仮面の理   作:アルパカ度数38%

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2章7話

 

 

 

 フェイトは気づけば、なのはに連れられ時空管理局の次元航行艦の中に入っていた。

まるで現実味が無く、ふわふわとした時間であった。

スペックの上ではフェイトはなのはよりやや上だった。

なのになのはに負けたとなれば、フェイトはなのはに心で負けていたと言う証に他ならない。

フェイトは母を想う気持ちだけは誰にも負けていないつもりで、それが覆されたのだ。

暗雲に包まれたような気持ちになるのが道理であるし、ひょっとすればそれも今のように現実味の伴わない感覚だったかもしれない。

 

 しかし、何故かフェイトは爽やかで心地良い感覚を覚えていた。

これまでの自分がひっくり返され、未来に何も無くなってしまった筈なのに、何故か心は晴れ晴れとしているのだ。

不思議に思いながらも、フェイトは黙ってなのはに付いていく。

 

 スターライトブレイカーで撃ちぬかれ一瞬気絶した後、フェイトは負けを認めジュエルシードを取り出した。

しかしプレシアがフェイトを砲撃、なのはがフェイトを抱えている隙にジュエルシードを時の庭園へ物質転送。

そうこうしているうちに、どうやら隠れていたらしい時空管理局が時の庭園の座標を割り出したらしい。

なのはが管理局と念話で会話しつつ、フェイトにその事を教えてくれたのだ。

実は先日の海でのジュエルシードの暴走の後、管理局が接触してきた事。

管理局が出てきては警戒させてしまうかもしれないと考え、その事を隠しフェイトをおびき出した事。

騙すような形になってしまって申し訳なく思っている事。

リニスが起きたけれど、その事も黙っていた事。

フェイトがバインドで捕縛された時、アルフが助けに来ようとしたのを、隠れていたリニスが邪魔した事。

ウォルターが抱えていたリニスは、かつての敵の見様見真似の幻術だった事。

様々な事をなのはが語るのに耳を傾けているうちに、フェイトはいつの間にか次元航行艦アースラのブリッジに立っていた。

アルフにリニス、ウォルターにフェレットの魔導師も同じくブリッジに転送されてきている。

艦内の空間投影モニターには、時の庭園の内部が映されていた。

 

「まさか、武装隊をプレシアに!? 無謀です、魔力供給が無くてもプレシアはSオーバーの魔導師なんですよ!?」

「管理局の威光に諦めるのを期待しての事なんだろうが、アイツはそんな性格してねぇと思うんだが……」

 

 叫ぶリニスに呟くウォルターを尻目に、武装隊が次々に時の庭園の奥へと進んでいく。

すぐさま武装隊の隊員達は広間へたどり着き、プレシアを発見した。

すぐに奥にまだ空間があるのを見つけ、幾人かを残し奥の制圧に向かう。

フェイトちゃん、となのはがフェイトの袖を引っ張った。

母親が逮捕される所を見せるのは忍びないと言う事だったが、フェイトはむしろ自分の目で全てが終わるまで見届けたくて、その場に留まろうとする。

引っ張り合いになるよりも早く、サーチャーが最深部へたどり着いた。

 

「…………え?」

 

 誰かが、小さな疑問詞を漏らした。

そこは、植物の根に囲まれた空間であった。

まるで重力の中心がそこにあるかのように、入り口を除いた三百六十度全方向に根が生えている。

そしてそれらを、てらてらとした緑色の光が照らしていた。

光源は、いわゆる生体ポッドであった。

中には薬液で満たされており、繋がれたコードや時折光る末端の機械類を見るに、稼働中なのは目に見えて解る。

その中には、金髪の少女が浮いていた。

これは、と誰かが漏らすよりも早く、プレシアの咆哮が響き渡る。

 

「私のアリシアに触れるなぁあぁっ!」

 

 杖の石突が床を叩くと同時、紫電が八方に走った。

床から足を伝い登っていく電撃が、幾重にも重なる悲鳴を上げさせる。

後に残ったのは、地に伏した武装隊の隊員達のみであった。

急ぎ表示されたサブモニタが映す広間にも、倒れた隊員しか見当たらない。

 

「いけない、退避を急いでっ!」

 

 リンディの言葉に武装隊の体が転送されていく。

しかしその悲鳴も惨状も、フェイトの頭の中には入って来なかった。

先程までとはまた別の、非現実感の上にフェイトは漂っている。

あれは、一体何?

あのポッドの中の子は、一体誰?

フェイトの頭脳は既にその答えにたどり着いていたが、全力で気づかない振りをしながらフェイトは一歩前に進んだ。

モニターに向かって、呼びかける。

 

「母、さん」

 

 肩で息をしていたプレシアが、サーチャーへと振り返った。

どうやら双方向サーチャーだったらしく、プレシアとフェイトとの目が合う。

その目に宿る光には、どうしても今まで感じられたような気がしていた優しさが感じられなかった。

それでも母が、いずれアリシアになる自分に愛着を持っている筈だと信じ、フェイトは口を開く。

 

「私は負けてしまったけど、捕まってしまったけど、まだ生きています。

私はまだ完璧じゃあないけれど、何時か、アリシアになってみせ……」

 

 フェイトの脳裏に、なのはの言葉が蘇る。

——私が、居るよ。

鮮烈な言葉だった。

胸の奥であらゆる物に色を与えてくれる、宝物のような言葉だった。

ウォルターの言葉にも勝るとも劣らない、大切な言葉だった。

それをどうしても汚してはいけない気がして。

フェイトの口は、声にならない声を上げる。

 

 アリシアになってみせると、そう言わねばならないのに。

自分なんて母の為なら捨てられると言わねばならないのに。

なのはの言葉を、裏切る事ができなかった。

初めて自分の価値を認めてくれた言葉を、無下にする事ができなかった。

 

「……なれない、よう」

 

 自然、フェイトの両目からは涙が溢れでた。

留まることを知らない涙が次々と溢れ出し、フェイトの顎を伝い床に落ちる。

得体のしれない物が喉を伝って上がってきて、嗚咽がフェイトの口から漏れでた。

両手の甲で涙を拭うのだけれども、次々と滲んでくる涙は止められないままだ。

 

「ごめんなさい、母さ……」

「貴方は何を言っているのかしら」

 

