仮面の理   作:アルパカ度数38%

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3章7話

 

 

 

 リニスは深く息を吸うと同時、目の前の扉を見つめた。

無機質な金属の光沢が、照明の光を鈍く反射している。

その中央には細く赤いランプがついており、扉がロックされている事を示していた。

手を伸ばす。

指先が、次いで指全体が、そして掌が扉に張り付いた。

その冷たさをさえ覚える感触が、リニスの緊張を更に強める。

真実を知って、リニスには今だウォルターに対する答えは決まっていない。

けれど、それを決めるには前に進まねばなるまい。

意思を固め、リニスは深く息を吐いた。

扉を手放し念話をウォルターに繋ぎ、リニスは言う。

 

(ウォルター、リニスです)

(……分かった、今開ける)

 

 直後、扉のランプが青に点灯。

排気音と共に扉が開き、中の光景がリニスの藍色の瞳に飛び込んでくる。

医務室に押し込まれそうだったウォルターが強引に取った私室は、他の私室とそう変わる所は無い。

デスクにベッドにクローゼットに機械端末、シャワールームにトイレ。

平均的な部屋の白いベッドの上に、これまた包帯の白で顔の半分近くを覆い隠したウォルターが座っていた。

 

 リニスが部屋に入ると、再びの排気音と共に扉が閉まり、ロックの音が鳴り響く。

直後に、ウォルターが視線を首元のティルヴィングに。

同時、多種の結界が部屋を包み込んだ。

防音、遮魔力、遮光……。

ありとあらゆる情報を中から締め出し、サーチャーどころか念話すら入り込めない厳重な体勢が整った。

予想していた以上の厳重さにリニスは驚きを顕にする。

と同時、それだけではない事に気づいた。

その上、ティルヴィングはどうやら内部に通ってきた魔力・電力的監査に干渉、誤情報を流してさえ居るのだ。

呆然とリニスがウォルターを見ていると、皮肉気な笑みでウォルターが口を開く。

 

「俺がティルヴィングに愚痴を零すのに、結界魔法の中でも、この類の魔法だけは慣れちまってな。

……いや……」

 

 歯噛みし、ウォルターはグッ、と全身に力を入れた。

包帯から血が滲む程に力を込め、ウォルターは天を仰ぐ。

吐き捨てるようにして、言った。

 

「仮面を被らずに言うのなら、“僕”は、だね……」

 

 “僕”。

それが彼の本来の一人称なのだと思い返し、リニスは愕然とした。

目の前の少年の今までの何もかもが偽りで作られていたかのように思え、身震いする。

いや、事実、そうなのかもしれない。

内心で唇を噛み締めながら、リニスはウォルターに近づく。

近くにあった椅子を引き寄せ、ベッドの側に座った。

 

 改めてウォルターを視認する。

彼の言う仮面を脱いだその姿は、常とは違い酷く弱々しく見えた。

炎の瞳はジメジメとした暗く陰鬱な光に満ちており、リニスを直視する事を避けている。

体は微細に震え、今にも感情が弾けて泣き出しそうな風にさえ見えた。

陰鬱な姿であった。

しかしウォルターが、あの力強い彼の真実の姿が、これなのだ。

そう思うと、リニスは苦みばしった表情をするのを避けられなかった。

それを視界の端に見つけたのか、ウォルターは顔ごと視線を外そうとし、それを必死な形相で留める。

万力を込めるようにしてようやくリニスを直視。

震える血の気の足りない唇で、しかし確りとした声色で言った。

 

「精神リンクは僕から君への一方的な物だったけど……。

分かっただろう?

プレシアを相手に叫んだ事も、フェイトを相手に言った事も。

そして、君に話した全ての事も……」

 

 ウォルターは、深く息を吸った。

そうしてみてから言葉を探すようにし、一端息を留める。

まるで吐く息の勢いに乗らねば言えないかのように、言葉は吐き捨てられた。

 

「全て、嘘偽りなんだ」

 

 リニスは、奈落の底に落ちるかのような感覚を覚えた。

予想していた筈だった。

けれど、現実にウォルターの口からそう言われてしまうと、心が締め付けられるかのように痛い。

まるで全身が鉛になったかのような感覚に、リニスは鈍い疲労感を覚える。

 

「許してくれとは言わない、どんな罰だって受ける」

 

 ウォルターの瞳は、まるでヘドロのようにドロドロとしており、見たものを引き込み粘着質に絡む物があった。

まるで、仮面を被っていた時とは正反対の瞳。

その感想がどんな意味を持つのかリニスが考えるよりも早く、ウォルターはとんでもない事を口にする。

 

「ただ、簡単に殺す事だけはしないでくれ」

 

 え、と。

小さくリニスは呟いた。

ウォルターはそれを意に介さず、続ける。

 

「嘘の信念の為に殺してしまった人が居る。

そんな僕は、惨たらしく絶望して死ぬのが似合いさ」

 

 そう言ってのけるウォルターの表情は、まるで老人のようだった。

拭いきれない絶望に、極限まで疲労した顔だった。

当然と言えば当然と言えよう。

リニスが知る僅かな情報では、素のウォルターは決して英雄的な人間ではない。

普通の、平凡な人間だった。

決して抗えない壁に立ち塞がられた時、膝を折り絶望する。

信念に全てを賭ける事などできず、僅かな友との幸せを渇望する。

そんな、ごく普通の人間だった。

そんな平凡な少年が英雄の仮面を被って生きる事に、どれほどの活力が必要となる事か。

その答えは、目の前のウォルターが言外に告げていた。

あまりにも落差の大きい真実を知られる事が恐ろしくて、その恐怖に疲れ果て。

結果、何処かで死をすら望むほどに疲労してしまうのだ、と。

 

 ウォルターが真に信念を、UD-182の持っていた心の炎がこの世にあったのだと世界に示す、信念を貫くのなら。

それなら、ウォルターはリニスを口封じに殺す事すら計算に入れるべきだった。

多少不自然でも、リニスが主従を受け入れられないのなら、誰の負担にもならない死を望む、と言う展開はありえない程の物ではない。

結果PT事件と闇の書事件で出会った人々には大きな不信を買うだろうが、ウォルターは他にもいくらでもコネがある。

とすれば、それは大きな打撃になっても、致命傷ではない。

ウォルターは、リニスを騙し続けた罪を償うべきではなかった。

罪から逃れてでも、タフに生き延びる道を取るべきだったのだ。

しかし、目前のウォルターは、それを選ぶ活力すら無くす程に疲れていた。

 

