愛し仔と蛇の交流記   作:難民180301

4 / 9
夏1

 先日のチセとの会話がどうも頭から離れないので、日記に書き散らして思考を整理する。

 

 チセの心の闇が想像以上にすさまじかった。魔法使いにオークションで競り落とされ、見せかけの家族であっても必要としてくれるなら実験動物でも構わないなんて、15の身空でそんな考えに至るのはよほど自分を低く評価していなくては不可能だ。過去に自責の念で押しつぶされそうな精神状態を持続的に経験したものと思われる。

 

 極めつけは彼女の目に見えたよどみだった。チセがウルタールでの経験談を語っている間の自信なさげな態度が気になり、それとなく諭してみたのだが、その瞬間チセの目から光が消えた。あれは少女の目ではなく世の無常と無情を同時に悟った死に際の老人の目である。おしゃべりが好きな私だが、彼女の心の闇は他人が外から言葉をかけて瞬時に治る類のものではなく、時間と緩やかな経験による持続的な治療が必要なものだ。私にできることはない。

 

 こうして少し話しただけでも分かるレベルの暗い過去を抱えているだけでなく、チセにはスレイベガ特有の虚弱体質の件もある。こちらも灰の目からのお願いがあるからチセの方から助けを求めてくれないと手が出せない。

 

 おしゃべり仲間が心と体の両方に爆弾を抱えているのに、自分には何もできないこと。あんまりにも歯がゆくて今日は一日中外にも出ずネットに明け暮れた。

 

 とっ散らかった思考をつらつら書いたおかげで前向きな気持ちになって来た。

 

 チセは多少内向的で自己評価の低いところがあるものの、とてもいい子である。お茶が切れたら自発的にお代わりを入れてくれるし私の無駄話にも真剣に耳を傾けてくれる。記憶力はともかく理解力が高い。今は見せかけだけの家族であっても、師匠の魔法使いが彼女を気に入って幸せにしてくれることを祈ろう。

 

 というか、祈る必要さえないかもしれない。チセの師匠は共感能力と感情の知識に乏しいから、手元に人間を置いて感情を学習するために条件のいいチセを買ったらしいけれど、本当に実験動物としてチセを見ているなら、どうしてチセの抱える過去を無理やり話させたり、心の傷をえぐるような真似をしないのか。身売りに至った事実から重い過去があることは明らかだし、そういった心の脆い部分に刺激を与えればもっとも分かりやすい感情の振れ幅が確認できるのは、すこし考えれば分かること。そうしないのは魔法使いが学習よりもチセの心を慮っている――つまり共感している証拠である。チセの身体か心に異常が起きればしっかり対処するだろう。

 

 そして魔法使いはチセの精神面で、チセは魔法使いの学習面で互いに益する。この共生関係が続けばチセの精神は自然と治っているはずだ。

 

 その結論に達すると気をもんでいたのが馬鹿らしくなってきた。ネットショッピングに戻ろう。

 

 

 

 今日は町はずれの教会で野犬により死人が出たそうだ。冥福を祈る。

 

 

 

 チセの未来は明るい。

 

 先ほどチセが、新しく使い魔にしたという黒妖犬とともにやってきて一夜の冒険譚を話してくれたのだが、その間のチセの態度が目に見えて生き生きしていたのだ。もちろん一般的な基準と比べるとまだ暗いが、少なくともセリフの頭と尻にいちいち「……」をつけるような暗い話し方ではなくなっていた。

 

 ここまで早い成長は子供と言えど早すぎる。当然原因は外的だった。

 

 なんでも先日の野犬の事件に悪い魔術師が関わっており、チセは師匠ともども巻き込まれ、ごたごたの末に使い魔を得たらしい。使い魔は主人と記憶や感情だけでなく、寿命も共有する。だから寿命の短い人間のチセが死ねば使い魔も死ぬのだが、使い魔はそれを知っていてなおチセとともに生きることを願ったようだ。

 

 そこまで一途な思いを向けられれば生きる気力も湧くのだろう。特にチセは自分の命より他人の命がかかわっていた方が深刻に考えるタチだから。

 

 さらに、師匠への思いを自覚しはじめている。悪い魔術師ともめた際、師匠が普段見せない面を見せたことで興味がわいたのに、師匠は翌日になってもそのことについてろくな説明もなく、それどころか部屋に引きこもってしまった。何も話してくれない師匠にチセは小さな不満がある。

