仮面の理   作:アルパカ度数38%

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2章3話

 

 

 

「……あ」

 

 何とも言えない言葉を漏らし、僕は何処かに手を伸ばしながら目を覚ました。

ぼうっと霞がかった頭で僕は思考する。

一体僕は何をやっているのだろうか。

リニスさんから念話を受けて地球に来て、フェイトに案内されて時の庭園に行って。

リニスさんを見つけて契約を結び魔力を供給し、そして……。

 

『負けたのです』

「……あ」

 

 ティルヴィングが明滅し、言った。

同時、僕はまるで今座っている所が底なしの落とし穴になってしまったような感覚に陥る。

今僕は確かに地に伏していると言うのに、いつまでも落ち続けているような感じだった。

全身が鉛のように重く、今にも地面に落としてしまいそうなのに、その地面があるとすら感じられない。

ひゅうひゅうと吐く息が荒くなる。

真っ青になっているだろう唇は、乾いて亀裂を作っていた。

 

 そうだ、僕は負けたのだ。

言い訳はいくらでもできる。

片手が使えなかった。

魔力が半分しか残っていなかった。

リンカーコアが疲弊していて、カートリッジを使う度に激痛が走った。

リニスさんの命を思って、彼女を庇わねばならなかった。

最後にフェイトが乱入してきた。

だけど負けたと言う事実に対して、それらの言い訳はあまりにも軽すぎる。

 

「僕は……また、負けたのか」

『はい、貴方はまた負けました』

 

 平衡感覚が全く無かった。

今こうやってホテルのベッドに伏していると言うのに、今にもどこかにふらりと落っこちてしまいそうで、僕は震える手で出せる全力でベッドにしがみつく。

僕が負けたのはこれが初めてではない。

勿論完全敗北は死を意味するので、全て敗走であった。

それにどんな相手に対しても、何度か戦い最終的には勝利を収めている、今回だって同じようにできるかもしれない。

けれど、今回こそは、と僕は誓った筈だった。

今回こそは僕は完璧にこの事件を解決してみせる、と。

 

 なのに僕は負けた。

負けて、逃げた。

勿論まだ犠牲が出ていないのだ、誰一人犠牲にせずにこの事件を解決する事は可能だろう。

けれどそう分かっていても、敗北の味は僕の精神を徹底的に貶めた。

 

「……ぐっ、あぁぁぁ……っ!」

 

 呻き声を上げながら、僕はベッドのシーツを掴む。

渾身の力が込められた手はぶるぶると震え、まるで泣き叫んでいるかのようだった。

分かっている、まだ僕は完全に負けた訳じゃあないんだと。

まだ僕には挽回するチャンスがあるんだと。

だけど敗北と言う結果は、僕にはまだUD-182のようになれないと言われているようで、辛く、悲しい。

分かっていても、立ち上がる気力が失せそうなぐらいに衝撃的だった。

悔しい。

その一言で内心が埋め尽くされ、感情が決壊しそうになる。

 

『マスター、泣かないと言う誓いは』

「っ! ああ、大丈夫、だ」

 

 ティルヴィングに指摘されて、僕は初めて自分が泣きそうだった事に気づく。

上を向いてパチパチと瞬きを繰り返し、どうにか涙を奥の方まで引っ込ませた。

同時、ティルヴィングの言葉がなければあっさりとUD-182との誓いを破っていたかもしれない事に落ち込んでしまう。

僕は、駄目人間だった。

そして最低だった。

相変わらずの僕だった。

何時かUD-182のようになれると、少なくとも近づけると信じて僕は此処まで生きてきた。

けれど、それがまるで勘違いであるかのように思えてくる。

心の中を、弱音が津波のようにどっと襲ってきた。

言ってはならない、口に出してしまえば全てが終わってしまうような言葉が喉元までせりあがってくる。

辞めちゃおうか。

そんな言葉が、口をついて出そうになった、その瞬間であった。

 

「んにゃ~ん……」

「ひっ!?」

 

 思わず飛び跳ねてしまってから、気づく。

視線の先には、瞳を閉じたままの山猫。

そうだ、リニスさんがすぐ近くに居たのだ、と、寝起きの脳みそはようやくその事実を思い出した。

同時、僕の背筋が凍てつく。

リニスさんは意識が無いようだが、ひょっとすればあったのかもしれない。

だとすれば、僕がここで弱音を漏らしていれば、その瞬間僕は全てを失っていたかもしれないのだ。

ぞっとしつつも、僕は罪深い事に、リニスさんがまだ目を覚ましていなかった事に感謝すらした。

助けようとした相手が意識を取り戻さない事に感謝するなど、最低の行いだのに。

 

「……なさい」

 

 ごめんなさい、と極々小さな、僕自身でさえ聞き取れない声で僕は言った。

それが僕に出来る、リニスさんへ向けて言える最大の一言であった。

数少ない利害を超えた友人にすら、それしか内心を見せられない自分に、反吐が出そうになる。

何とか口元を抑え、ゆっくりと息をしながら数分そのまま硬直していると、静かに吐き気は去っていった。

少しだけ、僕は勘違いをしていた。

地球に来て、フェイトと出会って、素直なフェイトに熱弁を振るって尊敬の視線を受け、リニスさんの命を助けて。

それで全てが上手く行くような気がしていた。

僕は、調子に乗っていた。

けれど、それはただの勘違いだったのだ。

僕はプレシアに負け、その悔しさに泣きそうになり、その事実から逃げるために吐いてはならない類の弱音を吐きそうになって。

そしてそれを遮ったリニスさんの状況に、感謝すらして。

僕は相変わらず、駄目だった。

駄目で、最低で、屑野郎だった。

 

