仮面の理   作:アルパカ度数38%

29 / 58
4章5話

 

 

 

 病室。

無機質な部屋の中央にあるベッドの上で、なのははぼうっと外を眺めていた。

物思いに耽りながら木々や空を眺めていると、ふと、その中に居た一匹の小鳥が目に留まる。

小鳥は、包帯を巻いていた。

怪我をしているのだろう、どうやら飛ぶのが上手く行かないらしい。

飛び立つ所まではできるのだが、それを維持する事はできず、危うい足取りで枝に着地するに留まる。

 

 そんな小鳥を眺めているうちに、はたとなのはは思い至った。

この小鳥は、ひょっとしてウォルターが初めて見舞いに来てくれた日に見た、墜死したと思われたあの小鳥ではあるまいか。

大怪我をした小鳥は誰かの手で助けられ、ああやってリハビリをしているのではないだろうか。

そう思うと、なのはは心の中で小鳥を応援すると同時、俄然ライバル心が湧いてきた。

あの小さな体躯で小鳥は既に不恰好ながら一応飛べるようになっており、対しなのはは今だに少々浮くぐらいしかできるようになっていない。

それもリンカーコアのリハビリに近い物があり、数分続けるのが限度だ。

——負けられないね。

心の奥底を燃やしつつ、なのははさて、と直前まで耽っていた物思いに意識を戻す。

 

 なのはは、なんでだろうか、ウォルターに対しよく分からない感情を抱くようになった。

何故だろう、彼を視界に入れると胸がドキドキしてきて、体温が高まってくるのだ。

彼と一緒に居るだけで胸が晴れやかになり、さわやかな風が吹くようになる。

代わりに彼が居ない時に彼を想うと、時折会いたくて胸が裂かれるように痛くなる事さえあった。

特別な感情である。

生来彼以外にこんなに不思議な感情を抱いた事は無いなのはは、それを究明し対策をしようと決意した。

何せ本当に心が振り回されて仕方がないのだ、どうにかせねばこれから先の生活が立ち行かない。

 

 しかし、その作業は難航することになる。

当たり前と言えば当たり前か、精神状態を左右する感情をその精神を持って究明しようとするのは難しい。

仕方なしに、なのはは週に一度見舞いに来てくれる母桃子に、その感情について相談した。

すると何という事だろうか、桃子は何故か大喜びしたのだ。

こっちは本気で困っているのだ、と怒るなのはに、ごめんごめんと言いつつ桃子は告げる。

その感情は決して悪い物じゃあない、女の子なら誰でも経験する感情なのだと。

そう言われて、なのはの脳裏にその感情の名前らしきものが過ぎった。

けれどそれは流石に自分に似つかわしくないと考え、なのははその考えを捨てる事にする。

 

 兎に角、となのはが桃子にその感情の究明の為に聞き出したのは、結局ウォルターと共に居る事でその感情を調べていく他無いと言う事だった。

けれど、病室で見舞いを受けての対話ならばあれから何度もあった。

マンネリ気味であるし、そもウォルターは管理局の訓練を受けるようになり、見舞いに来る回数が激減している。

そう告げるなのはに、桃子はそれなら、と秘策を告げた。

なのはは今一その計画の意味する所が分からなかったが、それでも信頼する母の言葉である、取り敢えずその計画を実行しようと言う次第となったのであった。

そしてその決行の日は今日。

ウォルターが見舞いに来てくれる日であった。

 

「……えっと、大丈夫だよね」

 

 ひとりごちながら、なのはは鏡で自身を確認する。

事情を話すと物凄い勢いで手伝ってくれた女性看護師のお陰で、なのはは先程湯浴みしてきたばかりだ。

ツルツルの肌は普段よりしっとりとしており、髪の毛も容易く纏まった。

いつも通りのツインテールに、皆が似合うと言ってくれる白のリボン。

服装は流石に入院着であるが、それも卸したてで綺麗な物だ。

よし、完璧だ、となのはは思う。

あとは待つだけだ、と。

 

