木であり、どう足掻いても手に入らぬ里の象徴なのである。

 でも、だからこそだ。もし、更夜が里木を手に入れることが出来たのなら──

 

「ちょっとくらいは、世話になった恩も返せるのかもしれないな」

「あ? なんか言ったか?」

「いいや、なんでもないさ」

 

 黄朱の里は、もうすぐそこだった。

 

 

 黄朱の(まち)を紹介されて以来、更夜は頻繁に百華洞と里を往復するようになっていた。

 

 往復するには距離はあるが、天犬ろくたが道を覚えてくれているので迷う心配はない。妖魔に関しても竜胆の使令──明言された訳ではないがほぼ間違いないと更夜は確信している──が共にいれば、移動中に襲われる心配も無かった。どうやら相当妖魔に恐怖を植え付けていたようで、襲うどころか自分から道を開けてくれる有様だ。

 

「どれだけ黄海で暴れればこうも恐れられるのやら……おれにはちょっと想像もつかないよ」

 

 夕暮れの空を駆けるろくたの背中の上で、更夜が呆れとも賞賛ともつかない溜息を吐いた。視線の先には先導役の妖魔、蠱雕の蝶縁(ちょうえん)が翼を広げて飛んでいる。さらにその先では悠々と飛行していた小型の妖魔たちが、慌てたように地上へと高度を落としていたのだ。

 前に話を聞いたのだが、何でも竜胆達は妖魔を食したこともあるという。いわゆる狩りの要領で無差別に妖魔を狩っていたというなら、確かに恐れられても無理はないのかもしれなかった。

 

「妖魔が妖魔を食べることは珍しくないと聞くが、君たちも妖魔を食べたことはあるのかい?」

「あるとも。しかし我らは根本として食事を必要としない。主が健在ならば我らも健在であり、危篤ならばまた引きずられる」

「ふぅん、そういうものか……参考までに聞くけど、美味しかったのかい?」

「あまり。好き好んで食べようと思うものではないとだけ言っておく」

「そうかい、それは残念だ」

 

 肩を竦める更夜だったが、口ほど残念がっている訳でもなかった。

 

 そもそも妖魔を食すなど、例え黄朱であろうと挑戦したことは無いという。切り刻んで食べようにも、異常な臭気が鼻につくのだ。干してみても、香辛料を振りかけてみても、一向に臭いが消えないとなれば諦める他ない。雑食の騎獣ならこれを食すこともあるらしいが、生憎と人間はそこまで幅広く平らげられる生物ではなかった。

 妖魔の肉を喰う人間など、よほど切羽詰まった()()()()()だけだと黄朱達も言っていた。さしもの更夜もそこまで聞いて食べる気にはなれなかったが、参考として妖魔達にも訊いてはみたかったのだ。

 

「…………」

 

 それ以上の他意は無かったのだが、どうやら天犬は不安に思ってしまったらしい。頭をやや後ろに向けて、どこか切なげな鳴き声を上げた。

 

「大丈夫、ろくたを食べるなんてする筈ないだろう? ただ、おれはろくた以外の妖魔に思い入れがある訳でもないからね。いざとなれば……なんて考えただけさ」

 

 不安がる天犬を安心させるように頭を撫でてやりつつ、更夜は赤く染まる夕暮れに目を細めた。まるで血のように燃え盛る太陽が、名残を惜しむかのように地平線の下へ沈んでいく。

 

 ──更夜が竜胆に拾われてからおよそ一年。

 

 そろそろ自立するべきかと、更夜はぼんやり考え始めていた。

 

 

 蝋燭の緩やかな炎が、陽炎に燻ぶりながら壁面を躍っている。

 洞窟の一角、開けた空間にはいくつもの家具たちが鎮座している。堂福(かけじく)供案(かざりだな)佳氈(しきもの)臥牀(しんだい)、何やら文字が掛かれた対聯(ふだ)まで壁に掛けられている有様は、まるで貴人の為に誂えられた部屋のよう。いや、かつての台輔が住まうというなら、これくらいなければ話にならないのかもしれなかった。

 百華洞の中でも最も豪奢な内装になっているのは、此処が竜胆の房室(へや)であるからだ。仮にもこの地の主として、それなりに見栄えのするよう使令達が整えた成果である。

 

「ん……」

 

