仮面の理   作:アルパカ度数38%

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2章6話

 

 

 

「先ほどの次元跳躍魔法の魔力波長は録れていたわ」

 

 リンディ・ハラオウン艦長が言うのに、僕らは頷いた。

そこは、一際変わった部屋であった。

部屋の中だと言うのに水が流れており、椅子や机は無く、平らな一段高い場所に赤い敷物と何に使うのか分からない道具が置いてある。

恐らく高町家にもあった盆栽と言うガーデニングの一種が二段8つ程飾られており、赤い竹傘が開かれている。

竹傘の赤とその下に居る明るい緑色の髪の毛をしたリンディ艦長とでは、色の調和はキツくてあまり綺麗とは言えない感じだ。

しかし、こういうのを、和風と言うのだろうか。

よく分からない価値観だな、と思いつつ、僕らはそこに上がって正座をした。

此処は次元航行艦アースラの中の、艦長室である。

そこで僕となのはとユーノは、艦長であるリンディさんに状況を伝えていたのだ。

一通りの話を終えると、リンディさんは瞼を閉じ、聞き入るようにしてからそう言った。

応ずるように、隣で空中に端末を出し操作していた茶髪の女性、エイミィさんが口を開く。

 

「調べてみたけれど、確かにあの魔力波長はプレシアの物だったよ。

ミッドでもかつて有名だった魔導師の一人で、大魔導師って呼ばれていたぐらいだね。

ただ、26年前に次元エネルギ−関連の事故を起こして、その後すぐに消息を断っちゃったみたい。

少なくとも今取り寄せられるデータで見つかるのは、このぐらいかな。

後は本局に問い合わせして探してもらうか……」

「使い魔リニス、彼女が意識を取り戻すかがなければ、進展は無さそうだね」

 

 と受け取る、アースラ直属の執務官、クロノ。

僕が腕に抱えるリニスは、未だ意識を取り戻しては居ないが、しかし。

 

「既に魔力はリニスさんが起動可能なまでに注ぎこんである。

となると、もう何時起きてもいい状態って事になるが、こればっかりは起きてみるまで分からねぇな」

「かといって本局への問い合わせには一週間ぐらいかかっちゃうから、先に事件が終わっちゃうかもしれないんだよねぇ」

 

 と、ポリポリと頬をかきながら言うエイミィさん。

それでもしない訳にはいかないんだけど、と続けてから端末を消し、再び視線をこちらへ。

管理局側の三人の視線が、なのはへと集まる。

相応の圧力のある視線だった筈だが、なのはは微動だにせずそれを受けきっていた。

いや、それどころか、少し圧力をかけようとしたリンディさん達の方が、戸惑っている様子を見せるぐらいだ。

数日前に見せたように彼女にもナイーブな所があるのだと分ってはいるものの、それでも尚精神が鋼鉄で出来ているのかと疑わざるをえない様子である。

それが例え強がりだとしても、同じ僕の強がりよりよっぽど凄味のある物だ。

内心の分析に憂鬱になりつつも、僕は仕草で三人に続きを促す。

戸惑っていた三人は僕の様子に気づくと、小さく頷き、口を開いた。

 

「さて、なのはにユーノ、君らは明日からそれぞれ元の世界に戻って、元の暮らしに戻るといい」

「ごめんなさい、それはできません」

 

 鋼の言葉でなのはは言った。

断定的な言葉に驚いたのだろう、三人はそれぞれに驚いた顔を見せる。

そしてリンディさんはすぐに僕へと視線をやったが、僕は首を横に振った。

僕は管理局がどんな所かぐらいは言ったが、具体的にどういう対応をしてくるかまでは言っていないし、ましてやどう話せばいいのかなんて事など考えた事もなかった。

なのはの言葉は、全てなのはが考えた事である。

なんとも言えない目をしつつ、リンディさんはなのはへと視線を戻す。

その間になのはの言葉を受け止めたのだろう、吃驚していたクロノが口を開いた。

 

「できないって君、これは民間人の出てくるレベルの事件じゃあないんだぞ!?」

「それでも、お願いします、私、この事件に最後まで手を貸したいんです」

「って言ってもなぁ……。

ジュエルシードは、次元干渉型のエネルギー結晶体だ。

衝撃を与えるだけで次元震を起こし、最悪次元断層を起こしかねない物なんだ」

「それでも、お願いします」

 

 先程説明があったのでなのはも分かっているだろうが、次元断層が起きれば複数の次元世界が崩壊し、100億人単位の死者が出る。

ジュエルシードが危ないとは勘で分かっていたが、それでも次元断層が起きる可能性すらあった物だったとは。

衝撃を与えないよう努力していて良かった、と内心冷や汗をかく僕。

そんな僕を尻目に、頭を下げたままのなのはを見かねたのか、リンディさんが言葉を引き取る。

 

「ふむ……なのはさんは、何故この事件に関わりたいと思うのかしら?」

「フェイトちゃんを、助けたい……そして、友達になりたいからです」

 

 意外な言葉だったのだろう、目を見開くリンディさん。

あら、と思わず口元を抑える彼女を尻目に、何処か威圧感を醸し出しながら、なのはは続ける。

 

「それに、ウォルター君からプレシアさんが凄い物騒な事を引き起こそうとしていると聞きました。

勘だけど、最悪その被害は地球まで及ぶ可能性があるって。

ジュエルシードの怖さを聞いた今、ウォルター君の勘無しでも充分地球が危ないって事が分かりました。

私は、自分の住むこの世界を守りたい。

それに私には、その為の力があります。

ウォルター君の言葉ですけど、私の魔導師としての力はかなり高い……、えっと、AAAランク相当? の力があると言っていました。

そんな力があるのに、ただ見ているだけなんて、私にはできません。

お願いします、力を貸させてください……!」

 

 再び頭を下げるなのはに、渋い顔をするクロノと、対照的に小さく笑顔を作るリンディさん。

僕が目を細めると、それに気づいたリンディさんと視線が合う。

この状況で微笑みなのはの言葉を歓迎する様子のリンディさんは、恐らく可能ならばなのはを登用するつもりではあったのだろう。

ハンデがあったとは言え次元世界最強の一角を担う僕が敗北した大魔導師を相手に、僕がまだハンデ付きのままで挑まなければいけない可能性があるのだ。

戦力などいくらあっても足らないと考えているのだろう。

元々リンディさんがそういった思考の持ち主であるか、それともジュエルシードの危険性がそうさせているのか、その両方か。

そんなふうに考えている僕の、なのはを挟んで反対側で、ユーノが続けて口を開く。

 