 そうして暫く経ち、コンコン、とノックの音。

どうぞ、と告げると、なのははよし、後は普段通りに受け答えすればいいだけだ、と覚悟を新たにし。

そして気づく。

普段、自分はウォルターに対しどう接していただろうか。

思い起こそうとするも、この不思議な感情を抱くまでは特に意識した事はなく、抱いて以後は緊張して何を言ったのかあまり覚えていない。

どどど、どうしよう。

焦燥がなのはの脳裏を支配した直後、音を立て扉が開く。

 

「失礼するぜ。こんにちは、なのは」

「私も失礼しますよ、なのは」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 噛んだ。

あまりの羞恥になのはは赤面し、顔を伏してしまう。

そんななのはへと足音が近づき、なのはがちらりと視線をやると、気にした風ではなさそうなウォルターが椅子に座る所だった。

なのはは一昔前のロボットのような、ぎこちない動きで面を上げる。

そんななのはに、ニコリと軽くウォルターが微笑んだ。

たったそれだけで、なのはの胸は大きく弾む。

 

 だが同時、視界に入ったリニスの所為で、なのはの胸はまた別の意味でも脈打った。

——なんで今日に限ってリニスさんも来ているの!?

そう、なのはの秘策はリニスを前に言うには抵抗のある物であった。

ウォルターを前に言うだけでも物凄い恥ずかしい物なのに、更に他の人が加わるとなれば、耐えられるか分からない。

あたふたとするなのはを見て、何かを悟ったのか、リニスは一瞬難しげな顔をする。

そんな2人の様子を不思議そうに首を傾げながら見るウォルターの呑気さに、なのはは的外れな怒りすら覚えた。

すると何故か、リニスはうんうんと頷きながら口を開く。

 

「なるほど、今日の所は2人きりで居たほうがいいみたいですね」

「ふぇ!?」

「うん? どういうことだ?」

 

 驚きの声を上げるなのはを尻目に、疑問詞を吐き出すウォルター。

そのウォルターに、何故か生暖かい視線を注ぎつつ、リニスが加えて告げた。

 

「まぁ、ウォルターはそれに自分で気づけるようになることです。

なのは、見舞いに来ていきなりですが、今日の所はお暇しますね」

「う、うん、ありがとうリニスさん」

「では」

 

 軽く手を振り去るリニスに、胸を撫で下ろすなのは。

どうにか、リニスは勝手に出ていってくれた。

反応が母である桃子と同じ感じだったのが気になるが、これでよしとしよう。

そう考え目を開くなのはの視界に、疑問詞で顔をいっぱいにしたウォルターが映る。

何か聞かれるのだろうか、となのはは身構えた。

が、リニスの言葉通りに自分で気づけるようになるべきと考えたのだろう、ウォルターは不承不承そうながらも疑問詞を捨て置く。

代わりに、ウォルターとなのはの視線が合った。

 

 どくん、と。

脈打つ心臓。

心臓が口から出そうになるのを防ぐのに、なのははぎゅ、と自身を抱きしめねばならなかった。

体中が熱くて熱くて、折角磨き上げた肌の上に汗が滲むのを、なのはは自覚する。

そんないつも以上に緊張したなのはに、怪訝そうにウォルター。

 

「なぁ、随分緊張しているように見えるけど、どうしたんだ?」

「な、なんでもないよ、にゃはは……」

 

 全精力を賭してそう告げるなのはに、納得行かない様子ながら、ウォルターはそうかと頷く。

しかしすぐに心を切り替え、ウォルターは何時もの燃え盛るような瞳でなのはを射抜いた。

またもや心臓が飛び跳ねそうになるのに、なのははそれを必死で抑えながら口を開く。

 

「そ、その、ウォルター君」

「どうした、なのは。ゆっくりでいいぞ」

 

