仮面の理   作:アルパカ度数38%

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4章3話

 

 

 

 薄っすらと青味がかった月が、夜空にぽっかりと浮かんでいる。

客室の窓からそれを眺めながら、僕は椅子に背を預けティルヴィングを磨いていた。

磨いた部分から金色の輝きを取り戻すティルヴィングに、そういえば初めてティルヴィングを握った時は矢鱈派手な剣だと思った事を思い出す。

5年も一緒に居るだけあって、僕はいい加減ティルヴィングが派手だとは思わなくなってきた。

だのに服装の趣味はいつまでも黒一色だと言う事に、思わず苦笑してしまう。

同室でデバイス関連の雑誌に目を通していたリニスが、反応してこちらへ視線を。

なんでもない、と視線で伝えると、少しだけ面白そうな顔をしてリニスは雑誌へ視線を戻した。

いくら精神リンクがあるとはいえ、こうも以心伝心の動きができる相手が居ると思うと、少しだけ嬉しくなってきてしまう。

それがリニスに伝わってしまうのだと考えると、恥ずかしくもあるのだけれど。

と思うと同時、僕の脳裏を一刹那、人顔が過ぎ去る。

その時僕の頭に浮かんだのは、クイントさんの顔だった。

リニスの次に親しい人だからなのだろうか、と思いつつ、ティルヴィングを磨く手を止めて少し思索に耽る。

 

 今日も一日、楽しい時間であった。

ゲンヤさんとクイントさんを見送って、続いて学校へ出かけるギンガとスバルを見送る。

それから午前中は病院で習った体のケアや、負担のかかりにくい事を意識した訓練で鈍った感を研ぎ直した。

昼に差し掛かる頃にはリニスと共に病院へ、運動生理学を学んだ人から数日に渡り体のケアの方法を学ぶ。

最後になのはの所に顔を出し、帰りに時間が合えばギンガとスバルを迎えに行き、ナカジマ家に帰宅。

リニスと共に家事を手伝い、ゲンヤさんやクイントさんが帰ってくるのに合わせて6人で食卓を囲む。

幸せとは、こんな時間を言うのだろうか。

胸の暖かくなる感情に、思わず頬を緩ませてしまう僕。

 

 叶うならば、他の何もかもを投げ捨てる事ができるのならば。

ならば僕は、この掛け替えの無い時間を永遠に感じていたい、とさえ思った。

クイントさんは視界に入るだけで胸の暖かくなる素晴らしい人だし、限りなく少ない、限定的とは言え僕の弱味を見せられる相手だ。

ギンガもスバルも僕になついてくれていて、もう少し一緒に居られればな、と思ってしまう。

唯一ゲンヤさんだけは僕を避けているような節があり、今だ仲良くはなれていないが、クイントさんの選んだ人だ、きっと切欠があれば仲良くなれるだろう。

 

 けれど、と同時に僕は思った。

けれどそれは、僕には許されず、また僕が許さない行為でもあった。

僕は信念を貫くため、UD-182という輝ける人間が居た事をこの世に証明するため、戦い続けなければならない。

今の暖かな時間でさえ、本当は許すべきではないものなのだ。

なぜなら、僕は信念を貫くために人の命でさえ犠牲にすると決めている。

 

 瞼を閉じれば、数々の絶望の死に顔が頭の中を駆け巡った。

僕は直接人を手にかけた事は、殆ど無い。

けれど間接的に殺してきた人数を入れれば、優に50人は超える。

それだけの事をしてきたのだ、僕を恨む人は両手の指では足らないぐらい居るだろう。

身近な所では、クイントさんが面倒を見ているという店主とナンバー12の息子辺りがそうだ。

真実を知れば彼も僕に憎悪を抱く事は想像に難くない。

しかし僕は次元世界最強の魔導師を名乗り、それ相応の実力がある。

とすれば、被害を受けかねないのは僕の周りの人間だ。

クイントさんは兎も角、ギンガやスバルはもとより、強くてもまだ子供ななのはもそれを跳ね除けるだけの実力は無い。

本来は、僕は彼女らと仲良くなる資格など無いのだ。

 

 胸の奥の、暗闇の中のカンテラの光のような、暖かな温度が失われていくのが分かる。

代わりに吐く息も凍るような、絶対零度の空気が胸一杯に広がった。

頭の中が、まるで脳に直接氷でもぶち込んだかのように、冷たく鋭利になっていく。

今だ数々の死に顔を描いていた瞼を、開いた。

良い風合いのある木製の家具は、やや古ぼけただけの家具に。

ギンガやスバルの落書きの跡は、ただの油性ペンの書き残しに。

温かみに満ちていた光景から、想いが削ぎ落とされる。

残ったのは徹底して物理的な、結果が過程も想いも凌駕する、現実の世界だった。

 

 ——そろそろ、潮時だ。

内心でそう呟いたのと、殆ど同時。

パタン、とリニスが雑誌を閉じた音が聞こえた。

視線をやると、口角を僅かに上げ、目尻を僅かに下ろした笑みを浮かべたリニスの表情が目に入る。

 

「伝わっちまったか」

 

 呟くと、リニスは無言で頷いた。

きっと彼女も暖かな想いに身を委ねていただろうに、わざわざ冷たい現実を押し当てるような真似をしてしまった。

リニスには本当に苦労をかけている。

何か礼をしたいが、その度に貴方が幸せを掴むのが一番のお礼です、と言って聞かないのだ。

形はどうあれ信念を貫き生きている僕は、十分幸せなので、お礼はできていると言う事になるのだろうか。

それにしては、リニスは幸薄そうな笑みを浮かべる事は少なくないので、そんな事は無いのだろうが。

 

「相変わらず、貴方は友を作るのに強さを必要とするのですね、ウォルター。

それに言いたいことは勿論ありますが、それは置いておいて。

確かにこの家には、英雄として戦う貴方の友となれる強さの人間は居ません」

 