「僕も同じく、協力させてください。

その、現状でジュエルシードは全て回収されています。

此処でプレシアが更にジュエルシードを集めようとするのならば、まず連絡をしてくる相手はジュエルシードを持つなのはです。

それなら僕は兎も角なのはが居た方がスムーズに話が進むと思うのですが、どうでしょうか?」

「くす、まぁ合格って所かしら。

いいわよなのはさん、手伝ってもらいましょう」

「母さ……艦長っ!?」

 

 絶叫するクロノを尻目に、リンディさんはこちらへと視線をやる。

僕は組んでいた腕を解き、まっすぐに彼女の視線と向きあった。

頭を下げ、言う。

 

「右に同じく、俺も協力させてほしい。

俺もジュエルシードの事を放って置けないし、そもそもプレシアの奴は一発ぶん殴ってやらねぇと気が済まねぇ。

あいつも何処か、自分の道から目を逸らしているように見えるんでな。

俺の戦闘能力はまぁ、経歴を見れば分かる事だが、そこそこの自信はある。

その俺と互角以上だったプレシアに対抗するには、俺の力は有効に使える筈だ」

 

 傲慢な物言いだったが、事実でもある。

同じ感想だったのだろう、リンディさんは額に手をやりため息をつきながらも、呆れた声を出した。

 

「貴方は噂通りねぇ……。

まぁいいわ、貴方の力が必要なのも事実、協力を受け入れましょう。

条件は2つよ、3人とも身柄の預りを管理局とする事、指示を必ず守る事よ」

「はい、分かりましたっ!」

「応、分かった」

 

 二人の輪唱に遅れて僕が続ける。

偏頭痛を堪えているような様子のクロノには悪いが、僕とて内心では此処で引く訳にはいかないと必死であった。

勿論、実力的になのはに比し僕の協力が断られる可能性が低いのは分かっている。

けれども、僕はなのはと約束をしたのだ。

なのはがフェイトを救うのならば、僕はプレシアを救ってみせる、と。

他愛のない約束だが、僕は何処かでその約束が重要な物になると直感していた。

僕はプレシアを救わねばならないと、そう思うのだ。

 

 何故だかは分からない。

普通、いきなり殺されそうになって怒る事はあっても、救おうと思う事は無い。

加えて僕は、プレシアの事を殆ど知らないのだ。

知っているのはムラマサを破壊した僕にヒステリックに攻撃をしてきた事や、フェイトやリニスが言うには優しい人だった事。

あとはその目に秘める悲しみが、何処か僕の心を揺らしたぐらいだ。

けれど何故か僕の心は、プレシアを救うと言う事に対して何の違和感も感じていなかった。

そんな風に決意を新たにしている僕を尻目に、さて、とリンディ艦長。

 

「あれだけの威力の次元跳躍魔法を放った今、プレシアがすぐに動く事はまず無いし、時間は少しあるわ。

と言うことで、それじゃあまずはなのはさんのご家族に顔合わせぐらいはしておかなくちゃならないわね。

それから……」

 

 と、リンディさんが続けようとした、次の瞬間である。

ピクリ、と僕の腕の中のリニスさんが動いた。

思わず目を見開き、腕を硬直させてしまう僕。

そんな硬くなった腕が心地悪いのか、渋い顔をしながら大欠伸をしつつ、グッと体を伸ばすリニスさん。

目から小さく涙を零しつつ、フニャフニャと鳴き声を上げながら僕へと視線をやった。

 

「あれ……ウォルター? 何をやっているんですか?」

 

 事件解決の鍵が目を覚ました、その瞬間であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 僕は金属質な床は苦手だ。

特に裸足で歩いたりなんてすると、かつての“家”での凄惨な光景を思い出してしまい、吐き気すらする。

だから次元航行艦の床もやっぱり嫌いで、何時もならちょっと不機嫌になりやすくなってしまう。

けれど今は、それどころではなかった。

あの後リニスさんから話を聞き、リンディさんらは裏を取りに、僕らはとりあえず個室を与えられてそこで休むように言われてから、僕は一目散に自室を目指した。

リニスさんには悪いが、都合の良い事に彼女は細かい話をクロノに聞いてもらっている所であるし、魔力もアースラの艦内ぐらいなら余裕で届く。

つまり、僕は自室へ行けば一人と一機になれるのだ。

足早に与えられた自室に着くと、僕はすぐさまドアを開けて中に入る。

 

「ティルヴィング」

『了解しました』

 

 そして即座に数種の結界を張り、遮音や遮光魔法で外部からの干渉を遮断。

これで、ようやく僕は仮面を外すことが許される。

早速奥のベッドに座り、脱力した。

重力に身を任せ、ベッドへと背を預ける。

ぼすん、と言う音と共に僕は腰から上をベッドの上で寝転がらせた。

 

 リニスさんの話は、衝撃的だった。

プレシアは26年前の事故で娘を失った。

その娘を取り返そうと死者蘇生の秘法を求めて研究を続け、特殊な使い魔の製造を経てたどり着いたのが、記憶転写型クローン技術。

天才であるプレシアはそれを成功させ、アリシアの記憶転写型クローンを作り上げた。

しかし、記憶と肉体は同一であっても、人格と魔力資質は再現できなかったのだと言う。

それでもプレシアは、諦めなかった。

ロストロギアに望みを託し、研究を続けようとしたのだ。

此処からはそれまで以上の違法の戦いとなるが、しかし病魔に侵されはじめたプレシア自身は動けず、手駒が足りない。

そこでプレシアは思ったのだと言う。

手駒なら、あのアリシアの偽物が居るじゃあないか、と。

そこでプレシアは記憶転写型クローンからアリシアという名前についての記憶を奪い、フェイトと名付ける事にしたのだそうだ。

 

 リニスさんは、プレシアに作られたフェイトの教育係だった。

フェイトを一流の魔導師に育てていくが、フェイトにはプレシアの愛情が必要だと思いプレシアに何度も意見したのだと言う。

そんな中、ひょんな事からリニスさんは保存されていたアリシアの死体を見てしまったのだそうだ。

もう隠せないと悟ったプレシアは、閉じていたリニスさんとの精神リンクを一瞬最大限に開放し、全ての事実を伝えた。

それからリニスさんは僕とムラマサ事件で出会い、そしてその後にフェイトを精神的に強くするよう意識しつつ育て終え、契約を切られたのだと言う。

その後は悪あがきと思いつつもスリープモードで生きながらえ、そして僕に発見された、と言う次第なのだそうだ。

 

