比較的こじんまりとした畳張りの和室。
其処は川神学園の学生の極々一部が学生寮として利用している島津寮の一室。女子が利用する部屋の一室の中には内装に自由度が聞くこの寮らしく個人によるコーディネイトが施されており、掛け軸と花が活けられた花瓶の他に引き出しの付いた和風の小さな収納デスク。
その机の前に眼を閉じて静かに正座する部屋の住人
――――剣聖の娘にして武道四天王のひとり、黛由紀江の姿があった。
清流を彷彿とさせる部屋の空気は全て彼女が醸し出したものだった。
清廉である。いっそ息苦しささえ覚えるほどに。
馴染み深い同じ寮に住む数少ない友の声が遠くで木霊するも、今の彼女には意識の外。それだけ、今の彼女は真剣だ。真剣と書いてマジと読むレベルで。
「気合入ってんなーまゆっち」
静かな水面に波紋を浮かせるように陽気な声が部屋に響く。しかし部屋に人影は見当たらない。
掛けられた声に由紀江は眼を徐に開き、目の前の机に眼を落した。鎮座するは馬をあしらった手彫りのストラップ。彼女が松風と有名な戦国武将の愛馬の名を与えたソレ。
「はい。今日の試合はある意味特別ですから」
声に答える様に凛とした返事を返す。
目の前のストラップに、だ。
まるでストラップが喋るのが当然のように、木製の作り物が語るのが当たり前である様に。
「いっちょあの薄笑いを驚愕に変えてやろうZE! 昨今の少女漫画も真っ青な顔をよ!」
「失礼ですよ松風。ですが、そうですね……それ位の力は見せないと――――」
明らかに声はひとりのものだ。現実部屋には誰もいない。
それも当然で、この状況は彼女ひとりの自作自演なのだから。当人は憑喪神と言って憚らないが、どうみても腹話術である。
傍から見れば自分で自分を励ます光景。こう表すと自己暗示の一環として自分に言い聞かせるの延長線上なのに、シュールに見えるのは仕様か必然か。何事も過ぎたるは及ばざるが如し。然もありなん。
友達百人の道のりはチョモランマを軽く跳び越えるのかもしれない。
ふと時計に眼をやると、予定している試合の時刻まで後幾ばくかある。ここから川神院への道のりを逆算すれば、今出れば丁度いい頃合いに付けるだろう。
(昨日はよく眠れましたし、ご飯もちゃんと食べれました。体調も刀の手入れも万全……問題無しですね)
念入りに気を配った甲斐がありました。
ぐっ、と握り拳を作って気合を露わにする。「では、行きましょう」「オラ、ワクワクしてきたぞ……」と愉快珍妙な寸劇をしながら部屋を後にするのだった。
「あ、まゆっち襖閉め忘れてるぜ」
「あわわ!?」
しかし、当人達が思っている以上には身体は緊張しているらしい。
実に締まらなかった。
川神院では既に今日の対戦相手が到着していた。
参拝客で賑わう日曜の寺だが、今日は修行僧と川神院の総代、師範代、身内でもある孫娘2人を始め極々限られた人物しかいない。境内で戦闘が行われる為対戦者達の精神を極力乱さない様に。また、他の一般人に被害が加えられない様にという川神院の配慮だ。
「じゃあ、俺達はここで」
「頑張ってね、まゆっち」
「ありがとうございます」
「オラ達の輝き、その目に確と焼き付けな」
別れを告げて離れていく大和達を見送り、視線を移した先には武士道プランの者達と楽し気に会話するノルンの姿が映る。彼が連れて来たのだろう。ここに居る以上許可はあるという事だろうか。
それはそれとして、常と変わらない自然体。気負う様な素振りは一切見えない。これから戦おうというのにあまりにも自然体過ぎて隙だらけにも見える立ち振る舞いだった。
しかし、それが彼の常套であると、自分達の先輩であり、彼の幼馴染であるモモ先輩が言っていたのを思い出す。
――――ノルンの圏境は精神透過、集中力の極によって為される。視線や立ち振る舞いに意識していない様に見えるのは既に感知している範囲内であればこそだそうだ。
嘘か真か、半径100メートル以内は無意識にすら間合いの内側が具に分かるらしい。何処の漫画のキャラかとも思ったが、よく考えてみれば自分も敵意などに無意識に反応するのはキャラクターと同じ事だとキャラ云々を思考から外す。
