溢れ出る赤が、止まらない。
間に合わなかった。遅かった。ただそれだけのこと。きっとただ運が悪かったというだけのことなんだ。
けれども、そんな小さなことで人間の命というものは散っていってしまう。それほどに人の命は儚い存在だった。
「えへへ、すみません。私……またミスっちゃいました」
いつもと変わらない笑顔で、いつものように言葉を落とした彼女。けれども、その声は今直ぐにでも消えてしまいそうなほどに弱々しく感じた。
解毒薬は使った、秘薬だって飲ませた。それでも、身体中に回ってしまった毒を消すことはできないらしい。
「自分のことです。私はもう助からないんだろうなってことは分かります。だから、きっとこれが最期の会話になっちゃうかと」
彼女の身体から徐々に力が抜けていくのがわかった。
いつもなら嫌になるほど冷静な思考が、まとまらない。溢れ出る後悔の念とともに、目からは何かが溢れた。視界が、ぼやけた。
「あのね……私、ずっと好きでしたよ。どこか照れくさそうに……静かに、そっと笑ってくれる貴方の顔が好きでした」
――だから
◇ ◇ ◇
目が覚めた。
何かの、夢を見た気がする。けれども、どんな夢を見ていたのかは思い出せなかった。
開けっ放しの窓から冷たい空気が入り込み、私の身体を冷やす。酷く汗をかいていたせいでよりいっそうポッケ村の空気は冷たく感じた。
どんな夢を見ていたのかは覚えていない。けれども、これほどの汗をかき、目覚めだってよくはないんだ。どんな夢を見たのかくらいは私にだってわかった。
過去にとらわれているつもりはない。でもきっと、私がそう思いたいだけなんだろう。ホント、いつになったら私は前へ進むことができるのだろうか。
「はぁ……シャワーでも浴びてこようかしら」
独り言が落ちる。
冷え切ってしまった身体。私が以前暮らしていた場所ならともかく、このポッケ村は寒く、このままでは風邪をひくかもしれない。眠気覚ましもかねて熱いシャワーを浴びるとしよう。
寝起きのせいで身体は上手く動いてくれなかったが、どうにか脱衣所へ。
そして、脱衣所の扉を開けると――あのバカがいた。
「うん? きゃああああっ! モミジさんのえっちぃぃいいいい!」
引っぱたいておいた。
◆ ◆ ◆
「……流石にアレは理不尽じゃないだろうか」
「だから悪かったって言ってるでしょ?」
私が引っぱたいた頬をさすり、少しだけその眉をひそめながら言葉を落としたロロット。
扉を開けた瞬間、全裸のバカがいたためほぼ反射的に手が出た。とはいえ、流石の私でも申し訳なさは感じている。
「いきなり全裸のロロットが現れたら引っぱたかれても仕方無いニャ。モミジのアレは不可抗力ニャ」
「ホント、なんでお前は俺の扱いがそんなに雑なんだよ……」
呆れたような顔をしながらも私をフォローしてくれたミナヅキ。ただ相変わらずあのバカには辛辣らしい。
……ロロットとミナヅキ。このひとりと一匹の詳しい関係を私は知らない。どんな過去があり、どんな経験をして今の状況になっているのか、などを。
いくら他人に興味のない私といっても一応同じパーティーなのだし、聞いておいた方が良いのかもしれない。ただ……他人の過去を知るというのは少しだけ怖かった。それはきっと私の過去を知られるのが怖いという裏返しなのだろう。
「それにしても……随分と顔色が悪いが何かあったのか?」
むぅ、まだ表情に出ていたのか。普段はただのバカだというのに、こういうことばかりは鋭いことで……
「……別に。ただちょっと昔の夢を見ただけ」
本当にただそれだけのことだ。それがただ、嫌な夢だったというだけ。
「おおー、奇遇だな。実は俺も今朝、昔の夢を見たんだ」
昔の夢、ねぇ。
心の底から不本意であるものの、ふたり分の住居は流石にない、ということでこのバカとは同じ家で暮らしている。マジでやめてほしい。
……そんな状況ではあるけれど、私はコイツのことをほとんど知らなかった。そしてきっと、コイツも私のことをほとんど知らない。
私たちの関係なんてそんなものだ。
「へー、どんな夢だったのよ?」
「うん? ああ、そりゃあもう凶悪なモンスターどもをバッタバッタとなぎ倒し、皆から褒め称えられるような夢だ」
どうやら現世の夢ではなかったらしい。いや、前世とかの夢だとしても信じられることじゃないか。
「なんならもっと詳しく教えてやろうか?」
「ねぇ、ミナヅキ。貴方はいつからこのバカのオトモをやっているの?」
「あれ、無視? 無視される感じですか?」
面倒なことはスルーするに限る。目の前で騒いでいるバカは放っておくことにしよう。
とはいえ、このパーティーとなってからもうそれなりの時間が経った。このバカのことはもういいとして、いつも頑張ってくれるミナヅキのことくらいは私も知っておきたい。それくらいには私だって歩み寄ってみるのもいいと思う。
「うニャー……ひとつ言っておくと、ボクは別にロロットのオトモってわけじゃないニャ」
