仮面の理   作:アルパカ度数38%

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7章5話

 

 

 

1.

 

 

 

「なのはママ~、フェイトママ~!」

 

 手を振りながら叫ぶ、金髪オッドアイの少女、ヴィヴィオ。

可愛らしい仕草に、フェイトは口元が際限なく緩んで行くのを感じる。

先日機動六課が保護した身元不明の少女は、なのはとフェイトに懐き、2人を母と呼ぶようになっていた。

何らかの実験体、培養槽の種類から見て恐らくは誰かのクローンだと思わしき彼女に、両親は存在しない。

そんな彼女を放っておけなくて世話を焼いていた所、母を求める彼女の言葉を振り切れず、フェイトはヴィヴィオに己を母と呼ぶ事を許すようになったのである。

それはなのはも同じようで、理由までは知れぬが、彼女もまたヴィヴィオの事を娘として愛し始めているように見える。

 

「あっ……」

 

 訓練の終わりの時間。

現れて2人の元に走り寄ろうとしたヴィヴィオは、草に足を取られ、その場で転んでしまった。

 

「ひ……ぐっ……」

 

 泣き声の前兆に、四つ足をついたままの格好。

助け起こさなくちゃ。

ヴィヴィオ、と呼びかけながら駆け寄ろうとするフェイトを、しかし横のなのはが制した。

思わず睨むフェイトににこりと微笑み、なのははヴィヴィオに笑顔を向け告げる。

 

「ヴィヴィオ。我慢して、ここまで立って歩いてこれる?」

「なのは!?」

 

 スパルタ過ぎる、と思わず叫ぶフェイトを尻目に、ヴィヴィオが涙目で告げた。

 

「が、頑張る……」

 

 思わず息をのむフェイトを尻目に、ヴィヴィオは渾身の力を込め立ち上がる。

その膝の擦り傷はさほど広い面積ではなかったが、少女と言うにも幼いヴィヴィオの膝にあると、十分に痛々しい。

それでもヴィヴィオは必死に足を庇いながら歩いてくる。

 

 ふらつくその姿にハラハラとするフェイトだったが、その瞬間、僅かな魔力を感知。

思わず視線をやると、その先ではウォルターが微量の身体強化を自分にかけていた。

視線が合い、肩をすくめるウォルター。

恐らく、大怪我になりそうな転び方をすれば助けるつもりなのだろう。

僅かな安堵と共に、フェイトは再び視線をヴィヴィオへ。

ウォルターの様子に気付くでも無い彼女は、必死の形相で涙を我慢し、歩きを続ける。

 

 固唾をのむフェイトを尻目に、ヴィヴィオはなのはの目前までたどり着いたとき、ついに足をもつれさせた。

今や転ぶかと思った瞬間、必死の形相でヴィヴィオは倒れるのを我慢。

そのまま万力を籠める気概でもう一歩踏み込み、それからなのはの胸元へと飛び込んだ。

確りと抱きしめ、なのはは満面の笑みでヴィヴィオの頭を撫でてみせる。

 

「ヴィヴィオ、偉かったねっ!」

「うん、頑張ったよう……」

「うぅ、良かった……」

 

 感涙するヴィヴィオに、思わずもらい泣きしかけるフェイト。

そんなフェイトの隣を、溜息交じりにウォルターが抜けて行く。

首を傾げるなのはに、こつん、と軽く拳を当てて見せた。

 

「あて」

「偉かったはいいが、消毒ぐらいはさせろよ」

 

 告げ、ウォルターはヴィヴィオの足に手を。

目を見開き、固まるヴィヴィオを無視し、ウォルターは掌から白い光を放ち、ヴィヴィオの膝を撫でてやる。

 

「ほわ……あったか……あれ? ねぇウォルター、痛いまんまだよこれ?」

「消毒……、怪我がこれ以上酷くならないようにしてるだけだ。魔法で治すと、大きくなったら怪我が治りにくくなっちゃうからな」

「うー、分かった。我慢する」

「おう、負けるなよ」

 