 ウォルターの言葉に甘え、なのはは深呼吸をした。

両手を胸に当て、胸いっぱいに空気を吸い込み。

余計な物を全て吐き出す勢いで、息を吐き出した。

頭が少しだけスッキリとするのに、なのははこのまま話していては情けなくも酸欠で倒れていたかもしれない、とすら思う。

同時、それを見越しただろうウォルターの明晰さに、少しだけ胸が脈打った。

経験からその事実に囚われると余計に緊張してしまう事を知っているなのはは、どうにかそれを無視しつつ、整えた呼吸で声を紡ぐ。

 

「ちょっと、付き合ってくれるかな」

 

 桃子がなのはに伝えた秘策。

すなわち、ウォルターを誘い、病院内の喫茶店へとお茶をしにいく事をである。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい陽光を取り入れた店内は、白に近い薄色の木々を多く使っていた。

天井近くから取り入れられた陽光は、店内の背の高い観葉植物によって遮られ、その柔らかさを増している。

まるで木漏れ日のような暖かい陽光であった。

自然、落ち着いた雰囲気に僕は少しリラックスしている。

毎日のようにギンガとスバルに私服について小言を言われるので、来てきた服も何時もよりゆったりした感じで、それも一役買っていたのだろう。

 

 一役買うと言えば、香りもそうだ。

木々とニスの匂いが仄かに香る空間に、同時に珈琲の苦い香りが混ざっていた。

木製のテーブルの上にある暖かい珈琲に手を伸ばし、ブラックのまま口にする。

胃の奥までを暖かな温度が支配し、僅かに眠気が頭の中に漂いだした。

暖かな午後の陽気にやられたような気分である。

とまぁ、とてつもなくリラックスしている僕なのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

圧倒的沈黙がこの場を支配していた。

対するなのはは、ガチガチに硬直したまま、殆ど言葉を発していない。

表情筋はこわばった笑顔の形のまま先ほどから全く動いておらず、緊張からか、肌には汗がじんわりと滲んでいた。

何時もは誘わない喫茶店への誘いから、なのはに何か相談事があるのかと思っていたのだが、これではその内容を察することもできない。

まぁ、よくよく考えれば、相談事があるのにわざわざ人が多い場所に行くこともなかろう。

多分、何時もの会話から少し気分転換をしたかったとか、そういうことなのだろうけれど。

 

 と、そこまで思ってから、僕はひょっとして僕の見舞いがなのはにとって迷惑なのではないか、と思い至った。

あの日、なのはが心の炎を取り戻してくれた日までは、まぁ迷惑といっても結果オーライだったと言えよう。

しかしそれからと言うものの、見舞いに訪れるたびになのはは大小なりとも緊張した様子を見せるようになってきてしまったのだ。

僕は今までそれを、僕の信念に共感してくれた人の多くが見せる、僕への畏怖のような物だと考えていた。

その程度なら、親しく接していればそのうち治るだろうと思っていたのだが。

 

 もしかして、普通に僕は苦手意識を持たれているのではなかろうか。

そう考えればなのはのガチガチの緊張も分かるし、この席も特別な物として僕への苦手意識を克服する為なのでは、と思えば分からなくもない。

苦手を乗り越えようとするなのはの前向きな精神には感服するが、ここまで緊張されてしまったならばこの場は去るべきではないか。

暫し、僕も思索に耽る。

 

「……いや、違うか」

 

 口の中で、僕はそんな言葉を転がした。

何故なら、それだとリニスの意味深な行動の意味が通らなくなる。

なのはが僕への苦手意識を克服しようとするならば、本人は一気に一対一で乗り越えようとするだろうが、最初は近くに他の人が居る時の方がいいだろう。

気の利くリニスなら最適の人材だし、緊張して混乱しているなのはは兎も角、リニスはその判断を間違うことはあるまい。

とすれば、なのはは一体どんな感情を抱いているのだろうか。

勘に頼った言い方をするなら、好意的な感情である事は何となく察しているのだが。

 

 ということで、僕は素直な自分に頼ることにした。

仮面を被ってもいいが、やることはどうせ同じだ。

目の前のなのはが困っているようだったら手を差し伸べたいと言うごく自然の感情に従い、口を開く。

 

