鎌月鈴乃さんに変な属性をつけた話。(はたらく魔王様) 作:ほりぃー
「ここまでは買わなくてもよかったな」
キッチンというには少しみすぼらしいアパートの台所で、その女性はため息をついた。
おちついた藍色の着物に、頭には手拭いをつけたその小柄な女性は目の前に置いた一升瓶を見ながらどうしようかと考えている。その表面についたラベルには墨跡でなにか書いてあるが崩して書かれた字に味はあっても意味は分からない。
この一升瓶にはお酒、日本酒が入っている。女性はこれを使ってなにか手の込んだ料理をしようかと思いついて買ってきたのだが、いかんせん台に置いた状態とはいえ、女性の目線まである一升瓶は多すぎる気がしてならない。
普段は女性も「まわり」もお酒を飲むような習慣は持っていないから残ることは決まったようなものだった。
「はあ」
我ながら、浅慮だったと女性は思う。返してくるかとも考えながら少しだけ緩んだ手脱ぎを締め直した。とりあえずは仕事に行っている彼らが帰ってくるまでには夕飯を用意しておかなければならない。
そこで女性は苦笑した。そもそもが「彼ら」とは仲間や家族と言った間柄ではない。むしろ少し前には敵対していた間柄だ。厳密に言えば今も敵対しているはずなのだが、戦うことすらもう考えることが難しい。
「ねーベル―、お腹減ったんだけど」
眠たげな声が女性の後ろから聞こえた。女性――ベルはぴくりと反応しつつもその声の主には何も言わずまな板や包丁を準備する。
「ねーえー。僕、お腹減ったんだけど」
「漆原。……そういうならなにか手伝うか」
「あれ、今日はぼくのことそう呼ぶんだね、でなんか食べるもんある?」
ベルはあきれた様子で振り向いた。手伝うかどうか聞いたのに声の主である漆原はそのことをすべて無視したのだ。彼女が振り向くと、半そで半ズボン、まさに少年と言った容姿の男がお腹を掻きながら眠たげにしてそこにいた。
ちなみに漆原とは本名ではなく、本名をもじった日本風の名前だ。普段はベルも本名を呼んでいるのだが、今はわざと冷たく言った。
「にーと……」
「い、いきなりなに。ちがうよ! 僕は働きたいんだけどはたらけないだけだよ」
「それもそもそもが自らの悪行の結果だろう。全く、働かぬもの喰うべからずとはよく言ったものだ」
「それだと僕、餓死しちゃうんだけど……」
漆原が日の高い時刻、それも平日に家の中にいるのは彼の言うとおり事情があった。だがそれは昔の自分がした「悪行」の結果なうえ、働かないどころか家事の手伝いもせずネットサーフィンにうつつを抜かしている漆原にベルは同情する気はなかった。
「手伝うという発想はないのか?」
「うーん、考えとく」
そういうと漆原は適当に冷蔵庫を開けて中を物色する。その間も「なんだよ、なにもないじゃんか」などと小声で悪態をつくのがベルには耳障りだった。
ただそうはいってもいつものことだ。漆原が手伝うとはベルは思ってはいないし、今更怒鳴る気にもならない。一応この少年「漆原」はベルの何十倍もの長い時を生き抜いてきた者だ。それを叱るのは、なんというか情けない。
先に書いた通りこの漆原含めベルの待つ「彼ら」は敵同士である。それを「叱るのは情けない」などと感じるのは、もはやベルの心に「敵」などというよりも家族に接しているような感情が芽生えていることをものがたっていた。だがむろんベルは自覚していない。
冷蔵庫を物色する漆原だったが、何もはいっていないその冷涼な箱には興味を無くしたらしい。その無駄に伸びた髪を払いつつ、ベルの横にあった一升瓶を見つけて手に取った。少しだけ重そうにして漆原が抱える。
「あーこれお酒じゃん」
「あっそれは後で返しに行くからそこに……」
「えっ?」
