仮面の理   作:アルパカ度数38%

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4章6話

 

 

 陽光を遮る物の少ない、硝子張りの建物だった。

わずかに青味がかった硝子が、陽の光を少しだけ柔らかに、中に居る人々へと差しかけてくれる。

吹き抜けになった中央には、都会にある物とは思えない程巨大な植物が植えられていた。

中でも目に付くのは、巨木だ。

大人二回り分ぐらいはあろうかと言う幹が、そこら中にびっしりと苔を張り付かせながら、堂々と青空へ向かって伸びている。

その青々とした葉が、これがまた上手い具合に光を遮ってくれ、美しい木漏れ日が床に影絵を描いていた。

ミッドチルダ中央第3次元港。

様々な次元世界へ向けて次元転送や次元航行ができる、次元世界の港であった。

 

「やれやれ、結局ナカジマ家には一ヶ月以上滞在したのか」

「ふふ、良い休暇でしたね」

 

 上品に口元へと手をやりながら言うリニスに、僕は肩をすくめて答える。

なのはのお茶会から一週間近く。

僕らはゼスト隊への訓練参加を終え、無事に今まで通りの無職に戻った訳だった。

……無職と言うと、無闇に心が痛むのは、何故だろうか。

賞金稼ぎ賞金稼ぎ、と脳内で字面を変換しつつ、僕はキャリーバックに僅かに体重をかけ、首に手を。

ティルヴィングに触れながら、僅かに回想に耽る事にする。

無論、ティルヴィングの抗議の意を込めた点滅は無視して、だ。

 

 僕は結局、自分がクイントさんにどんな感情を抱いているのか、分からなかった。

その事をきちんと解明できなかった事に不安が無いと言えば、嘘になる。

信念を貫くために結局障害が生じている事には変わらず、その原因を特定する事ができていないのだ。

自分の無力さに打ちひしがれない訳が無かった。

 

 けれど、だけれども。

この一ヶ月で僕の胸の中に生まれた物は、それだけじゃあなかった。

これまで僕には縁のない物だと考えていた、暖かな感情が、山ほど僕の内側に積もり積もっていたのだ。

それはまるで一つ一つが穏やかに燃えているかのようで、その感情を想うだけで胸の奥が暖かくなる。

そうすると、不思議と今までの自分が一体何に駆り立てられてきたのか、分からなくなってくるのだ。

それぐらいに暖かな感情は、僕の胸をいっぱいにした。

 

 今の自分が中途半端な状態だと言うのは、誰に言われずとも分かっている。

信念を貫くのか、この胸の中の暖かさの為に生きるのか、僕は結局どっちも選んでいない。

けれど、僕の中の慎重さが、この感情の名前すら分かっていないのに、それを人生の指標にしてはならない、と告げていたのだ。

故に僕は、宙ぶらりんの状態のまま、ミッドを出ようとしている。

 

『マスター、私を弄ぶのは止めてください。私は玩具ではなくデバイスです。戦いの道具です』

「はいはい」

『口頭だけでなく行動でも示して欲しいのですが』

「はいはい」

『私はアームドデバイスですが、インテリジェントデバイスAI保護団体に訴えれば保護の可能性は十分にあり……』

「はいはい」

 

 ティルヴィングの台詞を聞き流しながら、僕はくすくすと微笑むリニスと共に次元転送ポートの順番を待つ。

靴の踵の高鳴る音が様々な方向に飛び交うのを聞きながら、僕とティルヴィングとリニスは静かに佇んでいた。

僕は硝子越しに、遠くに見えるクラナガンを見据える。

久しく、僕の胸を郷愁が襲ってきた。

何故だろう、これまで一ヶ月なんてもんじゃあない時間を此処で過ごしてきた筈なのに、こんなに胸が締め付けられるような感覚になるのは初めてだ。

矢張り、ここで幸せな思い出を得る事ができたからだろうか。

そういえば、リニスと主従の関係になったアースラを離れる時も、少し胸が切なくなったのを思い出した。

薄っすらと涙を浮かべる僕に、近くに居たクロノが飛び上がらんばかりに驚いたのを覚えている。

ならばきっと、そういう事なのだろう。

良いか悪いかはまた別の機会の判断すればいい。

僕は思索を胸の奥にしまい込み、キャリーケースに預けていた体重を戻し。

 

 ――その瞬間だった。

 

 ぞ、と。

背筋に液体窒素を放り込まれたような、極大の悪寒。

リニスの念話を感知する寸前に比類しうる、恐るべき凍土の侵略。

僕は咄嗟にどんな魔法を使えばいいのか、勘に全てを任せ、ティルヴィングを握り締める。

それが、幸いした。

何の因果か、かつてリニスを救った時と同じ、念話受信強化の魔法が発動する。

と同時、聞き慣れた、あの活力に満ちた瑞々しい声が脳内に響いた。

 

(助けて、ウォルター君っ!)