 プレシアの冷徹な声が、フェイトの言葉を遮った。

思わず、涙をそのままにフェイトは面を上げる。

否が応でも目に入った。

プレシアが、“誰だか分からない子”の入ったポッドを愛おしげに撫でる光景が。

プレシアは酷薄な笑みを浮かべながら、フェイトを見下す。

 

「私の望みは、このアリシアの蘇生。

最初から貴方のような出来損ないがアリシアになる事なんて、期待していなかったのよ」

 

 大槌で頭を殴られたかのような衝撃が、フェイトを襲った。

思わず一歩、二歩と後退りをする。

とても現実とは思えない眼の前の光景にフラリと足を揺らすフェイトに、駄目押しが入った。

 

「私はね、最初から貴方の事が……、大嫌いだったのよ」

 

 フェイトは、自身の内側から全てが消え去っていくのを感じた。

病気をプレシアに治してもらい起きた日、いや、フェイトがこの世に生まれたあの日。

それ以来の全ての感情が、全く意味のない物に思えて。

フェイトは、全身の力が抜けていくのを感じた。

目に光が無くなっていくのが、自分でもよく解る。

膝が、次いで尻が床に触れ、金属の冷たい感触を感じた。

 

「フェイトちゃんっ!」

 

 なのはが思わず、と言った様子で支えてくるも、最早なのはの声でさえフェイトには薄く届くだけにとどまった。

目には入っている筈なのに、今一体どんな状況になっているのか、理解できない。

何となく慌ただし気な雰囲気になっていくと同時、誰かに抱え上げられた事だけフェイトには理解できた。

ひょっとしたら、このまま一生どんな言葉も聞こえないのかもしれない。

そう思った瞬間、フェイトの耳にその声が届いた。

 

「個人的な恨みもあるが……、他にも二、三言いたい事ができたな」

 

 炎が燃え盛る時を今か今かと待つような、圧迫感のある声。

ウォルターの声だった。

少しだけフェイトの視界に色が戻り、ウォルターの姿形を映す。

それに気づいたのかどうか、ウォルターは続けてフェイトの近くに来てみせた。

相変わらず熱いものを内包したその顔で、言う。

 

「お前は、プレシアに笑って欲しかったんだよな。

なら、時間切れまでは後少しだ。

なんせ俺がこれからプレシアを倒しに行くんだからな、逮捕が確実だ」

「ウォルター、貴方は……!」

 

 と、リニスが怒鳴ろうとしたのを遮り、フェイトは思わず口を開いた。

 

「私は……っ!」

 

 視界に色が戻る。

熱く燃える心が少しだけ力を取り戻し、フェイトは何かを掴もうと、手を伸ばす。

その時視界の端に入った橙色に、今自分がアルフに抱きかかえられているのだとようやく理解した。

何か言わねばならない、とフェイトは反射的に思った。

自分にはウォルターのこの言葉に、何か言わねばならない筈なのだ。

けれど薄く曇ったフェイトの頭脳ではそれをはじき出す事はできず、ウォルターのくれた炎も燃え尽き、次第にフェイトの手も力を失っていった。

それを残念そうに見つめるウォルターの顔だけが、フェイトの記憶に残る。

再び、フェイトの視界は色を、そして光を無くしていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここが、時の庭園か……」

「フェイトちゃんのお家で、プレシアさんの居る場所……」

 

 感じ入るように呟くクロノとなのはの隣、黙ったままのユーノと同じく僕もまた無言で其処に降り立った。

時の庭園は先程までとは比べ物にならないほど不安定な時空空間を遊泳しており、その空間の歪さはここからでも解る。

空が虹色に輝くと言う、気色悪い光景によってだ。

それを目に、僕はプレシアとフェイトとの事を思い僅かに目を細め、それからみんなに声をかけた。

 

「さて、行くとしようぜ」

 

 その声を合図に、皆一つ頷くと、戦闘形態にしたデバイスを抱え走りだす。

プレシアはフェイトの心を完璧に折った後、ジュエルシードを暴走させ始めた。

意図的な暴走により、時の庭園内部では所々に虚数空間が発生。

いずれ次元断層を引き起こすだろう、次元震の予兆が始まる。

理由を問えば、お伽話にある滅びた古代の魔法文明、アルハザードへの道を開くためだと言う。

僕を除いて全員が、馬鹿げた事をと言う内容であった。

当然止めなければならない事態である。

クロノを筆頭に僕、なのは、ユーノは時の庭園に突入。

リンディさんは入り口で、アースラから魔力供給を受けながらディストーションシールドを張って次元震を抑えている。

心神喪失にあるフェイトと、それに付いているアルフとリニスさんは、アースラの医務室で留守番だ。

 

「……来たぞっ!」

 

 クロノが言うと同時、時の庭園の入口に魔方陣が発生。

魔方陣から現れたのは、金属製の巨大な鎧であった。

僕は、何時しか自分が時の庭園の事を、扉がでかくてまるで自分が小人になったようだと思った。

その比喩は半分当たっていたようで、どうやら時の庭園はこの巨人達を標準サイズとして作られているらしい。

目を見開くなのはが、僕に尋ねてくる。

 

「ウォルター君、この鎧って……」

「傀儡兵、まぁ要するに魔力で動く仕掛け人形みたいなもんさ」

 

 言いつつティルヴィングを構える僕だが、クロノが僕を抑えて半歩前に出る。

 

「待て、この程度の奴ら相手に余計な魔力は必要無い。

特にウォルター、君は対プレシア戦の切り札だ、魔力はできる限り温存していてくれ」

「……分かった、任せるぞクロノ」

 

 ティルヴィングを下ろす僕を確認してから、クロノが杖を手に傀儡兵達へと立ち向かう。

クロノは一発の誘導弾を発射、傀儡兵を2、3貫通させた後空中で加速、更に幾つかの傀儡兵を撃ちぬく。

同時に本人は強化された脚力で移動、飛行魔法も交えて巨大な傀儡兵の攻撃をかわしつつ、密着。

燃費に優れたブレイクインパルスの魔法で鎧を圧壊させる。

その頃には周辺の鎧も崩れ去り、クロノはたった2つの魔法で7体程居た傀儡兵を倒してみせた。

しかも使った魔法も、燃費の良い魔法をわざわざ選んである。

流石は執務官と言った所だろうか。

感心する僕の隣で、なのはとユーノは目を輝かせる。

 

