遅れてすいません。
それはとても現実離れした光景に思えてならなかった。
大きく――というのも可笑しな話だが――飛び散る紅い飛沫、紅い、雫。
思ってもみない、とはよく聞くがまさに目の前のソレがそうなのだろう。
グラリ、と傾く身体。とても不愉快な掠れた音が断続的に耳にこびり付く。
あぁ、だって
――――彼がこんな風に首から血飛沫をあげながら倒れる姿なんて嘘に決まっている。
「ノルン君ッ!」
「グうゥッ!?」
叫びと呻きは同時に漏れた。
片や義経の、片方は暗殺者の方だ。前者は後ろへとゆっくり倒れていく彼に対して反射的に出たものであり、後者は倒れながらも密着状態の不可視の相手に放たれたノルンの蹴りによって吐き出されたものだ。
蹴撃は相手を水平に飛ばすものの、そこまでの威力は無かったのだろう、然したるダメージを与えられず、暗殺者は即座に体勢を立て直した。
しかし、今し方の蹴りは倒すためのものではない。
「ちっ……迷彩が解けたか」
苛立たしげな舌打ちを隠そうともせず、先程までは姿が見えなかった筈の女は唸る様に声を吐いた。
「ノルン君、ノルンくんっ!」
「おい、しっかりしろ! なあおい!」
「気を確り保て戯けッ! ここで果てるなどゆ、許さぬからな!」
暗殺者の視線の先には首から断続的に血を噴き出すノルンとそこに寄り添って必死に声を掛けている義経と百代、それに何時の間にか来たのか清楚の姿。
心臓の鼓動に合わせて断続的に勢いの強弱が変わるのは間欠泉を連想をさせる。
生き物が持つべき生温かさに塗れながらも声を掛ける事を止めない三人を見て、暗殺者は無駄な事を、と心中呟く。
出血と共に不規則に起こっている身体の痙攣。壁を超えた強さを持つが故に優れた身体能力は視覚にも当然のように現れている為、6m位離れていても確認できる瞳孔の終息具合から見ても、なにより首を前から後ろへと七割以上切り裂かれては生き残れる訳がないというのが暗殺者が下した結果だ。
なにせ、切った当人が口越しから刃が脊椎の隙間を突いて神経にまで至ったのを感じている。よしんば助かってもこの場に回復手段もなく、神経を断たれたが故に当人が回復手段を持っていても間に合わないと判断する。回復については事前に依頼主から齎された情報だ。
やがて、首から零れる血の勢いも、痙攣で跳ねる身体の勢いも無くなっていくのを眼にして殺せたものだと判断した女暗殺者。
ノルンの首を裂いた彼女はリーダー格なのだろう。仕事の続きを、とアイコンタクトを周りの三人へと送り、各々の頷くのを確認して前へを向き直す。
期せずして、最大脅威を取り払えたとはいえ、4人の依頼はまだ完遂していない。
壊れたラジオの様に彼の名前を呼ぶ義経。手を震わせて「嘘だろ……?」と言葉を漏らす武神。俯いたままの清楚を見据えながら得物を構えるアサシン達。
「――――ったな……」
ポツリ、と呟かれたその言葉。呟くと言う表現通り、小さな声にも関わらずアサシン達の耳に纏わりついて離れない。
長年の経験に基づく直感が彼女達の足を止めた。
「なに……?」
声の主はゆらり、と徐に立ち上がる。
立ち上がっても僅かに顔を俯かせたままで長い髪も相俟って只ならぬ雰囲気を放っている。ぶっちゃけて言えばかなり不気味だ。
「よくも、よくも奪ってくれたなアぁァァーーーーーッ!!」
俯かせた顔を上げて怒声を上げる清楚。紅玉の様な瞳は涙に塗れて、頬を透明な筋ができがならもその視線だけで射殺し得るほどの殺気が宿り、女たちを貫く。
「ッ」
「グ……ッ!?」
「う……」
「チィッ……!」
思わず四者四様に呻き声をあげる暗殺者達。
怒髪天も斯くやの清楚の迫力もさることながら、何より身体から大瀑布を連想させる氣の奔流が女達の動きを縛りつけている。
その圧たるやギシリと空間そのものが軋む音が実際に聞こえてくるほどだ。
覇王の威圧受けて全身から冷や汗が吹き出す。
清楚の元々の武技の才能を鑑みれば当然と言えば当然。しかし、リーダー格の女は流石というべきか、最も実力があり、最も修羅場を潜ってきただけあって圧に慄きながらも平静を装うだけの冷静さを保っていた。
「こいつは、ノルンは……俺にとっての――――宝だッ! それを、それをッ……王たる俺の許しなく奪ったその罪……万死、否、那由多に至るまで殺してもおさまらんッ!!」
肩で息をするほどの興奮と怒り。感情の高ぶりに比例するように勢いを増す氣は憤怒の色によって底なしの奈落が押し寄せているかのようだった。
リーダーの女は秒単位で上がる圧力の中で必死に思考を巡らせていた。少なくとも当人にとっては何時も通りに。
今現在、彼女の頭にはどうするべきかと考えている。
平時の彼女ならば、例え依頼であってもここでどうするかなんて考えやしないだろう。どうみても目の前の相手は格上だ。かつて同じ九鬼を狙った際に頭首を狙おうと画策したが、目つきの悪い最強従者を一目見て即座にあきらめた位なのだから。
命あっての物種。引き際を見極める事は大事なことだ。ましてや暗殺稼業なら尚の事。
しかし、暗殺者はここで大きなミスを犯す。
「ふん、殺した事でやいのやいの言われる覚えはない」
「――――なんだと?」
「
「な……」
「元よりお前達はかつての時代を彩った英雄達の転生、生まれ変わりなのだろう? 己の未熟さを棚に上げて他を責めるなど情けないにも程がある。その程度の心構えと力でよくも英雄などと嘯けたものだ」
色々な意味で女の言葉に驚かされている清楚の傍ら、横たわるノルンの側にいた義経の肩がピクリ、と動いたが誰も気付けない。
リーダー格の女は更に語る。しかし、やはり発言が挑発じみている辺り、やはり冷静さは著しく欠いているのは否めない。
自分でも何言ってんだ、と内心テンパっている女を他所に、ギチリ、と口内で軋み揚げる清楚の歯ぎしり。
それは悔恨の表れ。
女の言う事は少なくとも奪った当人が言うべき台詞では無い。だが、ある程度的も得ていただけに彼女のリアクションはある意味で自然とも言えた。
