銀の軌跡   作:暁学園前

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終章

 

 

 

 もう、まる一日は歩きつづけている。周りの景色になんら変化はなく、同じような木が並んでいて、その間々から敵が飛び出してこないか警戒する。

 一種のルーチンワークと化した、この撤退は体力的には耐えれるが、精神面がやられそうになる。仲間が全滅させられたっていうのに、その襲撃者たちから逃げなければいけない。ゴドーだって出来るならば、今すぐあいつらの頭を撃ち抜いてやりたいだろうが、今の戦力じゃ太刀打ちできない。俺とゴドーだけじゃ、左脚を失ったシルヴィを守りきれないし、シルヴィが負傷していなくとも戦力としては貧弱すぎる。

 俺はゴドーに、休憩を提案する。距離としては大したことないが、敵の包囲網を潜り抜けながらの行軍は神経を擦り減らす。

 ゴドーはそうしましょう、と答えて、俺はそれを聞いて、シルヴィを木にもたれかけさせた。

 すると、俺が木に背中を預けたとき、耳元で声がした。

「久しぶりだなぁ……ダレル……!」

 俺はホルスターから拳銃を引き抜いて後ろに回す──ライフルはとっくにイカれた。しかし、そこに人影はなかった。が、頭上にて木と木の間を飛び回る者がいる音は聞こえる。葉が体に擦れる音、枝が体重をかけられ上げる悲鳴。それらは人間の成し得るスピードなんかじゃあ絶対なかった。しかし、人の声がしたのも確かだ。……いや、こんな精神状態だ、幻聴もあり得るのかもしれない。

 俺のそんな考えとは裏腹に、その木々を駆け回る者は俺たちの目の前に降り立った。あまりに異常な光景にトリガーを引くことも忘れて、眺めてしまう。

 降り立った人間──恐らくは男である──は関節付近を除いて、鎧を着けている。だが、それは鎧というにはあまりにスマート過ぎるし、金属光沢をそのまま発するのではなく、周囲の環境に合わせて、一色だけではあるが全身の色を変化させている。顔以外に肌を出しておらず、これではなかなか視認しづらい。

 と、男は跳ねるように顔を上げる。その顔は非常に見覚えがあったが、誰だったかを思い出せない。やがて男は立ち上がった。

「あの戦い方…見せてもらったぞ。見事だった」

「何故俺の名前を呼んだ」

 俺が男に質問をすると、ゴドーが訊いてくる。

「隊長の名前……?チャールズじゃなく」

 すると、男が子を諭すように言う。

「ダレル、お前噂には聞いていたが、名前を変えているのか。丁度いい、そこの嬢ちゃんと兄ちゃんに教えてやる。お前らのチャールズ隊長の本名。いいか、そいつはチャールズなんかじゃない、『ダレル・レッドルップ』だ。わたしが育てた兵士の中でも一番人を殺したやつだ」

「やめろっ!」

 俺は男に叫ぶが、男はそれを微塵も気にせず話を続ける。

意志あるところに道は開ける(Where there's a will, there's a way)────お前に戦いを教えてやったのはわたしだ。覚えていないのか?」

 男の言葉は俺の脳の底に沈んだ記憶を引きずり出した。驚くほど聞き覚えのある言葉に、思わず体を震わせて思い出した。

「トカレフ……」

 俺は彼の名を呟く。そう、彼の名前は『アレクサンダー・トカレフ』だ。俺の人生にて父親のような存在だった男。

「思い出してくれたか、なら……いいな?」

「何がだ」

「わたしとお前の決着だ。ストラナ・ヴォディーで別れた日からどれだけ成長したか見せてもらうぞっ!」

 俺はシルヴィとゴドーを下がらせる。これにシルヴィたちを巻き込めない、俺たちだけの問題だからだ。

「さあ始めよう、意志あるところに道は開ける(Where there's a will,there's a way)!」

 俺が拳銃を構えるのと同時に、トカレフは飛び上がり、木々を飛び回りはじめる。彼が着ている鎧のせいで、目視するのは厳しいが、音はギャンギャン鳴っているからそちらで追跡することは容易である。

 俺は予想をつけて、先読みした地点に拳銃を発砲する。彼の戦術は俺の戦術であり、俺の戦術は彼の戦術だ。互いに手の内は分かっているからこそ、実力での勝負となる。

 俺が発射した弾は木の枝に当たり、その枝に切れ目を入れる。命中はしなかったか。

 すると、幽霊のように動いていた影が木の幹で止まる。俺はそちらに銃口を向けるが、その影は力強く幹を蹴って、銃弾のような速さでこちらへ向かってきた。俺が顔を横にずらすと、頭が先ほどまであった木の幹に大きなクレーターが出来ており、クレーターを作った膝蹴りがあった。

