仮面の理   作:アルパカ度数38%

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年末力による更新速度でした。
あ、微鬱展開注意です。


6章3話

 

 

 

1.

 

 

 

「ぁ……!」

 

 声にならない悲鳴。

反射的に、僕は高速移動魔法を使ってギンガを突き飛ばしていた。

スローモーションになった世界で、寸時遅れて同じ行動に出ていたリニスが、僕と視線を交わし驚いているのが見える。

馬鹿だったと考えるべきか、それとも同じ分断されるなら2人で良かったと考えるべきか。

考えつくよりも早く飛行魔法を発動させようとするのと同時、軽度のAMFが僕らの居る空間を狭く覆った。

意表を突かれ、飛行魔法の集中が解け、僕とリニスの体を重力の鎖が絡め取る。

次の瞬間、僕らは階下の部屋へと落下。

 

「ウォルターさん!?」

 

 と。

ギンガの悲鳴と同時、床に靴裏で着地する音と、頭上で開いた床が閉まる音とが和声を形作った。

パラパラと落ちてくる埃を頭から払いつつ、僕は周囲に視線をやる。

狭い部屋だった。

机とその上にあるラップトップ、薄汚れたベッドに備え付けと思わしきクローゼット。

異彩を放つのは大きめの壁面埋め込みのディスプレイと、それに繋がった端末が床に転がっている事ぐらいか。

部屋は研究員の誰かの、居住用個室のようであった。

最大限だった警戒を薄め、僕は仮面を外した呆れ声で呟く。

 

「落とし穴って、また古典的な罠だね……」

「しかも落ちた先がただの部屋で、分断以外の効果がほぼ無意味って。さっきからある罠と言い、ここの設計者は馬鹿なんでしょうかね?」

 

 ぼやくリニスの表情も、浮かない物だ。

先ほど、ハラマの過去が妄想だったと確定した地下4階。

階段が通路に見当たらなくなったので四方の部屋を探索する事になったのだが、四方の部屋にはトラップの類いが仕掛けられていた。

トラップ自体の出来は良いのだが、しかし配置は明らかに素人が作ったと分かる物。

トラップ同士が連携する事もなく、恐らくは既に作ってあったトラップを適当に配置した物が殆どだろう。

次元犯罪者クリッパーとやらは、やはり進入の手際が悪かった事を考えても、研究者一筋か、精々魔導師として多少の練度があるぐらいなのではなかろうか。

 

「施設も大分前に廃棄された物みたいだからなぁ。こりゃあ、クリッパーがプロジェクトHに関わっているかどうかもよく分からんぐらいか」

「クイントによれば、プロジェクトHの監修者はあのジェイル・スカリエッティらしいですからね。少なくとも、全容を知っているという事は無いのでしょうが」

「だろうな。さて、ここにクリッパーの奴が逃げ込んだ理由は何なんだかなぁ」

 

 などとぼやきつつ、僕は溜息をつく。

記憶の正誤が分かった以上、僕にとってここで得たい物は2つ。

はやて達への助力と、僕を制作か調整かをしたプロジェクトHの秘密。

両者をクリッパーから得られると考えていたのだが、それも怪しくなってきたかもしれない。

すると、前者、クリッパーの逮捕とロストロギアの無力化を優先して動くべきだろう。

実を言えば、僕はプロジェクトHが何だろうがアイデンティティをUD-182の存在で確立しているので、それほど必死でプロジェクトHの正体を確かめようとしている訳ではない。

それでも、手に入りそうだった手がかりにひらりと身をかわされた気がして、面白くないのは事実だが。

 

「さて、流石に上階への転移妨害結界ぐらいは張ってあるか」

「とすると、位置ははやて達にも分かっているのですから、待っていた方が良いでしょう」

「……応」

 

 と、僅かに渋い声を漏らす僕。

気付いたのだろう、訝しげな声でリニス。

 

「……何かありましたか? それとも、ハラマの事が……」

「いや、それもあるが、それだけじゃなくて、何か嫌な予感が……」

 

 と言いつつ僕が足下の端末を蹴り、脇へ寄せる。

からん、からん。

見目より軽い音を立てて端末らしき物が転げてゆき、ぶぅん、と低い音と共に、壁面ディスプレイが明滅した。

ぞくり、と背筋を這う凄絶な戦慄。

直感が今すぐディスプレイを破壊すべきだと感じていたが、できなかった。

何故なら。

映った映像には、幼い頃の僕が映っていたのだから。

 

『個人記録ナンバー13。UD-265記録映像』

 

 ノイズ混じりの電子音声。

映像に映るのは見覚えのある研究者の部屋で、はたと見渡せば、この部屋であった。

研究者に手を引かれて来た僕は、”家”では何時もの緑の患者着。

しかし、僕の記憶に研究者の私室に入った記憶なんて無いが、忘れているのだろうか?