 暫時、リニスはウォルターに何と告げようか迷った。

あの鮮烈な言葉は、今でもリニスの中に深々と刻まれている。

それが嘘だと知って、落胆が無いと言えば嘘になった。

世界には、燃え盛る炎の心を持ち、信念の為に全てを賭す事のできる人間が居る。

その心の炎で誰かの心に火を灯し、誰しもを巻き込み熱く生きさせることのできる人間が居る。

その思いがリニスの中で形作ってきた事は、余りにも大きい。

 

 ——けれど、と。

リニスは内心独り言ちる。

けれど、リニスの心には、それ以上にその真実に気づけなかった自分への怒りがあった。

何が、ウォルターを主としたいだ。

自分はウォルターの事を、何一つ理解していやしなかった。

どれだけ辛い思いをして信念を貫こうとしていたのか、これっぽっちも理解していなかったのだ。

あのままいけば、ウォルターはリニスとの主従関係を断っていただろう。

そしてまた一人、心が折れるその日まで戦い続ける事になったのだ。

そう思うと、リニスは思わずゾッとしてしまう。

想像したくない、しかしあり得てしまう未来予想図だった。

 

 そしてリニスの中には、それでもウォルターの言葉に感謝する自分が居た。

例えウォルターの言葉が、嘘偽りで塗り固められた物であったとしよう。

だが、それでもウォルターの言葉はプレシアを救ったのだ。

フェイトをも救い、そしてリニスが胸焦がれるほどに心惹かれたのだ。

ウォルターの言葉は、例えそれが何でできた物だとしても、人の心を熱く燃やす力があった。

言葉にできない、活力の源となる力強い何かがあった。

それだけで、リニスがウォルターを許し、そして主となってもらいたいと思うには十分過ぎるぐらいであった。

 

 加えて、素のウォルターは、疲れ果てて今にも崩れ落ちそうな、普通の10歳の少年だった。

そんな子供が、人生を賭してまで必死で戦い続けている。

孤独で辛いそんな姿は、どうしようもなくリニスの母性をそそった。

愛おしかった。

これ以上、彼が独りで傷ついていくのを、見ていられなかった。

抱きしめて、彼を守ってやりたかった。

それができなくとも、せめて彼の歩む道が独りきりの物ではないのだと、そう言ってやりたかった。

 

「ウォルター」

 

 言って、リニスはウォルターと再び視線を合わせる。

言葉にビクンと震え、怯えを顕にする少年に、リニスは両手を伸ばした。

首筋に手を回し、抱きしめる。

乳房がウォルターの胸板にあたって変形し、子供らしい高い体温が感じ取れる。

え、と、ウォルターの意外そうな声が聞こえた。

 

 何といえばいいだろう、とリニスは思い悩んだ。

リニスの中の思いを伝えるには、言葉にするのも、ウォルターの心が聞き届けるのも、難しかった。

本音を言えば。

少しづつでもいい、ウォルターには仮面を外して生きられるようにして欲しかった。

仮面として作り上げた、不自然なまでに英雄的な人間なんかじゃなくてもいい。

自然に彼が出来る範囲で、人の心に炎を伝わらせるような生き方でいい。

それができなくとも、せめて幸せに生きて欲しい。

 

 けれど、ウォルターの今にも壊れそうな疲れ果てた心は、そんな生き方に耐えれるだろうか。

否だ。

目の前の少年は、今の生き方に苦しんでいる癖に、それを否定されればそれだけで壊れてしまいそうなぐらい繊細だった。

ならば最初の一歩は、肯定だ。

自分の仮面を嘘偽りと言い、自分が許されない生き方をしていると思い続けている彼を、肯定してあげなければならない。

嘘でも良かったんだよ、と。

偽りでも救われたんだよ、と。

——許すと、ただ一言。

 

「貴方を、許します」

 

 その一言がウォルターに与えた影響は、絶大であった。

精神リンク接続の際見た、ウォルターがUD-182の死に、自分の中で交わした約束。

——これは、僕の人生最後の涙だ。

店主を殺してしまったと嘆いた時も。

なのはの心に圧倒的格差を見た時も。

プレシアに破れそうになった時も。

そしてリニスに、闇の書の夢を見られてしまった時でさえも、彼は泣かなかった。

けれど。

だけれども。

 

「う、あ……」

 

 ウォルターを抱きしめるリニスの頬に、暖かな液体が触れた。

上方から流れ落ちる液体は、2人の触れ合う頬と頬の境界線を流れ行き、2人の顎へとそれぞれの軌跡をたどってゆく。

ウォルターは、泣いていた。

涙を零していた。

始めはただ涙を零すだけだったウォルターは、すぐさましゃくりあげ、嗚咽を漏らす。

大粒の涙を零しながら、声にならない悲鳴を上げ、泣き続けた。

 

 そんなウォルターを、リニスはただただ抱きしめ続けていた。

伝わる体温が、ウォルターにもう独りきりじゃあないと、そう伝える事を願って。

ウォルターを抱きしめる力を、僅かに強める。

伝わる体温の高さ、実感するウォルターの小ささが、彼が10歳の少年に過ぎない事を改めてリニスに理解させて。

涙を零す少年に、自分もまた泣きだしてしてしまいそうになるのを、堪える。

歯を噛み締め、瞬きを繰り返し、必死で堪える。

 

 ——ウォルターが泣き止んだ時、リニスは彼を笑顔で迎えたかったから。

 

 だからリニスは、必死でこみ上げる涙を押しとどめ、泣き続けるウォルターを抱きしめていた。

その姿は、奇しくも今まで涙を堪え続けてきたウォルターに似ているのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 どうしようもないほどの嬉しさで上がりそうになる口角を、必死で抑える。

