新生活にもだいぶ慣れてきたので、しばらくぶりに日記を開いた。ここ最近の近況をまとめていく。
一週間ほど前、チセと連日おしゃべりに興じたことで現代英語を話せるようになった私は昼下がりに外へ出た。この時間帯に外へ出ると春の日差しが気持ちよく、私のような暇人たちも出歩いているのではと考えてのことだ。思い通り、ぶらつき始めて間もなく川のほとりでぼうっとしている老婆を見つけ、うだうだと夕暮れまで話し込んだ。
次の日はかけっこを楽しむ子供たちに混ざり、その次は初日に私を呼び止めた駐在さんと雑談、その次は見つけた野良猫を追いかけ猫の集会所を発見した。自分でも驚くほど無為な時間の過ごし方である。どちらにしろチセが自宅まで来てくれない以上、今の私にはネットサーフィンで時間を潰す以外やることがないので、大きな違いはないが。
しかし町民とぐだぐだ関わっているうちに気づいたことも一つあった。魔力を持った人間が異様に少ないのだ。私が昔イングランドにいたころは、10人中9人は魔力を持っていて、そのうちの何人かは魔法使いや魔術師になれるだけの素養を持っていた。だのに今は10人どころか100人単位で見ても魔力持ちがいない。
それだけでなく、隣人たちの影も異様に薄い。隣人たちはその名の通り人間たちの世界のすぐそばに息づいており、町中であろうと世界を区切る薄いベールを払えば簡単に会える存在のはずだった。しかし薄いベールそのものがほとんど見つけられないのだ。
隣人たちの存在感が薄れているのは昨今の科学の隆盛具合を考えれば納得できる。だが魔法使いと魔術師の大幅減少については分からない。中世の魔女狩りじみた事件でもあったのだろうか? 結局あの時狩られたのは魔法のマの字も知らない一般人で、本物の魔女たちは誰一人やられなかったそうだけど、その教訓を生かして本物の魔法使いたちを狩るイベントが知らないうちに起こったのかもしれない。
そうして「魔法使い 少ない」とネットで調べてみたのだが、結果は芳しくない。匿名掲示板や質問投稿サイトで「久しぶりにイングランドに来たら魔法使いや魔術師っぽいのが全然いないんだけど、なんかあった?」と聞いても返ってくるのはスラングまじりの煽りばかり。
チセのお師匠さんはというと、数日前からチセといっしょにどこかへ出かけているらしい。事情通の駐在さんから聞いた。
というわけで、私は明日からロンドンまで話を聞きに行く。
ロンドンほどの都市ならば魔術師や魔法使いも見つけられるはずだ。単純に分母が大きくなるのだから。日本の東京にだって探せば陰陽師だの退魔士だのがいたし。
魔力は血液のように体内を巡っているため一見外からは見えづらいが、目を凝らすと湯気のようなものとして視認できる。魔力の大きい人に声をかけて話を聞かせてもらおう。魔に携わる人たちは対価にうるさいから、話の対価をきちんと用意しておくのも忘れない。
移動手段は二つ。通貨を自己流魔法もどきで錬成して列車で行くか、転移魔法もどきで直接現地へ飛ぶか。コインの裏表で決める。決まった。転移魔法を使うことにする。
通貨の錬成ではズルをして得た金を使う罪悪感が生まれ、転移魔法では旅の風情にかける。どちらもうれしくない選択肢である。飲食不要な身のため金の調達については後回しにしてきたが、そろそろ仕事を探してみるべきだろう。今世はのんびり生きる方針だが、健全な生活にはある程度の金が必要だ。
今日は有意義な一日だった。
昼頃に起きた私は顔を洗い歯を磨き、着の身着のままで転移魔法もどきを使ってロンドンへ飛んだ。あらかじめ調べを付けておいたロンドンでもっとも人の多そうな場所であるトラファルガー広場に到着し、落ち着ける場所を探す。
トラファルガー広場はおっきな塔の左右におっきな噴水のあるおっきな広場で、私はその噴水の縁に腰かけ、ぼけーっと魔力を持つ人間を求めて視線を行き来させる。
その間、観光客らしい日本人たちや現地人たちにたくさん声をかけられた。10歳のアジア系少女が上下ジャージ姿でトラファルガー広場に一人頑張っていれば、確かに目立つ。注目を集め声をかけられることはなんら不都合ではないので、私は日本人の観光客と記念撮影したり現地人と無駄話に興じたりして気楽に魔力持ちを探した。
