新生活の準備はすっかり整った。安全な住居、清潔な衣服、健全な食事、それらを支える確かな財力に、適度な交友関係。近況の整理を兼ねまずは財力を得た経緯についてまとめてみようか。
先日魔法の物品オークションに石を出品して得た大金でも人一人暮らしていくには十分な額だったが、連絡先の相手からすぐさま出品のお礼メールが送られてきた。よくあるビジネスメールの定型文で結ばれていたそれを斜め読みしていると、何か困ったことがあれば是非とも我々を頼っていただきたいとの旨を見つけたので、これ幸いとお願いをしてみた。
内容は個人口座の開設である。私は日本で偽の死体を作ってから姿を変えて転移してきた身であるため、戸籍がなくまっとうな口座が作れない。あいにくデジタルな方面での抜け道なんてこれっぽちも知らないから、この機会に頼らせてもらった。電子商取引が隆盛している今日、商いに関わる人間がそういった知識に疎いわけもないだろう。
容量無限の倉庫に現金でため込んでおくこともできるが、それではネット通販ができなくなる。口座さえあれば自宅に引きこもったままパソコンをポチポチするだけでほしいものが手に入るのだ。ほとんど魔法と大差ないこの便利さを享受するために、口座は必須なのである。
予想通り、先方は快諾してくれた。一つ予想と違ったのは、こまごまとした取り決めが面倒くさくて先方に丸投げしたにもかかわらず、手数料の一つもとられなかったことだ。売り払った石の額は客観的に見てそれなりだったから、上客認定されているのかもしれない。
それなら手間をかけさせたお詫びに何か出品しないと向こうも割に合わないだろう。私は以前出品した石と同じものを軽く加工し、指輪の形にして出品する旨を伝えた。
結果は上々、以前と同程度の額が早速新しい口座に振り込まれ、設定寿命の70年どころか100年放蕩の限りを尽くしても使いきれない財産を手に入れた。
こうしてグータラ生活の基盤を整えた私は、バランスのいいニート生活を送っている。朝起きてから昼までネット世界に浸り、昼から夜まで町をぶらついてその時々の人間たちと遊び、夜はまた日付が変わるまでネットをして寝る。
書いていてちょっとだらけ過ぎな気がしてきたが、前世は文字通り寝食惜しまず働いたのだ。本当に、設定寿命を果たして突然死したのが過労死ととられてもおかしくないほど働いた。今世はそのごほうびと考えよう。今度の人生ではまた何かして働くさ。
一つ気がかりなのは、魔力を持った一般人たちが頻繁に町を訪れるようになったことだ。魔力の量からして一般人を装った魔術師の可能性が高い。みんな一様に鋭い目つきでキョロキョロと何かを探しているようなそぶりなので、おそらくチセのお師匠が手を貸しているという人探しをしにきたと思われる。あんなに大勢で探し回るとなると、探し人は魔術師たちにとっての凶悪指名手配犯か何かだろう。恐ろしい世の中である。戸締りをきちんとしておこう。
今日はうれしい来客があった。
時刻は正午近く。動画サイトであてもなく目についた動画を再生しては居眠りするのを繰り返していたところ、急に後ろから声がかけられた。「変わらんな」と告げるその声には呆れと嘲りが半々で含まれており、私は勢いよく振り返って懐かしい友の姿を目にした。
ゆったりとしたフードをまとった長身、二対四本の腕に異形を意味する四本指の手。そしてフードの奥には幾重にも虹彩の重なった灰色の目がのぞいている。
私は無我夢中で「灰の目!」と彼の名を呼びながら欧州かぶれのハグを求めて飛びついたが、私が触れる瞬間、灰の目の身体は霧のように実体を失った。標的を失った私は床にずさーとスライディングする。
年甲斐もないはしゃぎようと自分でも思うけれど仕方ない。仮とはいえかつて自分に名前をくれた友人が大体千年ぶりに現れたら誰だって感動して我を失う。時間の感覚が人に近い私ならなおさらだ。
灰の目は実時間上では唯一私よりも長い時を生きる古い生き物だ。誰かの前にふらりと現れては無理難題を吹っ掛け、慌てる生き物たちの様を見て楽しんだりする愉快犯的な趣味を持つ。ただし愉快犯とはいってもいたずら好きの妖精とは比較にならない生き物なので、彼のちょっとしたいたずらがシャレにならない結果を生むこともたまにある。もちろん普通の人間は一度目を付けられたら逃げられないため腹をくくって被害を最小限に抑えるよう努力するしかない。
