月の賢者が落ちる時。 作:鹿頭
私が薬師をやっているのは逃げて、彷徨して、歩いて、走り回った果ての果ての末に辿り着いた、この幻想郷。
そこの迷いの竹林の奥にある永遠亭の中に、診療所の様なものを設けている。
曲がりなりにも地上の民として生きるのだから、最低限の義務を履行するために、ね。
こうして薬師……医者の真似事をしてると、時折妖怪に襲われるか、弾幕に巻き込まれるなりして運び込まれて来る急患の対応をする事がある。
まあ、手遅れな状態はそもそも運ばれてこないのだけれど。
治療の終わった患者は、その時点で私個人のその人への認識は基本的に失せ、記憶の奥底に情報が仕舞われる。
再診とかで来たら、記憶の底から引っ張り出せば良い話だし。
限りある時間の中でしか生きられない彼らを、一々深く覚えているのも疲れる話だ。
それでも覚えているとするなら……
───まあ精々、幻想郷でも名の知れた者くらいだろう。
無視出来ない存在で有れば覚えるのも吝かでは無い。
輝夜に仇を成さないか、警戒の意もあるし。
まあ、彼女らが患者として来る事なんてほぼ無いのだけど。
大抵は冷やかしか、新聞の押し売りか……うん。
それに、重篤でも無い患者に自分から関わる事は基本的にないし、薬を売るとかの行商も、鈴仙に任せている。
向こうは限られた時を生きる存在。
私個人がそんな些事にかまける事は基本的には無いし、必要ない。
いちいち関わってたらキリが無い。
無い、のだが。
の、だが。
とある、一人の、いや。
一人なのは当前の事なのだが。
兎に角、いや兎も角。
外来人の
彼が始めてこの永遠亭を訪れた、と言うよりは、利用したと言うのは丁度今から半年前だったか。
私にとっては、長い、永い、久遠の時の中では射干玉の夢の様な時間だ。
……話を聞くに、彼は半年ほど前にこの幻想郷に迷い込んでしまったらしい。
外に行ってもやる事が無く、また原風景とも呼べる幻想郷の自然、景観に惹かれた事もあってか、里の住民から職を斡旋して貰い、そのまま人里に住み始めたそうだ。
と言っても、余所者と言う事も有って、ロクな仕事は無かったそうだが。
案の定、と言うべきか。仕事の途中に、大怪我をして此処に運び込まれる事になった。
場所が偶々迷いの竹林の近くと言う事も手伝って、早期発見からの搬送が速やかに行われたので、治療は無事に終わらせる事が出来た。
後は、身体的な機能回復訓練等の事後処置が終わり次第、また担ぎ込まれでもしない限り、本来なら、彼とはそこでお終い。
そのまま人里へお帰り頂く。
その筈だった。
その筈、なのだけれど……
私は医療行為の一環として、患者の精神的安定を図る為に会話を取る事がある。
言ってしまえば事務的な会話、なの、だが。
事務的な筈の、彼との会話を楽しみにしている自分がそこには居たのだ。
特段、彼の語りが非凡なモノと言う訳では無い。
姫様の無聊を慰める事すら能わぬ様な、寧ろお耳に聞かせるだけで不敬になる様な、ありふれた語り。
極々普通。
外の世界や、平々凡々な自分自身の話だ。
そんな話は、他の外来人からも聞いたこともある。
比較しても文明の発達が全くと言っていいほどしていない特に変わり映えのしない様な話だし、他人の自分語り程詰まらないものはない。
そんな変わり映えもせず、つまらない話。
それが、聞いているだけでやけに楽しい。
こちらの事情を知らないからなのか、幻想郷の人間向けにわかりやすく説明しようとして、逆に良く解らない様な例えになったりしてたり。
それでも、一生懸命に話そうとしているのがなんだか可愛らしく見える。
その上、私とした事が彼が時々零す、ここに来てからの事の愚痴に真剣に聞き入る始末。
───よくよく考えたら、凄くつまらないかもしれないわ……
それでも、私は彼のその声を、仕草を、ずっと聞いていたい。見ていたいと思ってしまっている。
相槌を打って、辛い事に差し掛かると慰めたり、笑い話になると笑って。
そんな取り留めのない様な事が、ずっと、ずっと。いつまでも続いていたら良いのに───なんて事まで考えて。
(このまま、患者でいて貰うにはどうやったら良いの───)
ふと、そんなノイズとも呼ぶべき考えが、頭を過ぎったのだ。
(なんなのよ……
何か可笑しい。
そう思った私は、少々強引に話を打ち切り、鈴仙に後を任せようとも考えたのだが……
今日は急患も来ないだろう。
それに、やるべき事ももう無い。
などと勝手に何かと自分に理由をつけつつ結局そのまま留まっていた。
今考えても、どうしてこんな選択を取ったのか、自分でも把握出来ていない。
そのまま、私は、彼と一緒に話していた。
彼と二人で笑っていた。
私は、楽しんでいたのだ。
須臾でしか無い、僅かな時から、
(私とした事が、感情も制御出来ないなんて……ええ、間違いない。これは異常だ)
思考、感情などと言ったものは結局の所、脳内の化学物質の伝達による結果に過ぎず、まやかしと言っても過言では無い。
本来はコントロール出来て当然のモノだ。
それが出来なくなっている。
情けない話ではあるが、この身は無自覚に壊れていたのだ。
我々蓬莱人は、月人でも、地上の人間ともつかぬ罪人。
私の罪は不老不死になった事じゃない。
彼女を、輝夜を知ってて止められなかった事。
蓬莱の薬を飲んだのは、その贖罪。
今までも。
これからも。
ずっと、ずっとそうだった。
そう考えていた。
それなのに。
そのはずなのに。
そうじゃなきゃ、ダメなのに。
(嘘……何で…?)