普段ならばこの理不尽ともとれる言い分にはふざけるな、と一喝しただろう。だが、先程の占いに於いてノルンは確かに口にしていた。
――――仇を為すなら
死相に、自分に振り掛る死に対してこう言っていた。ならば逆説的に言えば、及ばなければ死ぬだけだと、自分で言っている事に他ならない。
そして、彼はこうも言っていた。
――――私だけで及ばぬならば他の力も借りればよい、と。
足りないならば他で補う。全く以っての正論。だが、それはつまるところ、自他問わず力が不足していたり、或いは届かなかったならば、それは大切なものを失う結果を招くのだと示唆していたという事ではないのか。
故に清楚は暗殺者の言葉に激昂よりも悔恨の念が先に立った。言葉にただ従うだけでなく、自分ももう少し積極的であったならば或いは防げたのではないか、と。
ノルンがこれを聞けば否、と否定して自分の迂闊が招いた結果だと何時ものように軽く言っていただろう。その人物は目の前にはいない。声を聞く事は適わないのだから指摘のしようもなかった。
尤も、そんな清楚の真剣な思考も、まさか女がテンパった揚句に出た錯乱にも等しい発言とは思いもしないだろうが。
そして、ここで女は再びミスを犯す。
飛び出した暴言に対して何故か鈍った清楚の氣の勢いに目の前のもうひとりくらいイけるのでは、という欲が出てしまった。
氣の収縮を他の3人も感じ取ったのだろう。リーダー格が目くばせすると同じ様にイけると判断したのか頷き合った。
壁を超えた強さを誇る4人による一斉攻撃。加えて、清楚が噴出させた氣は幸か不幸か彼女の味方の動きまで鈍らせている。討てる好奇は恐らくここしかなく、抹殺対象は全部で5人だが実力差を鑑みても、自身が依頼主から預かった隠行符があっても討てる確立は低い。
しかし、彼女達も腕の立つ暗殺者と言うある種のプライドもあった。実力差は明白とはいえ5人中1人しか殺せませんでしたというのは、この裏稼業において女と言う身分も鑑みれば十分に舐められる要素を孕んでいる。そして、舐められればこの業界では明日ともいきれない身だ。
KOS覇者のひとりの首に、せめてあと一人、出来れば名の通った義経、もしくは項羽がオリジナルだという清楚の首が彼女達は欲しかった。
それが最大の過ちだと気付く事は無く、隠行符による殺気の隠蔽と認識阻害の能力を利用して鈍った清楚の動きに注視しつつ、今が好機とその首を刎ねんと躍りでて
――――武器が音を立てながら砕け、そして芥子粒と化していくのを見て驚愕するのだった。
突然で、かつ非現実的な光景を理解するには数瞬の間を要した。
何があったのか、頭が高速でその一言で埋められ、それ故に女達は動けない。
「――――や゛れや゛れ゛、ぬ゛かったわ゛」
聞こえてはならない筈の声が木霊する。
暗殺者達も、そして清楚達も声の方に顔を向けると先程まで壊れたラジオの様に名前を読んでいた義経や、横たわっていた相棒を見て動けないでいたモモを尻目にゆらり、と身体を起こして首を辺りを摩りながら起き上がっていくノルンの姿。
普段のアルトヴォイスとはかけ離れた掠れた声、首にも顔にも首を押さえる手も余すことなく塗れた鮮血は先程の光景が現実のものであることを如実に語っており、そして、だからこそ暗殺者達は、前に出ていた清楚も驚くのは必然だ。
暗殺者側からすれば間違いなく首を半ば以上まで断ち切った手応えがあったのだ。だというのに血にまみれて尚立ち上がるという様子は現在の見た目も相俟って色々とホラーである。肝が凍るのも止む無しだろう。
対して清楚は驚きはしたものの、ノルンが大丈夫だ、と無言のまま静かに頷くのを見て思わず破顔する。悲嘆は喜色ひとつに染め上げられ、既に頬にできた透明な筋を同じ様に、しかし前とは異なる涙が一筋、後をなぞった。
同じ様なリアクションは側にいる義経達も同じもので、モモは同じ様に、しかしこちらも先程とは別の意味で呆然としている。義経は余計に泣きじゃくりながらノルンに背中から抱きついていた。
「ぐすっ、よかったぁ……よかったよぅ……スンっ」
「あ"、あ゛あぁ~、んん"ッ。済まなんだな義経、不覚を取ってしもうたよ。心配掛けた」
「いいッ! いきて、いきてた……う、ううううぅぅぅ~……」
ノルンが体勢を変えた事で背中から腕へと身体の寄せ所が変わった義経の頭を彼は優しく撫でる。
「おッッまえ! 無事なら何かリアクション示せよッ! 心配したんだぞ!」
「なかなかの無茶ぶりだなモモ」
頚椎の神経を斬られては幾らなんでも動かしようが無いというものだ。脳髄さえ無事ならば魔力の肉体への流動操作そのものは滞りなく行えるが其処が阻害されれば物理的にも魔力的にも流れは乱されるのだから。
相変わらずの相棒からの妙な信頼(?)に苦笑を湛えつつ、義経をそっと身体から離す。
モモにぐずる義経を頼む、と一言告げて委ねてから一歩を踏み出し、ノルンは清楚の元へ。並び立ったその姿に、清楚は改めて胸を撫でおろし――――たのを悟られまいと装う姿を2828とノルンに見られているのに気付かないまま、一言、こういった。
「あ、後で説教だバカモノッ!」
「こっちにも鬼がおっただと……?」
「誰が鬼だ、誰が! 全く……」
「呵々、ああ、心得ておるよ清楚。それについてはまた後ほどに、だ」
「ふん…………ッ! ~~~~~ッ」
涙をぬぐいながら不敵に笑い、そして何かに気付いた様に唸りながら唇を噛みしめて俯く清楚。
ノルンのその常と変らない笑顔を見て安心した事によって、彼女に齎された冷静さは今更ながら先程の自分の言動を思い出して恥ずかしさに静かに悶えていた。
最初は自分でも分からず、理解してからは雰囲気に乗ったところに水を差されたり、気恥かしさで言えなかった言葉だったが、感情任せに勢いよく口走った事を思い出し、羞恥心で俯いてしまっている。
(だ、大丈夫だ、当人には聞かれてないから、せーふ……うん、せーふだ……だよな?)
