仮面の理   作:アルパカ度数38%

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2章4話

 

 

 

 蒼穹の元、潮の香りがなのはの鼻に届く。

海鳴市の山中、眼下には広く緑が広がり、広大な裾野へと続いていた。

雄大で、心落ち着く風景である。

そんな光景を目前にしながらも、なのはの心は静寂とは異なる場所に立っていた。

 

「なのはっ!」

 

 ユーノの声に頷き、なのはは愛杖レイジングハートを構えた。

シューティングモードとなったレイジングハートは、先端の宝玉を囲う黄色の飾りが不均等な二股に分かれている。

その長い方の先端に、桜色の光が集まり始めた。

魔力のチャージである。

普段ならば悠然と待つ事のできるその時間も、なのはの焦りが慌ただしい物にしてしまう。

——もっと、もっと早く!

背中に感じる視線を意識し、なのはは全力でチャージを早めた。

ジュエルシードモンスターである大鳥は、ユーノの緑色のチェーンバインドに捕まっているが、もがき続けている以上何時それが外れるか分からない。

もしここで逃げられてしまえば、彼の目前で無様を見せてしまう事になる。

なのはは、それをどうしても避けたかった。

故に焦燥は募りに募り、レイジングハートを構える手は汗で強くベタついてくる。

瞬間、大鳥の足掻きが強くなり、チェーンバインドが軋む音が強くなった、ような気がした。

 

「ディバインバスターッ!」

 

 次の瞬間、思わずなのはは叫んでいた。

目にも留まらぬ超高速でレイジングハートの周りを魔力の帯が円を形成、杖を固定した後魔力を放出。

桜色の光線が発射、大鳥と激突する。

力強い閃光と共に、大鳥が巨大な悲鳴を上げた。

ガチャガチャと金属音を立てながらチェーンバインドを揺さぶり、天空へ向かって吠える。

 

 やったか。

内心でそう呟くなのはの期待を裏切り、大鳥は消え去る事は無かった。

羽は所々抜け落ち、体中に煤を貼り付け、それでも大鳥はまだ健在であったのだ。

しかもなのはのディバインバスターとの干渉で、ユーノのチェーンバインドは切れてしまっている。

10分近くかけてユーノの元まで追い込んだ努力が水泡に帰したかと思った、その瞬間であった。

 

『縮地発動』

 

 レイジングハートよりも、更に機械的に思える女性の声。

同時、背後から大鳥へと白い稲妻が走ったかと思うと、次の瞬間大鳥は真っ二つになっていた。

まるで二つに分かれた事に気づかないかのように、鳥は羽ばたこうとし、失敗。

きょとんと自身に触れてから、ようやく悲鳴をあげようとするも、真っ二つになった大鳥に声は上げられない。

悲鳴のような小さな音を残し、核となったジュエルシードを残して大鳥は掻き消えた。

そのジュエルシードも光はすでに無く、大鳥を裂いた一撃で封印まで同時に行なっていた事が容易に知れる。

 

「ま、こんなもんか。なのはは後で説教な」

 

 と言いながら、ウォルターは軽々しくジュエルシードを手にとった。

彼の斬撃は、発声を必要とする魔力付与斬撃ですらない、通常の付与斬撃。

なのはが必殺のディバインバスターでようやく出せるだけの出力を、ウォルターはただ近づいて切るだけで出してみせたのだ。

心の中を、小さな嫉妬が渦巻く。

——私はその分、遠くから攻撃できるもん。

そんな当たり前の事を内心で呟きつつ、なのははそれを表情に出さないようにしてウォルターを迎えた。

表情筋の統制は、苦にならない。

ずっと一人だった頃に、家族に心配をかけないようにと慣れてしまった。

 

「お疲れ様、ウォルター君」

「そっちこそお疲れ様、なのは」

 

 言ってウォルターが差し出すジュエルシードを、なのははレイジングハートで受け取る。

他愛のない行為だけれども、それがなんだかウォルターに上から見下ろされているような気がして、なのはの心がチクリと傷んだ。

思わず、口から刺々しい言葉が漏れ出る。

 

「思うんだけど、ウォルター君の方が強いんだし、ジュエルシードもウォルター君が持ったほうがいいんじゃないかな」

「んー、フルスペックを出せるかって言うのも意味が大きいし、対人戦だとまだお前の方が上だと思うからな、まだ持っていてもらいたいんだが」

「それなら、分かったよ」

 

 と言いつつ、なのはは続こうとする醜い言葉を内心に留めた。

本当は私なんて必要ないのに、情けをかけているんじゃあないのか。

そんな言葉を口に出すなんて、想像するだけで嫌気が差す。

そんな事を言おうとしてしまった自分に嫌悪感が湧き、なのははぐっと口内を噛み締め我慢した。

今必要なのは、ウォルターを迎える為の笑顔だ。

今の自分には、それぐらいしかできないんだから。

そう念じて、なのはは笑顔を表情筋に貼り付け、笑った。

 

「じゃあ、お家に帰ろう、ウォルター君」

「おう、行くぞユーノ」

「……分かったよ」

 