 出し抜けに、リニスが言った。

頷きかけて、疑問詞が浮き出る僕。

そんな僕を尻目に、リニスは流暢に続ける。

 

「ギンガもスバルも才能はありそうですが、それを十全に発揮してもウォルターが必要とする強さに達するまで、10年近くかかるでしょう。

ゲンヤに至ってはそもそも非魔導師です、戦闘力と言う意味では論外。

クイントは強いですが、ウォルターの求める域には達して居ないでしょう。

最近交友のある人間で唯一その域に達しているのは、なのはぐらいですか」

「って、待てよ……。

むしろなのはよりクイントさんの方が大人だし、その域に達しているって言えるんじゃあないか?」

「現在進行形で子供のウォルターがそれを言いますか?」

「うっ……。いや、俺も子供だし、確かに戦闘能力に比して交渉事は苦手だ。

でも俺にはコネがあるし、リニス、お前だって居るじゃあないか」

 

 と言うと、我が意を得たりとリニスがニンマリ微笑んだ。

何故か、猛烈に嫌な予感。

慌てて何か口走ろうとするが、何も思いつかず、結局リニスが口を開くのを許してしまう。

 

「なら、なのはにはリンディ達ハラオウン家のコネがありますし?

周りの大人にも随分可愛がられているようで、海千山千の武装隊員が近くに居るんですが」

「それは……そうだな」

「対してクイントは、貴方が突き放している様々な人間と同程度の強さじゃあないですか」

「それは……!」

 

 思わず腰を浮かせ声を荒げるが、言葉が見つからない。

確かに言われてみれば、なのはは十分僕が友達になってもいい強さを持っていると、納得できる。

けれどクイントさんがその域ではない、と言われるのに、僕は思った以上の反感を持った。

自分自身、その行動に混乱してしまう。

僕はどうしてこんなにムキになって反論しようとしているのだろうか?

どうせこのナカジマ家を近いうちに離れる気になったのだ、クイントさんと縁が離れて困る事がある訳でもなし。

理性はそう言うが、それに対し驚く程感情をたぎらせている僕が居た。

自分を持て余している僕に、柔らかな笑みを浮かべ、リニス。

 

「何故反発しているか、自分でも分からない……そんな顔をしていますね」

「……ああ」

「じゃあまず考えてみましょうか。貴方が反発している理由は、クイントの強さを否定されたからですか?」

 

 言われて考えてみるが、答えは案外素直に出た。

 

「……違うな」

「では、クイントにはそれをウォルターの中で覆す程の、何かがあるのです。それは何ですか?」

「それは……、一番最初の大事件で出会った人だから」

「私もそうですが、私に感じた事は何でしたか?」

 

 言われて、僕は俯きがちだった視線をリニスに向ける。

初めてリニスと出会った頃の想いが、胸の中に暖かく宿り始めた。

凍てついた内心を溶かし、雪解け水のような清流が胸のうちに流れ始める。

そうして思い出されるのは、矢張り出会って互いの実力を確かめた後、抱きしめられた事だ。

続いて、ティグラにトレーサーを打ち込んだ時、真っ先に頭を撫でてくれた事。

 

「“家”でもUD-182と2人のグループで、他の子との関係はあんまりなくってさ。

だからかな、その……」

 

 言おうとしている台詞の恥ずかしさに、顔が火照ってしまうのを僕は感じた。

できればこんな恥ずかしい台詞は言いたくないが、それをするとクイントさんへの感情の追求がままならなくなる事も何となく分かる。

せめてもの抵抗として俯き、せめて外面からは内心を悟らせまいと、表情を固くしながら続ける。

 

「暖かくって、体重を預けたらそっと支えてくれるような気がして。

俺には居ないけれど……、その、だな。

姉が居たら、リニスみたいな感じだったのかな、と感じたんだ」

 

 これでニヤニヤと反応されてしまえば、僕は恥ずかしさで憤死してしまうかもしれない。

そんな事を思いながらちらりと視線をやると、リニスは幸せでいっぱいだと言わんばかりの表情をしていた。

まるで、掛け替えの無い物を手に入れた感動に感じ入っているかのよう。

想像とは違う反応ではあったが、これはこれでなんだか恥ずかしくなってきてしまう。

別に嫌な感じの恥ずかしさではないのだが、恥ずかしい事は恥ずかしいのだ。

なので僕は、さっさと話を進めようとこちらから口を開く。

 

「で、クイントさんにも同じような感情を持っているのかとか、そういう事なのか?」

「……そうなのですか?」

 

 聞き返され、僕は目を瞬いた。

目を閉じ、瞼の裏にリニスとクイントさんの姿を交互に思い浮かべる。

リニスは今や僕の使い魔だと言う事で、当時と全く同じ感情を抱いている訳ではないのだけれど。

 

「……違う、な」

「でしょう? ではその感情とは、どんな物なのでしょうか?」

 

 言われて考えてみる。

リニスを姉だと思ったのなら、クイントさんを母だと思ったのだろうか?