 

 チセはそんな不満を抱いていることに納得してない口振りだったが、他人に興味を持てる程度には自分の精神に余裕ができたのはいいことだ。ともに生きる使い魔によって生きる気力もできたことを考えると、チセは事件に巻き込まれ大きく成長したと言える。

 

 子供の成長を祝う気分でチセの頭を撫でようとすると黒妖犬に噛みつかれた上、火を噴かれた。やはり妖精の類には心底嫌われているようだ。

 

 時間も時間だったし、燃えた家具の片付けもしたかったので、ひとまず解散の運びとなった。チセは黒妖犬のヤンチャを何度も謝ってから一度出て行く。しかし30秒とせず戻ってきて、今度は私の出生について矢継ぎ早に質問を始めた。

 

 灰の目のお願いによりはっきり答えることはできないから、蛇に縁があって「うーろん」の名もそこからとっていると言った。するとチセは瞬時に顔を青くして「最近ロンドンに行ったか」「銀髪の魔術師に会ったか」などと聞いてきたので、イエスと答えておく。

 

 しまいには酷く意気消沈して帰って行ったが、何かあったのだろうか?

 

 

 ――――

 

 

 チセとエリアスの住む一軒家からほど近い教会墓地。その周囲に広がる森の中、黄昏どきの暗闇に五人の人影と三体の異形の影が浮かび上がっています。

 

 人影のうち二体はチセとエリアス。もう二人は、顔に切り傷のある魔術師のレンフレッド、その弟子のアリス。最後の一人が悪い魔術師のカルタフィルス、自称ヨセフの青年でした。

 

 チセとエリアスは教会墓地に現れた黒妖犬の検分のためここまでやってきましたが、ヨセフの創り出したキメラにチセが襲われたことでエリアスが激怒し、激しい争いを経て今にいたります。

 

 チセを襲った件のキメラは、自分の存在理由に等しい仕事を自覚した黒妖犬によって、たった今倒されました。黒妖犬は墓荒らしをこらしめる妖精なので、掘り起こした死体を材料に作られたキメラは見過ごせない敵です。黒妖犬になる前の自身の主人だった女の子が材料にされているとなれば、なおのこと見逃せません。

 

 チセと結びを交わし、ルツという名をもらった黒妖犬は、動かなくなったキメラに優しく声をかけます。

 

「俺とあの子の時が終わるまで、待っててくれ」

 

「なんだァ。その子のモノになっちゃったのか。結びを解くのは面倒だなあ。それに多勢に無勢だし」

 

 かつての主人にルツが別れを告げていると、カルタフィルスが惜しむように口をはさみました。もともとキメラの材料にしようと狙っていたルツがチセと結びをしてしまったので、目的を果たすのがほとんど不可能になったのです。

 

 警戒は解かずにレンフレッドが言います。

 

「そう思うなら手を引いたらどうだ」

 

「うん、そーする……つもりだったけど、ちょっと危ない材料の実験をしていこうか」

 

 カルタフィルスが懐から取り出したのは、干からびた蛇の死体と、真っ黒な液体の詰まった試験管でした。

 

 魔法に触れて間もないチセには、一見して意図の読めない物品ですが――チセとカルタフィルスを除く全員が一様に息をのみます。黒妖犬はもちろんのこと、キメラの材料に使われた死体の魂を送る機をうかがって、事態を傍観していたウィルオーウィスプでさえもが声をあげました。

 

 レンフレッドはかすれた声で問います。

 

「馬鹿な……なぜ貴様がそんなものを……」

 

「ロンドンでばったり出くわしてね。ちょっと質問に答えてあげたら対価にこれをくれたよ。古い生き物は価値観がよくわかんないね」

 

 カルタフィルスは『これ』と呼んだ試験管の中身を揺らします。

 

「オレたちの領域でそんなモン出すのカヨ。これだから魔術師は好きにナレネエ」

 

「材料に好かれる趣味はないよ」

 

 そしてカルタフィルスはウィスプの文句にも構わず、蛇の死体に試験管の中身をかけました。その瞬間チセの視界は大きな影でさえぎられ、数秒かかってそれがエリアスの背中であることを理解しました。

 

「チセ、じっとしてて」

 

「エリアス、一体何が――」

 

