仮面の理   作:アルパカ度数38%

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6章6話

 

 

1.

 

 

 

「ソニカちゃんっ!」

 

 開けた草原の中。

駆けつけたはやて達は、裸身に黒いリボンを巻いた少女を囲み、デバイスを手に叫ぶ。

その中で一人、はやては手にした白剣の書に何時でも魔力刃を放てるよう、手を差し伸べながらの言葉である。

ユニゾンするリィンが泣きそうな目になるのを感じつつも、はやてはそれを辞めない。

 

「ソニカちゃん、大丈夫か!? 意識は? 黒翼の書はっ!」

 

 叫ぶはやての視線の先、ソニカ=黒翼の書は、見目にその体にはほとんど傷は無かった。

唯一と言っていい傷は、その両翼がずたずたに引き裂かれているのみで、黒翼の書の影響がどれほど解けているかは分からない。

はやてらが見守る中、小さく呻きながら、ソニカがその目を開く。

現状を把握すると同時、咆哮。

 

「早く、私を殺してっ!」

 

 その内容は、ウォルターの失敗を意味する言葉であった。

はやては、瞳孔が収縮するのを感じた。

吐く息が乾き、喉奥が裂けんばかりに枯れ果てて行くのを感じる。

全身から力が抜け落ちそうになるのを押さえるので、必死だった。

 

「少しの間飛べないけど、まだ戦闘はできちゃう……。私の意識で押さえられているのは、後数分も無い! お願い、早く、私を……!」

 

 悲痛な叫びに、局員達は誰もが視線を逸らす。

ウォルターを信じようと説いたハラマでさえも、唇を噛みしめ視線を足下にやった。

はやての中のリィンでさえもが、涙を目尻に溜めながら口元に手をやり、耐えきれずに視線を逸らす。

最早、この場にウォルターの勝利とソニカの生還を信じている者は居なかった。

 

 はやては、ゆっくりと手を振り上げた。

静かに掌へと魔力を集中、生まれた氷の短剣を手に、ソニカへと視線をやる。

ソニカは、歯を噛みしめ、唇を奮わせ、涙を堪えながら、それでも静かに頷こうとして。

目を、見開く。

 

「クリッパー!?」

 

 反射的にはやてらが振り返ったそこには、強化魔法と共に走ってきたのだろう、肩で息をするクリッパーが居た。

見れば、当然ながらその体を束縛していたバインドは既に無い。

バインドブレイクに成功していたのだ、と悟ると同時、はやての脳内に疑問が。

吐き出すよりも早く、同じ意図でソニカが叫ぶ。

 

「嘘、バインドが解けたのなら、なんで逃げなかったの!?」

「なんでって、当たり前だろうっ! 君を残して、一人で逃げられるかっ! 家族だろうがっ!」

 

 雷鳴のような言葉であった。

今正にそのソニカを殺そうとしていたはやての脳裏に、クリッパーの言葉が煌めく。

はやての脳裏に、愛する騎士達の姿言葉が過ぎった。

シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィンフォース・アイン、そして今も共にあるリィンフォース・ツヴァイ。

そんなはやてへと向き直り、叫ぶクリッパー。

 

「頼む、何だってする! 命だって、残る生涯だって、何にでも捧げてみせよう! だから、この娘だけは! ソニカだけは、殺さないでくれっ!」

 

 次いで、土下座。

震えながら枯れた声で叫ぶ彼の様相は、情けなくも、その意思の真摯だけは伝わってくる。

その真摯さが、心に痛かった。

はやては、これからその真摯な祈りをへし折り、白剣の書を破壊しソニカを殺さねばならないのだ。

 

 吐き気がした。

はやては、かつて世界の為に殺されようとし、奇跡で救われた少女だった己は。

世界の為に殺されようとしている少女を、奇跡など起きないと断じ、殺そうとしているのだ。

家族の命乞いをする男の前で、はやての家族の命の為にと、男の家族である少女を。

ユニゾンした家族の、末の妹であるリィンの前で、外道の行いをし。

ソニカを、その少女を。

殺す。

殺すのだ。

 

 覚悟は揺れに揺れ、定まる事なんてありはしない。

それでも、と氷の短剣を握る己の手に力を込め、震える喉での呼吸を荒くし、歯を噛みしめた。

己を見つめるソニカの、クリッパーの、そして内側からのリィンの目を受けながら。

それでも最後に、はやては呟いた。

どうせ意味の無い言葉。

自分の中に少しだけ残る、燻った希望を殺す為の、消化試合。

ただの、誰にも聞こえない筈の呟き。

 

「たすけて……」

 

 なのに。

応えは返ってきた。

 

「――応っ!」

 

 はやては、思わず全ての思考を捨て去り、振り返った。

その視線の先には、炎の意思を秘める男が。

次元世界最強の魔導師が。

はやての英雄が。

 

 ――ウォルター・カウンタックが立っていた。

 

 

 

2.