 

 動揺が胸を襲うが、手だけは冷静に動いており、声は録音、魔力パターンの波形も記録しクイントさんのそれと照合をしていた。

結果は合一。

ティルヴィングに視線を。

 

『逆探知はできています』

「よくやったな、ティルヴィング」

 

 普段はともかく、シリアスな場面になればティルヴィングと僕のコンビネーションは完璧だった。

ミッド郊外の、一見何もないような場所が発信元であった。

転移魔法で飛べばいいのだが、念話がすぐに途切れて繋がらず、咄嗟に展開した転移検証魔法で失敗し、何らかの理由で転移はできないと分かった。

僕は何もかもなげうって、今すぐ高速飛行魔法を発動し、硝子窓をぶち破っていきたい気持ちをどうにか抑える。

視線をリニスへ。

僕が何を言うでもなく、彼女は対話式ウィンドウを出し僕の知り合いの管理局高官と念話していた。

頷き、彼女は告げる。

 

「緊急飛行許可の申請を今出しています。応援の要請から荷物や貴重品の管理まで、バックアップは任せてください」

「恩に着るぜ、リニス」

「何時もの事ですよ」

 

 言って、僕は狂戦士の鎧を発動、黒いアンダースーツの上に黒いコートを纏った何時ものバリアジャケットを展開。

超絶の見切りで客でごった返しになっている中を走りながら駆け抜けていく。

警備員の声。

 

「待ってください、何事ですかっ!」

「死にかけている人の救助に行かねばならない、局の許可は取ってある、通してくれっ!」

 

 叫びつつ僕は、ある程度人が道を開けてくれた時点で縮地を発動。

外に繋がる場所に出た瞬間にティルヴィングを展開、飛行魔法を発動し、蒼穹へと飛び立つ。

タッチの差で先に飛行魔法使用許可の念話がリニスから届いていた。

 

 心の中は、焦りで一杯だった。

確かにクイントさんはかなりの強者であり、地上でも指折りの実力者である事に間違いない。

しかしクイントさんは自分の仕事に誇りを持っている人だ、ちょっとやそっとのピンチでは僕に助けを呼ぶ事など無いだろう。

僕の脳裏に、クイントさんの顔が思い浮かぶ。

続いてゼストさん、メガーヌさん、他の隊員の人たち。

誰もがあの暖かな空間に居た人々で、僕の思い出を作ってくれた人々だ。

頼む、無事で居てくれ……。

必死でそんな願いを思い浮かべながら、僕は飛行魔法を続けていた。

 

 港を出て、制限速度に悩まされながら市街地を出るまで、高度を取りながら加速する。

緑が多くなってきた辺りでリニスから高速飛行許可の念話が来て、僕は飛行速度を一気に引き上げた。

最大速度の半分近くまで出た辺りで、減速を開始。

雲をいくつも突っ切りながら高度を下げ、目的地へと正確に近づいていく。

 

 線分と化していた風景が徐々にはっきりと見えるようになってきた。

ようやく目的地が見えてきて、僕は望遠魔法でそこを拡大して見る。

そこは、洞窟のようだった。

あまりに似ているので、一瞬僕は“家”の事を思い出してしまうが、あれはミッドはミッドでも此処とほぼ反対側の北部にあった。

それにしても似ているので、嫌な思い出が思考の片隅を過る。

光を無くした目が反射する照明。

股や尻から垂れ流された精液の臭い。

打たれて青くなった痣。

折れた骨が肉を突き破り、そこから漂う血の臭い。

 

 と、そんな事を考えていると、爆発音がする。

同時、洞窟の中から火が噴き出た。

その爆風に煽られて、人間の体が3つ、外に飛び出る。

慌てて望遠魔法を動かすと、見慣れた顔が見当たった。

ゼスト隊の隊員であった。

 

「お……おぉぉぉおおぉっ!」

 

 絶叫しつつ、僕は減速を継続。

望遠魔法を取りやめ、ブレーキを強くし、足先が地面へ。

土を抉りつつ停止、数歩走りだし、一番近くの隊員、エクセルさんを抱き起こす。

 

「エクセルさん、大丈夫かっ!」

 

 呆然とした表情で、エクセルさんがゆっくりと僕を仰ぎ見る。

その顔は、酷い物だった。

頬は焼けただれ、耳朶は抉れ、片目は瞼が無くなり閉じる事すらできなくなっている。

残る左目でエクセルさんは瞬きをし、それから急に目のピントがあったかのように意識をはっきりさせた。

 

「ウォルター君、か、クリオは、テムプラは……?」

「2人は……」

 

 先ほど顔を視認した僕は、視線をそちらにやる。

クリオさんは上半身と下半身が別れ、上半身から蛇の尻尾みたいに内蔵がはみ出ていた。

テンプラさんは両腕が無くなっており、心臓があるだろう胸部が消しゴムで消したみたいに抉られていた。

僕は再び視線をエクセルさんに戻し、首を横に振る。

 

「そう、か」

 

 一瞬エクセルさんは視線を遠くへ。

すぐさま僕に視線を戻す。

 

「いいか、ウォルター君、敵はAMFを使う、気をつけろ。

クイント副隊長は、最初の十字路で右に行ったが、そこで俺は別れてしまった。

此処に居るのはメガーヌ分隊の3人だけだからな、AMF下じゃあまともな念話も通じなかった、そこからは分からない」

「いいんだ、エクセルさん、これ以上喋るな!

すぐにクイントさん達を助けてきて、あんたも病院に……!」

 

 そう言って遮ろうとする僕に、エクセルさんは目を見開き、叫んだ。

 

「いいか、ウォルター君、君なら必ずクイント副隊長を助けられる、諦めるなよ、少年っ!」

 

 その言葉は、最初の事務仕事の日に僕の肩を叩きながら“まぁ頑張れよ、少年”と告げた時と同じ調子だった。

それだけ言うと、エクセルさんは全身から力を無くす。

エクセルさんは死んだのだ。

僕は一瞬呆けてしまったけれど、すぐに唇を噛み締め、それからエクセルさんをそっと地面に置き、左目を閉じさせる。

しかし瞼の無い右目は閉じさせる事すらできず、永遠に見開いたままであった。

僕は数瞬瞼を閉じ祈ると、すぐさま立ち上がり、洞窟の中へと飛び込んでいく。

 

「ティルヴィングっ!」

『バリアジャケット、耐火性A+付与。消火魔法発動』

 