「さっき君に言ったよね。僕たち魔法使いは世界の理を捻じ曲げてはいけない。その禁忌が犯されてる」

 

 エリアスの背中から顔だけを出してのぞき込んでみると、不思議なことも見慣れてきたチセでさえ自分の目を疑うような現象が起こっていました。干からびた蛇の死体があっという間に瑞々しさを取り戻し、生きているかのように地面をのたうち回っており、その頭はしっぽを深く噛んでいます。さらに胴体が見る間に巨大化し周囲の木の幹よりも太くなって、成長はそれでも止まりません。

 

 蛇の異常だけでなく、周囲にも異変が起こります。暗い森の中に青白い光がちらちらと瞬き始め、ウィスプは忌々しげに目を細めます。

 

「行き場のない魂を呑み込もうとしてンナ。領分を犯すのも大概にシロヨ」

 

 ウィスプが呪文をつぶやきながらランタンを振るうと鬼火たちのいくつかは見えなくなりますが、残ったものが巨大な蛇のもとへ吸い寄せられていきます。

 

 尾を噛む蛇はしばらく巨体をくねらせて木々をなぎ倒しながら巨大化を続け――不意に動きが止まります。

 

「あー、やっぱりダメかあ」

 

 蛇の身体は徐々に灰と化し、空中に溶け始めていますが、その異様さに反しカルタフィルスはのんきな調子でした。

 

「大雑把に千倍で希釈したんだけど、まだ足りないんだね。うちで使わなくて正解だった。文字通り無限の力を与えるみたいだけど、完全に理に反してるから、半端な器じゃ変質しきる前に壊れちゃうわけだ。さすが『ウロボロス』の名は伊達じゃないね」

 

「ウロボロス……?」

 

「チセ、その名を呼んではいけない」

 

 ぴしゃりとエリアスに注意されチセは口をつぐみます。

 

 横にいたレンフレッドとアリスですが、アリスは膝をついてふらついており、レンフレッドが彼女の肩を抱いていました。

 

「お前の目的はなんだ。蛇の血を使ってまで何をするつもりだ」

 

「苦しみなく生きるため。いつ来るか分からない終わりの日まで、朽ちたままは嫌だもの。苦しいままは嫌だもの」

 

「……そのためなら他者が苦しくても構わないというのか?」

 

「そうだよ? そーいうものでしょ、生物って」

 

 こともなげに言ってのけるカルタフィルスに対し、チセをかばうように立っているエリアスが「そう思うのなら」と口をはさみました。

 

「君はけだものでも人間でもない。人の形をした怪物でしかないよ。カルタフィルス」

 

「僕の名前はヨセフだよ、おチビさん。――それと、人の形をした怪物なら君たちのすぐそばにいる。彼女はジャージを着ていたよ」

 

「何!? 待てっ!」

 

 カルタフィルスは理解しがたいことを言い残し、空気に散るようにして姿を消していきました。レンフレッドが手を伸ばしますが、届く前に姿が完全に消えます。

 

「くそ……! よりにもよってヤツが蛇と接触したとは……!」

 

「災害が二つ同時にやってきたようだね。いや、片方は災害とさえ言えないか」

 

 レンフレッドとエリアスは何かを話し合っていましたが、チセは感情に任せて魔法を使った疲れと、レンフレッドの弟子であるアリスに話しかけられたのもあって、二人の話を聞いていませんでした。レンフレッドとアリスはその後まもなく転移の魔術で姿を消し、チセとエリアスは、文句たらたらのウィルオーウィスプがキメラの魂を案内するのを見届けた後、ルツを連れて自宅へ戻るのでした。

 

 

 

 

 新しい家族として迎え入れたルツは、見た目通りの大型犬らしい活力でエリアスの家や敷地を二日ほどかけて走り回り、その間チセの生活はにわかに騒がしくなりました。犬としてだけでなく、ルツは常に身体の弱いチセの体調にも気を配ってくれるので、チセとしては頼れるお兄さんと手のかかる大きなペットができたような気分です。

 

 しかし、気がかりなことが二つありました。

 

 一つは、あの騒ぎのあった日からエリアスが部屋から出てこなくなったことでした。部屋の外から呼びかけてみても、大丈夫、心配しないでとエリアスは言うばかり。そう言われて気にならないチセではありませんし、あの日エリアスが見せた獣のような形態のことも気になっています。ですが、見せかけだけの家族であるエリアスに興味を持っていることと、何も教えてくれないエリアスに不満のような感情を抱いている自分の心に整理がつかず、チセは今一歩踏み込めずにいました。