 俺はトカレフの脚を左腕で抱え、右手でナイフを取り出すとそれをトカレフに突き立てる。しかし、ナイフが何かをぐにゅっと刺すと、トカレフは俺の拘束から無理矢理脱出する。そのとき、トカレフの服装が黒一色になっていた。恐らく色を変化させる機能を今の刺突で停止させたのだろう。

 この距離で拳銃を使わないのはお互い同じだ。俺はナイフを逆手に持って、トカレフの首元めがけて振るが、トカレフは俺がナイフを持っている腕を押さえて、反撃の出来ない俺の顔に一発、思いっきりのパンチをかましてきた。俺はそれがあったか、と空いていた腕でトカレフと同じように殴る。だが、所詮は真似をして使った技だ。俺のパンチは容易に防がれ、トカレフはすぐに反撃をしてきた。大腿に、腰に、腹に、胴に、顔に。両手両足を器用に使った打撃を加えてくる。

 俺もただやられているばかりではない。俺の顔に届こうとした拳を掌で受け止めると、それを掴んで引くのと同時に膝蹴りをかます。

 するとトカレフは血を吐く。しかし、彼はどことなく幸せそうな笑顔をしていた。

「そうだ、それでいい。戦いの基本は肉弾戦からだ」

 俺も彼との殴り合いで、どこか健全な時間だと感じる部分がある。ある意味で俺はトカレフと同じなのだろう。

 そして、腕を構え直したトカレフはすぐに飛びかかってきた。俺はその連撃を捌こうとするが、初発は予想外の一手だった。俺の腕と首を掴み、そのまま膝をきめて、バランスを崩したところを一気に叩く。

 俺はバランスを失うと、地面に背中を打ち付ける。トカレフはそんな俺に馬乗りになってきて、俺が抵抗できない状況であるのをいいことに、何度も何度も顔面に拳を打ち付けてくる。その度に俺は視界を左右に振られ、目まぐるしい状況となっており、反撃が難しい状況になっていく。

 すると、トカレフに殴られていると、右腕の先にナイフが落ちているのが見えた。俺はそれを掴み、腕を引き寄せるとトカレフの懐へ潜り込ませる。

 次の瞬間、それが当然であるかのように、トカレフの左胸にナイフが収まっていた。肋骨をくぐり抜けてみせたのだろう。俺がナイフを引き抜くと、傷口から少量の血が飛んだ後、大量の出血が始まった。

 トカレフが覆いかぶさってきたのを、俺は横に倒し仰向けの状態にする。すると、彼は胸を大きく上下させながら話す。

「ダレル………。世界はこれからだ……。わたしたち雇われ兵が戦場で活躍するのは帝国だ……必ずや我々を必要とする勢力が出現する……。貴族派と革新派の対立が深まっている今……わたしたちは必要とされるのだ。嬉しいことだよ……仲間たちも食いっぱぐれることがない……わたしも含めて戦いしか能のない連中だからな……。

 だが、ダレル……お前は違う……。お前は戦いを、戦争を捨てる“意志”がある──銃を捨てる“意志”が……。わたしには決して無かった“意志”だ……。部隊を全滅させたわたしが言うのもなんだが……あの嬢ちゃんは幸せにしろ。それが……お前の『銃を捨てる』ということだ……。それが出来なかったなら再び銃をとってもいい……。だが、そのときは……わたしの“意志”を引き継げ……。『自分の過去を精算する』これがわたしの意志だ、銃をとるなら……わたしの…………魂と……共に…………意志あるところに(Where there's a will,)…………道は開ける(there's a way)………………」

 トカレフはそう言い残すと、彼の生前からは想像出来ないほどあっさりと逝ってしまった。俺はまだ上にあるトカレフの瞼を手の平で下げる。

 彼も、ただ人に求められて、仲間を守りたかっただけなのだ。戦闘に志願するのに理由がない人間はいない。何か大切な譲れないもののために戦っているのが戦士なのだ。俺は彼の行ってきたテロ行為は許せないが、彼自体は尊敬に値する人物だし、俺が誰よりも信用していた人物でもあった。

「終わりましたね」

 ゴドーがトカレフの遺体を見て悲しげに言う。

 俺はああ、と答えて再び行軍を始めるために、シルヴィを背中に担いだ。

 

 俺たちは五十セルジュほど歩いてきた。そのとき、俺の背中にいたシルヴィが遠くを指差す。

「見て、小屋がある」

 俺は彼女の言った通りの小屋を見つける。苔だらけで、恐らく動物の寝床になっているだろうが、こちらに武器がないわけじゃないし、よほど凶暴な魔獣でもなければ数で不利な相手に襲いかかってこないだろう。

