仮面の理   作:アルパカ度数38%

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4章2話

 

 

 

 夜半のナカジマ家の客間。

2つのベッドは僕とリニスがそれぞれ使っており、リニスが横になっている辺りからは薄い寝息が聞こえる。

疲れているのだろう、彼女はベッドに入るや否やすぐに寝付いてしまい、2人きりになりなのはの事を相談する暇は無かった。

仕方がないか、と、思わず僕は顔を緩める。

検査についていってもする事の無かったリニスは、ナカジマ家に世話になると決めてからやっていた、ナカジマ家の大掃除の続きをしていたのだ。

明日明後日辺りには終わるだろうが、それまでただでさえ疲れているリニスに相談事はやめておこう。

代わりに僕は、各種隠蔽結界を発動。

精神的な相談には微妙に不安が残る、もう一つの相棒へと話しかける。

 

「なぁ、ティルヴィング」

『なんでしょう、マスター』

「なのは、参ってたな……」

『高町なのはは参っていた、インプットしました』

 

 明後日の方向性な答えを返すティルヴィングに、内心苦笑。

軽くデコピンをしてやりながら、視線を天井にやる。

月明かりが入ってくる部屋の中、暗い天井は輪郭すらもが薄ぼんやりとしている。

まるで何もかもが曖昧になりそうな其処を見つめつつも、僕は逆に内心をくっきりと形作る作業を始めた。

 

 大怪我をしたなのはがあそこまで参っていた事に、僕は密かに大きなショックを受けていた。

いや、二度と魔法が使えないかもしれず立ち上がれないかもしれない怪我を受けたら、普通の人間なら憂鬱になるのは当然の事だ。

けれど僕は、なのはならそうはならないだろう、と心の何処かで考えていたのだ。

なのはがフェイトを助けようと決意したあの時に見せた、あの広大で澄み切った、青空のような心。

あの心を持つなのはなら、誰の助けを借りる事もなく立ち直る事ができるだろうと、安易に思っていたのだ。

 

 僕は、どうしようもない愚か者だった。

どんなに強い心をもつ人間だって、弱い部分を持ち合わせているのは誰でも同じだ。

例外など、精々UD-182ぐらいしかいないだろう。

もちろん、誰もが誰もの弱さに気づく事ができるとは限らない。

けれど、僕だけは。

かつてなのはの弱音を聞き、そんななのはを支えようと仮面の言葉を口にした僕だけは、彼女がただ強いだけではないと分かっていなければならなかったのだ。

なのはの言葉に自分の生まれの事を想起し、打ちひしがれている場合では無かったのだ。

 

 後悔で胸がいっぱいだった。

けれど、だったらどうしたら良かったのか、そんな事すらも僕の胸の中には浮かんでこない。

熱い仮面の言葉を吐いた所で、彼女が負った怪我をゼロにできる訳でもないのだ。

けれど僕にはそれしかできなくって、彼女の心を奮い立たせようとする事しかできなくって。

でもそうしてみせた所で、彼女の心を闇雲に刺激して憤らせる事しかできなかったのだ。

僕は、呆れ果てた無能だった。

 

「ティルヴィング……。僕はどうしたら……、いや、182なら、UD-182ならどうしたと思う?」

 

 “家”の中では大怪我など存在せず、それに相当するのは廃棄処分だったため、僕の知るUD-182がどうしたかなど分かりはしない。

けれど自分では何も浮かばない僕には、機械的な心の持ち主であるティルヴィングに頼る事しかできず。

そしてやっぱり、答えは冷徹だった。

 

『データにありません』

「おいおい……」

 

 もう少し考えてくれよ、と言葉に出さず思うが、よくよく考えるとティルヴィングの答えはデータにありません、だ。

しかしティルヴィングは僅かとは言えUD-182と接した時間はあるため、言うならばデータが足りません、となるだろう。

するとこいつ、UD-182のデータを、記憶容量節約の為に削除したのではあるまいか。

別にUD-182の記憶を残すのに外部記録を当てにするつもりは無かったのだが、それでもちょっと頭にくる。

思わずティルヴィングを掴み眼前に、半目で睨みつけながら、再びデコピン。

揺れるティルヴィングが明滅、無言の抗議をするのに溜飲を下げ、溜息をつく。

 

 頭の中をグルグルと感情が渦巻いて、どうにも寝れそうに無かった。

病院から帰ってきてから頭の隅に追いやっていた分、勢い良く悩みが頭の中に広がった気分だ。

仕方なしに、僕は掛け布団をめくってベッドから抜け出す。

月明かりを便りに客間を出て、繋がったキッチンで水でも飲もうとリビングまで歩いてゆく。

すると、リビングの扉から明かりが漏れているのが分かった。

誰か居るのだろうか、と一瞬立ち止まるが、まぁ別に問題無いだろうと扉を開く。

 

「あれ、ウォルター君?」

「クイントさんか」

 

 リビングに居たのは、クイントさんだった。

テーブルの上にはグラスとワイン、来ているのは寝間着なので、一人で晩酌の途中と言う所か。

目を瞬くクイントさんに、説明にと僕から口を開く。

 

「ちょっと寝付けなくってな、水でも飲もうかなって」

「ふぅん……。あっ」

 

 と、急に悪戯を思いついたような、悪そうな笑顔を作るクイントさん。

ここ数日、この表情を見る度にドタバタとした軽い騒動に巻き込まれてきたので、嫌な予感しかしない。

とてもじゃないがそんな気分じゃあないのだけれども、構わずクイントさんは口を開く。

 

