仮面の理   作:アルパカ度数38%

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1章6話

 

 

 

 ティグラ・アバンガニは普通の少女だった。

父も母も普通を絵に描いたような人物で、通った学校も普通の範囲を出る物ではない。

ただ一つ、Sランクの魔力だけは普通じゃなかったけれど、ティグラはその魔力を役立てようとは思わなかった。

管理局からスカウトは受けたけれど、戦う事なんて怖くてとてもできなさそうで、ティグラはそれを断り普通に生きる道を選んでいたのだ。

普通の魔法を使わない企業に就職し、魔法資質も精々事務にマルチタスクを使うぐらいで、本格的に活用した事は一度も無かった。

普通というレーツの上を歩く人生だが、それなりに楽しかった。

多分それは、自分で選んだ人生だからなのだろう、とティグラは考える。

魔力資質の有無にかかわらず、普通と言う魅力に惹かれ、自由にそれを選ぶ事ができたからこそ、楽しかったのだと。

 

 そんなある日の事だった。

残業で夜遅くに家に帰ってきた所であった。

スーツのままベッドに寝転がり、伸びをして体のほぐれを取った、その瞬間である。

凄まじい閃光がティグラの部屋を覆い、次の瞬間ティグラの目前には、怪しいオーラを纏った一本の刀が浮かんでいた。

それが、ムラマサである。

 

 ムラマサは言った。

我が主よ、剣を持ち修羅の道へと歩みが良い、と。

怖くなって管理局に通報したティグラの前に現れたのは、管理局員を名乗るナンバー12だった。

妙に印象に残らない人だな、と部屋に迎え入れると、ナンバー12はすぐさま変装を解き、あの焼け爛れた顔を顕にして言った。

魔導師を殺し、その生命力をある人物に流しこめ、と。

断ってもいいし、私を殺してもいいが、次に来る局員はお前を殺しにかかるだろう、そうなればお前は死ぬしか無い、と。

ムラマサによってティグラに強制的に刻み込まれた戦闘経験が、こう言っていた。

これを断れば、自分は死ぬ、と。

 

 幾多の主の死の経験は、ティグラに死への過剰な恐怖を与えていた。

ムラマサを持った主は、誰もが凄惨な戦いに身を投じ、そして地獄の底のような人生を歩み、そして何の救いもなく死んだ。

自分もそうなるのかと思うと、全身の震えが止まらない程に怖くて、ティグラは涙ながらに答えた。

従うから、殺さないでください、と。

 

 それからティグラは、14人もの人間を殺した。

子供だって容赦なく殺した。

怖くて怖くて仕方なかったし、罪悪感で胸が潰れてしまいそうだった。

けれど一度戦闘になってしまえば、ムラマサからの戦闘経験が強制的に震えと躊躇を殺す。

殺さなければ殺される。

生命力を注ぎに行った時に見た、あの三つの脳みそのみで生きる存在を見た時、既に自分は引き返せない所に居るのだと気づいた。

 

 最早ティグラの人生は絶望的だった。

普通に生きたいだけだった。

誰にも迷惑をかけないとまではいかないものの、特別に誰かを傷つけるような人生では無かった筈だった。

けれど今は、殺人者なのだ。

これからもティグラは酷使されるだろう。

殺人を辞める事は許されないし、本当に辞めた所ですぐに殺されるだけだ。

かといって続けていても、何時かは敗北するか、義憤に燃える局員によって逮捕され、口封じに殺されるか。

ナンバー12が漏らした話によると、あの脳みそを長生きさせる仕組みはティグラだけではないらしい、簡単に切り捨てられるだろう。

ティグラは夜寝る時に今日もまだ一日生きていられたと、そんな事にさえ感謝する日常を送っていた。

 