 あれから何度か話してウォルターとの距離を縮めたユーノだが、まだ刺々しい態度は抜けない。

芳しくない返事にウォルターが少しだけ困った表情をするのに、いい気味だ、と一瞬なのはは思ってしまった。

思ってから、凄絶な自己嫌悪に陥ってしまったのだけれども。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……と、言う訳で、今回のジュエルシード探索も無事に終える事ができた」

 

 と言い、ウォルターが待機状態のティルヴィングを手放し、先の映像の放映を終えた。

パチン、と言う音と共に暗くなっていた部屋に明かりが灯る。

 

「よくやったな、なのはっ!」

「あぁ、特に今回の相手は俺たちがどう転んでも対応のしようのない相手だったしな」

「凄いよなのは~」

「怪我もなくて、桃子さんも嬉しいわ!」

「にゃはは……」

 

 手放しに褒める高町家の面々に、なのはは思わず頭をかきながら頬を赤く染める。

ジュエルシード集めを始めてからやって良かったと思う事は多々あったけれども、その中で最も良かったと思う事の一つは、こうやって家族に褒めてもらえる事だった。

勿論、なのははこれまで家族に褒めてもらえなかったと言う訳では無い。

ただ、自分のやりたい事を、自分だからできる事をやって褒められると言うのは、初めての経験だった。

なにせそもそもそういう事をやるのはジュエルシード集めが初の経験なのだ、当然と言えよう。

しばし余韻に浸っていたくて、目を閉じすぅっと息を吸い、感じ入るようにするなのは。

しかし、それも次の瞬間までだった。

 

「ウォルター君も、絶妙なフォローだったなぁ」

 

 ぴしり、となのはの内心にヒビが入ったような気がした。

それをどうにか表情に出さないようにしつつ、瞼の裏から再び家族の居る視界に戻る。

すると、食卓のついた全員はウォルターの方へと視線をやっていた。

次々に家族から発せられる、ウォルターへの賛辞。

ウォルターは涼しい顔でありがとう、と言ってそれを受け取ってみせる。

きっと、自分にしかできない事をやって、それを褒めてもらうなんて、ウォルターは慣れっこなのだろう。

そう思うと、皆に常に認められているウォルターと、今やっと足を踏み出したばかりの自分との差が目に見えるようで、なのはは心に影が落ちるのを避けられなかった。

高町家の賛辞は次いでユーノへと移っていたが、なのはの耳にそれは入らない。

ただ反射的に動くだけで、頭の中ではマルチタスクでウォルターの事を考えていた。

 

「さ、そろそろ飯にしようぜ、俺はもう腹が減っちまったよ」

 

 と、ユーノへの賛辞が収まる頃に、ウォルターが言う。

それも絶妙なタイミングで、丁度皆もお腹がすいてきた所だ、と言う事で食事になった。

いただきます、の斉唱のあと、家族みんなにユーノとウォルターで食事に入る。

食卓を目に、なのはは少しだけ目を細めた。

ユーノは使い慣れたナイフにフォークにスプーンで食事をしていたが、ウォルターは箸を使っている。

高町家は最初異世界人たるウォルターに洋食器を渡したのだが、あっさりと箸も使えると言って使い出したのだ。

その分だけ、ウォルターはユーノよりも高町家に馴染んでいるように見えた。

加えて。

 

「ウォルター君、あの一撃の筋肉運用は、矢張りこんな感じで?」

「あぁ、前も言ったが、空戦では下半身の踏ん張りが効かないからな、上半身の力だけで切るんだ。

それを片手でやると、そんな風になる。

もうちょい腕の力の入り方のダイナミズムを強くしたら、完璧かな」

「俺達は常に足場がある事が念頭に入っているからな、新鮮な話だ」

「だね~」

 

 同じ剣の使い手と言う事で、ウォルターは士郎に恭也に美由希とも話が合った。

食卓の上でも時たま、簡単な物とは言え剣術や鍛錬の仕方なども話に上がり、盛り上がっているようだ。

家族の中でも剣術を教わっていないなのはは、その話にはついていけず、何処か浮いてしまう形となる。

かといって、残る桃子とウォルターが話が合わないかと言うと、そうでもない。

 

「へぇ、ウォルター君ってお味噌汁作った事あるのね」

「遠く日本人の血が入ってる家庭にお邪魔した時、何故か一緒に作る事になってな……」

『マスターの体調管理を任されている物として、新しい調理は習得しておきたかった物で』

「あら、ティルヴィングちゃんのお陰だったんだ」

 

 どうやらウォルターは栄養バランスなどの観点から自炊を中心にしているらしく、その料理は10歳児にしては中々の腕前のようだった。

当然桃子には到底及ばぬ腕前だが、それでも話題には共通点があるのだろう、時折二人で料理話に花を咲かせる事がある。

なのはは簡単な料理の手伝いぐらいはした事はあるが、ウォルターのように一食を全て自分の手で作った事は無かったし、メニューを自分で考える事も殆ど無い。

自然、こちらの話からもなのはは置いて行かれる事になってしまう。

かといってユーノに話しかけようにも、こちらもまた家族からの質問攻めにあっていた。

 