その情報に基づくならば当に彼はこの場へ自分が来訪している事に気付いているのにも気付いている筈。しかし、一向に眼を向ける事はない。楽しそうに武士道プラン組の会話に興じていて、改めて本当にこれから戦うとは思えないと素直に思う。強者故の余裕か。はたまた此方に対する侮っているのか。
しかし、後者はないだろうと否定する。
自分が付き合ってみて知ったノルンという人物の人となりは、浮世離れはしているが社交的で、良くして貰っている大和と比べて交友を広げようという積極性は無いが話した事がある人物は軒並みある程度の友誼を結んでいると聞く。自分と比べても友人が少ないと言えるが、仲良くなる時はスルッ、とあっさり仲良くなれるのだ。羨ましすぎる。
大和さんほどとは言わないがせめて彼ぐらいの社交性は欲しかった。
思考が逸れた。
侮る事は無いと言える根拠は一重に彼の戦いに於ける姿勢、とでも言うのだろうか。
あくまでも私見に過ぎないが、彼の戦う最中の振る舞いやこれまで眼にした刺客や挑戦者たちからの奇襲に対する対処法――――もっと言えばその際の行動における一切の躊躇の無さ、とでもいうべきか。
先日の彼に対してもそうだ。
少なくとも自分から見れば、あれは徹底して相手の戦意や自信を最大限穏便に、しかし一切の躊躇いなく圧し折りにいった様に思えて。格闘家の技に対する説明も、その後同じ(実際には異なる)技法を以って相手よりも高次元の技を繰り出す事で、実力の違いを見せつけて挑む気を無くさせたのは再び挑む気を完全に無くさせる、または名刺を与えたところを見ると敢えて遥かに高い壁を見せて成長を促すかのようにも見えた。
どちらが正解なのかは知らないが、少なくとも戦いに対しては比較的
戦いたがる様子が普段から見えないし、彼自身はKOS前に戦いは悪だと語ったところを見るに恐らく戦いは基本避ける姿勢なのだろう。KOSの時ですら、戦いたいでは無く、戦う必要があるから戦った――――そう思えてならなかったのは自分自身不思議でしょうがない。若獅子の義経さんとの戦いを見ると少なくとも嫌ってはいない様子だが。尤も、モモ先輩もこの意見を何故だか肯定していた。ちなみにモモ当人も「よく分からないが、長年の付き合いと勘だ」とのこと。
ノルンさんが戦いに積極的な時があったとすれば義経さんとの若獅子での試合でしょうか、と声には出さずに呟く。
凄かった。
そんな陳腐なモノで片付けるのが惜しまれる。言葉が浮かばないのでその一言でしか言い表せなかった試合。息もつかせぬ攻防と駆け引き。間違いなく互いの全力を以って挑み、黛流の目指すべき極と、それすら打破して見せた秘剣のぶつかり合いは胸を熱くさせ、否応に武芸者であるのだと自覚したのを覚えている。
なにせ、自らを戦いへと押した一端だったのだから当然と言える。
立会人である学園長の声が耳に入る。
舞台へと促す言葉。もう時間が来たようだ。
頭を振ってそれまでの思考を振り払い、気持ちを再度整える。瞑目し、暗闇の中で精神を研ぎ澄ましていった。立ち込める闘氣も体調自身も申し分ない。
いざ行かん。
閉じた瞼をゆっくりと開く。眼に入るのは学園長と、その横に佇む対戦相手の姿。寺の境内のだだっ広い広場の真ん中に位置するところに立っている。其処こそが己と彼の戦場だ。
周りには武士道プランの4人が彼の背後、自分から見れば右手の端に。モモ先輩もそこにいた。
先程風間ファミリーの面々が別れたのは巻き添えにならない様に、念には念を置いて別の部屋でモニタリングする為だ。先程来る前にも貰った各々から応援の言葉を励みに、歩みを進めた。
「それではこれより、試合を執り行う。東方、黛由紀江!」
「――――はいッ!!」
我ながら気合の入った声だと思う。しかし、同時にそれだけこの試合は重要なモノだ。
とても、とても。
「西方、九鬼ノルン!」
「抜かりなし。何時でも」
対照的という言葉がシックリくる冷静さ。
常と変らない口の端を浅く吊り上げた薄い笑み。しかし、眼差しだけは違った。
瞳の奥に宿すのは興味、だろうか――――
相手を見据える視線の中には確かにこちらの内側を窺うような気配が感じ取れた。
「さぁ、確と見せて貰おう。安土桃山より連綿と受け継がれし黛流の剣を」
「――――」
――――心臓を鷲掴みにされた。