 そんな時だった、ウォルターと出会ったのは。

初戦では会話こそ無かったものの、その瞳に宿す強い輝きが、彼への印象を特別にした。

その輝きは強すぎるぐらいで、まるで汚れてしまった自分を見せつけられるかのよう。

正直に言えば、直視するのが辛いぐらいであった。

そして彼は、ティグラが戦ったことのある相手の中で、一番強かった。

狭い路地で存分に力を振るえないと言うのに互角に戦い、即座に仲間とスイッチする判断力、ナンバ−12の介入を予期した勘に、透明化直射弾を落とした精神力。

全てがティグラの戦った相手を凌駕しており、故にティグラは最大限の関心をウォルターに向けていた。

 

 だからか、二戦目のウォルターの説得の言葉は、ティグラの心を強く打った。

心の奥が燃え盛るような不思議な言葉に、ティグラの心は揺れに揺れた。

そして極めつけに、この言葉である。

——お前のやるべき事は、本当に誰かの為に人を殺し続ける事なのか!?

違う、と反射的にティグラは呟いた。

違う、違ったのだ。

自分がこれまで生きてきた生き方は一体どういう物だったのか。

それを思い返せば、これからどうすべきなのか、すぐに答えは出た。

答えは簡潔だった。

今までの自分が本当に視野が狭くなっていた事が分かり、内心でティグラは苦笑さえもした。

 

 そう、ティグラは——。

 

「……あ……」

 

 ふと、ティグラは午睡から覚めた。

眠気の残る頭を振り周りを見渡す。

見覚えのある家具の配置、窓を見やると、夕日に照らされた高層ビルの汚れたコンクリが目に入る。

此処はどうやらナンバー12によって与えられたセーフハウスの一つのようだ。

 

 そう納得し、立ち上がろうとしたその瞬間である。

きぃいぃ、と甲高い音を立てて、部屋の唯一の出入り口のドアノブが回転した。

ティグラは無言で立ち上がり、壁からムラマサを自由に振るえるだけの距離を取る。

汗がすっと引き、目は細まり、午睡から覚めた黒衣の少女は一瞬で魔剣を振るう修羅と化した。

 

「私だ」

 

 しわがれ声と共に、ドアが開く。

その隙間から体を滑りこませ、ナンバー12は後ろ手に扉を閉める。

ぬるりと言う擬音が似合うような動作であった。

それでもティグラは、ムラマサによる魔力パターンの波形一致を得るまでは戦闘体勢を崩さない。

 

『一致』

「そうですか」

 

 短く答え、ティグラはムラマサを下ろす。

それでいい、とばかりにナンバー12は一つ頷き、ティグラへと近寄ってきた。

閉口一番、ナンバ−12は言う。

 

「一体何のつもりで行方を晦ましていた」

「次こそあのウォルターとかいう子供に勝つ為にですよ」

 

 乾いた声で答え、ティグラは冷蔵庫へと歩み寄る。

中から清涼飲料水の缶を取り出すと、プルタブを開き、口をつけた。

それを尻目に、ナンバー12は微動だにしないまま続ける。

 

「つまり?」

「トレーサーをつけられて、三回戦目があるのは確定。

ならば少しでも勝率を上げるために、魔導師を6人ばかり切ってきました。

あれに勝つにはこの程度の小細工は必要でしょう」

「奴はそこまでの強さなのか?」

 

 数度喉を鳴らし、一旦缶を置いてから、ティグラは冷たい声で言った。

 

「あの子の強さは、天才的としか言い様がありません。

ただでさえ強い上に、私の気の所為でなければ、戦闘中に劇的に成長までしてみせました」

「……ほう」

 

 初めてナンバ−12から関心の色のある声が出た。

世間的に言えば、ムラマサの戦闘経験を借りる事のできるティグラも十分に天才と言える。

その戦闘経験を体になじませる事で、戦闘中に成長する事などざらである。

だが、ティグラと対峙したウォルターは違った。

 

「多分あの説得の言葉を言うまでは、互角かやや私が劣勢と言う程度。

ナンバー12、貴方の勝利を待つ余裕はありました。

しかしあの言葉を挟んでからは、殆ど別人と言うべき強さでしたよ。

あそこまでの成長速度は、ムラマサの二千年の戦闘経験の中ですら、稀です」

「…………」

 

 無言で俯きながら、ナンバー12は僅かに動揺の色を見せる。

それを絶対零度の視線で見つめつつ、ティグラは続けた。

 

「6人分の生命力でブーストした私ですら、互角が精々でしょう。

ナンバー12、貴方があの二人の魔導師をどれだけ早く殺せるかが勝負の分かれ目です」

「……あぁ、分かった」

 

 しかし返ってくるナンバー12の言葉は、何処か浮ついた物。

それに眉を潜めたティグラは、ごっごっごっと清涼飲料水を飲み干すと、勢いよく作業台に置く。

カンッ、と金属質な音が響いた。

 

「……やる気はあるんですか?