 僕はベッドの上に半分寝転がりながら、胸のティルヴィングを痛いぐらいに力を込めて握りしめた。

拳の隙間から緑の光が明滅しなければ、血が滲むぐらいにまで力を込めていただろう。

どうにか力を緩めつつ、僕は激しくなっていた動悸を抑えた。

何時もの僕だったら、フェイトの事を何も知らずにあんなアドバイスをして良かったのだろうか、と悩んでいた事だろう。

けれど今は、違う感情が僕の内側を支配していた。

突き動かされるように、僕は口を開く。

 

「なぁ、ティルヴィング。

僕はリニスさんと約束したんだ、フェイトとプレシアを助けると。

なのはとも約束したんだ、プレシアを助けると」

『その通りです、マスター』

 

 あいも変わらず機械的な声で機械的な返事を返すティルヴィング。

しかしそれに今は何処か頼もしさをすら感じ、僕は目を細める。

ぼんやりとする視界に、記憶を思い描く。

 

「プレシアは、僕と同じなんだ」

 

 UD-182の姿を思い描きながら、僕は言った。

ティルヴィングは明滅し、冷徹な声で続ける。

 

『貴方とプレシアは同一人物ではありませんが』

「あぁ、そうだけど……、僕とプレシアは、同じものに縛られているんだ」

『同じもの?』

「大切な人が死んだ事に、さ」

 

 そう、僕がUD-182が死んだ事に、何時までも縛られている。

時々狂おしいまでに寂しくなったり、ユーノに嫉妬するような事はあっても、後悔は無い。

けれど確かに僕はUD-182の死に人生を縛られているし、自らそれを望んでも居る。

多分これからも僕は一生変わらずにUD-182の死に縛られ、また自分を縛っていくだろう。

そんな予感もあった。

そして僕は、その縛り、僕が信念と呼ぶ物と人の命を天秤にかけ、信念の方を取ってきた。

僕は、人の命すら犠牲にして、死者に縛られようとしているのだ。

 

 そしてそれは、プレシアも同じだった。

アリシア・テスタロッサが死んだ事に、彼女もまた縛られ、自分を縛っても居るのだった。

死者蘇生と言う叶う筈のない願いの為に、残る一生を費やそうとさえしている。

そして僕とは違い誰も殺していないけれど、代わりに命を生み出すという禁忌の技術に手を出した。

彼女は、人の倫理さえ犠牲にして、死者に縛られようとしているのだ。

 

「なぁ、僕は何時か言ったよな。

完璧になりたい、誰もを救う事ができるようになりたいって」

『2年半前に初めて言い、それから14回言いました』

「今回こそは……、僕はそれをできなければならない」

『何故今回なのですか?』

 

 僕は、灯りへ向けて手を伸ばした。

握り締める。

形のない何かを掴もうとするかのように。

掴めない筈の何かを、それでも掴もうとするかのように。

それからぎゅう、と血が滲みそうなぐらいに力を込めながら、その手を半回転させ自身へ向けた。

 

「フェイトには僕は偉そうな事を吹聴してしまったんだ、その責任を取らねばならない。

けれど多分、なのははフェイトを救えるだろう。

理由は分からないけれど、直感がそう言っているんだ、多分僕の出る幕は無い」

『マスターの勘の的中率を考えれば、ありうる話かと』

 

 珍しくオカルトな話を肯定するティルヴィング。

それに僕は、僕の勘は無機物にオカルトを信じさせるまでになっているんだな、と思い、少しだけ微笑む。

 

「問題は、プレシアだ」

『イエス』

「僕はこれまで、色々な人を救おうとして、取りこぼしてきた。

でもさ、これまでで一番救わなくちゃならなかったのは……。

可能性とかそういうのじゃなくて、必要性で考えるのならば……。

それはやっぱり、ティグラじゃないかと思うんだ」

『何故ですか?』

 

 目を閉じると、閉じた瞼の裏に今でも尚鮮明に彼女の姿が思い描かれる。

茶色く夜暗でも目立つ髪の毛。

黒い装飾の無いシンプルなワンピース。

そしてその上から纏った赤い具足に、不思議な威圧感を纏った刀、ムラマサ。

 

「僕は彼女の言葉で人の命を犠牲にしてしまった事に気づき、例え人の命さえ犠牲にしてでも、信念を貫くと決めた。

ティグラも僕の言葉で自分の本当に進むべき道に気づき、例え人の命を犠牲にしてでも、進むべき道を歩むと決めた。

あの時は気づかなかったけれど、ティグラだって僕と同じだったんだ」

 

 7つの大事件を解決して尚、最も記憶に残るのはあの事件で出会ったティグラだった。

自分の欲望のために人の命を犠牲にする奴はいくらでもいた。

信念のために人の命を犠牲にした奴だってたくさんいた。

けれど、僕と互いの言葉で自らの狂気に気づき合ったのは、ティグラ一人だったのだ。

それと同時に、その彼女にさえ自分の内心を明かせず気づかれずに生きて行かねばならない、とも気づいたのだが。

ティルヴィングが明滅、言葉を発する。

 

『そして貴方はティグラを……』

「あぁ、救えなかった」

 

 歯を噛み締め、目を細める。

ぼんやりとする視界の中で、灯りだけがハッキリと目に見えていた。

白い光の先に何もかもがあるような気さえもし、それが遥か遠くにあり、僕とずっと離れた所であるようにすら感じる。

それでも僕は、続けた。

続けてみせた。

 

「だからこそ、だ」

 

 そう、だからこそ。

一度は救えなかった。

僕には力が足りなかった。

心を見抜く力も足りなかった。

けれどこの2年半、僕は少しだけだけど前に歩めていた筈だ。

ならば僕は。

 

「今度こそ、僕は救わなくちゃならない」

 

 喉の奥の全てをしぼり出すようにしながら、僕は言った。

ティルヴィングが明滅、機械音を小さく響かせる。

 

「UD-182の信念をこの世に証明したい。

それには僕は、彼の熱い心を再現し、僕が彼の心に救われたように、その熱い心によって多くの人を救わなくちゃならない。

ならば自分と同じ苦しみを背負った人を……プレシアを、僕と違い壊れていってしまっている人を。

その人をすら助けられないんだったら、一体僕に誰を助けられるって言うんだ。

僕は、プレシアを助けなくちゃならないんだ」

『イエス、マスター。

マスターはプレシアを助けねばなりません』

 