「へぇ、そっちの考古学者ってそんな事やるのね」

「遺跡の探検かぁ……、父さんも随分色んな事やったけれど、そんなインディ・ジョーンズみたいな事はやった事ないなぁ」

「頼むからやらないでくれ」

「ははは……」

 

 古代文明の遺跡の発掘者であり考古学者と言うのが珍しいのだろう、皆興味津々にユーノの話に耳を傾けている。

こちらに関しても、勿論なのはも聞き手に回るしか無い。

遺跡や考古学を知っている筈などないし、魔法の関しての話も大抵ユーノやウォルターの方が詳しいからだ。

 

 仕方ない事だ、となのはは理性では分かっていた。

恐らく家族の皆は、異世界の家に上がりこむ形になってしまった二人を気遣い、疎外感を感じさせないように努力しているのだろう。

勿論異世界人への興味は本物だろうが、そういった側面はあるのは確かだ。

ウォルターらを迎え入れた直後はなのはもそうして欲しいと思っていたし、今でも少なくともユーノに対しては思っている。

 

 けれど。

だけれども。

この光景は、まるで自分よりもウォルターの方が高町家に馴染んでいるかのように見えてしまう。

元々なのはが、家族内で一人浮いているような気がしていた、と言うのがそれに拍車をかけた。

何処よりも暖かな家族の中、自分一人だけ薄い膜のような物に取り囲まれているような気分がなのはを襲う。

 

 なのはがウォルター達を高町家に泊めようとした時の説得を、主にウォルターが担ったのがそれに拍車をかけていた。

最初、なのはの拙い説明では家族は誰一人頭を縦に振らなかった。

いや、ウォルターとユーノを家に泊める事は是としたのだが、なのはが引き続きジュエルシードを集めるのには賛成してくれなかったのだ。

 

 そこで出てきたのが、ウォルターである。

言葉に不思議な説得力を持つウォルターは、いとも簡単に高町家の面々を納得させた。

実力的に、怪我のあるウォルターは今なのはの庇護がある事が望ましい事。

それを己の無力さで引き起こしてしまった事。

リニスの命可愛さに、なのはを危険に近づかせてしまう事。

それでもなのはは必ず怪我一つ無く送り返すと約束し、ウォルターは頭を下げた。

そこまで言われても納得しきれなかった家族は道場に行き、ウォルターの強さを確かめた上で、いくつかの問答を終え最終的に納得した。

なのはは一旦その場から離され、問答の詳しい内容は聞いていないが、いくつか条件がつけられたらしい。

先の上映会も、その時の条件の一つである。

そんな風に高町家の面々とすぐに仲良くなったウォルターは、なのはなどよりよっぽど高町家に馴染んでいるように見えるのだ。

 

 当然、なのはが孤独だなどと言うのは勘違いだ。

家族の皆が情に厚く愛情溢れた人なのは分かっている。

なのに、勘違いの筈の寂しさがなのはを取り巻き、中で渦巻いてくるのだ。

抑えようのないそれに、なのはが小さく口元を動かしたのに、目ざとく士郎が気づいた。

 

「なのは、どうかしたか?」

「ううん、なんでもないよ?」

 

 笑顔を貼り付け、なのはは笑った。

かつて良い子でいなきゃと必死だった時の経験が、なのはの演技を支えていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 昼間。

昼食に高町家に戻ったなのはとユーノとウォルターは、小一時間ほど食休みを取る事にしていた。

そんな余裕があるのは、フェイト達に比してなのは達には幾分か探索魔法が優秀である為だ。

ウォルターの探索魔法はかなり優秀で、加えて魔力譲渡され存分に探索魔法を使えるようになったユーノは更に優秀だった。

ウォルター曰く、二人合わせれば次元航行艦のシステムにも匹敵しうるぐらいだと言う。

そんな元の姿に戻ったユーノと高町家では一悶着あったが、それは兎も角として、二人は非常に有能だった。

 

 桃子のレシピで作られたウォルター作の昼食でお腹一杯になったなのはは、暫く自室でくつろいでいた。

ウォルターの料理は自己申告の通りかなり旨く、桃子の7割ぐらいには届いている、と言った印象であった。

それに女性として密かなショックを受けつつも、なのはは美味しそうに昼食を食べ終え、作ってくれたウォルターに礼を言った。

なのはの中で育つウォルターへの嫉妬が邪魔をしたが、それはまだなのはの律する事のできる範囲内にあったのだ。

それでもあまり長くウォルターと一緒に居ると、醜い自分を吐露してしまいそうになる。

そこでなのはは一人二階の部屋に上がり、先に休んでいると言う事にした。

 

「……ん……」

 

 小さく声をあげ、寝転がりながらなのはは携帯電話を手にする。

暫く会えないと言った友達、アリサとすずかの事を思った。

そのうちアリサとは、喧嘩をしたばかりである。

フェイトの事をどう思っているのか分からず、ぼうっとしていたなのはに、アリサの堪忍袋の緒が切れたのだ。

 

