アサマは、自分の部屋に籠り、欝々としながら膝を抱えていた。
先の戦が終わって少し経つが、アサマは最低限の用事以外は部屋に籠っていた。父も、兄も、放っておいてくれていた。
それをありがたいと思うと同時に、どうしても心はどんどん重くなっていく。
ミヨリの件は、戦に出ていた者たちの間で内々に処理されることとなった。幸いというべきなのか、戦に出ていた一族の中にはミヨリの身内はおらず、表立ってアサマを非難するものはいなかった。
いや、どちらかというと皆はアサマに対して同情的な目をしていた。初陣で功を焦り、先走る人間はなかなかに多い。そして、それによって命を落とすことも珍しくないのだ。
兄に庇われたと言えども、相手は皆も知る通り柱間だ。大人たちは、口々にアサマを幸運だったと言っていた。
けれど、皆の目が非難でなく、同情であったからこそ、アサマの心は余計に沈んでいく。
(・・・・冷たくて、重かった。)
兄が連れ帰ってくれたミヨリの遺体を、アサマの手にしっかりと刻まれていた。
その冷たさが、その重さが、ミヨリの手に張り付いて離れない。
ヒヨリに渡された、その体にアサマはいつの間にか泣いていた。まるで雪のように冷たく、石のように重いそれからは命を感じることはない。
死んでしまったのだと、自分の行いが、彼の命を奪ってしまったのだと、まざまざとアサマにミヨリの死を刻み込む。
それに、タジマは静かな声で咎めた。
その程度で泣いていては、忍としてなどやっていけないと。
その言葉に、アサマは膨多の涙と共にタジマを見上げた。己を見る父は、いつもの穏やかな目ではなく、静かで冷たい目をしてアサマを見ていた。きっと、あの時の父は、父ではなく頭領としてアサマを見ていたのだろう。
「・・・・アサマ、今回、初陣であるお前は、他の補助をするようにと言っていたはずですが?」
「・・・・はい、功を焦りました。」
「お前には失望しました。戦場を知らぬお前のその傲慢さにより、友を失う結果に繋がりました。」
タジマはそう言って、アサマに、彼自身をなした結果を突き付ける。
アサマは茫然としながら、タジマの言葉を聞いていた。彼は、その光景にため息を吐いた。
「お前は少しの間謹慎を命じます。頭を冷やしなさい。」
アサマにそれだけを告げると、一族の皆に撤退の意を伝え始める。そして、皆が撤退の準備を進める中、アサマはミヨリの遺体に縋ったまま涙を流し続けていた。
それに、タジマに何とも言えない顔をして、一言だけ付け加える。
「・・・・泣いていても、何も変わりませんよ。」
その言葉に、頭の奥が冷えていくような気がした。見上げたタジマは、ため息を吐きながら、首を振っていた。
皆は、拠点にしていた場所の片付けや負傷者の手当てのためにアサマの居た場所から離れていく。
後ろ姿を見送り、辺りには人の気配は亡くなる。涙はいつのまにか収まっていた。
「アサマ。」
今まで黙り込んでいたヒヨリがアサマの横に立つ。
「・・・・ミヨリのこと、連れて帰ってやろうな。」
ヒヨリはそう言って、腰の物入れから大きな布を取り出した。そして、それでミヨリの遺体を包んでいく。それは、戦場から遺体を持ち帰る時のための布だ。
アサマは、兄になんと言えばいいのか分からず、それを手伝っていく。
そうしていると、ヒヨリは少しだけ硬くなりかけたミヨリの頬を撫で、そしてぽつりと呟いた。
「俺よりも、後に生まれて、先にいっちまうんだな。」
その言葉に、兄が自分を責めているようにさえ感じた。
「・・・・兄ちゃん。」
「アサマ、俺の言った事、聞いてなかったのか?」
その声に、怒りはなく、込められているのは悲哀だけだった。それが分かるからこそ、アサマの胸には重く罪悪感だけがのしかかる。
「・・・・きいて、た。」
掠れた声に、ヒヨリは返事をせず無言でミヨリの体を布で包み終わる。布を掴んでいたヒヨリの手が強張った。そして、震える声でアサマに聞く。