疑問詞が沸く僕の前で、研究者は僕を引っ張りベッドに放った。

僕がふらふらと歩きベッドに倒れ込むのを尻目に、研究者は机の引き出しを空ける。

 

『ひひ……、一週間ぶりに順番が回ってきたんだ。幻覚剤ももう一回注射しておいた方が良いな……』

 

 気色悪い笑みを浮かべながら、研究者はベッドにうつぶせに倒れる僕を押さえ、腕に注射する。

びくん、と僕は小さく跳ね、呟いた。

 

『……182。182じゃないか』

『ひひ、存在しない廃棄処分した番号かぁ。お前は相変わらず好きだなぁ』

 

 え? と。

僕は思わず呟いた。

靴裏に確かにあった筈の床板の感触が感じられず、けれど何故かその場に立ち尽くす事だけはできている。

よく分からない感覚だった。

まるで、足下が、全て崩れ去って行くような、とでも形容できるような。

不思議な感覚。

そんな僕を尻目に、目前の映像は残酷にも続いてゆく。

 

『ありがとう、182。僕はちょっと弱気になっていたみたいだ』

『嫉妬しちゃうなぁ、265ぉ。お前は本当に可愛い奴だ……。213のような醜い子とは違ってねぇ』

『掴むんだ、求める物を、か。そうだね、僕も……絶対に……』

『うんうん、俺も求める物を掴むよぉ』

 

 生理的嫌悪感を伴う声を漏らしつつ、研究者は僕の患者着に手をかけた。

手慣れた手つきで全裸にされたうつぶせの僕の上に、覆い被さるようにして。

ねっとりとした声。

 

『あぁ、なんて可愛い奴なんだ……』

 

 がつん、と言う音。

気付けばリニスが、視界の端で、転げた記録装置と思わしき物に攻撃していた。

けれど映像が乱れただけで、音声は切れず。

 

『う、おおぉ……』

 

 と。

男が甘露を舐めたような声を漏らしたのと同時、リニスの二撃目が記録装置に突き刺さる。

ノイズ混じりに、水気のある音が響いて。

 

「わぁあぁぁぁっ!」

 

 三度目の正直。

悲鳴を上げるリニスの攻撃で、音声も完全にノイズに飲まれた。

呆然と立ち尽くす僕の視界の端で、涙を零しながら、リニスが荒い息で肩を上下させている。

暫しの間ノイズを垂れ流した後、壁面ディスプレイは完全な漆黒となった。

 

 沈黙。

何も言い出せないのではなく、僕は何を言えばいいのか分からなかった。

どころか、何も考えられなかった。

まるで雷に打たれたかのように、立ち尽くすだけで、動く事すらままならない。

呼吸をする事に、必死だった。

意識を保つ事に、必死だった。

 

 それでも。

一瞬前の映像を認めたくない一心で、僕の口は辛うじて動いた。

 

「ティルヴィング……」

『イエス、マイマスター』

「UD-182は……、あいつは、確かに存在していたっ!」

『データにありません』

 

 冷酷な一言。

まるで袈裟懸けに切り裂かれたかのような、心血が冷えてゆく感覚。

かつて同じ言葉を、脱出時の記録映像を消してしまったのだと勘違いしていたけれども。

 

「馬鹿な……! そうだ、脱出時の映像記録はっ! 本当に消したのか!?」

『いえ、ありますので、投射いたします』

 

 言ってティルヴィングは映像ディスプレイに向かい、プロジェクターの要領で映像を映し出した。

7歳児の肉体で緑色の患者着を着つつ、ティルヴィングを振り回す僕。

 

『182っ!』

 