ベルの言葉よりも早く漆原は瓶のキャップを開けていた。
固まる二人。漆原もベルもみつめあったまま何も言わない、ただしベルの視線はとても冷たい。ベルはさっき出した包丁を持ったまま漆原に一歩近づいた。包丁は無意識ではあったが漆原の目が怯えた。
「……貴様……働きもせずによけいなことばかりして……返品できないだろうが」
「ち、ちがうよ。ていうか、返しに行くとかわかる筈がないじゃん。あ、危ないってそれ、死んじゃうから!」
「はあ…? ああ」
やっとベルは包丁を持った自分に気が付いてその刃物を流しにあるまな板の上に置いた。それからきっと漆原を睨みつける。だが漆原はにへらと笑う。機嫌を取り結んだつもりではあろうが、その顔がベルには馬鹿にされているように思えた。
いったん治めそうになった怒りがベルを包んだ。
「きょ、今日と言う今日は許せん。そこになおれ、ルシフェル!」
「く、くそう。なんだよ、こんなところに無造作に置いてベルが悪いんじゃないか!」
「な、なんだと。言うに事欠いてその言動! 堕ちたとはいえ天使であった自覚もないのか」
ルシフェルとは漆原の本名だ。彼はある「魔王」に従って数年前にある世界で戦争を戦った堕天使である。それは人間世界でニートをやっているのだから世の中は分からない。
「く、なんだよ。姑みたいに!」
「姑! 私のどこがそう見えるんだ」
「格好からしてそうじゃない! なんだい、着物なんて着ちゃってさ、日本かぶれ!」
「ぐうう。こ、このおいうに事欠いて……!」
わなわなとふるえるベルの腕。少なからず気にいっている服装を馬鹿にされ「日本かぶれ」などと言われて怒りが限界に達しそうだった。だが一度しゃべりだしたニートの不平不満は生半可なものではない。自分でやらないから、批判は得意だ。
「今日だって、日本酒なんてかってきてさ」
調理用に買ってきただけとは漆原は知らない。
「僕はワインの方が好きだしね。日本酒ってなんか辛いし、お酒として強いしでいいとこないよ」
「…………」
ベルは何かが切れた気がした。いうなれば息子に反抗された母親のような気持ちだとでも言おうか、その憎悪は熱しやすく冷めやすい。だが今熱したばかりだ。
「もう知らん! 今日は帰る!!」
赤い顔のまま、ベルは漆原から一升瓶をひったくるとづかづかと玄関から出て行った。アパートだから台所から玄関まで数歩しかない。漆原はぽかんと口を開けたまま閉じていくドアを見つめていた。
そのうち隣の部屋で力強くドアの閉まる音が聞こえた。
「ご飯は……?」
漆原は力なく呟いた。言いすぎたと感じながらもうそう言える彼は間違いなくニートの素質を持っていた。
「で今日鈴乃は帰っちまったと」
小さなテーブルを男三人で囲み話し合う。その中の一人は漆原だが、後の二人はベルの待っていた「彼ら」だった。ちなみに鈴乃とはベルの仮の名前だ。(以下、鈴乃)
「まずいな。芦屋」
最初に口を開いた黒髪の男がもう一人の長身の男に話しかけた。長身の男は芦屋というらしい。彼はそのこめかみを手で押さえて、苦悶の表情を浮かべた。少し長い金髪が彼の容姿を際立たせる。
「ええ、真奥さま。遺憾ではありますが鈴乃殿にはこの魔王城(アパートのこと) の家事、食事、育児と多大な助力を受けております。仮に今彼女にへそを曲げられたままということになりますと……その被害は尋常ではないかと」
「ちょっちょっとまって芦屋! 育児って何?!」
「黙れルシフェル。そもそもが貴様のせいだろうが」
漆原は芦屋に睨まれると横を向いて小声で不平を漏らした。だが芦屋はそれを無視しつつ黒髪の男、真奥に目を向けた。
「どちらに致しましても。彼女からたまにいただく、うどんや何かの食材の類はわが家の家計を支える重要な兵站ともいえるでしょう。真奥様……」
