仮面の理   作:アルパカ度数38%

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閑話1
閑話1


 

 

 

 簡素な作りのアパートの一室。

何時もと同じ家に戻ってきたウォルターとリニスは、一通りの掃除を終えて中でくつろいでいた。

ウォルターはベッドに腰掛けながら、サイドテーブルにある写真立てに目を。

その中に映るクイントとギンガとスバルとを眺めている。

その目が今にも零れ落ちそうな、コップいっぱいの水の表面のように思えて、リニスは僅かに目を細めた。

僅かに歯噛みし、それまでと同じく机に向かって予備用デバイスの整備に戻る。

 

 クイントの死から2年が経った。

あれからウォルターは何度も次元世界を旅したが、一つ事件を解決する度に必ずミッドチルダに戻るようにしている。

自分の信念を貫いた結果が少しでもギンガとスバルに届いているよう、願いながら戻っているのだ。

信念を貫き続ける、人間から半歩踏み出した人生を歩み続ける事を決意したとはいえ、その理由であるギンガやスバルに何かあっては元も子もない。

そこでウォルターは、ギンガとスバルに監視の目をやり、できることは少しばかりだが手を貸していた。

ギンガもスバルも大きな心の傷を負っていたが、2人ともどうにか今は持ち直しているようである。

ギンガはシューティングアーツを修める事に力を入れ、スバルは再び力を恐れるようになったものの、基礎トレーニングだけは惰性のようにだが続けている。

決して最高の展開とは言えないが、当初スバルが引き篭もりそうになった頃から比べると雲泥の差と言えよう。

 

 そして、とリニスはウォルターへ視線を向ける。

各種結界を完備し、リニス以外に顔を晒す事の無い今、ウォルターは完全に仮面を外していた。

それ自体は嬉しい、とリニスは思う。

ウォルターが自分にだけ真の表情を見せてくれると言うのは、リニスを心から信頼しているからに違いない。

主からの信頼の証に嬉しいと思わない使い魔など存在しないだろう。

模範的な使い魔であるリニスは、当然の如く歓喜に身を震わせたいぐらいの思いである。

 

 だがしかし、そこには一つ問題点があった。

静かに、リニスはウォルターの表情を視線でたどる。

瞳はガラス玉のような人工的な輝きで、肌は異様に冷たい作り物のような質感、口唇は荒れ一つ無く、成長期だと言うのに鼻梁に脂っこさは少しもない。

人形のような表情だ、と歯を食いしばりながらリニスは思った。

一言で言って、素のウォルターを見つめていると、動くマネキンと言う比喩が思い浮かぶぐらいだ。

まるで幸せを捨てた時に、一緒に人間味も捨ててしまったかのようにすら思えて、リニスは時折その事に泣きたくなる。

けれど、泣いてもただウォルターの心労を深めるだけだと分かっているリニスは、決して泣かずにウォルターを支え続けてきた。

その過程で、少しでもウォルターの心が癒されるよう希望を抱きながら。

 

 リニスは、ウォルターに幸せに生きてもらう事を望んでいた。

主が信念のために生きると言っているのに、そんな勝手な事を、と自分でも思うのだけれども、それだけは止められないのだ。

ウォルターは、決して幸せを享受できない人格をした人間ではない。

あのクイントが生きていた頃の日々、ウォルターは確かに無自覚に幸せに心を委ねていたし、自覚的にも委ねる事を選択肢に入れていた。

ならば、幸せに生きる事ができるのならば、ウォルターは幸せに生きるべきだ。

かつての主であるプレシアを自分の手で幸せにできなかった事が、余計にリニスの思いを強くしていた。

勿論そのプレシアを救ったのがウォルターの信念なのだが、それでも尚、だ。

 

 だからリニスは、常から可能な範囲内でウォルターに幸せになれるように誘導しているが、その成果は芳しくない。

だが、その中で今のところ少しだけ効果がありそうなのが、一つ――。

そこまでリニスの思考が至った所で、電子音が鳴り響いた。

映像付き通信の受信だと感づき、ウォルターが目を細める。

掌を顔の上に。

まるで仮面をかぶるような所作を経て再び“俺”の人格をかぶり、ウォルターは少し顔の筋肉をほぐした後に通信を開いた。

 

「あ、こんにちは、ウォルター君、リニスさん!」

「応、こんちは、なのは」

 

 相手は、高町なのは。

ウォルターの知り合いの、昨年空戦Sランクを習得した砲撃魔導師である。

その砲撃魔法の適正は凄まじく、魔力量の差を覆し、ウォルターの砲撃魔法を上回る威力を誇る程だ。

が、その実態はまだ幼い少女に過ぎない。

茶色の髪の毛をツインテールに結び、顔は幼さを残しており、体躯もまだ女性らしさを帯び始めた所である。

管理局の制服を着たなのはは、ニッコリとした笑顔を浮かべると、尻尾があったら振り回しているだろうというぐらいに元気よく口を開く。

 