 

 

 

「嘘っ!? さっき、確かに心臓を貫いちゃった筈なのにっ!?」

 

 思わず叫ぶソニカに、目を見開くその場の面々。

人類としての常識だが、普通心臓を貫かれたら死ぬ。

しかし、目前のウォルターは確かに心臓を貫いた筈なのに、ピンピンと立っていた。

そんなソニカに、野獣の笑みを浮かべ、ウォルター。

 

「いいや、俺は死なないっ! そして、俺は負けない。誰にも、何にもだ!」

 

 ぞ、と。

ソニカは、理由もなく、背筋が沸き立つのを感じた。

心の内側が、爆発するかのような炎で満たされる。

心の血管を凄まじい勢いで烈火が駆け巡り、全身を熱い血潮で満たした。

 

 何だ、この人は。

これが人間が持ち得る、心の炎だと言うのか。

人類として、否、命を持ちうる者の一人として、ソニカは叫び、驚きを露わにしたかった。

しかし、目前の男の、心臓を鷲掴みにし、誰もの心を引き寄せるような魅力が、そうさせない。

確かに彼は、初めて見た時から熱い、血潮燃えたぎる男であった。

しかし今の彼は、先ほどまでの彼でさえ線香花火の炎に思えるような、爆発的な熱量を心に宿している。

 

「貴方は……! 何、何なの!?」

「……悪いな。お喋りしてやりたいのもやまやまなんだが、流石にあんまりペラペラ喋ってる力は残って無くてよ。だがまぁ、丁度いい、元々省エネの為に開発していたら、できた必殺技がある。まだ未完成だが――」

 

 言って、ウォルターは黒衣をはためかせながら、黄金の巨剣を構える。

瞬間、ソニカは、全身に異物感を憶えた。

一瞬遅れ、無数の刺傷の感覚だと分かったその次の瞬間、気付く。

幻覚。

ウォルターの闘志に、ソニカは全身を杭で串刺しにされたかのような戦慄を覚えたのだ。

脂汗を浮かべ、生唾を飲み込むソニカに向け、ウォルターはゆっくりと剣を振り上げる。

 

「――一撃で。決めてやる」

 

 ウォルターの輪郭が、歪んだようにさえ見えるほどの闘気。

黄金の巨剣が、モノクロの輪郭のみに幻視するかのような、戦慄。

全身を刺すような空気が、全身を杭で串刺しにされるかのような感覚にさえ感じる。

ソニカは、最早ウォルター相手に黒翼の書を押さえる事を忘れていた。

生存本能に突き動かされ、黒翼の書と一体になり、目前の男を突破する事だけを考える装置と化す。

 

 ソニカ=黒翼の書の戦闘能力は地上では大凡9割を維持し、無理矢理飛行すれば7割程度に落ちる。

魔力は全開時の6割程度まで落ちているが、目測でウォルターの6倍以上はあった。

戦力比は圧倒的にソニカ=黒翼の書の方が上の筈。

このまま戦えば十中八九はソニカの勝利は揺るがない、筈。

 

 なのにどうしてなのか、ソニカは、黒翼の書は、半ば己の敗北を確信していた。

少なくとも、傷ついた翼を使った飛行魔法を発動しようとすれば、もしくは翼を再生しようとすれば、次の瞬間敗北が決定する。

当然、背を向け逃げても、確実な敗北が待っているだろう。

理由もなく、ただ命を突き動かす本能がそう囁いていた。

 

 では立ち向かわねばソニカの勝利は無いが、どうすべきか。

一撃、この一撃を凌げば、恐らくウォルターは継戦能力を失うだろう。

狂戦士の鎧の維持にはある程度の魔力が必要だ、それを全力戦闘域で使うのなら尚更の事である。

故にウォルターが断空一閃級の一撃を放てるのは、あと一度。

そしてそれ以下の威力であれば、ソニカのバリアジャケットを前では牽制以上の意味を持つ事は無い。

 