 ゴドーが先行してきぃっと音を立てるドアを開け、中の様子を窺う。そこには家具なんて贅沢品は全て無くなっていたが、かなりの幸運だろう、獣の巣になっている痕跡はない。

 俺はシルヴィを比較的清潔な場所に降ろし、彼女の表情を見てみる。俺が顔を覗くとシルヴィは少しばかり安堵した様子を見せていた。敵が周りに潜んでいる可能性があるとはいえ、屋根と壁がある場所を見つけられたのは幸運だ。敵に見つかる可能性も高くなるだろうが、シルヴィが負傷している状況でこれ以上の強行軍は繰り返せない。

 すると、シルヴィが眠っているのに俺とゴドーは気が付いた。ここ三日間くらいはほとんど戦闘区域で歩くか銃撃戦だったから、よほど疲れが溜まっていたのだろう。彼女自身もただ背負われているのではなく、警戒することを役割としているから俺たちと同じくらい疲労するのだ。

 ゴドーは俺の顔を見て困ったように笑うと、小声で「おれたちも眠りましょうか」と言う。俺もシルヴィの寝顔に少し目を向けると、そうだな、と答えた。

 

 

 

 

 

「へぇ、そんな動物もいるんだな」

「うん。ペンギンって動物なんだけど、鳥なのに飛べないんだって。一度生で見てみたいとは思うけど、ノーザンブリアよりずつと北にいるから多分見ることは出来ないかな。写真だけでも見ることが出来るなら満足だよ」

 シルヴィはそう言って微笑む。

「なんなら俺が連れて行ってやる。前みたいな長期休暇確保して行こう。金なら割と持ってる」

 すると、彼女は目を見開いて驚き、俺の顔を見ながら「本当なの」と呟くような声で訊いてくる。

「ああ、本当だ。飛行艇を用意出来る友人がいるんだ。少し長旅にはなるだろうが十分に可能だろう。それに俺もペンギンだけじゃない、色々な景色を見てみたいからな」

 俺がそう言うと、シルヴィは立ち上がり、また「本当?」と訊く。

 俺は勿論、と答えると、シルヴィは子供のように喜び飛び跳ね、足を滑らせる。しかし、間一髪で姿勢を保ち、転ぶことはなかった。

 シルヴィはそれを笑って誤魔化す。

「じゃあ」とシルヴィは言い、続けて「保険をかけます」と芝居めかして言うと、俺の右手を引っ張り、親指の根本を掴むと腰からナイフを取り出す。

 何をするのか不安になり、離れようともしたが彼女が、そこまで痛いことはしない、と言うので大人しくすると、彼女はナイフで俺の親指に軽い切り傷を入れる。すると、拍動に合わせて少量の血が流れ、シルヴィはそれを舌で掬い、味わうようにして飲み込んだ。

「次は私のを飲んで」

 シルヴィはそう言うと、俺と同じく右手の親指に赤い線を描く。

 俺はシルヴィの腕を引き寄せると、血液を舌で舐め取った。鉄の味がするのはやっぱり変わらないんだな、と俺は思う。いや、正確に言えば鉄の味に似ているだけであって血の味ではあるのだが。

 すると、シルヴィは、

「これは私が住んでいた国の、約束を破らせないためにすることなんだって。私は昔からやってるから慣れてるんだけど、嫌じゃなかった?」

「いや、俺の住んでた国じゃ多文化過ぎたからね。それから比べたらどんな行動でも受け止めれる」

「それは極端な話だよ」

 シルヴィがそう言って笑うと、俺も笑って答える。こんな幸せな日々がいつまでも、そう願って。

 

 

 

 

 

 シルヴィと過去にした約束を思い出しているといつの間にか眠っていて、それが夢に出てきたようだ。しかし、そんな俺を現実へ引きずり下ろしたのは銃声だった。ぱぱぱぱっとマシンガンを連射する音が聞こえる。俺はシルヴィにライフルを持たせているのを確認すると、木材の隙間から外の様子を覗き込む。

 そこにはゴドーが、胴体をずたずたにされて倒れており、その奥には一人のコートを纏った茶髪の男を囲むようにして、複数の兵士が歩いている。あの男には見覚えがある。なぜなら彼はニコラス、今回のザ・ストレンジを真っ先に報告した人物である。が、それ以前にストラナ・ヴォディーを戦争へと導いた男でもあった。通りで彼の顔がいけ好かない訳だ。