「えへへ、久しぶりだね、前回直接会ったのは何時だっけ?」

「……あー、プレシア先生の葬式で、だな」

「あ」

 

 なのはが硬直。

視線を他所にやり、にゃはは……、と乾いた笑みを浮かべた。

ウォルターは仕方なしに、苦笑交じりに続ける。

 

「その前は、確かなのはのSランク昇進祝いだったっけ」

「そ、そうだったね、にゃはは……。

通信でなら偶に話すけど、あんまり予定合わないからねぇ」

「俺は完全不定期の休暇だからなぁ」

 

 ぼやくウォルターに、なのはは目を閉じ、すぅ、と息を吸い込んだ。

深く息を吐き出し、キッと目を見開く。

両手を胸に、覚悟を決めた硬質な宝石を思わせる瞳でウォルターを見つめた。

 

「その、そこで今度の日曜日なんだけど、ウォルター君、予定空いてないかな」

「今度の日曜日かぁ……」

 

 言いつつ、ウォルターは携帯端末を展開、指でたどりつつ予定を確認する。

リニスは覗きこむまでもなく内容を暗記しているので、結果は分かるし、ウォルターの答えも分かっていた。

予定は空いている。

だが、ウォルターはなのはの誘いを断るだろう。

なぜならウォルターは、なのはは自分に恋していると半ば確信している。

加えてウォルターは、信念にのみ生き幸せを捨てた人間だ、決してなのはの気持ちには答えられない。

自然消滅を期待してつれない態度を取るのは、何時もの事だ。

なのでリニスは、横からウォルターの予定を覗きこむようにした後、頷く。

 

「おや、良かったですね、空いてますよ、なのは」

「っ!?」

 

 息を呑むウォルター。

それを捨て置き、なのははパァッ、と暖かな光でも舞い散りそうな笑顔を浮かべた。

 

「え、本当!?

良かったぁ、それじゃあ、ウォルター君にちょっと付き合ってもらえないかな。

一応私、喫茶店の娘でしょ?

だからミッドでケーキマップを作っているんだけど、一人じゃあ中々進まないんだよね。

そこで、よく食べる男の人に付き合ってもらいたくって。

それに、2人だとケーキをしぇ、シェアとかできるし!

あ、あと、ちょっと話したい事もあって……!」

 

 早口でまくしたてるなのはは、明らかに考えてきた文章を話すようで、多分桃子から助言を受けたのだろうな、とリニスは思う。

リニスが視線をウォルターにやると、少しだけ困ったような表情を浮かべていたウォルターは、一瞬瞑目、直後熱い笑顔を浮かべ口を開いた。

 

「応、構わないぞ」

「――~~っ!」

 

 思わず、と言った様相でなのはは両手を握りしめ、歓喜を顕にする。

その後2人は他愛のない話を幾らか続け、半時間程しゃべり尽くした後に2人の通信は終幕を迎えた。

名残惜しそうにしながらも手を振りつつなのはが通信を切り、対するウォルターも同じようにしたまま通信が途切れるのを待つ。

プツン、と通信が途切れて数秒、深く溜息をつきながらウォルターは辺りに視線を。

各種の結界に綻びが無いかどうか確認した後、リニスに視線を向ける。

 

 冷たい瞳を向けられると、リニスはどうしようもなく悲しい気分になった。

リニスは精神リンクで、ウォルターがただ戸惑っているだけで少しも怒っていない事は分かっている。

分かっていて尚、その背後には冷たい怒りが控えているかのように思えるのだ。

自分にそんな怒りが向けられているような錯覚、ウォルターがそんな風に見える顔をする程心に大きな傷を負っている事。

そのどちらもが悲しくて、心を両手で掴まれ、引きちぎられるような痛みをリニスは感じる。

それに耐え切れず、リニスは両手をさりげなく胸にやった。

 

「リニス、どういう事なんだ?