「なら、どうして、あんなことをしたんだ?」
ヒヨリの台詞に、アサマは胸に蓄積されたありとあらゆる感情を爆発させて叫んだ。
「だって!俺、兄ちゃんに認めてほしくて!」
ヒヨリは、その言葉に驚いたのか、目を見開き茫然とアサマの顔を凝視していた。
アサマは立ち上がり、ヒヨリに訴えかける様に叫び続ける。
「父さんもおじさんたちも、兄ちゃんみたいになれっていつも言ってた!兄ちゃんみたいに、一族の誇りになるような奴になれって!だから、初陣で手柄を取れれば、みんな褒めてくれるって思って。なによりも、兄ちゃんだって褒めてくれただろ?」
アサマは目の前にいたヒヨリの服を掴み、まくし立てる様に言葉を続ける。
「千手の長男は強かった、俺には勝てない。それで、ミヨリだって、死んだ。でも、今度は、ちゃんとやるから。だから、今度こそ、上手くやったら、俺の事認めてくれるよな?兄ちゃんの弟として、うちはの子として、認めてくれるよな?」
ミヨリのことを赦されようだとか、肯定してもらおうだとか、そんなことは考えていなかった。
ただ、知っていてほしかった、もう一度だけでもいいからチャンスが欲しかった。
アサマは、ただ、一族の皆に期待されたような存在になりたかった。頭領の子として、天才と誉れ高い兄の弟として、一族の皆から認められるような者でありたかった。
アサマは、父がする戦場でのことを多くは語らぬ兄の話が好きだった。その話の中の通りの兄と肩を並べられるような存在になることが、戦場に出る上でのアサマの拙い夢だった。
必死に言い募るアサマを見て、ヒヨリの目は暗く、淀んでいった。
「だから・・・・・!」
「アサマ!」
ヒヨリはアサマの肩を掴み揺さぶる様に、彼の体を揺すった。
「そんなことのために、お前はあんな危険なことをしたのか・・・・!?」
一瞬、兄が何を言っているのか分からなかった。
そんなことなど気づいていないのか、ヒヨリは暗く淀んだ瞳でアサマは見つめる。
「一族の誇りも、大人の期待も、いったいなんの価値があるんだ・・・・!?」
「兄ちゃんは、何の価値も無いっていうのかよ?」
アサマはヒヨリの言葉に驚きながらも、兄の淀んでいく瞳に恐怖した。強張る体に、ヒヨリは無意識に指をきつく食い込ませた。
「死んだら終わりだろう!」
漏れ出た声がけして大きなものでなかったが、アサマの耳にまざまざと刻み込まれるような迫力のあるものだった。
「大人に期待されて、その期待で大人になれずに死んでどうするんだよ?一族の誇りが、いったい何をもたらしてくれるんだよ?あんなの、死んだ人間たちや自分が死ぬとき、納得するための言い訳でしかないだろう!?」
「そんなこと!」
「それ以外のなにがある!?そうやって、子どもに言い聞かせて。それで、お前が死んで。一族のために犬死にするようなもんだろう!?それに意味なんてあるのか!?」
アサマの激昂に、ヒヨリは沈み切ったように彼の体から手を離し地面に膝をついた。
そして、兄にしては震えているのだろうか、怯えたような動作でミヨリの遺体の上に手を置いた。
震えた声が、ぽつりと吐き出された。
「・・・・・お前が、こうならなくてよかった。」
「え?」
項垂れたことで、ヒヨリの顔は見えなかった。それでも、その、ヒヨリにしては珍しく弱々しい様子にアサマはどうすればいいのか分からなかった。
「アサマ、頼むから、自分のために生きてくれ。お前が、死んだら、俺は、生きていけねんだよ。」
静まり返った中で、ヒヨリの声が響いた。
それに、アサマは、自分の生きる意味を否定された気がした。けれど、それと同時に、自分の全てを肯定された気がした。
あれから、集落に帰ったのち、タジマはしばらくの間とアサマに自室での謹慎が命じた。アサマ自身も、集落に帰った所で何をすればいいのか分からなかった。