溢れる幸福感を、どうにかして取り繕い、真面目な顔を作る。

そうして見せても、精神リンクで僕の内心が伝わっているのだろう。

僕の乗る車椅子を押すリニスは、ニコリと微笑ましそうな顔をして僕を見つめていた。

なんだかそれが恥ずかしくって、僕はちょっとだけ頬を赤くして俯いてしまう。

けれど、その恥ずかしいという感情さえもリニスに伝わってしまう訳で。

使い魔契約とは、何ともやりづらい物だな、と僕は思った。

今まで内心を隠すのに必死だったのに、今は開けっぴろげだというのが、正直な話違和感を覚える。

そんな僕の煩悶を、よくよく分かっているのだろう。

精神リンクから暖かな感情を伝わらせながら、リニスは口を開いた。

 

「それにしても、“生涯を共にすること”ですか」

 

 ピクリ、と僕は震えた。

リニスと改めてした使い魔契約の、内容である。

僕の唯一の理解者である彼女を、何としても手放したくないが為の物だ。

……いや、ティルヴィングも居るから、たった2人の、というべきか。

そんな風に考えつつも、僕は思わず内心体をよじらせたい衝動に襲われるのに耐えられなかった。

だって、そんな甘えのような感情を持っているのは、どうしても格好悪いように思えてしまう。

自立できていないというか、なんというか。

そんな風に考えて一拍、僕は唾を飲み込み、思考を回転させた。

……いや、認めよう、と。

僕は照れているのだと。

しかもその感情がリニスに伝わってしまっているというのが、僕の内心の恥辱を助長した。

それをどうにか顔に出さず、続ける。

 

「……それがどうしたんだ? リニス」

「ふふ、照れなくてもいいんですよ、ウォルター。

ただ、使い魔契約の内容が、フェイトとアルフの物と同じだな、と思っただけです」

 

 言われて、面食らった。

恐らく、リニスは単にその共通項に思いを馳せているだけなのだろう。

しかしあの純朴そうな少女と、皆に嘘をつき続ける僕のような汚れ系の人間とで契約内容が一緒とは、世の中なんとも不思議な物である。

 

 そんな事を考えているうちに、僕らはアースラの食堂にたどり着いた。

リンディ艦長に皆が集まっている場所が其処だと聞いた為である。

自動扉の排気音と共に中に入り、明るくも柔らかな、天然光のような照明に目を細める。

食堂の一角に、今だ気絶していると聞くはやてを除く全員が集まっていた。

リニスに車椅子を押してもらって近くに辿り着き、口を開く。

 

「よう、皆。集まってどうしたんだ?」

「あ、ウォルター君……」

 

 しょげかえったなのはの声に、全員が僕を振り返り、硬直した。

まぁ多分そんな反応が返ってくるだろうな、と思っていたので、僕は何とも言えずに返す。

僕は顔が半分程出ている他は、殆ど全身包帯だらけの、ミイラ男のような姿であった。

これでも、今しかできない事だから、と無理言って狂戦士の鎧で体を動かしているので、ギブスなどはしていないのだが。

パクパクと唇を上下させるなのはを筆頭に、皆僕の怪我に多かれ少なかれ驚いているようだった。

 

「す、凄い怪我だけど、大丈夫?」

「応、リニスが車椅子も押してくれるしな」

 

 率先して話しかけてきたフェイトが、目を瞬く。

眉を下げ、疑問詞。

 

「あれ、ウォルター、リニスの事を呼び捨てで……?」

「あぁ、まぁ、なんだその。

色々あって、正式に使い魔契約を結ぶことになってな」

 

 視線を微妙に逸らしながら言うと、視界の端でフェイトがぱぁぁっ、と顔を明るくしたのが見えた。

少しは落ち着いた筈の恥ずかしさが、胸の奥から再び湧いてくる。

それを必死で抑えながら、狼の表情は読めないのでシグナムの方に視線をやった。

意外そうな表情で口を開こうとした彼女だが、僕の視線を受けて口をつぐむ。

一度はリニスとの主従関係を断ろうと思った事を思い立ち、闇の書の夢が影響したのだと気づいて口を開こうとしたのだろう。

恐らくはそこで、僕の理由があまり口外してほしくない類の物と思い出したに違いない。

軽く頭を下げて礼をすると、気にするな、とでも言いたげに腕組みした手から人差し指と中指とを並べて立てた。

それに再び内心で礼を言いつつ、皆の方に向き直る。

 

「それでちょっと聞きたい事があって来たんだが。

リィンフォースとヴォルケンリッター、5人はこのままだとどうなる?」

「あ、そうなんだよウォルター君。

ヴォルケンリッターの皆は大丈夫みたいだけど、このままだとリィンフォースさんが……!」

 

 なのはの言を聞き、ヴォルケンリッターの先頭を行くリィンフォースに視線をやる。

交錯。

その目に満足の色を見て、僕は内心歯噛みする。

それから、リィンフォースは自分と闇の書に関する説明を始めた。

曰く、闇の書の歪められた基礎構造はどうしようもない。

このままでは遠からず新たな防衛プログラムが作られ、それによって今度こそはやてが目覚めること無く暴走状態に移行してしまう。

故にリィンフォースは、闇の書本体と共に消え去らねばならない。

ヴォルケンリッターは闇の書本体から切り離したので、彼らは大丈夫なのだそうだ。

改めて聞かされた言葉に、全員が黙りこむ。

予想通りの結末に、思わず僕は目を細め、口を開いた。

 

「リィンフォース、お前を救う方法は、ある……いや、正確にはあった、というべきかな」

 

 俯いていた皆が、跳ね上がるように顔を上げた。

歓声を上げようとして……、僕の言葉が過去形である事に気づき、表情を歪める。

皆を見渡しながら、口を開く僕。

 

「今となっては不可能な方法だが、これで皆が何か思いつくかもしれないんで、一応話すぞ」

「……あぁ、聞かせてもらおう」

 

 縋るような目付きで言うクロノに頷き、僕はまず、と告げユーノに視線をやる。

 

「条件を詰めるぞ。

ユーノ、無限書庫で闇の書のソースを使って検索したとして、夜天の魔導書のソースを見つけるのにどれぐらい時間がかかる?」

「確かに、無限書庫にはあらゆるデータが詰まっている。

闇の書をはやての手でプログラムソースを閲覧できる今、夜天の魔導書のソースを見つける事は不可能じゃない、か。

それなら闇の書を夜天の魔導書に戻す事も、不可能じゃない……。

……何とか、一族の皆にも手を頼んで……5日でやってみせる」

「分かった」

 