 黄金の巨剣の剣先から、緊急用の消火魔法が発動。

道を燃やし尽くす炎を弱め、その隙間を縫って僕は奥へ奥へと進んでいく。

放水に比べると威力は劣るが、その分を魔力で強引に補っている為、効果は覿面であった。

 

 洞窟内部は、“家”より更に新しい機材で埋め尽くされた、機械的な施設であった。

炎にてらてらと照らされた金属質な光沢の中、機械型の浮遊した兵器がこちらへと向かってくる。

中心のコアとみられる球体が明滅、こちらへと光弾を放ってくる兵器達。

 

「遅いっ!」

 

 叫びつつ僕は光弾を回避、瞬き程の時間で複数の兵器を切り裂きながら先へと進む。

エクセルさんから教わった十字路を右に進むと、すぐにこの兵器の製造ラインと思わしき巨大な部屋に出た。

広い空間だけあって無数に存在する兵器達が、こちらへと殺到。

視界が埋まる程の光弾を放ってくる。

 

「邪魔……」

『パルチザンフォルムへ変形。突牙巨閃、発動します』

「だぁぁっ!」

 

 絶叫。

巨大な白い砲撃を放ち、光弾を吹き飛ばす。

どころか、僕の膨大な魔力を用いてAMFを強引に突破。

その奥にある兵器を破壊し、更に僕へ両手でティルヴィングを握り締める。

 

「おおぉおぉっ!」

 

 そしてそのまま、かつて竜巻に対しそうしたように、砲撃を振り回してみせる。

それはおそらく、白い強大な光の剣でなぎ払うのに似ていただろう。

減衰を計算して壁まで破壊しない程度の威力に止め、次々に兵器を破壊。

この部屋に居る分を全て破壊した辺りで、僕は早速奥へと進んでいく。

と、思ったその瞬間である。

 

「――っ!?」

 

 悪寒と共に飛び退いた僕。

その寸前まで居た場所で、金属音と共に火花が散る。

ステルス迷彩か、と舌打ちしつつ、僕は切りかかろうとするのを既の所で思いとどまり、跳躍。

背後から迫っていたステルス兵器の攻撃が、金属床を叩く。

 

「くそ、何体居るんだ、キリがねぇぞっ!」

『…………』

 

 とりあえず場所の分かっている2体に直射弾をお見舞いして破壊、ステルスが解けるのを見て兵器の形状を確認。

そこまではいいのだが、そうこうしているうちに何もないように見える空中から光弾が発生し、こちらへと飛んできた。

これで飛行ができなければまだ何とかなったのかもしれないが、これではどうしようもない。

舌打ちしつつティルヴィングで弾き、返す刃を直感で横に振るって更に一体を破壊。

どうすればいいのかと言えば、音で判別すればいいのだが、それには相手が動くまでこちらが待つ必要がある。

クイントさんを助けに行かなければならない僕としては、可能な限り急ぐ必要があると言うのに。

いっそのこと、命を賭して突っ切るべきだろうか。

そんな事が思い浮かんだ、その瞬間であった。

ティルヴィングの緑の宝玉が明滅する。

 

『マスター、例のレアスキルを試してみては如何でしょうか』

「だけど、AMF……いや、あれは魔力の結合を阻害するだけで、魔力素そのものに影響を与える物では無かったか」

 

 自問自答し、僕は一瞬瞑目した。

迷っている暇は無い。

直感に身を任せ、目を見開いた。

 

「行くぞ、ティルヴィング」

『了解しました、マスター』

 

 言って、僕は微細な加工を施した魔力素を放出。

空間に散布する。

5秒ほどそうしていたかと思うと、僕は突如更なる深部へ繋がっていると思わしき扉へ向かって飛行を開始した。

瞬間、霊感に従い僕は航路を鋭角に左へ変更。

その背後に鋭利な物が空を切る音を置き去りに、僕は扉へと兵器達を避けながら進んでいく。

 

 僕の勘の大凡半分は、僕のレアスキルに依る物だと僕は考えた。

そのレアスキルを、僕は単純に第六感……シックスセンスと呼んでいる。

効果は単純明快、魔力素の流れがとてもよく分かるだけである。

しかし情報として脳がそれを受け取っても、それを表現する器官は人間には存在しない。

いわゆる第七の感覚、魔力の目と言う感覚で処理できる量を完全に超えた情報量なので、普通の魔力感知とはまた別の感覚として受理される。

それが第六感……、要するに勘として僕の脳に降りてきているのだ。

 

 要するに、対リンカーコアを持っている生物限定で勘が鋭くなるレアスキルである。

そう言うとなんだか微妙な能力に聞こえるが、魔導師は当然全員リンカーコアを持っている。

ばかりか非魔導師も微弱な上休眠しているだけでリンカーコアを持っているとされているので、効果は少ないとは言えあると思われる。

つまり、シックスセンスは人類全員に対して効果のある勘なのだ。

勿論これ単体で戦闘の役に立つスキルでは無いが、僕の戦闘能力と合わせればとてつもない効果が得られるのは分かるだろう。

今の僕の使い方は、魔力素に簡単なマーキングを施し察知しやすくし、部屋中にまき散らしただけである。

これによって、リンカーコアを持たない兵器の動作自体は分からないものの、それを包む魔力素の動きが分かるので、擬似的に勘を鋭くする事ができるのだ。

とは言え、まだ他の積極的用法が一つも浮かんでいないのだが。

 

 そんな事を思考しながら、僕は奥へ奥へと進んでいく。

邪魔な兵器達を乗り越え、時には切り捨て、奥へ奥へと進んでいく。

すると、視界の奥に、血で汚れたとは言え、見覚えのある青い髪が見つかった。

 

「クイントさんっ!」

 