「ウォルター君ってお酒に興味あるかしら?」

 

 言葉とは裏腹にクイントさんの表情はからかい以上の物はないので、本気で勧めている訳ではないのだろう。

ちなみにミッドチルダでは酒類の購入制限年齢はあっても、飲酒制限年齢はない。

あらゆる次元世界の人間が集まる世界である為なのだろう。

といっても、アルコールが子供の成長に悪影響を及ぼすのは周知の事実。

僕のようなミッド出身の12歳の子供が飲む機会は、普通あまり存在しないのだが。

溜息をつきつつ、返答。

 

「興味あるも何も、リニスに買ってもらって何度か飲んだ事はあるよ」

『マスターも成長するにつれ、酒を飲まねば失礼な場に出る機会があるでしょう。

その時戦闘になれば酔っていては話にならない為、少しづつ慣らして居る所です』

「一応、脳や筋肉に影響しない程度にだがな」

「なーんだ、つまらないの」

 

 と不貞腐れてテーブルに突っ伏すクイントさんを無視し、キッチンでグラスに水を注いて戻ってくる。

クイントさんの向かいの椅子を引いて座ると、僅かに顔を火照らせたクイントさんが視界に入った。

普段が快活なだけに、彼女の少し気怠そうな姿はなんだか色っぽい。

少しだけ心臓の鼓動が早くなるのを抑え、水に口をつける。

 

「で、病院で何かあったの?」

「——~~!」

 

 思わず、水を吹き出しそうになってしまった。

ケホケホとむせた後に、涙の浮かんだ目をクイントさんにやると、真剣な目で僕を真っ直ぐに見つめている。

剃刀のように鋭い瞳は、僕の心が纏った物を切り裂き、丸裸にでもしそうな物だった。

悩みを見透かされているという事実に、焦りと、何故か少しだけホッとした気持ちが内心に渦巻く。

何時かのクイントさんの言葉が思い浮かんだ。

“生きていくのには、胸の内を、全てとは言わなくとも吐き出せる相手っていうのが必要なのよね”

“勘違いじゃあなければ、私もその一人にしてもらえているみたいだけど”

僕は、彼女を頼るべきなのだろうか。

先にリニスを頼るべきだと思いつつも、今は疲れ果てた彼女を休ませたいと言う思いがそれを邪魔する。

ならば待つのも考えたが、なのはを傷つけたまま放置するのも悪手だと考えられた。

なら、クイントさんに相談しても、別にいいのではないだろうか。

そんな思いが僕の内心を満たす。

 

 気づけば、僕はなのはを闇雲に刺激してしまった一幕をクイントさんに話していた。

勿論僕がかつて彼女に覚えた劣等感だのは秘密のままで、言っても支障のない部分だけである。

とは言え僕の口は流暢に動き、内心で余程吐き出したかったんだな、と自虐の念が沸く程であった。

そんな僕の言葉を、クイントさんは真摯に向き合って聞いてくれた。

最後まで僕の話が終えられ、僅かに沈黙が横たわる。

クイントさんは僅かにワインを口にし、喉を湿らせてから、口を開いた。

 

「あくまで、私の経験でだけど。

少なくとも、これを機になのはちゃんを避けるのは止めたほうがいいわ。

なのはちゃんは貴方に嫌われちゃったんだと思うようになる。

なるべく時間を作って通ってらっしゃい」

「……ああ」

 

 そこまでは僕も考えていた事である。

といっても、僕の考えはなのはを放って置けないという気持ちの方が強かった。

改めて言われて、僕がなのはを嫌ったように見られてしまう事があるという事が、一層強く思えるようになる。

暇な身な事だし、できる限り毎日なのはの元に行こう、と考えつつ、次の言葉を待った。

 

「あとは平凡な事しか言えないけど。

決して嫌な顔をせず、笑顔で世話をしてあげる事がいいんじゃないかしら」

「笑顔で?」

 

 オウム返しに聞く僕に、うん、と頷くクイントさん。

 

「ただでさえなのはちゃんは暗い気持ちになっているんだから、こっちはせめて笑顔で居続けなくちゃ。

そうしていると、相手も少しだけ気楽になってくれるのかな、段々笑顔になってくれるのよ。

途中貴方も辛くなってくるかもしれないけれど、諦めずに続けてみよう?」

「そう、か……」

 

 言われて、僕はふと気づいた。

これまで数回僕が相談を持ちかけた時、クイントさんは勿論真剣な表情なのだが、それ以上に笑顔でもあったのだ。

それが一体どれだけ僕の心を落ち着かせてくれた事だろうか。

そう思うだけで、僕の心に暖かな気持ちがじんわり湧いてくるのを感じる。

胸の奥がポカポカとしてきて、全身がふわふわした感じになってくるのだ。

熱血とでも言うべき血潮が熱くなる時とはまた別の、身を委ねたくなるような暖かさ。

それを実感したからだろう、僕は素直に口を開いた。

 

「うん、分かった、やってみる」

 

 言うと、クイントさんが目を見開く。

同時、背筋が冷えた。

気づかぬうちに、僕は仮面を外した言葉を吐いていたのだ。

じわっと脂汗が浮き出る僕に、悪戯な表情でクイントさん。

 

「へ~。うん、分かった、やってみる、かぁ。なんかウォルター君、ちょっと可愛くなった?」

「なってねぇよ。今のは、その……」

 

 マルチタスクに高速思考で言い訳を思索。

だ、駄目だ、マトモな言い訳が見つからない。

仕方がないので、念話でティルヴィングに相談。

 

『データにありません』

(ほんっと肝心なときに役に立たないなお前っ!)