まさか私に14人も殺させておいて、今更怖気付いたんじゃあないでしょうね。

あの青い道の魔導師の方は昔の知り合いみたいですけど、まさか知り合いが死ぬのだけは嫌だとでも?」

「……そうでは、ない」

 

 ナンバー12は、苦渋を飲んだような表情を作り、言い切る。

一旦瞼を閉じ、開く。

むき出しになった筋繊維が脈動し、鋼鉄の表情を作り出した。

しかし真っ白な口唇は、表情筋の統制を離れたのか、内心と思わしき言葉を発する。

 

「私は、私の家族だけが幸せなら、それでいい」

「家族? 家族が居たんですか?」

 

 ナンバー12が、目を瞬いた。

明らかな動揺の印に、ティグラの凍てついた内心が、僅かに踊る。

ナンバー12の弱みは、いざという時の為に出来る限り握っておくべきだろう。

そんなティグラの内心を察したのか、ナンバー12の返事はにべもなかった。

 

「お前には関係の無い話だ」

「……そうですか」

 

 ここで自慢話でもしてくれれば、口撃のネタぐらいにはなったのかもしれないのに。

と思ってから、はっ、とティグラは目を見開いた。

普段なら考えもしない冷徹な思考が浮かんでくるのに、ティグラはムラマサの戦闘経験が日常にまで進行し始めているのに気づいたのだ。

苦々しい表情でムラマサの柄を持つ手に力を込めるも、セーフハウスには切りかかって八つ当たりできるような物は無い。

せめてもの抵抗として、清涼飲料水の缶を握りつぶし、ティグラは吐き捨てた。

 

「それじゃあ、もう準備は完了です。

早速あの3人を殺しに行きましょう」

「おい待て、相手が待ち構えている所に行くのは愚策だぞっ」

 

 珍しくナンバー12が声を張り上げるのに、肩をすくめてティグラは答える。

 

「元々生命力に溢れたこの身に、一気に6人分も生命力を吸ったんです。

一時的に生命力は上がりますが、それも時間が経てば私一人の最大値にまで減少してしまう。

なら速攻が一番でしょう」

「くっ、ならせめて作戦を……」

「兵は巧緻より拙速を尊ぶ、と言います」

 

 くどいナンバー12の横を体捌きで抜き、ティグラはドアを開け玄関へと向かった。

後ろからナンバ−12が変身魔法を発動しながらついてくるのに、ティグラは暗い笑みを浮かべつつ、3人の待つ場所へと向かい始めるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夕焼けと夜の境界線が、窓枠ごと外れてただの穴となった所からよく見えた。

僕ら3人の顔は夕焼けの赤い日に照らされ、真っ赤に染まっている。

普段なら高揚したように見えるその顔が、この状況だと血に染まったように見え、僕は嫌な顔をしそうになるのを抑えねばならなかった。

 

 僕らは、3人揃って廃棄区画の廃工場に居た。

広さは申し分なく、僕のティルヴィングを振るうのにも何の障害も無いぐらい。

加えてどうにかして壁を隔てた場所に交戦箇所を移す事ができれば、相手を分断する事もできる。

その上陸戦対空戦となるナンバー12との戦いでは、ナンバー12が上空へ逃れて仕切りなおしをする事ができない為、ややこちらに有利だ。

 

 とまぁ、基本的にこちらに有利になる場所で僕らは待っていた。

けれどもまぁ、恐らくこちらのトレーサーが先に切れると考え、襲撃する事になる可能性の方が高いと見ていたのだが。

たん、と軽い足音。

黒いワンピースの上に赤黒い具足を纏った茶髪の女性、ティグラがその瞳で僕を射ぬく。

心なしか、その瞳には以前よりも遥かに強い力が篭っているかのように見えた。

 