「遅れちまったけど、なのは、久しぶりにツインテールの所を見たな。似合ってるぞ」

「ふにゃぁっ!?」

 

 何故かなのはは妙な鳴き声をあげ、赤面した。

それはそれで可愛らしい仕草なのだが、この手の言動は無かったことにするのが一番だろう。

僕は何も聞いていませんよ、と言う顔で珈琲をすすり、喉を潤わせながらなのはの反応を待つ。

話しかけられたことが切欠になったのだろう、なのはは両手の人差し指同士でもじもじとやりながら、上目遣いに言った。

 

「ありがとう。せ、折角だから、久しぶりにお洒落してみようかなって思ってね」

「入院生活も長いしな、こういう時ぐらいはお洒落するのもいいんじゃないか? 女の子なんだし」

 

 と、またもや顔を真っ赤にし、ビシッと硬直するなのは。

ぎこちない動きでガクン、ガクンと錆びついたロボットのような動きで姿勢を正す。

それでも背丈が足りず、なのはは矢張り上目遣いのまま僕に視線をやってきた。

僕は一体どう反応すればよかったんだろう、と悩みつつも、なのはの言葉を待つ。

両手を胸に深呼吸し、息を吐ききると同時、キッと目を見開いくなのは。

 

「お洒落って言えば、ウォルター君もだよね。今日は黒尽くめじゃあないんだね」

「まぁ、今厄介になっている家でセンスが無い無い言われ続けたんで、ちょっと気分転換にな。似合ってるか?」

「うん、すっごくっ!」

 

 と言うなのはの顔は、満面の笑みであった。

自然で嘘の無さそうな笑みに、ようやく笑顔を引き出せた、と内心安堵する僕。

自然な笑顔など、ある程度リラックスしていなければ出せはしないものだ。

僕はなのはのリラックスした姿勢を保つ為に、余計な事を考えさせないよう続けて口を開く。

 

「今厄介になっている家に、年下の姉妹が居てな。

妹分みたいなもんなんだが、2人に散々駄目だしされた上に、あっちこっち服を買いに行かされたんだ。

この服は、全部その時の奴になるな」

「へぇ、って一式全部買ったの?」

「あぁ、っつーか、信じられるか? 俺、でっかい紙袋が2つ満タンになるまで買い物させられたんだぜ?

あれは流石の俺でも疲れて挫けそうだったな」

 

 思わず遠い目になる僕。

痛痒という意味では対闇の書戦が一番だったが、疲労という意味ではあの買い物が一番だったかもしれない。

なんだって女の子はあんなに時間をかけて服を選ぶのだろうか。

そんな愚痴が脳内を渦巻くが、それを女の子のなのはに言っても仕方がない。

思考の脇にやり、感心した様子のなのはが口を開くのに耳を集中させる。

 

「そういえば、ウォルター君って今管理局の部隊で働いているんだよね」

「期限付きだがな」

 

 と、僕はゼスト隊での毎日を口にした。

個人指導では僕がゼストさんに教わるだけでなく、隊員に僕なりの対応の仕方などを教えていった事。

デスクワークでは書類形式に慣れておらず、何でか脳筋扱いにされている事。

1日の締めの訓練ができる日は、毎回ゼスト隊対僕とリニスの戦いをやっている事。

辛うじてだが全勝を守っているものの、最近リニスを落とされるようになり、どんどんギリギリになってきている事。

そんな事を興味深そうに聞いてくれるなのは相手に話していく。

するとなのはは、ニコリと微笑んで僕に言ってみせた。

 

「ウォルター君、よっぽど今が幸せなんだね」

 

 意表をついた言葉に、僕は思わずドキリとした。

幸せ。

信念の為に犠牲にしてもいい筈だった事。

今はどうしてか、信念と両立したいと思えるようになってきた事。

様々な思考が脳裏を走ろうとするのを、僕は必死で押し止めた。

そんなシリアスな内容を、やっと心をほぐせたなのはの前で考えるべきではない。

僕は笑顔を作り、口を開く。

 