 復唱するティルヴィングに合わせ、僕は頷く。

そうだ、僕はプレシアを助けねばならない。

そう心に決めると、申し訳程度の闘志が燃え上がってきて、体がじんと熱くなる。

腹の底の方に熱い物がこみ上げてきて、全身からじんわりと汗が拭きでてくる。

UD-182に直接受けた熱には、到底及ばないだろう。

けれど僕は、少しだけど自分を燃え上がらせる方法を会得していたのだ。

勢い良く上半身を跳ね上げると、僕は微笑みながらティルヴィングに言った。

 

「ふふ、何でかなのはと同じような誓いになっちゃったな。

フェイトと同じ悲しみを知っているから助けたい、だっけ」

『? そうですか? 全く違う誓いではありませんか?』

 

 はて、と僕は首を傾げる。

僕となのはの誓いに、そう大きな違いがあっただろうか。

考えても思い浮かばないので、ティルヴィングに先を促す。

 

『マスターは助けなくちゃならない、と。

高町なのはは助けたい、と。

そう言っている筈ですが』

「…………」

 

 ぐ、とちょっとこちらが詰まるような物言いだった。

確かに、厳密な意味では同じではないだろう。

けれど。

 

「けれど、大体似たようなもんだろ」

『……了解しました』

 

 と言いつつも、僕もまたそこに明確な違いを感じ取ったままだった。

けれどそれを深く考えると、なんだか今の熱い気持ちで均した道に出っ張りができちゃうような気がして、僕はその事について考えるのを止めた。

代わりに立ち上がり、深呼吸してティルヴィングに誓う。

 

「僕は必ずプレシアを救わなければならない。

骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなくちゃならない」

『イエス、マスター。

貴方は骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなければなりません』

 

 復唱に頷き、僕は心を燃やす。

そうだ、UD-182には心で到底及ばず、今の僕はまだただ強いだけの男だ。

その強さだけの僕が完全に負けてしまえば、僕に生きる価値なんて無くなってしまうに違いない。

そんな事を想像すると、具体的な光景を何一つ心に描いていないと言うのに、辛くて仕方がなかった。

心が折れそうだった。

そうなりたくないだろう、そんな光景を見たくないだろう、そうやって僕は自分の心を追い立てて、どうにか何かに立ち向かおうとする自分を作り出す。

そして。

 

「なぁ、ティルヴィング」

『何でしょうか?』

 

 変わらずあまり人間味の見られない機械音声に、むしろ安堵を覚えながら僕は続けた。

 

「なのはに劣等感を覚えて、ユーノに嫉妬して、プレシアには負けて、フェイトには悪影響を与えて。

そんな情けない、何時もの僕だけどさ。

プレシアを救えたら……」

『……救えたら?』

 

 思わず、天井を見据える。

鉄板で作られた人工的な板がそこにはあった。

しかし僕の視線はそれを超えて、遥か高い何処か遠くを見ていたのだ。

此処には無い筈の、雲ひとつ無い蒼穹を。

 

「僕も、少しは変われるかなぁ」

『それは貴方次第です』

 

 一切の同情の無い言葉が、何故か逆に心地よかった。

不思議な爽やかさが心の中を吹き、心のなかのモヤモヤが吹き飛んでいくのを感じる。

決意を胸に、僕は結界を解き、現実へと歩んでいった。

その顔に、継ぎ接ぎだらけの仮面を貼り付けながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 無言でフェイトは目を瞑り、思う。

初めに思い出す光景は、矢張り母親との物であった。

地平線まで続く広い草原の中、広げたレジャーシートの上で、プレシアが花で冠を作ってくれている。

宝石のような素晴らしい花々を使って作られたそれは、その時のフェイトにとって最高の宝物だった。

それを惜しげもなくフェイトの頭の上にかぶせてくれるプレシア。

そしてプレシアの口が開き、喋るのだ。

 

「似合っているわよ——、アリシア」

 

 全身の力が抜けそうになるのを、フェイトは感じ取った。

今にも膝をつき、心折れて歩みを止めたくなる。

きっとそうすれば楽になるだろう、と言う予感がフェイトにはあった。

しかし、フェイトは内心で歯を食いしばる。

ガチッ、と歯を噛みあわせて、全身に力を入れる。

全精力を振り絞ってどうにか姿勢を維持し、思ってみせた。

現実を。

厳しい現実を。

 

 ——母さんが好きなのは、私じゃあなくアリシアなのだと言う事を。

 

 そう、それがフェイトの現実で終着点。

プレシアはフェイトにフェイトであって欲しいなんて望んでいない。

それならフェイトにできる事は、アリシアになる事しか無いのだ。

だって、フェイトには母親の他に何もない。

全てを犠牲にしてでも、母親の為になりたいのだ。

例えその笑顔が自分に向けられた物でなくとも、笑顔になって欲しいのだ。

偽りの仮面を通して向けられる物でも、自分の延長線上に向けてほしいのだ。

 

 だからフェイトは、アリシアになってみせると誓った。

そしてその誓いは、今の所上手く行っているようフェイトには思えた。

12個のジュエルシードを確保して帰還した時、プレシアは難しい顔をしつつも結局フェイトに折檻をしなかった。

何時しかプレシアが言っていた必要数、14個に満たないジュエルシードをしか集められなかったのにである。

嫌な予感がしていたというアルフなど、キョトンとしていたぐらいに意外な事だったらしい。

これもきっと、自分がアリシアに近づいているから、ジュエルシードを要せずとも母親の願いが叶おうとしているからじゃあないかとフェイトは思っている。

 

 アルフに対しても、フェイトのアリシアの練習は効果的に働いていた。

底抜けに明るくちょっと抜けた所のあるアリシアであった頃の自分の演技は、アルフに些かの不信を覚えさせた。

けれど、ウォルターの言葉を心に秘めているから、とそう言うと、渋々とと言う様子ではあったものの、納得してみせたのだ。

どころか、なんだか最近明るくなったね、とさえ言うようになってきた。

精神リンクで心がつながっているアルフにでさえ分からないぐらい自然に、自分はアリシアへの移行を上手くできているのだ。

そう思うと、少しだけ先の事態に自信ができてきて、フェイトは思わずはにかむことを抑えきれなかった。

 

 先の事態。

ジュエルシードを集めたら、その後フェイトは完全にアリシアになりきってみせよう、と思っていた。

そう、今控えている、高町なのはとの戦いが終われば、フェイト・テスタロッサの人生はもうこれでお終い。

ジュエルシード21個を母の元に持っていった次の瞬間から、アリシア・テスタロッサの人生が始まるのだ。

 