 俺はゴドーの仇を討たなければならない。

 ここから見える範囲の戦闘員を一発で仕留める。もちろん銃声は響くから、相当居場所が分かりやすいことだろう。すると、複数の足音がドアの前に密集しているのが聞こえた。突入の定番である指向性爆薬を使うつもりだ。

 ドアに照星を固定して一気に引き金を絞る。マガジンの中身が一つずつ減っていき、銃口から飛び出した銃弾は木材ごときものともせず、ドアの向こうで爆破準備を開始している戦闘員に命中する。しかし、銃弾が当たらなかった戦闘員は迷いなくドアを爆破する。まるで機械の兵士だ。

 俺は爆破の衝撃波を喰らって壁に打ち付けられる。そして、動いているのかもあやふやな右腕を持ち上げて拳銃の銃口をドアに向ける。

 真っ先に部屋へ入ってきた戦闘員の首元を撃ち抜く。ヘルメットと防弾服だからまともに狙ったら負ける。

 俺は、次いで飛び出した戦闘員の左胸を撃ち抜くが、彼は防弾チョッキをしっかりと着込んでいたようで弾は貫通せず、左半身が押されたに留まった。それは相互にとってチャンスだった。そこで俺は彼の銃弾を右の大腿に一発受けてしまい、俺の銃弾は彼の顔面を守るためのガラスを貫通してその顔をぐちゃぐちゃにした。

 その戦闘員が倒れるのと同時に二人の戦闘員が押しかけてくる。俺は同じように引き金を引くが、トリガーはただ虚しくカチっと軽い音を鳴らすだけだった。

「シルヴィ!」

 俺はライフルを持っているシルヴィを呼ぶが、彼女は既に唯一の武器であるライフルを取り上げられていた。俺もこの状況では抵抗のしようがない。幸運なのは、敵にこちらを無理にでも殺そうという意志がないことだ。俺は歯軋りをしながらゆっくりと両手を上げる。

 そして、一人の戦闘員が俺の頭に銃口を固定しながら歩み寄ってくると、俺の顔面を銃床で殴る。俺の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 ぼんやりとした視界と聴覚の中で、今の状況を把握する。

 まず、俺は手を後ろに回された状態で拘束されて地面に転がされていること。足は自由だ。

 二つ目に、周囲は敵が取り囲んでいること。飛行艇も確認できる。

 そして、これは視界が鮮明になり分かった。シルヴィも俺の目の前で俺と同じ状況になっていること。

 すると、先ほどの茶髪の男、ニコラスが俺の前に一歩一歩踏みしめるように寄ってくると、

「やあ、ダレル。君と会うのはストラナぶりかな?」

「ああ、どうやら俺はノックスで旧友と出会う機会に恵まれているらしい」

 俺がそう返す。勿論、旧友というのはニコラスに対してのたっぷりの皮肉だ。だがニコラスは手を揉んで「それは良かった」と言う。

「さて、君たちだけが殺されずにここまで生き残った。その理由は分かるかい」

「さあな」

「それも当然だね。何故、君たちを殺さないかっていうのは、君たちに協力してほしいからだ」

 俺は思わず「何を言っているんだ」と質問をするが、ニコラスはそれをそっちのけで説明を開始する。

「君たちには“素質”があるんだ、とてもとても必要な素質が。そして、その素質は世界に必ずや平和をもたらしてくれる。正確にいえば……そちらにいる女性に素質があるんだ。ダレル、君はその護衛兼イコンとなってほしい」

「俺みたいな人間がイコンだと。笑えないぞ」

「いいや、ぼくが訪れさせるのは会議による平和じゃない。圧倒的な軍事力を一気に増幅させ、大陸の人間全てを滅ぼしてもお釣りがくるほどの兵器を、一国ずつに持たせる」

 俺は理解できなかった。そんな兵器を作ったらそれこそ文明そのものが消えてしまうだろう。

「たとえそれで武力衝突が無くなっても平和じゃない。軍人だけが肥えていく社会を作るだけ」

 シルヴィがニコラスに強く迫るように言う。

「そんなことはない。君たちが今、持っている兵器であれば一個の街を破壊しつくしていく。それ以上の兵器を山のように持っている『帝国』が隣にあるがクロスベルの住民たちは毎日平穏に暮らしているじゃないか。ぼくの理想は少しずつ叶えられているんだよ。そして、現代はそれにかなり近い状況なんだ」

 俺はある可能性を呟く。それによって考えられる平和というのは恐ろしいものだ。

「“抑止力”による平和……」

 すると、ニコラスは嬉しそうな表情を見せ、

「そうだ────例えるならば拳銃を持った二人の人間対立しているわけでもないのに、同じ部屋にいるようなものだ。そうなれば、お互いが拳銃を持っているということで、お互いのトラブルを平和的に解決しようとする。もし戦争の火蓋が切られたときの代償が大きすぎるからだ。