「そうだな、間違いなく俺は幸せさ」

 

 けれどこれは、作り物の言葉の筈なのに。

なのに何故か、まるで本当の事を吐き出せたみたいに、顔が自然に暖かな笑みを形作る。

それに釣られるように、なのはもまた花弁が開くような華やかな笑顔を浮かべた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ウォルターの言葉は、意外性に満ちていた。

ウォルターが何か言う度に、知れば知るほどウォルターの新しい面が発見されていく。

そしてなのはは、その新しい面に驚くと同時、どんな面もが好ましい物に思えてくるのを感じたのだ。

特に、なのはは今までのウォルターが満足いく生活をしているのだと思っていた。

けれど、実際のウォルターは違う。

ウォルターは、僅かながらも帰ってくる場所を欲しがっているようになのはには思えた。

ナカジマ家やゼスト隊など、暖かな場所に顔をほころばせ、幸せいっぱいの笑顔を浮かべるようになったのだ。

 

 何故だろう、なのははそれが自分の事であるかのように嬉しくてたまらなかった。

ウォルターが幸せであると言う事を思うだけで、胸の中がぽっと暖かくなる。

まるで羽が生えて飛んでいってしまいそうなぐらいに、心がふんわりとするのだ。

ウォルターのくれる炎とはまた違う、もっと緩やかで、だけど安らぎのある感情であった。

そんな感情に身を委ねていると、なのはは自身の中に一つの感情が生まれ出てくるのを感じた。

 

 ——私も、そんな場所の一つになりたいな、と。

 

 何故だろうか、してあげたいという思いよりも、なりたいという感じの方がしっくりきた。

こんなに暖かな感情を貰っているのだから、なのはだってウォルターの事を同じぐらい安らかな感情に満たしてやりたい。

いや、それも僅かに違う物言いのようになのはには思えた。

そう、あえて言葉にするなら。

一緒に、幸せになりたい、と。

そう、なのはは思うのだ。

 

「ねぇ、ウォルター君」

 

 ウォルターが一通り話し終えた辺り、僅かな沈黙を経てなのはは言った。

珈琲を口にしていたウォルターが、カップを起き、柔らかな視線をなのはに向ける。

心臓が脈打つ速度が早くなるのを、なのはは感じた。

胸が熱くて、今にも融けだしてしまいそうで、だからなのははそれを少しでも留める為に胸に手をやる。

少しだけ、服の上からきゅっと握りしめた。

すると少しだけ安心感が心の中に浮かんできて、なのはは緊張せずに話せる自信が出てくる。

 

「ウォルター君の話をたっぷり聞かせてもらったからさ。

今度は、私が自分の事を話してもいいかな」

 

 ウォルターが安らぐ場所になりたい。

その為にはなのはは、まずは自分のことを知ってもらわねばならないだろう。

何故なら、知らない場所で安らげる人は稀だ。

だからなのはは、自分の事を言葉に紡ぐ。

まだこの胸の暖かさは、言葉にできないし、だからこの感情の事を話す事は不可能だけれども。

けれど、できる限りの自分を知ってもらいたい。

そんな思いを、なのははウォルターにぶつけたのだ。

 

 以前にも話した事も混ぜて、なのはは多くの事柄を喋った。

原初の想い、父士郎が大怪我をした時の言い表し様のない寂しさ。

それを抱えながら生きていった事。

すずかやアリサとの出会い。

2人との他愛のない会話。

魔法との出会い、フェイトと、そしてウォルターとの出会い。

心に宿った想いと炎。

ヴォルケンリッターとの出会い。

再び現れたウォルターが、どれほど心強かったか。

はやてとの出会い。

ウォルターの極限の戦いを見て、心で繋いだ炎のバトン。

そして、管理局入りを目指す間、常にウォルターが心の目標にあった事。

訓練校で負けてしまったけど、落ち込むよりも目指す場所の達成のしがいに、フェイトと2人燃え盛った時。

武装隊での辛かった事、楽しかった事、なんでも様々。

そして。

そして。

 