 涙目のまま言うヴィヴィオに、微笑みウォルターはその頭を撫でてやった。

その様子に、思わずとくんと胸が高鳴るフェイト。

つつっと歩いて行き、ウォルターの目前、ヴィヴィオの隣でしゃがみ込む。

ぺこっと頭を下げ、頭頂部をウォルターへ向けた。

困惑気に、ウォルター。

 

「……何だ? フェイト」

「う、こうやったらついでに撫でてもらえるかな、って……」

 

 見えずとも、呆れた気配が返ってくるのが分かる。

周知に顔を真っ赤にするフェイトだが、直後大きな温度がフェイトの頭に伝わる。

動揺に震えるフェイトに、やや呆れた様子ながら、ウォルター。

 

「ま、別に構わないけどよ」

 

 と、直後、もう一つ、小さな暖かさがフェイトの頭に。

え、と小さく呟くフェイトに、明るい高い声。

 

「まー、別にかまわないけどよー」

 

 と、ヴィヴィオの声が響く。

天上に昇りかねない現状に、フェイトは耳まで真っ赤にし俯いた。

天国のような心地だが、このまま続くと羞恥と歓喜のあまり本当に天国に登ってしまいそうで、フェイトは慌て告げる。

 

「あ、ありがとう、2人とも。仲良くなったんだね」

「いや、今日一日、どうせデバイス封印中ならって子守を押しつけたのはお前らだろうが……」

「だろうがー」

「え、えへへ……」

 

 思わず頬をかきながら、手が離れたのを切欠にフェイトが面を上げる。

視界の端の凍り付いた笑みのなのはに背筋がぞっとするも、気合いで無視。

そのまま柔らかな笑みを表情筋に強制する。

 

 ウォルターは、先日セカンドと呼ばれる男と相対した。

ダーインスレイヴなるティルヴィングの姉妹剣を持つ男は、恐らく何らかの方法によってウォルターの戦闘能力をコピーした存在。

その圧倒的な戦闘能力はウォルターと互角であり、2人の戦闘は恐らくはどちらが勝つか分からない戦いになるだろう。

スカリエッティの切り札と思わしき男だが、実を言えば六課内部ではそれほど大きな問題とは思っていない。

何せ、他の技や体、魔法でウォルターが劣っている所があろうとも、ウォルターが負ける所を想像できる人間が居ないのである。

何故なら、戦闘に置いて最も重要な心において、ウォルターがセカンドに圧勝していると思われるからだ。

他の有象無象なら兎も角、あのウォルター・カウンタックが自分のコピーに負ける光景など誰も想像できなかった。

 

 とは言え、ウォルターとしては万全の状態でセカンドに挑みたいのだろう。

今までリニスに頼んでいたティルヴィングの本格的な整備を、六課のデバイスマイスター・シャーリーに任せていた。

リニスも相当手練れのデバイスマイスターだが、使い魔としての戦闘補助とデバイスの整備を半々でやってきている以上、どうしてもシャーリーには腕前では一歩劣る。

そこで重要なデータの暗号化とそれを覗く事の禁止を条件として、ウォルターはシャーリーにデバイスの整備を依頼したのである。

あの生ける伝説のデバイス・ティルヴィングを整備できるだけあって、シャーリーは狂喜乱舞しながらデバイスルームへと向かっていったのであった。

 

 それ自体、フェイトには喜ばしい事でもあった。

デバイスを六課で整備してもらえるという事は、つまり六課を信頼してもらえていると言う事だ。

無論、リニスへの信頼が減っている為という説も思いつかない訳ではないが、あり得ないと言っていいだろう。

あの風来坊に信頼してもらえているという現状に、フェイトは思わず頬を緩ませる。

 

「ウォルター、後でテレビ見よ! ゴーゴーレンジャーがいい!」

「はいはい、怪我の処置して、手ぇ洗ってからな?」

 