 それでもまだ癒えていない体は、再び休息を要求し始めていた。

全快時と比べると、現在の肉体は6割と言う所だろうか。

魔力は6割ぐらい、リンカーコアは4割ぐらい。

絶好調とは比べ物にならない現状で唯一救いなのは、少しづつリニスさんと距離を離せるようになってきた事だろうか。

プレシアとの戦いではほんの数センチ離しただけでもリニスさんへの供給魔力に影響があったが、今は何とか1メートルぐらい行けるようだ。

この調子なら、リニスさんが姿を取り戻すのもそう遠くはないかもしれない。

僕が一つ頷き、敷いておいた回復の魔方陣を書きなおそうとした、正にその瞬間であった。

どくん、と、心臓が脈打つ。

ジュエルシード発動の気配。

 

「クソッ、もう少し休ませてくれてもいいだろうがっ! ティルヴィングっ!」

『了解、セットアップ』

 

 バリアジャケットに換装した僕は再びリニスさんを抱え、ホテルの窓を開け放ち空へと飛び立つ。

時は夕刻、空はあかね色に染まっていた。

普段と比べると呆れるほどに遅い速度で、空中を駆け抜ける。

暫く行くと、封時結界を見つけ、そこに突入。

すると視界にフェイトとなのはとかいう魔導師、そして封印されたジュエルシードが見つかる。

またしても、背筋を駆け抜ける嫌な予感。

 

「あーもうっ、何だよこれはっ!」

『縮地発動』

 

 絶叫しつつ僕は高速移動魔法を発動、二人の間に割って入る位置についた。

小さく驚きの声を上げながら、武器を構え直す二人。

万全の僕ならばフェイトにも余裕を持って対応できるだろうし、それは昨日フェイトに劣っているようだった白い魔導師の方も同じだ。

しかし今の状態では、フェイトにですら勝てないかもしれない。

自分の不甲斐なさに内心苛つきながらも、僕はフェイトに向けティルヴィングを構える。

 

「よう、フェイト、数時間ぶりだな」

「ウォルター……」

 

 フェイトは悲痛な顔をし、バルディッシュを構えた。

黄金の魔力刃が、僅かにキレを無くす。

後ろでは、えっ? と白い魔導師の疑問詞。

確かに彼女の視点からでは意味不明だろうが、説明は置いておいて、フェイトとの会話を優先する。

ふっ、と小さく鼻で笑う僕。

 

「おいおい、俺と戦う気か? 勝てないと分かっていても挑むのは時に必要だが、今がその時なのか?」

「……勝てる、かもしれない。特に今の貴方が相手ならば」

 

 内心、舌打つ。

当たり前だが、僕はフェイトを庇って彼女に背を向け、防御魔法をはった。

とすれば、僕の背中の傷が彼女にバレている事になる。

そしてリニスさんを離す事ができない事も伝えてあるし、魔力が半減してまだ回復し終わっていないのも簡単に推理できるだろう。

リニスさんから聞いたであろう僕の威光にビビってくれるなら良かったのだが、こうなるとマズイ展開だ。

無いとは思うが、リニスさんの命を無視して攻撃されれば、こちらが堕とされるかもしれない。

普通ならそんな事考えもしないのだが、負けてネガティブになっている僕の心は、そんな可能性まで思考し始める。

そんな僕の内心を知ってか知らずか、表情を変えずにフェイト。

 

「それよりも、教えて欲しいんだ。

ウォルターは、何で母さんと戦ったの?」

 

 どう答えるべきか、一瞬僕は悩む。

ムラマサの事を口にしていいのか迷うし、全体像が見えない今、あまり余計なことを口走るのは適切ではない。

と同時、折角彼女に対し築いた信頼を裏切るべきではない、と言う判断もある。

こんな時、UD-182ならどうしただろうか。

煙に巻くような言葉で曖昧にしたかもしれないし、案外スッキリキッカリと真実を告げたかもしれない。

 

「プレシアは、俺がムラマサを破壊した事を気に入らなかったみたいでな。あっちから仕掛けてきたのさ」

 

 結局、僕は真実を彼女に告げた。

ムラマサの力は生命力と言う誰でも使い道のある物の操作だ、これから絞れる答えなどあまり無いだろう。

そう判断しての事である。

事実フェイトはショックを受けたようで驚いた様子はあるものの、何かにこれで気づいた様子は無い。

僕の勘もまた、そう言っていた。

 

「んでまぁ、後は見ての通りだ。

リニスさんが治ったらリベンジに行かせてもらうからな、覚悟しとけって伝えておいてくれ」

「——っ!」

 

 反射的に、と言った様子でフェイトが僕にバルディッシュを向ける。

じわっと、見えない箇所で僕は汗を滲ませた。

今の状態では目算では恐らく僕はフェイトに勝てない。

スペックで勝てていないと言うなら残るは心で勝つしか無いだろう。

だが、そもそも、母への純粋な好意で戦っている彼女に、僕のような薄汚れた人間の心で勝てる筈があるだろうか。

無い。

一片もそんな理由は無い。

ならば僕は、また負けるのか。

絶望が心を覆っていこうとするのを、辛うじて表情に出さないようにして、数秒待つ。

やがてフェイトの手にあるバルディッシュは僅かに震えだしたかと思うと、その切っ先を地面に下ろした。

機械音と共にモードチェンジ、光刃を消し斧の形態に戻す。

迷いの見える瞳を僕に向け、告げた。

 

「母さんにも、何か理由があったんだと、思う」

「……そうか」

 

 何とも言えず、僕は沈黙した。

僅かな安堵を覚える自分に嫌悪感を抱きつつ、思う。

客観視して思うに、プレシアの行為はどう見ても八つ当たりである。

しかし僕が彼女の目に、何処か複雑な思いを垣間見たのも事実と言えば事実だ。

ティグラの本性を暴けなかった節穴の目なので、あまり信を置けないのだけれど。

結局無言で通す僕に、彼女はその静かな瞳を向ける。

 