 叫びながら僕は地面に降り立ち、駆け寄る。

血に濡れて尚美しいその顔が、呆然と僕の方へと向いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ストライク・アーツは対人技であるが故に、呼吸や行動の前兆を隠す複雑な技も多い。

だが、目の前の機械相手では、そこまでの技は必要無く、単純なフェイントで十分だった。

歯と歯がガチッと噛み合い、万力を全身に伝える。

両手のデバイスが脈動、衝撃を増幅して相手に伝える、シンプルな魔法を発動。

 

「らぁぁっ!」

 

 地平線まで吹っ飛ばすつもりで、クイントは目の前の兵器を殴り飛ばした。

本来なら収束した超常の衝撃により、目の前の兵器は豆腐のように容易く貫かれる筈であった。

が、その威力は成人女性の腕力の限界を、多少超える程度。

故に兵器はそのコアにヒビを入れるに留まり、数メートル後退するだけで停止する。

最も弱い、扁平な長方形の両端に半円を足したような兵器でさえ、これである。

AMF、アンチマギリンクフィールドの効果は絶大であった。

これで相手が数体程度なら兎も角、辺りにはクイントが見回す限り数十台の兵器が並んでいる。

一体一体が発動するAMFは凄まじい濃度を誇っており、対策をしていなければAAAランク未満の魔導師では魔法を発動する事すら難しいだろう。

クイントも近接型である故になんとか魔法を発動できているが、それも殆ど意味を成さない。

何より。

 

「痛ぅ……」

 

 クイントの両拳からは、既に幾筋もの血が流れていた。

床には血飛沫の斑点がいくつも並んでおり、その傷が幾程か前からあった事が知れる。

クイントの両拳は、半ば壊れていた。

確実に骨は折れており、今の打撃もクイントの中に身悶えするような痛みを伝えている。

加えて疲労は限界を超えており、足も子鹿のように震え、今にも倒れんばかりだ。

だが。

それでも、クイントには倒れてはならぬ訳があった。

 

 ――娘達が家で待っている。

 

 それを思うだけで、クイントは心の奥が燃え盛るような感覚を覚えた。

筋肉の火照りとは全く別の、胸の奥底から湧いてくる熱量。

ぬるま湯のようだった吐息が、炎のそれとなっていく。

僅かに開きすぎていた指が、強く握りしめられ、絶妙な脱力へと移行していった。

 

 娘達はクイントにとって宝であった。

何よりも待ち望んだ物であり、生きる意味の多くを占める物であった。

だが、それだけではなく、娘達はクイントにとってもう一つ特別な意味がある。

ウォルターとの絆だ。

初めてウォルターに心の底から燃え盛る本当の炎を託された時、クイントはウォルターを息子のように思おうとしていた。

その感情に、断じてそれだけではないが、焦りや劣等感が多くを占めていたのも事実である。

クイントは子供を作れないショックを、確かにゲンヤに癒された。

だが同時に、ウォルターにその膿を燃え盛る炎に変えてもらえたのだ。

そしてその待望の子供が、ギンガとスバルである。

そこに絆を感じず、何を感じようと言うのか。

 

「まだ……まだよッ!」

 

 叫び、クイントはウォルターから受け継いだ魔法を発動する。

狂戦士の鎧。

肉体の内部で完結する上、技術的難易度の低いこの魔法はAMF下でも発動する事ができた。

とは言え、それを有効活用しようとするには驚異的な痛みへの耐性が必要である。

事実、ウォルターは麻薬などで痛みを麻痺させなければ狂戦士の鎧を使えないと考え、狂戦士の鎧の譲渡にはかなり慎重だ。

しかし今の燃え盛る心であれば。

同じウォルターから継いだ物であれば、クイントにはそれができるように思えて。

クイントは、僅かな微笑みと共にその魔法を発動する。

 

 微かな違和感と共に、バリアジャケットがクイントの内部へと侵食した。

臓器を、血管を、骨を、神経を、バリアジャケットが覆い尽くす。

文字通り、死ぬか魔力が切れるまで戦い続けられる魔法が、今自分を覆っているのだ。

そう考えるだけで悪寒が走るクイントは、今までこれを幾度も使ってきたと言うウォルターの恐るべき精神力に畏怖を覚えた。

いくらウォルターが人間らしい弱さを併せ持っているからと言っても、矢張り総合的に見れば彼は自身より格上の精神を持つ存在のようにクイントには思える。

先ほど明らかに部下を守りきれず、死なせてしまうであろう事が決まりきった時、思わずウォルターに助けを呼んでしまった事も、それを助長していた。

クイントはそんな思いを拭い去りつつ、構えを取る。

 

 その直後であった。

クイントの目前に、何の前触れもなく遠距離通信の仮想モニタが現れた。

驚きに目を瞬くクイントの前に、すぐさま白衣の男の映像が現れる。

紫の髪に金の瞳。

次元世界中で指名手配されている、違法研究者。

 

「ジェイル・スカリエッティ……っ!」

「おや、自己紹介の手間は省けるようだね、クイント・ナカジマ」

 

 芝居がかった口調で言うスカリエッティに、クイントは歯噛みした。

このプラントの異常な技術力に疑問は持っていたが、それがこの男相手であったのだとすれば全て納得がいく。

スカリエッティを今の自分では逮捕できないだろう事に悔しさを感じながら、すぐにクイントは思い至った。

何故、私に通信を。

疑問詞が浮かぶと同時、それを見越したように口を開くスカリエッティ。

 

「何、見知った魔法を見て、驚いてしまってね。思わず話しかけてしまったよ」

「見知った……?」

 

 オウム返しに聞くクイントに、スカリエッティは僅かに目を細めた。

そこに、クイントは嫌悪の臭いを感じる。

 

「あの失敗作……UD-265の作った、失敗作魔法だろう?