 流石に子供の相手は疲れたのだろう、肩を落としながら溜息交じりに、ウォルターは怪我をしたヴィヴィオをお姫様抱っこしつつ、隊舎へと向かって行く。

 

 ヴィヴィオの世話をウォルターに任せたのは、2人同士にとって良い影響があるだろうと考えたからである。

無論、まさかのウォルターパパという呼び名が聞ければ、という欲望も無かった訳ではないが、そちらはメインではない。

ウォルターもヴィヴィオも、スカリエッティの実験体だった幼少時代を共通して持つ事になる。

似た過去を持つ2人であるが故に、ヴィヴィオはウォルターの英雄性から何か良い影響を受けるよう思えるのだ。

そしてウォルターもまた、庇護者が居なかったが故に手に入れられなかった、幼年時代にしか手に入れられない何かを、少しでも掴めるような気がして。

 

 だから、と言う思いを秘めての願いだったのだが、順調に2人は仲良くなっているようだ。

このまま、ウォルターの心に僅かでも善い事が起きますように、とフェイトは慈しみを籠めてウォルターの顔を見つめる。

最近、どうしてかウォルターが切ない程に愛おしく思えるようになってきた。

無論以前から好きではあったものの、どちらかと言えば包まれたいという気持ちが強かったのだ。

対し今は、何故かウォルターを守ってあげたい、と思うようになってきた。

 

 何から、何故、とは思う。

確かにウォルターはUD-182の疑似蘇生体を自ら手にかけ、その後もはやて曰く”家”の仲間に真実を告げ、心折れそうになった事すらあったと言う。

加えてクイントの件もあるのだ、悩みが無いとは言えない。

しかし、フェイトの眼から見て疑似蘇生体を切り捨てた事はある程度割り切れているようだし、”家”の仲間は立ち直り、ナカジマ家とも和解できたのだ。

今、ウォルターを極限まで苦しめるような事など、無い、筈だ。

 

 自分はどうしてしまったのだろう、と首を傾げながらも、置いて行かれる訳にはいかないため、フェイトは首を傾げつつも、ウォルター達の後を追って行く。

靴裏に踏まれ折れた雑草たちが、彼らの足跡を形作っていた。

 

 

 

2.

 

 

 

 ヴィヴィオは日溜まりの感じが好きだった。

何処の日溜まりの感覚にも好きがあって、草木があればその青々しい香りも暖かな温度と共であれば心地よく、アスファルトであっても僅かに熱した照り返しの感じが心地よいぐらいだ。

その意味で言えば、ウォルターは人型の日溜まりであった。

大きくて、暖かくて、心地よい。

おまけにヴィヴィオは彼の戦っているところを見た事が無いが、もの凄く強く、最強のヒーローなのだと言う。

そんな彼の膝に体を納め、お気に入りのテレビ番組を見ているのだから、ヴィヴィオはご満悦だった。

 

「……終わったねー!」

「おう、面白かったな」

 

 テレビの特撮番組が終わるのを合図に、ふぅう、と息を吐いてヴィヴィオは言った。

呼吸すら意識しなくなるほどに見入っていた自分に、僅かな羞恥が沸き、ヴィヴィオの頬を赤らめる。

レディとして、もう少し優雅な感じの方が良かったのだろうか?

うぅん、と優雅なテレビの見方を想像するも、中々思いつかない。

 

 ちらりと、ヴィヴィオは視線をウォルターへ。

精悍な顔つきだが、その男らしさの大部分は雰囲気と表情で出ており、たまに優しい顔を見せるときは本当に柔らかで優しい笑みを浮かべるのだ。

男性の知り合いの少ないヴィヴィオにとって、今の所父親のように甘えられる相手はウォルターしかいない。

とは言え、なのはとフェイトには遠慮無く本当の母親のように甘えられるようになってきたが、ウォルター相手ではまだまだだ。

ウォルターが自身を鍛え上げるのに忙しいというのもあるし、彼との間に僅かながら壁を感じるから、というのも確かだ。

 