「いい、芦屋」
「はっ? し、しかし」
「黙って聞け」
真奥目が紅く光った。ぶると芦屋は身が凍るような感覚に襲われる、そして口をつぐみ次の真奥の言葉を待つ。
真奥の眼光。それは伊達の物ではなかった。ルシフェルが漆原のように芦屋も真奥もそれぞれ「真の姿」と名を持っている。それはかつて異世界を震撼させた巨大な名だった。
真奥。真奥。魔王。
そうその名前は多くの悪魔を率いた大悪魔の名。世界を混沌に落としいれた男。それが真奥だった。その彼が口を開く。
「たしかに鈴乃には迷惑をかけた。だがな、芦屋それは謝って済むような問題じゃねえ」
「はっ、おっしゃるとおりです魔王様」
いつの間にか芦屋の言葉づかいもさらに重くなっていた。彼はかつて悪魔大元帥と言われその知謀を恐れられた男だ。
「魔王様。この状況を考えるに漆原を煮詰めて」
「そんなの絶対おかしいよ」
「やかましい漆原。貴様に拒否権はない」
「そんなの絶対おかしいよ!」
同じことをいう漆原と芦屋に真奥は言う。
「漆原の言うとおりそれじゃあ何の償いにもならねえ。芦屋!」
「はっ」
「例の計画を前倒しで発動するぞ」
「…?!……そ、それは。魔王さま……、我々の命に係わります」
「かまわぬ。いざとなれば毎日ハンバーガーだ」
「そ、そこまでの覚悟を……この芦屋、承知いたしました」
ちなみに魔王はとあるファーストフード店で働いている。
漆原は二人の様子をみてただならぬものを感じた。
「計画って、なに?」
彼には何の情報も与えられていない。
いい匂いだった。
三人の悪魔が会議を行ったテーブルの上にはぐつぐつと肉や野菜の煮えたぎる鍋が置かれていた。さらに横には御代わりのお肉。表面が鮮やかなほど赤いそれは、まぎれもない高級肉だった。
「なーんだ。すき焼きでつるんだ」
漆原はあきれたといった感じで呟く。もちろんこの鍋を用意したのは漆原ではない。悪魔大元帥であるアルシエルこと芦屋だった。彼はベルが悩んでいた台所に立ち、なにかを用意している。白い麺だった。
「最後はこのうどんで閉めます。真奥様」
「ああ、よくやった芦屋」
真奥が芦屋の後ろから声をかける。漆原ははあと息を吐いてから言う。
「何が計画だよ、少しビビったじゃないか」
その声に芦屋と真奥が振り返った。漆原がたじろぐ。
「な、なに芦屋」
「ルシフェル貴様。このような高級な食事を計画していた時期よりも『前倒しで用意して』明日からの食事ができると思うなよ。そんな食費は我が家にはもうない」
その言葉に漆原はさーと血の気が引いた。間違いなく自分の食事が減る。
「し、死んじゃうよ」
「安心しろ、貴様にはもやし方面軍をまかせる。育てなければ死ね。あとゲームやパソコンは禁止だ」
「びえっ!」
ゲームパソコンの禁止を言い渡されて、漆原は奇声を上げた。まさかそんなと絶望した顔で真奥を見る。だが真奥は首を振るだけでなにも言わなかった。漆原はとどめを刺されたように肩を落とした。
芦屋と漆原を見比べて真奥は言った。
「そろそろだな、俺は鈴乃を呼んでくるぞ」
「真奥様、それは漆原に」
「いや無理だろう、あれは」
芦屋は放心状態の漆原を見る。こんな時でも役に立たない。
「……申し訳ありません。真奥様」
「かまわん。では行ってくる」
カッコよく真奥は玄関を出た。そして行く。隣へ。
「おーい鈴乃―」
こんこんとドアを叩きながら鈴乃を呼ぶ真奥。いるはずなのだが、部屋には明かりはない。しかしひきこもりの達人である漆原が隣にいるのだ。外出したならわかるはずだろう。
「開いてる…」
何となく触ったドアノブが開いた。不用心とは思う真奥だが、鈴乃はこのあたりの男よりも断然強い。無駄な心配かと苦笑しつつ真奥がゆっくりドアを開いた。