 その一撃も、軌道は割れていた。

少なくとも始点は上段、それも中央付近から。

無論踏み込みの時に揺らす事ぐらいはできるだろうが、それでも中段の構えと比べ、今のウォルターの大上段の構えは大きく自由度が下がっている。

ならば当然左右に翻弄する動きをすれば、避けられる可能性は高い。

勝機が見えない相手では無いのだ。

 

 なのにどうしてだろうか。

ソニカは、黒翼の書は、今のウォルターを前に自分が勝利する姿を全く想像できなかった。

逆に、ウォルターの宣言通りに一合で切り伏せられる姿をしか、想像できない。

歯噛みし、苦悩するソニカ。

あまりにも強烈な目前の存在に、ソニカは、黒翼の書は、圧倒されていた。

 

 それでいい筈なのに、己が敗北してむしろ利となる筈なのに、ソニカはそれすら考える余裕も無い。

非殺傷設定があり、ウォルター自身ソニカを殺そうなどと欠片も思っていないだろうという確信がある。

事実、ソニカはウォルターの剣から殺意は欠片も感じない。

それでも尚、ソニカはこの剣に切られて生き残れるとは、思えなかった。

それほどまでに、目前の剣は、ウォルターは、圧倒的存在感があった。

 

「ぁ……」

 

 どれほど時間が経っただろうか。

時間の感覚すらもが曖昧で、まだ数秒しか経っていないような気もするし、数時間経過したような気さえもする。

太陽と影の関係から大凡は割り出せるのだろうが、他のことに意識を裂いた瞬間、ソニカは敗北を喫するに違い無い。

 

「ぁぁああっ!」

 

 己の内側で膨れあがる、ウォルターの存在に、ついにソニカは負けた。

これ以上、目前の圧倒的存在と対峙する事に、ソニカは、黒翼の書は、耐えきれなかったのだ。

半ば半狂乱に、その圧倒的な魔力を解放。

その手に籠め、コロナ・コーティングを発動し、魔力付与手刀を準備する。

神速の踏み込み。

左右に揺れるそれと共に、ウォルターへとソニカ=黒翼の書から突進。

後先を考えず、ウォルターの断空一閃以上の魔力を籠めたそれを、ウォルターへと振るい。

 

「――……」

 

 白い、閃光。

その魂をも焼き尽くすような光が、次の瞬間、ソニカの身を切り裂いていて。

 

「……ぁ」

 

 小さく声を漏らし。

刹那遅れ、ソニカ・デュトロは、黒翼の書は、己達が敗北した事を確信した。

――暗転。

 

 

 

3.

 

 

 

 低い駆動音。

外気をかき回すプロペラの音は、ヘリの分厚い装甲に遮られ、さほど大きくは聞こえなくなっていた。

それでも心臓の鼓動音をかき消すのには十分な音量で。

ヘリ後部の座席、応急処置を終えたウォルターが横になった側に座るギンガは、片手を己の心臓の上に、もう片手をウォルターの胸へとやる。

聞こえなくても感じられる、心臓の鼓動。

 生きている。

ウォルターは、生きている。

それが確かめられただけで、涙が溢れそうだった。

先の惨状から想起されるウォルターの現状を思うと、彼が生きている事を今なお信じ切れなくて、ギンガはただただ歯を噛みしめる。

 

 瀕死のウォルターは、確かに狂戦士の鎧なる魔法で戦闘可能な状態に復活した。

その後ソニカへと挑み、あの背筋の凍るような、圧倒的な威圧を伴う魔剣技を放つ。

リニス曰く、あらゆる魔力防御をくぐり抜ける事ができるという、成功すればあらゆる魔導師を一撃で倒す事が可能な技なのだとか。

超絶技巧が必要となるため未だに成功率が5割を切るそうだが、ウォルターはあの土壇場でそれを成功させ、ソニカ=黒翼の書に勝利してみせた。

が、集中力が切れてしまったのだろう、直後意識を失い、倒れてしまったのである。

直前の怪我を見ていたギンガなどは、ウォルターが死んでしまったのではとさえ思ったのであった。

使い魔として主人の生存を確信しているリニスが居なければ、果たしてギンガは狂態を晒さずに済んだか、分からない程である。

 

「無茶、しないでくださいよ……」

 

 無理なことを言っていると、ギンガ自身も分かっていた。

我が儘を言っていると、痛いほどに彼女は理解していた。

あの場でウォルターが無茶しなければ、確実にソニカは命を落としていた。

他の誰が許せても、ウォルター自身はそんな自分を許せないだろう。

誰にとってもどうしようもない状況で、何の希望も見えないとき、そんなときにさえ、いやむしろそんなときだからこそなのか、ウォルターは絶対に諦めない。

諦めず、結果を出し続ける。

それがウォルター、ウォルター・カウンタック、次元世界最強の魔導師なのだから。

 