 映像の中の僕が叫ぶ。

黒スーツの男2人が構えるのを見目に、僕は彼らを蹂躙。

秒殺した直後、僕は虚空に向かって手を伸ばした。

 

『大丈夫かっ! デバイスは確保できた!? ……こっちは体も大丈夫でデバイスも確保できた、急ぐぞっ!』

「おい……、なんだこれは」

 

 呆然と呟く僕を尻目に、映像の中の僕は虚空に話しかけながら先へと進む。

そして僕は単身脱出に成功し、虚空に逸れた銃弾を見て怒りを露わにして黒スーツを倒し、虚空に向かって話しかけていた。

 

『僕に……、僕に何かできる事はないか』

「やめろ……」

『何だ?』

「やめろ……!」

『なら――、僕がそれを継いでみせるっ!』

「やめろぉぉぉおおぉぉっ!!」

 

 絶叫。

ティルヴィングが映像投射を終了し、空間は再び沈黙に満ちた。

肩を上下させつつ、僕は内心事実を悟り始めていた。

当たり前の話。

ハラマの、UD-213の記憶が間違っていたからと言って。

僕の、UD-265の記憶が正しく、間違っていない保証など、どこにも無かったのだ。

それでも、認めたくない事実を前に、僕の口は突き動かされるように動く。

 

「それでも……そうだ、再生の雫でUD-182は蘇生したっ!」

『記憶と元に疑似蘇生体は作られていました。元々存在しない人物が蘇生可能な可能性は十分にあります』

「それは、それだけど……! でも、そうだ、僕は……そんな事知らないっ! そうだ、UD-182は居て、これはただのまやかしなんだ、僕を混乱させるだけの! だって、僕は次元世界最強の魔導師だ、混乱させる価値はある、そうだろうっ!」

『マスター』

「そうだ、そうに違いないっ! ははっ、僕を騙そうだなんて、甘いんだ! 他人を欺く事にかけては、年期は兎も角、人生の割合では僕は誰にも負けないからなっ! そうだ……そうに、違いな……」

『マスターの先ほどの会話を再生致します』

 

 言って、ティルヴィングの緑色の宝玉が明滅。

つい先ほどの、仮面を被った僕の声色が再生される。

 

『なぁ、お前が何を現実だと信じて生きようが、お前の勝手だ』

「ぁ……」

『だけど、一つ俺が言える事があるとすれば』

「やめ……」

 

 手を伸ばす。

何を求めてなのか。

何のためなのか。

そもそも、何処へ向けてなのか。

それすらも分からないまま、ただただ僕は手を伸ばして。

空中を彷徨わせて。

僕の言葉が、再生された。

 

『――それは、ただの妄想だ』

「――ぁ」

 

 呟くように、声色が漏れた。

僕の声。

仮面の声。

UD-182の声。

妄想の声。

妄想を否定する、妄想の声。

道化の声。

 

 僕は、ついに全身から力が抜けてゆくのを感じた。

膝が床に、ゆっくりと落ちる。

続けて尻がぺたんと床に触れて。

僕はただ、呆けて目前の光景をだけ見ていた。

暗く、何も映らない壁面ディスプレイを見ていた。

 

 UD-182。

あの輝ける魂は。

次元世界で最も尊く、輝ける魂は。

僕が生涯を賭して、その存在を皆に知らしめようとした魂は。

無かったのだ。

存在しなかったのだ。

 

 ――妄想だったのだ。

 

 僕は、全てが色あせてゆくのを感じた。

語った言葉、奮った力、それら全てから、意味が、価値が、抜け落ちてゆくのが分かる。

暗い何処かへと僕の中にある全てが溶け落ちてゆくのを感じて。

 

「――ウォルター!」

 

 それでも。

ここには、僕を抱きしめてくれる人が居た。

暖かな体温が、体を温める筈が、先ほどの映像がどうしても頭を過ぎってしまい、怖くもある。

僕自身は、知らぬ間に陵辱されていたのだから。

それでも、そんなことは構わぬとばかりに強く僕を抱きしめるリニス。

その力強さが、今は少し、嬉しかった。

 

「それでも、です。例え、貴方が言うように、UD-182の存在が貴方の妄想だったとしても……」

 