僕はなのはの恋を、そっと終わらせてやりたいだけなんだけど」

 

 何か間違いがあったかな、と呟くウォルターの様子は、少しづつ春の訪れが溶かす氷のように、柔らかになりつつあった。

先ほどまでのように黙っていると人形のような精気のない顔をするのだが、リニスが話しかけると徐々に人間らしさを取り戻してくるのだ。

今はまだ、ウォルターの心は凍りきってはいない。

その事実に僅かな安堵を抱きつつ、リニスは口を開いた。

 

「前から少しづつ思うようになってきたんですけれど……。

きっとなのはの恋心は、そっと消える事は無いと思うのですよ」

 

 面くらったようで、ウォルターは目を瞬いた。

 

「なのははそれぐらい諦めの悪い性格ですし、何より貴方の存在は強烈で、何年も心に残る物です。

ならば貴方にできる事は、なのはをキッパリと諦めさせる事でしょう。

他に恋人を作る事はできませんから、なのはに告白させるほどに貴方を好きになってもらい、その上で振る事しかないです」

 

 無論、リニスはウォルターが言った通りにするだろうと思いつつも、淡い期待を捨てずに居る。

ウォルターがかつて恋によって幸せのために生きる事を選択しかけたように、なのはの恋が再びウォルターに幸せの素晴らしさを味わせる事を。

そして、その後にウォルターが再び幸せの為に生きる事を選ぶ事をだ。

儚い願いであるということを、リニスは分かっていた。

クイントがウォルターの中に残した呪いは、それほどに強烈で解き難い。

けれどリニスは、諦めが悪かった。

ウォルターからもらった心の炎が、彼女の諦めの悪さを後押ししているのだ。

 

「そう……なのかな」

 

 自信無さげに言うウォルターに、リニスは深い笑みを浮かべながら言った。

 

「少なくとも私は、3年経っても貴方の言葉に心を突き動かされていましたよ」

 

 そう言われ、ウォルターは頬を染めて俯き、小さな声でうん、と呟いた。

相変わらずウォルターは自分の言葉の持つ力に自覚が足らない所があり、そのギャップがリニスには可愛らしくて仕方がない。

リニスは思わずウォルターを抱きしめようとしてしまうが、どうにか堪えた。

思春期に入ったウォルターは、リニスに甘やかされるのを今まで以上に恥ずかしがるようになってきている。

これはこれで人間らしい反応なので良い事なのだが、リニスは少しだけ寂しさを拭えない。

が、世の母や姉はこんな気持ちを味わっているのだと思うと、少しだけ我慢が効く。

代わりにリニスは、慈しむような笑みをウォルターに向け浮かべるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 休日だけあって、クラナガンは人でいっぱいだった。

人混みをなのはは小走りに抜けつつ、腕時計にちらりと視線を。

小さな文字盤が示す時間はわかりづらく、なのはは内心舌打ちする。

もう少し大きな文字盤の時計にすればよかっただろうか。

そう思うものの、少しでもウォルターへと自分を可愛らしく見せたくて、女の子らしい小さい文字盤の時計を選んだのだ。

これは外せなかったなぁ、と思いつつ、足をゆるめながら時間を確認する。

時間は、約束の時間を少し過ぎていた。

それもこれも、なのはが事前に買っておいた服のうちどれを着ていくか、非常に悩んだ為である。

何せこれからするのは、ウォルターとのデートなのだ。

あっちはそう思っていないだろうが、と思うとなんとも言えない気分になるのだけれども。

そうこう思いつつなのはが駆けてゆくと、待ち合わせ場所の広場にたどり着いた。

 

 なのはは、待ち合わせの広場にたどり着くと同時、視線を辺りにやる。

とりあえず背の高い真っ黒な人を、と探してみると、すぐにウォルターが見つかった。

ウォルターは黒いジャケットにシャツにジーンズに靴と、いつも通りに黒尽くめである。

2年前のなのはが入院していた頃にはもっと他の色の服も着ていたのだが、いつの間にかウォルターの服装は再び黒尽くめに戻ってしまっていた。

普通に考えればただ飽きただけなのだろうと思うが、なのはは何故かそこにウォルターの強い気持ちが篭っているよう思うのだ。

だからなのはは、ウォルターを誘う計画として一緒に服を買いに行こうと言う選択肢は辞めていた。

 

 なのはは、深呼吸をした後に精一杯の笑顔を浮かべてウォルターへと近づく。

多分足音の方向と重さで気付いたのだろう、ウォルターはすぐになのはの方へと視線をやった。

体重を預けていたモニュメントから背中を離した所に、なのはがちょうど目の前にたどり着く。

なのはは両手を合わせ、体ごと傾けながら言った。

 

「ごめ~ん、待った? ウォルター君」

「何、今来た所さ」

 

 なのはにとって、ドラマや少女漫画の中の台詞のやり取りである。

それが現実に自分の目前にある事に、なのはは思わず両手を握りしめ、感じ居るようにガッツポーズを決めた。

決めて、今自分がウォルターの目の前に居る事に気づき、はっと両手を後にやり、にゃははと誤魔化すように笑う。

ウォルターは不思議そうに首を傾げた後、口を開いた。

 

「それギンガと同じ反応なんだが、流行ってたのか?」

「え? いや、そういう訳じゃないけど……」

 

 予想外の反応に一瞬戸惑った後、なのはは思わずひくりと頬を動かした。

同じ反応。

つまり、ウォルターは既に誰かとデートをした事がある?