 それでも、ギンガは彼に傷ついて欲しくなかった。

かといって、あの場で引くような男でもいて欲しくなかった。

つまり、ギンガはウォルターに、傷つく事無く強敵に勝てる男であって欲しかったのだ。

我が儘極まる事だと、ギンガは自分の感情を自覚していた。

していて、それでも押さえきれなかった。

あの死体と見間違うような状態で、それでも軽傷だなどとネジの外れた事を言って、ソニカに挑んでゆくウォルター。

その姿を見ると、心配で胸が張り裂けそうで、残酷な刃で心を引き裂かれるかのような気さえした。

勝手でも、我が儘でも、言わずには居られなかったのだ。

 

「貴方が傷つく事で悲しむ人だって、沢山居るんですから……」

 

 眼を細めるギンガ。

視線の先では、巨体に似合わず意外に子供っぽい寝顔のウォルターが。

小さく口をあけ、すうすうと寝息を漏らす彼は、常の血潮燃えたぎる姿が想像出来ないほどに穏やかだった。

こんなにも穏やかな顔ができる人が、あんなにも肉体を傷つけながら戦い続けている。

それが精神的には辛そうに見えないのが、痛々しさに拍車をかけていた。

 

「……ん……」

 

 小さく、ウォルターが呻き声をあげた。

目を瞬き、寝ぼけ眼で視線を天井に。

ふわふわと視線を動かし、ギンガに目を合わせると、急速に目が確りとする。

 

「おー……。ギンガか」

「ウォルター、さん……」

「応。ここって、ヘリの中、だよな……? ってちょっと待て、ソニカはっ!?」

「ってわっ、待ってください、大丈夫、大丈夫ですからっ!」

 

 叫び、飛び起きようとするウォルターをギンガは押さえつける。

痛みに耐えかねた様子で呻き声をあげ、ゆっくりとウォルターはベッドに横になった。

疑問詞を視線に乗せるウォルターに、ギンガ。

 

「まず、ウォルターさんはソニカに、黒翼の書に勝ちました。あの技で黒翼の書は機能停止、ソニカと切り離されて摘出に成功しました」

「あー、確かに、その辺りで俺の意識が落ちちまったのか」

「はい。で、ウォルターさんもソニカもこの場では処置できませんし、特にウォルターさんは動かすのも危なかったので、ヘリを呼んで運んで貰っています。私とリニスさんは付き添いですけど……」

「……あぁ、そうみたいだな」

 

 と、ウォルターは視線をギンガから外す。

ギンガがその視線を追うと、その先には毛布を抱きしめた、椅子に座ったまま眠りこけているリニスの姿があった。

先ほどまでヘリに乗ってきた医務官たるシャマルと共にウォルターの処置をしていたのだが、ヘリ内でできる事を終えると、糸が切れたように眠ってしまったのである。

シャマルはウォルターの容体が安定したのを見計らい、ソニカが乗せられたヘリへと移っている。

深部まで一体化していた黒翼の書を摘出されたソニカの容体も、ウォルターほどではないが悪く、処置が必要な為だ。

無論転移魔法のマーキングはしてあるので、ウォルターの容体が悪化してもすぐ駆けつけられるという前提あっての事だが。

 

「で、ソニカの体は、黒翼の書無しでも大丈夫そうなのか、分かったか?」

「はい。幸いシャマル先生の古代ベルカ時代の医療魔法に適した物があったようで、時間はかかりますが、ほぼ健康体に戻れるようです。尤も、上がった魔力キャパシティはそのままなので、元通りという訳にはいかないようですが……」

「ま、とりあえず何とかなったみたいで良かったさ。大口叩いておいて、最後まで面倒見切れなかったからなぁ」

 

 ぼやくウォルターに、ギンガは胸を締め付けられたかのように感じた。

手足の先が冷えて行き、理由もなく体温が顔面に集まってきて、涙を堪えるのに必死になる。

無茶をしないで、と言いたかった。

けれど先ほど思った通りその言葉はあまりにも身勝手で、少なくともこの人の、ウォルターの前で言うのは憚られる程で。

言えない。

意識の無いウォルターの前でしか、言えない。

だから代わりに、ギンガは俯き、膝の上で両手をぎう、と握りしめる。

 

「ウォルター、さん」

「うん? どうした?」

 