「……ウォルターを倒してもリニスに影響が無くなったら、容赦はしない。

私は、どこまでも母さんの味方だから」

「いいぜ、その時は親子タッグで来るんだな。

正面からぶちのめしてやるよ」

 

 握りこぶしを目前で作り、男らしい笑みを見せる僕。

実を言えば、少しだけ今の言葉は強がりではない。

本気で親子タッグで来られても、万全の僕ならば勝利の可能性は充分にある。

僕にしては珍しく、本心からの自信であった。

そんな僕に、一瞬目を瞬いたかと思うと、フェイトもまた今日一番の熱い笑顔で言ってみせる。

 

「そうだね、その時は……私達が勝つ」

「言ってろ、三下」

 

 小さく笑うとそれに笑顔を返し、フェイトは青空へと身を翻らせ、消えていった。

フェイトは会った時よりも幾分明るい表情をし、その笑顔は眩しくて目を逸らしたくなるぐらい。

一体何があって、彼女はこんなにも輝かしい笑顔をするようになったのだろうか。

羨ましく思いつつも、さて、あとはジュエルシードを確保するか、と踵を返す。

すると、ぽかんと口を開けたままの白い魔導師と目があった。

 

「……嘘、フェイトちゃん、帰っちゃった……」

 

 呟くと、泣きそうな目をこちらに向けてくる。

思わずたじろぐ僕。

そういえば、フェイトの言葉を思い返す限り、白い魔導師はフェイトと話したくて仕方がないんじゃあなかったか。

そして今は、その絶好のチャンスであったに違いない。

罪悪感が登ってくるのに、必死で僕は少女を慰めた。

 

「す、すまん、いや、だがまだチャンスは……あれ?」

 

 ある、と言おうとして、思わず疑問詞を零す。

よくよく考えると、僕がそもそもフェイトと出会ったのは、ロストロギア・ジュエルシードが危険だから早く収納せねばならないと勘で感じたからだ。

故に僕はジュエルシード集めに参加する事で、フェイトとこの白い魔導師との戦闘により収納が遅れるのを回避せなばならない。

そして今はそれだけではなく、殺傷設定による殺人を厭わないプレシアにジュエルシードが渡らないように、と言う積極的理由も加わる。

とすると、僕はジュエルシード集めに参加する事になるが、ここで一つ疑問が生じる。

僕はリニスさんと言う弱点を抱えているが、フェイトにとってみればリニスさんと言う人質を抱えているとも言え、その上戦闘能力は基本的に僕のほうが上なのだ。

ジュエルシードを確実に集めようとするならば、僕を避けるようにして集め始めるのではないだろうか?

それだけなら僕とこの白い魔導師が別行動すればいいのだが、リニスさんと言う弱点を抱える僕にとって、彼女と言う防波堤は有益な物ではないか?

と、そんな事を思ってしまい。

思わず、語尾が途切れる。

 

「な、何で黙っちゃうの!? わ、私がフェイトちゃんと話すチャンスってもう無いの!?」

「い、いや、そんな事はない、と思うぞ?」

「思うって何なの~!?」

 

 ポカポカと僕の胸板を叩いてくる少女。

普段ならば何ともない攻撃なのだが、背中に大火傷を負っている今、地味に響いて正直痛い。

痛みに涙腺が刺激されるのを、全力で抑える。

こんなアホな事で泣かないと言う誓いを破ってしまいそうになり、僕は内心大変凹んだ。

そんな僕らに、更なる声がかかる。

 

「この前は暗がりで気づかなかったけれど……、お前は“ロストロギア壊し”のウォルターっ!

一体この地球に何をしに来たっ!」

「いや、誰だよお前は……って、スクライア一族か?」

「だったらどうしたっ!」

 

 地面からこちらを見上げつつ叫ぶ、クリーム色のイタチ。

あぁ、そういえばこういう生き物には嫌われる関係があったな、と、思わず額に手をやる。

 

「フェイトちゃんと話すチャンス、もう無いって言うの~!?」

「ジュエルシードを壊させはしないぞ、あれは貴重な物なんだっ!」

 

 ステレオで僕に襲いかかる音響攻撃に、思わず僕はため息をついた。

この状況、一体どう収集をつければいいんだろうか。

 

 

 

 ***

 

 

 

 小一時間後。

公園にベンチに座った僕等は、互いの情報を交換し終えていた。

ユーノ・スクライアが発掘したジュエルシード。

そしてその輸送艦が事故でジュエルシードをばらまいてしまい、封印されているとはいえ念の為ユーノが回収に。

するとジュエルシードの封印が何故か解けており、ユーノが封印しようとするも、失敗。

そこで現地の住人である高町なのはに手を借りて、封印に成功する。

そうこうしているうちにもう一人のジュエルシードの探索者、フェイトと遭遇。

何度かジュエルシードを取り合っている所に僕が襲来、と言う訳だった。

 

「なんっつーか、なのはの早熟性は凄いな。

比較的早熟な遠距離戦闘がメインとは言え、たった一月足らずでここまでとは」

「うーん、私以外の魔導師ってユーノ君にフェイトちゃんにアルフさん、ウォルター君しか見たこと無いから、今一実感がわかないんだけど」

 

 ちなみに僕が魔法を始めて一月では、何とかクラナガンにたどり着き、Cランク魔導師に負けそうになってヒィヒィ言っていた頃である。

一応自分が才能のある方だと言う自負があったので、ちょっと本気で凹みそうになった。

ただでさえ精神的に弱い僕なのに、肉体的な才能でさえ追いつかれてしまえば、僕は一体どうすればいいのだろうか。

憂鬱な気分に密かに浸っている僕に、でも、となのは。

 

「ウォルター君だって凄いんでしょ? “ロストロギア怖い”だっけ」

「壊しな、壊し。それじゃあただのビビリじゃねぇか」

「にゃはは……」

 