「わ~、凄い!」

「確かに、たった2つの魔法でこれか……」

「君たち、関心していないで急ぐよ」

 

 褒められて悪い気はしないようで、少し照れの混ざった声であった。

まぁ、先程のなのはとフェイトの激戦を見ていれば、自信も揺らぐか。

技術は兎も角魔力量的には、クロノより遥かに上の戦いだった訳だし。

僕は目を細めつつも、しかし無言で奥へと進んでいく。

なのはらもすぐにそれに応じる形で、クロノを先頭に奥へと進んでいった。

 

 虚数空間の説明なども交えつつ、一つ目の広間に僕らは到着した。

扉を開け放ち、僕らは視界を埋め尽くす傀儡兵を目にする。

傀儡兵の索敵範囲外から、クロノ。

 

「いいか、ここから僕らは二手に分かれるぞ」

「うん、どう分けるの?」

「なのはとユーノは上にある駆動炉の封印に。

僕とウォルターは、プレシアの捕縛に動く。

砲撃魔法を放つから、それが合図だ、いいね!」

「はいっ!」

「応っ」

 

 僕らが頷くと、クロノは翡翠色のコアを持った黒杖、S2Uを掲げた。

すぐさま青光が杖先にはちきれんばかりに集まる。

 

『ブレイズカノン』

 

 極太の砲撃が傀儡兵達を打ち抜き、なのは達が上方へ向かうのを尻目に、僕らは下方へと向かい始めた。

道程は僕にとって楽な物となった。

途中大型の傀儡兵が現れた時には流石に協力したものの、他に殆どやること無く僕は進んでいく。

傀儡兵は確か80体以上、その半数以上が下方に仕込まれているとすれば、40体以上か。

それほどの傀儡兵が相手だと言うのに、クロノは弱音一つ見せず果敢に戦った。

 

 道中は、互いに無言であった。

僕もクロノも元々多弁な方では無いし、実務重視な性格なので、当然といえば当然か。

ただ、途中傀儡兵がおらず、暫く何も居ない空間を走る事になった時、不意にクロノが僕に向けて口を開いた。

 

「ウォルター」

「ん、どうした?」

「さっき、君がフェイトに話しかけた事だが……」

 

 僕は一瞬目を閉じて、先の言葉を思い出す。

プレシアにアリシアの代わりとしてすら望まれていなかったと知ったフェイトは、崩れ落ち、目から光を無くした。

そんなフェイトに、僕は出撃の間際に少しだけ話しかけたのだ。

いや、話しかけたと言うか、発破をかけた、と言う方が正しいか。

相応に乱暴な言葉遣いで、心身が傷ついた人に言うべき内容では無かった。

けれど、だけれども。

 

「フェイトは今立ち上がらなければ、今後の人生で一生後悔するだろう。

それに、な。

勿論俺はプレシアを捕まえる気だし、できる限り奴の本当の望みを引き出すつもりだ。

けれど、プレシアの心を本当に揺さぶる事ができるのは、俺じゃあない、フェイトだけなんだ。

あの親子が互いに幸せになるには、フェイトが今立ち上がらなければならない。

だから、少し乱暴でも立ち上がれるような言葉を吐いたつもりだったんだが、な」

 

 結果は、一言二言フェイトから言葉を引き出せただけである。

勿論、まだ全ては終わっていない。

スピードに優れたフェイトなら、空いた道を通って僕らへ追いつき、母と対面する事だって可能だろう。

けれどどうしても、僕の言葉はフェイトの中に残る最後の火種を燃やし尽くしてしまったのではないかと、不安が心の中を過る。

もっと彼女を繊細に扱うべきだったかもしれないと、後悔が胸を焼くばかりだ。

けれど同時に、僕は時間を遡ってあの時まで戻ったとしても、再び同じ事をやるだろうと言う予感があった。

目の前に自分の歩むべき本当に道があって、それを見失っている人が居るのなら。

それがどんな困難な道で、自身がどれだけ傷ついていようと。

本当に求める道に気付かさせ、歩めるようにしてやるのが僕のただ一つの信念なのだから。

そんな風に内心で振り返っていると、クロノがふと速度を緩めた。

僕の方を振り向きながら、言う。

 

「……君は、まだプレシアが正気に戻れると、本気で思っているのか?」

「ああ、思っている」

 

 視線と視線がぶつかり合った。

クロノが執務官となったのと、僕が“家”を出たのは同じ頃だ。

が、恐らく、経験した場数で言えばクロノは僕よりも上だろう。

大事件に限定するならば兎も角、事件に出会う頻度は勘頼りの僕より組織の実務員であるクロノの方が多いに違いない。

そして密度に関しても、特に事件の後処理に関しての経験は明らかにクロノの方が大きいと言える。

背中に解決してきた事件の重みを背負っているからだろう、凄まじい密度の視線であった。

表面上平静は保っているものの、僕の内心は大きく揺れ動き、動揺する。

 

 けれども、それでも僕は視線を外さなかった。

解決してきた事件の重みを背負ってきているのは、僕だって同じなのだ。

救えなかった人々の怨嗟の声を、それでも僕は背負って生きている。

時には僕の意思で、誰かの願いを叩き折る事さえもあった。

その僕が経験の差に怯えて尻込みするようでは、あまりに彼らに対して忍びない。

だからせめて、それ以上の言葉は思いつかないから、僕は確りとクロノに対し視線を返した。

 

 数秒か、十数秒か。

一体どれほど経ったか分からない時間が経過した後、クロノは目を細めて視線を前に戻す。

それでも威圧感は消えず、続く質問。

 

「何故だ?」

「俺はこれまで、何度もあんな目をしてきた奴らを見てきた事がある。

あれは、狂った目なんかじゃあない。

狂ったフリをした目だ」

 

 言いつつ思い出す。

僕が戦ってきた人々は、誰もが本当の願いから目を背けていた。

本当の願いを正視する事が余りにも辛く、それゆえに愚かだったり狂っていたりと言うフリをして本当の願いを見ない為の言い訳を作っていたのだ。

思えば、あれは逆に狂っていないフリをしていたのだけれども、ティグラとてそうだった。

本当の願いを知れば冥府魔道を行くしか無いが故に、本当の願いから目を背けていたのだ。

プレシアもまた、そんな目をしていた。

 