いや、その割には僕はクイントさんの子供にはなれない、とかつて断言してみせた。

信念がある以上それはそうなのだが、それにしてもきっぱりはっきりと。

では何なのだ、と思って、詰まってしまう。

答えを探るが、考えても考えても見つからない。

思わず、答えを知っていそうなリニスに助けを求める視線を投げかけた。

微笑みながら、リニス。

 

「少なくとも私が見る限りでは、それはとても大切で、自分でその名前を見つける事が重要な感情です。

別に急いでその感情の名前を見つける必要はありません。

ただ、あなたの……」

 

 言いつつリニスが手を伸ばし、僕の胸にペタリと触た。

胸の奥にある暖かさが、余計に意識される。

 

「この胸の中にある、時に貴方の信念を貫くための判断力を鈍らせる感情。

その感情を確かめる事は、必要だとは思いませんか?」

 

 言われて、確かに、と僕は納得がいった。

信を託すに足る力量があるかどうか、その判断を鈍らせる感情を捨て置く事はできない。

僕の信念を貫く事に直接的ではないけれど影響力があり、そしてそれが影響力を増さない保証は今のところ何処にも無いのだ。

故に、リニスは急ぐ必要がないとは言うものの、僕はできる限り早くその感情の名を知らねばならない。

けれど、と悪あがきに言ってみる。

 

「けれど、リニス、お前にその感情を教えてもらい、その感情を押し殺すようにする、それはできないのか?」

「そういう事が出来る類の感情ではないのです。

いえ、できたとしても、それに非常に大きな労力を割く必要のある感情なのですよ」

「……そっか」

 

 言われて、僕はついに観念した。

確かに、その感情を押し殺すために仮面を被る労力が残らないかもしれないリスクを負うのは、本末転倒と言う物だろう。

ならばその感情とやらをならべく早く調べるのに越したことはない。

その為には、もう少しだけの間、ナカジマ家と関わる事が必要になるだろう。

前かがみになっていた体を背もたれにもたれかからせ、大きくため息をつく。

 

「分かった分かった、もう暫くここに居る事にするって。

でも、理由はどうするんだ? 明日にはもう体のケアの講習とかは終わって、自主学習になっちまうぞ?」

「ふふ、私がそれを考えていないとでも思いましたか? それはですね……」

 

 楽しげに話しだす、リニス。

その内容はこの感情に関係なしに、僕の強さにとっても意味がある事で、流石はリニスとでも言うべき内容であった。

一石二鳥と言うべき内容だけに達成するのは難しいが、挑むのに価値がある選択肢ではある。

という訳で、僕らは夜が更けるまで長々と、その選択肢の為の検討を続ける事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 全力戦闘には手狭な空間だった。

30メートル四方近い正方形の空間の端に、散見する9人の魔導師達。

うち、僕の横顔を見れる位置にはクイントさんと、何故かついてきているギンガとスバルが立っていた。

反対側には、視線に反応し手を振るリニス。

正面には、管理局制式のバリアジャケットを展開した大柄な男、ゼストさんが腰を落とし槍型デバイスを構えている。

濃茶の髪に漆黒の瞳、彫りが深い顔は静謐な沈黙が内心から染みだしたかのような印象を受けた。

その技量は僕をも唸らせる程で、その構えにはまるで隙が無い。

年の頃はおおよそ40代半ばだと言うのに、それを遥かに超える年月を戦っているシグナムに匹敵する技量に思える。

対し僕は、いつもの漆黒のバリアジャケットを展開し、黄金の大剣と化したティルヴィングを構えていた。

 

 先日、リニスは僕にクイントさんの所属する地上のエリート部隊の訓練に混ぜてもらう事を提案した。

休養から勘を取り戻すのと、一旦管理局制式の魔法戦闘を学びたかったから、と言うのがリニスの用意した言い分である。

なるほど、そうすればクイントさんに対する僕の感情に整理をつける時間は稼げるだろうし、それ以外に戦闘能力向上の為のメリットもある。

なにせ元管理局員の犯罪者と出会った事も幾度かあるし、そのどれもが難敵であった。

それに僕自身ティルヴィングに頼っての独学での戦闘方法に敵の戦術を混ぜた物を使っているので、きちんと系統立てられた戦い方を知るのは大きなメリットとなるだろう。

 

 普通なら民間人の訓練をエリート部隊がするなど通る提案ではないが、次元世界最強候補とされる僕の実力がそれを覆した。

……のだと、思われる。

というのも、僕はリニスと案を纏めただけで、実際に提案をする前にいつの間にかリニスとクイントさんが結託して案を通していたからだ。

結局、リニスと話した翌々日の朝にクイントさんに後で話があると伝えた所、あぁ、管理局での訓練の件ね、とか言われて度肝を抜かれた。

早口に説明するクイントさんの言葉に呆然と頷き、気づけば管理局員見習い扱いで僕は地上本部の訓練施設を訪れ、エリート部隊の隊長と模擬戦をする事になっていたのだ。

ちなみにギンガとスバルはクイントさんの手伝いらしい。

色々と疑問の残る話だが、あずかり知らぬままに物事が進んでしまったので、疑問を挟む時間が無かった。

 

 それはさておき、と、始めの合図をする事になっているクイントさんの方を意識する。

何でだろう、彼女の視線を受けているのだと意識するだけで、よく分からないままに此処に運ばれてきた戸惑いが薄れていった。

代わりに心の奥で、小さな火種だった絶えない炎が燃え上がっていくのを感じる。

同時、それを最適に生かす為に、頭の中が徹底的に冷えていくのを僕は感じた。

徹底的に現実的な、戦闘に最適な思考が頭の隅々まで行き渡る。

吐く息一つ一つに含まれる空気分子の数までもが知覚できそうな感覚であった。

 

「ギンガ、スバル。お前たちは俺の戦いを見るのは初めてだったな、楽しみにしてろ」

 

 視線を向けずとも、ギンガとスバルが手に汗握るのを僕は知覚していた。

次いで、そのまま視線を向けずに、クイントさんに告げる。

 

「クイントさんは、俺の戦いを見るのは5年ぶりだったな。

あの時とは段違いの強さを見せてやるさ」

 

 最後に意識を最大限に向けている相手、ゼストさんへ。

無駄な緊張の欠片もない、程よく脱力できたその人へ向け、口を開いた。

 

「ゼストさん、噂に聞くあんたの強さも相当なもんだが、上には上が居るって思い知らせてやるさ」

「……ふん」

 