必要最低限、鍛練のために外に出ることは赦されたため、それ以外は食事でさえも自室に籠っていた。
アサマは、自分がどうすればいいのか分からなかった。
戦場で、兄を支えることが彼に求められた役割だった。兄という存在を生かすためならば、自分が死んでもいいとさえ思っていた。
アサマはそれに何の疑問も持っていなかった。父に、ホノリやマダラと共に言い聞かされたそれは、ある種神からの天啓に等しかったと言っていい。
けれど、そんな言葉は兄によって否定されてしまった。
自分のために生きているつもりだった。けれど、そんなものは、無意味であるかのように、兄は言う。
泣いたままでは、前に進めない。けれど、否定された己の存在価値により、アサマはまるで溺れるような息苦しさを覚えていた。
そして、何よりも、手に残った冷たさと重さが、アサマに夢を見せる。
幾度も、幾度も、何もできずに見送ったヒヨリの死んだ情景だけを夢に見る。
ミヨリは無言で死に、物言わぬ死体としてしか登場しない。
そこに慰めも無ければ、罵倒も無い。アサマの中の、後悔と罪悪感を刺激するだけだった。
(・・・・俺が死んでしまえばよかった。)
喉の奥に溜まるような熱と、手足の先が冷えていく様な感覚を覚える。
そして、ミヨリへの後悔の次にやって来るのは、千手の長男の顔だ。
(・・・・・殺してやる。)
その言葉だけが、自分の中に反復する。
幾度も、幾度も、その言葉だけがアサマの中にある。
それには熱はなかった。ただ、凍える様な、考えれば考えるほどに意識は冴えわたっていく
アサマは自分の顔を覆った。
(・・・・・殺してやる。)
絶対に勝てはしなくても、勝ち目なんて無くても、兄でさえ勝てなくても。それでも、いつか、隙をついてでも、あの少年を殺さなくてはいけない。
(絶対に、どんな手段を使っても、殺してやる。)
何をしても、どんなことをしても、いつか、強くなって、あいつを殺す。
殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる
汚泥のような思いが降り積もっていく。赤く澄んだ感情が、混ざりに混ざって、アサマの感情を濁していく。
ミヨリ、ミヨリ、敵を取るから。絶対に、敵を取るから。
アサマは、ミヨリの顔を思い浮かべる。
弟に似て、けれど弟よりも気弱な、アサマのことを気にかけてくれていた、大事な友人。
自分が殺した。自分が殺して、自分で奪った。
それで、報うことが出来るとアサマは確かに信じたのだ。それしか、アサマには残されていなかった。
「・・・・アサマ、少しいいか?」
突然、部屋の外から聞こえて来た兄の声に、アサマはびくりと体を震わせた。
兄が自分に会いに来たことに関してアサマが動揺しながら、襖の方に目を向けた。会いたいような、会いたくないような、どちらとも言えない気分になる。
けれど、断ることも出来ないと返事をした。
「・・・・・・・どうぞ。」
それに襖を開けて、ヒヨリが部屋へと入って来る。
部屋の真ん中にいたアサマに、ヒヨリは無言で目の前に座った。
「・・・・久しぶりだな。」
「・・・・うん。」
掠れた声で返事をすると、ヒヨリは思っていた以上に、柔らかな微笑みをアサマに向けた。
アサマは、落ち着かずにそわそわと体を動かした。
「アサマ、ずっと会いに来なくてすまないな。」
「そんなことねえよ、今回は、俺が悪かったから。」
そう言いはしても、互いの、というかアサマが一方的に感じている気まずさに、沈黙が部屋を支配した。
ヒヨリは、少しの間黙り込んだ後に、口を開いた。
「アサマ、千手の長男を、殺してやろうだなんて思っていないか?」
それに、アサマの肩が震えた。それに、図星であると悟って、ヒヨリは目を細めた。
「アサマ、何回も言ったはずだ、死に急ぐようなこと・・・・」
「なら、兄ちゃんは、俺にどうしろっていうんだよ!?」