すると、不意に遠方の青年と目が合う。その青年は微笑を浮かべて唇を動かしていたが、私は青年の持つ魔力に気を取られていて青年の意図には気づけなかった。
おそらくついてこいと言ったのだと思う。青年は人ごみに紛れるようにさっさとどこかへ歩いて行ったので、私はあわてて後を追った。
ついた先は広場から遠く離れた小さな路地。青年がヨセフと名乗ったのを皮切りに私も名乗り、あいさつもそこそこに件の質問を口にした。魔術師や魔法使いが随分と少ないが、何かあったのかと。
ヨセフは簡潔に、「最近起こった大戦のせいだよ」と答えてくれた。できればもうちょっと踏み込んで聞きたかったのだけれど、ヨセフの影から急に昆虫の足のような触腕が出てきて、私を突き刺そうとしたので聞きそびれてしまった。
触腕は私の体表でピタリと止まる。ヨセフが不思議そうに首をかしげていたけれど、私が「話の対価はあげるけれど命は無理」と言って聞かせると、不満げに唇をゆがめながら髪の毛をよこせと要求した。
髪の毛は昔から魔力を持つ者たちにとっての魔力倉庫として知られ、他者の髪の毛は魔術師たちにとってかっこうの研究材料である。それを欲するということはヨセフも魔術師だったのだろう。初対面の相手を殺してまで奪おうとするなんてずいぶん熱心なことだ。
快諾しかけた私だったが、ここで少し欲張った。髪の毛ではなく血をあげるから、稼ぎのいい働き口を紹介するよう頼んだのだ。ヨセフは一瞬顔をしかめるが、私が自分の指を噛みきって現物を見せてあげると目を真ん丸にして固まった。
魔力は血液と同じように血管を通って体中を巡っている。そのため血液は魔力そのもの、生命のかけらと言っても過言ではない。私はやたら長く生きているのと特殊な出生であることから、魔力の質にも自信がある。十分対価として使えると考えた。
はたしてヨセフはこくんと頷き、震える手で試験管を取り出して私の血を受け取った。そして一つの名刺を私に手渡すと、風に散るようにしてその姿が薄れ、いなくなった。
名刺の連絡先に連絡をとろうにも、私には公衆電話を使う硬貨さえない。ひとまずロンドンから自宅へ戻って、パソコンでメールを送った。知り合いから働き口として紹介されたのですが云々。
しかし送信の30分後に返って来たメールによると、私の送ったアドレスはオークションへの出品を申し込むためのものであり、新人は募集していないらしい。ロンドンでは魔法や魔術のかかわった物品、幻想生物の中でも生物寄りの種などを、魔術師や魔術に興味のある物好きたちに売りさばくオークションが行われていて、もし出品にたるだけの品があれば詳細を教えていただければ、とのこと。
なんにせよ、日銭を稼げることには変わりない。私は昔作りすぎた宝石の一つを取り出し、写真と説明をメールで送った。都合のいい場所を写真で送ってもらえれば現物をそこへ転移させられることも言い添えて。
30秒で返って来た返信で先方が快諾したので、私はさっそく宝石を転移させ、後は私の取り分と口座がないので現金を写真で送ってもらって、それを転移で受け取ることなどこまごました話し合いに終始した。
あの宝石の使い道はともかく、古い年代のものであるのは確かだ。自販機で水さえ買えない古銭が好事家たちに高く見られるのと同じように、それなりの値段にはなるだろう。
オークションは18時から20時にかけて行われ、あの宝石の出番は最後らしい。今は19時15分。ここからロンドンへの運賃程度にはなるといいのだが。
想定外の大金が手に入った。
好事家たちの考えることはよく分からない。
――――
森の中に白い煙の線を引きながら駆けていく機関車。そのコンパートメントの一つで窓の外を見つめていたチセは、対面に座る自分の師匠、エリアスへふと視線を移します。
イヌ科の動物の骨格のような頭部に、ヤギのようなねじれたツノ。その特徴的な頭部は二メートル以上ある大きな体躯に乗り、眼球のない空っぽの眼窩がチセを見つめ返しています。
「どうしたの?」