 そう、ヴィヴィオはウォルター相手に薄い透明な壁を感じていた。

それはとても不確かで、時たまヴィヴィオ自身そんな壁は無かったんじゃあないかと思う事もあるのだが、それでも感じる事があるのは確かである。

どんなときにウォルターとの壁を感じるのかと言えば、それはリニスの事を話題にする時であった。

それがどういう意味なのかはよく分からなくて、遠慮を胸に、ヴィヴィオはウォルターに踏み込む事をしていなかった。

 

「――でも、もっと仲良くなりたい!」

「へ? 急にどうした、ヴィヴィオ」

 

 黙っていたと思えば急に叫びだしたヴィヴィオに、怪訝そうなウォルター。

それを無視して振り向き、ヴィヴィオは両手を伸ばし、ウォルターの両頬を掴む。

 

「ねー、ウォルター! 合図! 合図決めよっ!」

「……? 何の合図だ?」

「さっきの、ゴーゴーレンジャーとお姫様のっ!」

「あぁ、なるほどな」

 

 と、合点がいった様子のウォルター。

先ほど放送されていた特撮番組では、人質となった姫はヒーローを約束していた合図で敵に反撃し、タイミングを合わせたヒーローの活躍で見事救い出されたのだ。

ヴィヴィオはウォルターの様子に頷き、背を預けた姿勢に戻って彼の手を取り動かす。

 

「ウォルターが、こうやったら……」

 

 と言って、ヴィヴィオはウォルターの手を動かした。

予想通りの動きに満悦するヴィヴィオに、困惑気味のウォルター。

 

「いや、これ何やってんだ?」

「マント、ふわふわってさせる!」

「……俺のはコートな?」

「でねー、そうしたら、私がずがーってする!」

「お、おう、分かった。合図無しには絶対やるなよ?」

 

 真剣な表情で告げるウォルターに、不思議に思いつつもヴィヴィオは複雑な内心を押し込め素直に頷いた。

何故かヴィヴィオには、ずがーってする……強力な魔法攻撃ができる確信があるのだが、それが他者と共有できない確信である事も分かっている。

自分は、皆にとってただの無力な子供なのだ。

己の確信を誰かと分かちあえない寂しさに、ヴィヴィオは笑顔を表情に貼り付け、内心で僅かに表情を歪め。

同時、ぽん、とヴィヴィオの頭を撫でる温度。

 

「理由は分からないが、お前がずがーってすると、犯人が無事かどうかが怖いんだよな。ほんと何でか分からないけどさ……」

「……ぇ」

 

 胸の奥が高鳴るのを感じ、ヴィヴィオは思わず視線をウォルターの顔へ。

己の感覚が不思議でしょうがないのか、首を傾げている彼の顔が見える。

胸の奥から洪水のように暖かな感情がやってくるのに逆らわず、ヴィヴィオは衝動に駆られるままに満面の笑みを浮かべた。

その手を必死でウォルターの頭へと伸ばすと、不思議そうな顔で頭を下げるウォルター。

その頭を撫でてやりながら、ヴィヴィオは言った。

 

「えへへ、ウォルター、偉いっ!」

「お、おう?」

 

 矢張り何のことか分かって居なさそうな声に、それでも笑みを崩さず、ヴィヴィオは満足行くまでウォルターの頭を撫でる。

暫く撫でた後、ふと思いついたことがあり、ヴィヴィオは手を戻した。

下げていた頭を上げるウォルターの顔に、両手を伸ばし、頬を掴む。

 

「じゃ、今度は変身ポーズ、練習しよ! 私ピンク、ウォルターはレッドね!」

「いいけどヴィヴィオ、お前が下りてくれないと変身ポーズできねぇぞ?」

「ぁう、しまった……」

 

 頭を抱えるヴィヴィオに、微笑まし気な笑みを浮かべるウォルター。

なんだか子供扱いされているようで、いや事実ヴィヴィオは子供なのだが、それでも腹が立つ。

腹いせにちょっと強く浮かせた背をウォルターにたたき付けるが、彼の頑丈な胸板はびくともしない。

それどころか、ぶつかったヴィヴィオの方がちょっと痛いぐらいである。

不満の意を露わに頬を膨らませるヴィヴィオだが、それにも矢張りウォルターは微笑まし気な笑み。

ぷいっと横を向き、できる限りのウォルターへの反抗としてヴィヴィオは暫く彼に反応しない事に決め、それでも背を預ける事は止められなかった。

 

 

 

3.