 怪訝そうにウォルター。

対しギンガは、かつてと同じあの言葉を言おうとして、口が動こうとしないのに気付いた。

心では言いたい、言わねばならないと思っていても、体が言う事を利いてくれない。

ギンガは、その場で深呼吸をしてみせた。

震えた吐息ばかりが漏れ、内心の動揺が空気分子へと伝わって行く。

それを見抜いているウォルターが眼を細めて行くのを尻目に、吐き出すようにギンガは問うた。

 

「お母さんは、どんな最後だったんですか?」

「言えない。……すまんな、言えないんだ」

 

 ウォルターはギンガから一切視線を逸らさず、その真っ直ぐな、燃えさかる瞳のままに告げた。

ギンガは、思った通りの反応が返ってきた事に、喜べばいいのか悲しめばいいのか、分からない。

結局中途半端な表情が顔に表れ、そのままに続ける。

 

「そう、ですか。……分かりました」

 

 意外性のある返事だったのだろう、ウォルターの眉が飛び跳ねた。

それに僅かに微笑みながら、ギンガ。

 

「だったら、何時か。何時か、ウォルターさんが話してくれる時が来ると信じて。――待ちます。ずっと、待っています」

「……俺が、何時か話すなんて保証は無いぞ」

「それでも、私が、勝手に待ちます」

 

 待てる。

今になって、5年の時間を経た今になってようやく、ギンガはそう確信する事ができた。

ウォルターの言葉を再び聞いて、やっとの事でギンガは彼を信じられるようになったのだ。

何故なら。

 

「ウォルターさんの戦いを見て。あんなに傷つきながらも戦っている姿を見て。その、背中を見て。考えたんです」

 

 ギンガは静かに両手を伸ばし、ウォルターの肩に手をやった。

人肌の体温が、手を通じて伝わってくる。

 

「例えお母さんが死んだのが、ウォルターさんのせいだったとして。貴方は、絶対にそれを正直に言う。言って、傷ついて、それでも自分が傷ついている事にすら気付かずに進んでいく。貴方は、きっとそんな人です。そういう、強い人です」

 

 困り切ったような、ウォルターの笑顔。

俺はそんなんじゃあない、とでも言い出しそうな彼の表情に、間髪入れずにギンガは続ける。

 

「けれど現実に、貴方は私に、私たちに何も話してくれない。それはきっと」

 

 言って、ギンガは微笑みかけながら告げた。

 

「――真実が、お母さんの名誉を傷つけるような事だから、ではないですか?」

 

 ウォルターの心が変わっていなかった事に気付いたギンガは、考えていた。

ウォルターがギンガに真実を告げない理由は、何か。

ギンガ達を傷つけたくない為だろう、というのは、既に考えついていた。

けれど、どうやって傷つくのだろうか、と考えてみると。

例えば、ギンガが最も聞きたくない真実は一体何なのか。

ウォルターが最も告げたくない真実とは、一体何なのか。

そうやって考え、やっとのことで思いついた事。

それが、母が名誉を失うような最後だったという事。

 

「さて、どうだろうな」

 

 はぐらかすウォルターに、ギンガは思わず眼を細める。

本当にその通りなのかは、今もギンガには分からない。

事実ウォルターは微動だにしない鋼鉄の表情を保っており、ギンガの推測が当たっているのか居ないのか、全く分からなかった。

けれど、大きく的が外れていたのであれば、ウォルターは軌道修正をさせるために、ギンガにそれが失敗と分かるような仕草をしていただろう。

それすらないという事は、当たらずとも遠からず、という可能性は高い。

 

「ウォルターさんが私たちに真実を言わないのは、私たちがその真実に耐えきれないから、だと、私は思っています。だから」

 

 言って、ギンガは両手を己の胸にやった。

両手を重ねながら、口元を緩め。

ついにぽろり、と目尻から涙を零しながら。

微笑んだ。

 

「――何時か、私やスバルが真実に耐えきれるぐらいに強くなったら。その真実を、教えてもらえますか?」

 

 苦虫を噛みしめたような顔の、ウォルター。

視線を逸らし、小さく溜息をつき、苦々しげな言葉で告げる。

 

「……待つのは勝手だ。俺が何時か話すとは限らないし、そもそも言わない理由だって合ってるかは限らないけどな」

 

 最大限の譲歩に、ギンガは、顔面に体温の塊が上ってくるのを感じた。

思わず俯き、嗚咽を漏らすのを辞められなくなる。

大粒の涙を零しながら、ギンガはただただ涙を零し続けた。

 