心の内での事などで肯定できる者などいないので応え用の無い問いである。突っ込める者も当然いない。
ただし、声は出さずとも顔はには出ていた訳で。
(何やら珍妙な葛藤しておるな……見ている分には愛らしいが)
俯いてはいるものの、横目からは十分にその端整な顔を見る事で来ていた。ノルンの視線の先にはイチゴやリンゴの様に頬を朱に染めながらプチ百面相をする清楚を2424見つめる。シリアスはどこ行った。
ここまでの状況を鑑みれば不謹慎極まりないので、程良く堪能した所でノルンは視線を戻す。
目の前の暗殺者達は未だに顔を青くして固まったままだ。動かないのか動けないのか、と問えば心眼によって示されるのは後者の解。今の内に仕留めておけよ、とノルンは大いに突っ込んだが、同時に固まるのも無理はない、という事も理解している。
流石に確実に殺したと思っていた――事実心臓は少しの間止まっていた――人間が、さして時を置かずにむくり、と平然と起き上がって来た姿を見てノーリアクションでいろというのは酷な話だろう。傍から見れば大いにホラーである。
ワナワナと身体を震わせてながら、どうにか口を動かそうとしているところを見ると言葉を発想としているのが窺えた。
「いやはや、お前は確かに死んだ筈だ――などとありきたりな台詞は御免被るぞ?」
「お、ッ、お、前は……確かに死んだ筈だ!!」
(御免被ると申したであろうに)
重ねて突っ込もう。壮絶な無茶ぶりである。
「然り。私は今し方紛う事無く其方に殺されたぞ」
「な、ならばなんでッ――――」
「あの程度でくたばれるほど、常識が敷かれた道は歩んでおらぬ故、な。この身を殺したくば首を完全に落とした後に即座に落とした首を完膚なきまでに破壊せよ。それでようやっと死ぬる身だ」
そう告げた時の暗殺者の顔は言わぬが花とで言うべきか。敢えてひとことで言い表すならば、ノルン曰く『滑稽』という感想から想像にお任せしよう。
実際のところ、ノルンのもつ莫大な魔力は伊達では無い。再生や治癒に使える他、彼の制御によっては生身と言う基本的な状態を考慮すれば欠陥を巡る血液を魔力流し込み、それらを操作する事によって心臓が破壊されようが生命活動を維持する事が出来る。
ノルンが語った首を落として頭を潰せと言うのは、首から下の身体の再構成にはノルンの技量を以ってしても即座に再生とは流石にゆかず、また基本的には生身の肉体に殉じているが為に、魔力制御を司る脳髄を完全に破壊されては流石に生命活動を維持しようはない。実際に彼も、仮に奇襲を掛けられた際にはまず攻撃地点を瞬時に把握し、頭に対する一撃かを見極めてから初めて対処するようにしている。
無限の時と人生を繰り返す彼であっても、否、だからこそ人との縁を基本的に重んじる彼だからこそ酸い甘いを問わず生まれおちた人生を全力で満喫し、守り通すと決めているが故の行動だ。
戦慄する暗殺者達とノルンの温度差のズレが激しいのは御愛嬌。殺した側が恐れ戦き、殺された側が柔らかに振舞う。致命的に空気がズレていた。
そしてノルンが発した次の言葉によって場の微妙が加速する。
「其方等、九鬼に勤めてみぬか?」
「「「「はぁ?」」」」
「おい、ノルン正気か!?」
「無論正気だ。外的要因があれど、能力自体は間違いなく一級品。このまま捨て置くにはあまりに惜しい。危ない橋を渡って泡銭を稼ぐよりもよっぽど稼げるし安泰だぞ。何と言っても世界が誇る我等が九鬼財閥だ、最初は兎も角最後は満足できるだろう。無論今の
「「「「…………」」」」
呆然となる女達。何故だかそこまで驚く事か、と首を傾げる男。やはり致命的にズレている。
何処の世界に殺された者が殺した者を雇うなどと言いだすというのか。いや、無い――――とも言い切れなかったりするのが九鬼クオリティ。
優秀であれば出自問わず起用するのがこの財閥の雇用方針。無論、前提として働く意思が、九鬼と世界に貢献すると言う意欲が鉄則である。
しかし、一部の部署、有り体に言ってしまえば従者部隊は明確に他の部署はとは一線を隔していたからだ。というのも、この部署、従者と言う役職にちなんでメイドと執事という出で立ちと行動だが、その実情はお茶組から始まり、雇用主である九鬼の身辺補助、どころかあらゆる部署の報告をまとめたり、果ては軍隊規模の装備だろうが主を守るために戦闘すらやってのける色々とツッコミ所の多い職業だ。従者とは一体なんだったのか。
そんな色々と高い能力を要求されるこの職場、当代の九鬼家当主の意向もあって勤めている人間には様々な経歴がある。
現在の零番という例外を除けば従者部隊トップである忍足あずみは、元傭兵で女王蜂の異名を取った凄腕。雇った経緯は護衛任務中にテロに合い、護衛対象の九鬼英雄の振る舞いに心酔してからの就職
ステイシー・コナーは同じく元傭兵であり、あずみと同じ部隊所属。経緯は元戦友が転じてメイドに、なんて奇妙奇天烈な状況を冷かしがてら覗きに来た際に運悪くヒュームに出くわしてなし崩しに。
李静初は元暗殺者。中国の裏稼業を務め続け、九鬼帝を暗殺しようとしてクラウディオに敢え無く捕縛。シビアな暗殺稼業、失敗してしまったが故に行き場をなくした彼女に彼が九鬼に勤める様に言い聞かせ、融通出来た事が切っ掛けだった。
一例を見る通りにノルンの行動は一概に既知外の行動と言う訳ではない。が、やはりふんばったとはいえ、当人が言うのは何か違う。
しかし、ノルン自身の人材に対する考えは九鬼と理念を同じくする。故に、この行動は自然といえた。尤も、彼にはただ人材が惜しいという訳でも無い。