しかし今回の会合に限っては心配は無用だった。灰の目は私の性質を良く知っており、私に愉快犯の喜ぶような反応を期待しても無駄と分かっている。変に警戒する必要はない。
そうしてあいさつもそこそこに話し始めた灰の目いわく、今回は私に頼み事(一方的)をしに来たらしい。なんでも、私のおしゃべり仲間であるチセは、、、、なんとかという虚弱体質(度忘れ)であり、長くは生きられない。身体が弱い程度なら先日出品した石や昔作っておいた薬で軽く治せるし、なんなら不老不死にすることだってできる。しかし灰の目は私にそういった体質改善をするなと言ったのだ。
理由を聞く前にさっさと次の話に移った。今度は、私の素性について秘匿せよとのこと。なんでも私の素性が公になるとなかなか大きな騒ぎになってしまい、灰の目が現在企画中の悪だくみの邪魔になるらしい。
後者の頼みは承諾し、前者についてはチセに助けを求められればすぐに応じると条件をつけて承諾した。灰の目のお願いを断る理由がないのと同じように、チセのお願いを断る理由もないからである。
灰の目は私の答えにニヤっと目を三日月型にゆがめ、「かまわん」と言い残し煙のように消え去った。出会い頭に変わらんなと言った灰の目だけれど、灰の目の方こそ昔と変わらず唐突で一方的だった。
しかし、灰の目といいロンドンで出会った魔術師の青年といい、まるで悪役のような退場の仕方だ。私も転移の魔法もどきを使うとき、煙のエフェクトが出るように工夫してみようか。
――――
猫の町ウルタールから帰って来たチセは、初めて魔法を使った疲れから二週間の昏睡状態となり、最後には妖精の王の一押しでようやく目を覚ましました。
それからウルタールで魔法を使ったのをきっかけに、本格的な魔法使いの弟子としての修業を始めました。その土地に伝わる古いならわしや周囲の植物、生き物の魔法的な意味をエリアスの蔵書から学び、そうして学んだ知識を使いながら、エリアスの指導の下簡単な魔法の薬を作る。それは魔法そのものを習っているというより、魔法使いが身近なものとどのようにかかわるのかを習っているようでした。
しかしある日、エリアスのもとに教会からの使者が現れ、またもやエリアスは人探しに駆り出されてしまいます。探していた人物がロンドンに現れたらしく、エリアスは表情がない骨の顔に心底嫌そうな雰囲気を漂わせてしぶしぶ家を出て行きました。その際、新しい魔法の実践はやめておくようチセに言い含めるのも忘れません。
魔法は簡単なものであろうと世界の理に触れるものなので、失敗すると取り返しのつかないことになることもあります。指導者のエリアスがいない間魔法の実践を禁じるのは当然でした。
とはいえ知識だけ蓄えて実践を控えるのはじれったいもので、チセは自室でその日決めた分だけ本を読み進めると、散歩してくると書置きを残して町へ出かけました。頭に思い浮かべるは、妙に人間臭い自称隣人たちの一種、うーろん。今までは饒舌なうーろんの話を聞くだけでしたが、ウルタールでの経験や魔法の知識など、自分から話せることの増えたチセはいつもより軽い足取りで町へ向かいます。
町に入って適当にうろうろしていると、ふと目に入った暗い小道へ足を踏み入れます。するとやはり虚空から扉が現れたので、中へ入っていきました。初めてこの現象を目にしたときは目を丸くして声も出なかったチセでしたが、今となっては慣れっこです。
扉の向こうの空間は以前と同じ広々としたリビングで、中央のソファではうーろんがこれまたお決まりのジャージに身を包み、膝の上にのせたパソコンをいじっています。
「うーろん」
「ん? おお、久しぶりだなチセ」
「久しぶり」
「ちょうどいいところに来た。チセに聞きたいことがあってな」
チセが声をかけるとうーろんがパソコンをとじながらソファを手でタップし、チセに座るよう促します。チセは首をかしげながらも素直にそこへ腰を下ろしました。
「先ほど友人から聞いたんだが、チセがBegger Slayerというのは本当か?」
「違う」
酷い言われようにチセは反射的に否定します。チセの特殊な体質であるSleigh Beggy、スレイベガのことを知っているうーろんの友人のことも気になりますが、Begger Slayer(乞食を殺すもの)なんて汚名を否定するのが優先されました。
「スレイベガね。そんな物騒な名前じゃない」
「ふむ、私の聞き間違えだったかな。道理でチセの雰囲気に合わない名前だと思った。ネットで調べても情報が見つからなくて気になってたんだ」