 だがお互いが銃を捨てることは出来ない。もし片方が銃を捨てなければ自分が殺されるかもしれないからだ。人類は、国同士はそこまで信頼しあえない。今までも、今も、そして、これからも。だからぼくはそんな信頼し合えない人間同士でも平和になれる唯一の方法を提示しているんだよ。なのに君たちはそれに反対する。腹立たしいよ」

「今の話を聞こうが聞かまいがお前の言うことについていく気はない。兵器というのが恐れられるのは、実際に使われてその恐ろしさを知らしめてからだ。お前の言うような『抑止力による平和』なんか訪れやしない」

「そうか……残念だ。しかし、参考程度に言っておくとダレル、君とぼくは同じ民族なんだよ」

 ニコラスはそう言って振り向くと、腰に据えていたポーチから注射器を一つ取り出す。それが何であり、誰に打とうとしているのかはすぐに理解できた。

 今後の逃亡についてなんてどうでもいい。今、シルヴィを助けなければ一生後悔する。俺は身体強化をし、手錠を無理矢理外すとニコラスの方へ走る。これならばすぐにでも止めを刺せる。

 しかし、俺の目の前には一人の兵士が飛び出してくる。邪魔だ、と叫んだ俺の左腕が彼の顔面を掴んで五アージュは離れた場所に吹き飛ばす。シルヴィが押さえつけられ、今にも注射を打たれようとしているが彼女自身も抵抗しているため、それには時間が掛かっている。

 俺はその隙を見逃すほどの馬鹿でもない。四方から飛んでくる銃弾をアーツによって出現した盾で防ぐ。俺が今考えたアーツだから名前はない。

 再びニコラスに接近し彼の護衛を全滅させるが、彼はそれすら省みずに注射を打つのに集中している。ニコラスが振り向いてからここまで十秒とかかっていないだろう。

 護衛のいなくなったニコラスはもう限界だということを理解したのか、飛行艇のカーゴへと踵を返してしまった。あいつを追って殺すよりシルヴィの救助が先だ。

 俺がぐったりとして倒れているシルヴィに目を向けると、そこには空になった注射器が見つかった。俺はすぐに駆け寄り、シルヴィにどこに打たれた、と訊く。するとシルヴィは首を横に振って自らの腹部を指差すと、

「彼、すごく焦ってたから薬の回りが早いところは打てなかったみたい。だけど、もってあと一週間もないから。だから私はここに置いていって。あなただけでも生きて帰ってこの襲撃を報告して」

 シルヴィは冷静な口調でそう告げる。しかし、俺はシルヴィを手放すつもりはない。

 俺がシルヴィを背負うと、何をしてるの、と抗議してきたが俺はそれに構わず歩き始める。彼女は抵抗しないようだからそれが救いだ。

「私を連れて行ったらそれこそチャールズが死んじゃう。それなら私を置いていって。死んでいった仲間に報いるためにもなるんだよ」

「いやだね。もう誰も失いたくない。シルヴィだけでも救ってみせる。たとえ君が魔獣になりかけてるとしても救ってみせる。何か方法があるはずだ」

 俺がそう言うとシルヴィは暫く黙ってから、

「本当の馬鹿だね。ダレルは」

 と震える声で言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一日目。

 

 ニコラスたちが俺たちを見つけるのも時間の問題だ。度重なる戦闘で方向感覚が多少ズレている可能性も否定できないし、シルヴィは警戒するといっても負傷が重なっていて集中力が分散している状況にある。だから、俺が行軍も警戒も同時に行う。シルヴィの命を助けられるなら軽いものだ。あまりに軽い。

 

 

 二日目。

 シルヴィの体は魔獣化よりも早くに、傷口から腐敗が始まっている。今は清潔な布などないから雑菌に塗れたものでしか傷口を保護できないのだ。最早、保護と呼べる状況ではないのだが。だから今日はもう、包帯を外した方が長持ちするだろうと提案したが、外したら外したで虫が寄ってくる。俺は悩みに悩んで包帯を付けた状態にしておくことにした。出来るだけ清潔なものを厳選して、こまめに洗って変えるようにしておく。

 しかし、問題はそれだけではない。敵の警戒網が未だ健在しているということだ。ニコラスの配置方法は分かっていて、それ自体に何ら問題はないのだが、それを避けていくということはかなり多くの時間を必要とする。現在は予定より二割ほどの余裕はあるが、それでもぎりぎりシルヴィの命が保っている内に到着できる、といった様子だ。