(この者どもは標的が義経達も、と語っておった。世界は広い……然りとてこのクラスの人間が都合よく複数で徒党を組み、かつ裏稼業やっておるなぞ確率的に言えばまず皆無に等しい。加えてまだ此処に伸び代が残されておるとなれば、ここで見逃して後々の大禍とならぬ保証はあらぬ)
「ふ、ふざけるなよ? 一度凌げたからといってもう勝った気でいるのか」
「はいそうですかと頷けるのならこんな仕事はやってない……」
「以下同文」
「同じく」
口々に溢れるは否定の言葉。当然と言えば当然であるとノルンは内心で肯く。
ひと目見て確信し、この言を耳にして確証を得る。言葉の節々から滲み出る武力に対する自信。それは今迄の経験もあるのだろう。そして稼業に対して含むものもっているのも此処で把握した。
「呵々、うむ、いずれも然り。(燕雀には燕雀の矜持があると……)なれば――――」
睨み合い、というのには些か一方的な状況の下、ノルンは少しだけ笑みを深め、こう告げる。
「ひとつ、打ち砕いて進ぜよう。その思い上がり」
言葉が終わると共に、身構える暗殺者達。殺気が無くとも言葉自体が不穏なものだ、構えて当然である。
その意味があったかまでは別物だが。
「え…………?」
ドサリ、と音も無く倒れる三つの身体は、リーダー格を除いたアサシン達のものだ。
何をしたのか理解できずに彼女の瞳が仲間達の身体を彷徨う。
「さて、まだ続けるかね? 其方等の能力は大体見て取れた。あまり手間を掛けて欲しくはあらぬのだが」
「あ、な、え……?」
余裕たっぷりに、いっそ嫌味にすら、否、最初の続けるかの問いは半分以上はノルンなりのせめてもの意趣返しだった。
子供っぽい事は自覚しているが、そしてそれが自分の不覚から端を発するのだからお門違いなのも理解しているが、それはそれ、これはこれとでも言うのだろう。
「お、お前、先程動かなかったのはこの子らの力が厄介などでは」
「敵の分析が半分、其方をおびき出すのが半分、と申したところか。仲間達の動きからしてもう一手、布石があるのは把握しておった故、な」
実際のところ、襲撃してきた3人をその場で倒そうと思えば直ぐに倒せた。しかしそれでも静観に徹したのは一重に相手の敷いた布石を取る為のもの。
暗殺者と言うのは殺す事以上に、生き残ることに長けるものだとノルンは知っている。例え大切な仲間だろうとあの場で倒してしまえば、目の前の女は容赦なく斬り捨てるだろう、そして悠々その場を後にして討てるように段取りを組む。その技量と覚悟はゆうにあると見透かしていたノルンは、そのまま相手が向こうが討てると判断したその隙に割り込む形で目の前の彼女を身を呈して守ると同時に阻んだのだから。
尤も、先程から耳だけは入れていた状況判断の甘さや、自分の不覚については色々と想定外だったが。
(いやはや、まこと不覚であった。あの札、先日のソレから更に一段上の効果のモノが使われておるとはな。確実な初見殺し、というか探知殺しよなぁ……義経やモモが反応出来ておらなんだし)
「なにが、九鬼に勤めてみないか、だ。逃がす積りなんか一切無いくせに」
歯ぎしりすら聞こえそうな形相。
女は気付いた。言動からはあくまでも勧誘だが、これは完全に、言外に逃がさないと言っている事を。そうでなければ曲りなりにも強さの壁を超えた三人を瞬く間に沈める事などしない。見逃すと言う選択は無いということの証左だろう。
笑いながらも何処か冷たいモノを感じる表情をそのままに、ノルンは一言「なんだ、今気付いたのか?」と女に呟き、彼女の視界はまるでそれが合図だったかのように暗転し、ドサリと倒れ込むのだった。
死屍累々に(死んではいないが)倒れ伏す4人を一瞥してノルンはひとつ肯く。
「ふむ、まぁこんな所か。桐山」
「ご無事ですか、ノルン様!?」
声に応える様に表れたのは従者部隊の桐山。先程の爆発的、としか表現できない清楚の氣で異変を察地し、状況を把握していたのだろう。
焦燥と心配が窺えるのが見えた。
「見ての通り私は大事あらぬ。それよりも、この者らを拘束、連行せよ。どうなるにせよ沙汰は下さねば、な」
「かしこまりました。それから、こちらをどうぞ」
渡されたのは一枚のハンカチ。清潔感と少しの高級感を感じるソレは水で湿っていた。
ノルンは礼を言って受け取ると首の回りを拭う。べっとりと己の鮮血が纏っていたの見越して渡してくれたものだ。季節的な事も相俟って首筋に感じるひんやりとした冷たさが心地良い。
ふと視線を傾ければ先程まで戦い、或いは呆然としていた義経達三人にも同じ様に濡れたタオルが渡されていた。従者の心配りに感謝しながら、事態の惨状をザッと脳内で大まかにまとめてみて――――溜息を禁じ得ない。無論、内心で、だが。
この瞬間までの流れを簡潔に並べれば暗殺者の襲撃→義経をかばって死亡一歩手前→しかし問題無く復活→暗殺者一蹴→(強制)労働力確保、の流れだ。
しつこいようだが破天荒さに掛けて九鬼以上のものはこの世界には無いだろう、故に諸々の事情を考慮すれば暗殺者達を(強制的に)働かせること自体は手間が掛るが問題はない。壁越えの強さを誇る者は従者部隊にも多々いる。ここは家族に笑い飛ばされるか小言をチクチク不良執事や星の図書館辺りに(かなりねちっこいが)言われる程度なので問題にはしていない。
では何に対して溜息をついているかと言えば
「ううぅ~…………」
身体に張り付いている義経に対してだ。
正確には義経が泣いてしまっている事によって事情説明に少しだけ困ることだろうか。
「あ~、義経? どうか泣きやんではくれまいか? 私はほら、御覧の通りに五体無事だ……」
