黒い泡が弾けた。
この世の負を煮詰めたそれは一目見るだけで常人を発狂に追い込む。
黒い泡が弾けた。
五感すべてに悪意を訴えかけ、己に生きている価値はないと叫び続ける。
黒い泡が弾けた。
耳を塞げども悲鳴は聞こえ、目を閉じれど瞼の裏には泥が塗りたくられる。
黒い泡が弾けた。
——死ね
——死ね死ね死ね
——死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ねシね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシね死ね死ね死ね死ねしね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシね死ね死ね死ね死ねしね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシね死ね死ね死ね死ねしね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ネ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねシネ死ね死ね死ね死ね死ねしね死ねしネ
————死ね
①
「————ッ」
内側から叩きつけてくるような心臓と、気持ちの悪い汗が額と背中に流れていく。
眼を開ければいつもの天井があって、隙間風が入って来ていたのか電灯の紐が微かに揺れている。吐いた息が自分の体のすべてを持っていくような虚無に溺れ、尻をついているにもかかわらず手をついた。未だ火花が散ったような頭に手をやって目眩を抑える。片目を
掛け時計の長針は午前3時を指している。
汗が滲んだ服と、濡れた布団にせめてタオルでも敷こうかと立ち上がる。寝起き特有の痺れに足をもつれないよう気をつけながら静かに襖を開けた。
「一体、なんだったんだ……」
酷く嫌な夢を見た。
内容は覚えていない。それでも、自身がそれを見てどう感じたのかは今の身体が物語っている。
酷く嫌な予感がした。
セイバーほどの勘ではない。漠然とした、宙をたゆう煙のような感覚だ。
見慣れた冷蔵庫から水を取り出す。冬場といえど、プラスチックを通して伝わる冷たさは熱くなった身体にちょうど良い。ひっくり返すようにコップを傾けた。
「……ふぅ」
晒した鉄のように熱が引いていく。
「——っ」
たたらを踏んで膝を曲げる。
思わずカウンターに手をついて身体を支えた。
「これからが大事だっていうのに……」
心にあるのは、家族同然だった後輩——桜。
聖杯戦争が始まるまではいつも通りだった。問題はあの影に襲われてから。急熱を出し、瞳もどこか朧げ。何度か声をかけたが結局薄く笑ってかわされるばかりだった。同盟相手である遠坂に相談しても、彼女は彼女で冬木市に被害を及ぼす影を追っていて頼りになる答えはもらえなかった。
水分補給を済ませ、洗面所に置いているタオルを取りに行こうと廊下へと出た。足元を照らす明かりは月明かりで十分でわざわざ電気をつける必要はない。
「——シロウ?」
棚からタオルを取り出していると後ろから声をかけられた。振り向いて見るとそこにいたのは寝ていたはずのセイバー、いなくなっていたことに気付いて探しにきたようだ。
「ああ、ごめんセイバー。汗を掻いたからタオルを取りに行ってたんだ」
「そうでしたか。またシロウがなにか突飛押しもないことをしているのかと心配しました」
「おいおい、さすがの俺も今回ばかりは一人で行こうとは思ってないぞ」
「もちろんです。私たちにはリンもいる。彼女が今情報を集めているようなので、吉報を待ちましょう」
「……うん」
「心配ですか、サクラのことが」
正面から投げられた言葉に息を詰まらせてしまう。図星を突かれたことにではなく、心配を掛けさせてしまう自身を少し呪った。
「心配だよ。桜は、桜は俺の大事な後輩なんだ」