 頭をかきながら笑って誤魔化すなのはに、なんとも言えない視線を送る僕。

僕の方の事情も、ムラマサの事以外はあらかた話した。

なのはの方はそれで納得してくれたようなのだが、ユーノの方はどうやら僕の事を疑ってかかっているらしい。

事実彼は、僕への敵意を隠さずなのはの肩に座りながらじっと僕を睨みつけている。

かつての僕ならば、それだけで内心泣きそうになっていただろう。

けれど、民間協力者として管理局に協力し表彰なんかを何度も受けている僕は、嫉妬や誤解で暗い感情の視線を向けられるのは慣れっこだった。

そりゃあ今でも、油断すれば震えそうになるのは確かだ。

できる事なら目をそらして、震える体を抱きしめてうずくまりたい。

けれど、最近は必死にUD-182の事を思い出さなくとも、何とかそんな衝動を抑える事ができるようになってきていた。

自分の成長にちょっぴり嬉しくなりつつも、表面上は呆れたようにため息。

 

「ま、スクライア一族が居るってんなら、協力は無理そうだな。

ジュエルシードは今のところなのは、お前とレイジングハートで管理してくれ。

本当は管理局が来てくれればいいんだが……」

「あ、そうか! 魔力の回復していない僕は兎も角、お前なら長距離念話で管理局に連絡が……!」

「ああ」

 

 と、頷くも、僕は渋い顔をしてみせる。

訝しげな顔で、なのは。

 

「えっと、管理局って魔法の世界のお巡りさんみたいなの、だよね?」

「まぁ、そんなもんだな。

さっきこっそりと管理局に念話を送ってみたんだが……。

タイミングが悪かったみたいだな。

一応ユーノがこっちに来る前に通報しておいたから、近くに巡回していた艦があったらしい。

封印が解けている兆候が見つかればすぐさま向かうつもりだったそうだが……。

今日、午前中に近くで他の事件が発生したらしくてな、そっちに向かってしまったらしいんだ。

ここは次元世界でも辺境な方だ、他に手の空いている艦は存在しないらしい」

「そんな……」

 

 事実である。

管理局は陸もそうだが海も圧倒的に手が足りていない。

ユーノの通報を受けても、ジュエルシードが封印してあったと言う安全性を考えれば、近くを巡回してみるぐらいが限界だったのだろう。

そして一度手を出してしまった事件から手を引くような真似は、管理局の信頼を損ねる。

それが世界崩壊の危機が目前とかなら兎も角、今のところジュエルシードは暴走体を作る以上の事はしていない。

それを集めようとする犯罪者こそ居るものの、それに対抗しうる現地の協力者が居る。

そして何より、僕が、数々の事件を解決してきたSSランク相当の空戦魔導師が居るのだ。

となれば、少しぐらい後回しにされるのも仕方がないと言えば仕方がないだろう。

事情を飲み込んだユーノが、恐る恐る僕に聞く。

 

「……どれくらかかるって?」

「10日近くかかるそうだ。それも順調に行けばであって、何かトラブルが起きれば、もっとかかるかもしれない」

「そうか……」

 

 落ち込むユーノだが、僕もそれは同じだ。

僕は今非常に弱っており、更に回復速度もリニスに魔力を取られている為遅くなる。

無いとは思っているのだが、もしもフェイトが何かの拍子にリニスの命を無視してでも僕を狙ってくれば、敗北の危険性も充分にあった。

だからなのはにジュエルシードを託しているのだが、それでもプレシアの態度次第では僕を襲ってくる可能性は否定できない。

勿論会った当初のフェイトなら、そんな事はしないだろうと思える。

だが、ほかならぬ僕がフェイトを励まし「自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ」なんて言ってしまったのだ。

僕如きの言葉がフェイトの心をどれだけ変えられたか分からない。

けれど僕の言葉の通り、リニスの命とプレシアの願いを天秤にかけ、プレシアの方に傾いてしまえば、僕を襲ってくる可能性も無いとまでは言えないのだ。

何せ僕は魔力供給を受けたSSランクのプレシアにハンデ有りで勝ちかけたのだ、フェイトが僕に勝つ方法はそれしか無いだろうから。

だからできれば僕も管理局の保護を受けたい所だったのだが、それは不可能なのであった。

 

「ま、そういう訳だから、互いに別れて行動するとするか。

いいか、ジュエルシードの封印以外の事は、俺に任せておいてくれ。

ここ数日でジュエルシードを封印したらお前たちに渡しに来るけど、そのうち回復したら受け取りに来るよ。

そういう事になるが、何か……」

「待って」

 

 異論はあるか、と言おうとして立ち上がろうとした瞬間、グイッと服の裾を引っ張られる。

どうしたものかと視線をやると、なのはと目があった。

ドキッとするぐらい、真っ直ぐな瞳。

それでいて何処か懐かしさを感じさせる瞳だった。

 

「私、まだウォルター君とユーノ君が協力できない理由を、聞いていないよ」

「あー……」

 

 ため息。

腰を下ろしつつ、ユーノに視線をやる。

流石にこれは僕から説明する訳にはいかないだろう。

無言の圧力を受け取ったユーノは、渋々と言った風に口を開く。

 

「僕達スクライア一族は遺跡発掘なんかを生業としている一族で、ロストロギアを発掘する事もたまにある。

そういう一族だから考古学者やその卵も珍しく無いし、僕もその一人なんだ。

そこで、さっき僕はロストロギアを危険で然るべき所に保管されるべき物なんだ、って説明したけれど、同時に、ロストロギアは滅んでしまった世界の歴史がつまった物でもあるんだ。

つまり、考古学上重要な物って事なんだけど……」

「……あぁ、“ロストロギア壊し”だっけ」

「うん」

 

 と頷き、ユーノはなのはに体を向けて続けた。

 

「こいつ、ウォルター・カウンタックは、犯罪者を捉えて賞金を得たり、民間協力者として管理局に協力したりしている奴なんだ。

何度もミッドでニュースになるぐらいの大きな事件に関わっていて、そのうち何度かはロストロギアに関わっているんだけど……。

その何度かで、いくつものロストロギアを壊しているんだ」

「一応、4つな」

 

 と補足を入れると、物凄い速度でこちらを睨みつけるユーノ。

歯をむき出しにしてシーッ! と鳴き声を上げ、威嚇のポーズを取る。

 

「数は問題じゃないっ!