なのはは、なるべく自然を装い首を傾げた。

 

「ギンガって誰なのかな?」

「あぁ、俺が世話になっていた事のある家の娘さんで、今11歳だったっけな」

「ふーん」

 

 ギンガの三文字を脳裏に刻むなのはに、ウォルターが視線を上下させる。

服装を見られているのだ、と即座に気づき、なのはは気持ちばかり可愛いポーズを取った。

今日の格好はなのはの好きな白を基調とした格好で、過度にならない程度にレースやフリルをあしらった服である。

なのはは自分が白を好きなのは自覚していたものの、似合っているかどうかまではあまり考えた事が無かった。

なのでこうやって品評される場に来ると、とたんに弱気が胸の中に生まれてくる。

そも、ウォルターに見られているというだけでなのはは頬が好調していくのを抑えられなかったと言うのに、これでは二重に恥ずかしいではあるまいか。

そんな風に思うなのはに、ウォルターは満面の笑みで告げる。

 

「うん、似合ってるぞ、なのは。やっぱ白が似合うな、お前は」

「え、えへへ!」

 

 思わずなのはは笑みを漏らし、もじもじと恥ずかしさに身悶えした。

嬉しさのあまり、この一瞬の気持ちを冷凍保存したいぐらいである。

胸の奥が花吹雪で満ちたかのような感覚であった。

幸せ過ぎてどうしよう、となのはが思った瞬間、その目前にウォルターの手が差し出された。

 

「え?」

「え? って、ほら、行こうぜ? 行き先は決まってるんだったよな、歩きながらでも話せるだろ?」

 

 当然のように言うウォルターに、なのはは思わず生唾を飲み込む。

つまり、それはつまり、手を繋ごうとでも言うのだろうか。

あまりの出来事に、なのはは顔が沸騰するのを感じた。

ぷるぷると震わせながらなのはは思わず両手を伸ばし、ぎゅ、とウォルターの両手を握る。

緊張のあまりそうしてしまった直後、はたとなのはは気付いた。

両手でウォルターの手を握ってしまっては、歩きにくくてしょうがない。

 

「にゃ、わ、私の馬鹿っ」

 

 その事に気付いたなのはは、小声で思わず叫びつつ、両手を手放し後ろに隠してしまった。

やってから、今度は片手は残さなければいけなかった事に気づき、なのはは視界がグルグルと回転しそうになるのを感じる。

多分、今の自分の目は渦巻き模様のように混乱している事だろう。

赤面した顔をちらりとウォルターの顔に向けると、ウォルターは怪訝そうな顔をした後、あぁ、と何かに感づいたような顔をした。

一歩、二歩となのはに近づいたかと思うと、ふっとその姿がなのはの視界から消える。

なのはが目を見開いたと同時、後ろに回ったウォルターがぽん、となのはの手を握りしめた。

 

「よし、捕まえたっと」

「にゃ!?」

 

 暖かな温度に思わず猫のような鳴き声をもらしつつ、なのはは半回転。

ウォルターに向き直ると、確かになのはとウォルターは手をつないでいた。

 

「こういう事でいいんだろ? それじゃ、最初の喫茶店に行こうか。あっちの方でいいんだよな?」

「う、うん……」

 

 どうしよう、となのははその言葉だけで頭がいっぱいになってしまう。

今なのはは、なんとなんと、ウォルターと手をつないでいるのだ。

その恐るべき事実はなのはの脳の中を完全に支配し、最早なのはの中には何の考えも残っていなかった。

散々雑誌や漫画で予習してきたウォルターへのアタックの仕方など、綺麗サッパリ消えてしまい、ただウォルターの体温の暖かさだけが残る。

緊張の余り体温の高まっているなのはに比べ、ウォルターの体温は僅かに低く、涼しげな感覚だった。

 

 ――ウォルター君って、こんなに気持ちいいんだ……。

 

 思ってから、その台詞がどうにも破廉恥な内容に思えてしまって、なのはは更に赤面するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 借りてきた猫のように大人しいなのはの手を引きつつ、僕は先日なのはと相談して決めた、最初に行く予定の喫茶店へと足をすすめる。