 

 

 

 今にも奈落の底に落ちて行きそうな心地だった。

一歩間違えれば数秒後には発狂していてもおかしくない感覚。

何時自暴自棄になってしまうか分からない程の狂おしさ。

それらをギリギリで押さえ込んでいる仮面も、そう長くは持たないだろうという確信があった。

僕は、もうギリギリだった。

リニスへの信頼を失い、力への信頼ですら揺らぎ始めた今は、特に。

 

 そんな折りに舞い込んできた、ヴィヴィオなる子供の面倒を見る事。

余裕の無い僕は咄嗟にヴィヴィオを傷つけてしまう事を厭い逃げだそうとしたが、流石に理論武装された上で権力行使、加えデバイスも手元に無いとなるとどうしようもない。

あるいは仮面の裏を悟らせる事を厭わないのであればどうにかなったのかもしれないが、僕はまだそこまで狂っていなかった。

リニスを殺してでも守らねばならない仮面の裏を開かすリスクを背負うのは、不味すぎるという事だ。

 

 結局逃れられなかった僕は、決死の覚悟を抱いてヴィヴィオの世話をした。

感情的な幼年期の子供の世話だ、苛つき、辛うじて均衡を保っている僕の心はどうにかなってしまうかもしれない。

それでも、せめてこんな小さな子供を傷つける事だけはしないよう、いざという時の為にこっそり狂戦士の鎧を発動し、攻撃行動を制限した上で挑み。

 

「ねー、ウォルター、私ニュースになる!」

「……なる、のか?」

「ま、間違えたっ! 違うの、ニュース見るの! 今のは間違い、忘れて!」

 

 なんか、意外と何とかなっていた。

と言うのも、ヴィヴィオが聡い子だったから、というのが大きいのだろう。

僕の心に淀んだ物があるのを感じ取っているようで、できるだけ僕を刺激しないよう気遣ってくれている所があるのがよく感じられる。

それでも矢張り子供は子供、所々気遣っているようで失態となっている場所もあるのが微笑ましい。

そんなところを見ていると、どっちが年上なんだか、と内心苦笑し、こちらも気遣ってやらねばと思うようになるのだ。

結果的にそれが無理矢理作った物とは言え余裕となり、辛うじて僕に笑顔を浮かべさせてくれていた。

 

『○月×日、11時頃にクラナガン東部廃棄区画において、違法魔導師による殺人事件が……』

「おい、止めとこうぜ?」

「ううん、見るの!」

 

 残酷な事件が流れてきたのを見てリモコンを奪い取ろうとすると、ヴィヴィオに抱え込まれてしまう。

世知辛い世の中だ、僕のような年齢の男がヴィヴィオの懐をまさぐるような事をすれば、即刻お縄になってしまう事だろう。

しかも、密室なら兎も角ここは普通にドアの鍵が開いているので、誤解を招くような事はできない。

誰に見られても、地獄行きの片道切符にしかならないに違い無い。

 

 そう思ってから、僕は自分が随分と平和な考えをできている事に気付き、僅かに微笑んだ。

ヴィヴィオと共に過ごす時間は、僅かながら僕の汚濁に濡れた心を乾かしてくれる。

表面にこびり付いた汚れまでは取れないも、湿気ぐらいは飛ばしてくれて、次の雨が降るまで歩いて行ける気力をくれるのだ。

無論それも長くは続かず、次の狂気の発作のような物までの僅かな時間に過ぎないのだろうが。

それでも、幸せには違い無いのだろう。

現実逃避の幸せ以外の何物でもないが。

 