 今まで、ギンガ・ナカジマはウォルターに甘えていた。

彼ならどれだけの憎悪を受けてもびくともしないと甘え、彼ならどんな事があっても負けないから、どれだけに憎んでも良いと甘えていた。

けれど現実に、今回のウォルターの戦いは薄氷の勝利だった。

いくらウォルターの心が強くても、死んでしまえばもう甘える事はできない。

当たり前の事実に、けれどようやく気付く事ができたから。

 

 未だに、ギンガはウォルターに甘えを持っているのは確かだろう。

けれど、ギンガは今のやりとりで、ほんの少しでも自分の足で立ち、甘えを少なく出来たのではないか、と思えて。

それがあのウォルターにほんの少しでも認められたかのように思えて。

たったそれだけが、号泣する程にギンガの心を揺らしていた。

 

 必ず待とう、とギンガは思った。

必ず、何時か必ずウォルターが真実を告げる日まで、待ってみせよう。

ただの一人も欠ける事なく、その力を、心を磨いて。

そしてその時が来たら、きっとギンガは傷つくだろう。

スバルも、ゲンヤでさえも傷つくのだろう。

けれどその時、もし自分が立っていられれば。

ウォルターに甘えず、少しでも自分の足で心の地平を踏みしめる事ができていれば。

 

 ――少しでも、ウォルターの近くに立つ事ができれば。

 

 それはとても素敵な事なのではないかと、思えて。

何時か来るだろうその日まで歩いて行けると信じ、それでも今だけはギンガは泣き続けるのであった。

 

 

 

4.

 

 

 

 ノック音。

どうぞ、と伝えてすぐ、遠慮がちな力でドアノブが回され、開く。

白磁のドアから顔を覗かせたのは、私服姿の金髪蒼眼の小太りの男、ハラマだった。

Tシャツにジーンズ姿なのだが、Tシャツがパンパンに張っていて、プリントが伸びているのは何かの突っ込みどころなのだろうか。

意外な人物に目を見開く僕を尻目に、明るい声で果物の入ったバスケットをかかげ、彼が言う。

 

「おう、元気かウォルター。見舞いに来てやったぜ」

「お、ありがとな。一週間ぶりぐらいか?」

 

 へへっ、と何故か誇らしい顔で、ハラマは荒っぽい仕草で果物をベッドサイドのチェストに置いて見せた。

キャスター付きの椅子を足で引っ張り、背もたれを股に挟んで座る。

悪そうな、それでいて憎めない笑みを見せるハラマ。

 

「そーなるか。でまぁ、気になるだろう? ソニカとクリッパーがどうなったか」

「……まぁな。流石に病院の中じゃあ、テレビぐらいしか情報収集はできないからなぁ」

 

 実を言えばリニスがちょこちょこと集めた情報をくれては居るのだが、あまり綺麗な手段ではないので、一応局員のハラマには言いづらい、という側面もある。

故にそう告げる僕に、嬉しそうにうんうん、と頷き、ハラマは2人の処遇を告げた。

 

 まず、クリッパー。

人体実験を続けた罪は重く、彼の自供でいくつもの違法研究施設の摘発が進んだ事を考慮しても、長い懲役が与えられるのが妥当だ。

しかしソニカ戦の最中にバインドブレイクを成功しながら、逃げずに命がけでソニカの命乞いにやってきた事から、反省の余地ありとされている。

当然裁判はまだだが、可能ならば研究者として人々の役に立てる生涯を与えてやりたい、というのがハラマの弁だった。

 

 そして、ソニカ。

彼女はクリッパーとシャマルの手によって、無事ほとんど健康体に戻れたらしい。

あと数ヶ月は経過を見る必要はあるそうだが、今の所は魔導師としてのキャパシティが上がったぐらいで、他に変わった所も無いとか。

引取先だが、ソニカの両親は借金苦で彼女を違法研究施設に売った後、自身の血や臓器を売って生活し、最後には闇社会に殺されたと言う。

かといって、クリッパーのような犯罪者の元に身を寄せる事もできはしない。

よって今は管理局の保護施設で教育と共に心身のケアを行っており、将来的には外の普通学校への通学も考慮されているのだそうだと言う。

とは言え本人は、できればクリッパーと共に居たい、とは思っているようだ。

あまり実現性の高い将来ではないが、人体実験の材料にされながらもクリッパーを信じられるほど心の強い彼女ならば、何時か実現してみせるのかもしれない。

 

「なるほど。ま、何とか今回の事件は上手く収まったって事になるかな」

「クリッパーの犯してきた罪を思うと、大団円とは言えねぇが……。まぁ大凡の所は、って事になるわな」

 