 これは時間との勝負だ。

 

 

 三日目。

 背中のシルヴィの嗚咽だけが響いている状況になってしまった。俺自身もどうすればいいのか分からないし、左脚を失ってなお魔獣化の危機に晒されている彼女の心情は想像を絶するだろう。

「殺して」

 彼女は涙の合間に言葉を漏らした。その願いを叶えるべきか少しでもある可能性に賭けるべきかは分からない。だから歩き続けなければならない。どちらにすべきかは分からないが、この選択肢を選んだのは俺だ。

 すると、後ろでぼとっと何かが落ちる音が聞こえた。俺が咄嗟に振り向くとそこには誰かの脚が落ちていた。俺は五体満足の状態だし、この状況で落ちる脚は────そこで、俺はやっとシルヴィが歯を食いしばっているのが分かった。あれはシルヴィの右脚だ。俺はすぐにシルヴィを降ろして応急処置を開始しする。右脚の膝から下がすっかり消えてしまっているので、その傷口を締めて止血するとすぐに包帯代わりの布を巻く。これで再び出血することはないだろう。雑菌がどうかは分からないが。

 しかし、それにしても魔獣化の副作用のようなものだろうか。死んでもいないのに体が腐敗を始めている。ここにいるシルヴィの心臓は動いていて、俺の目をしっかりと見据えることもできる。そう考えるとこの症状に対してかニコラスに対してか、ふつふつと怒りが湧いてくる。

 と、シルヴィが俺の頬に手を伸ばしてくる。少し腐敗臭のする手だが、俺にとってはいつもの白くて繊細な指があるシルヴィの手だった。手が頬に触れると、その冷たさが頬の皮膚を通して俺の脳に伝わる。

 シルヴィは力いっぱい微笑むが、多少の無茶を隠しきれていない。

「怖い顔してるよ、チャールズ」

 彼女の震える声が俺を呼ぶ。しかし俺は「ダレルって呼んでくれ」と返す。最後まで偽の名前で呼ばれるなんて嫌だ。

「分かったよ。じゃあ、進もうか」

 シルヴィはそう言って両手を空に掲げてぱたぱたと振る。俺はこの状況下で見れた微笑ましい光景に口角を上げて、シルヴィを背負い直す。思えば彼女が一番辛いはずなのに俺が励まされてしまった。この恩は必ず返さなければならない。生きて帰すということで。

 

 

 四日目。

 今日はシルヴィの口数が異常に少ない。昨日は励ましてくれたが、シルヴィが先に限界となってしまったのか。

 すると、シルヴィは俺の首に手を回して掴まっている状態から、俺の耳元で囁くように喋り始める。

「ねえ……ダレルは私のことが大切なんでしょ。なら私を殺してよ……。もう……こんな風に生きてても意味ないよ。ねえ、殺して」

 俺はシルヴィが何度「殺して」と言おうが、彼女が生きる術を探すつもりだ。こんな状況の俺たちを見たらニコラスはどうするのだろう。滑稽なものだろうか。

 シルヴィが俺の腰に据えているホルスターに手を伸ばすが、俺はそれを許さない。彼女がいくら死にたがっていても俺は誰かを救う義務がある。誰でもいい、と言えば語弊があるが、俺はもう何かを失うことはしたくなかった。

 

 

 

 五日目。

「昨日はその……ごめん。ちょっと参っちゃってたみたい。だけど今は大丈夫、落ち着いた」

 シルヴィが朝一にそう言ってくるので驚きを隠せなかったが、共にシルヴィが冷静さを取り戻してくれたことに安堵を覚えた。俺はシルヴィに礼を言うと、彼女を再びおぶって行軍を開始する。

 その日のシルヴィはいつにも増して喋っていたように思う。周囲に敵兵もおらず、安全な場所では談笑して少しは気を紛らわしたものだった。はずだった。

 今日に限ってはシルヴィの左腕が崩れ落ちた。右脚のようにぼとっと落ちたのではなく、確実に腐っていきジェルが落ちるように、びちゃびちゃと音を立てて崩れ落ちたのだ。シルヴィは自分の腕が崩れ落ちるという光景を目の前にし、唖然としていた。最早痛みは感じないようだ。神経ごとやられているのだろうか。

 しばらくしてシルヴィは小さな声で歌を歌い始めた。掠れたか細い声が同じ言葉を五回繰り返しては、また繰り返す。大きな間が空いているから、恐らくはそれで一曲なのだろう。