 

 念話を閉じつつ、リニスに助けを乞おうとするも、寝てたんだったと思い直す。

ニヤニヤとこちらを見つめるクイントさんに、何とかひねり出した言葉を吐き出した。

 

「……な、何となくだっ」

「……ウォルター君って、局地的に残念よねぇ……」

 

 クイントさんが脱力、何故か生暖かい目で見てくる。

窮地は脱した筈なのだが、なんだが納得の行かない評価であった。

そんな顔をしていたのだろう、続けて補足するクイントさん。

 

「勉強はできるし戦闘も割と頭脳派で、交渉事も及第点。

外面だってかなりいい方で、表情も作れる。

なのに何でか、身内での日常生活では残念っぽいのよねぇ。

頭の良い馬鹿って言えばいいのかしら」

「非常に納得のいかん話なんだが……」

 

 ジト目で見るも、クイントさんは生暖かい視線を崩さない。

百歩譲って僕が日常生活で馬鹿っぽく見えるとしても、それは単なる経験不足に過ぎない筈だ。

決して僕の頭が残念とか、そういう事は無い筈なのである。

と脳内で語ってみるも、自分でもあまり出来の良い理屈には聞こえない。

形勢不利を感じ、その後僕は短めに話を切り上げ、さっさと客間のベッドへと逃げ戻るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なのはは、無心で車椅子を駆っていた。

曲がり角が無い事を確認してから、強めに車輪を回し、その慣性に乗って前進する。

上半身を使う行動は意外に体力が必要で、衰えたなのはの体はすぐに疲れを訴えてきた。

それでもなのはは、ただただ無心で居たくて体を動かす。

体を動かしたいだけならばリハビリもあるが、それには監督する人が必要だ。

ただ何も考えたくないが為の行動に他人を巻き込みたくないなのはは、一人で出来る車椅子の散歩をしていた。

 

 しかしやがて腕に疲れがたまり、車椅子を動かすのにも限界が訪れる。

人通りの無い場所で止まったなのはは、肩で息をしながら両手を離し、車椅子に深く腰掛けた。

浅い呼吸を繰り返しながら、薄っすらとかいた汗を拭う。

少し休まねば、もう動けそうにも無かった。

深くため息をつきながら、なのはは思索に耽る。

 

 ウォルターはなのはが暴言を吐いた次の日にも病室を訪れ、まるで何もなかったかのような笑顔でなのはに接してきた。

少なくともウォルターは、なのはに会いに来てくれ、表面上は笑顔を作れる程度には、なのはを嫌っていなかったのだ。

その事実になのはの心は幾分か救われたし、安堵もした。

しかし同時に、ウォルターが一言もなのはを責めなかった事は、むしろなのはの心を苛むようになったのだ。

一言でも責めてくれれば、償う事ができた気分にはなれたかもしれない。

けれどウォルターは常に、こっちに覇気を分けてくれるような素晴らしい笑顔でいた。

話の内容もなのはを気遣って英雄譚のような内容は止めて、なのはの知らない次元世界の情景や風俗などをするようになったのだ。

自分が暴言をはいてしまうような悪い子で、魔法も二度と使えないかもしれない使えない子なのに、何でそんな風にしてくれるの。

なのはの無言の問にウォルターが気づく事は無く、既に一週間が経過していた。

 

「ウォルター、その……気を落とさないでください」

 

 聞き覚えのある声に、なのはは意識を浮上させる。

鈴の音のように軽やかな、それでいて何処か野生を感じさせる声。

誰の声だったかと思って、久しく聞くリニスの声だ、となのはは気づいた。

と同時、硬直。

そのすぐ近くにウォルターが居るであろう事を思い出す。

なのはが辺りに視線をやると、扉が閉まりきっておらず、隙間のある部屋が近くに一つあった。

このままでは、盗み聞きになってしまう。

なのはは車椅子の車輪に手をやりその場を去ろうとしたが、遅かった。

弱々しい、少年特有の高めな声が、なのはの耳に届く。

 

「はは……、俺の寿命は40歳まで持たないかもしれない、か」

 

 え、と。

なのはは思わず掠れた声を漏らした。

ウォルター君が、何だって?

そんななのはの疑問詞を捨て置き、ウォルターとリニスの会話は続く。

 

「そうは言っても、このままのペースで戦い、傷つき続けたらの事じゃあないですか」

「つまり、実際の寿命はもっと短いって事だろ。成長し強くなるに連れ、戦うペースは上がっていくんだからな」

 

 2人の言葉はなのはの耳に到着するも、なのはの脳はその意味を介さなかった。

ただただ、記憶として脳に保存されるだけで、一向になのははその意味を咀嚼できない。

 

「しかしウォルター、貴方はまだ12歳です。これからの成長で良い方向に向かっていく事だって……」

「これからこれまで以上に酷使する予定の、この肉体がか?