居た、鈴乃が目の前に。
「ドワッ!」
驚いて真奥はのけぞる。暗い部屋に市松人形のような彼女が立っていたのだから、そうなるだろう。
鈴乃の顔が窓から漏れる月明かりで映える。紅い。
真奥はそのことに心がのけぞった。体ではない、もしかして今日のことに傷ついて泣いていたのではないだろうか。そう思ったのだ。
「鈴乃、今日はその、なんていうか悪かった……な」
頭を掻きながら謝る真奥。
「そんでお詫びと言ってはなんだけどよ、すき焼きを用意したんだ。食べにこいよ」
「…………」
鈴乃がすっと手をだした。真奥は一瞬たじろいだが、なんとなく手を握る。熱い。
「いこうぜ……」
真奥が引く、鈴乃はついていく。
鈴乃の部屋を出てから、真奥の部屋まで数歩だけ。何も言わない鈴乃を不気味に思いつつも真奥は彼女の手を引いて歩く。
だがドアの前に来て開けようとした時に真奥は気が付いた、酒臭い。
「おい鈴乃。なんか――」
「ひっく」
いきなり真奥は振り払われた。
「うおおお」
すごい勢いで半開きのドアに突っ込む真奥。そのまま部屋の中に叩き込まれた。
「な、なに?」
「魔王様!」
真奥に駆け寄る漆原と芦屋。だが次の瞬間彼らの目は別の方向に釘付けになった。
「わ、わたひのさけが。のめないのか」
顔が紅い鈴乃がわけのわからないことを言いながら部屋の入ってきたのだ。その手には一升瓶が握られていて半分ほど、減っていた。
あの後鈴乃はお酒を飲んだらしい。普段全くと言っていいほど飲まないくせに強靭な体を持つ彼女は一升瓶の半分を消し去っただろう。
さらに、やけ酒は悪く酔う。
「だーからおまえたちは」
首を斜にして姿勢を崩す。普段なら絶対に鈴乃がやらないだろう行動を今日の鈴乃はやっていた。彼女は横に座った真奥になにか説教めいたことを言う。なんども。なんども。同じことを繰り返した。
時折、鈴乃は芦屋の用意したコップに日本酒をうつしてあおるが、そのあとに一層真奥に絡み始めた。
鍋は煮えている。だが誰も食べる気にはならない。
芦屋も漆原も台の横で正座している。ちらちらと二人が鍋を見るのは意味が違う。方や早く食べたい気持ち、方や鍋の出来が気になる男。
「ねえ、芦屋。あれ、くいだめしておかないと」
「うるさぃい」
「ぐげ!」
鈴乃の投げたティッシュ箱が漆原を直撃した。なにかいいながら転がる。漆原。
「だから、きーてるのか、まおうぉ」
「聞いてるって、でも鍋が」
「きいてなーい」
鈴乃が叫ぶ。真奥は焦った、このままでは近所迷惑になりかねない。
「わ、わかった真面目に聞くから! と、とりあえず鈴乃さん鍋食べようぜ」
飢えた獅子をなだめるには肉しかない。そう思って真奥は鈴乃に箸を渡した。すでも真奥は彼女へさんづけで呼んでいる。
「うー」と奇妙なうめき声を出しつつ、鈴乃は箸を観察する。
「肉」
それだけ言って鈴乃は真奥に箸を返す。真奥はいぶかりながら受け取ったがやがて意味が分かった。
「よそうのか」
「!真奥様、それはこのアルシエルが」
「いやいい。我が忠臣よ。ここは我に任せよ」
「ま、真奥様」
感動する智将。よそうだけなのに戦場に行くような凛々しい顔をする魔王。
(ふふふ。普段のバイトで鍛え上げた眼力で鈴乃が満足するようによそってやるぜ)
真奥はそんなことを思いながら。鍋を見つめた。あの肉だ。見ためからわかる柔らかさといい煮え具合と言いこれ以上はない。
箸でとる。まだ誰も手を付けてなから、菜箸はいらない。
「まずはひと……ん、なんだよ鈴乃」
もう一つ取ろうとした真奥の袖を鈴乃が引っ張った。
「ん」
鈴乃を振り向いた真奥。その目の前で、
口を開ける鈴乃。
「えっ?」
(まってくれ、これよそうだけですよね鈴乃さん。なんで口を開けてるんですか?)