「え? そうなの?」
いやでも、ギルドへは確かにロロットのオトモアイルーとして登録してあったはずなんだけど……
まぁ、ミナヅキのような優秀なアイルーがあんなバカのオトモをしているのもおかしいと思っていたのは本当のことだったりする。オトモアイルーをつけたことはないけれど、ミナヅキの実力がすごいことくらいは私にだってわかる。
「あー……まぁ、そうだな。建前上そうするしかないからコイツは俺のオトモになっているだけだ。コイツのご主人は別にいるよ」
本当のことだったんだ……
ただ、そうなると別の疑問が浮かんできてしまう。ミナヅキほどの実力があればオトモにしたいハンターなんていくらでもいる。本当なら私だってオトモになってもらいたいくらいだ。
「じゃあなんでミナヅキはあんたなんかと一緒にいるのよ?」
そんな当たり前のような疑問。
いくらミナヅキが優秀なアイルーだろうと、下手なハンターといるより上手いハンターと一緒にいたほうが良いに決まっている。それに、そもそもとしてご主人がいるのなら、どうしてそのご主人と一緒にいないのだろうか。
そして、私の質問に対し、あのバカは直ぐに答えた。
「俺が無様に死ぬところを見るためだよ」
いつものようにヘラヘラと笑うあの顔をしながら。
……正直なところ、ロロットの言葉の意味がわからなかった。
確かに、ミナヅキはロロットに対して辛辣だ。けれども、それは仲の良さからくるものだと思っていたし、実際そうとしか見えなかった。だから、ロロットのその言葉を聞いた私の思考は止まってしまうことに。それくらいには衝撃を受けたってことなんだろう。
「……一応、言っておくとそんな理由じゃないニャ。ロロットがあんまりにも頼りないから仕方なくボクがついていてあげているだけニャ」
ため息混じりに言葉を落としたミナヅキ。
さっきから思考が追いつかない。何が本当で何が嘘なのやら……
「あれ? そうなのか? だって俺と一緒に行くことになった時、お前そう言ってたじゃん」
「そんなの嘘に決まっているニャ」
「この野郎……」
そして始まるいつもの取っ組み合い。まぁ、一方的にあのバカがやられるだけなんだけどさ。
きっとミナヅキの嘘にあのバカが騙されただけ。別に気にする必要なんてない。頭ではちゃんとそう思えている。けれども、ロロットのあの言葉がどうしても引っかかってしまっているのは事実だった。
……これだから他人の過去に関わるのは苦手なんだ。
ひとりと一匹の喧嘩……というより、ひとりがただボッコボコにされるイベントも終わり、クエスト出発前の食事をすることに。
「そういやさ、モミジはなんでポッケ村なんかに来たんだ? モミジも出身はこの村じゃないんだろ?」
顔中に引っかき傷を作ったあのバカが食事をしながら聞いてきた。見ていて痛々しいほどの傷ではあるけれど、ディアブロスの突き上げが直撃しても元気なコイツにとって、これくらいの傷はなんてことないんだろう。ホント、体力だけは一人前以上持っている。
「特に深い理由なんてないわよ。こっちのギルドにハンターが足りていないって言われたから来ただけ」
それは本当のこと。けれども、全ての理由ってわけではなかった。だって、例え全てを話したところで何かが変わるわけでもないのだから。
何もなかった。何も、なくなった。それだけのこと。過去を変えることなんて誰にもできやしない。
「ふーん……よくわからんが、まぁ、いろいろあったってことか」
それだけの言葉を落とし、それ以上アイツは聞いてこなかった。デリカシーの欠片もないような奴だと思っていたけれど、一応の配慮くらいはできるらしい。私だって好き好んで話したいことでもないのだから、有り難いことではある。
アイツはそれ以上言葉を落とすことはなかった。けれども、何故か私から視線を外そうとしない。
むぅ、そんな見られながらだと、すごく食事をしづらいんだけど……
「……なによ?」
そして、私がそんな言葉を落とすと、アイツは何も言わずに立ち上がり、私の前へ立った。
別に怖いとかそういう感情はないけれど、少しだけ心臓の動きが速くなる。
「はぁ……全くそんな仏頂面をしちゃってさ。君にそんな顔は似合わないぜ? だからほら、笑ってごら――
ぶん殴っておいた。
残りわずかとなっていた料理を飲み物と一緒に流し込む。
ごちそうさま。今日も美味しかったよ。
「ほら、さっさと起き上がりなさい。クエストへ行くわよ」
「りょ、了解。マイハニー……」
笑い方なんて……もう忘れてしまった。
自分がアレから前へ進めていないことくらいわかっている。そんなどうして私がまだハンター続けているのかなんてわからない。それでも私は……
答えがわからない。だからきっと、私はその答えを見つけるためにハンターを続けているんだろう。例えそれが遠回りだとしてもそれ以外の方法を私は知らない。
ホント、自分のことだけど不器用な性格だと思っているよ。