大人しいなのはに何度か話を振ってみると、どうもなのはは心ここにあらずと言ったようで、生返事ばかりが返ってくる。

僕は彼女に何かしてしまったのかと内心首を傾げるが、あまり思い当たる事柄は無い。

精々、僕が今こうやって手をつないでいる事ぐらいだろうか。

僕も健全な男の子である、女の子の柔らかい手に触れている事自体が嬉し恥ずかしな気分ではあるが、残念ながら今はそれ以上ではない。

とすると違うのかと思うけれども、もしかしたら好きな異性の手は、別物なのかもしれない。

僕はクイントさんの手を握った時の事を思い出そうとしたが、残念ながら僕がクイントさんの手を握ったのは、一度しか無い。

クイントさんの最後を看取る時である。

流石に陰鬱な気分になりそうになるのを、どうにか頭を振る事で追い出した。

いくらなんでも、今そんな事を考えるのはなのはに対し失礼過ぎる。

 

 僕は内心、なのはに対しどう接すればいいのか、困っていた。

リニスに言われてなのはを惹きつけた上で振る方法が一番妥当だと理解していたけれど、恋心の素晴らしさを知ってしまっただけに、それを玩具のように扱い事に抵抗を覚える。

それが単に僕が手を汚したくない潔癖症だからなのか、それとも真に恋心を経験しその価値を知ったが故なのか、そのへんは分からないけれど。

兎も角、僕はなのはの恋心を弄ぶような真似は、したくなかった。

しかしだからといって、リニスの言葉を聞いてなのはにつれなく接するのもあまり意味が無い事だとも理解していた。

本当に僕がそこまで価値のある人間なのか首を傾げる所もあるが、僕の演じる“ウォルター・カウンタック”を見ての事なら理解もできる。

 

 ならばどうするのか。

と言うと、結局僕ができる事なんて一つしか無い。

正負の両方の意味で心に刻まれた恋に対し、その素晴らしさを知っているが故に、僕は素直に率直に接する事しかできまい。

その結果なのはが僕から興味を失う事を望んではいるけれど、それが好意を向けられた僕にできる唯一の事なのだろう。

 

 そう納得した辺りで、僕ら2人は最初に訪れるべき喫茶店にたどり着いた。

明るい木目の家具で彩られた明るい空間の中、僕らは奥のテーブル席に座る。

2人席で向い合って着席した辺りで、はっ、となのはが目を瞬いた。

 

「あ、あれ? 此処どこ?」

「最初に行こうって言った喫茶店さ。大丈夫か?」

「……にゃ?」

 

 昔からの口癖なのだが、なのはは“にゃ”と言う言葉を多用する。

笑うときは“にゃはは”だし、驚いた時だって“にゃ”と言う事が多い。

音だけ聞いて正直に言うとちょっと痛いかなぁ、と思わなくもないのだが、これがまた悔しい程になのはには似合うのだ。

これが僕であれば、世間から袋叩きにされるに違いない。

可愛いって得だなぁ、と思いつつ僕は、目を白黒させながらなのはが現状を把握するのを待つ。

ウェイトレスによって水が運ばれてきた辺りで、はっとなのはが眼の色を戻し、現実に舞い戻ってきた。

 

「ご、ごめんねウォルター君、私上の空でいちゃって……!」

「ま、そういう事もあるさ、気にすんなよ。それよりなのは、話したい事があるって言ってなかったか?」

「あ、うん……」

 

 このままだとなのはが謝り続ける事になりかねないので、気にしてない様子を見せつつ話題を提供。

話を前に進めようとすると、なのはが深呼吸しながら僕を見つめた。

青い瞳が僕を射抜く。

窓の外に永遠に広がる、あの蒼穹のように広く澄み切った瞳。

 

「私、今度から教導隊に配属になったんだ」

 

 言われ、思わず僕は目を白黒させる。

 

「え? 本当か!? 良かったなぁ、ずっと入りたいって言ってたもんなぁ!」

 

 思わず僕は両手を机に、腰を浮かせながら叫んでしまった。

言ってから大声で叫んでしまった事に気づき、小さく咳払いしながら席につく。

ちらりとなのはに視線をやるが、その顔には満面の笑みがあり、困った色や嘲笑の色など欠片もない。

興奮し過ぎた僕に恥ずかしがる様子は無く、むしろ心から喜んでくれているようだった。

内心ほっとしつつ、口を開く僕。

 

「えっと、怪我が治りきる前からずっと教導隊に入りたいって言ってたよな。

長年の夢が叶った訳だ、おめでとう!」

「えへへ、ありがとう、ウォルター君」

 

 照れるなのはだが、本当に嬉しくて僕は笑顔を抑えきる事ができない。

分析すると、多分僕自身が信念と名付けた夢を追い求める人間だからか、他人の夢が叶うのも嬉しく感じるのだ。

特に親しく、僕の言葉で少しでも心に炎を灯してくれたなのはであれば、尚更の事だ。

と、冷静に分析しないと嬉しさを抑えきれないぐらいに嬉しい僕なのであった。

そんな僕に、恥ずかしがりつつなのは。

 

「で、ウォルター君ってとっても強いでしょ?