アサマは、ヒヨリから遠ざかる様に立ち上がり、後退った。
「俺、もう戦にだって出てるんだ!なら、復讐ぐらい考えたっていいだろう!?確かに、俺は弱い!でも、鍛練をすれば、隙を付くぐらいのことは出来るかもしれない!」
アサマは何かを振り払うように、自分の右手を縦に振った。
「ミヨリの敵を取ることだって、俺は願っちゃだめなのか?そんなこともしてもらえない、ミヨリはいったいどうなるんだよ!?」
ギラギラと輝くアサマに、ヒヨリは落ち着き払った態度で向かい合った。そして、遠のいたアサマにヒヨリは手招きをした。
それに、何故かアサマはそれに逆らいたいという欲求が生まれる。けれど、それ以上に彼に培われた常識である兄に逆らわないという感覚がそれを阻んだ。
兄に導かれるように、アサマはヒヨリの指定した位置、それこそ膝と膝をすり合わせるほど近くに座った。まじかで見たヒヨリは、薄く、けれどアサマが近寄りがたいと思ってしまうほどに美しい笑みを浮かべていた。
「なあ、アサマ、俺が写輪眼を開眼したときの事、知ってるか?」
「兄ちゃんが、開眼したとき?ごめん、俺、まだ赤ん坊だったから知らない。」
「・・・そうか、そうだな。それぐらいだったな。それじゃあ、アサマ、少しだけ、兄ちゃんの話、聞いてくれるか?」
それを拒否する理由も無く、アサマは頷く。それに、ヒヨリは同じように頷いた。
「あのな、兄ちゃんな、この家の人じゃないけど、違う家系の人だったけど。兄ちゃんみたいに思ってた人がいたんだ。」
「・・・・兄ちゃんじゃないのに?」
「うーん、そうだな。血縁的には、けっこう遠い人だったよ。でも、俺のことよく構ってくれてなあ。俺は大好きだったよ。」
それにアサマは首を傾げる。兄は確かに、一族の中では顔が広く、年齢を問わずに仲の良い人間は多い。けれど、兄のようなどと扱っているような存在はいないはずだ。
「兄ちゃんぐらいすごい人?」
「まっさか!・・・・落ちこぼれ中の落ちこぼれだった。写輪眼を開眼するのは早い方だったらしいけど、忍術も、体術も、ドベ中のドベで。正直、十五まで生き残ってたのが奇跡みたいな人だったなあ。」
「そんな人、いたっけ?」
「死んだからな、さっき言った通り、十五の時に。」
あっさりと告げられた答えに、アサマは目を見開いた。ヒヨリは、そんな反応は予想済みだったのか、淡々と続きを語りだす。
「死ぬ少し前に、千手の人間に弟を殺されてな。当たり前のように復讐誓って、当たり前のように殺し合って。相討ちで、死んで。俺は、その時戦には出てなかったが。よく、覚えてるよ。ひどく、満足そうな死に顔だった。」
言葉を失ったアサマに、ヒヨリは薄く微笑んで続ける。
「・・・・・なあ、アサマ。お前も、そうなのか?」
アサマは、まるで何かの糸に絡み付けれた様に上手く動けない。兄は、ひどく、柔らかくて、優しい声で囁きかける。
「アサマも、兄ちゃんを置いていくのか?」
その言葉だけは、震えていた。微笑んだ笑みが、少しだけ引きつって、悲しそうな事が分かってしまった。
その台詞だけが、まるで沁み込むように頭の奥に留まり続ける。固まったアサマに、ヒヨリは続ける。
「・・・・・お前も知っての通り、俺は、千手の長男に勝てなかった。そんで、さっき俺はマダラと組み手をして負けた。」
「え?」
兄が姉に負けたという部分に関しては、固まっていたアサマも反応した。
「兄ちゃんが、姉ちゃんに?」
「・・・・ああ。体術だけだったけどな。でも、負けた。大人たちは、マダラを戦場に出そうって考えてる。」
「でも、女は戦に出ないはずだろう!?」
「マダラを千手の長男にぶつけようって考えてる。おそらく、掟を捻じ曲げることになるだろう。なあ、アサマ、頼みがあるんだ。頼むから、生きてくれ。生きて、強くなって、マダラのことを守ってくれ。」