 僕が大口を叩くのに、ゼストさんは小さな失笑で答えた。

その心は自信の裏付けなのだろうが、僕はそこに僅かな慢心を感じ取る。

スペックは兎も角、技量を支えるのは基本的に訓練と戦闘経験の質と量だ。

少なくとも双方の量において、僕は管理局で30年以上戦い続けてきたと言うゼストさんに大きく劣っている。

だが僕は、それでも戦いの質でだけは次元世界の誰にも負けていないだろう。

故に僕は、ゼストさんに技量で負けているとは全く思わない。

そして同時、例え差があったとしても、僕が直感と呼んでいた何かがそれを覆す事ができる、と考えていた。

 

 ——韋駄天の刃。

僕の使える中でも、そして恐らくは最大回数当てる事ができれば、全次元世界でも屈指の攻撃力を持つだろう魔法。

凡そスペックのゴリ押しをする戦闘においては最強と言っていいだろう魔法を会得した僕は、次なる訓練の目標を別の技に定めた。

何故か。

常に万全の体勢で居られるのならば、韋駄天の刃を使いこなす強靭な肉体を作り上げればいいだけかもしれない。

しかしどれだけ体を鍛えても韋駄天の刃の直後数週間は大怪我を負ったままになるのは変わらないだろう。

そこで僕が考えたのが、体への負担の低い精緻なる技、ランクが低い魔導師が格上殺しに身につける事の多い、技術がモノを言う魔法である。

元々僕が持っている才能は、最高のスペックと最高の勘だ。

韋駄天の刃が前者を生かした魔法ならば、精緻な技は後者を生かした魔法となるだろう。

闇の書事件の後から2年、僕は体を鍛えつつも技術を磨き続け、そういった魔法を組み上げてきたのだ。

そこに丁度数日前、僕の寿命の件があり、リニスは僕に負担の少ない戦い方を考えて欲しいと言った。

僕も勝てると言う前提の元にある限りは負担の少ない戦い方が良かったので、それに承諾。

丁度組み上げていた精緻な剣技により注力する事にしたのだった。

 

 最も、僕はまだ技だけでゼストさんのような高位騎士を倒せるような極地には至ってはいない。

精緻な技というのも極限まで磨きあげたとは到底言えず、まだまだ実験段階だ。

だが、それでも技を磨いてきたこの2年は確りと僕の中に息づいている。

今はまだスペックでのゴリ押しを助ける程度にしかなっていないが、それだけでも僕はかつてより遥かに強くなった。

今の僕なら、確実にゼストさんに圧勝できる。

そんな確信が僕の胸にはあった。

 

 構えていたティルヴィングに、何時もより少しだけ力を込める。

それを見て、いきなり連れてこられた僕が混乱から立ち直ったと判断したのだろう。

クイントさんが手を下ろすと同時、叫んだ。

 

「始めっ!」

 

 ゼストさんは、いきなり飛び出す愚は犯さなかった。

魔導近接戦闘は、遠距離戦闘に比べ一撃必殺が起こる可能性が高い。

故にまず注力すべきは、防御の意識。

相手の武器や体格から攻撃を推察し、迎撃を完璧にする精神の作業が最初にある。

それを終えて初めて攻撃に意識を移し、その上で相手の隙を縫って攻撃を当てるのが、近接戦闘の要なのだ。

 

 僕も同じく、全身の神経を高ぶらせながら意識を集中する。

ゼストさんの獲物は、槍である。

僕の持つティルヴィングとリーチは同等程度、しかし重量は槍の方がやや軽く、攻撃への反応や初速が早い。

主な攻撃方法は突き、補助として払いと石突を使っての攻撃。

加えて管理局の魔導師として、正体は分からないものの、中距離攻撃を1つは持っている筈だ。

 

 僕がゼストさんの攻撃を防ぐだけ防御の意識を作り終えたのは、ゼストさんと殆ど同時であった。

2人して肩などの予備動作に見受けられる部分を僅かに揺らしながら、フェイントをかける。

互いにそれに微細な反応を残し、それが相手の攻撃への反応精度や意識を知る糧となった。

言わば、僕もゼストさんも、今互いに情報収集をしているのだ。

孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。

そんな古い時代から言われるように、一対一の戦闘においても情報収集は重要である。

無論その上で、隙あれば打ち込むべしという意識も忘れてはいけない。

 

 大凡2分程だろうか。

僕とゼストさんのフェイントの応酬による沈黙は、ゼストさんの方から破られた。

 

「——っ」

 

 ゼストさんの見せた隙に乗ろうとする振りをした僕に引っ張られたのか、ゼストさんが凄まじい踏み込みで突きを放ってきたのだ。

常套手段として喉を狙ってきた突きを、僕は体捌きで避ける。

ゼストさんはそのまま突進、槍を反転させ、続けて石突で僕を殴りにかかってきた。

 

 内心、僕は舌打ちする。

槍は通常剣より長い獲物だが、ティルヴィングとゼストさんの槍とでは長さは同程度。

故に間合いによる優劣は無かったが、ゼストさんが石突を使うなら話は別だ。

ゼストさんはよりインファイトで有利になり、相対的にティルヴィングを使う僕の方が超近接戦闘では不利。

だが、ならばより簡単に間合いを短くする事はできる。

僕はバリアジャケットの手甲でゼストさんの石突を弾きつつ、ティルヴィングを待機状態にし、素手に。

そのまま体の回転に逆らわず、震脚とともに右手をゼストさんの腹に打ち込む。

 

「かはっ……!」

 

 吹っ飛んでいくゼストさん。

想定以上の距離を飛ばれたので、おそらく瞬時にゼストさん自ら後方へ飛んだのだろう。

舌打ちしつつ再びティルヴィングをセットアップ。

即座に直射弾を30個放ち、弾幕でゼストさんを襲う。

しかしダメージの低かったゼストさんは即座に起き上がり、カートリッジを排出。

槍を横一閃に振るった。

 

「こぉぉおおおっ!」

 