いや、問題ではあるけれど、一個でも故意に壊した時点で君は最悪だろうがっ!

例えばムラマサ、あれが歴史的にどれだけ価値がある物だったと思っているんだっ!

人類の築き上げてきた歴史を、君は一体どれだけ軽視しているって言うんだっ!」

「あー、すまん……」

「謝るぐらいなら最初からロストロギアを壊すなっ!」

 

 罵声を浴びせるユーノに、こちらとしては謝る他無いのだが、それさえもユーノの神経を逆撫でする行為でしかなかったようだ。

まぁ、僕は関わった事件のいくつかで、ムラマサを始めとするロストロギアを壊した事がある。

勿論理由あっての事なのだが、報道ではそんな事まで言われない訳で、僕は一部の考古学者には“ロストロギア壊し”として忌み嫌われているのだ。

特にムラマサについては完全に私的な理由で破壊したのだ、言い訳のしようがない。

何せアレの殺人経験の付与と転生機能はティグラの証言からしか分からず、裏付けがとれていないままだったのだ。

無論破壊した事を後悔こそしていないものの、こういう状況になるとなんとも言えない気分であった。

 

 静かにユーノの言葉を聞いていたなのはが、うん、と一つ頷いた。

まず、ユーノに視線をやり、強い口調で一言。

 

「ユーノ君、ちょっと待ちなよ。

ウォルター君がロストロギアを壊した理由、本人から聞いた事があるの?

もしかしたら人の命に関わる事だったのかもしれないんだよ?」

「え? あ……」

 

 と、それで頭が冷えたようだ、野生の瞳になっていた目に理性を取り戻すユーノ。

内心ほっとすると同時、グルっと回転し、なのはがこちらへ視線をやる。

別段怒っている様子は見えないものの、何故か威圧感のある顔であった。

ぶっちゃけ、ちょっと怖い。

内心腰が引けそうになるのを、どうにか根性で抑える僕。

 

「ウォルター君も。

ユーノ君が気が立っているなら言葉を選ばなきゃいけないし、謝るならきちんと理由を言わなきゃ駄目だよ」

「お、おう、すまなかった、ユーノ」

「う、うん」

 

 どうやらなのはの威圧感はユーノも感じているらしく、アッサリと答えを貰えた。

といっても、僕がロストロギアを破壊した理由は特秘に引っかかる事も多いし、話せる事は少ない。

それで納得してもらえるかどうか、と悩んでいる時である。

ぽん、と両手をあわせ、そうだ、と笑顔になるなのは。

 

「ねぇ、ウォルター君、家に泊まらない?」

「……はい?」

「……えぇ?」

 

 思わずユーノと輪唱してしまった。

そんな僕らを置いてけぼりにしつつ、なのはが続ける。

 

「あまり戦えないっていうウォルター君も回復が早くなるし、ホテル代だって結構高いでしょう?

それにユーノ君とは今日はこんな事になっちゃったけど、ユーノ君はとっても良い人だから、一緒に暮らせば仲良くなれるよ。

ね、いい案でしょう?」

「いい案でしょう? って、あのなぁ……」

 

 思わず頭をかきむしりながら、呆れた視線を返す僕。

にゃははと笑うなのはに対し、僕は表面上平静を保っていた。

が、内心では僕はパニックになっているのであった。

 

(どどど、どうしよう、ティルヴィング! クイントさん家以外に泊まるのって初めてだよっ!)

『貴方が思うままにすればいいのでは?』

(っていうか、年下の子との接し方にも慣れていないのに、すぐ近くとか、仮面の事がバレたらっ!)

『大丈夫かと思いますが』

 

 ティルヴィングは気楽に返してくるが、僕としては心臓がバクバク言うのを止められないぐらいだった。

駄目だ、なのはに僕の本性がバレてしまい、連鎖的に僕の知人や世間にバレてしまうのが容易に想像できてしまう。

僕の生き方は、全ての人に対する裏切りでもある。

クイントさんの、そしてリニスさんの敵意の篭った冷たい視線を想像すると、まるで胃が鉛になったかのように重くなる。

ばかりか、偽物の人生を送る僕の言葉など、誰も聞いてくれなくなるだろう。

僕はそこで、UD-182の志を継ぐという、生きる意味にすら等しい事すら無くしてしまうのだ。

この命よりも大事な、たった一つの信念を、である。

思わず引きつりそうになる表情筋を全力統制、何とか呆れ顔のままに、全身全霊を賭して彼女の言葉を否定する言葉を探す。

 

「いくらなんでも、それは家族が承知しないんじゃあないか?」

 

 結局出てきたのは、こんな定型文だった。

シンプル・イズ・ベストだ、これを打破するのは容易くは無いだろう。

内心ほっとため息をつく僕。

それを尻目になのはは、うーん、と人差し指を顎にやりながら空を見上げつつ考え、口を開く。

 

「大丈夫だと思うよ、うちって昔からお客さんが泊まっていく事が多くて、今は居ないけど居候さんも居た事があるんだ。

だから私から言えば、お父さんもお母さんも許してくれると思う」

「そ、そうか……」

(どうしようティルヴィング、なのはの家庭が自由過ぎるっ!)