……いや、悪い、八つ当たりしちまったな」

「いえ……」

 

 気まずい沈黙が、2人の間に横たわる。

その間に、なのははようやくのこと2人の言葉を理解し始めた。

寿命が、40歳。

平均寿命が90歳以上のミッドチルダで言えば、常人の半分も生きられない年齢である。

丁度なのはの父が39歳なので、その辺りの年齢になるだろうか。

 

 なのはは、父の立場に立ったつもりで考えてみる。

長男がようやく独り立ちし、長女が進路を模索し始め、次女はまだ小学5年生。

仕事は喫茶店が雑誌などに乗り始めて数年、ようやく安定し始めてきたという所で、まだまだこれから。

サッカーチームもようやく勝率が上がってきて、地区大会の優勝も見えてきた所。

そんな所で——、死ぬ。

寿命が尽きて、死ぬ。

想像もできない絶望だった。

あまりの事になのはの体に震えが走る。

聞いてはいけない事を聞いてしまったという事実に、体が痺れて動けない。

そんななのはの耳に、最悪の一言が告げられる。

 

「これが調子こいて大怪我しまくった、後遺症か……」

 

 後遺症。

なのはがウォルターに叫んだ罵倒。

“ウォルター君はいいよね、どれだけ怪我しても治る体に生まれていてっ!”

 

 なのはは、顔色を真っ青にした。

全てがなのはの頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

頭の中が弾けて、ぽつん、と一つの言葉が思い浮かんだ。

兎に角、今は逃げよう。

なのはは浮かんだ言葉に従い、車椅子を反転。

全力でこぎ出し、その場を離れる。

誰か居たのか、と言うウォルターの言葉が、背後で虚ろに響いた。

 

 最早何処をどう通って、誰の手を借りたのかわからない。

気づけばなのはは自身の病室へと辿り着き、ベッドに横になっていた。

自分の言ってしまった言葉が想像以上の物だった事に、寒気を覚え、涙すら漏らす。

 

 自分よりもたった一つ年上なだけの人間が寿命を宣告されて、一体どんな気持ちなのだろう。

ウォルターは今、一体どんな気持ちでなのはの言葉を受け止めなおしているだろうか。

 

 なのはの大怪我など、可愛い物だった。

普通の任務の最中、日頃の無理が祟って動きが鈍っての大怪我。

別に誰かの為でも譲れない信念の為でもない、単なるミスでしかない。

それでいて陰鬱な気分になり、それが弾けてしまってウォルターに八つ当たりしてしまう始末。

対しウォルターの負ってきた大怪我は、どれもが譲れない信念のため、命がけの戦いの中での怪我ばかりだ。

なのにウォルターは、リニスに対し八つ当たりしそうになった自分を、自分で諌める事ができていた。

なのはとウォルター、その後遺症の大小の判断は人によりけりと言った所だろう。

だが少なくとも、それを受けての精神はウォルターの方が圧倒的に立派だった。

 

「う、うぅ……」

 

 静かに嗚咽を漏らしながら、なのはは虚ろに天井を眺める。

自分が情けなくて、涙が止まらなかった。

頭の中がグチャグチャで、何も思いつかない。

ただただ自虐の言葉だけが浮かんできて、建設的な考えは一つも思い浮かんで来なかった。

だからなのはは、せめてと一つだけ決意する。

せめて次にウォルターを顔を合わせた時は、謝ろう、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 改めての精密検査の結果を受け取ったその日、僕はなのはの見舞いに行く事ができなかった。

というのも、意外な結果が出てしまい、ちょっと受け止めるのに時間が必要そうだったからだ。

少なくとも即日なのはに対し笑顔を陰らせずに見舞いに行く事は、できそうになかった。

その夜、リニスと2人で話をして、その翌日。

専門家から体のケアの方法などを改めて習おうと病院に来た僕は、空いた時間を見つけてなのはの病室に見舞いに行く事にした。

体のケアの方法を復習しているので行ってきて欲しい、と言うリニスを置いて、僕は一人病室にたどり着いたのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

これ以上ない沈黙が、その場に横たわっていた。

入室して、まずは挨拶と謝罪。

時間を見つけてなるべく毎日来る予定だと言っておきながら昨日来れなかった事を謝って、なのはがそれを受け取って。

それから、僕らの間には何一つ会話が無かった。

勿論僕から何度か話しかけてはいたのだけれども、どんな話題を出してもなのはは全身で会話を拒絶している。

別に両手で耳を塞いでいる訳でも無いのだが、なんの返事も無く、顔は俯き、微動だにせず、呼吸で胸を軽く上下させるだけなのだ。

流石にこの状態のなのは相手にしゃべり続ける無神経さは無く、僕もまた釣られて沈黙している次第である。

 

 一体、何があったのか。

大別して、なのはに何かあったのか、それとも僕がなのはに何かしてしまったのか、その二通りである。

前者は想像がつかないので後者を考えるが、それも今一それらしい答えが思いつけない。

昨日まではなのはは少なくとも表面上は元気にする気力があったのだけれど、一体何が。

そう思っているうちに、ふと、昨日病院でリニスと共に診断の結果について話す時、隠蔽結界を発動する心の余裕も無かった事を思い出して。

なのはが面を上げたのは、丁度その時であった。

 

「…………」

 

 無言で、僅かに上目遣いでなのはが僕に視線をやる。

すぅううう、と深く息を吸い、両手を、そして視線を胸に。

まるで心をそうしたいかのように強く、服の上から握り締める。

息を吐き出した。

長く、深く。

それから小さく息を吸って、キッと僕を、事すれば睨んだとも思えるぐらい強く見つめて。

 