 それを切っ掛けに、なのははアリサとすずかと出会った頃のことを思い出した。

出会いは、喧嘩からだった。

アリサがすずかのカチューシャを取り上げて、すずかはそれを返してと泣きそうになっており、それを見かねたなのはがアリサの頬を張ったのだ。

あれはいけなかった、となのはは自分の事を省みて思う。

結果的に二人とは友達になれたけれど、あの時自分達は分かり合えなかった。

話せなかったから、分かり合えなかった。

それを思って、なのははフェイトの事を知りたいと言う自分の気持ちに気づけた。

だからあの夜、フェイトとの激突の時になのはは思ったのだ。

フェイトの事が知りたい、と。

何もわからないままぶつかり合うのは嫌だ、と。

そしてその時は、自分の中にその先にある思いが、朧気ながら見えたような気がしたのだ。

 

 だがしかし、その次の瞬間、ウォルターが乱入してきた。

ジュエルシードが何だかヤバイ気がする、と言う勘でなのはらの戦いを邪魔したのだ。

勿論、そんな事知る由もないウォルターを責めるのは間違っている。

だがそれでも、あの時の乱入がなければ、となのはは思わずにはいられなかった。

 

「……ウォルター君は、悪くないのに」

 

 呟き、なのはは胸に手をやる。

僅かな膨らみに押し付けるようにして手に力を入れ、リンカーコアを掴もうとするかのようにしてみせた。

そう、ウォルターが悪い人ではないと言うのもなのはには分かっている。

なのはの我儘だと言うのに、ウォルターはなのはをジュエルシード集めに関わらせてくれる為に、高町家の面々に辛抱強く説得をしてくれたのだ。

それにジュエルシード集めの時、なのはが失敗しても、必ずフォローに入ってくれた。

その後にきちんとなのはを甘やかしたりせず叱るし、問題点もきちんと指摘してくれる。

ウォルターは、完璧だった。

唯一そうではないのは、ユーノとの関係か。

そう思ってから、ふとなのはは残してきたユーノとウォルターがどうなっているか心配になってきた。

二人とも善人なのだ、きっと仲良くなれるだろうけれど、その前に喧嘩などしないだろうか。

もしそうなっていれば、止めるのは二人を引きあわせた自分の役割だ。

 

 なのはは勢い良くベッドから立ち上がると、ドアを開き廊下に出る。

それから、そうっと抜き足差し足で一回に降り、あたりを見回すも、二人は見当たらない。

何処に行ったのかと見回していると、小さく二人の声が聞こえる。

なのははゆっくりとそちらへ向かった。

 

 二人は縁側に腰掛けていた。

背の低い草に苔の生えた石、鯉の泳ぐ池。

純和風の背景に西洋系の顔立ちの二人が縁側に腰掛ける風景は、何処か違和感のあるものだった。

ちなみにウォルターとリニスは家の中ぐらいなら離れる事ができるようになっており、リニスは今ウォルターの借りている部屋で寝ている。

にしても、さっきまでウォルターへと持つ醜い感情について考えていたからか、なのははどうも彼を顔を合わせづらかった。

それに、二人の話が上手く行っているのならば、それはそれで話の腰を折りたくない。

咄嗟に隠れて、なのはは二人の会話に耳を傾ける事にする。

 

「そうか……ムラマサ事件の背後には、そんな事が」

「オフレコだぞ。つっても、そもそも背後を全部話した訳じゃあないんだがな」

 

 ムラマサ、と言えば、確かユーノがウォルターに向かって激昂していた時口に出していた、ウォルターが壊したロストロギアの事だったか。

二人が顔をあわせていると、矢張りユーノは何処か刺々しい態度を取るのが常である。

だが今は、ユーノの態度から刺々しさが抜け落ちているかのように思えた。

不思議に思いつつ、続けて耳を傾けるなのは。

 

「それでも、君が何も考えずにロストロギアを破壊したんじゃあないって事は、よく分かったよ」

「いや、その、スマン、歴史的価値とかはあんまり考えてなかったぞ?」

 

 ウォルターは静かなユーノの声に、思わず、といった様子で頭をポリポリかいてみせる。

何とも居心地が悪そうな様子に、しかしユーノはくすりと笑って答えた。

 

「そうみたいだけどさ、君が金や名誉の為じゃなくて、誰かの命や心からの願いの為に戦ってきたのは分かったよ。

そりゃあ、僕は必ずしも誰かの願いが歴史より重要だとは思わない。

君の行動に納得できない時だって、きっとあるだろう。

だからその時は、ぶん殴るぐらいはさせてもらうさ」

 

 言って、軽くウォルターに拳を突き出すユーノ。

ウォルターは掌を広げ、ポスン、と軽い音を立ててそれを受けた。

あの男臭い笑みをニヤリと浮かべ、炎の瞳でユーノを見据えて言う。

 

「そうだな、殴られっぱなしになるつもりはねーから、そんときゃ喧嘩だ。

ちゃんと喧嘩になるよう鍛えてこいよ?