誰よりも彼女が頑張っていたことを知っていたから、誰よりも心配する。だからこそ、誰よりも助けたいと足が勝手に動きそうになる——今、すぐに。
「シロウ——」
握った拳が優しく解かれる。
「サクラはシロウが学校に行っている間、私が暇にならないようにとテレビの使い方を教えてくれました。二人が学校から帰ってきて、シロウが夕飯の支度をしているとき衣服の折り方を教えてくれました。サクラのご飯は、シロウに負けないくらい美味しかったです。私もサクラがいないのは寂しいです。それでも——それでも今は待つべきです。あなたは一人ではない。サーヴァントである私も、リンも、アーチャーも。アサシンとそのマスターにも助けられました。頼れる味方が周りにいるなか、自分だけがと生き急がないでください。
私はあなたのサーヴァント。あなたは私のマスターです。頼ってください。私はいつでも、あなたの前に現れたときからあなたの——剣です」
「セイバー……」
「シロウ。必ずサクラを救いましょう。私はもう一度、二人と、タイガがいる食卓を囲みたいです」
いつのまにか日常になっていた。
切嗣が亡くなって、一人だったこの家に藤ねえが来てくれた。二人だったこの家に、桜が心配して手伝いに来てくれた。三人だったこの家に、セイバーが助けに来てくれた。
俺はもう一度、あの温かい日常を取り戻したいだけなんだ。
だから、
「力を貸してくれ、セイバー」
「ええ、もちろんです」
②
屋根伝いに飛び走る影が一つ。ときおり街灯に照らされたそれは赤色が舞う。
『アーチャー、なにか街に不自然な点はあった?』
『今のところは特にない。路地裏で酔った客か暴漢がいるだけで、魔術的な痕跡は見当たらない——な』
暗闇に降りたったアーチャーは今にも殴りかかりそうに取っ組みあった酔っ払い二人に手刀を入れた。このまま転がしておけば朝には酔ったまま寝たと勘違いするだろう。スリに狙われないよう落ちていた段ボールを適当に被せ、再び屋根に上がる。
『そう——やっぱり桜は……』
『ああ。柳洞寺だろう』
『よりにもよって……っ』
念話を通じて遠坂の舌打ちがアーチャーには聞こえた。いつもなら「淑女が」と小言を挟むものだが現状いちいち云うことではないと口を噤んだ。
『間桐桜は間違いなくマキリに囚われている。聖杯の降臨が柳洞寺ならば、マキリは聖杯に小細工を施している可能性が高い。向こうが聖杯の力を利用して場を整えているぶん、分が悪いぞ、凛』
『わかってる。でもやるしかないのよ、私たちはもう止まれない。間桐が人を侵すやり方をしたのならば、私は遠坂として粛清しなきゃいけない』
ビルの谷を抜けた風が、貯水塔に立つアーチャーの白髪を揺らした。
「この禍々しい気配、おそらく虚数魔術と聖杯の
山の一部から噴き出る黒色がそこにいる正体を現していた。
「——こんなつもりではなかったのだがな」
吐き捨てるようにアーチャーは呟いた。
誰しもが逸物を抱える聖杯戦争の参加者たち。願いを叶える聖杯の手前、当然欲はあるものだがアーチャーの場合は違った。彼の目的は聖杯戦争の参加——衛宮士郎の抹殺であり、自身が今に至る可能性を殺すこと。悔いた自分を取り戻すために、正義の味方の成れの果てから救いを求めて召喚に応じたのだ。私怨を成すつもりが彼が体験した聖杯戦争と大きく乖離し、今はそれを忘れかつての自分を救おうと奮闘してくれたマスターのための剣となることを決めた。
一つ、彼の鋭い鷹の目がこちらに向かってくる影を捉えた。
「あれは……」
正体を悟った彼は戦闘は避けられまいなと弓矢を出す。黒弓は夜の暗さに紛れ、矢の白さだけが不気味に浮き出いる。
「どうやって堕ちたのかは知らんが、外の器だけ利用されたか——ランサー」
その正体を知っているアーチャーは出した弓をしまい、代わりに夫婦剣を複製する。
本来ランサーは青い様相が目立つ男だったが、悪意ある聖杯に晒されたおかげなのか全体像に靄がかかっている。武技で英霊となったわけではないアーチャーの瞳にも、以前のような野性味はとうに消え、意思の枯れ果てた人形にしか見えない。