 

 もう一つは、カルタフィルスが去り際に言っていた「彼女はジャージを着ていたよ」というセリフについて。これは感情や記憶を共有しているルツに言われてようやく気付いたことですが、チセのおしゃべり仲間のうーろんは、エリアスやほかの魔術師たちが蛇と呼んでいるような何かすごい存在である可能性があります。ジャージ着用の精霊や妖精なんてなかなかいないでしょうし、長生きしていること以外正体不明なので、少なくとも否定はできません。しかしすごい存在といっても他の妖精に嫌われていたり悪い魔術師に手を貸したりしていて、もしうーろんが蛇であっても喜ぶことはできないでしょう。

 

 そうして二つの心配事を抱え悶々としていたある日のこと。

 

 チセはシルキーに財布とメモ書きを押し付けられ、外へ追い出されました。

 

「お前がその女と会った日みたいだな」

 

「そうだね」

 

 同じことを考えたルツの言に同意し、チセは笑みをもらします。

 

「ちょうどいい。気分を変えるついでに、そいつに直接聞きに行こう」

 

「うん……」

 

 夏の日差しのもと散歩でもすれば、エリアスへのもやもやした気持ちも多少は和らぐ。うーろんへの疑いも同様。そう考えたチセはルツを連れ、家の門扉へ向かいます。

 

 すると、意外な人物と鉢合わせしました。

 

「あら、久しぶりだねえ、チセ。元気してたかい?」

 

「アンジェリカさん?」

 

 チセが魔法使いのための道具を購入した、魔法工房の店主、アンジェリカ。

 

 エリアスへの用向きと思いきやチセに用があるようで、チセ、ルツ、アンジェリカは三人連れだって町へ行くのでした。

 

 

 

 チセたちはシルキーから渡されたお小遣いでお土産を買った後、喫茶店の屋外席に落ち着きました。

 

 アンジェリカは先日チセに送った指輪がきちんと機能しているか確かめるためにロンドンからここまでやってきたらしく、時折使い魔のルツにも尋ねながら、チセの体調を確かめていきます。

 

「一人でやろうとするから体の中の器官が無理やり魔力を作ろうとするの。何のために力を貸してくれる隣人がいるのさ」

 

 チセが魔法を使ったあといつもだるそうにしていることを知ったアンジェリカが、諭すように言います。チセのスレイベガという体質は、魔力の吸収、生産能力が非常に高いのに、魔力を宿す肝心の身体の耐久力が常人と同じかそれ未満なので、結果として身体が弱いように見えるものです。魔法を使うのに隣人の手を借りないのでは結局過剰な魔力生産で身体が弱るばかり。

 

 アンジェリカはその点を魔力の解説も交えて説明し、

 

「あんたは血の気がとっても多いけど心臓が弱い。だから自分の体を労わらなきゃね」

 

 と結びました。

 

「努力、してみます」

 

 誰かに力を借りることになんとなく慣れないチセでしたが、アンジェリカのお説教はまったく正論なので、うつむいて控えめにそう返しました。

 

「チセ、実践だ。蛇のことを聞いてみたらどうだ」

 

「ん?」

 

 ずいぶん情報の少ないルツの口出しにアンジェリカが首をかしげますが、主であるチセには意味が分かりました。

 

 有名らしい蛇とうーろんが同一人物と疑ってはいるものの、蛇の情報はごく断片的なものしかないため真偽がはっきりしません。誰かに頼ることの実践として、魔術師のアンジェリカに蛇のことを教えてもらって判断の助けにしてみろ、という意図でルツは言ったのでした。

 

「アンジェリカさん。質問があるんですけど」

 

「なに?」

 

「蛇って呼ばれてる、『すごい何か』についてです。たしか、『ウロボロス』とも――」

 

 呼ばれている、と続けようとしたチセの唇を、アンジェリカが指をあてて止めます。その双眸には先ほどの優しい光から一点、真剣なすごみがありました。

 

「チセ、その名を呼んじゃいけない。言葉には力が宿る。とりわけ名前は特別だ。私たちが蛇をそう呼んでしまえば、蛇は本当に『そう』なってしまう」

 