だからさ、教導隊に入る前に、参考としてウォルター君の訓練とかも聞いてみたいなぁ、って」

「へ? まぁ構わないが、俺って団体行動苦手だからなぁ。参考になるかどうか……」

「ね、お願いっ」

 

 と言いつつ、両手を合わせながらなのははこちらを上目遣いに見つめてくる。

思案してみるが、初見殺しの類の戦術は秘密にしておくにしても、基本的な訓練や戦術解釈などの話は特に不利益は無いだろう。

 

「まぁ、全部は無理だがある程度なら話せるよ」

「本当!? 良かったぁ!」

「基本的にティルヴィングが居てくれるから、その指示に従っている部分が多いがな」

 

 言いつつ、僕は胸元のティルヴィングを握り、ウィンドウを展開。

基礎は内容には大した違いは無いようなので、割り当て時間だけで内容は省略して話す。

 

「って言っても、ウォルター君の方が密度も時間も多いね」

「生まれ持った魔力資質があるからな、基本はスペックの押し切りだし」

 

 例えば、魔導近接戦闘には4つの攻め時がある。

先の先、先の後、後の先、後の後の4つである。

先の先は不意打ち。

先の後は相手が意識を防御から攻撃に切り替える瞬間。

後の先は相手の攻撃中。

後の後は相手の攻撃が終わった後。

 

「互角の相手が向かい合ったならば先の先は選択肢から消え去る。

けれど、スペックが大きく違う近接魔導師同士が向かい合った時には、先の先が残るんだ。

言わばスペックの違いによる“正面からの不意打ち”が成立する訳だな」

「不意打ちに技とかあんまり関係なさそうだもんね……」

「まぁ、厳密にはあるんだが、その話はあんま関係ないから置いておくか。

兎に角、下手に他の期を狙って戦うと、高ランク殺し、ジャイアントキリングが起きうる。

だからスペックで押しきれる相手は押し切るべきだし、その相手が多い程普段の業務での勝率が上がり負傷率も下がる」

「うん、基礎が大事って事だね」

 

 頷く僕。

勿論戦術も大事なのだが、質量兵器時代に比べ個々の戦力差が大きい現代は、基礎によるスペック増大が特に重要となる。

僕のような若造が次元世界最強を名乗れる事からも、その事実が伺えるだろう。

 

「と言っても、なのは達教導隊が相手にするのは、多分ある程度の習熟が終わった部隊になるだろう。

だからなのはの求める基準に基礎が辿り着いていて、戦術からって事が多くなるだろうな」

「まぁでも、近接戦闘でも基礎が大事って分かって良かったよ」

 

 と、そんな感じに僕らは魔導戦闘について話した。

話題は次に基礎的な戦術やその分解、解釈に移り、白熱した議論が交わされる。

死力を尽くしての一対多や一対一が多い僕に対し、多数の魔導師を率いた経験のあるなのはの言もまた貴重な視点で、目新しい物だった。

自然、議論の熱気は次第に増していく事になる。

次第に僕の戦った超常の魔導師達との戦闘へと話が移った頃、一つの声が僕らへと割り込んできた。

 

「あの~」

「何ですか?」

 

 反射的に言ってから、声が輪唱した事に気づき、なのはと視線を合わせる。

それから声の主を見ると、この喫茶店のウェイトレスだった。

気まずそうに彼女は、小さな声で言う。

 

「あの、ご注文はお決まりになりましたでしょうか?」

 

 僕となのはは、これ以上ないぐらいに赤面してみせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 狭い個室の中、なのはは深く溜息をついた。

思わず頭を抱えながらがっくりと頭を下ろし、今までの自分に思考を伸ばす。

はっきり言って、今日のなのはは駄目駄目だった。

まず待ち合わせに数分とは言え遅れ、その後はランチを食べる喫茶店まで上の空。

喫茶店についてからは2人で注文もせずに話し込み、それだけならいいのだが内容が戦術論であった。

そのあとはあまりの恥ずかしさにウォルターもなのはも言葉少なになり、互いに食事に集中し、あまり話せていない。

なんとかそこで精神を切り替えようと、なのはは花を摘みにと席を外し、現在は反省中である。

デートのセッティングを買ってでたのはなのはなのに、酷い内容であった。

 

「う~、が、頑張れ私」

 

 と自分で自分を応援しつつ、なのははぐっと片手を握りしめ、決意を胸にする。

折角のチャンスなんだから、もっとこ、こ、恋人みたいな会話とかしたい!