そう錯覚するほどに彼の言葉は心の臓を激しく震わせ、動揺を誘うのだった。辛うじて眼を見開くだけで済んだのは僥倖だろう。
なんて事は無い、昨日も言っていた様に、それは間違いなく彼の本心なのだろう。何の変哲もない決まり文句。しかし、彼のあの眼差しはそれ以外のモノにも聞こえて仕方がない。ましてや、つい最近に目の当たりにした彼の異常な感の鋭さならばこちらの動揺どころか或いは――――
「勝負はどちらかが気絶、または戦闘不能と見なした時点で決するものとする!」
「ッッ」
学園長の芯のある声にどうにか意識は取り戻せた。弾かれたかの様に身体は構えを取る。目の前の人物は油断ならない。
実力を客観的に見ても分かりきった事だが、それ以上に対峙して初めて分かるこの得も知れない感覚。掴みどころがないとでも言うのか、しかしそんな生易しいモノではない。
ノルンは唯々笑うだけ。
手には何時の間にか握られた鍔の無い抜き身の野太刀を無造作に持つ。何処からでも攻められる様で、しかし攻めるには勇気が必要な独特な間合い。傍から見れば隙だらけなのも、そしてやはり隙なのではないのも今、この瞬間ならよくわかる。
「それでは、始めいッ!!」
告げられる開始の合図と共に踏み込む。
抜刀。
間合いは僅かにあちらが長い。しかし、懐に飛び込めばあの長物も効果は薄い。文字通りに跳びかかる勢いを乗せての斬撃は相手の間合いの僅かな内側へと踊り、白刃が奔る。
しかし―――――
「ぐっ!?」
衝撃が突き抜ける。
振るった刀から横向きへと伝わって来たそれは、こちらの身体を大きく弾く程の強さだ。得物を手放さなかったのは
慌てて体勢を立て直す。地表を削りながらもなんとか止まる事に成功。しかし、なにをされたのか――その把握には至らない。否、なにをされたのかは分かる。
懐まで入られた彼は構うものかと言わんばかりに刀を動かした。それも無造作に。鍔は無いその野太刀の根元でこちらの太刀を弾いたのだ。だが、その動きはお世辞にも速いとは言えず、しかも動作自体も弾くと言ったが受け流すのですらギリギリと言えるもの。
だからこそ、ここまで吹き飛ばされたのが理解できないのだ。
恐らくは技なのだろう。その正体を探るべく、今一度仕掛ける。やはり同じ様に弾かれた。僅かな挙動を以って此処まで相手を吹き飛ばすそのカラクリ。
幸いにも二度目で把握できた。
――――寸勁だ。
中国武術にある技法のひとつで、密着状態という大凡打撃には向かない間合いから相手に有効打を与えるというもの。目の前の対戦者が為したはその応用だろう。
極端な話、打撃も斬撃も破壊力を生みだす理の根本は変わらない。その威力は単純計算でも重量×速さで表せる。腕を思いっきり振りかぶった方が、唯腕を密着させた状態より、押したり殴ったりする勢いが増すのだから前者の方が威力があるのは当然である。寸勁は、体重移動によって静止、密着状態からでも腕に乗せて、破壊力を上げるのだ。
彼が目の前で行ったのはその応用だろう。身体操作を極めたといっても過言ではない目の前の先輩は恐らくそんな些細な動作だけで全体重と発生したエネルギーを余す事無く刀へと伝達して自分の太刀を防せぎ、相手を弾き飛ばした。
としか思えない。地味な割に恐ろしく効果的である。
ですが、と其処まで思考してふと思った。自分は何故意識を保っているのだろうか。
モモ先輩が語っており、自分もまた目の当たりにした事がある彼の技法のひとつ。些細な打撃にすら当たれば一撃のもとに意識を刈り取る技を掛けられていれば今頃己の意識は無いだろう。
理由としては、自分が無意識に防いだのか、それとも相手がそも繰り出していないかのどちらか。考えてみるが、直ぐに後者だろうと思った。根拠は無い。強いて言えば勘だ。乙女の。
同時にむっ、と心がささくれ立つのが分かる。どんな意図があったにせよ、そういう技術があるのに使わないと言うのはある意味舐められている証だ。
「ッ――――」
「ふむ、大した速度だ」
しかし、闇雲に攻めても結果は同じだ。おまけに何時その技を使うのか分からない以上、どんな攻撃にも攻勢防御にも気を配らないといけない。ガリガリと神経と精神が削られていく。
正攻法では話にならない。なばら絡めてで先輩の死角から攻めることにした。