「奇襲は無しかい?」

 

 肩をすくめて言うと、ティグラの隣に降り立ったナンバー12が、同じように肩をすくめた。

 

「トレーサーをつけておいて、何を言う」

「おっと、そいつはすまねぇな。

お早い到着にこっちも吃驚しているみたいだ」

 

 しわがれ声におどけた声で返しつつ、背にかけておいたティルヴィングを引き抜き、構えた。

隣のクイントさんが腰を低く構え、青い三角形の魔方陣を起動。

反対側のリニスさんも薄黄色の円形の魔方陣と共に、小さな雷をピリピリと発生させる。

ティグラは腰から引きぬいたムラマサを正眼に構え、ナンバー12も杖型デバイスを地面に触れそうな程低く構えた。

耳が痛くなるような静謐。

次の瞬間、爆発するように僕らはそれぞれの相手に向かい飛び出した。

 

「うぉおぉおおっ!」

 

 金属音と共に僕はティグラと鍔迫り合いに。

視界の端ではナンバ−12がクイントさんとリニスさんの方へ向かうのが見える。

どうやらあちらも分断戦を望んでいるようだ。

僕とティグラは同時に飛行魔法を残る3人とは反対方向に発動。

リニスさんの弾幕に巻き込まれないよう距離をとりつつ、互いに怒号を交わす。

 

「おい、ティグラ、一つ聞きたい!」

「何ですか? ウォルター君」

「あれからお前は、また魔導師を殺したな!」

 

 問い詰めると、ティグラは薄っすらと微笑んだ。

花弁が開くような可憐な笑みに、思わずこちらがたじろぐ。

と同時、僅かに力の均衡が敗れ、僕はティグラの斬撃に吹っ飛ばされてしまった。

空中で姿勢維持、すぐさまティルヴィングを中段に構え直し、顔を引き締める。

それが悪意のある物ならばまだしも、まるで感謝の意を込めたかのような笑みであった。

怖気が走るのを感じながら、僕が追求の声を続けようとするよりも早く、ティグラが口を開く。

 

「そうでしたね……、貴方には一つ礼を言わなければなりません」

「礼だって?」

 

 駄目だ、言葉が通じている気がしない。

以前までのティグラには見られなかった何かがある今の彼女に、僕は戦慄を隠せなかった。

一体あれからティグラに何があったのだろうか。

思考は想像を張り巡らせようとするが、戦闘に集中するために無理やりにでも断ち切る。

しかしティグラは、言った。

 

「私は、貴方のお陰で気づけたんです」

 

 僕の、お陰?

脳裏に二回目の戦いで僕が吐いた台詞が再生される。

 

「お前のやるべき事は、本当に誰かの為に人を殺し続ける事なのか……って。

あれは本当に、心に響く台詞でした。

そう、私のやるべきことは、誰かの為に人を殺し続ける事なんかじゃあ、決して無かった」

 

 気づけば残る3人の戦闘音も聞こえなかった。

代わりに息を飲んでこちらを見守る気配が3つあるだけ。

僕が戦慄と共に見つめるのに対し、ティグラはぱっ、と両手を開きながらこう言った。

 

「私のやるべきことは、自分の為に人を殺し続ける事だったんですっ!」

「……え?」

 

 思わず、声が漏れた。

何だって?

自分の為に、人を殺す?

理解不能な言葉に思考が停止する僕だったが、それを気にする様子も無く、ティグラは自分に酔いながら瞼を閉じ、続ける。

 

「貴方のお陰で気づけた、私は自由に生きる事が好きだったんです。

これまでの普通の人生だって、押し付けられてきたんなら好きになれなかった。

私が管理局の勧誘を断って、自分の手で選んだ日常だからこそ、大好きだったんです。

だから、私は自由に生きる事が好き。

私は、誰を殺してでも自由に生きたいっ!」

 

 次々と吐かれる衝撃的な言葉に、僕の思考が追いつかない。

自由に生きたい、そこまでならば分からないでもない。

けれど誰を殺してでもって、どういう事なんだ?