汗が真奥の頬を流れる。まさかこの魔王に「あーん」を行えと、そう言っているのだろうか。真奥は頭を振った。
「ん」
近付いてくる鈴乃。芦屋は口を開けて呆然としている。漆原は勝手に肉を取って食べ始めた。
真奥は手元の肉を小皿にとった卵につけて、よくからませる。その様子に芦屋が立ち上がった。
「魔王様!」
「座れ! 芦屋。」
「し、しかし」
目だけで真奥は芦屋を見る。その顔は穏やかだった。
「部下の責任は俺の責任だ。心配するな」
そういいながら真奥は手もとの肉に卵を絡める作業に戻った。芦屋は力なく座るとその下を向いて、言った。
「ご立派です魔王様」
「ばかみたい」
すばやく漆原の頭を掴む芦屋。だが真奥はそちらに注意力を割くわけにはいかなかった。今恐ろしい敵を前にしているのだ。
ごくりと喉に絡んだ痰を飲み。真奥は恐る恐る肉を鈴乃の口元に持って行く。口を開けてぱくり、と擬音をつけたくなるほど強引に鈴乃は肉を食べた。それからもぐもぐと噛んでから、喉を通す。
終わった。そう真奥は安堵のため息をついた。人間に「あーん」をした魔王といえば別の意味で箔がつくことは間違いないだろう。しかしここには忠臣である芦屋と彼に押さえつけられている漆原。そして一人の酔っ払いがいるだけだ。外に漏れる確率は少ないだろう。
鈴乃はもう一度口を開けた。
(おかわりっだと?? 小鳥かこいつ!)
餌を待っている小鳥のように真奥に顎で催促する鈴乃。くわせろ。その意思が伝わってきて、真奥は脂汗を流した。いつまで続くんだ。
結局5枚ほど肉を頬張って鈴乃は満足したらしい。それは真奥の屈辱の回数ともいえる。
真奥は無言で自分の白飯をかきこんだ。肉は少なくても大量の飯を食べられるのは貧乏生活で得たスキルの一つだった。ちなみに芦屋も漆原も無言で鍋をつついている。
魔王の横でとくとくとコップに酒を注ぐ鈴乃。透明な酒が小さな渦を作って、コップを満たしていく。真奥はそれを横目にみて言った。口を滑らせたといってもよい。
「も、もうやめたほうがいいんじゃないか?」
芦屋が顔を上げた。最初に真奥を投げとばして侵入してきた酒乱である鈴乃に酒で抗えば、いい結果が生まれるとは思えない。真奥が鈴乃に襲われようものなら飛びかかってでも彼を守り抜くつもりだった。
だが意外にも鈴乃はその赤く火照った顔でゆっくりコップと真奥を見比べた。それだけでコップには口をつけなかった。だが真奥を見るのはやめない。
鈴乃の少し熱さを持った目が真奥にはなにか不気味なものを感じさせた。鈴乃は唇を動かした。そこから聞こえてくる声は真奥にとっては厳しいものだ。
「なら、お前がのめ」
な、に。と真奥はたじろいだ。
鈴乃はその真奥の前になみなみと注いだコップを置いた。そのあとに一升瓶を掴む。
(えっ? なんでその瓶を持っているんだ? もしかして、御代わり用か?)
真奥は直感した。目の前のコップを干したところで光の速さで鈴乃に潤されるのだろう。それは終わらない地獄のようなものだ。これはうけてはならない。
「す、鈴乃さん。俺明日はやいからさけは……」
「……のめない、のか……わたしのさけが……」
低い声を出して真奥を睨みつける鈴乃。そこに芦屋がフォローに入った。
「そうです。真奥様は我が家の大黒柱。飲ませるのならこの穀潰しに」
「そっそれって僕のこと? やだよ、好きじゃない」
「漆原! こんな時くらい役にたて」
「いつも役にたっているじゃん!」
「なんの話だ!」
芦屋と漆原が口論し始めた時。二人の注意が鈴乃から反れた、それはよそを向いていた真奥も同じだった。だからにじり寄る鈴乃に警戒できなかった。
「わたひの酒を、のめ!」
強い鈴乃の声に、漆原と芦屋が振り向いた時だった。
真奥と鈴乃の唇が重なったのを見たのは。
「まおうさまあああああ」
「なっなにこれどうなってんの?」
数十秒前。
「そうです。真奥様は我が家の大黒柱。飲ませるのならこの穀潰しに」
芦屋が真奥を助けるために言った。真奥はその言葉でなんとか鈴乃の矛先が変わってくれるように願った。だがすぐに漆原が抗議の声を上げて、どうにも魔王軍きっての智将でも鈴乃の意思を変えられそうにはない。
「うん?」
真奥が気が付いた時彼の目の前にコップはなかった。疑問に思い真奥が横を向いた時だった。その魔王の頭を細い腕が掴んだ、真奥は驚愕に目を開いたが、もう遅かった。
「わたひの酒を、のめ!」
目の前に鈴乃の顔。引き寄せられて、柔らかい感触が真奥の唇を覆う。
(!!! はっ離せ)
鈴乃は真奥の頭を抱きしめながら、強く唇を押さえつけてきた。真奥が多少もがいても離れられない。
鈴乃の口元から真奥になにかあったかいものが流れてくる。
(これは、酒?)