 絶叫と共に、刃の軌道上に魔力刃が発生、直射弾を誘爆させながら僕に迫る。

それを僕は極限まで低くした姿勢で避け、地を這うような姿勢でゼストさんへと肉薄。

そこにゼストさんは、先ほど排出したカートリッジが床板を叩くより尚早い、神速の突きを放ってみせた。

恐るべき速度の突きだが、しかしこのぐらいの速度ならこれまで何度も見てきている。

僕がゼストさんの突きを弾くと、予想だにしなかったのだろう、ゼストさんは大きく目を見開いた。

そこに僕は、跳ね上げたティルヴィングを喉に向け突く。

首を振って回避しようとしたゼストさんだが、間に合わない。

 

「がっ……!」

 

 悲鳴を上げながらゼストさんは背後に仰け反る。

そこに僕はカートリッジを排出、ティルヴィングに白光を纏わせ袈裟に斬撃を。

 

「断空一閃!」

「ぐ、おぉぉっ!」

 

 僕の超速度の一撃は、しかしゼストさんに命中しなかった。

絶叫とともに高速移動魔法を使ったゼストさんに、薄く笑みを浮かべる僕。

対しゼストさんは、苦虫を噛み潰したかのような表情で槍を握り締める。

 

「隊長が……」

「……飛行魔法を使わされた!?」

 

 そう、ゼストさんはこれ以上地上にいては僕の魔力付与斬撃を避けられないと判断、空中へ逃れたのだ。

しかし地上から開始となったこの模擬戦で、先に飛行魔法を使わされたのは屈辱に違いない。

僕はゆっくりと飛行魔法を使い、床と天井の間程の高度まで浮かぶ。

 

「よもや、コレほどまでとはな……」

 

 と言い、闘志を全身に漲らせるゼストさん。

僕もまた、ここ2年で戦った魔導師の中でも、こと近接戦闘技術においては最強の相手に心を滾らせていた。

此処で吸収できる事はすべからく吸収せねばなるまい。

内心で思いつつ、僕はティルヴィングを手にゼストさんに向け飛翔する。

 

 初手は僕の纏う直射弾が30個。

ゼストさんは華麗な飛行技術である物は避け、ある物は弾き、体勢をできる限り保って僕の接近を待つ。

間合いに近づいた僕は、早速袈裟に切りかかった。

それを弾こうとするゼストさんの槍だったが、予想以上の威力だったのだろう、僕の剣戟の威力を殺し切れない。

後方に吹っ飛ぶゼストさんに、僕は再び直射弾を精製、発射。

かわしきれないと見たゼストさんは防御魔法を発動、弾幕を弾くも、その合間に既に僕はゼストさんに接近していた。

カートリッジの排出音が、輪唱する。

 

「断空一閃!」

「はぁぁああっ!」

 

 魔力付与斬撃と、魔力付与刺突が激突。

ゼストさんの防御魔法を破壊した分威力が弱まっている断空一閃だが、それでも尚ゼストさんの攻撃よりも強力である。

ゼストさんの槍を容易く叩き落とし、そのまま跳ね上がりゼストさんの喉へと切り上げた。

が、その瞬間、ゼストさんの眼の色に、僕の背に悪寒が走る。

 

「バリアジャケット・パージ!」

 

 瞬間、爆音と同時に僕は高速移動魔法を発動。

後方へ数メートル程後退しており、ゼストさんの魔力を込めた爆発に巻き込まれる事は無かった。

爆音と共に撒き散らされた魔力煙で、ゼストさんを認識する事は難しい。

なのでそのまま僕は再び直射弾を多数精製、出来る端から魔力煙に向かって撃ち放つ。

40発程打ち込んだ辺りで煙の中で動きが。

煙の中から抜けだしてきたゼストさんは、数発直射弾を受けてしまったのだろう、煤けた様子であった。

残念ながらバリアジャケットは再生成したらしく、あっさりと撃ち落とす事はできなさそうだ。

その軌道上に向かって僕は直射弾を放ちつつ飛行、ティルヴィングからカートリッジを排出する。

歯噛みしつつも、他に選択肢が無いのだろう、ゼストさんもまたカートリッジを排出。

 

「断空一閃!」

「こぉぉおおおっ!」

 

 防御を無駄と悟ったのだろう。

ゼストさんの突きは相打ち狙いで僕の左胸を狙う一撃であった。

が、それもまた予想通り。

僕は構えていたティルヴィングに白光を纏わせたまま、ゼストさんの槍を弾く。

よもや魔力付与刺突を通常斬撃であっさり弾かれるとは思っていなかったのだろう、目を見開くゼストさん。

そこに僕は弾いた時のベクトルに体を載せ、一回転しつつ横一閃に胴を撃ちぬいた。

 

「が、はっ……!」

 

 白目を向き、落下するゼストさん。

つい追撃用の直射弾を浮かべてしまうが、そこは自重。

ゼストさんの軌道上にいくつかフローターフィールドを生成、勢いを殺して地上にゼストさんを下ろす。

遅れて僕自身が床に辿り着き、ティルヴィングを油断なく構えながら判定を待つ。

しかしいくら待っても来ないので、仕方なしに口を開いた。

 

「……クイントさん、判定はまだか?」

「え、あ、勝負あり! ウォルター君の勝ち!」

 

 告げられた勝利に、僕は深く溜息をつきながら切っ先を下ろした。

弾かれたようにゼストさんの容体を見に、確か副隊長であるメガーヌさんと紹介された人が駆け寄る。

 

「大丈夫、意識を失っているだけです」

「やっといて言うのはなんだが、良かったよ」

 

 肩を竦めながら言う僕は、早速クイントさんへと視線をやった。

呆然とした様子のクイントさんに、驚かせる事ができたな、と内心安堵する。

笑みを向けた僕に、先に反応したのはギンガだった。

 