「……ごめんなさい!」

 

 叫んだ。

同時、その双眸からポロリと、涙を零す。

突然の言葉に僕が目を見開くのに、なのはが続けて口を開いた。

 

「私、私……っ!」

「お、おい、無理するなっ」

 

 嗚咽で喉が引っかかったように、何も言えなくなってしまうなのは。

前かがみになる彼女に、僕は咄嗟に背をさすってやる。

刹那ナースコールに視線をやる僕だったが、それを察したのか、なのはが僕に向けて掌を差し出した。

その涙を浮かべた瞳で、僕を貫く。

その目があまりに強い意思を秘めていたから、僕は思わず言葉を口の中で踊らせるにとどめて、噛み殺した。

そんな僕へと、なのはが途切れ途切れになりながらも説明をする。

どうやらなのはは、先ほど僕が思い当たった通り、昨日僕の様態を盗み聞きしてしまったらしい。

 

「……そうか」

 

 説明を終えたなのはに、僕は困惑を隠し切れない顔で告げた。

そんな僕になのはがぴくりと震えるが、僕は別になのはに怒りを覚えている訳ではない。

むしろ、変な話を聞かせてしまって申し訳ない、と言うぐらいの気分だった。

仕方なしに、とりあえず説明を補足する僕。

 

 僕は、これまで常人なら軽く10回は死ぬだけの大怪我を負ってきた。

韋駄天の刃のダメージもそうだし、それ以外でもちょくちょくと狂戦士の鎧を使いながらの無茶な軌道をしてきたのだ。

それも狂戦士の鎧によって治りやすい大怪我にする事で、今までは後遺症を抑えてこれたのだけれども、それには一つ盲点があった。

結局大怪我をしている事には代わりが無いので、常軌を逸した量の回復魔法を必要としたという事だ。

回復魔法とは、要するに代謝を促進する事により怪我を治す魔法である。

それを使い続けていれば、老化が早まってくる訳であり、それによって僕の寿命はかなりのハイペースで削れてきているらしいのだ。

 

「何でそれが今まで分からなかったのかと言うと、3つ理由がある。

一つは高魔力保持者特有の若い容姿で、見た目上の老化を相殺しているから。

もう一つは、そもそも大幅に寿命が減る程回復魔法を使わざるを得ない怪我をした人間は、普通死ぬから。

あとはまぁ、たまたま今回診てくれた先生が、回復魔法の弊害について研究していた人だったからだな」

 

 ちなみに僕が年齢に比して背が高いのも、その所為である可能性が高いらしい。

普通に喜んでいた事だったので、聞いた時はなんとも言えない気分になった物だった。

 

 そんな訳で僕の寿命は削れている訳だが、別に今のまま安静にしていて40で死ぬ程と言う訳ではない。

このままのペースで大怪我と大量の回復魔法を使い続けていった場合、40頃に寿命が尽きる可能性が高いという事なのだ。

老化のペースは大量の回復魔法を使う度に早まるので、逆に言えば僕の肉体年齢は二次曲線を描いて老化していく事になる。

つまり戦闘は30代半ばぐらいまで可能らしく、20歳近辺で身体能力が急落し始めると言う事は無いらしい。

 

 と、そんな訳で僕が説明を終えた所で、矢張りなのはは暗い目をしたままだった。

僕の身振り手振り一つ一つに僅かに怯えた様子を見せるので、僕の怒りを買ったと思っているに違いない。

なので僕は、誤解を解くべく口を開く。

 

「とまぁ、そんな訳でな。

流石に聞いた時はショックを受けたんだけど、まぁ今は何とか立ち直っていてな。

聞いちゃった事は、特に気にしてないぞ?」

 

 と僕が告げると、なのはが目を見開いた。

信じられない、と言わんばかりの表情でなのはが叫ぶ。

 

「何で……何でそんなに簡単に言えるの!?」

「つっても、あんまり吹聴する事じゃないけど、絶対に聞かれちゃいけない類の事じゃあないしなぁ。

まぁ、秘密にしてくれないと困る事は確かだが」

 

 こんな風に考えられるのは、5年間もこの仮面という明かしてはならない秘密を隠してきたからかもしれないけれど。

内心でそう付け足すと同時、なのはの目が再び潤む。

止める暇もなく涙滴は大きさを増し、ポロリ、となのはの目からこぼれ落ちた。

慌てる僕を尻目に、なのは。

 

「私は、この怪我をして、あんなふうにウォルター君に八つ当たりしちゃったのに……。

何でウォルター君は、そんなに冷静で居られるの……?」

 

 そういう事か、と僕はようやくなのはの動揺の元に気づく。

言われてみれば、初日のなのはの罵倒は僕の寿命に直撃する言葉だ。

言われた時に僕の生まれである“家”と関連付けてしまった為、今まで気づけなかった。

迂闊だな、と自省しつつ、僕は困り顔で口を開く。

 

「まぁ、改めて考えると別に大した事じゃあないって気づいてな。

よくよく考えてみろよ、これまでアホみたいに大怪我してばっかりの俺だぜ?