「すみません」

 

「いいよ。どうせあの骨はろくに説明もしてないんだろう。ったく、あいつは……」

 

「い、いえ、そんなことはないです。えっと」

 

 アンジェリカがここにはいないエリアスに対し額に青筋を浮かべ、チセはあわててエリアスから教えてもらったことを口にしました。

 

 魔法を使うたびに世界の理を壊すため、隣人たちに嫌われていること。魔法使いや魔術師も血眼で探しているがしっぽがつかめないことなど。

 

「……それだけ?」

 

「だけです、はい……」

 

 アンジェリカの大きなため息にチセが委縮したように肩を縮こませます。ルツはそんなチセを見てもの言いたげにしっぽを振っていますが、別にこの場の誰も悪くないのでどう口を挟もうか分からないらしく、そわそわと落ち着きがありません。

 

「まあ、間違ったことは教えられてないね。たしかに蛇が魔法を使うと世界の理が破損する。最近だと、無茶苦茶な品を世に流通させて間接的に理を乱そうともした」

 

「無茶苦茶な品?」

 

「聞いたことない? 賢者の石とか呼ばれてる魔法の石」

 

「えっ? っと、普通の石を黄金に変えたりできるあの……」

 

 かつて隆盛した錬金術の目的の一つとされた究極の物質であり、卑金属を貴金属に変えることや、永遠の命を作ることさえ可能とされた。チセの知識にはそう記憶されています。

 

 アンジェリカがうなずきました。

 

「そうそう。その石が裏のオークションに二つも出品されたらしい。幸い一つはカレッジ――ちゃんとした魔術師の集まりが全力で落札したけど、もう一つの行方は知れない。本当、厄介なことをしてくれるよ……」

 

「お、お疲れ様です」

 

 苦労をかけられたのか、くたびれた目でうつむくアンジェリカ。チセがその労をねぎらうと、アンジェリカが「んんっ」と咳払いを一つ。

 

「話が逸れたね。そんなふうに面倒をかけるのが蛇なんだけど、私たち人間や隣人たちが蛇を無視できない一番の理由は、そこじゃない。蛇の生まれ方にある。チセは、隣人たちがどんな風に生まれたと思う?」

 

「えっと……たぶん、最初からそこにあったんじゃないでしょうか」

 

 チセの知識に答えはありませんが、隣人たちは人の手の入っていない自然の中にも、人の手が入っているものにも、どこにでも暮らしています。特定のある日に生まれたのではなく、気が付いたらそこにいたのでは、とチセは考えました。

 

「ある意味正解だね。あくまでも多くの魔術師がおしてる一説だけど、隣人たちは最初から、星が生まれたその瞬間からそこにあった。人類や動物が生まれ、暗闇への恐怖が生じることで形を得た。そして人の作った空想が伝承として力を持ち、彼らは今の形を得た、と考えられてる。だから隣人たちは、人の手が入っていない世界の理から派生した存在なんだ」

 

 アンジェリカは目を細め、「だけど」と声を低くします。

 

「蛇はそうじゃない。人は世界の理を恐れた。限りのある万物を嫌い、限りのない幻を夢見た。その思いがいつしか形を得、蛇と呼ばれるようになった。つまり、世界の理に真っ向から反逆してる、人類の妄想から生まれたわけだ」

 

 隣人たちの親が世界の理だとすると、隣人たちにとっての蛇は、親を全否定する気にくわない部外者でしょう。チセはそう解釈します。

 

「寿命もないし魔力も文字通り無限。これだけでもとんでもないけど、私たちが危険視しているのは蛇の在り方だ」

 

「あり方……?」

 

「生まれ方を考えれば、最長でも蛇は人類が誕生した後からしか存在しないことになる。だが無限には始まりも終わりもない。つまり、蛇は人類の思想から生まれたのに、人類が生まれる前から存在したことになっている。存在しているだけで世界の理に亀裂を入れ続けている」

 

 普通有り得ないことがあり得たことになっている。過去は変えられないという世界の理を捻じ曲げ、人類から生まれた事実があるにもかかわらず人類よりも前から存在したと、過去を改変しているということ。

 

 ことの重大さを把握したチセは、震える声を絞り出します。

 

「も、もし蛇を見つけたら、どうするんですか」

 