駄目もとあやしてみるも義経は応えず、咽び泣きながら首を横に振る。
何度目かの溜息を心中で吐く。
「お前、幾ら俺でもそれでは何の慰めにもならないのは分かるぞ、ノルン」
「全くだな」
「呵々、手厳しいな清楚、モモ。や、全く以って正論なのが耳に痛い」
事態の推移を見て問題ないと判断したのか苦言を呈しながらモモと清楚がノルンに近付く。寄って来たモモの手による横からのチョークスリーパーとその状態からボディを突く清楚の拳と言うおまけつきで。
ギブギブ、と唸るノルンと知ったことかと続ける2人。その眼や頬には光る筋が見て取れたが敢えてノルンは追及しなかった。
間近で惨状を見せてしまった2人――厳密には訴える様にも聞こえる義経の泣き声も入れれば3人からの真っ当な反応に針の筵に座るも斯くや。
苦笑で返しながらはてさて、どうやって慰めたものかと思考するもこれと言って名案はパッとは浮かばない。元々こういう対処にノルンは明るくない。如何に規格外の心眼は心内がどういう状態かを正確に伝えてはくれても胸の内の雨雲をどうやって晴らすかは当人次第であるために頭を悩ます。
更に言えば家族や関係者に対する事情説明に関して。これが問題だ。
本来であるならば多少の怪我ぐらいでとする筈が己の不覚でKONOZAMAである。いや、それだけならば多少の怪我をしたという方便で誤魔化しは効く。
だが、義経がここまで泣き続けてはその誤魔化しも通用はしないだろう。喜怒哀楽豊かな義経だが、ここまで悲しみに暮れるのは余程の事があったと誰もが思う。ましてや、今の義経や清楚の制服は返り血で眩しい白は赤に染められ、更に時間と共に酸化してくすみ、より酷い状態になるのは自然だ。
そうすれば何があったのかを当然尋ねられるだろうし、粗間違いなく洗いざらいゲロることになるのは火を見るより明らかだろう。
あれこれと言葉を掛けて見ても効果は無し。そうこうしてる内に遠巻きにいた大和達も安全と判断したのかノルン達の方へとおっとり刀で合流してきた。
「ノールーンーッ!! だいじょーぶなの!? ねぇねぇねぇ!!」
「モチツケワン子、私は大事あらぬ」
いの一番で飛び付いてきたワン子を何とか受け止めてノルンは宥める。即座に後を追う様に駆けつけたのは軒並み腕の立つ武士娘ズ+与一であり、その表情は優れた肉体性能を駆使せずともハッキリ見て取れる同じ表情。原因などは推して知るべしだ。
「大丈夫か3人共――――ってもの凄い血塗れ!?」
「いったい何があったんだよ!? なんか京とかワン子が青ざめてんだが……」
「ふたりだけじゃなくて、他の軒並み武力の高い面々はなんだかノルンが倒れた辺りで血相変えてたんだけど……」
言いつつモロの視線は京の方へと向く。伏せたその顔は前髪が掛って僅かにしか覗けないが、その僅かに見えた色合いは綺麗と言える髪色よりも尚青い。先程の光景を見たが故のものだ。映画などの映像では見慣れているスプラッタも、リアルの、それも友人のものともなれば話は別である。
「ああ、遠すぎて俺には分からなかったがあきらかにただ事じゃなかったぜ? だけどみーんな口閉ざしてんだ。ホント、モモ先輩達の見た目といい、なにがあったんだよ」
「あぁー……うむ、端的に申せば私が凄まじい下手を打った、だけだ」
追い付いてきたキャップ達が投げかけるのは至極当然な問答。対してノルンはらしくなく口籠りながら事実だけを淡々と告げた。告げたのだが、これがいけない。
「ほ ほ う 下手を打っただけと申したか」
「ウッ、ま、待たれよモモ、それ以上は流石に落ちかねんッ」
先程よりも低いトーンになった声が耳をうち、同時に首への圧力が強まるのだった。それはひとつの強がりから発する反応。だが、事情が呑み込めない(比較的)一般人枠の側にとってみればチンプンカンプンで、周りに尋ねてもやはり返ってくるのは濁ったものばかり。
渦中であろう者は首を極められ、直接見ていたであろう者は首を極めていたり、腹を小突いていたり、泣き付いていたり、泣いているのを慰めていたり、顔を青ざめさせており、そして外様な面々はただ事では無かったのは察せても其処から先が分からない為に首を傾げている。おまけに一部は返り血で血塗れ状態と傍から見ればなんだこのカオス状態。
ノルンはじゃれている――実際はさっきの失言で結構マジに決まっている――モモの腕を振りほどき、改めて口を開いた。
ただし、その口調は背後で未だ泣きやまない子を意識してかやや濁ってはいたが。
「まぁ、なんだ、その……今少し掘り下げて言えばだな、うん。――――息が少し止まっておった」
「は?」
「え、息って?」
「文字通り、少しの間心臓の鼓動がな、止まっておったのだよ」
一瞬の静寂――――そして響く怒号。それはこんな感じ→工工エエェェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェエエエ工工だったと思って欲しい。然もありなん。
「え、なに、ドユコト?」
「そのまんまだが?」
「いやいやいや、意味分からないからッ!?」
「む、これでも気を使ってなるべく迂遠な言動を心がけておるのだが、通じなんだか?」
「いや、ちげえよッ、そう言う意味じゃなねえよッ! 分かっていってんだろ! こんな時までボケ倒さなくてええんじゃワレ!! つーかおもっきし剛速球だったよ!」
「の、割にはよく打ち返すではないか」
「好きでツッコミ役に回ってる訳じゃないんだがッ……」
「だが、ひとつだけ言わせてほしい」
「?」
「―――――それはモロの役割だ」
「だからツッコミだけが僕の存在意義じゃないから!!」