 ぐったりとした僕の体を抱きしめたまま、リニスは鼻梁と鼻梁とが触れそうなぐらい近くにまで顔を寄せた。

吐く息が頬に当たるぐらいの、くすぐったい距離。

いつもなら恥ずかしいそれに、反応する事すらままらなかった。

全身から力が抜けてゆき、このまま何も考えたくなくなってゆく。

そんな僕に、リニスは告げた。

 

「その人物像は、貴方の内から生まれた物なのです」

「…………」

「確かに貴方の信念の元となる人間は、存在しなかった。けれど、UD-182は貴方自身の心から生まれた物。であれば、こうも言える筈です」

 

 思わず、目を瞬いた。

このまま世界に溶け落ちなくなってしまいそうだった心が、辛うじて踏みとどまる。

そんな僕へ向け、リニスは真摯な目を僕に向けつつ、叫んだ。

 

「貴方の信念を形作ったのは、貴方自身だったのです!」

「…………ぁ」

 

 頭の中に、染みこむような言葉であった。

僅かに心が揺れ動き、全てが色あせてゆく速度が遅くなる。

 

「そう、なのかな……」

「そうです。確かに貴方の信念の元となる存在は、貴方の外から内へと場所を変えました。けれど無くなった訳ではないのです」

 

 少し、だけ。

少しだけ、僕の体を辛うじて動かすだけの気力が、僕の体には残っていた。

投げ出されていた手の指が、ゆっくりと曲がる。

拳を形作れる事を確認してから、床に手を置き、両足に万力を込めた。

ぶるぶると震えながら、リニスに支えられながらだけれども、僕はゆっくりと立ち上がる事に成功する。

それでもやはりふらついたけれども、僕は、辛うじて両足で立つ事ができていた。

やっとのことで立ち上がった僕は、再び口を開く。

 

「納得、できた訳じゃあない。けれど僕は……、とりあえずまだ、立って歩き続ける事は、できるみたいだ」

「ウォルター……」

 

 心配そうに僕を見つめてくるリニスに向かい、僕が口を開こうとした、その瞬間である。

複数の気配。

感情の乱れで鈍った探知でようやく引っかかったそれに、僕は深い溜息と共に、片手を広げた。

震える手を顔面にやる、仮面を被るような所作。

これから仮面を被るという、僕自身への半ば自己催眠行動。

それを終えるのとほぼ同時、部屋のドアがスライドし、悲痛な声が。

 

「大丈夫かっ、ウォルター君っ!」

「大丈夫、何の問題も無いぜ、はやて」

「ぶ、無事で良かったぁ」

 

 肩をすくめながら言う僕。

不敵な笑みを浮かべている筈だが、果たして僕は上手く笑えているのだろうか。

それすらも自信が無くなってしまっていたが、とりあえず変な顔はしていなかったのだろう、はやてはほっと溜息をつくだけだった。

 

「ま、なんもねー部屋だったし、資料も無い訳じゃないが大した物じゃあなかったからな。捜し物をするよりは先を急いだ方が良いと思うが」

「そか。まぁ、元々居住区は階段の有無以外調べとらんかったし、行こうか」

 

 と、すぐに冷静さを取り戻すはやてと共に、広めの通路に出る。

隊員は基本的にほっとした顔をしていて、混ざっているハラマはまだ硬さの残る表情。

そんな中で複雑そうな表情で見守っていたギンガが見つめてきていたので、視線を返し、微笑み返してみせる。

するともの凄い勢いで視線を逸らされた。

一瞬、クイントさんの姿が幻視できてしまい、僕の心が痛切に痛むも、すぐに痛みは鈍化し消えてゆく。

全てがいくらか色あせた僕の心は、無感動性と同時に無痛性も高まっていた、という事なのだろうか。

 

 内心頭を振り、後でいくらでも考えられる事を一端置いておき、僕は歩調を合わせ、リニスの隣に位置取った。

誰もが僕らから視線を外しているのを確認し、リニスにだけ届く声量で、僕は告げる。

 

「ありがとう」

 

 目を見開くリニス。

彼女の泣きそうな笑みを尻目に、僕はフォーメーションの中の一人として配置に着いた。

 

 

 

2.