『ですから泊まっても何とかなるのでは?』

 

 気楽な返ししかしてくれない役に立たないティルヴィングの事は捨て置き、マルチタスクを全力展開。

脳が焼けつくような高速思考で続く反論を唱える。

 

「でも、俺の事はどう説明するんだ? 10歳児で泊まらせてくれなんて、学校行けよって話になるし」

「うーん、そっかぁ……」

 

 顎に置いていた指を唇にやり、ぽんぽんと唇を叩きながら悩む様子のなのは。

よし、勝ったっ!

と、謎の勝どきを内心で上げる僕を尻目に、なのははくるりとユーノに向き合い、言ってみせた。

 

「いっそ、私の家族に魔法をバラすのって駄目かな?」

「何ぃっ!?」

「えぇ!?」

 

 思わず変な声を上げてしまう僕とユーノ。

唖然とする僕らに、なのはは手を膝の上に戻し、説明する。

 

「だって今は、これまでと状況が違うよね。

私が学校に行っている間はウォルター君しかジュエルシードを封印しにいけないし、ウォルター君は怪我でフェイトちゃんに勝てないかもしれないんでしょ?

それでフェイトちゃんにジュエルシードが渡れば、そのままプレシアさん、ウォルター君を殺す気で魔法を使うような人の手にジュエルシードが渡っちゃう。

流石にこれは、学校に行っている場合じゃあない事かな、って思うんだ」

「う……まぁ、そうだけど……」

 

 渋々と頷くユーノ同様、僕もここまでは反論できない。

僕もプレシアがジュエルシードを何に使う気なのか知らないが、碌でもない事だろう事ぐらいは推測できる。

その為になのはに学校を休んでもらいたいと言うのは、本音ではある。

黙って続きを促すと、うん、となのは。

 

「流石に何も言わずに学校を休ませて欲しいって言うのは、無理があるかなって思うの。

せめて何処か別の所に滞在しなくちゃいけないとかじゃないと、詳しい理由を話さなきゃいけないかな。

お母さんは説得できるかもしれないけれど、それにしたって進展とかを話さなきゃ納得してくれないと思う。

だから、どうかな?」

「……殺人を厭わない違法魔導師の手に危険なロストロギアが渡る事を防ぐ為の処置とすれば、アリだと思うけれど……」

 

 ユーノが漏らすのに、僕は一旦目を閉じる。

とりあえず、僕の仮面がバレるバレないは置いておこう。

いや、置いておける程軽い問題では無いのだが、僕の努力で解決できる問題ではある。

暗い想像に可能なら泣いてしまいたいぐらいなのだが、何とか思考をストップ。

なのはの提案を数回暗唱、吟味する。

 

 なのはの態度は、少しおかしかった。

普通、危険な事に関わって、もういいと思ったらまだ関わらねばならないと言う時に、これ程積極的な訳が無い。

とすれば、何か理由があるだろう。

もしそれが心から望む事ではなく、表面的な何かであったとすれば、なのははそんな事の為に命を賭ける事になってしまうのだ。

そんな事は見逃せない。

そして何より、UD-182の遺志を受け継ぐ僕が、本当の願いじゃない仮初の願いで動く少女を見逃す事など、あってはならないのだ。

故に僕は、それが単なる功名心とかでは無い事を見ぬかねばならない。

なのはの顔に合わせ、目を開いた。

全身全霊を込めて、その視線に僕の意思が宿るよう力を込める。

気の所為か、なのはが僅かに退いたような気がした。

 

「……元々、俺が全快だったら、なのはにはジュエルシードの探索から手を引いてもらうつもりだった」

「……っ!」

 

 息を呑むなのは。

事実であった。

ジュエルシードが暴走体を生み出す以外にどれほどの危険を内包しているのかは分からないが、全快の僕が居れば事足りる。

そもそもロストロギアはどれほどの危険性を持っているか分からないものだ、普通それに素人を関わらせる訳にはいかないのだ。

 

「だが、俺は見ての通り、満身創痍だ。

なのはに力を貸して欲しいとはこちらから頼むつもりではあった」

「……うん」

「けれど、そっちから申し出てくるとは思っていなかった。

何か理由があるんだな?」

「うん!」

 

 勢い良く頷くなのは。

その瞳には欠片の濁りも見えはしない。

青い瞳はどこまでも広く、まるで青空のように爽やかだ。

その瞳で静かに僕を見据え、残る言葉を続ける。

 

「プレシアさんのように危険な人の手にジュエルシードが渡るって事は、この世界も危ないって事だよね。

なら、私はこの世界の住人として、この世界を守りたい。

少しでもその力になりたいんだ」

 

 なのはから威圧感を感じ、僅かに僕は身構える。

まるで物語の中の英雄のような、凄まじい威圧感であった。

受けるだけで心が弾み、心の中の曇り空が一気に晴れていくかのような感覚。

なのははUD-182とはまた違う、不思議な精神の持ち主であった。

総毛立つような凄まじい覇気であるが、幸い僕はUD-182で慣れている。

表情一つ変えず、僕は目を細めた。

 

「……それだけじゃあ、ないな」

「にゃっ!?」

 

 と、あっさりなのはから感じる威圧感は掻き消えた。

つんのめるようにユーノが落下しそうになるのを支えてやりつつ、クスリとほほ笑みながら続ける。

 

「ま、功名心とかそういうのじゃないみたいだし、話したい時に話してくれればいいさ。

と言うことで、頼む、なのは。

俺に力を貸してくれ」

「……うん、勿論だよっ!」

 

 手を伸ばすなのはに呼応して、僕もまた手を伸ばす。

手と手が触れ合い、その体温が互いに伝わった。

暖かな温度に少しだけ口元の笑みを深くし、握手する僕ら。

握り返した手の力は、少し意外なぐらい強く握り締められていた。

 

「それじゃ、お前の家族への説明でも考えながら、行くとするか。

っとその前に、短い間だろうが、世話になるぜ」

「えへへ、こちらこそっ」

 