 ——そして、今日この日、ウォルターと一緒に居られた幸せ。

 

 最後の一つだけは言葉にできなかったけれども、他の事をなんでもなのはは話した。

ウォルターはとても興味深そうに、そして嬉しそうになのはの話を聞いた。

一つ一つのエピソードに真剣に感じ入り、一緒に悲しみ、一緒に楽しみ、一緒に燃え盛った。

そうこうしているうちに、なのはは長い時間が経っている事に気づく。

気づけば暖かな昼の日差しは、夕焼けの赤のベールに覆われ始めていたのだ。

ハシャいで恐ろしく長時間喋ってしまった自分に、なのはは頬が赤くなるのを自覚した。

それを覆い隠してくれる夕焼けに、なのはは感謝する。

 

「そ、そろそろ、時間だね……」

「ん、あぁ、もうこんな時間か」

 

 時計にちらりと視線をやるウォルター。

時計の皮のベルトは矢張り黒く、ウォルターが黒好きである事をなのはは再確認した。

 

「ごめんね、長々と付きあわせちゃって。

それに、私ったら最初は全然喋れなかったし、後半は逆に喋ってばかりだったし……」

「いや、楽しませてもらったよ。って事で、感謝の念として、会計は俺のおごりな」

 

 言って、ウォルターはすっと伝票を取り上げてしまう。

しかし、なのはとしてはむしろウォルターに楽しませてもらってばかりで、こちらこそおごりにしたいぐらいだ。

なのでなのはは、咄嗟に伝票に向かって手を伸ばす。

 

「あっ」

「ほい」

「んっ」

「ほい」

「にゃっ!」

「ほいっと」

 

 が、ウォルターはその超常の戦士の力を大人気なく発揮。

次々となのはの手を回避すると、ニコリと男らしい笑みを浮かべ、告げた。

 

「ま、今日の所は俺のおごりって事で我慢してくれ。そうだな、男の甲斐性って事にしてくれ」

「お、男の甲斐性……?」

 

 言われて、なのはは思い当たる。

今日はおごりな、と言う台詞からして、まるでデートをしている男女の男の台詞のようではあるまいか。

ばかりか、手を伸ばした姿勢で、今までよりも遥かにウォルターに近い位置になのはは居た。

ウォルターの気づきにくい呼吸が、ほんの僅かになのはの肌を撫でていく。

ウォルターの吐いた息を吸っているのだと言う事実に、なのはは頬を林檎のように火照らせた。

 

「……わ、分かったよ」

 

 暫し苦悩した後、なのははそう言って引き下がった。

本当に今が夕焼けで良かった、と思いつつ、口から出てきそうな心臓をなのはが抑えている間に、ウォルターが会計を済ませる。

その姿をちらちらと見ているなのはの元へ、レジからウォルターが戻ってきた。

 

「なんか調子悪そうだけど、もし辛いようなら車椅子まで抱いて戻そうか?」

「……っ!?」

 

 なのはは、思わず目を見開く。

なのはの脳裏にお姫様抱っこの光景が過ぎった。

腰と膝に回る、ウォルターの大人顔負けの逞しい腕。

頬を当てられるぐらいに近くになる、ウォルターの厚い胸板。

仄かな汗の香りまでなのはの脳裏では妄想され、それを振り払おうとなのははブルブルと頭を振った。

 

「だ、大丈夫、楽勝だからっ!」

「あ、あぁ、そうならいいんだが……」

 

 冷や汗をかくウォルターを尻目に、なのはは一人ではない状況でごく短時間であれば使用許可をされている飛行魔法を発動。

体を浮かせ、車椅子に座らせる。

勿体無かったかな、と言う思考を強引にねじ伏せながら、なのははウォルターが押す車椅子に乗りつつゆっくりと病室へ戻るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夜闇に包まれた、ナカジマ家の客室。