「実際は……、とても悲しそうで、誰かに必死で助けを求めているように見えた」

「……とは言え、時空震を引き起こす事態は許せる物じゃあないぞ」

「あぁ、分かっている、別に許せっつってんじゃあないさ。

ただ、例え叶おうが叶うまいが、プレシアに本当の願いを見据えさせて、そして挑戦させてやりたい、それだけだ。

勿論、それが倫理に反する事なら俺は結局プレシアの敵になるぜ」

「……そうか」

 

 そう言うと、クロノは再び走る速度を上げた。

その様子が何処か寂しげで、僕は何か言おうと思ったのだが、それよりも先に新たな傀儡兵が視界に入り、その言葉を口へと引っ込める事にする。

青い魔力光が、金属の間で踊り狂った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「フェイト……」

 

 小さな声が、染み入るようにフェイトの内心に響き渡った。

半ば落ちていた意識が、浮上し始める。

視界は何処か薄暗く感じるものの、正常な色を伴ってフェイトの脳裏に運ばれてきた。

どうやらフェイトは、医務室のベッドの上に寝かされているようだ。

金属質な天井を見るに、恐らくアースラの艦内のまま。

視界の端でチラチラと光る何かは、恐らくウォルターやなのはを追った映像だろう。

その間に影となって自分を見下ろしているのは、見知った顔、アルフとリニスだった。

 

 その二人の顔を見た瞬間、望郷の念がフェイトの胸の内に湧き上がる。

楽しかった日々、フェイトがまだ母に仕置きをされる事はなく、少し寂しいけれど暖かな愛情をもらっていた日々。

それに対するふんわりとした温かみある感情が湧き上がり……そして、すぐに消え去った。

何時か母の為にと必死で頑張ったあの日々も、全く何の意味も無かったのだ。

そう思うと、確かにあった筈の胸の中の感情が枯れ果て、土色になり消えていってしまう。

それを悲しく思う筈の感情すら、フェイトには残っていなかった。

そんなフェイトを撫でながら、アルフが言う。

 

「私、あの子達が心配だからさ、行ってくるよ」

 

 フェイトに背を向け、アルフは流れている映像に視線を向けた。

そこに映っている光景に、僅かにフェイトの胸が鼓動する。

映像には、あの白い魔導師、なのはが映っていた。

 

「私はさっきの貴方との小競り合いで、残る魔力を消耗してしまいました。

行っても足手まといにしかならないでしょうし、私は此処で留守をしています。

頼みましたよ、アルフ」

「あぁ、そっちこそ、フェイトを頼んだよ」

 

 たっ、とテレポーターへ向かい走りだすアルフを尻目に、フェイトの脳内ではぐるぐると同じ思考が渦巻いていた。

フェイトには、最早生きる意味が無かった。

全てだと思っていた母に、希望の全てをへし折られてしまった。

自分さえも捨てて母の為のなろうとしても、何の意味も無かったのだ。

最初から自分は母に憎まれており、好かれようなどとどの道不可能な事だったのだ。

 

 ——私には、何も残っていない。

内心で、確信的にフェイトは呟いた。

しかし、確実に自分の心に止めを差す筈だったその言葉は、何故かこう受け止められた。

違う、と。

何も残っていない訳じゃあない、と。

フェイトの心の奥底、自分でも手の届かない、心の核のような部分がそう叫んでいた。

何故だろう。

そう思うフェイトの心の中に、一つの言葉が響き渡る。

 

 ——私が居るよ。

 

「……ぁ」

 

 小さく声をあげ、フェイトは大きすぎる発見に内心を揺らした。

母が全てだと思っていた。

母を、全てを無くしたと思っていた。

けれど、そんなフェイトを見てくれている人は、確かに居たのだ。

何度もぶつかり合った、白いバリアジャケットのあの子。

なのは。

高町なのは。

 

 フェイトは、自分の心が軽くなるのを感じた。

悲しみやら運命やら何やら、重い物がフェイトの肩に乗って押しつぶしてしまおうとしていたのが、まるで幻のように消えていった。

誰かが自分を見てくれている。

たったそれだけの事実が、どんなに自分の心を慰めてくれるか、フェイトは実感する。

そして。

 

 ——絶対に、諦めるな。

 

 続き、ウォルターの声がフェイトの内心に響き渡った。

確かウォルターの言葉は、こう言っていた。

プレシアの事が好きなら、どんな障害があってもその心だけは本物だと、信じ続けるんだ。

例え心裏切られる事があっても、自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ、と。

正に今の状況を指しているかのようなウォルターの言葉に、フェイトの胸は大きく揺れる。

 

 そうだった。

何度嫌われても、どれほど憎まれても、フェイトは母の事が好きだと言う事実だけは、変わらなかった。

笑っていて欲しかった。

幸せでいて欲しかった。

もしかしたら、二度と顔も見たくないと、そう言われるかもしれない。

それでも尚、フェイトはプレシアの事が好きだった。

抑えきれなかった。

娘でなくてもいい、貴方に笑っていてほしいと願う人が居る事を、伝えたかった。

 

 決意と共に、フェイトは目を閉じ、見開く。

視界には色も光も、全てが元のように戻っていた。

否、それどころか、心の中に燃え盛る炎はこれまでに感じたことの無いぐらいの熱さだ。

その熱に導かれるかのように、フェイトはゆっくりと上半身を起こす。

フェイトを見つめていたリニスが、はっ、と目を見開き、恐る恐る口を開いた。

 

「フェイ……ト……?」

「……久しぶりだね、リニス」

 

 薄くはにかむフェイトに、リニスはすぐさま抱きついてきた。

微かなシャンプーの香りのするリニスの髪が、フェイトの頬に当たる。

背にキツく回された手はガッチリとフェイトを抱きしめ、離そうとしない。

その体は感動故にか震えが止まらず、フェイトはリニスが落ち着けるようその背を撫でてやる。

 

「私を見守っていてくれたんだね、ありがとう、リニス。

でも私、行かなくちゃいけない所があるから」

 

 そうフェイトが告げると、リニスは体を引き、一瞬信じられない物を見る目でフェイトを見つめる。

それからすぐに目尻に涙を溜め、ニッコリと微笑んだ。

 

「そう、ですか……。本当に強くなりましたね、フェイト」

「なのはとウォルターに、強い言葉を貰ったから」

 