なのにも関わらず、どうしてかソレは消える事が無かった。
それどころか、益々
この一瞬を、須臾を、刹那を。
自分でも把握できていない、この不確かなものにいつまでも、浸っていたい。
彼を見ているだけで、多幸感が私の中を占める。
彼の声を聞いてるだけで、安らぎを得られる。
彼をオモウだけで、何かが溢れようとする。
(私、は───)
「………あの、先生?どうかしましたか?」
「!───いいえ、何でもないわ。少し、考え事を、ね」
長考が顔に出ていたらしい。
どうも、気を使わせてしまったようだ。
……いよいよ持って、私はどうかしてしまったらしい。
「永琳先生でも考え込む事なんてあるんですね」
彼が意外そうに言う。
「それ、どう言う意味かしら?」
「だって、永琳先生ってすっごく頭が良いじゃないですか。どんな事でも直ぐに答えが出そうだなって勝手に思ってて……」
「貴方ね……私を何だと思っているのよ」
口ではそう言うが、褒められて悪い気はしない。
「命の恩人……ですかねぇ」
「何よその、自信なさげな返答」
そう。私は彼の命を救った。
事実を再確認しただけなのに、まるで針で刺されたように、胸の奥が痛む。
「そう言えば、明日で退院……人里に戻れるんですよね?」
「ぁ───え、ええ!そう、ね。そう、明日で戻る、のよね」
「……はい、お陰様で」
そうだった。
余りにも長い時を生きて来たからか。
月日は百代の過客と言う事を失念していた。
時間は必ず、そこに遍在しているのだった。
そして、次の日。
本来ならば鈴仙、或いはてゐに送らせるのが常だ。
時々、藤原妹紅に任せる事も有るけども。
結局、偶には良いかと自分に言い聞かせて、私が迷いの竹林の出口まで案内する事にした。
道中は互いに無言だった。
何か話題でも振れば良かったのだろうが、何故だか虚勢を張る様な行為に思えて、口を開く事が出来なかった。
ただひたすらに黙って歩く。
私が前で、彼が後ろ。
先導するのだから、これが普通、なのだが。
この並びなのを、どこか不満に思う私がいる。
けれども、何故不満なのかがよく分からない。
分かろうともしたくない。
分かってはならない。
知ってしまえば、何かが変わる様な気がして。
取り返しのつかない事になる様な気がして。
終わってしまう様な、気がして。
そんな事を考えているうちに、とうとう、否。やっと出口まで着いた。
「今までお世話になりました」
そう笑顔で礼を言い、踵を返し、そのまま離れていく彼。
(……ぁ───)
その、遠ざかっていく背に向けて、何かを口にしようとして。
言葉にしようとして。
伝えようとして。
けれども、声が出ない。
カタチに出来ない。
どうして?
話すだけ。だけど何を話したいのかわからない。
こんな事が、こんなにも怖い。
何も見えない闇の中、前に進もうとも、進めない様な暗澹たる思い。
不安で、不安で。
訳も分からないのに、悲しくて。
切なくて。痛くて。
ツライ。
味わった事の無い何かが、こんなにも胸を締め付けている。
(私は……私は…一体……)
兎に角、今は永遠亭に戻る事にする。
そうする事が、それだけしか、今の私には、精一杯だった。
「……永琳」
「はい、姫様」
ある日、いつになく診療室で過ごしていると、珍しく訪ねて来た輝夜。
その声音は真剣なものだった。
と言う事はきっと恐らく、私の不調に気がついているのだろう。
そう言う、優しい子だから。
「そんな畏まらなくて良いわよ、永琳。ただ、貴女が心配になっただけだもの。うどんげも、てゐも、みんな心配してるのよ?」
「………鈴仙も、てゐも……ね」
目に見える形での不調、か。
随分とおかしくなっているらしい。
鈴仙なら兎も角、てゐにまで気遣われるとは。
八意永琳も、語るに落ちた、か。
「ちょっと前まではあんなにも嬉しそうにニコニコ笑ってたのに、今じゃ兎達も文字道理逃げ出す程酷い顔してるわよ、永琳」
「………そんなに、酷い?」
「ええ、とっても。まるで恋に患う乙女みたいよ?」
たわいの無い一言。
輝夜からしたら只の、ありふれた例え話なのだろうが。
何故だか、その例え話が、酷く、重く、痛く。
心に突き刺さっていく。
そんな筈ないのに。
違う、と言い聞かせているのに。
そもそもの前提が違う筈なのに。
違わないといけないのに。
私の中の何かが、揺れている。
「───やっぱりね」
「………何が、やっぱりなのかしら?」
心臓を掴まれた様な感覚。
それ以上はいけない。触れて欲しくない。
暴かれたくない。
それ以上はきっと、戻れなくなるから。
けれど、感情は大人しく答えを求める。
自分の意思で制御できない。
体が、脳が、心が。
答えを求めている。
楽になりたいと、訴えているのだ。
輝夜が言葉を紡ごうとする、その一瞬を、待ち焦がれているのだ。
そして、それは───
「ねえ永琳。やっぱり貴女、恋してるのよ」
今一番、気付きたくない話だった。