暖かな色の照明が、白い壁紙と木製の家具とを照らしている。

僕とリニスが寝ている2つのベッドもまた、電球色の光のベールを被せられていた。

 

 僕は、視線を窓の外の星々に向け、今日一日の事を思い出す。

そうしてみて矢張り思い起こされるのは、なのはの事であった。

昼過ぎに見舞いに行って、すぐにリニスが退出してから夕方まで数時間、僕はなのはと2人きりだった。

なんだか妙な反応をするなのは……いや、そう考えるのは最早欺瞞か。

僕は、素直な言葉を零してみせる。

 

「俺は、どうやら相当なのはに懐かれたらしいな」

「……そう来ますか」

 

 額に手をあて、天井を仰ぎ見るリニス。

そんな反応が来そうな事は予想していたので、加えて言葉を続けた。

 

「いや、それ以上であるらしいって事は分かっている。

ただ、それに上手い言葉が見つからないんだ。

なのはが俺を見る目は、俺がクイントさんを見る目に似ているように思えたんだがな」

 

 言うと、今度はリニスが目を見開いた。

顎に手をやり視線を膝下に落とし、考えこむリニス。

暫く経つと、複雑そうな視線を僕へ。

 

「そういえば、貴方の勘は相当な物だったのでしたね」

「勘……。これは、ただの勘で、何時もの勘とは違うみたいだがな」

 

 勘。

僕がそう呼んでいる物の大方は、もしかして僕のレアスキルの一種なのではないかと僕は睨んでいる。

何故かと言えば、魔法が関連する事柄についての勘が、他の類の勘に比べ物凄いよく当たるからだ。

僕が勘に頼って出歩いていて、魔法犯罪に出会う事は多くとも、質量兵器犯罪に出会う事はそうでもない事もある。

その事から、僕は自分のレアスキルが何なのか、大凡の検討をつけ始めていた。

と、そこまで考えて、僕は思考が他所へ行っている事に気づき、思考を元に戻す。

 

「しかし、リニスがそう言うって事は当たっているんだな?」

「まぁ、そう言って構わないでしょう」

 

 含みのある物言いであった。

それに僕の内心にさざ波が立つが、言語化されるよりも早くリニスが口を開く。

 

「それで、そんな感情を向けられた感想は、何かありますか? ウォルター」

「感想? 感想ねぇ……」

 

 僕は視線を漂わせながら、腕組みして思索に耽る。

なのはの感情は、好意的ではあるが、同時にそれ以上の何かを孕んだ物であった。

それを思うだけで、胸の奥が暖かくなるのを僕は感じる。

瞼を閉じて思い出すと、なのはの少しだけ頬を火照らせた、とてつもなく可愛らしい表情が思い浮かんだ。

胸が小さく鳴り響くのが、聞こえた。

 

「嬉しかった、かな」

 

 告げ、瞼を開くと、リニスは微笑みを僕に向けている。

僕の顔もまた、気づけば心の奥の暖かさが漏れでてしまったかのように、笑みを形作っていた。

念のため、隠匿念話を発動し、リニスに話しかける。

 

(僕じゃあなくて“俺”に向けられる感情は、所詮紛い物に向けられてしまった感情なんだって分かっている。

好意的な感情であれば、それを僕は裏切っているんだって分かっている。

それは罪だと自覚すべきで、素直に喜んでしまってはならないんだって分かっている。

でも、それでも)

 

 その後の言葉は、どうしてか、この口で言いたくて。

一旦念話を切って、大きく息を吸い、言った。

 

「本当に……、嬉しかったんだ」

 

 言ってから、急になんだかそんな事を素面で言えてしまう自分が恥ずかしくなってくる。

電球色の照明で、頬の赤みはどうにか隠れてくれるだろう。

ナカジマ家に泊まるようになってから、すぐに頬が赤くなりやすくなってしまい、困ることこの上なかった。

そんな僕に、リニスは破顔。

就寝前と言う事で帽子で隠れていない、猫耳が左右に揺れる。

隠匿念話。

 

(それはきっと、滲み出る貴方自身を好いてもらえているからではないでしょうか。

いかにUD-182を仮想した仮面とは言え、完全に彼をトレースできない以上、ウォルターの色が滲み出るのは仕方がないです。

特にナカジマ家やゼスト隊に居心地の良さを感じているのは、ウォルター自身の感情でしょう?