 言って、今度は視線をクロノへ。

口元を引き締める彼へ、続きを口にした。

 

「クロノ、夜天の魔導書の価値で管理局や聖王教会の力をどんぐらい引っ張れる?」

「……コネもあるし、将官クラスの人を複数引っ張れると思う」

 

 頷き、視線をリィンフォースへ。

 

「最後にリィンフォース、防衛プログラム復帰の予想最短時間はどれぐらいだ?」

「……どれだけ早く見積もっても、24時間はかかるだろうな。

逆に48時間以内に復帰しない事はありえないだろう」

「そう、か」

 

 内心、小さくため息。

一瞬伏せた視線を皆にやり、僕に考えつく唯一のリィンフォースを救う方法を告げる。

 

「俺のプランは、単純だ。

暴走前の闇の書は、魔力ダメージで昏倒すれば強制的に主を起こす事ができる。

ならば簡単な話だ、暴走前の闇の書に5回勝ち、5回防衛プログラムをアルカンシェルで消滅させればいい」

「なっ……!?」

 

 思わず、と言った様子で腰を上げるクロノ。

しかしすぐに思案の色を見せ、思考を口にする。

 

「これまで闇の書を捕えるのに、管理局は暴走時の闇の書を、数十人以上の魔導師による封印魔法で主ごと封印してきた。

だが、確かに魔力ダメージで防衛プログラムを昏倒させれば、その間に管制人格……リィンフォースが主のはやてを起こし、再び防衛プログラムを分離するのも不可能じゃない、か」

「リニスから聞いたが、俺が闇の書を倒した時には、防衛プログラム再起動まで10秒以上あったと聞く。

それだけ時間があり、予めはやてがそれを意識していれば、防衛プログラムの分離まで間に合うだろうな」

「そして複数の将官の協力があれば、その為の無人世界の提供やアルカンシェルの準備もできる、か」

 

 頷く僕。

ついでに言えば、5回勝てなくとも次は勝てない可能性が高いと判断すれば、途中でリィンフォースが消滅を選びなおす事もできるのだ。

それがこのプランの優れた点と言えよう。

全員の顔に喜色が満ちてゆき、希望が空間に溢れてくる。

しかしそんな中で、僕とリニスとリィンフォースだけが陰鬱な表情をしていた。

これが過去形な理由を、これから僕は告げなければならない。

そう思うと内心苦いものがあるものの、結局僕は自ら口を開いた。

 

「防衛プログラムのみで動く闇の書の戦闘データは、リニス経由で見せてもらった。

あれなら例えはやてとリィンフォースによる抵抗がなくても、俺なら韋駄天の刃無しで毎日5回連続、制限時間内に勝てるだろう」

「それなら……!」

「この大怪我じゃあなけりゃ、な」

 

 一気に室内に暗い沈黙が満ちた。

全員の表情に暗い影が落ち、目から光が消え去る。

重力が増したかのような空間で、でも、となのは。

 

「でも、私とフェイトちゃんで一回勝ったんじゃあ……!」

「それははやてとリィンフォースが闇の書のバリアジャケットの特性を解除していたからだ。

あれには一定以下の魔力による攻撃をシャットアウトする効果がある。

恐らくこの場の人間で言えば、俺の全力の断空一閃となのはの全力のスターライトブレイカー以外は、バリアを抜いて直撃させたとしても無傷で凌がれるだろう。

例え当てられたとしても、なのはの限界まで魔力を集めたスターライトブレイカーの威力でさえ、5発ぐらいは必要だ。

それで闇の書を倒すには、奇跡がダース単位で必要だろうな。

24時間以内にバリアジャケットを抜ける人材を集めるのは、もっと無理だろう。

収束砲撃を使える魔導師が2人以上居てもあまり意味がないし、自己魔力で抜くにはオーバーSの魔力に加え準大魔導師級の魔力制御技術が要る。

偶々防衛プログラムが次もバリアジャケットを展開できないと期待するのは、都合が良すぎるという物だな」

 

 今度こそ、反論は無かった。

全員が肩を落とし視線を足元でやる中、内心ため息をつきつつリィンフォースに視線を。

頭を下げ、静かな一言を告げる。

 

「……すまない」

「いや、お前が謝ることでもないさ」

 

 優しげに告げるリィンフォースに、思わず僕は歯噛みする。

違う、これは僕の力量によるものなのだ。

あとちょっとでも僕が弱ければ、シグナムとザフィーラを捕まえる事はできず、はやては僕に復讐の念を持つ事無かった。

それなら僕は最強状態の闇の書と戦わず、大怪我をすること無く今の状態までこれたのだ。

逆に、あとちょっとでも僕が強ければ、闇の書との戦闘で狂戦士の鎧を使った時にバリアジャケット・パージで距離を離される事なく、韋駄天の刃以外で逆転不可能な事態にはなっていなかった筈だ。

無傷で勝利できたとは言わずとも、シャマルの回復魔法とアースラの設備を使えば、騙し騙し5回の戦闘を耐え切る事ができる状態になれたかもしれない。

いや、5回勝てなくとも、数回勝てばどうにか人材を引っ張ってこれる可能性がある。

恐らくはその場合、ほぼ確実にリィンフォースを救えたに違いないだろう。

 

 けれど。

だけれども。

それは所詮、IFの話に過ぎない。

そんな事を言っても詮無きことだと分かっている僕は、歯を噛み締めるだけに止め何も口にしなかった。

僕の内心を察しているのだろう、儚げな微笑みを見せるリィンフォース。

まるで大丈夫だ、と告げているようなその顔に、僕は罪悪感が募るばかりだ。

だからせめて、僕は彼女に対して卑劣なままに別れる事はできない。

秘匿念話を繋ぎ、彼女に僕は告げる。

 

(リィンフォース……、俺の闇の書の夢の中での出来事を、知っているか?)