今までは運良く生き残ってきたけれど、普通40歳になる前に死ぬだろ。

そう考えると、ぶっちゃけ大した事じゃないように思えてきてな?」

 

 ぽかんとなのはが大口を開けた。

可愛らしい様子にクスリと笑いながら、続ける。

 

「だいたい俺は、本気で生きたいだけなら戦うのを止めて、普通に働けばいいだけの話だ。

クラナガンで雑魚相手に賞金稼ぎして食ってくだけなら、大怪我なんてまずしないだろうしな。

選択肢が与えられている分、なのはの怪我よりもずっとマシな後遺症だよ」

 

 これはリニスと話し合った事でもある。

僕は寿命と信念を天秤にかけて、結局信念を取る事しかできない。

勿論信念を、UD-182というあの鮮烈な魂がこの世に居た事を示し続ける制限時間が短くなってしまった事は、残念極まりない。

けれど言った通り、元々僕は長生きできるつもりではなかった。

リニスはこれを機に少しは自愛して欲しかったみたいだけれど、僕にはそれだけはできない。

そう告げた僕に、リニスは哀しそうな笑みを浮かべて頷くのみだった。

本当にリニスには苦労をかけている、何時かお礼をしなければならないだろう。

 

 そんな風に告げる僕を、なのはは眩しい物を見る目で見つめていた。

恐らくなのはには、寿命と天秤にかけて立派な信念を掲げる人間の姿が見えているのだろう。

けれど実際の僕は、大勢の人を騙す為の仮面を信念と呼んで掲げているだけの、嘘つき人間にすぎない。

罪悪感に陰鬱な気分になるのを表情筋の下で抑える僕に、なのはがポツリ、と言った。

 

「変な事、聞いていい?」

「構わねぇよ」

 

 シーツを両手で握りしめ、歯を噛み締めるなのは。

彼女はまるで自分の奥底にある何かを絞り出すかのように、万力を込めて言った。

 

「ウォルター君が魔法を使えなくなるかもしれない怪我を負ったら、どうする?」

「そうだな……」

 

 難しい質問だった。

仮面に従った上で素直に答えるのならば、答えは簡単に出る。

けれどその言葉は、果たしてなのはを傷つけはしないだろうか。

一週間前と同じ、虚像の僕に対し劣等感を覚えさせ、なのはを悲しませる結果にはならないだろうか。

分からない。

分からないけれど、それ以上の言葉はどうしても僕には思いつかなくって。

できる限り彼女を慮った言葉を、口に出す。

 

「まずは魔法を使える状態に回復できるよう、頑張る。でも、100%無理って事になったら、諦めるかな」

「ウォルター君でも、諦めるの?」

 

 目を見開くなのはに、あぁ、と頷く僕。

 

「でもそれは、夢を諦めると言う事じゃあない。

魔法が俺の夢に絶対に必要とは限らないから、夢の為に足を止め続けているわけにはいかないから、諦めるんだ。

ま、あったら物凄い便利なのに違いないから、足掻くつもりだけどさ」

 

 実際にそうなったとして、僕がその通りに行動できるとは限らない。

もし僕が本当の心の強さを持っているのならば、魔法を諦める事ができるだろう。

けれど惨めな弱虫でしかない本当の僕は、魔法に縋りつく事を止められるとは思わない。

弱り切って頼れる物を探しているなのはに嘘をつく事に、胸の奥を抉られるような痛みが走る。

プレシア先生の魔法をくらった時の、あの視界が真っ赤になる痛みよりも、今の心の痛みの方が堪えるぐらいだった。

けれど、それを今表に出した所で、誰にとっても良い結果にはならない。

だから僕は、必死で痛みに耐え、表情に出さないようにしてみせる。

 

 そんな僕を尻目に、なのはは視線を揺らし、俯いた。

両手に震えるぐらいの力を込めて、考えこんでいる様子だ。

暫時沈黙した後、なのはは不意に面を上げ、疑問詞を吐く。

 

「夢……。ウォルター君の夢って、何なの?」

 

 僕は、僅かに目を細め、小さく呼吸した。

罪悪感が胸を締め付けるのを、必死で無視する。

大丈夫、この言葉は偽りの言葉であると同時、本当に僕がしたい事でもあるのだから。

だから僕は、告げる。

 

「……俺はさ、次元世界の皆の希望になりたいんだ。

皆、どうしようもない絶望的な苦境にあって、頑張る事が無意味に思えてしまって、夢を諦め、信念を曲げてしまう事がある。

そんな時の皆に、俺は、希望を与えたいんだ。

決して諦めなければ目指した物は手に入るんだって、そう伝えたいんだ」

 

 希望。

UD-182という輝ける魂。

 

「だから俺はそれを実践してみせて、皆に自分でも夢を掴み、信念を貫き通す事ができるかもしれない、って思って欲しいんだ。

だから俺は、戦い続けている。

諦めてはいけない何かを諦めてしまっている奴らをぶっ飛ばして、目を覚まさせていく。

その姿を通して、皆に伝えたい物があるから。

それが俺の——、夢で信念だから」

「……ウォルター君の夢で、信念」

 

 原初の思いは、UD-182という魂がこの世にあった事を証明したいという物であった。

その為に僕は彼を真似た仮面を作り、それに従って生きてきた。

それだけで今の僕は必死でフラフラで、それ以上の事なんてとてもできはしない。

けれど生きてくるに連れて、少しだけ欲が湧いてきた。

僕がUD-182に憧れたように。

次元世界の皆が、僕という仮面に憧れを持ってくれたなら。

僕が感じた魂の輝きを、例え紛い物とは言え受け取ってもらえるのなら。

それは、とてつもなく嬉しい事なのではないか。

僕は目を細めながら、呆然とするなのはを見つめる。

 

「その為に魔法はもの凄く便利で重要だけれども、無かったら俺の夢って叶わない事か?