弱いもの虐めになっちまうからな」

「上等さ、遺跡生活のスクライア一族の体力を舐めるなよ?」

 

 一斉に二人は手を引き、睨み合う。

一触即発か、と飛び出そうと慌てたなのはを尻目に、二人はニヤリと微笑んだ。

示し合わせたかのように腕を差し出し、互いの腕を中間で組んでみせる。

小さく互いに微笑み、ぎゅ、と組んだ腕に力を入れたかと思うと、すぐに腕を解き、立ち上がった。

まるで仲の良い友達のような動きに、なのはは思わずぽかんとしてしまう。

それが災いして、振り返ったウォルターとユーノと、目があった。

 

「あれ? なのは?」

「さっきからそこに居たけど、どうしたんだ?」

「って、君は分かっていたのかよ……」

 

 理由の分からない衝動が、なのはの胸を襲った。

こみ上げてくる何かが内側から顔面にぎゅっと押し付けられるかのようで、こらえ切れない。

気づけば、ぽつり、となのはは涙をこぼしていた。

 

「ってなのは!?」

「おい、お前どうしたんだよ!?」

 

 分からないよ。

そう呟こうとするも、なのはの口は声にならない声を出すのみで、意味ある言葉を発せなかった。

その場で座り込んでしまいそうになるのを、最後の精神力で押しのけ駆け出す。

 

「お、おいっ!」

 

 足の早いウォルターが追いかけてくるのを感じながら、なのはは二階へと駆け上がり、自分の部屋へと飛び込んだ。

ベッドに飛び込み、顔を押し付けるようにして咽び泣く。

胸の中に感情の固まりがあって、それをどうにかして吐き出してしまいたいような気分だった。

嗚咽を漏らし、ベッドをつかむ手に渾身の力を込め、それでも出来る限り小さな声で泣き続ける。

それは根付いた迷惑をかけたくない心故にか、自分が泣いていると言う事実を嫌がっている故にか。

兎に角なのはは、泣いた。

体中の水分が抜け落ちてしまうんじゃあないかと思うぐらいに、泣いた。

 

 暫く経ち、ようやくなのはの涙が収まってくると、なのはの内心は少しだけスッキリとしていた。

代わりに罪悪感が立ち上ってきて、チクリと心が痛む。

いきなり泣きだしたりして、きっと二人は心配してしまっているだろう。

もう大丈夫だよ、って教えてあげなくちゃ。

そう思って部屋の入り口へと振り返ると、バツの悪そうな顔で立ち尽くしたウォルターが視界に入った。

見るとドアは開け放たれており、よくよく考えれば部屋に飛び込んだなのははドアを閉めた記憶が無い。

泣いている所、見られちゃったんだ。

そう思うと恥ずかしさが顔まで登ってきて、思わず頬が赤くなるのをなのはは感じた。

恥ずかしさをどうにかしようと黙り込んでいるなのはに、ポリポリと頬をかきながら、ウォルター。

 

「まぁ、なんだ……、悩みがあるなら、誰かに喋ってスッキリするって言うのも手だと思うぞ。

俺が嫌ならユーノと代わるし、家族がいいならひとっ走り翠屋まで行って連れてこれるが」

「……ウォルター君でいい。ううん、ウォルター君がいいの」

 

 言って、なのははベッドに座るようにし、尻をずらしてウォルターの座るスペースを作る。

いいのか、と問うウォルターに無言で頷き、なのははウォルターを隣に座らせた。

なのはの顔を覗きこむようにして見る、ウォルター。

泣いた後の顔をじっくりと見られるのが嫌で、なのはは俯いたまま黙りこくる。

静かに時間だけが過ぎ去っていた。

ジュエルシードは待っていてくれない、話すなら話すでさっさと話さなければならないと思うなのはであったが、どうにも口は重かった。

ウォルターが一切急かすような仕草を見せなかったのも、一因だろうか。

暫し時間を置いた後、ようやくなのはは口を開く。

 

「私ね、友達が居るんだ。

アリサちゃんとすずかちゃんって言って、二人ともとってもいい子なの」

「アリサと、すずかか」

「うん」

 

 言って、なのはは思い出す。

ユーノと出会った日、いや、それよりもずっと前から二人に対して感じていた事を。

 

「二人ともすごい子でね、きちんとやりたい事を、夢を持っているんだ。

アリサちゃんはお父さんとお母さんの後を継いで経営者、すずかちゃんは工学系の研究者。

自分だからできる、自分がやりたい、夢を持っているんだ」

「……立派な子達だな」

「うん、私の自慢の友達。

でもね、私には、そんな夢は無かったんだ。

ユーノ君と、魔法と出会うまでは」

 

 気遣わしげに、なのはの視界にウォルターの手が入ってきた。

なのはの手を握ろうかどうか、迷うような動きで近づいてくる。

なのははウォルターも迷うような事があるんだな、と思い、手を伸ばしてこちらからウォルターの手を握った。

ウォルターの手は温かく、少しだけ心洗われるような感じがする。

その感触に微笑みつつ、なのはは続けた。

 