兄からの頼み、という単語は自尊心と言えるものがズタボロになっていたアサマには、まさしく涎が出て来そうなほど魅力的なものだった。
それを、知ってか知らずか、ヒヨリは更に畳みかける。
「おそらく、戦場で一番長く生き残るのは、マダラだろう。だから、アサマ、頼む。少しでも、マダラの味方が欲しいんだ。何が何でも生き残って、マダラの味方になってやってくれ。」
頼む、お前やホノリぐらいしか、頼れないんだ。
ヒヨリは、アサマに縋る様に手を添え、体を縮ませて頼み込んだ。その動作は、アサマの自尊心を擽った。
それと同時に、アサマの脳裏には、小煩くて、それでもいつだって自分の世話を焼く姉のことが思い浮かんだ。
年が上であると言っても、アサマにとって女であるマダラは守るべき存在であった。
いつか、大きくなれば、どこかの家に嫁に行くはずだった。それを寂しく思いながら、仕方ないとも思って、誰なんだろうと気になって。
優しい姉だ。いつだって、自分のことを案じてくれる人だ。
なのに、そんな彼女を戦場に引っ張り出してしまう、己の弱さを改めて自覚した。
「アサマ、だから、頼む。一族の為じゃなく、ミヨリのためじゃなく、きょうだいのために生きてくれ。生き足掻いてくれ。俺だけじゃ、マダラたちを守れないんだ。お前の力が必要なんだ。」
切なる声で、兄はアサマに告げる。その顔が、泣きそうなほどに情けなく歪んでいるのが分かってしまった。
だから、アサマは、分かってしまった。今まで、必死に目を逸らしてきた、事実を、分かってしまった。
全部、全部、自分が悪いのだと。
千手の長男に向けていた憎しみで目を逸らしていたそれは、ヒヨリの言葉によって全て引きはがされてしまう。
己が弱いから、姉は戦に行く。己の浅はかな自尊心で友を失った。己の安易な復讐心で兄は悲しんでいる。
自分は弱い。
アサマは、心の中で幾度も反芻する。
肉体も、心も、自分は弱い。
そして、アサマは兄を見上げて頷いた。
「・・・・兄ちゃん、俺は、何があっても姉ちゃんの味方でいるからさ。弟たちのために、生きるから。だから、大丈夫だ。」
そんな弱い自分でも、兄は必要としてくれる。生きて欲しいと、弱い己を認めてくれる。
そして、ホノリやイズナは、そんな自分よりも弱いのだ。守ってやらなくてはいけないのだ。
兄ちゃん、兄ちゃん、兄ちゃん。
こんな俺でも、兄ちゃんは必要としてくれる。
ヒヨリの顔が安堵に染まる。
それに、アサマは、心の中で、また幾度も呟いた。
ごめんなさい。
そう、何度も呟いた。
ミヨリ、庇われてしまってごめんなさい。ミヨリ、殺してしまってごめんなさい。ミヨリ、俺の代わりに死んでしまってごめんなさい。ミヨリ、お前の復讐をしてやれなくてごめんなさい。ミヨリ、お前に助けられてしまうほど弱くてごめんなさい。
ミヨリ、ミヨリ、ごめんなさい。お前に生かされた命を、お前のために使ってやれなくて、ごめんなさい。
それに、アサマの目から、涙がいつの間にか零れ始める。ぼたぼたと、ぼたぼたと。
内に溜まった汚泥は降り積もったまま、己の弱さへの嘆きはそのままに。ただ、喉の奥に溜まった熱は、それによって流れ去っていく。
涙で歪んだ視界の中で、兄の顔が何故か引きつった。
そして、次の瞬間に、何故か兄はアサマを強く抱きしめた。
「それでいいんだ、泣いていいんだ。悲しいって認めなくちゃ、どこにも行けないんだよ・・・・・」
悲しい?そうだ、自分は悲しい、ミヨリが死んでしまって悲しい、ただ、ただ、悲しい。悲しくてたまらない。
ようやく、彼という存在を悼めるような気がした。
ミヨリは泣いた、泣き続けた。
忍としてではなく、ただの子どもとしてアサマは泣いた。
アサマは、何故か前よりもよく見える様な気がする視界の中で、その震えた声をぼんやりと聞いていた。
その日、ヒヨリはまた河原にやって来ていた。