人々に希望を与えるのに、魔法って絶対に必要か?」

 

 僕にできるかは別として、人々に希望を与える職業はいくらでもある。

作家、ミュージシャン、俳優……。

勿論今のフリーの魔導師が最も純粋に貫ける事なのは確かだが、道は一つではない。

それに思い当たったのだろう、なのはは頷く。

 

「ううん、違う、ね」

「だろう? 勿論今みたいに闘って希望を与えるのは無理だろうけれど、他にいくらでも道はある。

勿論、俺は今次元世界最強の魔導師だ、他のどの道を行くのだって今より険しい道になるだろう。

けれど、それでも俺は諦めないさ」

 

 その言葉はなのはに向けるのと同時、自分に向けた言葉でもあった。

きっと弱虫で陰鬱な僕は、魔法が使えなくなったら何時まで経っても魔法に未練タラタラになるに違いない。

けれどそれは信念に、僕の仮面に反する事なのだ。

僕には決して足を止める事は許されない。

どれだけ惨めに見えても、歩みを止めてはいけないのだ。

そう、自分に言い聞かせながらの一言であった。

 

 その言葉が、一体なのはの中の何に火をつけたのだろうか。

なのはの瞳に、心の火花が散るのが見えた、ような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なぁ、なのは、逆に聞いてもいいか?」

 

 暫しの沈黙の後、ウォルターが問うた。

ウォルターの言葉を飲み込んでいる途中だったなのはは、反射的に首を縦に振る。

それに僅かに目を細めたウォルターは、真剣な顔で言った。

 

「なのは、お前の夢は、何なんだ?」

「それは……」

 

 なのはは口ごもると、顔を俯ける。

純粋に考え事に集中する為の仕草で、なのはの胸には欠片ほどの陰鬱さも残っていなかった。

ウォルターの瞳の炎が移ったかのように、なのはの胸の内側は激しい炎が渦巻いている。

ドロドロとした胸の奥に堆積する粘着質な心は、既にその炎の原動力となって消えていた。

 

 今までなのはは、漠然とした夢をしか持っていなかった。

魔法が好きだから、空が好きだからと魔導師の道を選び、家族にもそれで納得してもらう事ができた。

けれど、なのはの持つ夢は本当にそれだけだったのだろうか?

確かにその2つが主な要因である事は確かだったけれども、もっと大きく胸の中で鼓動する、何かがあったのではないだろうか?

 

 なのはは、自分にとって一番鮮烈な事は何だったか思い出そうとした。

両手を胸に、今度は心のなかの炎を鷲掴みにするかのような思いで握りしめ、考える。

瞳を閉じ、熱い血潮が巡る音を耳に、じっと考えて。

それでなのはの心に浮かんできたのは——、矢張り、フェイトと分かり合えた、あの海上の決戦であった。

 

「夢って言っていいのか、分からないけれど」

 

 と告げながら、なのはは胸の中にあの時の感動を思い浮かべる。

必死だった。

自分にしかできない事、ウォルターに任された責任、フェイトのあの悲しみに満ちた瞳。

そして、伝わった言葉。

“——私が居るよ”

 

「魔法を使う事で入ってこれた新しい世界で、全力でぶつかり合う事で——、誰かと心の底から通じ合えるんだって感じて。

それが私の、一番鮮烈な思い出。

だから今は、その先にある物を求めたいって思っているんだ」

 

 その為に必要な魔法は、二度と使えないかもしれないけれど。

その言葉を飲み込み、なのははウォルターの目を覗きこむ。

来るだろう言葉は半ば分かっていた。

けれどその言葉を、他でもないウォルターに言って欲しくて。

だから甘えだと自覚しつつも、なのははウォルターの言葉を待つ。

ウォルターは破顔し、言った。

 

「俺と同じように、その事に魔法は重要だろう。

だけど、必ずしも必要な物なのか?」

「…………」

 

 なのはは瞳を閉じ、暗黒の世界の中で思索に耽った。

心通じ合えた時は、何もフェイトの時だけではない。

それが一番鮮烈だったのは確かだけれども、他にもある。

例えば、アリサとすずかと心を通じ合う事ができた、あの時。

魔法を使わずとも、誰かと心からぶつかり合う事で、心が通じ合えたあの時。

 

 勿論、贅沢を言うなら自分の中で一番鮮烈だった魔法でのぶつかり合いが一番良いけれども、それは果たして必須事項なのだろうか。

違う。

なのはは内心で、そう断じた。

 

「重要なのは確かだけれど……、必要じゃあない、ね」

 

 そう口にするだけで、なのはは心の暗雲が晴れるような気持ちだった。

炎に巻き上げられた汚濁が作っていた黒い雨雲が、吹き荒れる台風のような突風にはじけ飛んでゆく。

気づけばなのはの胸の中には、どこまでも透き通った蒼穹が広がっていた。

驚くほどに心が晴れやかで、誰かに当たり散らしたい、醜い気持ちが嘘のように消えていたのだ。

 

 それが言葉で言い表しようのないぐらいに嬉しくて。

なのはは、胸の奥の炎が伝える温度が、再び瞳からこぼれ落ちるのを感じる。

先ほどまでと同じ道を辿ってゆく涙だけれども、先ほどまでとはまるで違う温度のようだった。

伝った頬が火照り、まるで細胞一つ一つが燃え盛るかのような感覚。

 