「そりゃないよ……。あと、スレイは乗り物の方だから。雪の上とかを走るやつ」
「同音異義語はどの言語でもややこしいなあ」
のどまで出かかっていた単語を思い出してすっきりしたように笑ううーろん。悪びれないその態度をチセは半目でにらんでいましたが、忘れないうちに肝心なことを聞いておきます。
「うーろんの友だちって?」
エリアスによると、スレイベガは魔術師、魔法使いにとってかっこうの研究材料であり、存命の個体がいると広まれば物騒なことになる恐れがあるので、チセの体質を知るものは少ない方がいい。すでに知られている以上チセにはどうしようもありませんが、せめてうーろんの友だちというのが口の堅い人であれば、と祈るような気持ちです。
うーろんは指を一本ずつ立てながら言いました。
「四本腕、目力強し、ダンディな声。通称は灰の目。心当たりはないか?」
首を横に振ります。これはエリアスに相談するしかないかも、と不安になっていると、うーろんが気楽な口調でチセの背中をたたきました。
「そう暗くなるな。あいつは友だちも知り合いも少ない、日本でいうぼっちだ。言いふらそうったってできないさ。私の方は口が堅いから、安心していいぞ」
「……そう」
知らないところでぼっち認定されている灰の目さんに同情の念を抱きますが、自分も日本では似たような境遇だったことを思い出し、そっけない相槌で心中を誤魔化します。
「それよりチセ、最近どこかに出かけていたらしいじゃないか。坂の下のおばあさんから聞いたぞ。どこに行ってきたんだ?」
無意識に始まりかけていた過去の回想をさえぎるようにうーろんが話題を変えたので、チセはここへ来た本題である自分の話を始めました。
ウルタールの町では過去、猫の虐殺事件が起きており、事件の犯人と殺された猫たちの念が穢れとなってその地に封印されていました。その穢れがなぜか外へ漏れ出していたので、再封印か浄化を頼まれたエリアスでしたが、エリアスよりも浄化の魔法に向いているチセが魔法を使うこととなります。
その際、過去の事件の犯人は一人の魔術師にそそのかされ凶行に走ったことが明らかとなり――。さらにスレイベガの末路とエリアスの思惑も暴露されて――。
チセが話し終えるまで短い相槌をうつのに徹していたうーろんは、腕を組んでソファにもたれかかり天井を見上げています。眉間にしわを寄せているその表情は、初めて会ったときよりも深刻な色を帯びていました。一方のチセは長い間口を動かして疲れたほっぺたをむにむにしています。
「訳アリとは思っていたが、身売りだったか」
「え? あっ」
そういえば、とチセは思わず声を上げました。自身がエリアスに金で買われた身であることをうーろんには言ってません。うーろんがそれを知っていること前提で、エリアスがチセを買った理由とチセの思いを話したので、混乱したようです。
「見せかけであろうと家族として必要としてくれたから、要らなくなるまでそばにいたい、か。……これからが楽しみな二人だ」
「えっと、最後の方、何て……」
「なんでもないよ。それより物騒な魔術師がいたもんだ。人をそそのかすだけで望むものを何も与えないとは、契約に忠実なぶん悪魔の方がまだマシだよ」
「うん……」
チセの知識にある悪魔と比べても例の魔術師は悪辣でした。人の心のスキに付け込んで契約と代償を求めることのある悪魔ですが、代償に見合う分の願いはかなえてくれます。一方その魔術師は恋人たちの心に付け込み自分の都合のためだけにたくさんの命をもてあそびました。そのことを思い出すと、膝の上に置いた手にぎゅっと力が入ります。
「しかしチセ、私はその魔術師よりも君に思うところがある。悪い意味ではなくて、ただの疑問なんだがね」
「……?」
心当たりのないチセは首をかしげ、自分の行動を反芻してみますがさほど強い印象のあることは、周囲の人たちに比べればしていません。
「君は救いようのない悲劇に救いを与えた。他でもない自分の意志と力を使ってだ。なのにどうして話をしている間ずっと、暗い顔でうつむいているんだ?」
「それは――!」
「性分というなら別にいいがね。でも、君の魔法で浄化される間際、マシュー君とミナ君はどんな顔をしていた? 彼らの表情は、君が胸を張る理由に少しもならなかった?」