河原近くの岩の上で、ヒヨリは日向ぼっこする様に横たわっていた。
アサマのことや、現状のことについて整理をするため鍛練と称して、集落から遠い場所にまで来ていた。
(・・・・・たぶん、これでアサマの行動はだいぶ制限が出来た。)
ヒヨリは、また絶え間ない罪悪感に曝されながら、丸まる様に自分を抱きしめた。
ミヨリが死んで、ヒヨリが何よりも恐れたのはアサマの暴走だった。
アサマでは柱間には勝てない。けれど、アサマはそれでも復讐のために、柱間に挑むだろう。
ヒヨリの言葉なんて聞きもしなかった、兄のように思っていたあの人のように。
(あの時、俺は思い知らされたんだよなあ。うちはの情の深さってものを。)
あの人には、母がいた、おちこぼれといっても婚約者のような人もいた、弟のように扱ってくれていた自分がいた。
それでも、それがあってもあの人は復讐へと駆り立てられた。
そして、死んでしまった。
基本的に、うちは一族はそこまで功を焦るわけではない。他の一族に比べ、近親婚が進んでいるせいか子が生まれにくいというのは、己たちとて分かっている事実だ。だからこそ、一族の誇りになれるようにと言ってはいても、他に比べてその戦術は慎重な方なのだ。
そうはいっても、プライドが高いため、興奮状態で初陣になり、先走るものはいる。
けれど、一様に、皆が皆何かを失った瞬間に崩れる様に狂っていく。
ヒヨリは、それを逐一見た。うちは一族ではないからこそ、その狂っていく様が手に取るように分かった。
ヒヨリは、それに恐怖した。その、炎のような激情を恐怖した。
そして、それゆえに、アサマがそんな風に狂っていくことはすぐに察せられた。
ヒヨリは、悩んだ。アサマという存在がそうなっていくことが恐ろしく、そして、その憎しみを理解できないわけではなかった。
アサマの性格は熟知していた。どうすれば、アサマの行動を制限できるかぐらいは割り出せた。
アサマの復讐心を全うさせてやるか、それを阻止するか。
そして、ヒヨリはマダラが戦に出るということを聞き、アサマの行動に楔を打つことにした。
アサマは、ミヨリを愛していた。そして、それ以上にアサマは家族を愛していた。そして、一等にアサマはヒヨリを愛している。
自分の世話をしてくれた兄として、父や大人たちに言い聞かされた上司として、戦場における憧れの英雄として。
うちは一族の人間は、優先順位を間違えない。
アサマにとって、ヒヨリの存在が何よりも最優先すべき存在であるとヒヨリには分かっていた。だからこそ、彼は、幾度も、幾度も言い聞かせた。戦場での在り方を。
けれど、それは無意味に終わってしまった。
そして、アサマは後悔し、柱間に復讐を誓った。それは何とか、防げるだろう。
(・・・・・アサマは、これで死に急ぐようなことはしないだろう。でも、アサマは。)
アサマには、写輪眼が開眼した。
ヒヨリがアサマに、意図的に柱間への復讐を禁じたあの時、その眼には赤い色が宿ってしまった。それに、ヒヨリは胸がつぶれる様な思いを抱いた。
守れなかった。弟に、己と同じように呪いを抱かせてしまった。
きっと、あの時、アサマは何かに絶望したのだろう。それは、きっとヒヨリが原因だ。けれど、ヒヨリは、アサマを死なせることは出来ない、きょうだいたちが死ぬ要因は一つでも潰さなくてはいけない。
(箱庭には、あの子の、俺の幸せには弟たちの生存は必要だ。)
一人でも、一人でもいい。木の葉の里が出来るまでに、一人でもマダラの兄弟が生き残ってさえいれば、自分の勝ちなのだ。
(・・・・・でも、駄目だ。まだ、駄目だ。うちは一族の中で、千手への感情は、変わらない。何よりも、うちはだけが変わっても、千手が変わらなければ意味がない。)
八方ふさがりの袋小路の中で、ヒヨリは、どうしようもなくまた苦しみがせり上がって来る。
どうすればいい、どうすればいい、どうすればいい?