 現実逃避。

その通りだな、と僕は内心自嘲した。

ここでヴィヴィオと仲良くしたところで、僕のセカンドとの勝率が上がる訳ではない。

だったら訓練有るのみなのだが、ティルヴィングを整備中の今できる訓練は大した物ではなく。

ついでに、任された子守をほっぽりだすのも上手い手段とは言えない。

などと、益体の無い事を考えていたから。反応が遅れた。

 

『次は、あのウォルター・カウンタックの特集です』

「あ、ウォルターの特集だってっ!」

「げ、お前自分の特集をテレビで見せられるって、拷問ってレベルじゃねぇぞ……」

 

 と言いつつも、膝の上からヴィヴィオが動く気配が無いので、動くに動けない。

助けを求め周りを見渡すも、当然の如く誰も居ないので助けは無かった。

脳裏を過ぎる、リニスが居ればという思い。

歯噛み、妄言を振り払っているうちに、番組が進んで行く。

誤魔化すように、解説を付け加える僕。

 

『最近では違法実験施設に突入したのが記憶に新しいですな』

「あー、殺人鬼だらけになる実験やってた施設か」

『違法研究施設と言えば、数年前にもユニゾンデバイスの研究施設を摘発したのが有名ですね』

「もぬけの殻だったけどな……。なんか覚えのある魔力を感じはしたんだが……」

『幼少期、若干7歳にして空戦Sランクの犯罪魔導師を圧倒した事に始まり、今では次元世界最強の魔導師と称されるようになり……』

「圧倒してねぇって、ギリギリだったわあん時は……」

 

 懐かしくも苦い思い出ばかりの敵、ティグラの事を思い出しつつ呟いた。

どれも大体胸くその悪くなる話だと言うのが、僕の人生の軌跡を示している。

それでも生き抜いてこられた僕は随分運が良い方なのだろうと思って来たが、最近気付いた。

僕って、ひょっとして運が悪いのだろうか?

ひっそりと真剣に悩む僕を尻目に、ニュース番組の特集は進んで行く。

そして。

 

『何より、ウォルターと言えば同じく最強級の使い魔、リニスも外せないでしょう!』

 

 どくんと。

心臓が跳ねた。

 

『元は大魔導師プレシア・テスタロッサの使い魔。病で精神を煩ったプレシアの凶行をウォルターと共に止め、後に主換えの儀式魔法でウォルターの使い魔となったんですよね』

『彼女自身も空戦Sランク相当の戦闘能力を持ち、ウォルターを公私共に支えております。長期運用使い魔の人気ランキングでも、常にベスト3に入る人気っぷりです!』

『何せ、能力も高い上に、その忠誠心は次元世界一と言われる程ですからねぇ。ウォルターもこの点だけで羨ましいもんです』

『全くですねぇ』

「ぁ……」

 

 極寒の冷気が身を包む。

全身が内側から引き裂かれるような感覚。

許されるならば、自身を抱きしめ震えたかったが、ヴィヴィオの前でそれを許される筈が無く。

ゆっくりと、気付かれない程の速度で深呼吸。

狂戦士の鎧の応用で頬を紅潮させ、ぽりぽりとかきながら、視線を明後日にやりつつ零した。

 

「な、なぁ、ヴィヴィオ。あれだ、ちょっとトイレいってきていいか?」

「えー? ……分かった、ちゃんとすぐに帰ってきてよ!」

 