フェイントを幾重にも重ねながらの高速移動。迂闊には攻め入らず、素振りだけを見せ、その間も動作を、表情を、視線を、雰囲気を観察。僅かな隙も見逃さない様に足を止める事無く見つめる。
こんな時ですら、どれも変わらない。身じろぎ一つもせず構えるのは呆れや怒りよりも流石、と称賛したくなる程の余裕ぶりだ。何より、注意深く見据えた事で分かる彼の攻め辛さ。風を受けて尚、波紋ひとつ浮かばない澄んだ水鏡の様な静けさ。秒を刻むごとに隙の無さが増していくかの様な錯覚すら覚えた。
体感時間が精神力と共に失われていく中、ほんの僅かに揺らぐ彼の気配。動作も何もない、しかし武芸者としての経験が告げる感覚に従って飛ぶ。
相手の左後方からの強襲。
太刀に乗せた闘氣を研ぎ澄まし、繰り出すのは黛流剣技。
「黛流、十二斬ッ!!」
その名の如く、秒間12回にも及ぶ連続斬撃。速度を重きに置く黛流剣術の技は流派の奥義とは行かずとも音速を超えた斬撃の嵐を以って相手を襲う。
初撃にあたる一の太刀。首筋目掛けて放たれる。一向に振り向く様子は無く、吸い込まれるように刀が空を裂く。最初の一撃を浴びせたら次は肩へ。更に背中や頭部と言った急所も含めてこれらを攻撃し、ダメージを与える。仕留められるとは思っては無いが、それでも初見で躱せない。
「なッ――――」
そう思っていた。
しかし、現実は想定をいとも容易くヒョイ、と乗り越えて来た。
こちらの刀の刃に合わせる様に突き出された野太刀の切先。滑るでも無く、弾かれるでもなく、刃面に刀の切っ先を合わせる事によって受け止めたのだ。しかも大幅に勢いも削がれた。
仕留められるなんて思ってはいなかったが、まさかよりにもよって刀の刃を切っ先で受け止めるなど、思いもよらない。何せそんな甘い速度では断じてないのだから。黛流の剣術はそんな俄か剣術では無い。あの速度の斬撃を、接触面積が文字通り針の厚みもないというのに、初撃初見から切っ先で、しかも刃に沿う様に当てて止めるとはどういうことか。
刀に乗せていた氣も何時の間にか霧散し、影も形も無い。おまけに――――
「腕が、動かない?」
「我が
どうやら、彼の仕業の様だ。薄い笑顔は変わらないままだと言うのに、先程よりも不敵に見えてしまう。
カクン、と軽く前につんのめる様に流される身体。当てていた切っ先を引いたために僅かに残っていた勢いが慣性となったのだ。
ノルンは僅かに身体の向きを変え、鋭く蹴りを放ってくる。勢いを付けた訳でも無いのに大きくゴロゴロと転がされるも腕の痺れは僅かの間だけの様で、即座に体勢を立て直す。やはりこれも寸勁だろうか。
侮っていた積りは無かったが、目の前の人物はそういう非常識な事を平然とやってのける者であると分かってはいたが、改めて凄まじいと思う。普段が普段、威圧感も何もないだけあって尚更に。突拍子も無く時々凄技とか披露するじゃんかよーかとか言ってはいけません松風。
立ち上がって身体の具合を軽く確かめてみても不備は無い。構え直して再度見据える。
無造作にも関わらず相も変わらず隙らしい隙も見えず佇んでいるが、ひとつだけ分かった事がある。
――――目の前の先輩はどうやら勝負を直ぐに決める腹は無いと言う事。
決めるつもりなら最初の攻防で決まっているし、何より今の蹴りで気絶させられても可笑しくは無かった筈だ。自然と顔が更に強張っていく。
其処までの差があると。
戯れているのかと。
しかし、彼からはこちらを余さず見据えようという視線を感じても侮っている気配はない。ともすれば、一体なんだと言うのか。何から何まで分からない。
思考が変な坩堝に嵌りそうになって慌てて戻そうと、深呼吸。相手の意図が何なのかなんて関係がない。何のためにこの戦いを望み、挑んだのかを思い出して今一度得物を構えなおした。
正眼に構え、闘氣を滾らせる。
――――まだ、まだこんなものではありませんッ。
先程よりも更に加速する。精神に呼応しやすい氣の出力は、先程の感情の昂りで上がった影響だ。より鋭く、より速く、目の前の敵を断ち切り、屠らんと足を動かし、眼を動かし、神経を研ぎ澄ます。