 怖くないかと問われれば。

怖い、と言うのがフェイトの正直な答えだった。

自分を無くして他の誰かになるなんて、それでは果たして自分の生まれた意味はあるのか、と思ってしまう。

大体本当の意味で他の誰かになりきる事なんて、人間にできうる事なのだろうか、という不安もあった。

けれど、仕方ないじゃあないか、とフェイトは思うのだ。

だって、自分は出来損ないの不良品で、望まれない命なのだ。

だって、自分には母親しかおらず、それが全てなのだ。

それにウォルターだって言っている、絶対に諦めるな、道は必ずある、と。

やっと見つけた道がこれだけなのだ、それを通る事をウォルターだって応援してくれるだろう。

勿論、敵としてできる限りなのであろうが。

 

 瞼を開く。

海鳴臨海公園の端、フェイトは一本の電柱の頂点に立ち、辺りを見下ろしていた。

目前には、あの何度も戦った白い魔導師が立っている。

後ろには動かないリニスを抱えたウォルターと、フェレットの使い魔が控えていた。

魔導師、なのはが面を上げる。

ウォルターのものを思わせる、臓腑を燃やす灼熱の視線がフェイトを貫いた。

 

「フェイトちゃん……」

「なのは、って言ったっけ……」

 

 なのはは広域念話でフェイトを呼び寄せた。

残るジュエルシード全部をかけて、一対一で戦おう、と。

それを受け取ったフェイトとアルフは、十中八九罠だと知りつつも、その場に赴いた。

例えフェイトが完璧にアリシアを演じる事ができたとしても、アリシアはとてもよく母の言葉を聞いたと言う。

とすれば、一度母に命令された事をほっぽり出すような事はしないだろう。

それ故に最低14個のジュエルシードを必要とするフェイト達には、他に選択肢は無いからだ。

 

「私達、始まりはジュエルシードからだったよね。

なら私達の関係は、そのジュエルシードにケリを付けてからじゃあないと、始まらない、そんな気がするんだ。

だから……戦おう。

お互いのジュエルシード、全部を賭けて」

 

 なのはのレイジングハートが収納を開け、ジュエルシード9個を舞わせる。

同時、フェイトのバルディッシュもジュエルシードを12個排出、円を形作らせた。

一瞬の視線の交錯の後、二人はそれぞれのデバイスにジュエルシードを収める。

 

「ユーノ君やウォルター君の戦闘参加は無しだけど、代わりにアルフさんも無しだよ」

「いいよ、どうせ勝つのは私だから」

「……、やってみなくちゃ、分からないよ」

 

 レイジングハートを半身に構えるなのは。

対しフェイトもバルディッシュをサイズフォームへ変形、光刃を出しながら構える。

アルフがウォルター達の元に歩み寄り、少し離れた所に場所を移した。

 

 耳の痛くなるような静謐が、その場に横たわった。

互いの心音を除き、何の音も無い封時結界の中の空間。

フェイトの内心は、僅かな不安が顔を見せていた。

なのはに対し勝てると言ったのは、嘘ではない。

しかし会った時から異常な速度で成長するなのはに、ウォルターと言う最強の魔導師が指導者としてついたのだ。

今のなのはがどれほど強いか、フェイトには到底予想もつかないし、当然勝ち負けも予想がつかない。

だから言ったのは、心の話だ。

母を思うこの気持ちだけは、例えウォルターが相手だろうと負けはしない。

心では、気持ちでは、絶対になのはに負けない。

そんな自信がフェイトにはあった。

 

 一陣の風が吹く。

髪がふわりと重力から開放されたその瞬間、フェイトとなのははその場を飛び出していた。

二人の間にある距離がゼロになり、魔力の衝突が起きる。

戦いの火蓋が切って落された。

 

 

 

 ***

 

 

 

「強いな……」

「うん、あの子達、本当に凄いや……」

 

 次元航行艦アースラの艦内。

ブリッジにて待機するリンディにクロノにエイミィの三人は、展開される光景に見入っていた。

高町なのは、フェイト・テスタロッサ。

どちらも桁外れの力量を持ち、高位魔導師としての力を遺憾なく発揮している。

防御と誘導弾と砲撃魔法ではなのはが、速度と直射弾と近接技能ではフェイトが勝っており、総合力ではフェイトがやや上か。

どちらも年齢に不釣り合いな戦闘能力であり、この三人の中で最強の魔導師であるクロノであっても、どちらを相手にしても油断すれば危ういほどである。

僅かに身震いしながら、クロノは背後の艦長席に振り返りつつ言う。

 

「しかし艦長、高町なのははあの事実を知ってしまって、それでも尚フェイト・テスタロッサを撃墜できるのでしょうか」

「……リニスさんがなのはさんが民間人だなんて知るよりも早く、話をさせちゃったものねぇ」

 

 事実であった。

リニスは起きたばかりで民間人がウォルター以外に居る事など知らなかったので、早速と管理局に話を聞かれてスラスラ喋ってしまったのだ。

当然、その場にいたなのはにもフェイトの生い立ちなどの情報は伝わってしまった。

クロノとしては、別段ここでなのはが勝とうと負けようと、どちらでもいい。

ジュエルシードをフェイトに持ってこさせ、物質転送する他ない状況を作り出せればそれでいいのだ。

だが当然、その後に続くのは時の庭園への突入である。

いくらハンデを背負っていたとは言え、次元世界最強の一角を占めるウォルターに勝ったプレシアの捕縛をするのだ、いくら戦力があっても足りる事は無い。

故になのはに勝ってもらうに越したことはなかった。

それにはなるべく、余計な事情を知ってほしくはなかったのである。

 

「……そうね、でも彼女ならできるわ」

 

 しかしリンディは、そう断言した。

意外な発言に、クロノは目を丸くする。

 

「見て、あの目。

あの子、攻撃に全く躊躇が無いわ。

きっと分かっているのよ、例えフェイトさんの生まれがどうであっても、友達になりたいと思った気持ちに変わりはないって。

そしてその気持ちを伝えるには、答えをもらうには、出会いの切っ掛けだったジュエルシードの争奪戦をきちんと終えなくちゃいけないって」

「……でしょうね。

捜査に直接は関係ありませんが……、これから真実を知る事になるフェイト・テスタロッサの支えになる、喜ばしい事でしょう」

 

 とクロノが言い終えるが早いか、およ、と呟きつつクロノへと振り返るエイミィ。

跳ねた毛がふわりと動き、エイミィの動きに追従。

停止するエイミィについていけず、慣性でゆらりと揺れる。

 

「ありゃ、フェイトちゃんの事を心配してるの?