やれやれ、あんな麻薬中毒の使い捨て兵士を量産する原因となる魔法を作るなど、矢張りアレの脳はたかが知れているね」

「失敗、作……?」

「おやぁ、知らなかったのかい?」

 

 言いつつ、スカリエッティは笑みを顔に浮かべた。

芝居がかった様子白衣を翻しながら、一回転。

アップになりつつ、何処か演技がかった笑みを浮かべ、叫ぶ。

 

「今はウォルター・カウンタックと呼ばれているアレは、私の監修したプロジェクトHの失敗作なのだよ!

あぁ、プロジェクトH!

あれほど詰まらない研究など、この世に果たして存在しただろうか!

全く、スポンサーの要望でさえなければ、私は絶対にあんな最低の研究などしなかっただろうね」

 

 告げるスカリエッティの顔には、本物の嫌悪が混じっていた。

そんなスカリエッティを呆然と見つつ、クイントは頭が鈍く回転しだすのを感じた。

ウォルターの7歳以前の経歴は、管理局の手を持ってしてさえも不明である。

それを成すにはかなり深い裏の世界との関わりがなければならないが、7歳のウォルターは然程裏の世界にコネがあるようには見えなった。

つまり、ウォルターは経歴を消しているのではなく、そもそも表に出ない経歴の持ち主なのである。

 

 そしてクイントは、スカリエッティの言葉からある言葉を連想した。

人造魔導師計画。

人の手で同じ人間にメスを入れ、命を冒涜する倫理に反した研究である。

プロジェクトHと言うのが、ウォルターの生まれた原因の研究なのだろう。

そう思えばウォルターの異常な強さにも納得がいく。

 

 しかし解せないのは、スカリエッティの言葉である。

ウォルターが、失敗作。

クイントとて偶々人間的な弱さを見る事がなければ、今でも完璧な人間だと思っていたかもしれないぐらいに完成された、あのウォルターがである。

様々な憶測がクイントの中を駆け巡るが、思考が言葉になるよりも早く、スカリエッティが次なる言葉を吐いた。

 

「さて、あんな失敗作の事はどうでもいい。君にはいくつか聞きたい事があるのだよ」

 

 言われて、クイントが目を瞬く。

ウォルターに関する思考を頭から振り払い、生き残る為の算段に思考を回した。

犯罪者の提案になど乗れる事は無いが、せめて体力の回復の為に話を引き伸ばさねばならない。

よってクイントは、ともすれば怒鳴りそうになってしまう感情を抑え、口を開く。

 

「何かしら? 内容によっては答えてあげてもいいけれど」

「君が娘としているTYPE-0の事だよ」

 

 クイントは、目前の画面を殴りつけない事に、全精力を賭さねばならなかった。

神経がチリチリと焦げる音を立てるような怒りであった。

目の前の生命を冒涜する下衆に、よりによって娘を型番で呼ばれるなど、吐き気すら催す。

口内から血すら垂らしながら、鬼の形相で画面を睨むクイントに、スカリエッティは肩を竦めた。

 

「あぁ、怖い怖い、その顔で返事は分かったよ。

では提案を変えよう。

君は、まだ生きたいかい?」

「……えぇ、当然生きたいわ」

 

 怒りを噛み殺し、クイントは答えた。

スカリエッティは、口の端を微細にひくつかせながら、歪んだ笑みを浮かべる。

 

「では、私の研究を手伝ってくれないかい?」

「断るわ」

 

 クイントは即断した。

それを気にする事もなく、スカリエッティ。

 

「君の存在は大いに私の研究に役立つんだ。

私の元で制作されたのではないのに、あの完成度を持つTYPE-0は大変興味深い存在だ。

遺伝提供者の君とあと何年か成長したTYPE-0とのデータを比較して、その完成度を見てみたいのだよ」

「もう一度言うけど、断るわ」

「それに、君自身を後に戦力として扱いたいと言う気持ちもある。

UD-265と敵対する事になった場合の方策の一つとして、君の存在は非常にありがたい事になる。

狂戦士の鎧を譲渡される程に仲が良い君等が殺しあった時、UD-265がどう苦しみ、どんな選択をするのかにも興味があるのさ」

「悪趣味ね。そして三度言うけど、断るわ」

「失礼な、学術的興味と言ってくれ。

人間の本質を垣間見る事ができる事柄の一つに、絶大の苦しみを味わった時、それにどう対応するかという物がある、と私は考えているのだよ。

あの失敗作の事だが、最近の行動を見るに僅かに興味が湧いてきた。

まぁ、メインはTYPE-0との比較である事に変わりはないがね」

 

 やや早口にそこまで告げると、スカリエッティは大きく深呼吸する。

冷ややかな目で彼を見るクイントに、スカリエッティは僅かに目を細めた。

首元のネクタイを整え、静かにクイントを見つめながら、腕を組む。

何処か子供じみた雰囲気があったのが、今消え去った。

そう感じ取り、クイントは次なる言葉に備えて僅かに体に力を込める。

 

「君は私の提案を断ると何度も言うが、君は娘を見守る事より大切な事でもあるのかね?」

「あるわ。

娘に、私の生き様を残す事よ。

貴方のような外道に魂を売る真似は、死んでもできないわ」

「そうかい?

TYPE-0に君の行いがバレるとは限らない。

私としても、求めるのは君とTYPE-0のデータだけだ、別に正体を伝えるような真似をするつもりは無いさ。

現実に、君は知っているだろう?