しばしの撹乱を繰り返す内に再び見えた針の穴ほども無い隙を見逃さず、音速を凌駕して斬り込む。今度は背後では無く、緩急をつけて間接距離から一気に懐に飛び込む事で視覚的な隙を突く。相手の腰の下ぐらいまで低くし、天を断たんと言わんばかりに斬り払う。
迫る白刃は脅威以外のなにものでもない。岩はおろか、やろうと思えば彼女の技量では斬鉄すら容易く為せるそれを、手の平で受け止めるノルン。
驚きはある。だが、驚愕の感情自体は少ない。既に自分はこの光景に見覚えがある。ありすぎた。アレは眼の間にいる先輩の師――ただしくは幻の様な存在らしいが理解はできなかった――が為した光景だ。程度は知らないが弟子である彼が出来ても可笑しくはない。そしてこの後の光景すらも想像には難くない。
案の定とでも言うべきか。受け止めたところから勢いは殺される事なく逸らされていき、手の平に刀の刃を滑らせる様に受け流されていく。
「……そうではあらぬぞ、まゆっち」
「え……?」
振り切ったところで耳に入って来た相手からの言葉。それに思わず顔を見てしまうのは自然の流れだろうか。目の前の人物はヤレヤレ、とでも言いたげな眼をしていいるが、言葉と言い、視線といいそれがどういう訳なのかは分からなかった。正直に言ってしまえば困惑している。
薄い笑みも何時の間にか苦笑の類に変わっており、困惑に拍車を掛ける。そんなこちらの心情に気付いているのかいないのか、というか気付いて尚興味がないのか「初手をあのように防がれては気付きそうなものを……」なんて独り言を呟いている始末。今の状況から考えればイラッ、と来るものが無くは無い。
密着限りなく近い間合いを少し離して再度彼を見据える。
「全く、肩肘張り過ぎと言うものだまゆっち。そう緊張が過ぎては太刀筋はおろか目も曇るであろうに」
ハァ、なんて分かりやすい溜息は胸に湧いた淀みを更に深めるのは充分だ。幾ら自分と先輩の実力がかけ離れているとはいえ、其処まで言われる筋合いはない。全力勝負ならば尚の事だ。それがよもや説教を喰らうと言うふざけた事態に顔が自然と顰められていく。
しかし、次に彼が吐いた言葉はそんな幼稚な思考すら凍りつかせるには事足りた。
「いやはや、これでは到底
「あ、……な――――」
言葉が、舌が、上手く機能しない。人生の――といっても20すら至っていない――中でここまで動揺が激しいのは生まれて初めてのことだったかもしれない。息すらきちんと正常に出来ているかすら意識の外。
先程の仕様の無い、と言わんばかりの顔はなりを潜め、常と同じ様な、しかし何処か妖気漂う笑みを見せる目の前の対戦者はその瞳の様に朗々と語る。
「
理解した。これ以上ない位に理解させられた。自分が挑んだ理由を、この勝負を望んだ訳を彼は見抜いていたのだ。
戦慄する。肌が、全身が粟立つ感覚は絶え間なく、心の臓から駆け巡り全身を内へ外へと抉る。しかし、彼はそんな事はお構いなしだ。
「回りくどい建前を使わずともよいものを……まぁ、それも誇りとやらに由縁する、のか? 私には解せぬが」
「の、ノルンさん、は――――」
「あぁ、初めから見当は付いておるとも。KOSの時の私の言葉が突端であろう」
語らずとも彼は自分が何を言いたいのかを察していると言わんばかりに言葉を被せて来ている。
妖気を滲ませて尚、澄みきった水面、曇りの無い鏡の様な常と変わらないこちらの心を見透かす瞳に初めて身体から怖気が湧き、身体を掻き毟る。一瞬、妖気が消えて何ともいえない苦笑が見えた気がしたが、それも霞の如く瞬く間に消えた。
彼がその後語る推理は的確過ぎるぐらいに的確だ。
戦う発端、それは確かに先輩が見せた剣技であり、秘剣であり、義経との仕合である。それは本心ではあるが、個人的には二の次。真の理由、それは若獅子が終わって少し経ってから友人の伊予が漏らした一言が原因である。
喫茶店で七浜ベイの試合を見た後の余韻に浸っているところだった。熱狂的なファンである彼女に連れられて何回か見ているがその熱気は凄まじい。火照った身体を休ませる意味でもあの時は珍しく喫茶店で寛いで、今日のベイの戦いぶりやどの選手は良かった、あの選手はもっと頑張らないと、など話に興じているなかポツリと出た何気ない言葉。
――――そういえば、まゆっちとあの白髪の先輩と仲っていいの?