 目を細めるフェイトに、リニスは邪魔になる体を退ける。

ベッドからするりと降りて、フェイトはすぐ近くの棚に置いてあったバルディッシュを手にとった。

フェイトは気づかなかったが、先程自失した時に落としてしまったらしく、待機状態のバルディッシュにはヒビが入っている。

ごめんね、バルディッシュ。

内心で呟きつつ優しく撫でてやりながら、フェイトはバルディッシュをデバイスフォームに変形させる。

金色の魔力がバルディッシュを包み、ヒビを治した。

次いでフェイトはバリアジャケットを展開、戦闘態勢を作り、リニスに向き直る。

 

「リニス、私はこのまま終わりになんて、したくない。

母さんに、まだ言いたい事がある。

だから、行ってくるね」

 

 リニスは感じ入ったように目を細めると、そのまま笑みを作り言った。

 

「フェイト、貴方がこんなにも強くなっているだなんて思いませんでした。

貴方は、私の自慢の家族です。

胸を張って、行ってらっしゃい」

「……うんっ!」

 

 大きく頷き、フェイトは黄金の魔力光を発する。

時の庭園内部の座標を指定、転移魔法を発動した。

まずは、自分を立ち直らせてくれた一人、なのはの元へ。

そう考えるフェイトの視界の端で、リニスが堪えていた涙を零すのが目に入る。

まだ心配をかけてしまうのかな。

そう思い、フェイトは私は大丈夫だよ、とリニスへ向けて言ってみせた。

それが伝わったかどうか分からないぐらいのタイミングで、転移魔法の準備が完了。

フェイトの視界が光に包まれる。

——暗転。

 

 

 

 ***

 

 

 

 山積みになった元傀儡兵の残骸を越えながら、僕らは走り続ける。

時の庭園全体を揺らす揺れは、未だ止まらない。

リンディさんが次元震を抑えているようだが、当の彼女からこんな念話が入った。

 

(急いでください、クロノ、ウォルターさん!

アースラと私では次元震の進行速度を抑えるのが精一杯、このままでは遠からず次元断層が発生します!)

「ちっ、流石にジュエルシード12個を相手じゃあ難しい物があるか」

「あぁ、せめて後数個少なければ、なんとか止められたかもしれないが……」

 

 とクロノは言うものの、もしもの話など言っても仕方がない事である。

言っている本人も分かっているのだろう、苦みばしった表情で黙々と進んでいく。

この状況で朗報と言えば、なのはがそろそろ駆動炉の封印に成功する頃で、フェイトがどうやら復帰しこちらに向かってきていると言う事ぐらいか。

などと思っているうちに、僕らはプレシアの居ると思われる地点の直上の部屋にたどり着く。

 

「ち、ウォルター、壁抜きをするぞ。

それからの戦闘行為は、遺憾ながら君に任せる事になるが……」

「応、任せとけって」

 

 肩をぐるぐると回す僕になんとも言えない表情をしつつ、クロノは床に向かってS2Uを突きつける。

直後、轟音。

青い魔力光が床板と厚い岩盤を粉砕、ショートカットして下の階層への道を開けたのだ。

クロノに続き僕も、プレシアの居る最下層にたどり着く。

 

 そこは、岩とステンドグラスで四方を囲まれた、奇妙な空間であった。

見目には強度の不安の残る部屋だ。

足を着くと同時にティルヴィングで捜索魔法を発動、充分な強度を確認してから、僕はティルヴィングを構えた。

アリシアの生体ポッドを抱えるプレシアと、目を合わせる。

 

「よう、プレシア。この前の借りを返しに来たぜ」

「ウォルター・カウンタック……、矢張り来たわね!」

 

 僕を視認すると同時、プレシアは空を舞う12のジュエルシードに向かい、デバイスを掲げた。

直後、時の庭園を襲う揺れが止まる。

クロノは怪訝な顔をしていたが、隣で僕は背筋の凍りつくような戦慄を味わっていた。

そんな僕の表情に気づいたのだろう、薄く笑いながらプレシアは言う。

 

「流石に貴方相手に魔力供給無しには、勝てそうにないものね。

かといって、駆動炉は何時封印されるか分からない。

……でも、あるじゃあない、丁度いい極大の魔力の供給源が、ここに!」

(プレシア・テスタロッサ……まさか貴方はっ!)

 

 リンディさんの叫びと共に、ジュエルシードが極大の魔力を発揮。

まるで視認できるかのような、恐るべき魔力がプレシアに向かって流れ込む。

そう、プレシアはジュエルシードをある程度制御できていたのだ。

予想通りの展開に、舌打ちする僕。

 

「矢張りさっきまでのジュエルシードの暴走のさせ方や虚数空間の発生のさせ方も、ある程度意図した物。

とすると、あんたは本当に見つけていたのか……アルハザードへの道を」

「なっ、あれはただのお伽話じゃ……!」

「えぇ、その通りよ。

流石、リニスと再契約できるぐらいには、私の研究を理解しているだけはあるわね。

頭の硬い管理局とは大違い」

「そこに死者蘇生の方法があるかどうかまでは知らんし、ジュエルシードも足りてないみたいだから行けるかは分からないみたいだがな」

 

 絶句するクロノを尻目に、僕もまた魔力を開放するも、流石にジュエルシード12個でブーストされたプレシアの魔力には届かない。

どう都合よく見積もっても、3倍以上の魔力量の差がある。

これでは以前のようにダメージ覚悟の突進などすれば、一瞬で殺されてしまうに違いない。

内心舌打ちしつつも、プレシアと同じ高さまで降りつつ話す。

 

「で? 次元震はいいのか? 止まっちゃったけど」

「貴方以外の魔導師なら魔力供給など無くても全部纏めて相手にできるわ。

貴方を殺してから、ゆっくりと起こさせてもらうわよ」

 

 プレシアの杖を紫電が走る。

僕もまたティルヴィングを構え、前傾の姿勢を取った。

こうなれば僕のすべき事は単純だ、一撃も食らわずにプレシアまでの30メートル程の距離を縮め、最大魔力付与斬撃で気絶させる。

それ以外に僕の勝つ方法は無い。

 

 自然、その場を沈黙が支配する。

静謐な空間の中、じんわりと嫌な汗が僕の頬を伝った。

汗の落ちる小さな音が、静かな部屋に嫌に響き渡る。

瞬間、僕は高速移動魔法を発動し、プレシアは雷撃を放っていた。

紫電が超速度で視界を横切り、僕はそれを避け、受け流し、掠らせ、前へと進む。

 

「そういえば聞き忘れていたけれど、貴方は一体何故此処に居るのかしら?