 果たして当の竜胆は、椅子に腰かけ本に目を通していた。静寂の支配する空間に、頁をめくる音だけが聞こえてくる。

 膝の上に置かれた随分と古い本は、読みこまれた証とばかりに色が変色してしまっている。さらに房室の一角には本棚が一つ置いてあって、そこにも同じだけ古ぼけた本が綺麗に整頓されていた。

 そんな何者にも侵しがたい静謐な雰囲気を湛えた室内に、無粋な羽ばたきを引き連れて赤い影がやって来る。それは鮮やかな極彩色をした鸚鵡(おうむ)の姿をしており、小卓(つくえ)の上に舞い降りると嘴を広げた。

 

「台輔、客人が」

「分かったわ」

 

 鸚鵡からの簡素な報告に竜胆は本から目を上げることなく呟いた。出迎える気は更々なかった。この客人はその程度で機嫌を悪くするような、狭量な客でもない。

 鸚鵡の姿をした使令は嘴を閉じ、しばし房室に静寂が戻る。相変わらず竜胆は本を読み続けていた。先の報告など最初から頭にないかのような振る舞いだ。

 

「……来たわね」

 

 今度は前触れなく竜胆が呟いた。黄金に輝く気配を察知する。次の瞬間、房室と通路を仕切る珠簾を潜り抜けてもう一羽の鸚鵡が飛び込んできた。それは最初にやって来た鸚鵡へ一目散に飛び込むと、渦のように混じり合い、一羽の妖魔と変貌したのである。二羽一対の妖魔、それが鸚鵡こと央欄(おうらん)の性質だった。

 一拍遅れて、珠簾を潜る小さな人影があった。黄海にあるまじき絹の襦裙を纏った、天真爛漫な笑みの少女だ。金紗のごとき髪が靡き、揺らめく赤に染められる。

 

「こんにちは、竜胆! 暇だったからつい遊びに来ちゃった!」

「……もう夕暮れよ蓬山公。蓬山の女仙達が心配しているのでは?」

「あたしが外で遊ぶのが好きだって言うのは、あの人達みんなが知ってるから大丈夫。それより、久々にお話でもしましょう?」

 

 飛び込んだ竜胆の胸の中で上目遣いをしているこの少女、その号を徇麟(しゅんりん)という。蓬山始まって以来のお転婆娘とされる現蓬山公であり、自由自在に黄海を駆けては度々竜胆の下へと訪れる問題(きりん)でもあった。

 徇麟が此処に来るのはこれで四度目といったところか。竜胆が何者かというのは、蓬山に住まう者ならほぼ全ての者が知っている。徇麟もまたその例に漏れず、目の前の女が禁忌を犯した麒麟の成れの果てという事実を教えられていた。

 

 ──大抵の麒麟は、竜胆を軽蔑こそしない。ただ、信じられないと考えるだけだ。そのうえで、面白い人物として慕う者もいれば、認めることが出来ず彼女に近寄らない者もまた存在した。

 

 徇麟はどう見ても前者の麒麟だった。好奇心旺盛だから、長生きしている竜胆と話すのが楽しみでしょうがないのだ。

 

「はぁ……あなたは良くても私の方が女仙達に叱られてしまうわ。あそこの女仙達は麒麟に対して過保護だもの、夕暮れ以降も捕まえてたら何を言われるか考えたくもない」

「えー……あの百華仙君ともあろう者が、女仙のお叱りが怖いって言うのー?」

「それの何が悪いのかしら。第一、私だって女仙達の世話になってるし、あまり彼女たちを困らせたくはないもの」

「ちぇ、ざーんねん!」

 

 口を尖らせ本気で残念そうにする徇麟は、まだ身体も心も幼かった。捨身木から生まれておよそ六年あまり、ついしばらく前にようやく人の姿を取ることを覚えたばかりである。あらゆる物事に興味は尽きないし、相手が誰であろうと物怖じしない。竜胆もまたそのような麒麟ばかりが百華洞に遊びに来ることを知っているから、特に気を悪くすることなぞ無かった。

 ひとまず竜胆は徇麟を引き剥がすと、読みかけの本を小卓に置いて立ち上がった。時間も時間であるし、すぐにでも蓬山に送り届けた方が良いと判断したからだ。

 

 その間にも徇麟は落ち着きがない。自分で使令に降したらしい小物の妖魔を肩に乗せて、竜胆の部屋を色々と物色している。

 

「ねぇねぇ、これって花鈿(はなかざり)よね? すっごく綺麗だけど、どうしてこんなところに置いてあるの?」

 