「最初はユーノ君の頼みを聞いているだけだった。

でもね、一度私の失敗で海鳴におっきな木が生えて、大惨事になりかけた事があったんだ。

その時思ったの、これまではユーノ君に頼まれたからやっていただけだけれど、これからは私がやりたいから、この街を守りたいからジュエルシード集めをやるんだって。

私は、自分がやりたい事、自分だからやりたい事を、見つけられたんだ」

「そう、か」

 

 鋭いウォルターはその先の展開が読めたのだろう、罪悪感からか、手を引こうとする。

ぎゅっと握りしめ、なのははウォルターの手を二人の中間に留めた。

 

「フェイトちゃんとの事もそう。

私に何ができるか分からないけれど、あの子の悲しい目を見てから、なんとかしなくちゃ、って思うようになったんだ。

けれど……」

 

 一旦口を閉じるなのは。

次の一言を言うのが、少しだけ怖かった。

これを言ってしまえば、それを認めなければならない。

認めてしまえば——、高町なのははまた平凡なただの小学3年生に戻ってしまう。

少しだけ生まれた、なんとか残っている自信も、消え去ってしまう事だろう。

無意識に、手が少しだけ震えた。

ウォルターが少しだけ、握る手に力を込める。

ぎゅっと握られたそれは、その体温がすぐ近くにずっと居てくれるかのように思えて、少しだけなのはの勇気を引き出してみせた。

 

「ウォルター君が、全部解決しちゃった」

「…………」

 

 もし、ウォルターにできる事が街を守る事だけなら、耐え切れただろう。

逆にフェイトの寂しさを拭う事だけだったとしても、自負を持って耐え切れたに違いない。

けれどウォルターは、完璧だった。

怪我をし魔力を半減しながらもジュエルシードを安々と封印できたし、探索魔法だってユーノと肩を並べるぐらい。

一晩フェイトと話しただけで、彼女の瞳から寂しさをいくらか拭い、それどころか熱く燃える炎のような心を持たせてみせた。

ばかりか、プレシアと言うなのはの知らなかった黒幕まで見つけ、それと互角以上に戦えるのだ。

最早なのはだからできる事は、残されていなかった。

全てウォルターが解決してしまえた。

 

「それでも自分にできる事を探して、ウォルター君とユーノ君の仲立ちかなって思いついた瞬間、二人が仲直りしちゃってさ。

そしたらなんだか、胸が一杯になっちゃって……」

「そうか……」

 

 暫く、沈黙がその場を支配した。

時計の秒針の動く音と、二人の小さな呼吸音だけが響き渡る。

掌の暖かさは変わらず、なのはの手を伝い感じられていた。

 

「……私ね、結構最近まで、結構一人で居る事が多かったんだ」

 

 出し抜けに、なのはは口を開いた。

ピクリ、とウォルターの手が動き、意識をなのはの話に向けるのが見て取れる。

 

「お父さんが大怪我しちゃってね。

その頃は翠屋も開いたばかりだったから、お母さんとお兄ちゃんは喫茶店で忙しくて、お姉ちゃんはお父さんのお見舞いで忙しくって。

私、ずっと一人で居る事しかできなかったんだ」

 

 言いつつ、なのはは思いを過去に向ける。

良い子で居てちょうだいと言われ、良い子にしていれば構ってもらえると信じていたあの頃。

良い子にしなくちゃ、と思ってどれだけ良い子にしても、なのはは一人だった。

触れ合える体温が無く、食べ物は冷えた食事を温めるだけ。

寂しかった。

どうしようもなく寂しかった。

なのははもう9歳だ、それは仕方のない事だったと分かっているが、それでも記憶の中のなのはが寂しさを訴えていたのは変わらない。

 

「そんな風だったから、私、ずっと寂しかった。

だから、フェイトちゃんの目の寂しさも、少しだけ分かるような気がして。

そういう過去を持つ私だからこそ、フェイトちゃんの寂しさを分かち合えると思っていて」

 

 ぎゅ、となのははウォルターの手を握る手に力を込めた。

痛いぐらいに力を込めたと言うのに、ウォルターはそれに応えるように力強くなのはの手を握りしめてくれる。

それが嬉しいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちだった。

気遣ってもらえて嬉しくて、同時にウォルターの完璧さを知らされているかのようで。

 

「でも、それは勘違いだったんだね……。

ウォルター君が居れば、フェイトちゃんもきっと大丈夫。

私の出る幕なんて……」

 

 無い、といい切ろうとした、その瞬間であった。

ウォルターがなのはの手を離し、両手でなのはの肩をつかむ。

ぐいっとなのはの体を引っ張り、ウォルターの正面に向かせてみせた。

炎の瞳が、なのはの目を射抜く。

 

「ある。お前にしかできない事が、ある」

 

 ごう、と。

なのはは自分の心の一番奥深くで、炎が舞い上がるのを感じた。

全身を巡る血潮が熱く、指先まで今にも燃えそうなぐらいに熱くなる。

吐く息が、まるで物語の竜の吹く炎の息のようだった。

汗がじんわりと全身から溢れ、肌がしっとりとする。

 

「お前がフェイトの瞳に寂しさを見たように……、俺はプレシアの目に悲しさを垣間見た。

俺にはプレシアが、本当の願いを、本当に歩みたい道を歩んでいないかのように見えたんだ」

 