「それはどういう意味の言葉なんだ」

 俺は静かに尋ねる。すると、シルヴィは歌うのを止め、

あなたがたに平和が訪れますように(ヘィヴェイヌ・シャロム・アレィヘム)、だよ。私の生まれた国で歌われてた歌なんだ」

「帝国と比べると変わった響きの言葉だな」

「うん、他国とはかなり隔離されてたから独特な文化が成立していったんだ」

「隔離……派兵の成果で他国と干渉することはあっただろうに」

「それはあったけど、帝国をはじめとする先進諸国では自国で訓練が行えたこともあってあまり必要とされる国ではなかったんだ。だから、わざわざ物騒な商売でお金を得てる国とは関わりたくなかったみたい」

「確かに。そう考えれば帝国に住んでいて名前すら聞いたことないのも頷ける」

 俺がそう言うがシルヴィから返事が返ってこない。流石にまずい発言をしてしまったのだろうか。

 俺はおぶってるシルヴィの顔を覗くが、彼女は既に眠ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 六日目。

 今日、シルヴィは限界なのだろうか。

 俺は横たわるシルヴィの左手をぎゅっと握っていた。その手は最早、人の持つべき最低限の体温すら感じられない。

 すると、シルヴィがゆっくりと話し始める。

「ダレル、もう死んじゃうね、私」

「そんなこと言うな。俺は必ず君を連れて帰る」

「でも見て」

 シルヴィがそう言って視線を傾けた先は彼女の腹部だった。俺がゆっくりと服を捲ると、そこには変わり果てたシルヴィの体があった。腹部は既に血塗れになっており元の肌色を窺うことが出来ない。なにより、蛆が湧いてきているのだ。シルヴィの腹部で蠢く小さな集合体が俺の気分すらも一層悪くさせる。ここまでの体を見たことはあるが、それが好意を寄せてる女性であることは初めてだ。

「もうね、痛くて痛くて耐えられそうにもないし、生きているのかも分からないよ」

 こんな状況にもなってシルヴィが生きていられるのは、皮肉なことにも魔獣化が進んで生命力が魔獣のものになってきているからだろう。

 俺は歯を食いしばって尋ねる。

「自分で終わらせられるか?」

「ううん、無理かな。左腕ももう力を入れられない。それに最後にあなたと話したい」

「そうか、じゃあコシチェイにいた頃の話をしてくれないか」

 俺がそう言うとシルヴィは「こんなときにそういう話はしたくないよ。もっと楽しい思い出がいい」と笑って言う。

 俺はそうだな、と迷って一つの話題を提示する。

「そういえばエドワードって真面目そうだけど意外と抜けてるところあったよな」

「ふふっ、門での落とし物は二割が通行人で、八割がエドワードの物だったからね」

「ああ。一度、食事のときだったかな。教官が水着の美女が写ったポスターを持って、凄い剣幕で食堂に入ってきたことあったよな」

「そうそう、『これを持ち込んだやつは誰だ』って叫ぶみたいに言ってたね」

「ああ、その瞬間にエドワードが椅子から転げ落ちたからな。教官が『お前か、エドワード』って寄ってきてな」

「その後だよね」

「あれは傑作だったな。エドワードが『そうです』って敬礼しながら言ったあとに教官が『このポスターに写っている女性の名前を言ってみろ』って続けてな」

「で、エドワードが『なんで訊くのですか』って質問したら『おれもファンになったからだ』っていうオチだもんね」

「どっと笑ったよな。真面目な声と顔でそんなこと言うんだから」

「それから一ヶ月も経ってないのに、今度はアルフレッドが不祥事を起こしたよね」

「ああ、あの馬鹿がな」

「確か春のお祭りがあるから、まだ小さい妹と一緒に出店を回ってたね」

「だけど勤務時間だった、あれは。そこで俺たち特警群が総力を挙げてアルフレッドの脱走を隠蔽したんだよな」

「そう、ゴドー辺りはもう本気だったよね。『あの妹を悲しませたら、実弾射撃訓練の途中でお前の頭にブチ込むぞ』って聞きなれなかったよね、ゴドーがあそこまで必死になったの」