「い、いえ」
チセは誤魔化すように、膝の上で丸まる猫の背中をなぜました。
二人は教会から頼まれた三つのおつかいのうち、一つ目の竜の谷の視察を終え次の目的地へ向かっているところでした。チセは、エリアスがハニームーンとうそぶくおつかいの旅で訪れた竜の谷にて竜との対話を通して得難い経験をしたのですが、魔力の使いすぎで意識を失い先ほど目覚めたばかりです。
「またぞろ眠くなったのでしょう。どうぞ、ウルタールまではまだかかります」
「いや、そうでもなくて」
膝の上の猫が唐突に声を上げました。先ほど猫の国からの使者としてやってきたこの猫は、九つある命のうち七つ目を生きているらしく、こうして人の言葉を話せるのです。その声音にはチセへの気遣いがこめられていました。
チセとしては本当にただなんとなくぼうっとしていただけなので、気を使われると申し訳ない気持ちになります。
それを汲んだのか、猫が世間話のように軽く続けました。
「ところで魔法使い殿。例の蛇がご自宅の近くに現れたと聞きましたが」
「ああ、あの蛇ね。参ったよ、見つけようとして見つけられるものでもないのに」
「やはり、教会がせっついてきましたか?」
「必死でね」
「……あの、もしかしてエリアスが探してた人のことですか?」
チセが口を挟みます。エリアスは首を傾げ、
「興味ある?」
「はい。その、人相や特徴を教えてくれると、私も散歩に行ったときとか、それとなく探せますし……」
町の知り合いから受けた助言をもとに、チセは初めて自分の意見を主張しました。言葉の最後の方は自信なさげに小さくなっていきますが、エリアスはしっかりと聞き取ったようで、疲れたように首を横に振りました。
「人相は分からない。そもそも人かどうかも不明だ」
「え? じゃあ、蛇の隣人さんとかですか」
エリアスはそんなチセの予測にも首を振ります。
「魔法使いや魔術師たちは誰も見たことがないんだ。ただ、何千年も前から隣人たちの間で『蛇』と呼ばれる何かがいる。隣人たちによると、世界の理を無視し続けている矛盾の塊だそうだ」
「矛盾の、塊……」
「お客人、魔法や魔術の仕組みについてはご存知ですか?」
唐突に猫から問いかけられたチセは、先日ロンドンの魔術工房でアンジェリカから説明された仕組みを口にしました。世界のルールに隣人たちの力を借りて接続し、望む奇跡を起こしてもらうのが魔法、仕組みを解読し知識の力で接続して奇跡を起こすのが魔術、と。
「その通りです。方法に違いはあれ、魔法も魔術も手順を踏んで世界の理に働きかけるもの。ですが件の『蛇』は、何の手順もなく力ずくで理を捻じ曲げ奇跡を起こすのです」
「え? そんなことしたら」
「ただじゃすまないね」
エリアスが猫の言葉を引き継ぎます。
「理に触れる手続きはいわば鍵。魔法使いは扉の内側にいる隣人たちにあけてもらい、魔術師は鍵の仕組みを理解してこじ開ける。蛇はドアノブも鍵も蝶番も無理やりひねりつぶして扉を開けるんだ。当然手痛いしっぺ返しを食らうはずなんだけど、蛇はそうならない。だからこそ存在の由来も含めて、矛盾の塊と呼ばれている」
「……そのたとえだと、壊れた扉を治すのが大変そうですね」
粉々になった扉を小さな隣人たちが懸命に修理する様を想像したチセが率直な感想を言うと、エリアスはこともなげにうなずきました。
「そうだよ。実際蛇が大きな奇跡を使ってしばらくは魔法も魔術も使えなくなるんだ」
「えっ?」
「世界の基盤ですから治らなくなることはありません。ですがそんな無茶苦茶をするからこそ、隣人たちは侮蔑をこめて蛇と呼び、魔術師たちは血眼になっているのです」
「だからといって、僕のような魔法使いに話をもって来られても困るんだけどね。隣人たちは蛇を忌避し、近寄ろうともしない。彼らに探すのを手伝ってもらうには、相当重い対価が必要だろうね。――そろそろ着くよ。忘れ物はない?」
エリアスに促されいそいそと忘れ物の確認を始めるチセ。心中では、人間も隣人も区別なく世界規模で迷惑をかける蛇の空想がふくらみ、それは列車を下りてウルタールの町並みを目にする間もしばらく続いたのでした。