君の言う外道の行いに手を貸しながら、子供にその事はバレていない人間が」

 

 誰の事を、とクイントが告げるよりも早く、スカリエッティは静かな笑みを浮かべながら、言った。

 

「ナンバー12……、インテグラ・タムタックのように」

 

 クイントは思わず絶句した。

予想外の言葉だった事もそうだが、それ以上の事実に気付いたからだ。

ナンバー12の事件は、黒幕も解決者も管理局である、それ以外の機関が知る事などありえない。

言外に、スカリエッティはこう言っているのだ。

己の裏に居るのは、管理局なのだと。

 

 絶望が、クイントの脳裏を支配した。

ギンガとスバルはその体のメンテナンスの為、管理局との繋がりを断てない体である。

その娘らを、管理局と繋がるスカリエッティが狙っているのだ。

スカリエッティの研究に必要な財力を考えれば、そのスポンサーはかなり上の人間である事が容易にわかる。

その上の人間が、2人の戦闘機人と狂気の科学者と、どちらの意見を優先させるか。

誰に聞いても、答えは明白であった。

 

 であればクイントにできる事は、泥を啜ってでも生き、決定的な時に娘を助けられるよう見守る事ではあるまいか。

迷いが、クイントの脳裏を支配する。

同じ道を選択したナンバー12は、志半ばに自爆させられた。

しかしクイントが必ずしも同じ道を辿るとは限らないし、むしろそれを教訓にしてより上手くやっていけるのではないだろうか。

クイントは、その両目を閉じ、しばし悩んだ。

沈黙。

鋭利に感じられる空気を打ち破り、クイントが口を開く。

 

「それでも、断るわ」

「ほう……」

 

 意外そうに、スカリエッティが目を瞬いた。

首を傾げながら腕組みし、一点を見つめ数秒。

再びクイントに視線を戻し、言う。

 

「参考までに、何故か教えてくれないかい?」

 

 クイントは一瞬迷った。

胸の中の熱い想いは、口に出せば風化して別物になってしまいそうな予感がする物だったからだ。

しかし現実問題として、ジリ貧でしか無いものの、その間に解決策が思いつけるよう願い、時間は稼がねばなるまい。

結局、クイントは重い口を開いた。

 

「一つは、旦那が居るからよ。

私が逝ったら、あの人が娘を頼まれてくれる。

私が余計な茶々を出さなくても、あの人ならギンガとスバルを守ってくれるわ」

「ふむ、確かに彼には、地上部隊とは言えそこそこの将来性があるようだ。

実現性は兎も角、そう考える理由が理解できない話じゃあないね」

「もう一つは……」

「もう一つは?」

 

 オウム返しに聞き返され、クイントは残る僅かな迷いを振り払う。

 

「もう一つは、ウォルター君が居るからよ」

「…………」

 

 スカリエッティの反応は不思議なものであった。

興味を無くしたようにも見えるし、それでいて興味津々のようにも思える。

まるで通知表を待つ幼年学生のようだな、とクイントは思った。

 

「私が居なくても、ギンガとスバルの近くにはウォルター君が居る。

あの、誰よりも熱い心を持つウォルター君が居る。

彼からその熱い心の炎を貰って生きる事ができれば、ギンガもスバルも、きっとどんな困難が相手だろうと立ち向かい、幸せを掴めるわ。

……私がそうだったようにね」

「……そう、かね」

 

 なんとも言えない表情で、スカリエッティは腕組みし、頷く。

直後、空間投影ディスプレイが明滅し、消えた。

いきなりスカリエッティからの通信が途絶えたのだ。

目を見開くクイントを他所に、周囲の兵器達がいきなり戦闘を再開する。

 

「きゅ、急ねぇっ!」

 

 叫びつつ、クイントは飛び交う光弾を足捌きで回避。

咄嗟の動きが完璧にできている事に、今更ながら自分が狂戦士の鎧を発動できている事に安堵する。

代わりの痛みは、然程無理な動きでは無かった分、あまり大きくはない。

歯噛みし、クイントは崩れていた構えをとった。

スカリエッティの行動に謎は多いし、不安は多々ある。

しかし、それは全てこの戦いを乗り切ってからだ。

そう考え、クイントは深く呼吸をした。

全身に力が満ちていくのを感じ、クイントは目を見開く。

 

「おぉぉおぉおっ!」

 

 絶叫。

続いて金属音が、しばしのあいだ響き渡る事になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おぉぉおおぉっ!」

 

 ウォルターの絶叫が響き渡ると同時、金の閃光が複数走った。

瞬く間に兵器達は切り刻まれ、破片が床に落ちてゆく。

その姿を見てクイントは、矢張りウォルターは自分とは桁違いの戦闘能力を持つ事を実感した。

クイントが瞼が落ちそうになるのをどうにか気力で抑えていると、すぐにウォルターが駆け寄り、クイントの頭蓋を抱きかかえた。

 

「クイントさん……クイントさんっ!」

 

 視点が上がったクイントは、無言で自身の体を見下ろす。

魔力切れで狂戦士の鎧が解けたクイントの体は、酷い状態であった。

両足はパックリと幾筋も筋が入っており、そこから真っ赤に染まった骨肉が垣間見える。

骨は骨折を何箇所もしており、最早元の形が想像できない程だった。

腹部も折れた骨が所々から突き出ており、裂けた肉の間から潰れた臓腑が見える。

最も酷いのは、両手であった。

最早原型を留めておらず、ザクロのような赤い塊にしか見えなかった。

それでも顔にはダメージを受けてないので、恐らく比較的無事だろう、とクイントは思う。

実際、口と鼻と両目と両耳から流血していたが、それ以外は綺麗な物であった。

 

「私は、もうすぐ死ぬわ」

 

 クイントは、確信を持って告げた。

動揺を顕にするウォルターに、クイントは細めた視線を向ける。

ただの少年のような顔をするウォルターは、歯を噛み締めながら頭を振った。

諭すようにクイントは呼びかける。

 