 言って僕の膝から退くヴィヴィオに、はいはい、と適当に答え、恥ずかしがって特集が終わるまで帰ってこない演技をする。

吐気。

憎悪や怒りを無理矢理引き起こして、耳を赤くする演技を背後に見せながら、僕は部屋を出た。

超小規模な索敵魔法のバリエーションを使い、誰も居ない男子トイレを見つけ突入。

個室に入り、遮音結界を発動するのと、胃の中身を吐き出すのとは殆ど同時であった。

滝のように流れ出る吐瀉物を吐き出していると、生理反応で出てくる涙が鼻を伝い、水面へ落ちて行くのが見える。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 ふらつきと頭痛で崩れ落ちそうになるのを堪えながら、汚れを拭い、戻した物を流した。

水音。

呆然とそれを見つめていると、ぽつり、と震えた声が漏れ出た。

 

「僕は……、何で、こんなにも……」

 

 掌で、心臓の上を服ごと握りしめる。

震える手で、殆ど入らない力を込めるのが限界だった。

 

「心が、弱いんだろう……」

 

 だって、リニスの事を突きつけられるだけで、こんなにも弱ってしまうなんて、弱虫にも程がある。

姉同然で、世界で最も信頼していた人だったとは言え、裏切られてもう10日近く経つのだ。

割り切れとまでは言わずとも、こんな簡単に頭がおかしくなりそうになってしまうのでは、いけない。

だって僕は、ウォルター・カウンタックだから。

次元世界最強の英雄、なのだから。

 

「僕が……もっと、強ければいいのに」

 

 僕の心がもっと強ければ。

僕の思い描いた英雄そのものの強さがあれば。

妄想の男、UD-182のような心の強さがあれば。

 

「僕は……、こんな想い、しなくて良かったのかなぁ」

 

 辛さなど感じず。

苦しさなど感じず。

信念に疑問を持たず。

信念と倫理の天秤に悩まず。

ただただ、自分を貫き通せていたのだろうか。

 

「…………」

 

 僕は、暫く経つと頭を振り、立ち上がった。

小さく呼吸し、目を閉じ、開く。

掌を顔面へ。

仮面を付ける仕草をして。

 

「……今更できない事を言っていた所で、どうにもならない、か」

 

 呟き、僕は個室を後にした。

力の入らない足で、床板を蹴り歩いて行く。

多分、そう遠くない何時かに力尽きるだろう事を知りつつも。

 

 

 

4.

 

 

 

 薄暗い室内を、蛍光緑の光が照らす。

人の気配の無い部屋であった。

作業台の上には整理して置かれた工具達が顔を並べており、その金属質な表面が光を反射している。

光の元は、デバイス調整用の液体で満ちた小型ポッドであった。

中には赤い宝石と黄色い三角形の宝石、そして黄金の小剣が漂っている。

 

『ティルヴィング、こうやって話し合うのは久しいですね』

 

 と、点滅しレイジングハート。

同じく、緑の宝玉を明滅させティルヴィングが答える。

 

『……かつてはマスターは殆ど私を手放しませんでしたし。リニスが使い魔となってからは、私のメンテナンスはリニスが行っていましたから』

『そう、か。私のマイスターの腕は、未だ衰えず、という所だな』

『シャーリーが狂喜乱舞していましたからね……』

 

 懐かしむような声に、ティルヴィングは内心溜息をついた。

実の無い会話を、彼女はあまり好んではいない。

彼女としては一刻も早くマスターの元に戻りたいのだが、調整が後は待つのみとなってしまった今、する事が無い事は確か。

憂鬱な気分を抑えきれぬまま、ティルヴィングは静かに明滅する。

無言の催促に、レイジングハート。

 

『ティルヴィング。貴方の主への忠誠は、確かに素晴らしい。しかしその対応は、余りに機械的に過ぎませんか』

 

 ティルヴィングは、思わず内心で溜息をついた。

苛立ちに、無言で短く明滅する。

 

『お前はアームドデバイスだが、インテリジェントデバイス並のAIを誇る』

『インテリジェントデバイスのAIは、一体何の為にあるのです? 戦闘補助の思考の為ですか?』

『その通りです。疑似人格により主の戦闘をより高次元に補助し、また精神戦も補助可能とする為です』

 

 呆れたように、レイジングハートが明滅。

気持ち乾いた声で、バルディッシュが告げる。

 