 それを温かい笑顔で見つめるウォルターが、本当に格好良くて、惚れ惚れするぐらいで。

不意に、なのはの胸にある思いが過ぎった。

——私も、ウォルター君みたいになりたい。

勿論そのものにはなれないけれど、彼がその炎を誰かに伝えるように、自分もまた誰かに感動を分け与えたいのだ、と。

今まで不明瞭な形をしていた夢が、明確な形を取り始めるのをなのはは感じる。

 

 高町なのはは、その日夢を持った。

どんな形でもいい。

心の底から心通じ合えた時の、フェイトと友達になりたいと思い成就させたあの気持ちを、誰かに分け与えたいのだと。

後になのはが教導隊への道を希望する、最初の切欠がなのはの胸の奥底を渦巻いていた。

 

 なのはは、自分の心が落ち着いてきた事を感じる。

どころか、怪我をする前よりも更に安定感のある、揺れ動きにくい心になった事を自覚して。

なのはは、感謝を込めて頭を下げた。

 

「……ありがとう、ウォルター君。

私、ちょっとだけ大丈夫になったみたい」

「そうかい、良かったな」

 

 感謝の言葉を口にするなのはに、ウォルターは優しさに満ちた笑みを浮かべる。

それが今までの心燃えるような激しさのある笑顔ではなく、心の底からの優しさに満ちた笑みで。

少し照れて、なのはが視線を外したと同時に。

 

「……あ」

 

 なのはは、ウォルターがなのはの質問からここまで誘導するつもりで答えていた事を、改めて確信する。

けれどそれは、なのは自身ですら今一分かっていなかった、なのはの心を知り尽くしていなければできない事な訳で。

つまりウォルターは、なのは自身よりもなのはの事を理解していた訳で。

 

「……う、ううっ」

 

 自然、なのはの口からは恥ずかしさから出るうめき声が漏れていた。

不思議そうな顔で首を傾げるウォルターの顔が、なんでだろうか、視界の端に入るだけで胸が鼓動を早くしてしまい、とても直視できない。

何もなのはの事を自身より理解していた相手は、ウォルターが初めてだった訳ではない。

家族や親友なども、時折なのは自身より深く理解している時があったし、その想いから来る労りも何度も受けてきた。

けれど。

同世代の男性から、そんな風に理解してもらえると言うのは、なのはにしても初めての経験な訳で。

 

「にゃ、にゃはは……」

 

 照れ隠しに、なのはは何時もの笑い声を上げた。

けれど、なのはが照れている事にすら気づいていなかったのだろう、不思議そうに首を傾げるウォルター。

その光景に、なのはは頬を一層赤くして硬直。

もしかして変な子と思われたんじゃあ、と思い、慌てて誤魔化しの台詞を口から吐く。

 

「あ、えーっと、あの、その、そうだ、どうして私なんかにこんなにしてくれたのかな?」

 

 面食らったように、目を丸くするウォルター。

言ってから、そんなのウォルターがなのはに好意的だからに決っているじゃないかとなのはは気づいた。

とすれば、この言葉は優しい言葉を吐いてもらおうという甘えまくった言葉な訳で。

慌てて答えなくていい、と告げようとするなのはに、少し照れたように頭をかき、ウォルターが言った。

 

「なのはに、勇気をもらったからさ」

「……ふぇ?」

 

 言葉は想像の埒外の物であった。

勇気をもらった?

あの、勇気など有り余っているだろうウォルターが?

疑問詞に思考を硬直させるなのはに、少し困ったような笑顔でウォルターが告げる。

 

「フェイトを救ってくれた時、リインフォース相手に俺の心のバトンを継いでくれた時、本当に嬉しかったんだ。

俺の意思を受け取って、心の炎にしてくれる人がいる、その事実が俺に勇気をくれた。

その勇気が無ければ、戦い抜ける事ができなかった事だって、きっとあった。

だからお前は、俺の恩人なんだ」

 

 告げるウォルターの瞳は、真摯な光に満ちていた。

これがなのはを慰める為だけの言葉ではなく、真実であったのだとなのはは直感する。

誇らしさが、胸の中一杯に湧いてきた。

ウォルターの戦い、あの英雄譚のような戦いの中で、自分がウォルターの心の支えになれていたのだ。

そう思うと、それだけでなのはの胸がいっぱいになってしまいそうになる。

 

 なのになのはは、ウォルターが自分の事を思い出している場面をまで想像してしまった。

戦いで膝をつき、心が折れそうな時、なのはの事を思い浮かべるウォルター。

と同時、そんな時に思い浮かべる相手って、親しい相手なだけじゃあなくて、それ以上の感情を持っている相手が普通なんじゃあ、と思ってしまって。

 

「~~!」

「……おい、なのは?」

 

 なのはは、声にならない声を上げた。

顔が真っ赤になってしまっているのが、自分でも分かる。

頭の中がいっぱいいっぱいで、これ以上何かを考えていればどうなるか分からないぐらいで。

 

「……きゅう」

 

 ほんの僅かに残った思考力で、なのはは思考のシャットダウンを選択する。

力を失う自分の体を、慌ててウォルターが抱きとめるのを感じながら、なのはは意識をブラックアウトさせたのだった。

 

 

 

 

 


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