 

 

 

(ティルヴィング)

 

 リニスは、隠匿念話をティルヴィングに向かい繋げた。

緑色の宝玉が、リニスにのみ見える角度で明滅。

肯定の意を感じ取り、リニスは冷涼な光を目に宿したまま、念話を続けた。

 

(貴方は何故、ウォルターにあれほど安易に全てを教えたのですか? せめて、もう少しゆっくりと。いえ、それができなくとも、伝え方という物がある筈です)

 

 そう、リニスはティルヴィングのあまりにも機械的な、ウォルターの精神を思いやる気配のない行為に、内心憤りを抱いていた。

リニスにとって、理想のデバイスAIは己の作成したバルディッシュである。

寡黙ながらも必要なときは主の声に応え、寄り添って主が自立する力の一助となる。

そんな理想と比べ、ティルヴィングはあまりにも冷徹なAIであった。

寡黙で戦闘において力を発揮するのは間違いないが、主の一助となるというより、ただ主に事実を伝えているだけの人格。

今まではそれを捨て置いてきたが、ウォルターの心を後一歩で破壊していたかもしれないという今回ばかりは見過ごす訳にはいかなかった。

そんな思いを乗せた言葉に、ティルヴィング。

 

『私は機械。鋼の血肉をしか持たない、人造人格。故に知っている現実を伝える事だけがその役割です』

(それなら、何故貴方というAIがあるのですか? その人格を持って、人として主を支える為ではないのですか?)

 

 リニスの言葉に、ティルヴィングが明滅。

何時にない力強さで、反論が飛んでくる。

 

『違います』

(何故ですか? あの、今にも折れそうだったウォルターを見ても、そう言えるのですか!?)

『言えます』

 

 冷徹な声に、リニスは沸いてくる怒りに思わず表情を失いかける程であった。

そんなリニスに、冷水を浴びせるが如く、ティルヴィング。

 

『何故なら、機械であるが故に見える物があるからです』

(機械であるが故に……?)

『人間は常に、あらゆる事実を認知フィルターを通してしか事実を認識できません。加えて、得た事実も感情のフィルター越しにしか見る事ができません』

 

 事実ではある。

人間の脳はあらゆる事実を見たまま、聞いたままに感じ取るのではなく、ある種の認知フィルターを通してから理解している。

それ故に複雑な事実を抽象的なイメージで簡単に捉える事ができ、ある種の事実群からその奥にある意図を辿る事もできるのだ。

だが、それは事実を完全に正しくは認識しきれないという、諸刃の剣でもある。

対し機械であるティルヴィングは、人格データを強力薄くする事で、そういった認知フィルターを可能な限り通さずに事実を認識できるのだ。

例えば大きい所で言えば、ウォルターが求めるUD-182という名の存在の有無についてがそのまま答えになるだろう。

これがデバイスでなければ、過ぎた月日とウォルターの言葉によって過去がねつ造され、UD-182が居たかもしれない、と間違った記憶をしていたかもしれない。

 

『私たちデバイスは、機械であるが故に機械でなければ認識できない事を認識できます。過度に人間らしいAIになれば、その利点を減らす事はできても、伸ばす事はできません』

(それは……)

『少なくとも私は。デバイスの、私の役割とは、人の目では見る事の適わない事実を伝える事だと信じています。人格はその事実を人が受け入れやすいようにある、それだけの物に過ぎません』

 

 リニスは、上手い反論が思いつかず、口ごもった。

不覚にも、一理ある、と思ってしまった事もあるのだが、それ以上に。

既視感。

何処かで、見た事があるような。

聞いた事が、あるような。

 

『加えて』

 

 と。

ティルヴィングが続ける。

 

『人の心は移ろいやすい物。歩むべき道を見失う事などいくらでもあります。ですが機械である私はマスターの過去を、歩いてきた道を見せるだけが役割です』

(……何故、ですか?)