そう思いつつなのはは水を流し、鏡に向かった。

少し乱れた髪を手櫛で直し、よし、と気合を入れて席に戻る。

席につくと、すぐにケーキセットが運ばれてきた。

 

「お、ちょうど良かったな、なのは」

「うん、そうだね」

 

 言いつつ、なのはは運ばれてきたチーズタルトに視線をやり、見分する。

評判どおり、見目には中々良いケーキである。

自分の前に置かれたケーキから視線を外し、次はウォルターの選んだショートケーキに視線を。

生クリームの状態を仔細に観察しつつ、ウェイトレスがホットコーヒーを置いていくのを待った。

ウォルターが、気のせいか少し目を輝かせつつ口を開く。

 

「中々美味しそうなケーキだな」

「あれ、ウォルター君って甘い物好き?」

 

 何気に食事時より真剣な目のウォルターに、思わず尋ねるなのは。

対しウォルターは、少し恥ずかしそうに頬をかきながら答える。

 

「いや、こいつが普段は厳しくて、こういう機会でもなければ中々間食をする事が無くってな」

『正当な制限です』

「とかこいつは言ってるが……」

 

 と、首元のティルヴィングにデコピンをするウォルターに、なのはは思わず目を見開いた。

高鳴る胸に両手を、緊張する全身を深い呼吸をしてリラックスさせ、どうにか震えの無い声で言う。

 

「そ、それじゃあ、また今度もウォルター君を誘ってもいいのかな」

「……そうだな、大歓迎だよ」

 

 ニコッと笑うウォルターの顔は、普段の熱い表情よりも、幾分か優しさの割合の多い笑みであった。

なのははそれに舞い上がりそうになるも、同時に冷静な部分が少しだけウォルターの表情の動きが遅かった事に首を傾げる。

と言っても、然程気にする程の差異では無かったので、なのははその部分についてはそのうち考える事にして捨ておいた。

そのまま天にも昇る心地なのを必死で抑え、なのははそれじゃあ、と手を合わせる。

ウォルターも同じようにして、言葉が輪唱した。

 

「いただきます」

 

 言って、2人はフォークを持ってケーキを一口。

舞い上がりそうな気分がケーキを余計に美味しく感じさせるが、なのはの喫茶店の娘としての観察力がケーキを見分する。

流石にミッドの有名店だけあってチーズ自体は翠屋より良い物を使っていた。

が、タルトやチーズの生かし方を考えるに、総合的には翠屋より幾分下であろう。

視線をウォルターにやると、目が合った。

視線を辺りにやってから、ウォルターが身を乗り出し、手で小さなメガホンを作る。

これは、これはもしかして、内緒話の姿勢ではあるまいか。

心臓が破裂しそうなぐらいに鳴り響くのを感じつつ、なのはは乗り遅れぬよう急ぎ腰を上げ、耳に手をあてウォルターの口元に寄せる。

 

「此処の店には悪いけど、翠屋の方が美味しいかな」

「……う、うんっ」

 

 ウォルターの声と共に、吐息がなのはの耳に吹きかけられた。

嬉しすぎて昇天してしまいそうな心地のまま、なのはは辛うじて返事を。

崩れ落ちそうな程ふにゃふにゃになった体を、どうにか椅子へと戻す。

足元がふわふわしていて、もう立ち上がれるかどうかも分からないぐらいだった。

 

 真っ赤な顔をするなのはに、ウォルターは不思議そうに首を傾げた後、あぁ、と納得の色を。

それから苦笑気味ながらも、暖かな視線をなのはにやる。

内心を見ぬかれたのだと、なのはは更に頬を赤く染めた。

多分、なのはは自分がウォルターの事を好きだとは見ぬかれていないと思う。

なのでウォルターは、なのはの様子を年の近い男に近づかれて恥ずかしがっている、という程度にしか捉えていない筈だ。

それでも、その動作一つで、ウォルターがなのはを赤面させたのが天然の動作だったと知れる。

ずるいよ、となのはは内心で身悶えしながら呟いた。

計算づくでもそれはそれで嬉しいのだけれども、天然でこんなになのはを恥ずかしがらせる動作をするのは、そう、なんというか、ずるくて仕方がない。

 

「っと、半分だな」

 

 そんな事を考えつつ、なのはが一口、二口とケーキを口にした辺りで、ウォルターがなのはのケーキの皿へと手を伸ばした。

首を傾げるなのはを前に、ウォルターが互いのケーキを入れ替える。

 

「確か、ケーキは半分づつシェアするって約束だったよな?」

「……にゃ」

 

 ぼん、となのはは自分の頭が爆発する音を幻聴した。

確かになのはは、ウォルターを誘う時にケーキをシェアしようと約束したけれども、今、ただでさえ悶え死にそうな今この時に?