「魔術師と魔法使い総出で封印する。何百年と改良され続けている術式さ。少なくとも理へのダメージは完全に抑えられる。――チセ?」

 

 チセの声が震えていたのは、蛇のすさまじさに恐れをなしたからではありません。

 

 膝の上でぎゅっと握った拳に視線を落とし、「封印」がどうか穏便なものであるようにと願いながら、「まだ決まったわけじゃない」と心の中で何度も繰り返します。

 

 体感数十分、実際は2,3秒程度固まっていたチセは顔をあげ、普段と変わらない表情を造り上げました。

 

「教えてくれてありがとうございます。エリアスが困ってた理由もわかりました。そんなにすごいのを探してたんですね」

 

「ん、まあね。チセも探してみる? 俗な話だけど、すごい賞金がかけられてるよ」

 

「ツチノコみたい……」

 

「ツチノコ?」

 

 蛇と賞金の単語から連想した感想にアンジェリカが乗ってきたので、チセは故郷で探されていたUMAの話でお茶を濁すのでした。

 

 

 

 

 

 アンジェリカと別れた後、チセとルツは町をうろついていました。といってもただうろついているだけではなく、うーろんの住処へ通じる扉を呼び出そうとしているのです。

 

 別にうーろんの正体が考えている通りのものだったにせよ違うにせよ、チセが知ったところでどうにもなりませんが、それでも確かめたい気持ちが先行してうーろんを呼び出そうとしている――という気持ちもあったのですが、今は純粋に自分の話を聞いてもらいたい気分でした。

 

「チセ、そう気を落とすな」

 

「うん……」

 

 実はアンジェリカとの別れ際に、チセとエリアスとの関係を依存ではないかと問われ、チセはがらにもなく激昂しかけました。チセは質問の内容そのものよりも、問われただけでそこまで荒ぶる自分の感情に納得できず、一時的にうーろんの件は心の底の方へ押しやられています。

 

 エリアスのそばに置いてもらえるだけでいいはずなのに、それが嫌だとも思っている自分の心。どうにも言い表せないよどみを誰かに話すことで発散したい衝動にかられ、そのためにうーろんの扉を探しています。

 

 ふとチセの視界のすみに小さな路地が目に入ったので、いつもの感覚にしたがいそこへ入っていきます。しばらく進んだ先に扉が現れ、ルツとともに入りました。

 

 思った通りジャージ姿の部屋の主がソファに陣取って、行儀悪く寝転がってパソコンをいじっています。いつまでも変わらないおしゃべり仲間の姿にチセは微笑を浮かべつつ、部屋へ踏み入っていきました。

 

「ん、チセ。……チセか?」

 

「? そうだけど」

 

「そうか。見違えたな。使い魔まで連れて、一体何があった?」

 

「ちょっと、ね。ルツ、あいさつ」

 

 チセは勝手知ったると言わんばかりに奥のキッチンへ行き、戸棚からお茶の葉と茶菓子を取り出しておしゃべりに備えます。そのため、ルツが牙をむき出しにしてうーろんを威嚇しているのに気が付きませんでした。

 

 うーろんの隣に座ったチセは、教会に現れた黒妖犬をエリアスとともに検分に行き、自分がケガをしたことでエリアスが怒り、敵の魔術師を撃退したこと。その日からエリアスが部屋に引きこもったこと。それになぜか不満を覚えている自分の気持ちを吐露しました。

 

「捨てられてもいいって思ってたのに、捨てられたくないって思ってる。エリアスが何も話してくれないのを、嫌だって感じてる」

 

 安心できる場所で気持ちを言葉にして吐き出すと、心のつっかえが緩んでいくのが分かりました。

 

 話を聞き終えたうーろんは腕組みして何度もうなずきながら口を開きます。

 

「捨てられてもいいから捨てられたくないに進歩した。だからこそ踏み込んで拒絶されるのが怖くなったと」

 

「たぶん、そう……」

 

「じゃ、踏み込むといい。師匠さんは絶対に拒絶しないとも」

 

「え?」

 

 確信めいた断言にチセが驚いて顔をあげます。

 

「チセが拒絶を怖がってるのと同じで、師匠さんも怖がってるんだ。師匠さんはその悪い魔術師に大激怒したんだろう? 普段見せない面、見せたくない面を大切な人に見られたら、気まずい思いになる。だってその面を受け入れてもらえるか、分からないもの」