 頭を下げると、にっこりと返される。

花弁の開くような可憐な笑みに、フェイトの時と同じように内心少しだけドキリとしてしまった。

それから、いつの間にか頭の中から消え去っていた、年下の子の家に泊まる緊張感が戻ってくる。

し、しまった、いつの間にかなのはの家に泊まる事を納得させられていた。

急ぎティルヴィングに相談するも、適当な返事しか帰ってこない。

どうすればいいのか、頭を悩ませながら、僕らは一路高町家に足を伸ばす事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは再び時の庭園に戻っていた。

と言うのも、ウォルターを排除してすぐにプレシアが吐血、そのまま倒れてしまったままなのだ。

プレシアは意識を取り戻した時に、フェイトに地球に行くよう命令した。

プレシア曰く、吐血は魔力の使いすぎによるものだと言う。

時の庭園の駆動炉の魔力を供給し、身に余る魔力を使って戦う必要があったのだとか。

とすれば、吐血も一時的なものだ。

その為心配ではあったもののフェイトは母の命令に従い、一旦地球に行ってきた。

が、今度はあの白い魔導師ばかりかウォルターまでもが出てきてしまったのだ。

白い魔導師なら兎も角、ウォルターは強敵である。

ウォルターは大怪我をしており、本人曰く魔力が半分以下になっている筈だった。

が、仕草の何処にもぎこちない物は無く、魔力はフェイトの全力より更にあるようだったのだ。

口では勝てるかもと言っていたフェイトだったが、流石にウォルターには勝ち目が薄いと考え、その場は逃げ去った。

 

 例えぶつかる事があるとしても、もっと切羽詰まってからの事になるだろう。

ウォルターが回復する事も考えられるが、あの大怪我である。

リニスにかなりの魔力供給をしなければいけない以上魔力はほぼ回復せず、更に回復魔法を使う余裕は恐らく無い。

とすれば、完治までには半月以上かかると言うのがフェイトの目算だった。

それだけあれば、残るジュエルシードを集め終え、直接対決となるまでの時間はあるだろう。

 

 暗い道を歩きつつ、フェイトはゆっくりと母の部屋を目指す。

アルフは難しい顔をしながら、私はそこらで待っているよ、と言って別行動していた。

精神リンクとこれまでの経験から、アルフの行動の理由はプレシアに対する怒りでどうにかなってしまいそうだからだろうと分かる。

板挟みになっているアルフに内心謝りつつも、フェイトは、でも、と思う。

でも、母さんが私を鞭で打つのは、私の事を思っての事なんだ。

だからアルフにも、母の厳しい優しさを、理解して欲しい。

と思うフェイトだったが、安々と納得するアルフを想像してみると、それはそれでなんだか胸がモヤモヤする。

私って我儘だな、と思いつつ、フェイトは母の部屋の近くにたどり着いた。

 

 プレシアの寝室は、ドアが少し開いたままになっていた。

恐らくプレシアが意識を取り戻した時にそうなってしまったのだろう。

きちんと閉めてあげなきゃな、と、少しでも母の世話をできる事に、フェイトの内心は暖かな物で溢れそうになる。

その前に一目見て、一声かけて、それからにしなくちゃ。

そう考え、フェイトが扉に近づいた時であった。

 

「……シア、後少しだけだから、待っていてね」

 

 プレシアの声。

良かった、意識があるんだ。

嬉しく思いながら近づくフェイトだったが、次いでどんな独り言を言っているのだろう、と気になってくる。

はしたない行いだと思いつつも、少しだけ耳を傾けてみるフェイト。

 

「それにしても、たった4つとは、あの子……フェイトは、使えないわね」

 

 胸を撃ちぬかれたかのような衝撃が、フェイトを襲った。

ぽっかりと胸に空洞が開いてしまったかのように、胸の奥が空虚だ。

震える膝に力を入れて、どうにか直立を維持しようとするも、それすらままならない。

頑張っているつもりだった。

必死でできる事をこなしているつもりだった。

それでも自分が母の期待に応えられていないのだと思うと、フェイトの胸がまるで白黒写真のように彩りを失っていく。

 

 しかし同時に、僅かにその奥で燃え盛る炎があった。

あの日、ウォルターの言葉を聞いてから、逆境になると出てくる、不思議な心の炎が。

——絶対に、諦めるな。

あの胸を貫く圧倒的熱量がフェイトの心の支えとなり、辛うじてフェイトを立たせる。

母さんを幸せにするまで、絶対に諦めない。

使えないって言うのなら、使えるようになるまで頑張ってみせるっ!

内心の心の吠えに縋り、フェイトは瞳に力を戻す。

しかしそれも、次の言葉を聞くまでだった。

 

「所詮あの子はアリシアの代わりの人形、使えないのは元々、かしら」

「……え?」

 

 思わずフェイトは聞き返してしまった。

それが聞こえた訳では無いのだろうが、続くプレシアの声。

 

「記憶転写型クローン……、あれは結局失敗だったわ。

折角アリシアの記憶をあげたのに、人格は全然違う」

 

 母さんは、何を言っているのだろう。

思考を拒否しようとするも、優秀なフェイトの頭脳は、すぐさまその内容を理解してしまう。

フェイトは、アリシアと言う子の記憶転写型クローンなのだ。

そう考えれば、恐らくフェイトが生まれたのは、5歳の黄色い閃光の事故から回復した時。

その前後でプレシアが変わってしまった事を考えると、理解したくないのに、納得がいってしまう。

ずっと母が変わってしまったのだと思っていた。

母が優しさを表に出せないぐらい辛い状況になってしまったのだと思っていた。

けれど違うのだ。

変わってしまったのは、アリシアと言う子と入れ替わりになった、フェイトと言う自分の方だったのだ。

 