 

「ウォルター君、貴方の言うように貴方の庇護下に入って、貴方の意思に従い生きるなんてまっぴらです。

だから私は貴方たち3人を殺します。

私を監視するナンバ−12も殺します」

 

 ティグラは既に圧倒的と言っていい狂気を放っていた。

ティグラは内心で僕に助けを求めている、か弱い女性などでは無かった。

自由に生きる、それだけの為に他者を殺す事を選択できる狂気の人であったのだ。

遅ればせながらそれに気づく僕だったが、それに追い打ちをかけるようにティグラは言った。

 

「その為に、私は生命力を自分に込めてきました。

6人分の、魂を対価にですっ!」

「……え?」

 

 再びの衝撃に、僕の理解がまた追いつかなくなってしまった。

その為に6人を殺してきた。

自由の為に6人を殺してきた。

何故自由の為にと思ったのか。

気づいてはいけない、と内心が叫ぶのも聞かず、僕は口を開く。

 

「つまり……俺の台詞を聞いたから、お前は6人の人間を殺した、のか?」

「はい、そうですよっ」

 

 弾むような元気のある声で、ティグラは言ってのけた。

全身が凍りつくような感覚。

手足が微細に震え、ティルヴィングの切っ先が揺れる。

喉がカラカラに乾き、ひゅうひゅうと言う呼吸音が嫌に強く聞こえた。

つまり。

つまり、だ。

 

「俺が……店主を、殺した?」

「違いますウォルターっ!」

 

 リニスさんの声が聞こえるが、それでも尚僕は、構えを崩してしまった。

いや、それどころか、演技が解けなかった事ですら奇跡だったのかもしれない。

兎に角、愚かな事に僕は生命力を蓄え強化されたティグラを前に、構えを解いてしまったのだ。

刹那の後、視界を覆うティグラの姿。

高速移動魔法か。

そう判断したと同時に、全力で防御魔法を発動。

白光と共に三角形のシールドが発生するも、既にティグラは目前だった。

 

「隙ありッ!」

『ロード・カートリッジ。大鷲の剣発動』

 

 上段から撃ち落とされる剣戟が、僕を吹っ飛ばす。

視界が線分と化し、勢い良く壁が拡大されていき、轟音と共に僕は墜落した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その瞬間、ティルヴィングは自動でウォルターを守るプロテクションを発動させた。

刹那の後、轟音と共にウォルターが墜落する。

上がる土煙を見て、ウォルターが土煙に守られているのは十数秒と判断。

しかし途中で壁をぶち抜いたらしく、ティグラからはこちらは見えない筈。

ティグラ曰くナンバー12も彼女の敵なのである、恐らくどちらにも手は貸さず消耗させる事を選択するだろう。

となれば、警戒してこちらにやってくるまで、多少の時間は稼げる。

その間にウォルターを体勢を立て直せる状態にする為、自分の人工知能が必要であると判断し、ティルヴィングは存在しない口を開いた。

 

『マスター、立てますか』

「……ううっ」

 

 演技の解けた青い顔で、ウォルターは呻いた。

幸い目立った怪我は無く、立ち上がるのに支障はなさそうだ。

これで自分の人工知能の役割も終わりか、とティルヴィングが判断しそうになった時、ウォルターが言った。

 

「僕は……店主さんを、殺して、しまった」

『ノー、マスター。貴方は店主を殺害していません』

 

 事実を告げるティルヴィングに、ウォルターは頭を振りながら続ける。

 

「いいや、これは事実だ。

僕は、店主さんを……殺してしまった」

『イエス、マイマスター、インプットしました。

マスターは、店主を殺しました』

 

 と、事実とは違う事をウォルターが言うのに、ティルヴィングはそちらを事実として捉え直す。

言う通りにしただけだと言うのに、ウォルターは何故か一層顔を青くし、体を震わせた。

震える手を、爪が食い込み血が滲みそうなぐらいに強く、握り締める。

 