 じんわりと、体の芯が熱せられているかのようだった。

興奮が全身を渦巻き、心臓は早鐘を打ち、喉はカラカラに乾いてしまう。

けれど不思議と、不快さは全く無かった。

ただ、今にも立ち上がって駆けまわりたくなるような炎熱だけがなのはの内側を渦巻いていた。

 

「俺はあいつをぶん殴って、本当の自分の願いを見据えさせたい。

自分が本当は何を願っているのか、直視させなきゃならねぇ。

といっても、あいつは条件付きとはいえ、SSランクの魔導師だ。

一度は勝ちかけたが、次は何か手段を考えてくるから、一筋縄じゃあ行かないだろう。

多分それで流石の俺もいっぱいいっぱいだ、フェイトを助ける奴が他に要る」

「それが……私?」

「ああ。それに俺は、フェイトからは見上げられているように感じる事がある。

対等な所からフェイトを助けられるのは、なのは、お前しかいないんだ」

 

 炎は最早、ただ燃え盛っているだけではなく、風を巻き起こしなのはの心のなかの暗雲を消し飛ばしてしまうような勢いを持っていた。

蒼穹から陽光の光が心の中に差してくるのを、なのはは感じた。

まるで目の前のどうしても開かなかった扉が開いたかのような、開放感。

 

「私が……フェイトちゃんを助けられる?」

「あぁ。お前ならできる、俺はそう信じている」

 

 心が燃え盛るのを、なのはは感じた。

ウォルターから与えられた熱だけでなく、自分の心の奥底から沸き上がってくる炎を。

いつの間にか、なのはの心に巣食っていた嫉妬や諦めは、消え去っていた。

代わりにどんどんと希望や力が湧いて出てくる。

 

「私が、フェイトちゃんを助ける!」

「応、お前ならできるっ!」

 

 野獣のような男らしい笑みを浮かべながら、ウォルターは叫んだ。

肌にビリビリと来る威圧だが、なのはにはそれがむしろ心地よいぐらいに感じられた。

なのはの中を、様々な感情が駆け巡った。

嫉妬してしまった恥ずかしさ、ウォルターのような強い人間に頼られる誇らしさ、嬉しさ。

責任は思いけれど、何故だろう、それが心地よいと思えるぐらいだった。

胸の中から湧き上がる思いを、なのはは口にする。

 

「それじゃあ、ウォルター君と私は、仲間だね」

「仲間?」

 

 目を瞬くウォルターに、なのはは口元を引き上げ、笑った。

 

「私はフェイトちゃんを、ウォルター君はプレシアさんを。

誰かを助けようとする、仲間」

「……そうか、そうだなっ!」

 

 快活に笑うウォルターは、ようやくなのはの肩から手を離し、腕組みしてみせた。

そんなウォルターに、なのはは握りこぶしを差し出す。

すぐにウォルターも気づき、同じように握りこぶしを差し出した。

かつん、と軽い音を立てて、拳と拳が小さくぶつかり合う。

 

「……約束だよ、私は絶対にフェイトちゃんを助けてみせる!」

「応、俺はプレシアを絶対に助けてみせる!」

 

 男らしく笑うウォルターに、なのはもまた熱の篭った笑みを作ってみせた。

そして内心で、一つだけ自分自身との約束をしてみせる。

口では対等のように言うけれど、ウォルターがなのはより遥かなる高みに要るのは確かだ。

今はまだ隣に立たせてもらっているだけで、隣には立てていない。

だけど、それじゃああまりに格好悪すぎるじゃあないか。

だからいつの日か、肩を並べて一緒に戦えるようになってみせる。

確かな誓いを胸に、なのはは笑ってみせた。

心の奥から、笑ってみせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

『マスター?』

「ティルヴィング……」

 

 夜中。

夜になってジュエルシードの探索を一旦中断し、睡眠の為各自部屋に分かれた後。

リニスは可愛いもの好きな桃子さんと美由希さんに託し、僕は一人きりで真っ暗な部屋の中に居た。

カーテンを閉め、電気を全て消し、残る僅かな明かりも魔力で塞ぎ、明かり一つ無い真っ暗な部屋に。

そんな部屋の中、僕は部屋の角に体育座りで座り、左右を壁に挟まれるようにしている。

今広い所に居ると、心のなかの不安がはち切れそうで、掴みどころの無さが怖くて仕方がなかったからだ。

狭い所に居ると、何故か少しだけ落ち着く。

僕のミッドの部屋でも、偶に不安で堪らない夜なんかはこんな風に過ごしていたのだが、それにしても久しぶりにこんな精神状態になった。

恐らく、三ヶ月ぶりぐらいではなかろうか。

此処に来る前の最後の事件は、結構疲れはしたけれども、あまり精神的に来るような事件では無かったので、その為かもしれない。

だとすれば、僕は精神的に全く成長していないのだろう。

そんな自分に嫌気がさしながらも、部屋の中の唯一の光源に向かって話しかける。

 