 徇麟が興味を示したのは、供案(かざりだな)の上に丁寧に保管されていた花鈿だった。花鈿とは結った髪の毛を纏めるための装飾品であり、これは紫色の花弁を持つ造花が精緻にあしらわれた物だ。

 麒麟には身を飾ることに興味を持つ者──特に麟が顕著である──もいて、徇麟もその例に漏れず装飾品に興味津々だった。かつて、才国は斎麟が(かみ)を結って転変したらひどい目に遭ったという逸話は有名だが、それでも着飾ることに憧れる麟は後を絶たない。

 

 竜胆は一つ溜息を吐くと、徇麟が手に取って眺めていた花鈿を供案へと戻した。もっとよく見たいという無言の訴えは黙殺した。

 

「私は別に着飾る趣味なんて無いのよ。装飾品なんて、この鈴があればそれで十分だもの。髪飾りなんて面倒臭いし」

 

 そう言って、腰に括りつけている古びた白い鈴を鳴らした。澄んだ音が房室に反響する。

 

「勿体ない! せっかく綺麗なんだからもっと身嗜みにも気を遣うべきよ!」

「身嗜みに気を遣ったところで誰が見てくれるのよ。そんなことより、小汚くなろうと生きていく方がよほど性に合ってるわ」

「なら、誰に貰ったの? やっぱり蓬山の女仙達から? それとも男性だったりして! 竜胆も隅に置けないのね!」

「……何を勘違いしているのか知らないけど、それは氾麒からの贈り物よ。何百年も前に、少し縁が有ってね。ほら、無駄話してないでさっさと蓬山まで帰るわよ」

「はーい」

 

 ようやく大人しくなった徇麟を連れて竜胆は百華洞の外へと出た。暮れなずむ空に照らされた木々がどこか寂しい。赤く燃える太陽はどこまでも血を連想させて、ふと竜胆は自らの手に視線を落とした。──なんの変哲もない、白く瑞々しい両手。こびりついたはずの血はとっくの昔に洗い流されている。

 ちょうどその時、翼が宙を叩く音が聞こえてきた。そちらの方向へと視線をやれば、夕暮れを背に空から降りてきた影が二つ。蠱雕と天犬、そして人間が一人である。

 

「あら、お帰り更夜。蝶縁もご苦労様。急で悪いけどそこのお転婆蓬山公をお送りしてくるわ。留守を頼むわね」

「それは構わないけど……」

 

 天犬から降りた更夜はやや戸惑いながら、竜胆の傍に立つ金髪の少女に目をやった。前に一度、更夜も徇麟とは顔を合わせている。その時はたいそう驚いたが、二回目ともなれば流石に慣れた。軽く拱手(えしゃく)を行い礼を示した後は、天犬と共に百華洞の中へと入って行く。

 

「麒麟でもないのに妖魔と一緒に居れるなんて、やっぱり不思議な人」

「この世界にはそういう不思議な人もいるのよ。何処にだって、誰にだって、例外は等しく存在するのだから」

 

 それは徇麟に告げたというより、自分に言い聞かせているかの様だった。有無を言わさぬ口調にさしもの徇麟も黙らざるを得ない。

 互いに口を開くことなく、各々の使令に乗って空へと飛び立った。見渡す限りの赤は少しずつ夜の帳へと墜ちていき、儚い残照だけが光を放ち消えていく。

 

「そういえば、さっき言っていた氾麒ってどんな方だったの? 立派な王を選んだ良い麒麟だったのかしら?」

「……立派だったけど、物好きな麒麟だったわ。何度も何度も此処に来ては、私と話して帰って行くのだもの。彼が居なければ今あなたが此処を訪れている事だって無かったはずよ」

「あら、それならうんと感謝しなくちゃ! こうして竜胆の所まで遊びに来るのはすごく楽しいのだから!」

 

 そういえば、と徇麟の言葉を聞きながら竜胆は思い出した。

 彼は結局、どうして麒麟の身で何度も何度も百華洞という辺鄙な土地まで足を運んでくれていたのだろうか。最後の最期まで、氾麒は『面白そうだったので』としか言わなかったから、竜胆はついぞその理由を知ることは出来なかった。花鈿だって、理由も言わずに押し付けられたようなものである。

 

 竜胆が知っているのはただ一つ──氾麒の死に際を見送った日も、今日のように燃えるような残照が輝く日だったということくらいだ。 

 




氾麒は第五章百華で登場したあの氾麒です。
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