 

「大切……?」

 

 うーろんの言葉を咀嚼しながらもっとも耳についた単語を機械的に復唱すると、うーろんは苦笑しました。

 

「まあ、師匠さんに聞かなきゃわからないがね。でも、師匠さんが激怒した意味を考えると、そうなんじゃないかと思う」

 

 頭を音が素通りしていく。意味は理解できるのですが、チセの心の臆病な部分がその理解を拒んでいるようでした。

 

 難しい顔で考え込むチセ。うーろんはそんなチセの頭を撫でようと手を伸ばしますが――

 

「むむっ」

 

 チセの影から出てきたルツに手をガブリと噛みつかれ、目を丸くして動きが止まります。チセも同じ反応をしていて、目の前で起こっていることを信じられませんでした。

 

 うーろんの小さな手は肘のあたりまでルツの口に入っており、はたから見ると女児が犬に襲われているようにしか見えません。ですが次の瞬間、ルツののど元から漏れ出した炎がうーろんの全身を包み込み、一気に火災現場じみた様相を呈します。

 

「る、ルツ!?」

 

「はっ!? 俺は何を!?」

 

 ソファの一部が灰に、炎の柱に焼かれた天井が真っ黒になったところで、ようやくチセは我に返ってルツを止めにかかります。どうやらルツも自分が何をしたのか分かっていないようで、目の前の焦げたソファを見て、強い驚きの感情が生まれたのが結びを通してチセにも伝わってきました。

 

「ああ、びっくりした。見た目はともかく本当に妖精なんだなあ」

 

「だ、大丈夫!?」

 

 幸いうーろん自身には焦げ跡一つなく、いつものジャージ姿で炎の中から現れます。チセとルツは主従そろって驚きの感情を抱きつつ、うーろんの安否を気遣いました。

 

「大丈夫だ。うーむ、やはり本能的に私は嫌いか? ル……使い魔くん」

 

「すまない! 悪いやつじゃないと分かってはいるんだ、チセの記憶も共有してるし……なのに身体が勝手に……!」

 

「うちの子が、ごめんなさい!」

 

 うーろんはからから笑いながら手を左右に振ります。

 

「気にするな、私の不注意だ」

 

「で、でも」

 

「それより、そろそろ日没が近い。遅くならないうちに帰った方がいいんじゃないか?」

 

 申し訳ない気持ちでいっぱいのチセをさえぎり、うーろんが食卓の上の目覚まし時計を指差します。言う通り、いいかげんお暇しなければ帰宅は夜になるかもしれない時間帯です。

 

「今度また来て、チセと師匠さんのお話を聞かせてくれよ。できれば何か進展があるとうれしいな」

 

「う、うん。分かった。今日は帰るね。本当に、ごめん」

 

「すまない……」

 

 二人は手を振るうーろんに見送られ、入ってきたのと同じ扉を通って外へ出ます。

 

 しばし無言で路地裏に突っ立っていた二人でしたが、ルツがぽつりと、

 

「なあ、チセ」

 

「……何?」

 

「あいつに正体を聞くつもりじゃなかったのか?」

 

「あ」

 

 すっかり忘れていたチセの用件の一つを教えてくれたので、霧のように消えかかっていたドアノブを慌てて掴み、中へ舞い戻りました。

 

「なんだ、忘れ物か?」

 

「う、うん。一つ聞きたいことがあって」

 

 うーろんは焼け焦げたソファーに寝転がり、パソコンいじりを再開しています。

 

 今からする質問は、うーろんの答えによっては大きな波紋を心にたてることになる。チセは一度深呼吸して覚悟を決め、はっきりと言いました。

 

「うーろん。あなたの本当の名前は?」

 

「ああ、悪い。私の素性はなるべく秘密にしておくよう友達に言われててな。蛇に関係しててうーろんの名前もそこからとってるとだけ」

 

 チセの口調とは対照的な軽い返答に気が遠くなる思いのチセですが、まだ決まったわけではないと自分を奮い立たせ、否定を望みながら次の質問へ移ります。

 

「最近ロンドンに行った?」

 

「銀髪の魔術師に会った?」

 

「オークションに宝石を出品した?」

 

 すべてに肯定を返されたチセは呆然として部屋を後にし、ルツに支えられながら帰宅するハメになったのでした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。