どんな理由でも殺す事に変わりないけどね!」

 

 プレシアの雷撃は、以前の物と見違える程の速度であった。

以前ですら重たい砲撃だと言うのに連発してきたが、今回はまるで軽い射撃魔法のような速度で雷撃が飛んでくる。

必死でそれを避けつつ、微々たる速度で前に進みながら、僕は叫んだ。

 

「あんたに言いたい事が2、3できたからさ!

現実を見ようともしていない、あんたになっ!」

 

 絶叫しつつ僕は高速移動魔法やそのプラフ、前進する姿勢のまま後退するなど、様々な技能を駆使して雷撃を避ける。

通常魔導師は大魔力を扱うに連れて、高速処理ができなくなってくる。

それ故に魔導師は自分にとって調度良い魔力量を使って魔法を行うのが最大の効用であり、それは通常最大放出魔力量を意味しない。

だが、大魔導師と呼ばれる人種は違う。

徹底した魔法研究による魔力運用に関する超常の理解を得た彼らは、最大魔力量を持ってしても余裕を持ってついていける処理速度を持つのだ。

故に魔力供給を受け、自分の処理速度についていけるだけの魔力を得る事で、戦闘能力を向上させる事ができる。

 

「あらそう、言ってみれば? その余裕があるのならねぇっ!」

 

 ジュエルシードの魔力供給を得たプレシアは、正にその状態であった。

本来ならジュエルシード12個の共鳴魔力など僕の3倍じゃあ済まないが、3倍で済んでいるのはプレシアの処理速度がそこで限界だからだ。

と言っても、それだけでも既に人外のレベルに達していると言っていい。

聞いたことはないが、条件付きSSSランクと言う物があれば、プレシアのランクはそれになるだろう。

 

「ご丁重にどうも、なら言わせてもらうぜ!」

 

 だが、大魔導師級の処理速度を持つのは、僕も同じだった。

3年前から更に増えてSSランクの魔力を持つようになった僕もまた、魔力量よりも処理速度の方が上回りかけている状態なのだ。

勿論それだけならば僕は3倍の戦力に挑んでいる事になるが、プレシアはジュエルシードの制御に力を割かねばならない。

加えて自慢の勘と身体能力に経験値、魔力が自前である事の自由度の差で、僕は辛うじて生き残っている。

つまりは、劣勢である事に間違いはない。

 

 だが。

だけれども。

僕には、命を賭しても貫かねばならない信念があった。

故に劣勢であろうとも、叫ばねばならない。

嘘偽りで固めた言葉で、どうにかしてプレシアの心を燃やさねばならない。

故に、僕は叫ぶ。

 

「あんたの過去は聞いたが、幾つか腑に落ちない事がある。

プレシア、あんたが使い魔に関する特殊な研究をしていたのは知っていた。

俺には実現できねぇが、あんたなら市販されているカートリッジを使って使い魔を維持できるだろう」

「それがどうしたのよっ!」

 

 咆哮と共に飛んでくる紫電を避け、魔力付与斬撃で弾く。

未だ僕はスタート地点から5メートルと進んでおらず、予想される苦戦に心が苦くなる。

 

「なら、あんたは何故フェイトを教育したっ!

反逆のない手足が欲しければ、使い魔でやれば良かった筈だ!」

「それは……っ!」

 

 そう、プロジェクトフェイトは特殊な使い魔の研究が元となってできた研究である。

ならば手足を作るのに最初に思いつくのは、普通使い魔の制作だろう。

自身の魔力を使わずに使い魔を維持できるだけの技術があるのなら、尚更その方法が良いに決まっている。

なのにわざわざ時間がかかり不確実なフェイトの教育を選んだのは、不自然だ。

だが、プレシアは狂気の笑みを浮かべながら叫んだ。

 

「残念だけど、私の体は魔力関係の病魔に侵されていてねぇっ!

カートリッジでの維持でも、残り時間に影響が出そうなぐらいだったのよ!」

「…………」

 

 バリアジャケットの表面を焼く紫電を避けつつ、僕は目を細める。

言われてみれば、プレシアからは血の匂いがした。

フェイトが妙な傷を負っていない以上、プレシア自身の血である可能性は高い。

だが、しかし。

 

「……フェイトの為に、態々自身の魔力を使ってリニスさんを生み出したのに、か?」

「……っ!?」

 

 一瞬、紫電の乱舞が止まった。

その隙に僕は距離を縮め、慌ててプレシアは紫電の雨を再開させる。

 

「それはっ……、私の残り時間が何時まであるか分からないから、恒常的に魔力を必要としない手駒が欲しかったからよっ!」

「…………」

 

 言っているプレシア自身でも解るのだろう、支離滅裂な言葉だった。

残り時間が何時まであるか分からないのならば、フェイトを手駒として完成させた辺りで寿命が尽きてしまう可能性がある。

そうなるぐらいならば、例え体に負担がかかっても、即育できる使い魔を使ったほうが良いだろう。

実際、リニスさんはムラマサを手に入れようと、プレシアの命で動いていたわけだし。

だが僕はあえてそこを指摘せずに、結論を告げた。

 

「……あんたは、フェイトを憎んでいるように見えて、その実愛情を注いでいるようにも見える」

「馬鹿なっ!」

 

 プレシアが叫ぶと同時、一際大きな雷が僕へ向けて走る。

しかし逆に言えば隙の大きな一撃だ、僕は更にプレシアとの距離を縮めながら叫んだ。

 

「そうだな、違うな。

プレシア、あんたは気づいてすらいなかったんだ、あんたがフェイトを愛していると言う事にっ!」

「違う、そんな筈は無いっ! 貴方に何が解るのよっ!」

 

 叫ぶプレシアの姿に、僕の心が痛みを訴える。

そう、僕に一体何が解ると言うのだろうか。

UD-182という理想を演じるために、仮面を被り、人との繋がりを上っ面だけで行なっている僕に、愛など欠片も分からない。

そんな僕にプレシアがフェイトを愛しているかどうかなんて、語る資格は無いだろう。

ある筈が無いのだ。

 

「私の愛情は、全てアリシアに注ぐ為の物っ!