衝突は僅か、
『凛。ランサーに見つかった、これから戦闘を開始する』
『アーチャー、ここで仕留めるのは良いけど一番はあんたの帰還よ』
『——ふん、了解した』
③
宝石で編まれた蝶がなにかを伝えるように旋回した。八の字を描いたそれは、正面で見ていた
「
手を顎に持っていった
龍脈の収束地である柳洞寺から逸れた低いビルが立ち並ぶ、現時刻は人気の少ないそこになにか煌めいた。
「アーチャーがランサーと接敵、救援を打診したが断られた。どうやら向こうは今仕留める気はないみたいだ」
遠見の魔術を行使する。
「あのライダーと形態が違うな……」
「セイバーと邪竜娘が襲われたというライダーですか」
「ああ。あのライダーには意識があった。不敵な笑い声を浮かべて鎌を振るってくるサーヴァントだったが、こっちのランサーは一言も発さない。どころか、槍を振った瞬間、アーチャーの剣を受け止めたときに息をも漏らさない。
これは……」
——中身がない。
「この気配、中に満たされたのはあの影に感じたナニかですね。太陽神とは対を成す、悪神の類」
「それも端材にすぎない。聖杯にアレの本体がいるなら、少し厄介だぞ……」
思案する
一合二合と苛烈を増していく戦闘に、生前でも珍しい純粋なランサーの槍捌きに息を飲む。外側だけといえあの戦闘力。私はもともと近接戦を行う者ではないといえ、戦の常套の時代に生きてきたファラオである。故にわかる。あのランサーは——バーサーカーに並ぶほどの大英雄だと。
アーチャーが二対の剣を投げた。そのまま飛んでいくと思いきや剣は輪を描き中心にいたランサーに向かっていく。手首のみで槍を動かしたランサーはたやすく弾くが、そこに追撃するように矢が何本も放たれた。
「あれは——『矢除けの加護』!」
滑るように地面へ消えた矢はランサーの足元を崩す。飛び移ろうと力を込めたが、アーチャーが射たもう一矢によって足を滑らせた。
「血のような赤枝に、稀に見得る槍捌き。そして神々に愛された証明である加護。
あのランサーの正体は『アルスター物語』の大英雄。誉れ高きケルトの戦士——''クーフーリン''」
離脱するアーチャーがこちらを見た気がするが、それに気付かずに消えていくランサーを見つめる。やられたわけではないだろう、おそらく
「自我を持って存在するならば手を焼きましたが、アーチャー相手にあの戦闘。マキリという敵がいる以上、事実上同盟を組んでいる私たちにはセイバーもいるので問題ないでしょうか」
「不死殺しを持つライダーもある。油断はできないが、サーヴァントは頼んだよ」
「ええ、私も尽力します。
……時に
「あいつは特に動く予定はない。
「そうですか——」
「ニトちゃん、昼にセイバーたちのところに行こうか。即席で組んで向かえば、太陽神の威光を受けた君ならともかく他のサーヴァントは取り込まれてその場で敵になりかねない」
最優のサーヴァントと称されるセイバーがいるが、そのセイバーは不死殺しのライダーに瀕死にされた経験がある。それはマスターが素人同然の未熟さもあるが、ライダーの技量を表す。私がキャスターとして召喚されず、アサシンとして召喚されていないように適正値が低いクラスに当てはめて召喚された可能性がある。それがマキリの杯によって霊基を弄られれば、ライダーはクラス
「
「ああ……」
「今回の聖杯戦争、どうあれ——」
「そろそろ白澤のご飯の時間だな」
「——え?」
「——ん?」
④
「——機は熟した」
——黒い泡が弾けた。
停滞した夜は漸く星が動き始める。
物語は佳境の門を潜り、序章を迎える鐘は鳴った。
後書きは次話なのじゃっっっ!
最近知ったんですが、誤字脱字報告から飛んで自動で編集する機能があったんですね…
それを知らなくて誤字脱字報告があっても自分で編集してました。みなさまがわざわざご指摘してくださったものはすべて前後を読み返し編集してまいりました。これからも見落としないよう、度々読み返して気をつけていきます。