「事実よ、私はもう助からない」

「諦めるな、諦めなければ道はきっとある! 俺の言葉に、クイントさんだって頷いていたじゃあないかっ!」

 

 叫ぶウォルターに、クイントは僅かな間瞑目した。

死の間際においてでさえ、ウォルターの言葉はクイントの心を熱く燃やす。

死闘に擦り切れそうになっていた心に、暖かな炎が宿った。

しかし、それはあくまでウォルターからもらった種火の分しか燃え盛る事は無い。

最早、自分の心には炎を維持する燃料すら無いのだろう、とクイントは思う。

何を思っても、死の確信がクイントの希望を打ち払ってしまうのだ。

故にクイントは、諦観の言葉を吐いた。

 

「すまないわね」

「何で……182と同じ……!」

 

 ウォルターはついに涙を零しながら、そう吐き捨てる。

言葉の内容は分からないし、その内容を察する思考力もクイントには残っていなかった。

目の前の少年にできる事は、後は切りよく彼を振ってやる事ぐらいだろうか。

しかし、告白もされていないのに振るのはどうかとクイントは思ったし、加えて言えば今のウォルターは初恋を自覚しているかどうかすら定かでは無かった。

もしウォルターが恋を自覚できているのならば、彼の方から何かしら言ってくるだろうが、それが無い為だ。

クイントは、もしそうだとすればウォルターは今すぐ初恋に気づくべきではないと思った。

ただでさえ自分の死はウォルターに重くのしかかるだろう。

だから初恋の人を救えなかったと言う事実は、後になってから気づくぐらいでちょうどいい。

そう思い、クイントは最早自分がウォルターにできる事は何も無いと考える。

 

 そしてクイントが最後に想うのは、矢張りギンガとスバルの2人の事であった。

上手くやっていけるだろうか、と言う疑問に、クイントは既にその答えは自分で言っていた事に気づく。

スカリエッティとの問答。

夫とウォルターが居れば、ギンガとスバルは立派に生きていけると言う希望。

そこまで考え、クイントは鈍った思考でスカリエッティの事をウォルターに告げなければと思い至り、口を開く。

 

「ウォルター君……、此処の敵は、ジェイル・スカリエッティ。

貴方を自分が監修したプロジェクトHの失敗作と、呼んでいたわ。

そして彼の背後には……、管理局が居る」

「えっ……」

 

 流石に目を丸くするウォルターに、これで全てを伝え終えただろう、とクイントは心地良い脱力に身を任せた。

このままゆっくりしていれば、もう逝く事ができるだろう。

そう思うクイントの目の前で、ウォルターがなんとも言えない痛悔の表情を浮かべた。

 

「俺があの時、いや、それからでもスカリエッティが居る内に“家”を破壊していれば……!」

 

 叫ぶウォルターの姿を見ながら、ゆっくりとクイントの意識は途絶えようとしていた。

全身から力が抜けていき、もう最期の一言を言えば大丈夫、それで自分の人生は終わりだと考え。

 

 ――本当にそれで十分なの?

 

 と。

悪魔の囁きが、クイントの脳裏に甘く響いた。

 

「…………」

 

 冷静に考えれば。

このままクイントが死ねば、ウォルターは余計に信念に注力するのではあるまいか。

親しい相手であった店主が死んだ時も、彼は余計にその信念を強め、英雄として強くなった。

だが、それはすなわちギンガとスバルとの距離が開いてしまう事を意味する。

そうなれば、クイントがウォルターに期待した役割は果たされない可能性もあった。

ならば。

ウォルターの心を縛ってしまう言葉を告げれば。

それで、娘達を意識せざるを得ないようにしてしまえば。

 

「ウォルター君」

 

 気づけば、クイントの口は突き動かされるように動いていた。

悔恨を吐き捨てて、クイントへの心配に満ちた顔で、ウォルターがクイントを見つめる。

クイントは、衝動に突き動かされるままに言った。

 

「貴方、私に惚れてたでしょ?」

「……え?」

 

 呆然と、ウォルターは目を丸くする。

クイントは残る僅かな力を総動員して、口角を上げぎこちない笑みを浮かべた。

 

「私は最近気付いたんだけど、夫は2年前から気づいていたって言ってたわ。

多分、初恋なのかしら?

君は、私に恋していたわ」

「……あ」

 

 ウォルターの顔に、理解の色が現れ始める。

驚愕が理解に、理解が絶望になっていく途中で、クイントは続けた。

 

「だからって訳じゃあないけどさ。

ギンガとスバルは、貴方にとってただの知り合いじゃあない。

貴方の初恋の人の娘なの。

だから……、私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?」

 

 ウォルターは、天井に視線を上げ、込み上げてくる何かを飲み干すようにした。

それから一気に俯き、乱暴に熱い吐息を吐き捨てる。

歯噛みし、震える手から小指を一本差し出し、クイントのそれと絡めた。

 

「不器用なやり方しかできないけど、それでいいか?」

「うん、約束ねっ」

 

 2人の手が上下。

直後、力を無くしたクイントの手はぱたりと床に落ちる。

クイントは視線を天井に、そしてその遠くにあるだろう蒼穹に、そして映るはずのない死者の国へとやった。

先に逝った仲間たち、ナンバー12を始めとする先輩、守れなかった人々。

様々な人々が映るそれを見ながら、クイントは最後の言葉を告げる。

 

「ありがとう、これでもう悔いは……、無いわ」

 

 クイントの瞼が、ゆっくりと閉じた。

全身が脱力し、心地良い暗黒に包まれてゆく。

ウォルターの嗚咽を最後に耳にし、クイントの意識は永遠の闇へと落ちていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 クイントさんは、僕の腕の中で死んだ。