(……後で少し時間を取る。余人を交えずに話をしよう)

 

 リィンフォースが言外に告げた真実に、僕は打ちひしがれそうになった。

それを必死の虚勢で隠し、僕は静かに了承の念をリィンフォースに告げたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ガシュー、という排気音。

金属光沢の扉が横に滑って行き、内部の照明の明るさが軽く目を焼いた。

僕に与えられた部屋と同じ家具の室内、銀麗の髪を腰まで下ろしたリィンフォースがベッドに腰掛けている。

その瞳は優しい色に満ちており、その事が僕の臓腑に鉛が溜まるような気分にさせた。

まるで、純朴な少女を騙す詐欺師にでもなったような気分だ。

いや、僕の人生とはつまりそういう事なのだろうが。

 

 まるで自覚のなかった自分に改めて胃痛がするのを耐えながら、僕は室内に侵入。

自動ドアが閉まるのを確認してから、各種結界魔法を発動する。

この一連の魔法は外部への防御力は高いが、内部への隠蔽までは考慮していない。

リィンフォースの瞳はどんな魔法が発動したのか、一瞬で解析しただろう。

それでもその事について触れない彼女の優しさが、逆に僕には苦痛ですらあった。

 

「どうぞ」

「失礼」

 

 車椅子を繰り、ベッドに座る彼女と向き合う形にする。

歳の割には高い背丈の僕だが、リィンフォースには座高でも僅かに及ばず、少し見上げる形になった。

赤い瞳を柔らかに細め、僕を見つめながらリィンフォースは口を開く。

 

「一人で来たのか」

「精神リンクだけは繋ぎっぱなしだがな。

後付けの保護者同伴で来るのはどうも、性に合わなくてよ」

 

 言いつつ、僕は自然と呼吸を大きくしてしまう。

最初は胸が上下するだけだった呼吸も、すぐさま肩で息をするぐらいにまでなった。

バクバクと高鳴る心臓が、今にも飛び出そうなぐらいだ。

頭の中が急に真っ白になって、考えていた筈の言葉が掴めず、口先は言葉にならない言葉を紡ぐ。

駄目だ、こんなんじゃ駄目だ、早く聞かなくちゃ。

そう思うものの、自分から僕の仮面に関する事を聞こうとするのがこんなに辛いなんて思っていなかった。

胸の奥は今にもねじれて千切れそう。

視界にはチカチカと星が散り、体は震えが止まらない。

 

 そんな僕を見かねたのだろう。

リィンフォースは腰を上げ、僕に近づく。

何かと思った次の瞬間には、僕はリィンフォースの胸に抱きしめられていた。

 

「大丈夫だ、落ち着いて。

息をゆっくりと長く、吐くんだ」

 

 はぁぁあ、と言われた通りに深く息を吐く。

吸う、吐く、ゆっくりと。

そうしているうちに心臓の鼓動も落ち着いてきて、頭の中も少しだけど整理されていく。

すると今度は伝わる体温と、鼻にかかる銀糸の髪からするいい匂いに、僅かな動揺が僕を襲った。

すぐに顔を取り繕うと、まるでそれに気づかなかったかのようにリィンフォースは言う。

 

「どうだ、落ち着いたか?」

「……あぁ、ありがとう」

 

 人間より遥かに高性能なリィンフォースに、僕の小さな動揺が見抜けなかった筈がない。

故に彼女は、見逃してくれたのだろう。

二重の意味で礼を言うと、彼女は僕から離れ、再びベッドに腰掛ける。

ゆっくりと深呼吸。

今度こそ僕は、用意してきた言葉を吐き出す。

 

「俺の闇の書の夢の中での出来事を、知っているか」

 

 答えは、縦に振られたリィンフォースの頭蓋が物語っていた。

 

「あぁ、私はお前の願望と、UD-182の存在を知っている。

そしてお前が、それを必死に隠している事を。

心配するな、私はその事を口外するつもりはない。

あと、主はやてはこの事をご存じないという事は言っておこう」

「……そうか」

 

 僕は、小さく安堵の溜息を零しながら言った。

最悪はやてにこの事がバレていた場合、どう誤魔化せばいいか僕はまだ考えついていなかった。

その場合結局どうしていたのか、と言う考えは精神衛生上考えないようにしておく。

今はリィンフォースに全身全霊で向き合うべきだ。

そう考え、僕は立ち上がった。

車椅子を他所に退け、床に正座する。

疑問詞に目を見開いたリィンフォースの光景を最後に、僕は腰を折り、額を床につけた。

つまり、土下座である。

 

「すまない……!」

「ま、待てっ、どうしたんだ一体っ!」

 

 僅かにベッドの軋む音。

恐らく立ち上がってあたふたしているのだろうリィンフォースに、僕は続く言葉を吐き出す。

 

「俺はお前を救うと約束したのに、今真実を知るお前が消滅を免れない事に、少しだけホッとしている……!」

 

 事実であった。

助けようとしたはずの命が。

それも今までずっと呪われた宿命で、今やっと救われて、これから幸福に生きれるかもしれなかった命が。

それが失われようとしているのに、僕は内心では僅かに安堵していたのだ。

僕は、どうしようもなく下衆だった。

 

 UD-182の信念に、共感してくれた人が居た。

僕が伝えようとする信念を、受け取ってくれる人が居た。

心が救われた、それを僕のお陰だと言ってくれる人が居た。

勿論、それが僕の偽りの仮面であることは百も承知だ。

それでも、僕は今までよりほんの少しだけ上等な人間になったつもりでいた。

けれど、それはただの勘違いだったのだ。

 

「それに、結局俺はお前に何も出来なかった!

そればかりか、やっと掴めた幸せを手放してしまうお前の目の前で、これみよがしに俺はリニスと言う理解者を得たんだ!」

 

 言葉と共に、僕の目から涙が滲む。

今まで必死で泣かないという誓いを守ってきたのに、一度破れてしまえばその決壊は簡単だった。

すぐに涙を零してしまいそうになる自分の弱虫さ加減が、嫌になる。

それでも目頭に集まる熱さは消えなくって。

温度が、目を通じて零れ出る。

 

「頭を上げてくれ、ウォルター」

「…………」

 

 言われて面を上げると、そこには困り切った顔のリィンフォースが居た。

一瞬、僕の泣き顔に驚いた様子を見せ、それからニコリと微笑みを形作る。

 

「お前は十分過ぎる程に、私を救ってくれたよ。

私にとって何より大事な、主はやての心をな」

「……だが、原因を作ったのも俺だ。

はやての誤解を誘い、打ち消した。

マッチポンプじゃあないけど、似たような事しかできなかったんだ」

 