穢れの中心に囚われていたマシューとミナの魂は、穢れとともに無に帰す予定でした。しかしチセの機転により二人は風に乗ったたんぽぽの種子のごとく世界へ還ることとなり、浄化に際した二人は抱擁を交わし合い、その表情は――。
「難しいことを聞いたね。ごめんごめん」
彼らの表情を思い出し心に光がさしたとたん、チセの脳裏に戸の開いたベランダと青い空の情景が想起され、気分が落ち込みます。すると頭に小さな手が添えられ、チセの赤髪を優しくなぜました。
「第三者のふとした感想さ。そう深刻にならなくていい。――おっと、忘れないうちに後始末をしておこうっと」
「後始末?」
うーろんはスリープモードにしていたパソコンを立ち上げ、慣れた手つきでキーボードをたたき始めます。
「実は日本の質問サイトに『知り合いが乞食殺しらしいんだけどどうしよう』って投稿しちゃってね。結構真剣な回答が返ってきてるから対応しなきゃなんだ」
「何してるんだか……」
ネットで悩み相談なんてとことん俗っぽいマネをする自称人外少女に、チセは呆れの多分に混じったため息をつきます。その後、真摯に通報を勧める親切な回答にどうやって勘違いだったと打ち明けるか二人で頭を悩ませ、チセが帰宅するころには日が暮れかけていたのでした。
エリアスとチセの暮らす一軒家は町から徒歩30分程度いったところにある、なだらかの丘陵の上に位置しています。うーろんと別れたチセが自宅へ通じる道を歩いていると、いつの間にか自分の横に大きな影が並んで歩いていることに気が付きました。
「エリアス。今帰りですか?」
「うん。チセも?」
二人は短く言い合ってから帰路を共にします。長身のエリアスはチセに合わせゆったりした歩調です。
普段は自分から話すことはさほどないチセでしたが、うーろんとのおしゃべりを経て微妙に口が軽くなっていたので、エリアスに尋ねました。
「探してる人は見つかりましたか?」
「全然。隣人たちはあの蛇を相当嫌っている。探す手伝いをさせたいなら、誰か心臓か血液のすべてを代償に差し出してほしいと連中に伝えたんだけど、みんなしり込みして話にならない。結局時間の無駄だったよ」
「嫌われ者なんですね……」
人探しのために命を捨てる人間はそうそういません。それを見越して心臓を要求するということは、隣人たちはよほどその蛇に関わりたくないのでしょう。後で書斎に行って調べてみよう、とチセは決めます。この場でエリアスに「何をしたらそんなに嫌われるんでしょう」と聞くだけの余力はもうなくなっていました。
「ところで、君は町まで何をしに行ってたの?」
「散歩です。町に精霊みたいな子が住んでて、その子と話してたらこの時間になりました」
エリアスの歩みがぴたりと止まります。チセもつられて立ち止まり、エリアスを見上げました。表情筋のないその頭骨はどうやら何かを訝しんでいるようです。
「精霊? 町に? どんなの?」
「はい。その、話をしたいって考えてたら、その子の家に招かれて、適当に話してお別れするんです」
「君まさか、その家の中で何か食べたりしてないよね?」
「いえ、日本の駄菓子をちょっと……エリアス?」
ウルタールに行く前、日本のお茶やお菓子をごちそうになっていたことを言うと、エリアスはチセの正面に回ってかがみこみ、頭からつま先までチセの身体を検分します。
「うん、特に変質はしてないね」
「ええと……」
困惑するチセにエリアスが説明するところによると、人間が精霊の領域に足を踏み入れるだけでも向こうのものに変わってしまう危険がある。向こうの食べ物を口にしたりすれば、ほぼ確実に向こうの住人になってしまう。
「でも、君は大丈夫だ。本当にそれは精霊なのかい? 魔法使いか魔術師に騙されてるのかもしれないよ」
「言われてみれば……でも……」
チセは考えます。たしかにうーろんの精霊らしい部分なんて見たことないし、あのよくわからない住居も魔法か魔術の産物かもしれない。ですがチセの感情は、短い時間でもともに語り合ったうーろんが嘘をついているとは思いたくないと言っています。一方の理性はスレイベガの体質が目当てで仲良しを装っているのかもしれないという説を主張し、チセの心中でせめぎあいが発生しました。
「まあ今のところ害はないようだし、いいよ。でも、今度会いに行くときは僕に知らせてね」
「はい……」
荒ぶるチセの心の内を知らないエリアスは話を終わらせ、チセを促して歩みを再開します。自宅に着くまで、無表情のエリアスとは対照的にチセは暗い顔でうーろんについて考え込むのでした。