 

 思わず問うたリニスに、変わらぬ冷涼な声でティルヴィングは告げた。

 

『それ以上は、道具の領分を超えます。主の道を定めるなど、道具の風上にも置けぬ愚物であるが故に』

(…………)

 

 似ている、とリニスは思った。

己の信念に頑なで、自分で自分を雁字搦めにして、それで苦しみながらも進んでゆく人に。

方向性はまるで逆で、人間性が高すぎるのか低すぎるのかは別だけれども、端から見れば非人間性にたどり着くのは同じようで。

ティルヴィングは、ウォルター・カウンタックに似ていた。

似た者、主従。

 

(……はぁ、一人でも頭が痛いのに、二人も居る事に今気付いてしまったのですね)

『? どういたしましたか?』

(なんでもないです……)

『つまり、どうしたのですか?』

(はいはい……)

『はいはいではありません。どうしたのですか?』

 

 頭を振り、しつこいティルヴィングの念話を打ち切るリニス。

抗議の意味を込めて明滅するティルヴィングは、何時もの非人間的な様子に比し、どこか人間的で微笑ましく思える。

噛み合っているようないないような、不思議な似た者主従であった。

それに羨ましくも妬ましい、複雑な気持ちを感じつつも、リニスは溜息をついた。

 

 けれど、少なくともティルヴィングは彼女なりにウォルターの事を想って動いているのは分かった。

あの頑固者はリニスの言を聞き入れるような事は無いだろう。

つまり、要するにリニスがフォローせねばならない事が減らない訳なのだが。

ただでさえウォルターの精神が酷い状態だと言うのに、頭の痛くなる事である。

だが、不思議と僅かだが足の運びが軽くなったような気がして、リニスは少しだけ表情を柔らかくするのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

 地下5階中央。

広い部屋の中、10分ほどと短めに取った捜査の指揮をとりつつ、はやてはついすぐ近くで所在なさ気に立つウォルターに視線をやった。

すぐに気づき、視線を合わせるウォルター。

思わず跳ねる内心に顔を紅潮させるはやてだったが、ウォルターは一つ微笑みかえすと、すぐに辺りの警戒に意識を戻してしまう。

 

『どうしたんですか? はや……マイスターはやて』

「……うぅ、何か悔しい」

 

 こちらは目が合っただけでドキリとしてしまうのに、ウォルターはと言えば余裕気に微笑む事すらできるぐらいで、全く動揺の色など見えなかった。

それはなんというか、ずるい。

とてもずるい。

何時もウォルターはずるい存在だった。

先ほどハラマが、過去の記憶が妄想だったと突きつけられた時だってそうだ。

ハラマに現実を突きつけながらも、彼を、辛うじてとは言え再び立ち上がらせて見せた。

それも、言葉すらなく、手を差し伸べるたった1つの所作のみでである。

ずるい。

果てしなくずるい。

はやてなど、ハラマに慰めの言葉を何十と考えながらも、結局どれも陳腐に思えてしまって口に出せなかったと言うのに、である。

 

 ずるいのに、果てしなく格好良くって、憧れてしまう。

はやてにとって、ウォルターはそんな存在だった。

闇の書事件の時も、ずたぼろになりながらも戦って戦って戦い続け、はやてとリィンフォース・アインを破滅的な運命から救い出してくれた。

リィンフォース・アインこそ命を長らえさせる事はできなかったものの、それでもツヴァイに至る種子と言える物を、はやてに残す余裕ができたのである。

加えて、はやてを相手に約束さえしてくれた。

 

“今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の躊躇もなく俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく、助けてみせる。約束するよ”

 

 あの約束の、なんと尊く輝いていた事か。

死ぬほど格好良かった。

憧れた。

少しでも彼のような英雄に近づきたくて、はやては本格的に魔導師としての道を歩み始めた。

勿論理由はそれだけじゃあなくて、罪を償うこと、家族とともに過ごす事、様々にあったけれど、一番の理由はやっぱりそれで。

 

 けれどはやてには、例えヴォルケンリッターの力を合わせたとしても、ウォルターほどの力は無い。

だからはやては、必死に組織としての力を手に入れ、その力を込みでウォルターに近づこうとしてきた。

昨年4月の空港火災事件を切欠に、自分の部隊を持ちたいという夢を持つようにもなって。

伝えたかった。

ウォルターを部隊に引き入れたいという気持ちがないと言えば嘘になるが、それ以上に、自分が目標としている彼に近づいているのだと、少しでも知って欲しかった。

そして、できれば褒めて欲しかった。

最も、部隊で作戦行動中の今にそんな事はできはしないので。

 

「……まずはこの事件、とっとと片さんとな」

 