「す……凄い、凄いですよウォルターさんっ!」

「まぁ、一応次元世界最強の魔導師を名乗っているんだ、これぐらいはできるさ。

で、ギンガ、今回一番凄かったのは何処だったか分かるか?」

「えっと……」

 

 完全に超常の戦闘に心奪われていて、冷静ではなかったのだろう。

言葉を濁すギンガの頭にぽん、と手をやりながら、自分を取り戻したクイントさんが口を開いた。

 

「ウォルター君、貴方が……一撃も貰わなかったって事ね」

「……っ!」

 

 息を呑む音が、そこら中から聞こえる。

隊員たちに、いやいやお前らは分かっていろよ、と思わず思ってしまうが、管理局地上部隊最強の魔導師が圧倒されている光景を前にしては仕方がない事なのかもしれない。

むしろその事実を分かっている様子だったクイントさんとメガーヌさんが冷静だったと考えるべきか。

そう思いつつ、最後にスバルに視線を。

なんだか戸惑った様子の彼女に、笑顔で話しかける。

 

「で、スバル、お前はどうだった? 凄かったか? 正直に言っていいんだぞ?」

 

 と問うと、困った顔をして周りに視線を。

それから俯いて少し考えたあと、スバルは面を上げ呟くように言った。

 

「……思ったより地味だった」

「……あぁうん、そういう事もあるわな」

 

 インドア派で戦闘に興味の無いスバルが楽しむには、砲撃魔法などの飛び交う派手な戦闘である必要があったのだろう。

とは言え、流石に訓練で手を抜いてまで魅せる事を意識する事は、不真面目にも過ぎる。

実力を見る為の戦いでなら、尚更だ。

それが分かっているのだろう、聞いている隊員達の顔もなんとも言えない顔だった。

 

「あー、クイントさん、メガーヌさんって後衛系か?」

「……えぇそうよ、ってまさか」

 

 僕の言いたいことを察したのだろう、顔を引き攣らせるクイントさん。

そんな彼女に、僕は不敵な笑みを浮かべながら言ってみせた。

 

「俺対クイントさんとメガーヌさんの2人なら、俺も遠距離攻撃を使わざるをえないだろう。

俺の遠距離戦闘技能も見る必要があるだろうし、1対2でやってみないか?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 灰色の壁に四方を囲まれた空間。

机も椅子も機材も何もかもが灰色かアイボリーでできており、彩度の低い色ばかりで囲まれている。

その椅子それぞれにゼスト隊の皆は尻を載せて体重をかけており、時折席を立つ以外は短い半径の中で全てを済ませていた。

まるでそれぞれの椅子の上で暮らしているかのようだな、と僕はため息混じりの思考で考える。

不意に、鼻を微かに香ばしい匂いがくすぐった。

照明で過不足無く照らされたその空間には、安い珈琲の香りが充満している。

それと混じりながら、リニスが入れてきてくれた珈琲が僕の鼻孔を刺激したのだ。

 

「ありがとう、リニス」

「どういたしまして」

 

 と定型文を交わしながら、僕は自分の机に珈琲の入ったアイボリーのマグカップを置く。

慣れない仕事に緊張で固まった肩を回してほぐしながら、内心で溜息。

僕はこともあろうにか、なんと事務仕事をしていた。

似合わないにも程がある行為であるが、見習いというかインターンシップ扱いで籍を置いている僕には不可避の仕事である。

またもや溜息をつきたくなるのを噛み殺し、笑顔で僕の給仕をしてくれるリニスに、こちらも笑顔で返した。

内心ではお前も一度やってみろよと言う思いが無いでもないが、プレシアから企業で働いていた頃の知識も貰っている彼女は容易く事務仕事をこなせるだろう。

そう、つまり、なんというか。

僕は、デスクワークに苦戦していた。

論文形式の書類ならいくらでも書けるのだが、社会人独特の定型文や形式を知らない為か、中々文章を書き進められないのだ。

熱いインスタントの珈琲を啜りながら、どうも疲れた様子のゼスト隊の隊員を眺めつつ、僕は昨日の訓練を思い返す。

 

 昨日の僕対クイントさんとメガーヌさんのコンビは、僕がある程度砲撃魔法を混ぜた上で勝利した。

当たり前と言えば当たり前か、僕は以前ヴォルケンリッターの4人相手に、横槍が無ければ勝てていただろうぐらいに優勢だった。

その半分の人数でランクも低い2人に負ける事などまず無いだろう。

そんな訳でクイントさんとメガーヌさんに勝利した後は、負けた隊長格3人を除いた9人の隊員対僕とリニスのコンビで戦った。

流石に、苦戦は免れなかった。

何せ2対9である、手が足りない事足りない事この上ない。

しかも実戦と違って限られた空間であり、更に遮蔽物が無く、ついでに僕はリニスに狂戦士の鎧を禁止されていたのだ。

包囲から抜け出して各個撃破という選択肢が無いので、僕らはヒィヒィ言いながら限られた空間で戦う他無かった。

とは言え、高ランク魔導師たる僕とリニスには低ランク魔導師より遥かに多いマルチタスクがあり、思考の数で言えば大きく劣っている訳ではない。

僕らには一瞬でも一騎打ちに持ち込めばその一瞬で隊員を倒せるだけの実力があるし、加えて僕らは2対多の状況に慣れきっていた。

結果として、僕とリニスは苦戦したものの、結局2人とも大きなダメージを受けずに勝利したのだった。

 

 それで終わっていれば話が綺麗についたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

その後意識を取り戻したゼストさんと、元々寸止めで撃墜判定をもらっていたクイントさんとメガーヌさん。

その3人を加えて、2対12での戦いを提案されたのだ。

汚名返上に燃えるゼスト隊の面々の言葉を断りきれず、結局戦闘開始。

流石に分が悪いと感じつつも奮戦した結果、結構ギリギリとは言え、なんと勝ってしまったのである。

しかも、僕らにかなりハンデがあるその状況でだ。

 