なんてことだろう、瞬く間にノルンと大和とモロの手でグダグダになってしまった。具体的に言うなら大和を利用してなんとか空気を弛緩させたいノルンの手際である。
この空間を作ってしまった原因であると自覚している彼はなんとか元に、とは行かずとも最低限もう少し事の顛末を話す分に気を軽くしておいた方がいいという彼なりの配慮だった。
だが、ノルンと言う人物はこう見えて人の心の機微には敏くても、その対処には生来、正反対に鈍い。普段から清楚達などからズルイ、イヂワルなんて言われる彼の言動は実のところ狙ってやっているわけではない。しいて言うならば癖の様なもの。
今迄の彼の人生経験上、大凡にして悪し方にしか傾かなかったのは、まあ語るまでもないだろう。往々にして心情を見透かす言葉が受け入れ難いのは今更だ。
そして、この場に於いてもそれは例外では無かった。
「――――オイ……」
その一言はまさに静寂を強いる一撃。
思わずその場にいる誰もが固まる程の声は、与一と言う青年に多大なダメージを与え、ヴァイブレーション装置が誤作動したのかと言うくらいにいっそ哀れな程震えている。
与一の様子からして声の持ち主が誰かなど言わずもがな。主を慰めていた彼女の据わりきったツンドラどころではない視線と言葉。
「――――それ以上戯れるなら、ブッ血KILL☆YO?」
なにを、なんて聞くに愚か。
「「スミマセンデシタ……」」
貫く冷たさに平伏するのは実に自然なことだ。異論は認めない。
改めて、ことの流れを口頭で説明する。聞くには大分アレで、アレ過ぎる内容は事態を把握できていなかった者は話を聞くたびに顔が歪み、うへぇ、と顔が如実に言葉を語る程だ。
簡略化しなくても御世辞には長くとは言えず、在り来たりに言って短い話ではあったにも関わらず、聞いていた人間にどっと疲労が圧し掛かった。
見ていた者も聞いていた者も、誰もが話し終えると溜息を吐く。
「なんていうか、モモ先輩とは別に無敵キャラだよね、ノルンって」
「や、こと回復にかけて
「こっちの台詞だそれは。お前みたいに死んでも意識繋いで食いしばれ――――るなぁ」
半ば戯れる積りで言ったのに、この武神さんはあろうことか本気の声音で肯定してきた。そしてノルンに到っては言われた後、行動不能になるどころか風穴空いた胸のまま敵を殴りつけ、そして彼女の言葉で即座に殴り飛ばしながら胸の穴が瞬く間に塞がるモモの姿を幻視する辺り、ふたりの腐れ縁具合が窺えるというものである。聞いていた方の殆どは頭を抱えていた。
無論、例外もおり、己を風と譬える自由な少年は笑いながら漫画のボスキャラみたいだな、なんていったりしている。実に的を得た言葉と思う。
「立てたフラグを即回収したのかと思いきや、旗を粉々に砕くとかパネェよなーこのBOY」
「この状況でもブレぬ其方も大概と思うが」
「すげぇブーメランだけどな、ソレ」
ぼそりと吐かれた与一のツッコミに聞こえないフリ。全くもっていい根性している。
「ぐす、よかっ、た……ホン、とうに、スン、良かった……」
涙声にグズり、背に身を寄せ顔を押し付ける義経に視線を向けてノルンは彼女の忠臣と共にただ背中を撫で続けた。しかし、幾ら慰めんとしても無しの礫。
当然だ。彼女にとって先程の光景は其れほどまでに衝撃的だったのだ。
心根の純粋で掛け値なしに優しいが故に、涙するは自然なこと。彼女に身を貸すノルンもそれは想像通りだ。
ただひとつ、誤算があるとすれば一向に彼女が泣きやむ気配を見せないという事だけ。彼の眼から見ても当分このまんまだという目測である。溢れる涙は他の人の分まで流しているのか、最早誰も泣くに泣けない。
件の元凶が一度死んだというのに何時も通りに振舞い過ぎなのが原因の気もするが。
漸く、というのも変だが徐に頭を上げた義経。その姿に誰もが目を見張る。というか見張らずを得ない。
だって、端整で可愛いその顔は涙とか鼻水以前に、真っ赤なんだもの。
「義経、顔を拭いておらなんだかっ?」
「ぐしゅ、……?」
「(涙目で)小首を傾げる姿は可愛い――――んだけど、義経、義経、顔が大変な事に!」
「何やってんだか……」
「なんか、何時も通りだね……字面だけみれば、だけど」
メタ発言はご遠慮願いたい。
「失礼します。準備が整いましたノルン様。こちらは任せてお早く」
涼やかな声と共に再び現れる鯉。優雅な所作で手を向けた先には商店街の外側で大きめの高級感あふれる車が一台。
それは送迎の為の車だ。これだけの事態、早々に鎮圧できたとはいえ暗殺者が街中で九鬼本家の一族と九鬼に於いてもVIPに当たる武士道プラン組を狙ってきたとなっては流石にこのまま遊ぶというのは、常識的に有り得ない。場の空気的にも。
「何やらヤリ逃げの如き振る舞いで後ろ髪引かれるが、我等はここで一度お暇させてもらおう」
「あー……まぁ、偶に忘れそうになるけどノルンも
「うむ、そういう訳だ」
すかさず場の状況と空気を察してか、軍師の合いの手にはフォローが混じっていた。周りはそれを聞いて、或いは先程の状況に呑まれて特に語る事無く見送るの許す。
義経達を連れ添い、去りゆくノルン達の背を無言で見送るのだった。
そうして去るのかと思いきや、徐に足を止め、振り返るノルン。
「まゆっち。今日の試合なかなかどうして愉快なひと時だったぞ、ありがとう」
「え、あ、い、いえいえいえいえ! こ、こちらこそとても勉強になりましたっ!」
「あぁ、正直凄過ぎてよく分かんねえっていう勉強がな。ってか、黛流剣術の到達点を連発とかパネェよな」
(分からぬと言いながら何をされたか把握しておる、というツッコミは無粋、か?)