まだ喋ってもいない相手なのに、珍しいねー」

「確かに、僕はフェイト・テスタロッサと一言も会話していない。

けれど、関係者全員が彼女の人格が善性のものだと言っているし、ウォルター・カウンタックからもらった映像記録からも推測できる事実だ。

そんな人間の心を心配しない程、僕は杓子定規じゃあないつもりだよ。

勿論、過度な同情をする気は毛頭無いけどね」

 

 確かにクロノは、生まれがどれほど悲劇的でも、それを言い訳に犯罪を犯すような人間を心配するような人間ではない。

まだ会話一つもしておらず、よく人格の分からないフェイトもそういった人間である可能性がある以上、心配するにはまだ早い、と言った気持ちがあるのも確かだ。

だがしかし、口にしたようにフェイトの人格を擁護する人間の多さから、それを推定し動くぐらいの要領の良さは持っているつもりであった。

むっつりとした顔でそう答えるクロノに、ニンマリと笑みを浮かべつつ、エイミィは意地悪そうに言う。

 

「うんうん、偉い偉い」

「……撫でるなよ、エイミィ」

 

 微笑ましい光景に、背後のリンディが僅かに相好を崩した。

それに感づき、一層抵抗を激しくするクロノ。

と言っても、女性相手に本気を出せないクロノの弱点をついて、エイミィは無理矢理クロノを撫で続ける。

暫くそんな時間が続いた後、ぽつり、とエイミィが漏らした。

 

「強いと言えば……ウォルター君もそうだよね」

 

 ピタリ、とクロノとリンディが動作を停止する。

和やかな空間に僅かに冷たい物が入り混じったかのようであった。

 

「弱冠7歳で賞金稼ぎを始めて、半年でSランク相当の非合法魔導師に勝利。

その後2年半で、大きな事件だけで7つも事件に関わっているみたい。

その中でAAランク以上の高位魔導師とは5回戦闘、うちSランク魔導師と2回戦って、全部勝ってるね。

うわ、AAAランクの魔導師達と3対1で勝ってるのもあるよ」

「推定魔導師ランク、空戦SSの近代ベルカ式か。

遠距離戦闘に徹しても、僕では正直厳しい相手だな……」

「まぁ、敵じゃなくて助かったって所だね」

 

 苦虫を噛み潰したような表情となるクロノに、苦笑いを浮かべるエイミィ。

クロノはAAA+ランクの高位魔導師であり、格上を倒した事も何度かある。

が、魔導師ランクは上に行けば行くほど、ランク間の実力差が大きくなる。

流石のクロノも、このレベルで一個半も上のランクの魔導師相手に勝てる自信はなかった。

 

「で、そのウォルター君が、かなり大きめのハンデ有りで互角だったのがプレシア、かぁ……」

「ウォルターが強すぎると見るべきか、プレシアがランクに比して戦闘経験が薄いと見るか、迷う所だね。

艦長はどう思います……艦長?」

 

 振り返るクロノの視線の先では、真剣な表情で考え込んでいるリンディの姿があった。

クロノが再度呼びかけると、ようやくそれに気づいて口を開く。

 

「あぁ、ごめんなさい、二人とも……。

ちょっと考え事をしていて、ね」

「考え事、ですか?」

 

 オウム返しに聞くエイミィの言葉に、リンディは再び顎に手をやり視線を足先に下ろす。

数秒考え込んだ後、不意に視線をあげ、二人へと向けた。

 

「ウォルターさん……、彼は一体どんな育ち方をすれば、あんな人間になったのかと、少し気になってね」

「あんな人間、ですか」

 

 二人は同時、リニスが全てを明かした時の事を思い出す。

泣き崩れながら話すリニスの真実に、流石に全員は打ちのめされた。

フェイトのあまりに報われない人生に、涙を零しそうになった者さえ居た。

場は重苦しい空気につつまれ、空気分子が重力を増したかのような空間となる。

沈黙の中、リニスがすすり泣く音だけがその場に響き渡った。

それを押しのけ、口火を切ったのがウォルターであった。

彼はリニスに、必ずフェイトもプレシアも救われる、最高の結果を出してみせる、と約束したのだ。

その時の彼から発せられる凄まじい威圧感は、誰もの心を燃え上がらせるだけの質量を持っていた。

冷静なクロノや、百戦錬磨のリンディの心でさえも、彼の言葉には思わず体の芯を熱くさせたものであった。

 

 弱冠10歳にして、あれだけのカリスマ。

一体どんな生活をしてきたのか、興味は尽きない。

あれこれと脳裏に彼の半生を想像する二人に、キーボードの上で指を踊らせデーターベースを呼び出すエイミィ。

 

「……調べた範囲内では、賞金稼ぎになるまではストリートチルドレンをやっていたと言う事しかわかりませんでした。

しかし、それも3年前の春からの事です。

それまでの記録は、何処にも残ってはいません」

「怪しいと言えば怪しいが、別段犯罪の匂いがする訳でも無いね。

それに彼には、これまで管理局に協力的だった実績があるからな……」

「うーん、気になるけどそれで良しとしましょうか」

 

 話を打ち切り、リンディが再びなのはとフェイトの映るディスプレイに視線を移す。

空間投影された映像の中では、なのはとフェイト、桜色と黄金の魔力光が幾重にも交差し、幾何学的な模様を作っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 轟音を立てて、建造物が破壊された。

桜色の光球と黄金の光球が交錯、建物と海面を抉りつつ、魔力光あふれる中心から離れていく。

その始点には、白い魔導師と黒い魔導師とがしのぎを削っていた。

 

「てやぁぁあぁ!」

「うわぁぁああ!」

 

 絶叫と共に、鉄杖と光刃とが激突。

空中に半径数十メートルの、透明な破壊球が発生する。

込められた付与魔力が溢れ、魔力が紫電を発しながら爆発を起こしたのだ。

その爆心地から二条の光が発生、丁度正反対の方向に抜けてゆく。

高町なのはとフェイト・テスタロッサ、二人の高位魔導師の威容がそこにあった。

 

 強い、とフェイトは内心で呟いた。

以前戦った時とはまるで別人のような強さだった。

魔法一つ一つの構成密度が段違いに濃く、展開速度も見違えたかのよう。

もしフェイトがプレシアから折檻を受けながら探索していたとすれば、スペックでは負けていたかもしれないぐらいだ。

——でも、今は違う、私のほうが上。

そう内心で呟き、フェイトは自身を落ち着かせる。

スペックで上なら、フェイトは必ず相手に勝つ事ができる。

何故なら、母を思うこの気持ちだけは、例えウォルターが相手だったとしても負ける事は無いからだ。

 

「フェイトちゃん……」

 