 スペックの高い魔導師の空戦は広い空間を必要とする事が多く、僕もまたその例に当てはまるだろう。

特に今回は、僕の超魔力による攻撃を壁面に当ててしまえば、施設を破壊してしまう事になる。

幸い僕はかなり近接よりの万能型なので制約は少なかったが、それでも全力を出せなかった事は事実だ。

当然ゼスト隊も全力を出せたとは言えないが、僕らの方が屋内での制約が多かった事に違いない。

ゼスト隊の面々は、流石にショックだったのだろう。

今日になってから、隊長陣は兎も角隊員達は妙に僕に対し余所余所しかった。

昨日模擬戦の前は割と友好的だったので、その意識の切り替わりの要因は昨日の模擬戦に違いない。

 

 畏怖か。

隊員の中にあるだろう感情の名前を内心で呟き、同じく内心で溜息。

あまり楽しい気分になる事実ではないが、書きかけの文書を目の前に考える事柄としては不適格だ。

というか、こういった感情を管理局の協力相手に持たれる事なんて、日常茶飯事である。

現実逃避に精一杯の自分を戒める為に、インスタントの安っぽい珈琲を再び口に。

苦味で自分を追い立て、マグカップを机に、両手を空中投影コンソールにやろうとした、その瞬間である。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 軽やかでありながら弾力を感じさせる、スーパーボールみたいな声だった。

思わず視線をやると、他部署に行っていたクイントさんがオフィスに戻ってきたようである。

朝来てすぐに行ってしまったので、僕がクイントさんを視界に収めるのはデスクワークを始めてから2度めだ。

自然に彼女を追いそうになる顔を、全力を賭して目の前のコンソールに固定。

何とか文章をひねり出そうと頭を回転させながらも、耳はクイントさんの声に釘付けにされていた。

というのも。

 

「で、隊長、ウォルター君はやれていますかね?」

「……新入隊員程度にはな」

 

 こんな具合に、クイントさんはゼストさんと僕に関する話をしているのだ。

どうしても意識がそっちに行ってしまいそうになり、デスクワークに集中しきれない。

せめて黙ってくれよと思っていると、その念が通じたのか、クイントさんは話を終え歩き出す。

ホッとしたのも束の間、クイントさんの足音は何故か自分のデスクではなく、僕の方へと向かってきた。

いやいやいや、何でだよ。

思わず内心で叫びつつ、心臓が早鐘を打つのを聞きながら対処法を考えるも、思考が空回りして何も思いつかない。

結局硬直して動けないままになっているうちに、クイントさんが声をかけてきた。

 

「ウォルター君、デスクワークはどう?」

「あ、あぁ、まぁなんとかやってるよ」

「へぇ~、隊長はマルチタスク数の割りには苦手みたいだ、って言ってたけどねぇ」

 

 視線をやらなくても、クイントさんがニヤニヤしているのが分かってしまう。

僕は何故か、頬が赤くなってしまいそうになる兆候を発見した。

咄嗟に脳裏の戦闘スイッチを入れ、自己を冷徹に客観的に見ようとする。

が、何故か僕は今の自分を客観的に見る事ができなかった。

結果として頬の火照りを予防する事はできず、頬が赤くなる寸前にクイントさんから顔を逸らすという、子供じみた真似しかできない。

この状況が、クイントさんのからかいに恥ずかしがっている状況にしか見えない事が幸いした。

いや、というか、僕の頬を赤くしている源泉は羞恥心なのだろうか?

疑問詞が過るが、考察よりもクイントさんが小さく吹き出すのが先だった。

 

「プッ……! そんな可愛い反応しなくてもいいじゃない、慣れてないんなら仕方ないわよ」

「かっ! ……可愛い、とか、似合わない言葉にも程があるな。もう少しいい語彙を選んでくれよ」

 

 思わず叫んでしまいそうになるのを必死で抑える僕に、クイントさんは何の前触れもなく僕の肩に手を置いた。

飛び上がりそうになるのをどうにか僅かな硬直に抑え、視線で僕は疑問詞を投げかける。

 

「折角だから、ちょっとアドバイスしてあげるわよ」

 

 クイントさんは満面の笑みで言った。

これがまた活気に溢れた瑞々しい笑顔で、まるで十代の少女が浮かべるような印象を受ける笑みであった。

それに僕が呆然としてしまったのを、了承の意と取ったのだろう。

クイントさんは両手を組んで椅子の背もたれの上へ、軽く体重をかけながら視線をコンソールへやる。

僕が自分を取り戻した時には、既に僕がクイントさんの教授を受けるという形に決まりきってしまっていた。

不承不承ながら、僕は視線をコンソールへ。

キータッチを再開させると、クイントさんの指摘が次々に入る。

 

 昼休みを告げる鐘が鳴った時は、疲労のあまりそのまま崩れ落ちてしまいそうになるのを必死で抑えねばならなかった。

何度も視線や念話で助けを求めたリニスは、素知らぬ顔で食堂へ向かっている。

恨みがましい視線をやりながらも、クイントさんがさぁ食べるわよ~、とか言いながら食堂で向かうのに、僕も椅子から立ち上がった。

ふと、気になって辺りに視線をやる。

オフィスに残っている全員が、ゼストさんですら目を見開いて僕を見つめていた。

思わず半歩引く僕。

視線は感じていたが、先ほどまでと同じく畏怖による物だと思って無視していたのだが、なんでこんなビックリした目で見られているんだろう。

混乱する僕相手に、一番近くに居る隊員がぽん、と肩に手をやった。

何故か、小動物を眺めるような暖かな笑顔で、一言。

 

「まぁ頑張れよ、少年」

 