それを言って尚好かれているのが、嬉しいのではないでしょうか)

 

 言われて、考えてみる。

僕自身。

ネガティブで、強い以外に何の取り柄も無い、へなちょこな僕。

ばかりか、紛い物の仮面で世界中を騙し続けている僕。

そんな僕自身が、もしも好いてもらえるのだとすれば。

例えそれが、仮面を見抜けぬ勘違いから来る物だとしても。

それは、とても嬉しい事なのではないだろうか。

そんな思いからか、僕の口は自然と動いていた。

 

「そうかも、しれない」

 

 衣擦れの音。

リニスがベッドを抜け出し、寝間着のまま僕のベッドに腰掛ける。

僕の体に彼女の腕が回され、ぎゅ、と抱きしめられた。

体温と体温が触れ合うのを、感じる。

物理的な暖かさ以上に、心が暖かった。

 

「日常も、いいでしょう?」

 

 脈絡ない言葉であった。

けれど、すぐになのはの好意を嬉しいと思う自分が、僕が日常を求める事にとても近い場所に位置する事だと分かって。

僕は、無言で頷いた。

リニスの片手が僕を抱きしめるのを止め、代わりに僕の頭へと移動。

髪に指を絡めさせながら、僕を撫でる。

 

「ウォルター、こんな事を言われると、貴方は怒るかもしれませんが。

寿命の問題もあるのです、日常を求め剣を置くのも、一つの選択肢なのではないでしょうか」

「それは……」

 

 僕は言いつつ、黙りこんでしまう。

一瞬後、そんな反応を返す自分に驚き、目を見開いた。

今までの僕であれば、例えリニスが相手であったとしても激高して然るべきだ。

なのになんだろう、この反発心の少なさは。

僕はそんな自分に危機感を覚えるが、それすらもリニスの体温の暖かさが流していくようであった。

 

 僕は、必死でUD-182の顔を思い起こす。

僕によく似た、しかし内に秘める精神が表情を全く別物に見せる、あの凄まじい表情の男を。

けれど、それすらも今日のなのはの可愛らしい笑顔に流されていくようで。

それでも必死でUD-182の顔を想うも、最後にはクイントさんの笑顔がかき消していく。

そればかりか、僕は思ってしまったのだ。

胸の中にある想いが暖かくて、嬉しくって、あまりにも輝かしくて。

今まで僕は、一体何に駆り立てられてきたんだろう、とすら。

 

「……今すぐには、決められない」

 

 驚くべき事に、僕はそうとしか言えなかった。

同じく驚いたリニスが、目を見開く。

直後感じ入った物があったようで、リニスは再び両手を使い、力いっぱいに僕の事を抱きしめた。

少し痛いぐらいの強さで、包み込まれる僕。

 

 今この瞬間、僕は何もかもが上手くいくかのように思えていた。

全てが、この胸の中と同じように、安らかにいくかのように思えていた。

それはきっと、リニスも同じなのだろう。

精神リンクで繋がるリニスの内心もまた、僕と同じような思いがあると告げていた。

 

 僕は、視線を再び外の夜へとやる。

月光がまるで祝福を与えてくれるかのように、僕へと降り注いでいた。

その時、僕の胸の中を、薄っすらとした不安が駆け巡る。

勘に近い物があった。

けれど僕は、それを重要な物とは捉えなかった。

胸の中に確かにある安らぎが、これから全て上手くいくと告げていて。

僕自身も、気づけばそれを信じたくなっていたからだ。

 

 ——いつの間にか随分と内心が変わってしまった自分に、僕は小さな苦笑を漏らすのであった。

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。