 皮肉気に肩をすくめるハラマ。

小太りな彼のその仕草は、何でか異様に似合っており、こちらを微妙な気分にさせてくれる。

トマトとミントガムを一度に食べたかのような微妙な顔をしている僕に気付いたのか、ふ、とハラマ。

 

「まぁ、今回は2人とも、お前が説得するまでもなく自分の意思を知っていて、あとは倒すだけだったからな。物足りなかったか?」

「いんや。お前の顔と仕草が妙に合っていて、微妙な気分になってただけだ」

「ふっ、まぁそうか。そういう事にしとくよ」

 

 正にそういう事なのだが、謎の勘違いから明後日の方向性で納得するハラマ。

最早誤解を訂正するのも面倒くさく、内心溜息をつく僕の耳に、再びノック音が響いた。

思わずハラマと視線を見合わせ、それからどうぞと告げ客を促す。

 

「あ、ハラマ君も一緒やったんか」

 

 と、入ってきたのははやてであった。

制服ではなく私服なのを見ると、今日は休暇なのだろうか。

それにしても、気のせいだろうか、私服に結構気合いが入っているような気がする。

ガーリーな白いワンピースに、袖の短い薄手のサファイアブルーのカーディガン。

ワンピースには服本体と同系統色のフリルがついており、可愛らしいデザインが強調されている。

夏らしい服に、最近冷房完備の室内で回復に努めていた僕は、そういえば今は夏なんだよな、などと言う間抜けな感想を抱いた。

無論、それを口に出さない程度には賢明だったけれども。

 

「ふーん。なるほど、なるほど」

 

 と、何故かとてつもなく嬉しそうな笑みを見せるハラマ。

にやついた笑みで視線を僕とはやてで往復させ、ニヤニヤとしながら、粘っこい声を作って続けた。

 

「まぁ、なんっつーの? 俺ってお邪魔虫になるのは勘弁だし? うん、ここはちょっと退散させてもらおうかなぁ。じゃあ、また今度ぉ~」

 

 止める間もなくまくし立てたハラマは、何故かドップラー効果たっぷりの声を伸ばしつつ、病室を去って行った。

呆然と見ている事しかできなかった僕は、思わず呟く。

 

「なんだったんだ、あいつは……」

「き、気を利かせてくれたんかな?」

 

 何の気を利かせたのだろうか。

疑問詞を抱く僕に、はやては見舞いに持ってきたのだろう果物の盛り合わせを置くと、ゆっくりと腰掛けた。

スカートを巻き込まないよう手を動かし、ゆっくりと腰掛けるその様は、思いの外似合っている。

思わず、呟いてしまう僕。

 

「上品だなぁ」

「え?」

「いや、さっきのハラマなんて、こう……足で椅子引っ張って、背もたれを股に挟んで座ってたからなぁ。ついつい」

「あはは……。まぁ、その辺は聖王教会の教育の成果って事やね」

 

 と控えめに言うはやてだが、僅かに頬が赤い辺り、照れているのだろうか。

そんな彼女のいじらしさに微笑みつつ、僕らは他愛の無い話を始める。

何せ気になっていたソニカとクリッパーの処遇はハラマから聞いてしまったので、特に目的のある話も無くなっている。

八神一家の楽しそうな日常について、僕が聞き役として楽しく話を聞いていると、ふと、はやてが漏らした。

 

「そういや、ウォルター君、きちんと守ってくれたなぁ」

「ん? あぁ、7年前の約束の事か?」

「へ!? 憶えてたの!?」

 

 思わず、と言った様相で叫ぶはやて。

憶えていたも何も、混濁した意識の中、僕を現実に引き戻した2つの約束のうちの1つである。

とは言えそうは言いづらいので、僕は当たり前だと言わんばかりの表情で頷いた。

 

「応。まぁ、途中ボッコボコにされたから、かなり不安にさせちまったけど……」

「う、ううん、そんなことないっ! あ、いや心配だったけど、その、ウォルター君は必死で約束、守ってくれたから……!」

 

 何故か頬を林檎のように赤くし、体を縮めながら言うはやて。

恐らくは約束を疑った自分を恥じているのだろう。

とは言え僕自身、意識が混濁していた時は半ば以上忘れていたため、むしろ疑われて妥当だったと言うぐらいなのだし、思う所は無いのだけれども。

 