 証拠はいくつかある。

例えば、元々フェイトには偶にアリシアと呼ばれる記憶が蘇る事があった。

記憶違いだと思っていたけれど、それがもし、自分の持つ記憶では無かったのならば。

例えば、フェイトは記憶の中では魔法を使った事が一度も無い。

大魔導師プレシアの娘なのに、ほんの少しも興味が無かったのだ。

それが、フェイトとして生まれ直した時に魔法を使えるようになったのだとすれば。

 

 プレシアはまだフェイトに対する罵詈雑言を吐いていたが、少しも耳に入らない。

すべての事実が言っているようだった。

お前はただのアリシアの代用品でしか無かったのだと。

お前に母の愛情を受け取る資格など、元々無かったのだと。

母の悲しみは、不幸は、全てお前が原因なのだと。

 

「私が、アリシアになれなかったから……母さんは悲しんでいる」

 

 フェイトを叱るのも、フェイトの事を思ってなどではない、少しでもアリシアに近づくよう願いを込めて。

優しい言葉をかけてくれるのも、フェイトではなくアリシアに言っているだけ。

母が、プレシアがフェイトにかけてくれたのは、罵声だけなのだ。

優しさなど、欠片もくれた事は無かったのだ。

 

 胸を渦巻く感情に比して、不思議とフェイトは冷静に行動できた。

母にフェイトが真実を知ってしまったとバレるよりも早くその場を離れ、アルフが寄り付かない範囲で一人になれる部屋に入る。

ただでさえフェイトの心と通じあって辛い思いをしているアルフなのに、これ以上心労を負わせる訳にはいかないからだ。

扉を閉じて、部屋にある椅子に腰掛け、がらんどうになった体を預けた。

泣いても叫んでも大丈夫な状況ができたと言うのに、何故だかフェイトの目には涙一つ浮かんで来ない。

あるのは、ただ脱力だけだった。

 

「母さんの言葉は、全部私じゃなくてアリシアの為の物だった……」

 

 事実である。

空っぽになった心に、フェイトの言葉だけが寂しく響いた。

何もする気になれなかった。

何も考える気になれなかった。

暫くはこのままぼうっとしていたかった。

 

 けれど。

フェイトの心に、小さな炎が沸き上がってきた。

 

 ——お前は、プレシアの事が大好きなんだろう?

それなら、どんな障害があってもその心だけは本物だと、信じ続けるんだ。

例え心裏切られる事があっても、自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ。

 

 蘇るのは、ウォルターにかけられた言葉だった。

心の奥底に、火が灯る。

全身を沸騰したかのように熱い血液が巡り、体中にぎゅっと力が入った。

歯を噛み締め、両手を握り締める。

居ても立ってもいられなくて、立ち上がるフェイト。

 

 そうだった。

例え母が自分の事などアリシアの代わりぐらいにしか思っていなくても。

例えそれが植え付けられた、紛い物の記憶による物だとしても。

自分が母の事を好きな気持ちにだけは、偽りは無いのだ。

 

「私は……、母さんが好き、大好きっ!」

 

 叫び、フェイトは自身を抱きしめ膝をついた。

冷たい床板と触れ合うけれど、熱を吸い取られると言うよりも、逆に床を溶かしてしまいそうなように思える。

叫んだ喉は少しだけ痛くて、けれどその痛みが何故か心地よかった。

 

「私は、ウォルターと約束したんだ……」

 

 言い、フェイトは空中に拳を繰り出し、ウォルターとしたように、拳を空中に軽く打ち付けた。

あの時の思いが、胸の奥に蘇る。

そう、フェイトはウォルターと約束し、自分に誓ったのだ。

——自分がプレシアの苦しみの一因だったとしても、それなら自分はプレシアを笑顔にする存在に変わってみせる、と。

 

「だから私は、変わってみせるっ!」

 

 叫び、母の事を思う。

きっと母は、フェイトがアリシアじゃあなかった事に酷く落胆しただろう。

それで一度はリニスに教育を全てやらせていたのだ。

けれどそれでも諦めきれなくて、研究を続けながらフェイトをアリシアに近づける為に、フェイトの事を教育し始めたのだろう。

鞭を打ちながらも、心の奥ではフェイトがアリシアになれなかった事に涙していたに違いない。

ロストロギアを集めるのも、きっと少しでもフェイトをアリシアに近づける研究のため。

思えば、集めてきたロストロギアは魂だのなんだの、人格を変化させる事ができそうな物があったような気がする。

母は、フェイトがアリシアになる事を望んでいるのだ。

だから。

だからフェイト・テスタロッサは。

 

「私は、なってみせる……アリシア・テスタロッサにっ!」

 

 フェイトの知るアリシアの記憶は、5歳までの物だけ。

当然不明瞭で、覚えている事はそう多くはない。

険しい道のりになるだろう。

けれど、やってみせるのだ。

あの頃の記憶を、アリシアの記憶を思い出し、その通りに行動するようにしてみせるのだ。

少しでもアリシアに近づき、母の笑顔を取り戻してみせるのだ。

 

 ジュエルシードを集め終えるまでは、魔法を使う為にフェイトでいなければならないだろう。

けれどそれさえしてみせれば、フェイト・テスタロッサは終わり。

それからは、アリシア・テスタロッサになろうとする、新しい自分になるのだ。

 

 そこまで思ってから、ふと、フェイトはアルフの事を思った。

きっとアルフは悲しむだろう。

泣いてしまうかもしれない。

けれど母が大好きだと言うアリシアは、きっと優しさだって充分過ぎるぐらい持っている筈。

ならばアルフにだって、自分などよりよっぽど優しくできるだろう。

だから、アルフの前からフェイトが消えてしまう事を、許して欲しい。

 

 フェイトは静かに目を閉じ、手を組んで祈った。

誰にかは知らない。

母か、ウォルターか、それともアリシアにか。

ただ、決意だけが胸にあった。

必ず母を幸せにしてみせると言う熱く燃え盛るような決意だけが、フェイトの胸の奥を渦巻いていたのだった。

 

 

 

 

 


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