あんな失敗作に注ぐための愛情なんて、欠片もありはしないっ!」

「本当にか? 本当に、心の底からそう思っているのかっ!」

 

 だが、それでも尚僕は叫ばねばならない。

フェイトの為でもなく、プレシアの為でもなく、プレシアを救わねばならない自分の為に。

醜い、あぁ醜いだろう。

自分の利益の為に、誰かが隠していた愛情を暴き出すなど、外道の行いに違いない。

例えそれが結果的にフェイトやプレシアの為になる可能性が高いとしてもだ。

 

「そうよっ! 私は、それにすら気づくのが遅すぎた!

仕事を優先して、アリシアに寂しい思いをさせて……。

本当に大事なのは、アリシアただ一人だったのに。

私は、あの子に満足な愛情なんて注いであげる事ができなかった。

私は、いつも気付くのが遅すぎたのよっ!」

 

 それでも尚僕は、叫ぶのだ。

UD-182の理想を受け継ぐ為に。

本当の願いから目を背けているプレシアに、本当の願いを見据えさせる為に。

プレシアを救わねばならない、自分の為に。

 

「なら、今のあんたがまだ気づいていない事は、本当に何も無いのかっ!

このままがあんたの、本当に望むままの事なのかっ!」

 

 雷撃を放ちつつも、プレシアは初めて表情に迷いの色を見せた。

まさに、その瞬間である。

鈴の音のような、可憐な声がその場に響き渡った。

 

「……母さん、フェイト・テスタロッサです」

 

 初めて、プレシアの雷撃が完全に止んだ。

僕もまた足を止め、背後に視線をやる。

フェイトとアルフ、2人がこの場に降り立っていた。

念話で知ってこそいたものの、フェイトが再び自らの両足で立って歩いている事に、涙が出そうになる。

歯を噛み締め、どうにかそれをやり過ごし、僕は二人の間に邪魔にならないよう、体を動かした。

フェイトに視線をやると、小さく彼女は頷く。

プレシアは、険しい目つきで吐き捨てるように言った。

 

「今更……何しに来たのよ」

 

 冷徹な言葉に、フェイトは目を細める。

一歩、プレシアの方に近づきながら口を開いた。

 

「私はアリシア・テスタロッサじゃありません。

貴方が作ったただの人形なのかもしれません。

だけど私は、貴方に作り出してもらい、育てられた、貴方の娘です」

 

 まっすぐにプレシアの事を見つめながら言うフェイト。

その視線は、まるで冬の空気のように鋭利に、しかし同時に自然に、プレシアの元へと投げかけられた。

プレシアの眉が、ピクン、と跳ね上がる。

何時ヒステリーを起こされてもフェイトを守れるよう、姿勢を低くしつつ僕は見守った。

 

「貴方がそれを望むのなら、私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、貴方を守る。

私が貴方の娘だからじゃあない、貴方が私の母さんだから……」

「それが、どうしたのよ……」

 

 心なしか、弱々しく聞こえるようなプレシアの声。

対しフェイトは、両手を胸に、目を細め、何かを思い返すような仕草のまま言う。

 

「私が挫けそうになった時、私を支えてくれたのは、誰かが私の事を見てくれていると言う事実でした。

だから、私は貴方に言いたいんです。

私は絶対に、どんな時でも貴方の事を見ています、って……」

 

 プレシアは虚を打たれ、目を見開いた。

先程までの邪悪な笑みや咆哮とはかけ離れた、まるで純朴な少女が浮かべるような表情であった。

何かが、彼女の中に通じたのかもしれない。

そんな期待が僕の胸を過ぎった、その瞬間であった。

 

「……黙れぇっ!」

 

 プレシアの絶叫。

同時、広域魔法が発動するのを感じ、僕は高速移動魔法で防御の薄いフェイトの前へ。

超常の魔力とは言え、一瞬のチャージで放たれた広範囲攻撃ならば僕にも防げる。

薬莢を排出しつつ強化防御魔法でそれを凌いだと思った、正にその瞬間であった。

背筋に、今までの人生で最大級の悪寒が過ぎった。

咄嗟に避けたくなるが、背後にはフェイトが居る。

反射的に振り返りフェイトを押し飛ばした次の瞬間である。

 

 視界が、真紅の色に染まった。

これまで感じてきた痛みが、痛みなんかじゃあ無かったと思うぐらいの痛みが、全身を走る。

絶叫する暇すらも無く、僕の視界は暗黒に染まった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ティルヴィングはコアを明滅、状況を確認する。

プレシアの速攻魔法に対し、ティルヴィングは辛うじて防御魔法の展開に間に合った。

加えて直前の広範囲魔法に対してカートリッジを使った強化防御魔法を使っており、その残滓が残っていた事が幸いする。

結果、ウォルターは辛うじて消し炭になる事を免れたものの、バリアジャケットの機能がほとんど削られた上、衝撃でかなりふっとばされてしまった。

クロノの開けた穴に突っ込み、その奥の壁を2、3ぶちぬいて停止したウォルターは、酷い状態であった。

ティルヴィングは即座にウォルターの登録した電撃魔法を発動、ショックで強制的にウォルターの意識を戻す。

 

「ぅ……ぁ……」

 

 弱々しい声と共に、ウォルターが双眸を見開いた。

直後、ぼんやりとした目で自身の状態を確認する。

四肢が通常ではありえない方向にねじ曲がっていた。

所々から骨がつきだしており、内部から掬ったのだろう、黄色い脂肪や赤黒い肉を引っ掛けている。

腹からは、コンクリの槍が突き出し、顔を見せた臓腑が暖かな湯気を立てていた。

肌の一部は真っ黒に炭化し、ウォルターが微細に震える度にボロボロと崩れていく。

 

「僕は……生きている、のか?」

『生きています。ただ、0.2秒ほど心臓が停止しましたが、例のバリアジャケットの特性で再度動かしました』

 

 ティルヴィングが正確な答えを出すと、ウォルターはこの世の終わりのような表情をした。

真っ青な顔から更に色をなくし、血飛沫で真紅に染まった唇をブルブルと奮わせる。

そして絞り出すように、言ってみせた。

 

「……もう駄目だ、これじゃあ戦えないよ」

『いいえ、新バリアジャケットの特性を利用すれば、まだ戦えます』

 