 実際、僕がこの事件に関わらなくても上手くいったのではないかと僕は思う。

はやては僕への憎しみなしに意識を浮上させる事ができたのか、とか。

暴走前のリィンフォースを説得するまで僕抜きでできたのか、とか。

いくつか不明点はあるけれども、僕の霊感が、僕抜きでも同じ結果にたどり着いたのだと囁いている。

そんな僕の内心を見ぬいたのか。

それとも、駄々っ子のように言う僕に、困り果ててしまったのか。

リィンフォースは手を伸ばし、僕の頭の上に置いた。

ゆっくりと左右に動かし、僕を撫でる。

 

「いいんだ、そんなに想って貰えるだけで、私は十分幸せだ。

お前から貰う幸せだけで、私にとっては一生分の幸せなんだ。

私は、世界一幸せな魔導書だよ」

 

 ついに、僕の涙腺が再び決壊。

大粒の涙が、両目からこぼれ落ちる。

どうにか止めようと思って力を込めても、それが余計に僕の嗚咽を誘った。

どうしようも無い僕の涙に、リィンフォースは少し困った顔をして、それから床に膝をついて僕と同じ姿勢になる。

再び、僕はリィンフォースに抱きしめられた。

温かい体温に、僕の涙はみるみる増えていき、思考の隅でこのまま部屋が涙で一杯になってしまうんじゃあないか、などと馬鹿な事を考える。

 

 リィンフォースがそう言ってのける理由は、僕には一つしか思えなかった。

誰だって、自分の不幸を望んだ奴を憎まずには居られないだろう。

少なくとも、不快になるぐらいはどうしようもない事だ。

けれど彼女の笑みは、本当に心の底から笑っている、僕の短い生涯で一番幸せそうな笑みだった。

結局何もできておらず、それどころかリィンフォースの死を僅かとは言え望んでさえいる僕に、そこまで幸せそうな笑みを浮かべられる理由なんて、僕には一つしか思い浮かべられない。

 

 ——彼女は、幸せよりも信念を選んでいるのだ。

 

 自分の幸せよりも信念を、何よりはやての幸せを望むという信念を大事にしているのだ。

今までずっと苦しい思いをしてきて、やっと幸せに生きられるという時なのに、そんな時でさえ信念を。

眩しかった。

どうしようもなく、眩しかった。

僕も彼女と同じく、自分の幸せなんて言うものよりも信念を取ってきた人間だ。

そりゃあ彼女のは僕なんかと比べてもっと綺麗で純粋な信念だけれど、おおまかに言えば僕らは同じ道を歩んでいる存在同士だろう。

そこで、リニスに秘密を共有してもらって、別に信念を相反する訳じゃあないけれど、幸せに涙した僕。

そんな僕と比べ、これから待っている筈の自分の幸せを全て捨て、信念に注ぎ込む事のできる彼女。

そんな彼女が、僕のこれから行く道の遥か先に居る彼女が、とても、とてつもなく綺麗に見えて。

僕は、思ったのだ。

できることなら、こんな風に生きてみたい、と。

 

「——うぅっ!」

 

 嗚咽を漏らしながら、僕は思わずリィンフォースにこちらから抱きついた。

もうすぐ逝ってしまう彼女の体温を、感触を、少しでも記憶に留めておきたくて。

大怪我をしてる僕を辛うじて動かしている、狂戦士の鎧を解き、生の肉体で彼女を抱きしめる。

腕の、頬の、背の、彼女の全ての感触を、僕は記憶しようとした。

そんな僕の状態に気づいていて、それでもその我儘を許してくれているのだろう。

彼女は、今までよりも更に優しく、僕の体を労るように抱きしめる。

 

 その後、僕はこのまま気絶し、開いた傷で治療室に運ばれ、数時間意識を無くしたままだった。

次に意識が戻った時、リニスとリンディさんのダブル説教を受けつつ、僕は既にリィンフォースが逝ってしまった事を知る事となる。

故にこれが、UD-182とは別の意味で僕の目標と言うべき存在となった彼女との、最後の記憶なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 リィンフォース消滅の日から、一ヶ月ほどが経過した。

八神はやては病院から退院し、ミッドチルダと海鳴を行き来しながら生活をしている。

丁度その日は、ヴォルケンリッターを含め八神家全員が海鳴に居る日であった。

メールを通じて来客の予定を知ったはやては、極度の緊張を胸にウォルターの事を待っていた。

 

 リィンフォースが逝ったあの日、ウォルターははやてより先に目を覚まし、今しかできない事だから、と病室から出て無茶をしてみせたらしい。

あの恐るべき狂気の魔法、狂戦士の鎧まで使って、リニスと改めて主従契約を結び、リィンフォースの残り少ない時間にいくらか話をしたのだという。

その後相当無茶をした所為なのだろうか、意識を無くしたウォルターは治療室に運ばれ、その後も監視されながら本局の医療施設に送られたと聞く。

そのウォルターが最近退院し、はやての家に来たいと連絡を受けたのが、数日前。

どうせなら全員揃って彼に謝るべきだと考え、ヴォルケンリッターを含む全員が揃うこの日が空いていると伝え、来てもらう事としたのだ。

 

「ウォルター君、怒っとる、よなぁ……」

 

 沈んだ声を出すはやて。

そんな彼女を見かねたのだろう、シグナムが口を開く。

 

「あの男の事です、それほど怒っているとは思えませんが」

 

 何処か誇らしげに言うシグナムに、無言でザフィーラが同意の念を醸し出す。

この中でウォルターをあまり知らないシャマルとヴィータは、何処か不安げな様子だ。

何せ相手は、あの圧倒的強さを誇るウォルターである。

隠していた怒りを爆発させられてしまえば、ヴォルケンリッター全員でもはやてを守り切るには不安があった。

それでも、面識があり将であるシグナムの言葉は大きい。

2人は少し納得がいかなさそうな顔をしつつも、表面上は納得の色を見せる。

 

 そんなやり取りがあった、丁度その時である。

ピンポーン、とインターホンが鳴り響いた。

出ようとするはやてを制し、シグナムがウォルターである事を確認してから、玄関へ出る。

扉が開く音、閉じる音、短い会話が廊下の奥から響き、はやてらの居る応接間に向かって足音が来る。

先導するシグナムの後ろから、ついてきたウォルターが姿を表した。

包帯一つ無いその姿に一瞬驚くも、どうにかそれを噛み殺し、はやては挨拶をする。

 