確信に近い感覚が、その事を僕に告げる。

ついさっきまで力強い命の息吹に満ちていたクイントさんの体は、脱力しぐにゃりとしたただの肉のよう。

体はぐちゃぐちゃで、けれど顔だけはそこだけ別世界みたいに綺麗であった。

 

「うっ……ううっ……」

 

 僕は、クイントさんを抱きしめながらただただ泣いていた。

留めなく溢れてくる涙と嗚咽。

僕はまるで小さな子供のように泣きじゃくり、震える体を必死に抑えようとするも、それすら成せない。

 

 クイントさんは、死の間際に目の前の僕よりも娘を選んでいた。

気付けない筈があろうか、クイントさんはギンガとスバルをただの知り合いではなく初恋の人の娘にしたくて、僕に恋を自覚させたのだ。

当たり前の事だ。

誰だって、夫がいるのに一回り以上年下の子供に好かれていて、その子どもを娘より大切に想う事などありえない。

当たり前の、事だ。

 

 けれど当たり前の事なのに、なんでだろう、僕の胸は掻き毟られるかのように痛かった。

胸の中を感情の奔流が流れていき、僕は一体今どんな感情を抱いているのかすら分からない。

僕の胸の中の感情が恋だったと、自覚できた事。

連鎖的になのはの僕に対する感情の名も、恋であっただろう事。

恋の素晴らしさと、その素晴らしい物を持たせてくれた相手を救えなかった事。

クイントさんに、その初恋を自覚した瞬間に、娘と天秤にかけて娘を取られた事。

それらに対する喜びが、悲しみが、ぐちゃぐちゃに交じり合ってマーブル模様になって心の中に広がっていく。

混沌とした思考は、具体的な答えを何一つ弾き出さなかった。

ただただ泣き続ける僕に、ティルヴィングが明滅する。

 

『おめでとうございます、マスター。貴方の心を乱す要因は、消えました』

「…………あ?」

 

 思わず、僕は間抜けな声を出して胸のティルヴィングを見やった。

長い付き合いだ、緑色の宝玉の点滅パターンで、ティルヴィングの内心はなんとなくわかる。

こいつは、本心から言っている。

そう思った瞬間、沸騰した怒りが沸き上がってきた。

 

「ふざけるなっ! クイントさんが死んで、何がおめでとうございますだっ!」

『マスターは信念を貫くために、ある感情について調べていました。

その感情の原因がなくなれば、結果的にマスターの信念を貫きたいという希望は達成されるのでは?』

「違うっ! 俺はっ!」

『では、何故マスターは蘇生行為をしていないのですか?』

「…………え」

 

 そんな言葉を口にして、僕は一瞬呆けてしまう。

すぐに脳裏にティルヴィングの言葉が染み渡り、サッと顔色が青くなっていくのが自分にも分かった。

 

「ち、違うっ! これは、ただ、気が動転していてっ!」

『では蘇生行為を開始しましょう』

「あ、ああっ!」

 

 僕は叫びながら、回復魔法と蘇生用の魔法を同時展開。

組織の回復と同時、魔力による心臓マッサージと人工呼吸を開始する。

そのまま僕はクイントさんを背負い、出口に向かって走りはじめた。

再び湧いてきた兵器を切り捨てながら、脳裏に小さな声がこびりつくのを僕は感じる。

 

 僕がクイントさんに蘇生行為をしなかったのは、本当に気が動転していただけなのか?

これまで僕は何人もの人間の死を見てきて、適切な対応を取れるようになっていただろう筈なのに?

加えて僕は、信念の為に大勢の人を殺してきた。

それと同じように、僕は信念の為には邪魔な恋心の対象であるクイントさんを、これ幸いと見捨てようとしたのではないだろうか。

いや、それなら僕はそもそも助けに来なかっただろうって?

僕が恋心を自覚したのはクイントさんに言われてからだ、それ以前の行動で感情を確かめる為にクイントさんを助けようとするのは当然の行為じゃないか。

ならば。

ならば僕が。

 

 ――僕がクイントさんを殺したも、同然じゃあないだろうか。

 

「……違う」

 

 僕は呟き、ティルヴィングを強く振って兵器を破壊。

金属片がぶち撒けられ、炎を照り返し、光が複雑に入り混じる光景を作る。

 

「……違う!」

 

 叫ぶ。

他の隊員の死体を乗り越え、出口まで到達。

最寄りの管理局の病院を検索、そこに向かって空中へと飛び立った。

 

「……違うっ!」

 

 絶叫。

涙を止める事なく僕は飛び立ち、ただただ願う。

クイントさん、お願いだから息を吹き返してくれ。

そうすれば、僕はクイントさんを殺してなんかいないって分かるのだから。

 

 その願いが、酷く自己本位な願いだと、僕は自覚していた。

人の命が失われようとしているのに、自己保身に注力する僕の願いは、唾棄すべきものだろう。

けれど、そう自覚して尚、僕にはそう願う他無かった。

クイントさんが死んでしまうなんて思いたくないけれど、それ以上に、僕がクイントさんを殺したも同然だなんて思いたくなかった。

初恋の人をこの手にかけたも同然だなんて、思いたくなかった。

 

 だから、僕はクイントさんに負担をかけない状態では最高速で空を飛ぶ。

念話で病院に連絡し、誘導を受けながら飛行を続ける。

とにかく、全力をもってクイントさんを病院に送り届ける事に尽力する。

 

 太陽が、ぽかぽかと照りつけてくる。

真冬の肌を刺すような空気を切り裂き、僕は進んでゆく。

口元からは吐く息が白く漏れ、空気へと溶けこんでいった。

 

 

 

 


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