「なのはは……凄かった」

『そうでしょうか?』

「あぁ、機械のお前には分からないのかもしれないが……、凄い精神力だった」

 

 昼間の事を思い出す。

ジュエルシードの探索の最中の食休みの時間、なのはは癇癪を起こし、泣きだした。

僕は必死に彼女を慰め、元々頼むつもりだったフェイトの事を彼女に頼んだのだけれども。

僕の言葉に呼応するように、彼女は自らの心を燃やしてみせたのだ。

数日前、夕方の臨海公園で見たなのはの精神など、氷山の一角に過ぎなかった。

彼女はUD-182とはまた違う、爽やかで、澄み切った青空のような、広大な精神の持ち主であった。

そして。

 

「UD-182とは方向性こそ違えど……、彼女はUD-182に近い精神の高さを持っていたんだ」

 

 紛れも無い、事実であった。

彼女の誇り高き心は、自覚こそ無いようだったが、周りの人間を巻き込んで何処か高い所を目指していける、素晴らしい物だった。

本物の尊き精神。

僕の紛い物とは、格が違う精神。

 

「あの時のなのはを目の前にしていて……僕は、怖かったんだ。

本物の彼女を前にしたら、僕の紛い物のメッキなんて剥がれてしまうんじゃあないかって。

そしたら僕は……、おしまいさ。

何の価値も無い人間になってしまう。

それだけは、嫌だ。

僕はUD-182の生き方の証明を、生きる意味を無くしても歩んでいける程、強くは無いんだ」

 

 高精度防音結界の中で、僕の震える声が反響する。

ティルヴィングの指導でよく通り聞き取りやすいように調教された声は、壁に反射し、僕の耳へと届いてもまだ明瞭なままだった。

ティルヴィングが明滅、疑問詞を上げる。

 

『私はUD-182を知らないので何とも言えませんが……。

貴方が高町なのはより優れている点をいくつも知っています。

戦闘能力、演技力、交渉力……』

「あぁ、確かにいくつかの部分で僕はなのはに勝っているだろう。けれど……」

 

 天を仰ぐ。

ティルヴィングの緑の輝きに照らされ、薄く天井が見えた。

それでも僕の精神は遥かその先にある夜暗を、あの日と繋がる夜空を見据える。

意外なほど簡単に、僕は言ってみせた。

 

「心でだけは、勝てない」

『…………』

「仮面を被っても、心でだけは勝てないんだ」

 

 絶望的な気分だった。

僕はUD-182と言う、誰よりも高い位置にある精神を目指していた。

必死だった。

演技の裏で胃が痛くなり、反吐をぶちまけた事だって数えられないぐらいある。

一人になれば、偏頭痛や理由のない不安、止まらない震えなんかも日常茶飯事だった。

けれどそれらを全て我慢しながら、3年もの間僕は演技を続けてきたのだ。

だけどなのはは、素の感情で僕の演技の上を行っているように思えた。

僕の努力が、血と汗の結晶が、無価値だと言われたかのようで。

泣かないと言う誓いを覚えていて尚、泣きたいぐらいだった。

 

 何より、これまで僕は信念のために多くの人を犠牲にしてきた。

店主一人じゃあない。

7つもの事件で僕がこぼしてしまった犠牲者は、優に10人を超える。

仮初とはいえそれだけの人を犠牲にして作り上げた理想でさえも、心に炎の点ったなのは相手では劣っているようにしか思えないのだ。

代償にしたのは、人の命だ。

軽い筈がない。

なのに、それだけ重い物を代償にしていると言うのに、この体たらくだ。

自分が情けなくて仕方がなかった。

許されるならば、この手で自身を引き裂きたいような気持ちだった。

 

『私には、分かりません。

心で勝てなかったとして、マスター、貴方は何故そんなにも悲しんでいるのでしょうか』

「お前には……、機械には分からない事だよ」

『そうですか。しかし、いつの日か理解できるよう、精進します』

「あぁ、勝手にやっていてくれ」

 

 言ってから、少しの間だけ後悔する。

ティルヴィングの方から話しかけてきたと言っても、これじゃああんまりじゃあないか。

でも同時に、仕方がなかったんだ、と言い訳を始める自分が居た。

僕はなのはへの劣等感を、吐き出さずにはいられなかった。

そうでなければ、明日からまたなのはから同格の人間を見る目で見られる事に、耐えられそうもなかったのだ。

そしてそうするのと同時にこうやって心がささくれ立つのは、避けられない事だったのだ、と。

 

『マスター、そろそろ就寝時間です。ベッドの上へ』

「あぁ……、分かったよ」

 

 防音結界や傍受阻止結界を解く。

ドアの間から廊下の僅かな明かりが漏れでて、カーテンを透過して月明かりが部屋に差し込んだ。

暗闇に慣らされた目は、そんな僅かな光源でも部屋の輪郭をしっかりと捕らえている。

僕はゆっくりとベッドにたどり着き、倒れこむようにして横になった。

掛け布団をかける気にもなれず、僕はうつろな目で空中を睨みながら、ゆっくりと睡魔に身を委ねるのであった。

 

 

 

 

 


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