「いらっしゃい、ウォルター君。ゆっくりしてってな」

「応、こっちこそ世話になるぜ、はやて、ヴォルケンリッターの皆」

 

 言いつつ、ウォルターは勧められてダイニングテーブルのはやての対面の席に座った。

それから、軽妙な口調で最近の話を話すウォルター。

たまにちょっとした無茶をしてしまい、リニスに説教を受ける事が多々ある事。

雑誌の取材なんかが来て断るのに苦労した事。

全治に三ヶ月以上かかるとされたが、一ヶ月で日常活動なら大丈夫と太鼓判を押された事。

しかし、いつ弾劾されるのかと内心怯えてもいるはやて相手では、中々話は膨らまない。

その事に気づいたのだろう、ウォルターは目を細め、告げる。

 

「……そろそろ、本題に入ろうか」

「……うん」

 

 空気が変わった。

まるで空気が何倍もの密度になったかのような、閉塞感。

はやては、極度の緊張に襲われた。

自分の体の中で、空気が風音を鳴らし通るのが分かるようであった。

吐く息で喉奥から乾燥していき、引き裂かれそうなぐらいだ。

心臓の鼓動は強く早く、今にも胸から飛び出そう。

だが、それでも、それを押してでも言わねばならないのだ。

はやてがそう考えた瞬間、示し合わせたかのように、視線が交錯した。

ウォルターとはやては、殆ど同時に頭を下げながら言う。

 

「……すまないっ!」

「……ごめんなさいっ!」

 

 輪唱。

数秒の沈黙の後、2人は目を丸くしながら面を上げる。

まるで相手が何を言ったのか分からない、と言わんばかりの顔を、見合わせた。

 

「って、何でだ?」

「って、何でやねん!?」

 

 再び、輪唱。

同時に疑問詞を吐き出した2人は、それぞれの言葉を矢継ぎ早に口にする。

 

「いや、だって俺は結局約束を破っちまったし……!」

「いやいや、何言うてんの、私なんか勘違いでウォルター君の事……!」

「どころか、最後の時に俺は気絶していたとか言うダメダメな体たらくで……!」

「それなのに、謝るまでこんなに時間をかけてもうて……!」

 

 それぞれ好き放題に喋る2人は、お互いの言葉を言葉と認識すること無く喋り続ける。

そんな状況に、シグナムがコホン、と咳払い。

それでも止まらぬ2人に、大声で話しかける。

 

「お2人とも! 順番にお話しては如何でしょうか!」

 

 効果はてきめんであった。

2人はピタリと話すのを止め、シグナムに視線をやる。

まじまじと自分を見つめる2人に、少し呆れた表情でシグナム。

 

「では、まず主はやてから」

「あ、うん……」

 

 さりげなくはやてを先にしたシグナムに、思わずジト目で見つめるウォルターだったが、すぐにそれも止めはやてに視線を戻す。

はやてとウォルターの視線が、ぶつかり合った。

ウォルターの瞳には相変わらず何処から湧いて出てきているのか分からない強烈な炎があり、暗さを微塵も感じさせない。

はやてはその視線自体に暗い感情を抱く事はなかったが、こんな目をしている人間を疑ってしまったのだと思うと、自虐の念が湧いてくる事を抑えられなかった。

歯を噛み締める。

必死の思いでどうにかその感情を流し、口を開いた。

 

「……ごめんなさい、ウォルター君!」

 

 再び、頭を下げる。

本来なら許しの言葉が来るまで頭を上げないつもりだったはやてだが、先のウォルターの言葉から、彼が意味を分かっていない事が知れた。

よって面を上げ、ウォルターの瞳に視点を合わせる。

予想通り、何故謝られるのか今一分かっていない顔。

鈍い疼痛が心に走るのを感じながら、はやては鉛のように重い口を開いた。

 

「シグナムとザフィーラを殺しただなんて、誤解をして。

誤解を解こうとするウォルター君を、信じなくて。

その誤解を解くために、ウォルター君に物凄い大怪我までさせちゃって。

……ごめん、なさい」

 

 再び、はやては頭を下げた。

怖かった。

いくらウォルターが善人とは言え、これだけの事をされて、笑って許すなんてありえない。

きっと罰を言い渡されるだろう。

痛いかもしれない。

苦しいかもしれない。

暗い想像に、はやては全身から嫌な汗がにじみ出てくるのをすら感じる。

僅かにウォルターが身動ぎするのを感じ、たったそれだけで体が震えそうになるほど怖かった。

 

 ウォルターの言葉が返ってくるよりも先に、はやての背後から足音が4つ。

代表して、シグナムが口を開く。

 

「重ねて、我らも謝罪させてもらおう。

ウォルター、貴殿を魔力蒐集の為に襲い、魔力を奪ってしまった。

通り魔の所業だ、言い訳などしようがない。

すまなかった……!」

「すみませんでした……!」

「すまない……!」

「申し訳ない……!」

 

 4人の言葉が次々に吐かれた。

それにウォルターが返事を返す前に、再びはやては面を上げる。

ヴォルケンリッターには相談していなかった言葉を、付け加えた。

 

「けれど、この子達の主人は私や。

この子達の罪は私の罪。

罰を与えるのなら、どうか私に……!」

「主はやてっ!?」

 

 絶叫するシグナムを筆頭に、驚きに声を上げるヴォルケンリッターの面々。

誰が罰を受けるべきか、論争が始まろうとした瞬間の事である。

ウォルターが眼前で掌を横にふりつつ、告げる。

 

「いや、罰っていうか、そんなに気にしてないんだが……」

「ってんなアホなっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げながら、身を乗り出すはやて。

はやてはウォルターが負ってしまった傷を、痛さこそ想像する事しかできないものの、その全貌を知っていた。

人間の全身の骨は、全部で約200個とされている。

そのうちウォルターは約80箇所、3分の1以上の骨が折れてしまっていたのだ。

はやてはかつて足が悪くなり始めた頃、階段から落ちてしまい骨を折ってしまった事がある。

その時でさえ、はやては涙が止まらず焼け付くような痛みを感じたのだ、その80倍なんてどれぐらい痛いか想像すらできない。

 