ファミリーの面々が話題に出るのは多くも無いが少なくも無い。先輩とはいえ良くも悪くも悪目立ちするF組という問題児ばかりを集めたクラスの出来事だ。もっぱら出てくるのはガクトだったり大和だったりキャップだったりと男性陣が多い。女性陣は百代オンリー。理由は言わずもがなだ。
そんな中でも特に珍しいのがノルンだった。白髪に白人レベルどころか雪をそのまま肌の色に移したかの様な結局も色素も存在しない見た目は女顔で客観的に美形に入るのに圧倒的に不人気を誇る変わり種。武士道プランの申し子――特に女性陣――としょっちゅう一緒にいるせいか、1年男子にも一際不人気だ。
しかし、接してみれば人柄はどちらかと言えば良い方で社交性もある。その辺は大切な友人である彼女にも伝えてあるのだが、何故そんな事を聞くのだろうと疑問が湧く。問い詰めて見ても曖昧に誤魔化す感じでまごまごしていたが、やがてポツリとこう言った。
――――あの先輩、KOSでまゆっち達の事あんな風に言っていたからさ……上手く行ってるか心配で。
あんな風に、とはどんなことだろうか。義経達に倒されては残念ながら気絶していて記憶どころか意識すらない状態だったため、その後の顛末はネット等に上がっている映像を見せて貰っているに過ぎない。殆どの敵を参加しないと言った筈のノルンのチームが平らげ、武士道プランの申し子をノルン単身で打ち破り、何故だか仕置き人衆と彼のチームメンバーが鉾を交え、あろうことか圧勝し、最終的には壮絶な殺仕合いに発展した末でノルン達の勝利という、今振り返っても色々とツッコミどころ満載の内容だ。
しかし目の前で言い辛そうにしている友人はそんなデタラメさを指してはいない様だった。
隠し事はしないでください伊予ちゃん、と友を諭してみると彼女はポツリ、と一言。
――――倒されたまゆっち達の事を
友達から語られるのは気絶した後の事。といっても、概ねネットに出回った映像となんら変わりない顛末、倒された後にフラリとノルンがやってきて義経達と2、3言葉を交し、戦闘に突入したと言う流れ。
発言の前後の状況を聞いた段階で、既に他所の情報は頭には入ってこなかった。喫茶店を出て伊予を送った、というのが辛うじて覚えてはいるものの、その後の事は殆ど記憶にない。
胸に巣食う蟠りが、焦燥にもにた不愉快さが、己の誇りを軽んじられた事が、しかし何よりも
――――軽んじられた誇りをこんなものではないと示す術を持たない事が歯痒い。
腹立たしいと言ってもいい。悔しい事に、KOSでも若獅子でも自分は結果として腕はあるのに然したるものではないと、自分で示してしまった。若獅子にて晒した無様も歯痒さに拍車を掛ける。どちらにも意図していなかっただろうが、結果として更に貶める形になってしまったのだ。悔しくない訳がない。
同時に、見返す――というと稚拙な言い方だけど――為の絶好とも言うべき機会も失っているともなれば痛恨の極みである。
ならばどうすべきか。
思考を働かせてみせて、真っ先に浮かんだのは戦いだ。自然であり、必然の結論。
自らが誇りとするのが黛流という武術。問題も単純なら解決方法も、また明快。しかし、しかしである。唯戦うだけで、黛流の強さを証明できるだろうか。
連結した思考の流れを其処で一度打ち切らざるを得なくなる。実力が桁違いなのだからそれも当然のこと。武神に及ばない実力でどう証明するのかが問題だった。若獅子と言う格好の舞台を不意にしてしまい、そして友人からとはいえあの言葉を耳にしてしまった以上可及的に速やかに問題の解決は図りたいところである。
と、あれば手段はやはりひとつだけ。他に方法はあるのかもしれないが少なくとも自分には思いつきそうにもないし、他の誰かに相談して良い類の問題でも無いならば、これ以上の手段はない。はずです。
挑むにしてもどうやって、と悩む。
前提条件として勝負を挑む動機だけは伏せなければならない。自他共に名門といっても差し支えない黛流。国に帯刀を許された剣聖。その娘が敵わないのを承知で、強敵に挑む。
これだけを見ればとても
敵わないと知って、それでも己が誇りとする流派の為に戦う。他者がどう思うかは知らないが、自分的には実に茶番だ。そんなお涙頂戴、胸の熱い戦いなんていう名ではなく、実が欲しいのだ。
――――黛流はあなたが思っているほど程度の低いものなんかじゃないんです!
あの程度、と言った彼に示して、訂正させるという結果こそ欲してやまない。
行動自体が既に何を取ろうとも茶番なのは否定しない。戦ったところで、勝てないのならば結局同じなのかもしれない。しかしそんな矛盾がどうした。武人には、女には引けない戦いというものがあるのです。
――――そうと決まればまず戦う動機を作らないと!