 だしぬけに、なのはがそう呟いた。

同じように肩で息をしていたなのはは、フェイトが様子を伺っている間に回復している。

それはフェイトも同じなので、同条件と言えるのだろうが。

 

「フェイトちゃんは、フェイトちゃんのお母さん……プレシアさんの為に戦っている、そうだよね」

「……そう、その通りだよ」

 

 言いつつ平行思考でフェイトは戦術を考察。

高町なのはの防御は固い。

現在のフェイトの手持ちの札でなのはの防御を抜き決定的なダメージを与える物は、ゼロ距離での砲撃か切り札かの2つに1つだ。

どちらもバインドなり何なりで相手の動きを止めねば、まず成功しない魔法である。

隠蔽詠唱でバインドの準備をしつつ、フェイトは気づかれないようなのはとの会話を続けた。

 

「プレシアさんは、フェイトちゃんがジュエルシードを集めたとして……。

貴方に、笑顔を向けてくれるの?」

「——っ!」

 

 怒りのあまり、フェイトは一瞬魔法の詠唱を切らしそうになってしまった。

が、辛うじてバインドの詠唱だけは維持。

飛行魔法すらおぼつかなくなり、フェイトはその内心の動揺を示すかのように、一瞬ゆらりと揺れる。

気にしている事を言われて、フェイトは最大限に動揺した。

何せプレシアが笑顔を向けてくれる相手は、フェイトではなくアリシアになるのだ。

それでいい、これでいい、と内心で唱えてこそいるものの、それでも怖くて悔しくって、それを思うだけで涙が出そうになる。

必死でそれに耐えて、フェイトは面をなのはに向けた。

 

「……リニスが、目を覚ましたの?」

「——っ!?」

 

 息を呑むなのは。

分かりやすい反応に、フェイトは僅かに目を細めた。

 

「なら、知っているのかな……私の生まれの事」

「うん……ごめんね、勝手に知っちゃって」

「いいよ別に、もう関係なくなるんだから」

 

 言ってフェイトはバルディッシュを構え直すと同時、余計な事を言ってしまった事に気づく。

対面するなのはは目をまたたき、首を傾げながら問うた。

 

「もう関係なくなるって……どういう、事?」

 

 予想通りの問に、フェイトは苦虫を噛み潰したような顔を作る。

バインドの完成は隠蔽性を重視している為、まだもう少し時間がかかる。

とすれば此処で話すしか無いのだが、何故かフェイトの中には戸惑いがあった。

それを口にしてしまえば、最早引き返す事ができなくなるからだろうか。

いいや、そんなはずはない、とフェイトは内心で唱えた。

どちらにせよ他に道など無いのだし、絶対に諦めないでその道を進むというウォルターとの約束だってある。

大きく息を吸い、胸を上下させながらフェイトは言った。

 

「私はジュエルシードを集め終えたら……自分を、フェイト・テスタロッサを辞める。

私は、アリシア・テスタロッサになってみせる」

 

 なのはは衝撃を受けたのだろう、大口を開けて杖先を下ろした。

レイジングハートを取り落としそうにすらなり、辛うじてそれを両手で確りと掴んでみせる。

どうしてだろう、フェイトにはその隙に攻撃をすると言う発想が無かった。

それは矢張り、今から発する自分の言葉が、自分に向けての宣誓でもあるからなのだろう。

目を細め、バルディッシュが小さく悲しげな機械音を鳴らすのを聞きつつ、フェイトはなのはの言葉を待った。

震える唇で、なのはは言う。

 

「なん、で……?」

「母さんはフェイト・テスタロッサを愛してくれる事なんて、無い。

だって私は所詮、アリシアの出来損ない、ただの不良品だから。

だから私は、望まれた命に、アリシアになってみせなければ、母さんに笑顔になってもらえない」

 

 思ったよりもずっと硬い声が出た事に、フェイトは内心驚いていた。

その硬い言葉が、意思の硬さを示しているかのように思え、内心少しだけ微笑む。

対するなのはは、あまりの衝撃に目を泳がせていたが、すぐに視線を定め、キッとフェイトを睨みつけてみせた。

 

「人は、自分以外の他人になんか絶対になれないよ」

「絶対? ううん違う、私はそんな事で諦めない」

 

 なのはもまた硬い声を発し、それにフェイトはマントを翻しながら答えた。

空気を孕んだマントが、外側の黒と裏地の赤とを繰り返す。

フェイトは、ウォルターの言葉を思い返す。

どれひとつをとっても、心の熱くなる不思議な台詞だった。

胸の奥が燃え上がり、全身が指の先まで熱くなる。

 

「——“絶対に諦めるな”。ウォルターが私に言ってくれた、台詞だよ」

「…………」

 

 そう口に出すだけで、フェイトはいくらでも勇敢になれた。

心の中から迷いや憂いがさっぱりと消え去っていき、いくらでも胸を張って前に進めるような気持ちになるのだ。

やっぱり、ウォルターは凄い。

内心でそう思いつつ、何処か晴ればれとした表情をするフェイト。

対しなのはは、疑念に満ちた顔でフェイトを見つめていた。

口を、開く。

 

「それ、本当にウォルター君が言ったの?」

「——っ!?」

 

 どくん、とフェイトの心臓が高鳴った。

慌てて焦燥の色を顔から隠しつつ、フェイトは答える。

 

「本当だよ、一字一句間違い無い!」

「じゃあ文脈がおかしく無い?」

「……それは……」

 

 フェイトは反射的に脳裏に思い返す。

ウォルターの言葉、それは気持ちが伝わらないと思っても諦めるなと言う言葉で。

決して、何事も諦めるなと言う言葉では、無かった筈で——。

 

「違う、そんな事ないっ!」

 

 絶叫し、内心の言葉を遮るフェイト。

しかしそれに追い打ちをかけるように、なのはの言葉がフェイトを襲う。

 

「フェイトちゃん、ウォルター君の言葉を言い訳に使っちゃあ、駄目だよ」

「違う、私は言い訳なんかに——!」

「フェイト、ちゃん」

 

 なのはの鋼の視線がフェイトを貫いた。

ビクリ、と一瞬跳ね上がるようにしてから、フェイトは脱力する。

ぽつり、と涙を零しながらフェイトは面を上げた。

 

「うん……そうだよね……」

「…………」

「私がアリシアになろうなんて思ったのは、本心からやりたかった事じゃあなかった。

そうでもしないと母さんが私を愛してくれる事なんて無いって思った、諦めからだったんだ。

本当はウォルターとの約束を思ったなんて嘘、ただそれを現実逃避に利用しただけ」

 