「あの頃の司令官はまともに休暇すら与えなかったからな。あれじゃあ士気もだだ下がりだろう」

「そういえば、あれは覚えてる?ダレルの昇進祝いに皆でこっそりパーティー開いたこと」

 シルヴィが唐突に質問を変えたのは、きっとアーノルドに良い思い出が無いからだろう。

「ああ、勿論だ。確かあれはアシュリーが主催だったか」

「うん。アシュリーはダレルのことを誰よりも尊敬していたと思うよ。パーティーの準備も三週間前くらいから進めてたんだよ、アシュリーは」

「それは初耳だな。でも、あれだけ凝ったプレゼントをしてくれたんだ、当然と言えるかもしれないな」

「ん?プレゼントなんて貰ったの?」

「ああ、雷管を抜いた銃弾を貰った。サイズからしても恐らく一から作ったんだろう」

「そっか……」

 シルヴィはプレゼントの話に一区切りつくと、虚無を眺めるような目で遠くをみやる。その目には何が映っているのだろう。

 俺はシルヴィの吐く息が荒くなっているのを感じたが、それを口には出せない。

 すると、シルヴィはそのまま話し続ける。

「ねえ、ダレル……私たちが初めて会った日のこと、覚えてる?」

「ああ。クロスベル駅で迷っていた君と出会ったんだ」

「そう。私は怪しい商人から地図を買っちゃったから降りた後が分からなかったんだよね」

「そこで俺がシルヴィに声を掛けた」

「あの時の行動はきっと諜報目的だったんでしょ」

「最初は、な。その後からだ、君に惹かれていったのは」

「じゃあ……私のどこが魅力的だったの?」

「まず目に入る銀髪だろうな。周囲の色が溶けそうなほど綺麗だからな」

 俺がそう言うと、シルヴィは少し顔を赤らめる。といっても、目や口から徐々に出血が始まっておりその頬が赤いということがぎりぎり分かる程度だった。

「他には」

「その青い瞳。吸い込まれそうだ」

「見た目だけ?」

「いや、君の明るい性格にも何度救われたことか。その笑顔にも」

「そこまで────」

 刹那、シルヴィが急に痛みを訴え始めた。首を締められているような声を出し、のたうち回る。俺はシルヴィにどこが痛む、と早口で尋ねる。だが、シルヴィは答えられるような様子じゃない。痛い痛い、と泣き叫ぶシルヴィ。

 これは仕方がない。

 そう考えた俺はシルヴィの持っている医療キットから「痛み止め」なるものを取り出す。要は麻薬だ。戦闘で生じる傷は市販の薬でなんとか出来る痛みじゃない。

 俺はシルヴィの左腕にそれを注射すると、シルヴィの手をぎゅっと握って彼女を少しでも安心させる。

 その後、シルヴィは驚くほど静かになった。が、シルヴィの左腕も、右腕のようにジェルになって崩れ落ちた。俺はシルヴィの前で座り込みながら、今にも自分の嗚咽が響き渡りそうな空間を憎んだ。それと共に、シルヴィに麻薬まで打って生かすのは正しかったのだろうか、という後悔にも包まれた。

「ダレル……」

 シルヴィが静かに声を漏らす。その口は痛みに耐えている。俺が痛みは、と訊くと、

「うう……ん、あれ使うと眠くなって……くるし、多分……二回目はもう私が私じゃなくなっちゃうから……あなたと……最後まで話したい」

「分かった」

 と俺は答えるが今のシルヴィと何を話そうか。そう俺が悩んでいると、シルヴィが話題を挙げてくれた。

「あの約束……覚えてる……?」

「ああ、勿論だ。ずっとずっと北に行くんだよな。そのためにまず休みをとらなくちゃいけない」

「ふふ…………そう……だね。でもこの前……休暇があったから……難しいんじゃない?」

「なんてことはない。俺は本職が遊撃士なんだぞ、何でも可能にしてみせるさ。それに、何年かかろうがシルヴィをそこに連れて行ってやるさ」

「ありが……とう…………でも……私がもう持たない……かな。別の人と……幸せになって……」

「駄目だ。君じゃなきゃ駄目なんだ、シルヴィ!」

「……私……死んじゃうからさ、ほら……。もう……魔獣化が進んでる……から…………あなたが殺して、ダレル」

 俺は何度も問われた質問に、今回ばかりは頷くしかないと分かっていた。

 

 ホルスターから震える手で拳銃を引き抜く。

 

 照星をシルヴィの眉間に合わせる。

 

 かつて、ここまで銃、引き金が重かったことがあるだろうか。子供兵だった頃もここまで重く感じたことはない。きっとこれは銃の重みじゃなく、命の重みが乗っている。

 

 俺はゆっくりと撃鉄を下ろした。

 

 じゃあね、ダレル。天国とか地獄があるならまた、そっちで会おうね。

 

 

 

 俺は瞼を閉じたシルヴィに向けた拳銃の引き金に指を掛ける。

 

 じゃあな、シルヴィ。

 

 静かに、ただ静かに一発の銃声を聞いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我々が住む現在。公に記録されている戦争を見ただけでも、産業革命当時から地球上で銃声が止んだ日はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Continued to eplogue.

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