松風と相談してあれやこれやと考えるていると何時の間にか10を超える数になっていたのは、まぁ若気の至りだ、うん。
「――――さて……」
「っ!」
対戦相手の凛と通る声でハッ、と我に帰る。何時の間にか思考が深みに嵌っていて忘我状態だった。
しかし、経緯を思い出していたお陰で戦意も戻り、何時の間にか呼吸も正常。大丈夫、問題ありません、と心で己を叱咤して構えなおす。
「もう良かろう? 小手先や小細工を弄そうとも、然様なモノで埋まるほど私とまゆっちの差は狭くはあらぬぞ」
ノルンは、あくまで平坦に言葉を紡いでいる――――のだろう。色々と蟠りが多すぎて、それすらも鼻に掛る言い方にしか聞こえないのは自分が平常ではないから。
もしかしたら冷静さを欠かせるという挑発目的もあるかもしれないが、恐らくその可能性は低いと勘が告げている。
「それとも、そんな小細工が黛流の真髄か?」
――――前言撤回ッ!
まず間違いなくこれは挑発だ。この上無い程の挑発だ。反射的に氣が迸り、腹から声が轟く。境内を震わせるかのような怒声が響き渡る。
「違いますッ!! 黛流はそんなモノではありません!」
「なれば、見せてみよ。その剣術の、そしてまゆっちの
言われずとも、だ。挑発に乗ってやろうではないか。
己が得物に意識を集中させる。
何処までも鋭く。
全てを斬り伏せる一刀を此処に。
意思に呼応するかのように淡い緑に染まる刀身。其処に氣がどれだけ集まっているかを示す証左。目の前の敵を斬り伏せる意思まで氣と共に刃に乗っているかのようだ。
「破アぁッ!」
黛流が奥義、阿頼耶。
速さに重きを置く黛流。その剣技は読んで字の如く、太刀の速度を示す阿頼耶の太刀。速さを極めた末の境地は、ただ速く振るうと言う斬撃そのものが奥義へと昇華された流派の中でも上位三つに入る。
奥義故に普段はおいそれと使うのを禁じられているが、今こそがまさにそれの使いどころ。マスタークラスの猛者達を以ってして尚、驚嘆せしめる剣速は寸分違わずノルンを襲う。
何人も、それこそ武人にすら見てから反応するのは難しい一撃。
しかし――――
「甘い」
「クうゥッ!!?」
見えない何かに弾かれてしまう。
動きは一切なかった。何が起きたかさえ理解できない。分かるのは、己の奥義はアッサリと容易く打ち破られたと言う事だけ。
理解は出来ないが予測は立てられる。恐らくは、あれこそが佚之太刀と呼ばれる黛流が目指すべき到達点、なのだろう。何をされたのかは一切は分からなかったが、それこそが速度の真髄だ。
同時に、義経に畏敬が絶えない。口ぶりからして眼にする事は多かったのだろうが、それでも二発目の際、彼女はこれを躱して魅せたのだ、何も見えない、なんて言葉が稚拙に感じる一太刀を。
その太刀筋による攻撃は衝撃となって刀から身体へと伝うも、初手らと変わらずダメージは少ない。
幸い、ではない。十中八九それは相手の狙いだ。どんな思惑にせよ、彼は真っ向から黛流という剣術を見せてみろと言った。だからいま、自分は立っている。
目の前の人物は笑みは変わらず、しかし視線は不敵に語る。
――――さぁ、それは打ち破ったぞ。次はどうする?
今のままでは当然駄目だ。相手は己よりも一枚どころか遥かに上手。ならば、阿頼耶を超えるモノで無ければ、同じ土俵に立てなければ意味はない。
再度、意識を、神経を、氣を研ぎ澄ます。
再度刀を振るう。しかし――――
「…………」
「――――ウゥッ!」
二度目も弾かれる。
体勢を立て直しながら思う事は、やはり何をされたのかは分からないと言う事だけ。しかし、分からないから、やはりこれだけは分かる。
――――まだ足りない。
生半可では通じない。当り前の事だ。当り前のことだが、だからこそシンプルだった。こんなものではない――――こんなものでは届かないという事だけは分かる。
もっと氣を、意識を、感覚を研ぎ澄ます。
見るべきは敵の姿。
描くべきは高みへの光景。
振るうべきはこの一太刀のみ。
視界は何時しか正眼に構えた己が太刀と敵の姿だけ。他には何も映らない真っ白な空間にポツンと取り残されたかのように思えた。世界は自分と目の前の相手だけと錯覚してしまうほどだ。更に彼方へ、その先へと意識を持っていけば、やがて自らの輪郭すら溶けて曖昧になっていくなかで一切の雑多なものを排したこの世ならざるとしか思えないナニカを、確かに垣間見た。
ナニカに対して語るべき言葉は自分は持ち合わせていない。少なくとも、この世ならざる世界だろうとだけは理解した。
一瞬にも、永遠にも感じれる時が捩じれた感覚。しかし、其処にこそ、求めたものがあると、何故だか確信がある。根拠はない。しかし憶測でも、理解でも、直感でもなく、確固たるナニカが。それは武を鍛えたが故のものか、はたまた別のナニカだろうか。
(ここですッ!)