 それに続いて同じような笑顔で皆、僕を軽く励ますような一言と共に食堂へと向かっていく。

驚くべき事に、ゼストさんですら無言とは言え僕の肩に手を置いてから食堂へ向かった。

ぽつねんと僕はオフィスに取り残され、頭の中をぐるぐる回る疑問詞に、思わずティルヴィングに問いかける。

 

「なぁ、これって一体どういう事なんだ?」

『データにありません』

 

 僕は取り急ぎ、ティルヴィングにでこぴんを入れる事から始めることにしたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暖かに部屋を照らす照明の元、僕はベッドに突っ伏していた。

疲れた。

滅茶苦茶疲れた。

別に頭脳労働が苦手な訳ではないのだが、慣れない仕事が僕に超絶な疲労感を与えていたのだ。

事実、プレシア先生のスパルタな指導の元、魔法に関する初歩的な論文を書かされた時も、今ほどは疲労感は無かった筈である。

しかしクイントさんの頭の中では僕は脳筋認定されてしまったらしく、ギンガやスバルに告げ口までされてしまった。

あの純粋な瞳で、ウォル兄って頭悪いの? と聞かれるのは、物凄く精神にくる。

慌ててギンガがフォローに回るお陰で、更にだ。

 

「くす、今日は散々でしたね」

 

 と、軽やかに響く声と同時、ベッドにうつ伏せになった僕の頭を撫でる手。

僕は顔だけグイッと横に向け、恨みがましい目でリニスを睨む。

 

「何でか今日に限って何の助け舟も出してくれなかった相棒が居るからな」

 

 何故かピタリと手を止め、感じ入るように自身を抱きしめるリニス。

その顔は幸せいっぱいと言わんばかりに素晴らしい笑顔で、いきなりこんな顔を浮かべられた僕はぽかんとしてしまう。

謎の反応に頭の中に疑問詞が沸くが、答えらしい物にたどり着くよりも早く返事が返ってきた。

 

「まぁ、ウォルターのクイントに対する感情を知るのが今回の主目的ですから。

クイントとの対話に手を出したら、それがわからなくなっちゃうじゃあないですか」

「……まぁ、そうなんだがな……」

 

 僕の理性も同じ事を言っているが、感情的に今一納得がいかない。

ジト目で見つめる僕に苦笑し、リニスは再び僕の頭を撫で始める。

そんな事で懐柔されるかと思うも、流石にフェイトの育児経験もあるリニスだ、とても気持ちのよい撫で方で、思わず口元が緩んでしまうのを避けられない。

僕がだらしのない顔をしているのを眺めながら、リニスは窓を、そしてその外を照らす月を眺めた。

遠くを見る目をしながら、小さな声で言う。

 

「管理局入り、結構熱烈に誘われましたね」

「ま、断ったけどな」

 

 僕は立場上、結構ダーティーな手段を取る事も少なくない。

拷問とまでは行かずとも、敵を痛めつけて情報を取る事ぐらいなら日常茶飯事だ。

管理局も警察的組織の一面がある、それぐらいはやっているのだろうが、今までのように自由奔放にと言う訳にはいかないだろう。

それに、僕は信念の為に人命を軽視する事だって偶にある。

それは管理局に入ってしまえば、やってはならないことになるだろう。

わざわざクビになりに管理局に入るなど、バカバカしくてやってられない。

けれど、だけれども。

 

「ゼスト隊の皆さん、暖かったですね……」

 

 頷く僕。

昼休み以降、隊員たちからの僕に対する畏怖は消え去り、代わりにただの子供のような扱いをされるようになったのだ。

僕の信念からすれば、そんな扱いをされるよりも畏怖されている方がまだマシな筈だ。

親しみを持たれる事が必要かもしれないと言っても、ゼスト隊のそれは行き過ぎである。

だから僕は、それを跳ね除けてでも心凍る日常を作らねばならない筈だった。

なのに。

 

「うん、暖かかった……」

 

 大勢の仲間と共に過ごすと言う事は、信じられないぐらいに暖かい事だった。

手綱を握っていた筈の感情が揺れに揺れ、時折御しきれないかもしれないと思わされる事ですらある。

大変な筈のその事態が、それでも暖かくて嬉しくて、胸の内側が人肌と同じぐらいに気持ち良い暖かさで。

何時もなんでもないと感じていた空気が、まるで吹雪の中を突っ切るような温度だった事に気付かされた。

それでも何時かはまたその冷たく鋭利な空気に戻らねばならないのだ。

そうやって何度も念じなければ、僕はずっとこのゼスト隊に居たいとすら思いかねないぐらいであった。

 

「貴方の信念は、今までのように冷たい場所に身を置いたほうが貫きやすいのは事実です。

けれど、こんな暖かさを感じながらでも、何時かは信念を貫けるようになれるかもしれない。

そう言う向上心を持つ事は、悪くない事だと、そうは思いませんか?」

 

 暖かなリニスの言葉が、身に染み渡るように響く。

向上心と言う言葉を巧みに使った内容ではあるが、それでも僕はその言葉に惹かれ、イメージしてしまう。

あの暖かさに包まれながら、戦いを続けられる、僕を。

勿論、簡単には行かないだろう。

信念を命より大切だとしている僕は、追い込まれれば仲間を切り捨ててまで信念を掲げなければならない。

それにそもそも、暖かさに戸惑っているこんな僕が、暖かさに身を浸からせながらも判断を鈍らせない事が、果たしてできるようになるだろうか。

道行は全てあやふやで、不安だらけ。

決してその道を行けるか分からないし、それどころか信念を手放しかねない危険な道でもあるのだけれど。

それでも、僕は言った。

 

「……うん、そうだな」

 

 言うと同時、僕は火照った顔をリニスに見せたくなくて、顔をうつ伏せにした。

そんな僕の後頭部を、慈しむような手つきでリニスが撫でる。

無言の肯定が暖かくて、心地よくて、僕は半分意識を眠らせながらもその手を受け入れ続けることにした。

 

 

 

 

 


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