「松風、めッ、ですよ! よろしければまたお相手をお願いできますか?」
「うむ、構わぬよ。では、今度こそお暇する」
お馴染な光景も最早ご愛嬌。呵々と、薄く笑い――字面でのツッコミは受け付けない――ながら今度こそ車へと向かう。先に武士道プラン組を車に乗せて、最後に乗ったノルンの姿はやはり常と変らない。うん、やはり何処か可笑しい筈なのに、何が可笑しいと言えない、言ってしまうのは無性に憚れた。
窓際に座ったノルンが友等に笑顔で手を振る姿が無性に大和達(約二名除く)に疲労を湧かせて、溜息を零す。
やがて、車は程なく静かに去っていく。その姿を見て再度零れ落ちる溜息と両の肩。
「いやー、分かっちゃいたが改めて眼にするとノルンのチートっぷりは見ていて清々しいぜ! 今度一緒に冒険行かねえかな?」
「……ああ、うん、とてもキャップらしいよね」
「自分はドッと疲れたぞ……」
「あたしもよ……」
「俺様も同感だぜ……」
「姉さんのチートっぷりと同じで突っ込んじゃ駄目なんだよきっと」
「失礼だぞーお前たち。というか、アイツのデタラメ具合なんてこの私が一度も勝てないって段階で分かりきったことだろう」
「そう、なんだよね……雰囲気が全然強くない、というか普通すぎて忘れちゃうけどさ」
モモの指摘はファミリー達に更なる疲労を齎し、そして最後はこれ以上考えても無駄だと思考を破棄してその場で解散したのだった。明日からまた学校が始まるのだから。だからこの疲労感を明日へと残さない為にも早く休もう。元気なモモとキャップを除いた全員の意見だ。
結局のところ、そこからは何事もなく大扇島は九鬼極東本部に戻って来た。
尤も、車中の空気。戻ってからの5人の状態は何時も通りとはいかない。ノルンはあの手この手と縋りついて離れない義経を宥めるも駄目だ。余程さっきの光景が焼き付いて離れないのか一先ず着替えんと一時解散すら受け付けず、困った。
臣下の2人は元より清楚もノルンも説得しても暖簾に腕押し。しまいには泣きが深くなる始末。なれば、と代案として目隠しをして義経の部屋の中で彼女の着替えを行う事になった。監視として弁慶が付き添い、目隠しした思春期の青少年の横でうら若き乙女が横で着替えるというギャグにしか思えない状況。なんじゃそらと与一がツッコミを入れ、そして義経をからかい交じりに言うものだから弁慶に沈められるのはお約束。
閑話休題。
それからノルンは概要の報告を終える。義経はカルガモの子の如くノルンから引っ付いて離れず、周りを盛大に訝しめたが、これも余談の部類か。
着替え終わる頃には漸くに泣き止んではいたので特に驚かれはしないモノの、カルガモ化していた、というか現在進行形で。食事の最中もノルンが作っている間も着替えた部屋着用の藍色に桜吹雪の刺繍がされた着流しの端を掴んで離さない。料理が出来上がって、いざ卓へと着いても側を離れない。唐突に席を離れようとすると怯える様に後を追おうとするなど、若干の幼児退行気味だ。
心配そうな清楚に対して付きまとわれている、事の元凶は「一時的なものだ。今夜一杯側におれば朝には元に戻ろうさ」なんて笑っていっている。原因の一端なのにこの軽さ、殴りたい。by清楚(覇王)。
あまりの空気の微妙さに食事の味すら曖昧になりかねない。折角の作ったノルンの渾身の一品オムライスも台無しだ。然もありなん。
無言と言う訳ではないが口数は極端に少なく、粛々と食べ終えてからの一服。弁慶は変わらず予め持ってきておいた。川神水を取り出し、主と同じくべったりとノルンに凭れると黙ってビンを渡し、酌をさせる何時もの光景。義経は2人が晩酌を始めてから幾ばくも経たない内に何時の間にか寝てしまい2人の膝もとで丸まっている。手元は常にノルンの裾を掴んでいる辺り、いや言わずもがなか。
眠る彼女を肴にして早くもアッパーな臣下。もうひとりの方は食べ終えたら早々に逃げ出した。空気に耐えきれなかったのだろう。チキンと今回は言ってはいけない。
源氏組とそれに付き合っているノルンを隣に、清楚は昼間の事に思いを馳せていた。
それは思い出したくもない光景。
――――噴き出し飛び散る紅い水。
しかし、この眼に、この心に焼き付いて離れない。
――――不規則に跳ね、冷たくなっていく身体。
あぁ、そして何よりも心を穿ち貫く言葉。
――――失うのが嫌なら、奪われたのが憎いなら始めから奪われない様に努力をすべきだった。
「ッ!――――」
帰って来てから絶えず頭の中で反芻されるソレに、思わず手に力が入り盃が軽い悲鳴を上げる。実際は苦し紛れに漏れた戯言に等しい一言。しかし、清楚には、いや厳密にはノルンの側にいた全員を貫いた言葉。
分かっている。分かっているつもりだった。彼女が以前ノルンに佐々木について聞いた時に語った彼の言葉は、死を恐れながらその己の死すら人生のひとつと言わんばかりに何処か楽し気に語っていたのだから。だから、どれだけ強かろうとノルンは弁えている。絶対はないのだと。
でも、駄目だ。あれは嫌だ、認めない。あんな結果を味わうなんて御免被る。いや、生きてるけども、元凶は常と変わらずの振る舞いだけども。殴りたい、この笑顔。閑話休題。
反芻される暗殺者の言葉に、どうする、と絶えず繰り返す疑問。元々、読書の方が好きな清楚にとって武術の鍛錬はそれこそ2日か3日にやっているレベル。才能もあってその他の人間よりは成長が段違いと自負していても、それでも後輩の義経やノルンの様に毎日では無い。故に其処に差が生まれてしまっている。
清楚が現在進行形で悩んでいるのはまさしく其処だ。奪われない様に努力すべき。分かっている。だが、幾らなんでも今直ぐどうこうできる程現実は甘くない。アドバイスを求めるべきか、いやしかし義経の先程の振る舞いからして話題に出すのは憚られる。
(うー……どうしよう?)