味がする。お酒の味が口に広がる。ここで真奥はやっと鈴乃の行動を理解した。
酒を飲まなかったから無理やり口移しに出たらしい。なくなったコップの酒は鈴乃が飲んだのだろう。いや、「今、真奥が飲んでいる」。
遠くで真奥の耳に声が聞こえた。なにか驚いている声だった。それを芦屋と漆原の驚愕の声とはさすがの真奥と言えどこの状況ではわからなかった。
鈴乃がさらに真奥を強く抱きしめる、当てた唇を動かしながらお酒を流し込んでくる。熱いのは鈴乃の頬。真奥はだんだんと頭がぼんやりしてきた。二人に口元を飲みきれなかったしずくが流れていく。それは艶めかしい光景だった。
「げほっげほ」
「真奥様。御気を確かに」
やっと解放されてむせる真奥の背中を芦屋がさすってあげた。だが当の真奥は情けない声で。
「あ、芦屋。もうだめかもしれん」
「そんな。まだ我らの覇道は完成しておりません! このようなところで……」
「いや、見ろ」
真奥が芦屋を目でただすとそこでは鈴乃がコップを傾けて、酒をあおっていた。いやこの場合には「補充」と言った方がいいかもしれない。
鈴乃は口に酒を含むとゆらりと振り返った。その熱い目が真奥をみている。
「まーぉーう」
変なイントネーションで近づいてくる、赤い顔で迫ってくる鈴乃。いつの間にか漆原は消えていた。おそらく押し入れに隠れたのだろう。
近付く「魔物」に芦屋はごくりと息をのんだ。だが真奥は達観した様子で。
「俺は今日。こいつに酔いつぶされるのか……」
明日は遅刻。間違いない。
「う、うーん」
鈴乃が朝日を受けて目を瞬かせた。ゆっくりと目を開けてから、頭部へ急な痛みが走る。
「いだっ。なっなんだ」
鈴乃は頭痛の意味が分からずに起き上ろうとした。だが目の前にある何かが邪魔をして起き上れない。その黒い影のようなものに鈴乃は抱き着いたように寝ていた。
「なんだ? これは」
必死になって起き上ろうとするのだが鈴乃を押しつぶすその黒い影は動かせない。寝転んだまま全力で鈴乃は影を押した。影はごろんと今度は嘘のように転がった。
影の正体が分かった。動いたのは自分で転がったのだろう。
「ま、真奥????? なんで私の部屋に?」
死んだような顔をしている真奥を鈴乃は驚愕の顔で見た。少なからず顔を赤く染める。
鈴乃は昨日、漆原にいろいろ言われた後ムキになってお酒を飲んでいたことしか覚えていない。だが今の鈴乃は正常、あたりを見回すとここが自分の部屋ではなく、真奥たちの部屋だと分かった。テレビすらないのだから、違いは明白だった。
「さ、さけくさい」
鈴乃は手で鼻と口を覆った。きつい匂いが部屋に充満していた。
「まさか私は、こいつらに酒宴にさそわれたのか?」
誘われたというより引きずりこんだ、のほうが正しい。鈴乃は立ち上がって、部屋に寝ている三人の悪魔を見た。
なにかに襲われたような顔をしたまま寝ている漆原。
壁にめりこんだように倒れている、芦屋。すき焼きのコンロが消えているのは彼の働きに違いないだろう。
そして目の前で倒れている真奥。よく見たら白目をむいているが鈴乃は気が付かなかった。
「仕方ないやつらだな」
ふうと息をはいてほほ笑む鈴乃。とりあえずは掃除をしてやらなければならない。鈴乃は世話の焼ける隣人たちの為に動き始めた。
彼女が真実を知る日は、そう遠くはない。
お疲れ様でした。感想いただけましたら喜びます。