なのはは先日の自分を呪えばいいのか感謝すればいいのかすら分からないまま、ぶるぶると震える手で、ウォルターのショートケーキを口にする。

関節キスであった。

流石にウォルターもそれは分かっているのだろう、少し頬を赤らめながらの食事であり。

なのはの脳裏には、最早味など入ってくる隙間は残っていなかった。

 

 なのはは、それから自分でも何を話したのか記憶にないまま、ウォルターとの会話を終えた。

多分ケーキに関する蘊蓄を話していたというぐらいまでは分かるのだが、ウォルターの反応が思い出せない。

もしかしたら、思い出したらそれだけで憤死してしまうような甘い内容だったのかもしれない。

そんな事を思いつつ、なのははどうにかケーキを食べ終え、支払いをし喫茶店を出た。

外の空気を吸った事で、なのはの頭が少しだけ冷え、思考能力を取り戻し始める。

 

「……よ、よし」

 

 と片手を握りしめ、なのはは再び己に誓う。

今度こそ、今度こそなのはがウォルターをリードし、女性として意識してもらうのだ。

その為には強固に自分を保つ必要があり、自制心を極限まで働かさねばなるまい。

恐るべき意志力で自己を固めたなのはに、ウォルターが微笑ましげに話しかけてくる。

 

「それじゃあ、少し腹ごなしに散歩しながら、次の店に向かおうか」

「うん、そうしようっ」

 

 胸を張って言い、なのはは確信する。

今のなのはのテンションは、覚醒したリィンフォースを前に、フェイトと共に立ち向かった時にさえ匹敵した。

今の自分ならウォルターに決して負けず劣らず、立ち向かえる事だろう。

そう考えるなのはの手に、恐るべき自然さでウォルターが手を絡めた。

 

「……にゃ?」

「それじゃ、行こうか」

 

 あ、となのはは思考を空白にする。

そうだ、外に出て歩くと言うことは、またウォルターと手を繋ぐと言う事なのだ。

失念していた事態に、なのはは再び脳内が爆発する音を幻聴した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なのはー」

「にへへ……」

「なのは、ちょっとなのは?」

「にへへ……」

「はぁ……なのは!」

「にゃっ!?」

 

 母桃子の叫び声に、なのははふと我に返った。

気づけば、なのははパジャマ姿でベッドの上に頬杖をついて寝転がっていたのだ。

驚きに目を白黒させつつ、母に視線をやると、溜息をつきつつ口を開く。

 

「なのは、嬉しかったのは分かるけどもう0時過ぎよ? 明日早いんでしょう、そろそろ正気に返って寝なさい」

「え? えぇ!?」

 

 思わず悲鳴をあげるなのはを捨て置き、桃子はじゃあおかーさんはもう寝るからね、と言って部屋を出ていってしまった。

驚くべき時間の経過の速さであった。

一瞬前にはウォルターとケーキを食べていたような気がするのだが、いつの間にかこの有様である。

それほど自分がウォルターの事を好きなのだと自覚し、その事がなんだか嬉しくて、なのはは両手を胸にやった。

 

 あの後なのはは、ウォルターと共に数件の喫茶店を周り、その上なのはに夕食まで付き合ってくれたばかりか、なのはを地球の自宅まで送り届けてくれた。

当然、士郎や家に居た恭也とも顔をあわせる事になる。

なんだか2人分の殺気がするんだが……、とウォルターは冷や汗をかきながら帰っていき、その後なんだか金属質な音が聞こえたような気がするが、なのはのふわふわした記憶には曖昧にしか残っていなかった。

 

 なのはは兎に角、と思考を持ち直し、明日以降の為に寝る準備をしつつ、ふと思う。

ウォルターは今日なのはにとても優しくしてくれたけれど、時々とても哀しそうな目をしている時があった。

ウォルターに翻弄されっぱなしだったなのははそこに口を出す余裕が無かったが、ウォルターのその目を思い出すと、なんだかやりきれない切なさを感じる。

どうにかして、ウォルターの支えになりたい。

そう思うなのはであったが、今日の有様ではそれはかなり遠い目標になってしまうだろう。

何せ今日のなのはは殆ど一方的にウォルターに世話を焼いてもらい、なのはは死ぬほど楽しかったけれど、ウォルターもそうであったかと言うと自信が無い。

 

 次こそは、私がウォルター君の心の慰めになりたい。

それが可能だと信じ、なのはは希望を胸に床につくのであった。

 

 

 

 

 

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