思考が堂々巡りなっているのは彼女も自覚しているが、だからといって案が浮かぶ訳でも無い。というか即効性と成長性に長けた方法があるなら苦労しないというもの。
盃の中の液体を飲み干す。あまり味は感じない。
「おかわりは?」
「え、あ、うん。えっと、貰うよ」
「うむ。どうぞ」
「ング、ング、ぷはぁー……こっちもお代りーッ」
「弁慶はそろそろ控えた方がよいと思うがな? まぁ、望むなら是非もあらぬが」
「そうですよー、ベン・ケーは川神水を御所望なのですっととと、アブナイ、アブナイ」
既に出来上がってしまっている故に、手元が狂って落としそうになった盃は彼女自身のファインプレーで事なきを得た。
相変わらず良く飲むなぁ、と苦笑いの清楚。いつもと変わらない光景。でも、やっぱりどこか可笑しい光景。義経は言うに及ばないが弁慶も平常運転に見えて、やはり何処か違う。具体的にはノルンに何時も以上に擦り寄り過ぎに清楚は見えた。
確かによく膝枕を堪能したりする彼女だが、今みたいに彼の身体に垂れ掛ったまま、というのもよくあるが、甘え寄る猫の如く、身体をスリスリしているのは珍しい。まるで彼の身体の温もりを確かめる様に。
結局のところはそういうことなのだろう。どれだけ繕おうとも衝撃的過ぎる事だったのだから。
注がれた盃の中身を今度は舐める様にして飲みながら再び物思いにふける清楚。どうしたら力を伸ばせるか。悩みに悩んではいるものの、実のところひとつだけ案が挙がっている。それは普段ノルン、義経、弁慶、与一が持っているもの。人が肉体以外で自らの武力を示し、そして圧する器。人間の文明のと武力の象徴
武器である。
自他問わず、彼女の武術に於ける才覚は眼を見張るものがある。それは鍛錬に付き合っているノルンが常々口にすることだ。一応覇王状態の時も自負している。
武器を扱うにしても、戯れに使ってみればどんな武器でも一通り使いこなせてみせたことは自分でも驚いたが。後から聞けばマープルの手で施された睡眠学習の成果とかなんとかとノルンが星の図書館から聞いたそうな。
睡眠学習ひとつでここまで学べるのか、そう呟いた時の彼の微妙な表情は忘れない。
だが、ここで問題が再び生じる。それは携行性、即ち持ち運びに難があるというものだ。強力な武器を肌身離さず持つ。そのあまりにも日常にそぐわない状態は大変よろしくない。故に、また思考はループする。
「なんぞ、ぐるぐる同じ事で悩んでおるようだな清楚」
「ふえっ!?」
再び堂々巡りを始めたところで狙い澄ました声に思わず驚いて声の主に眼を向ける。隣にいた弁慶は何時の間にか主と同じく横で丸くなりながら夢の世界へ旅立っている。どうやら気付かない内にかなり時間が経ってしまったようだ。
彼の言葉の狙い澄ましたような、ではなく狙い澄ました一撃はもしかしなくても彼女の内心を見抜いてのものだ。
直ぐにそれが分かって、清楚も相変わらずズルいなぁ、とちょっとムッともしたが同時に自分に対する理解の証でもあるので嬉しさもあった。ここで拗ねると更に微笑ましく見られるので言わないが。
気を取り直して清楚は悩みをぽつり、ぽつりと打ち明けていく。
「正直な所ね、怖かった、よ。ノルン君が真っ赤になりながら倒れる姿を見た時は」
「うむ……」
「とっても怖くて、悲しくて、奪ったあの人たちがとても憎らしかった。でもね……」
「ん?」
「それ以上に憎らしい筈の人達に言われた事が、亡くすのが嫌なら努力をしないといけないって言われたのが悔しかった。うん、もの凄く悔しかったよ」
真剣に語る清楚にそうか、と静かに真っ直ぐ返したノルン。彼はまだ何も語らない。
「だからね、思ったんだ。今のままじゃ駄目なんだって。少なくても今より強くないといけない。自分の大切なものを守りたいなら、守るための努力を惜しんではいけないって。それでね、帰って来てから考えたんだ。今直ぐ鍛錬したって強くなれる訳じゃない。あ、勿論鍛錬とかは頑張るよ? でも、今直ぐに得られるものじゃないでしょ? だからね、その足りない部分を補える強い武器が欲しいんだ……出来れば普段から持ち運びとかし易い奴が」
何事も一朝一夕にはいかない。でも力は欲しい。彼女自身、それを理解しているし、これ自体頭の悪い選択だというのも理解はしている。だが、その思いを止められない。使いこなす為の時間も結局のところいるのだから然程変わらないのかもしれない。でも、その時に今以上の力が出せるモノが、例え扱いきれなくてもあるという事は選択肢がそれだけで増えるというものだ。
清楚の仄かに頭の悪い話を一笑することなく真剣な眼差しで耳を傾けていたノルンは彼女が語り終えると瞑目。数瞬訪れる沈黙。
「……宛てはあるのか?」
「一応、マープルに頼もうとは思ってるんだけど……」
「ふむ……」
そもそもからしてそんな都合のいいものがあるのか。有ったとしてそれを彼女が清楚に持たせるのか。疑問は尽きないし、駄目だった場合眼もあてられない。
「具体的な案はあるのか?」
「うんうん、恥ずかしいけど全然。最悪、九鬼の力で作って貰えないかなって考えちゃってる始末だよ。自分勝手だけどね……」
零した苦笑は自己嫌悪の表れ。覇王の側面が出てない彼女らしい。
先程と同じ様に横にいるノルンは瞑目し、数瞬の内に眼を開く。真っ直ぐに清楚の方を見つめ、そして徐にこう口にした。
――――その案、私に委ねてはみぬか、と。
後日、この時の事を振りかえって清楚は「幾らなんでもやり過ぎちゃった、かな……?」と情緒不安定な状態と深夜+川神水のテンションで大事なことを決めるのは止めようと誓った。
いや、もう本当に大概にしろよと憤慨している方々、返す言葉もありません。
それでも更新キタ――――! と喜んで頂いている方々、お待たせしました。
半年ぶりではございますがここに何とか更新と相成りました。
原因としては単純明快でスランプ。そしてブランクです。プロットから外れているわけでもないのになんでこんなに掛かったのか、そしてここまで長くなったのか作者自身意味不明……。
スランプが原因なんでしょうね、これも。まだ抜けてませんけど……。つ、次はもうちょっと早く更新したい……。文章ももっとテンポよくしたい……。
年内更新はこれで最後と思われます。
みなさん、来年も良いお年しを。そして願わくば我が拙作に今後ともお付き合いください。
エターだけはありません。絶対に。