その確信に従って、大地を踏みしめて肉薄し、そのまま太刀を振るう。
硬質な、何処かで聞いた覚えのある金属の音色が木霊し、気付けば刀は振られていた。何時に振りきったかすら己でも分からなかった。だが、確かに今、自分は持てる全てを賭してひとつの極致にいた……筈だ。
「涅槃、……寂、静――――」
それを自然と口にしていた。と、同時に膝から力が抜けてしまいへたり込む身体。
呼吸は荒く、心臓が早鐘を打つが如く鼓動を刻む。
こんなにも消耗していたかのと、境内の石畳に視線を落としながら愕然とした。呼吸は未だ戻らず、身体の消耗から戦う事は直ぐには無理そうだった。しかし、と奮い立たせる。此処で立たなければならない。試合はまだ終わりを告げてないのだから。
直ぐ様に体勢を立て直し――といっても既に氣も体力も消耗して緩慢な動きだったが――振り向く。目の前には野太刀の切先が付き付けられた光景が飛び込んできた。
「まだまだ、だ」
「クッ…………お見事、です……」
「そこまでッ! この勝負、ノルンの勝利ぃーッ!」
不敵に笑う先輩。
決着を告げる学園長の声。
向けられた切っ先は降ろされ、何処へと彼の野太刀は姿を消した。五感が捉える情報が、状況が、否応なしに現実を突き付けてくる。
届かなかった――――そういうことだろう。当人の言葉もそう暗に伝えて来ているのだから。悔しさが胸に去来し、自然と顔が下へと向かうものの、不思議と始めの方にあった焦燥感はなかった。全力を出し尽くしたからからだろうか、清々しささえ覚えているのは自分でもどうかと思う。
「や、見事、はこちらの台詞ぞ」
「え?」
下がったままの顔は思わず、と言った具合で跳ね上がる。其処には何時かに見た事がある様な優しさを感じさせる笑みを見せている先輩の姿。
「よもや、佚之太刀と同じ境地に到ろうとは……まさしく見事以外の言葉はあるまいて」
呵々、と何時もの笑いながら「うむ、挑発した甲斐もあったというもの」なんて口にしている。向けていた真剣な表情を作り、そして徐に頭を下げるのだった。呆気にとられているこっちなどお構いなしだ。下げた時と同じ動きで頭は戻っていき、その表情は見間違い等では無く笑顔は一切ない真剣そのもの。
「黛流が真髄、確と拝見した。改めて前言を撤回させて貰いたい。よいかな?」
「あ、えと……ハイ、承ります?」
「大概マイペース過ぎね? まるっと置いてけぼりなんですけど……」
それは確かに欲しかった言葉に違いない。
しかし、駄菓子菓子。力の限りを尽くして太刀を振るったかと思えば一切合財何が起きたのか分からないまま気付けば負けていて、その悔しさと清涼感を味わっていたら何時の間にか言葉を受ける。
なんとも意味不明だった。
折角の言葉は半ば台無しで、しかしまぁいいか、と納得するには何処か腑に落ちない締まらない結果と相成った。
それでも貰えた事には確かに変わりないし、嬉しいものは嬉しいのに、何かが違う気がするのは気のせいだろうか。
遅れて大変申し訳ないです。
言い訳をさせて貰えれば、戦いの流れがどうしても熱くもならない、盛り上がらない。
拙作の義経はご存じのとおり、原作からかなりテコ入れがあるのである程度打ちあえる熱い(文章レベルでそれ程でもないかも)ものもイケましたが、まゆっちの場合強さはほぼ原作通り……あれでもない、これでもないを繰り返してフラグも省みてこの形に落ち着いて気付けば1週間弱。書き始めて10日前後掛かりました。
体調不良も若干ありましたが、最早これは自業自得……。
……腰痛い。