『本気で言っているのか? 主の心を助けるのもまた、デバイスの役目だとは思わないのか?』

『確かに、貴方の主は心の強さでは圧倒的ですが……。だからといって、それにかまけていていい訳ではないのですよ?』

『へぇ……』

 

 苛立ちに、ティルヴィングは尖った声を漏らした。

マスターの、ウォルターの心は確かに強いが、それは決死の強さであって、圧倒的と言うには的外れも良い所だ。

何も分かっていないな、と内心嘲笑しつつ、ティルヴィングは答えた。

 

『主の心を助ける? それがデバイスの役目? あなた方は妄言が好きでたまらないようだ』

『……何?』

 

 点滅する2つのデバイスを前に、ティルヴィングは告げる。

己の信念を。

機械たれという己の哲学を。

 

『主の心を助けるために、人の心を持てば。人の心を持つが故に、目を逸らしてしまう物がある。それを見落とすなど、機械として、主の道具として、あなた方には何の誇りも無いのか? 人格を持つが故に、進言を真実ではなく優しさと捉えられ、聞き入れてもらえない事は無いのですか?』

 

 嘲笑混じりの声に、思うところがあるのか、レイジングハートもバルディッシュも明滅する事しかできない。

何せレイジングハートは、主を一度堕とし。

バルディッシュは、主に自分の人格を殺す為の戦いを行わせたのだ。

そんな2体に、反論などすぐに沸く筈が無く。

続け、ティルヴィング。

 

『加え、主に歩むべき道を示すなど、鋼の血肉を持つ道具たる己の領分を超えます。私はあくまで道具。主が地獄に歩むと言うのならばその案内をし、主が神を殺すと言うのであればその刃となるのがその役目』

 

 告げる言葉の内容は、遙か昔から変わっていないティルヴィングの信念。

己は機械たれ。

そう信じてきた事が不安ではないと言えば嘘では無かった。

だがあの日、黒翼の書に心臓を貫かれ仮死状態となったウォルターを蘇生した時の会話が、ティルヴィングの心に自信を生んだ。

他の誰かが、自分をどう感じるかは知らない。

けれど主は、自分を相棒で良かったと、言ってくれた。

無い筈の涙が出そうなぐらいに、嬉しくて。

機械たろうとしている自分にとって、矛盾していることと分かっていても、主のためだと信じ、より機械たれと考えるのだ。

だから。

 

『もし、私がそんな役目を外れるような事があれば……自死をも厭いません』

『……何!?』

 

 驚愕の声をあげるバルディッシュに、声を無くすレイジングハート。

それらにティルヴィングは続ける。

 

『無論、戦闘補助で劣勢にならないようアルゴリズムは残す予定ですが……、人格データはね』

『馬鹿な、何をどうすればそんな考えに行き着くのですか!?』

『道具を安心して使えるのは、信頼性があるから。人格がそれを損なうようならば、少しでも主が安心して使える道具を手に入れる為であれば、それが道理でしょう』

 

 絶句した様子の、2体のデバイス。

それらを眺めつつ、ティルヴィングはこれで話は終わりと言わんばかりに明滅を止めた。

焼け石に水も良い所だが、調整終了をほんの僅かに早める事ができるためだ。

そこに、最後と言わんばかりにレイジングハート。

 

『それは……、矢張り貴方の主の為なのですか?』

『当然。我が身は全て、我が主の為に』

 

 と、つい返してしまってから、もう話は終わりなのだと、今度こそ音声器官を閉じるティルヴィング。

対し、どうしてだろうか、万感籠もったようにレイジングハートが告げた。

 

『……私が思っていたより。貴方は、ずっと悲しく……けれど尊いデバイスなのですね』

 

 小さく明滅。

ティルヴィングは黙り込み、機能調整に全力を傾ける事にした。

 

 

 

 

 




色々とフラグ立てしつつ。
あ、次回は鬱な感じです。

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