 呟き、時間が来たという事でくる隊員達の報告を受ける。

集まった面々を前に受けた報告をまとめ、はやてが口を開いた。

 

「つまり、まとめると……」

 

 プロジェクトHはナンバー300辺りで新規個体を調整する意味が薄れてきたので、規模を縮小した施設に拠点を移し、ここは放置。

残っていたのは個人的な記録や消し忘れ程度で、大した情報は残っていない。

だが、緊急時に利用できるよう非常用の動力などはあり、今はそれが動いている状態。

つまり、この施設はプロジェクトHのみと関連しており、黒翼の書とは関係無い。

 

「要するに白剣の書が通用するかも、黒翼の書が特殊な適合が成されているかどうかも、不明って事や。当てが外れたって事やね」

 

 聞く隊員達の顔は硬い。

何せ今から最悪、最強クラスのロストロギアを適合した実験体と戦わねばならない可能性すらあるのだ。

エース級の魔導師ですら死を覚悟するレベルだと言うのに、部隊員はBランクとCランクが殆ど。

それでも白剣の書が効けばどうにかなるのだが、効く保証はさほど高く無い。

 

 そんな暗い雰囲気の中に、突如炎が巻き上がるような感覚。

硬い靴裏が金属床を踏みつける音に、皆がそちらを見ると、炎の瞳をした一人の少年が立っていた。

ウォルター・カウンタック。

次元世界最強の魔導師にして、英雄。

 

「つまり、黒翼の書相手に……正面から勝てば、何の問題もねぇって事だな?」

 

 言葉面だけ見れば、不遜にして非現実的。

失笑物の、現実を見ていない、ただただ呆れと怒りだけを生み出す台詞。

けれどそれは、ウォルター・カウンタックの口から出る事で、全く違う姿を見せていた。

その言葉は、他者をなんと熱く燃えたぎらせる事だろうか。

比較的慣れている筈のはやてでさえ、腹腔の奥が燃え上がるように熱く、全身を巡る血潮が燃えさからんばかりであった。

 

「ふん、俺が今まで戦ってきた相手で最強だったのは、7年前の闇の書の最強状態だったが……。それ以上だろうが、何の問題もねぇ」

 

 そう、黒翼の書の過去適合者は、最高でも闇の書の暴走状態と同程度。

暴走以上の力を発揮したはやてとリィンフォース・アインと闇の書の暴走部分の三位一体状態を倒したウォルターに、黒翼の書に勝てない理由など無い。

ましてや、7年前の状態でさえそうだったのだ、あれから更に強くなったウォルターなら。

武者震いに打ち震えるはやてに、ウォルターが視線を。

隊長として鼓舞を頼まれたのだ、と直感するはやては、自分が頼られた事実に心躍りながら、告げた。

 

「その通りや。よーく分かっとるやないか、流石ウォルター君。まさか、7年前より弱くなっとるとかは無いわな?」

「ばーか、んな訳ねーだろ。格の違いって奴を見せてやるよ」

 

 はやては、告げるウォルターが今絶不調だと言うのは、リニスから聞いている。

実験体の適合率が、過去の適合者よりも高い可能性が高く、今までで最強の黒翼の書の適合者となるだろう事も予想できている。

けれど、それでも尚何も考えずに頷きたくなるほど、ウォルターの言葉には力があった。

理由もなく誰かに何かを納得させる力。

カリスマと呼ばれる、そんな力が。

 

「いつも通りやな、ウォルター君」

『えへへ、戦いの時のウォルターさんを見るのは初めてですけど、こんなに格好良いんですね』

 

 内側で告げるリィンに頷くはやて。

そう、ウォルター・カウンタックは完璧だった。

この人なら、例えこの”家”で見つけた過去がどんな物であったとしても、容易く立ち上がり、戦い続ける事ができるのだろう。

これが、ウォルター・カウンタック。

はやてにとって、最高のヒーローなのだ。

自慢したいぐらいの気持ちで、はやてはウォルターへと微笑んだ。

すぐにウォルターは気づき、顔面で笑みを形作る。

 

 ――曇り一つ無い、満面の笑みをウォルターは浮かべた。

 

 

 

 

 




ちなみに初期プロットではもっと酷かったので、ややマイルドになっています。

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