 約束。

僕が妄想を飛び出して現実に生き始めてから、得た絆。

それが無ければ、ティルヴィングの言葉でさえ現実の感覚を取り戻せなかった僕は、死んでいたかもしれない。

つまり今の僕を生かしているのは、約束があったからだ、と言っても過言では無いだろう。

 

 分かっている。

それがUD-182に依存していて、彼の疑似蘇生体を斬り殺した事で離れ始めていたとは言え、まだまだ依存があった僕が見つけた、新しい依存先に過ぎないのだと。

 

 けれど、辞められなかった。

UD-182が妄想だと知り、きっと本当の意味で立ち上がるには、まだまだ時間が必要だ。

けれど立ち上がるための時間を得るために心の柱は必要で、そのためには仮面を被る事は、やっぱり必要。

そのための理由作りに、僕は約束があるから、それを果たす為に仮面が必要だから、と立ち上がれているに過ぎないように思える。

クイントさんとの約束を果たすのに、仮面を被った僕の背中が必要だから。

はやてとの約束を果たすのに、仮面を被った僕の英雄としての振るまいが必要だから。

 

 全てとは言わない。

けれど、今の僕が辛うじて立ち上がれている理由には、確実に約束の重みが含まれていた。

 

「”今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の躊躇もなく俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく、助けてみせる。約束するよ”」

「……本当に、憶えていてくれたんや」

 

 けれど。

クイントさんとの約束は、ギンガについては半ば果たされている。

はやてとの約束は、ソニカとの戦いで果たされた。

僕には、再び生きていく燃料とするため、約束が必要だった。

何時か、本当の意味で自分の両足で立ち上がれる日が来るのかもしれないけれど、その時まで支えとなる何かが。

だから。

 

「はやて。もう一回、約束しようか?」

「……へ?」

 

 疑問詞を浮かべるはやてに、僕はゆっくりと告げた。

 

「いや、俺としては、正直今回もボロボロになりながらのギリギリだったから、約束を果たせた感じがあんまりしなくてな……。今一、スッキリしねぇというか、何と言うか」

 

 言葉の上では軽く。

心の中では重く、縋り付きたいぐらいの気持ちで吐いた言葉だった。

きっと醜いのだろう、約束を生きる燃料にしたくて探す様は、舌をだらりと垂らしたハイエナの如く。

何かをはき違えた生き方をする僕の本性が綺麗なはずなどなく、汚濁に濡れた物に違い無い。

けれど。

はやては。

当然のように。

 

「ううん、大丈夫。要らんよ」

 

 静謐に、女神のような微笑みで告げた。

 

「むしろ、次は私がウォルター君を助ける番なんやないかな。まぁ、ウォルター君はそんなん要らん、ちゅうかもしれんけど」

「そ、そーか? いや、助けてくれる事自体は歓迎なんだが……」

 

 ポリポリと頭を掻きつつ、僕は震える内心に今にも崩れ落ちそうだった。

お願いだ、助けてくれ。

気付いてくれ、頼むから。

反射的にそう思い、思ってから、自分の醜さに反吐が出そうになる。

自分から被った仮面なのに、望んで被っている仮面なのに、相手は僕の仮面に騙されているだけなのに、都合のいい部分だけ素顔を見て欲しいと思っている。

そんな自分が、僕自身が、辛くて、苦しくて、仕方が無くて。

 

「えへへ」

 

 甘い声と共に、はやてが、僕の手を両手で握った。

満面の笑みを僕の薄汚れた顔に向け、告げる。

 

「ウォルター君、格好いい」

 

 止めろ。

 

「ウォルター君、格好いいっ」

 

 止めてくれ。

 

「ウォルター君、格好いいっ!」

 

 止めてください、お願いします……。

 

 いくら心の中で叫んでも、届くはずが無い。

口に出さねば、伝わる物も伝わらない。

けれど、口に出して言えば、僕は仮面を、自分のより所を失ってしまう。

心の中がねじ切れそうに辛くて、心臓が槍に貫かれるよりも痛くて。

それでも、僕は必死で笑みを浮かべた。

全身全霊で、内心汗水垂らし、表情筋を懸命に動かして。

笑った。

笑って見せた。

 

 ――僕は今、果たして本当に笑えているのだろうか。

それすらも今は、よく分からない。

 

 

 

 

 




ようやっと6章完結です。
1月中に、という目標だったので、何とか達成……。
この後閑話を1個挟んで7章・宿命編(sts)に入ります。

(追記)
気付けば、一番長かった拙作「ルナティック幻想入り」より長くなってました。
そりゃ、連載も長引く訳ですよね……。

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