 即座にティルヴィングが返すのに、今にも泣きそうな表情を作りながら、ウォルターは返す。

 

「それで動けるようになっても、痛み自体は変わらず残る。

その上、僕はこんな痛みがこれから待っているって知ってしまったら、これまでのようにプレシアの魔法をギリギリで避ける事ができなくなってしまう。

それじゃあ、勝てる筈が無いじゃあないか……!」

 

 手を握ろうとするウォルター。

辛うじてくっついていたウォルターの薬指が、その僅かな動作で千切れ、床に落ちた。

たったそれだけの事に、ウォルターは更に血の気を引かせ、目眩でもあったかのようにガクガクと口を奮わせる。

歯を噛み締め、弱音を次々に吐き出した。

 

「大体、僕はもうよくやったじゃあないか。

3倍以上のスペックを持つ相手に、互角以上に戦ってみせたんだぞ。

あそこでフェイトを庇わなければ、僕はきっと、勝っていた筈だ……!」

 

 確かに事実だろう、とティルヴィングも分析する。

ウォルターはスペックからしてありえない程長時間プレシアと戦闘を続け、それどころか話までついでに続けていた。

これまでの戦果だけでも異常と言っていい物だろうし、ウォルターの人生最高の戦いだったと称しても良いだろう。

だが、しかし。

 

『ですがマスター、貴方はプレシアを救わねばなりません』

「……ぁ……」

 

 何時かのウォルターの言葉を、ティルヴィングが復唱する。

それに虚を突かれたかのような顔をし、ウォルターは目を見開いた。

 

『マスター、貴方は骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなければなりません』

 

 現状、ウォルターはかつて言った通りの惨状となっているが、そのような台詞を残していたと言う事は、想定の範囲内なのだろう。

ウォルターがそれを思い出してくれるよう願いつつ、ティルヴィングはウォルターの言葉を待った。

しばし俯き震えていたウォルターは、やがて面を上げると、凄惨な瞳で告げる。

 

「そう……だな……、思い出したよ」

 

 まるで憎悪を琥珀にして閉じ込めたかのような瞳であった。

怒りや憤りを全身から噴出させ、ウォルターは続ける。

 

「ついでに、なのはとの違いも思い出したよ。

あの子は救いたいと、僕は救わねばならないと、そうとしか言えなかった。

そう、僕は自分に強制力を持たせなければ、信念を貫き通す事さえもできないんだ」

 

 ウォルターの全身の所々にあるバリアジャケットの残滓が、黒い液体と化した。

それは白い紙に落されたインクのように、次々とウォルターの全身へと広がっていく。

 

「そうさ、僕はそんなにも心が弱い。

だけど、仕方がないじゃあないかっ!

弱くても僕は救いたいんだ、信念を貫きたいんだっ!

だから……」

 

 絶叫と共に、黒い液体はついに全身を覆い尽くした。

こぼれ落ちた臓腑やはみ出た骨をも覆うそれは、まるで光の一切無い暗闇のようであった。

光沢が無い黒だからそうとも見えるのだろう。

そんなウォルターを観察していたティルヴィングは、すぐさまあることに気づき、ウォルターに告げる。

 

『マスター、今貴方は高町なのはと同じく、“したい”と、そう言ったではないですか』

「……あ……」

 

 まるで天啓が降りたかのように、ウォルターは呆然と呟いた。

それからゆっくりと、それが染み渡るかのようにウォルターの顔色が変化していく。

徐々に笑顔になったウォルターは、まるで大切な宝物を撫でるかのような表情で、呟いた。

 

「……そう、か……」

 

 瞼を閉じる。

それからウォルターは、勇ましい笑みを浮かべ、目を見開いた。

優しげな、しかし重圧を感じさせる威圧感がウォルターから放たれる。

 

「なぁ、骨が折れたっていったよな」

『イエス』

「だからどうした、押し戻して曲げ戻せば、まだ動くっ!」

 

 絶叫と共にウォルターは、黒い流体と化したバリアジャケットを操作。

無理矢理飛び出た骨を押しこみ、更に肌に微細な穴を開けてバリアジャケットは体内に侵入。

本来骨があるべき所をコーティングするようにバリアジャケットを形成、外側から抑える事によって無理に骨を繋げる。

 

「なぁ、内蔵が潰れたっていったよな」

『イエス』

「だからどうした、集めて固めればそれでいいっ!」

 

 絶叫と共に、体内に侵入したバリアジャケットは内蔵をもかき集め、元の形に押し固める。

落ちた薬指も同様の操作によって押し付けられた。

腹から突き出ていたコンクリの槍は切断され、床に落ちていく。

 

「なぁ、このままだと体は動かないよな」

『イエス』

「ならば、この体を覆う物を……バリアジャケット自体を動かせば、まだ僕は戦えるっ!」

 

 絶叫と共に、ウォルターは全身を覆うバリアジャケットを操作。

肉体の外側にあるバリアジャケットが動くのに追従して、痛みで動かせないはずの内部の肉体もまた動く。

魔力とそれを管理する脳とリンカーコアが死なない限り、どんな怪我を負っても永遠に戦い続けられるウォルターオリジナルの魔法。

狂戦士の鎧の、面目躍如であった。

 

 勇ましげな顔のまま、ウォルターは立ち上がる。

ボディースーツ一枚となったウォルターの肉体に白光が発生。

次の瞬間、黒いコートとブーツがウォルターの狂戦士の鎧の上から被せられた。

戦闘態勢となったウォルターは、ティルヴィングを構え、叫ぶ。

 

「行くぞ」

『イエス』

 

 朗々と答え、ティルヴィングは次ぐ戦闘に備え全計算機能を最高にまで引き上げる。

ウォルターは歯を噛み締め、野獣のような表情を作りながら叫んだ。

 

「行くぞぉぉっ!」

『イエス』

 

 ハッキリと答え、ティルヴィングは明滅、補充されたカートリッジの点検まで万全にする。

ウォルターは瞳に狂気とさえ取れる意思を乗せ、叫んだ。

 

「行くぞぉぉおぉぉぉっ!」

『イエス、マイマスター』

 

 絶叫と共に、ウォルターの足元に白い三角の魔方陣が発生。

それに反発するかのように、ウォルターは戦いの場へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 


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