冷たくなったミヨリの姿が、弟たちや妹とダブって見えた。
恐怖で小刻みに震えはじめる体に、抱きしめた。
感情と冷静な思考が混ざり合って、暗く沈んでいきそうなそこに、唐突に一つの声が割り込んできた。
「・・・・・ねえ!!」
自分以外はいないはずの空間に響いたそれに、ヒヨリは素早く起き上がり体を低くして、辺りを伺う。そして、声の主はあっさりと見つかった。
声の主は、ヒヨリが寝転がっていた岩の手前に立っていた。
年のころは自分と同じほどの髪の長い少女だろうか。その顔は、誰かに似ている気がした。
ヒヨリは、その状況を疑問に思う。今、自分の居る山は険しい場所だ。一般人では到底登るような場所ではない。そんなところに子ども一人で来ている時点で、相手が忍びであることは察せられる。
けれど、それは相手も同じだろう。相手も、ヒヨリが忍であるとは分かるはずだ。ならば、何故、わざわざ自分に声をかける?
ヒヨリはどんな反応をしようかと思案していると、少女は覚悟を決めた様な目でヒヨリを見上げた。
そして、大きく口を開いた。そして、歌い続ける。
有名な、自分の顔を分け与える正義の味方の歌を。
「は?」
思わず、ヒヨリは声を漏らした。少女は、そのまま歌い続ける。あらん限りの声で、まるで叫ぶように、彼女は歌う。
ヒヨリもよく知る、正義の味方の歌を。
ヒヨリは、それをただ、聞き続けた。あまりにも、懐かしい、懐かしいと表現していいのかもわからない、懐古を誘う歌を。
そして、彼女は一しきり歌い終わると、荒い息と共にヒヨリにもう一度話しかけた。
「・・・・知ってるでしょう、この歌!」
それに、ヒヨリは思わず頷いた。少女は、それに、泣きそうなほど顔を歪めて、岩を登った。手を伸ばせば触れられるほどまでに近づいても、ヒヨリは両腕をだらんと垂らしたまま、目の前の少女を凝視した。
「あのさ!あのさ!お前さ、同じなんだよね!?」
少女は必死に言い募る。
「私と、同じなんだよな!歌ってたから!青い猫の歌、だから、もう一回会いたかった!ようやく会えた!最初に見つけた時、驚いて声かけられなかったから!お前は、私と同じなんだよね?」
それに、ヒヨリは、微かに頷いた。
少女は安堵の表情を浮かべて、ヒヨリに抱き付いた。
ヒヨリは、自分がどんな思いを抱けばいいのか、どう処理していいのか、分からなかった。
ただ、会えたと思った。
唐突に会った。間抜けな出会いでも、それでも、ヒヨリは会うことが出来た。
味方かどうかもわからない。それでも、自分と同じ存在を。
最後の彼女は、出すか迷ってたんですが。
シリアスな空気がすこしでも、薄れることを願っています。