 数秒前までの内心が嘘のように、フェイトの内心は暗く鬱々しい物に染まっていた。

そう、決意だとか約束だとか言っていたのも、そうやって心を熱くしなければ、立って歩き出す事すらままならないからと言うだけ。

本当はそんな綺麗な物は、フェイトの中には無かった。

あるのは醜い、諦めと羨望だけだった。

けれど。

それでも。

 

「それでも。私は、アリシアにならなくちゃいけない」

 

 涙ながらに、フェイトはバルディッシュを構えた。

対しなのはは自然体のままフェイトをじっと見つめており、戦いを始めようという様子は見えない。

それが何処かウォルターに重なって、フェイトにはなのはが自分とは別の世界の住人であるかのように思えた。

あちら側はとても明るくさっぱりしていて綺麗で、こちら側は暗くジメジメとしていて醜くて。

見えない境界線がそこにあるかのように、フェイトには思えた。

きっとなのはには、全てがあるのだろう、とさえフェイトは思う。

友達も、ウォルターも、母親の愛も。

嫉妬と羨望を乗せて、フェイトは言う。

 

「だから私は……勝つ、勝ってみせるっ!」

 

 血を吐くような叫びであった。

全身に力を込めての叫びを、なのはが静かに聞いた、その時である。

隠蔽されていたライトニングバインドが、なのはを襲った。

黄金の立方体のバインドがなのはを拘束、動きを止める。

 

「これは……!」

「私には……」

 

 同時、38基もの黄金のフォトンスフィアが生成、フェイトの周りに浮かび上がる。

フォトンランサー・ファランクスシフト。

リニスやプレシアが得意とした、射撃魔法の瞬間同時展開による大魔法である。

フェイトはまるで指揮者のようにバルディッシュを振り上げ——。

 

「母さんしか、居ないんだから!」

 

 叫ぶと共に、振り下ろした。

次の瞬間、38基ものスフィアから毎秒7発4秒間、合計1064発ものフォトンランサーがなのはへと襲いかかる。

それはさながら、フォトンランサーの豪雨のようであった。

魔力煙でなのはが見えなくなるほどの激突。

それを最後まで終えると、肩で息をしながらフェイトは掌を天に掲げた。

38基のスフィアがそこに集合、一つの雷撃を形作る。

と同時に、なのはを囲っていた魔力煙が薄れていった。

中に桜色の輝きが見えた瞬間、フェイトは叫び雷撃を放つ。

 

「スパーク……エンドっ!」

「ディバイン……バスターっ!」

 

 雷撃が砲撃に抗えたのは、一瞬の事であった。

咄嗟にフェイトは防御魔法を三重展開、なのはのディバインバスターの前に置くも、激突の瞬間に早速一枚が破壊される。

視界を占拠する、桜色の奔流。

腕が引きちぎれそうなぐらいの負荷を受けつつも、フェイトは歯を噛み締め、残る全力でそれを耐えてみせる。

フェイトの脳裏には、何時しかウォルターがフェイトを庇ってみせた時の事が思い返されていた。

あの背中、痛いでは済まないぐらいの真っ赤に染まった傷を負いながら、フェイトを庇ってみせたウォルター。

その時のウォルターの痛みを思えば、今自分が受けている砲撃なんて、なんて事も無い筈なのだ。

そう内心で言い聞かせながら、フェイトは必死に砲撃に耐える。

永遠と思い違うような時間が過ぎ去った頃、砲撃はようやく収まった。

 

「違うよ」

 

 鋼の声が、フェイトの耳に届いた。

左右を見渡し、上を見あげれば、そこにはなのはが再びの砲撃魔法を放つ体勢で浮いている。

咄嗟に逃げようとするフェイトの体を、しかしなのはのレストリクトロックが捕縛。

動けないフェイトの頭上で、なのはの杖先に桜色の光が集まっていくのが見える。

まさか、と内心でフェイトは呟いた。

収束砲撃。

使い切れずにその場に漂う魔力の残滓を集めて砲撃すると言う、砲撃魔法最大の秘技ではあるまいか。

恐怖に染まったフェイトであったが、次の言葉がフェイトの脳裏に怒りを取り戻させた。

 

「フェイトちゃんには、プレシアさんだけしか居ないなんて事は、無い」

「——っ! だったら、誰が居るって言うのっ!」

 

 思わず叫ぶフェイト。

そんなフェイトをまっすぐに見つめつつ、なのはは言った。

 

「——私が、居るよ」

 

 フェイトの全身を、衝撃が貫いた。

絶え間なく広がる蒼穹が、まるで今始めて視界に入ったかのようによく見える。

どくんと心臓が脈打ち、全身を新鮮な空気が回っていくのが解るかのようだった。

フェイトは一人じゃあない。

なのはが居る。

例えこの一瞬だけの勘違いだとしても、そう思えただけで、まるで視界が開けたかのようにフェイトは感じた。

 

「私だけじゃない、アルフさんも、リニスさんも、ウォルター君も居る。

フェイトちゃんは一人なんかじゃあないんだよ」

 

 そして、となのは。

 

「そして、私は知らないアリシアちゃんとなんかじゃあない、フェイトちゃんと友達になりたいんだ」

「……ぁ」

 

 フェイトの脳裏に、先日のなのはの言葉が思い出される。

“私、貴方と……友達に、なりたいんだ”。

その言葉に、ほんの刹那とは言え、フェイトはどれだけ救われた事だろうか。

まるで自分の価値がこの世に生まれたかのような錯覚ができた瞬間だった。

それを汚したくなくて、フェイトはあまりあの時の事を考えようとはしてこなかったけれど。

もしも、それが錯覚じゃあなくて。

これからも続くのだとすれば。

 

「その為には、一度きっちりとジュエルシード集めを終えなきゃ、きっと私達は始められない。

だから——、行くよっ!」

『スターライトブレイカー』

 

 極太の、何時かのウォルターの砲撃をも超える太さの砲撃が、フェイトを襲った。

桜色の奔流に包まれつつ、フェイトは思考の片隅で思うのだ。

負けた。

これ以上言い訳のしようもない負けだ。

母にはなんと言い訳すればいいのかわからないし、アリシアになる第一歩を失敗してしまい、これからどうすればいいのか何も判らなくなる。

けれど何故だろうか、フェイトの心にはある種不思議な爽やかささえもがあった。

心の中を、春の風に撫でられるような爽やかさが過ぎ去っていく。

先程までは張り詰めて、負ける事なんて考えもしなかったのに。

今はどうしてか、負けたと思っても、まぁ、いいか、と、そう思えさえするのであった。

 

 

 

 

 


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