 そればかりではない、ウォルターは、内蔵も傷ついていたのだ。

肺に穴が空き、呼吸が困難で、唾と一緒に血が混じっていたのだと言う。

風邪の類で呼吸がし辛いだけであんなにも辛いのに、それに血が混じるなんて、どれほど痛いのだろうか。

 

 それに、騎士達の与えた痛みも、決して少ない物ではない。

リンカーコアを蒐集される痛みは、想像を絶する物だと言う。

加えて、蒐集中や直後に魔法を使えば、更なる痛みがあるのだそうだ。

その痛みは、あの勇猛果敢を人型にしたようななのはでさえ気絶するほどの物だったと言う。

それなのにウォルターは、その凄まじい痛みの中で魔法を使っただけではない。

ヴォルケンリッター4人に仮面の戦士と、戦闘をしてみせたのだ。

当然凄まじい量の魔法を使った事になり、その痛みが凄まじいという形容ですら足らない物だと分かる。

 

 それほどまでの痛みや苦しみを、ウォルターは受けてきたのだ。

そこまでされればはやてとて、相手を憎まざるをえないだろうとさえ思う。

けれど、ウォルターは一切憎しみを感じさせる表情をすらせず。

困り切った顔で頭を掻きつつ、告げた。

 

「じゃあ、一個だけはやてにお願いしていいか? それでお前達への罰はお終いって事で」

「お願い? うん、ええよ」

 

 内容も聞かず、はやては頷く。

例えウォルターが何を言おうと、はやては受け入れるつもりだった。

後ろで僅かに動揺の気配があったが、騎士達に背中で語り、何も言わせずにはやてはウォルターの言葉を待つ。

静かに、ウォルターは告げた。

 

「これから俺の告げる事を、最後まで聞いて欲しいんだ。

その上で、俺と一つだけ約束して欲しい。

……って、2つになっちまったか」

「ううん、2個でもええ」

 

 告げるはやてに、矢張り困ったような笑顔を見せながら、ウォルターは口を開く。

 

「まず、俺にも謝らせて欲しい。

俺は確かに、お前と約束した筈だった。

何の遠慮もなく助けを呼んでくれ。

その時は何があっても犠牲一つなく、助けてやるさ、ってな」

 

 それは、と返しそうになり、はやては口をつぐんだ。

思わず反論してしまいそうになったが、最後まで聞いて欲しい、と言うウォルターの言葉が歯止めとなったのだ。

そんなはやてを見つめつつ、ウォルターは続ける。

 

「その為に力を抜いたつもりは、誓って毛頭ない。

けれど結果として、俺はリィンフォースを救う事ができなかった。

……すまなかった!」

 

 頭を下げるウォルター。

謝る筈だった相手に、謝られる。

何とも居心地が悪い事で、はやては思わず身じろぎした。

同時、さっきまでウォルターはこんな感覚を覚えていたのかと思い、僅かな間視線をウォルターから逸らした。

暫時経って、ウォルターが面を上げる。

 

「けれど、だけれども。

次が無かったのにこう言うのは、卑怯に聞こえるかもしれない。

だけど約束させてくれ……次こそは必ず、救ってみせると。

もう一度お前と、約束をさせてくれ」

 

 はやては、ぽっかりと口を開けながら、ウォルターを見つめた。

その目には一切の嘘の色は無く、ただただ燃え上がる炎の意思が垣間見えるだけである。

まるで夢のなかに居るような心地で、はやてはただただ首を縦に振った。

それに救われたかのように、ウォルターは目を細める。

一瞬後、再び目を見開き告げた。

 

「今度何かあった時。

はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。

その時は何の遠慮もなく、俺に助けを呼んでくれ。

今度こそ、何があっても犠牲一つなく……助けてみせる。

約束するよ」

 

 ウォルターの黒曜石の瞳が、はやてを射抜く。

罰を貰う筈だった。

けれどウォルターはそんな事欠片も来にせず、それどころか、はやてに新たな約束さえもしてみせてくれて。

今自分が見ているのは本当に夢なんじゃないかとさえはやては思う。

けれど、ウォルターの瞳の炎だけは、夢だなんて思えないぐらいに真実の力強さがあって。

はやては、泣き出しそうになってしまう自分を抑えるのに必死だった。

歯を噛み締め、瞬きを増やし、どうにかしてウォルターに視線を合わせる。

何とか笑みを作り、はやてはなるべく明るくなるよう心がけて、言った。

 

「……うん、分かった、約束やな」

 

 告げると同時、はやての目から涙がこぼれ落ちる。

それを暖かな目で見守るウォルター。

どれだけの苦痛を負っても、誰かの戦い続ける男。

まるで物語に出てくる英雄のようだ、とはやては思った。

誰も彼もを救ってみせる、正義のヒーロー。

そんな人間、現実には居ないと誰でも知っている。

はやてだって、そんな都合の良い存在が居るなんて思っていなかった。

けれど、目の前の男は。

ウォルターは。

全てを救う事まではできなくとも、確かに英雄のように格好良くって。

はやては、仄かなあこがれをウォルターに抱いた。

 

 ただの遠いあこがれ、困ったときに心を奮い立たせる便利な道具。

そんな存在だった筈の英雄が、現実に居ると知って。

はやては今、少しだけ夢想した。

——自分も、こんな風になれるだろうかと。

自分もこんな風に、人を救える人間になれるだろうかと。

 

 尊かった。

炎の意思を持ち、人の心を、命を、救い続ける男。

誰もが彼のようになれるとは、はやてだって思わない。

けれど、少しでも彼に近づけるかもしれない、とは思えて。

故にはやては、まず彼に似た場所に歩み始めようと思う。

闇の書の主となってから初めて、ウォルターやなのは達に救われてからですら初めて、はやては心の底から思うのだった。

 

 ——魔導師になろう。

 

 そうすれば、そうやって少しでも人を救うことができれば、あこがれの人に近づけるかもしれないから。

最初は真似っ子かもしれないけれど、何時か本物の炎が自分の中に宿ると信じて。

両手を胸に、ただただはやてはウォルターを見つめていた。

その姿を、瞳に焼き付けるかのようにして。

ただただ、見つめ続けていた。

 

 

 

 

 


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