「あの時、ティグラがナンバー12に助けられたのは偶々だ。

ナンバー12に対するクイントさんとリニスさんは、ミスこそあったものの全力で戦っていた、このタイミングに二人の意図は無い。

けれど、僕がティグラを説得しなければ、僕はもっと早くティグラを追い詰められていたんだ。

そしてそれは、僕がティグラを説得すると言う意図を持ってしてやった事なんだ」

 

 握りしめた手を、ウォルターは胸の上においた。

それから吐き捨てるように、言ってみせる。

 

「僕の意図とは、UD-182の遺志を継ぐ事。

その為の演技をする為に、僕は、店主さんを……殺した。

いいか。

僕は、店主さんの命よりも……、UD-182の遺志を継ぐと言う、信念を選択したんだ」

『イエス、マイマスター。

マスターは、店主の命よりも信念を優先しました』

 

 自分で言った台詞をデバイスに復唱させているだけ。

なのにウォルターは額に皺を寄せ、脂汗をかき、歯を噛み締め。

まるで臓腑を抉られたかのような、絶大な苦痛に耐えるような表情となる。

それでも、握りしめた拳に力を込め、まるで水中で喘ぐかのように顔を高く上げ、言った。

 

「いいか、気づいていなかったけれど、今回は偶々信念の為に命を犠牲にしたんじゃあない。

これからもきっと、僕の信念……UD-182の遺志を継ぐ為には、人の命を犠牲にしなければならない時だって、ある」

 

 ウォルターは顔を伏し、深く息を吐いた。

僅かに残るだけだった土煙が、息に従い運ばれていく。

 

「その時僕は……、また命よりも信念を優先しなければならない」

『イエス、マスター。

マスターは、常に命よりも信念を優先しなければなりません』

 

 ついにウォルターが噛み締める歯茎からは、血が滲み始めた。

これ以上力を入れれば、いずれ綺麗に噛み合った歯が折れてしまうかもしれない。

そう忠告しようとしたティルヴィングだったが、それよりも先にウォルターが続ける。

 

「……本当は、嫌だ」

 

 これまでとは打って変わって、か細く幼い声であった。

先程とは質の違う震えがウォルターを襲い、彼は抵抗する事もできずただただ震えるばかり。

素のままのウォルターに、先程まではただの強がりだったのだと、遅れてティルヴィングは理解する。

強がった、演技なのだと。

 

 ティルヴィングから見て、ウォルターの演技の才能は凄まじい物がある。

演技のレパートリーが一つだけだと言う欠点はあるものの、それ故にか戦闘の才能に匹敵する程であった。

表情筋をどう動かす事が相手にどう見られるか、小さな仕草がどんな印象を自分から匂わせるか、それを天性の物としてウォルターは知っているようだった。

事実、クイントもリニスもウォルターの演技に未だ不自然さを感じている所は見えない。

ティルヴィングの演算部は、このまま成長すれば、一生演技を悟られずに生きていける可能性すらある、という答えを出していた。

 

「人の命なんていう重い物、背負いたくない。

知らなかったんだ、僕の言葉でティグラがあんな事を思うだなんて」

 

 ウォルターは両手で顔を覆い、泣く寸前であるようにティルヴィングには思えた。

なのでティルヴィングは、忠告のために釘を刺す。

 

『マスター、貴方は泣かないと誓ったのでは』

「……っ! 泣いて、いないっ」

『泣きそうだ、と判断しましたので』

 

 事実、ウォルターの目は潤みはしたものの、すぐに涙は引っ込んでしまったようだった。

自分が主の言葉を覚えており、それを補佐できた事に、ティルヴィングは僅かな満足感を覚える。

 

「……いや、そうだな、僕は泣きそうだった。

命より信念を選ぶのだって、今みたいに怖くて泣きたくなってしまう。

殺したとかそんなふうに考えるのすら、嫌で仕方がない」

 

 だらり、とウォルターは手を重力に従い垂らした。

何の力も入っていない完全に脱力した手は、掌を天に向けた形で停止する。

 

「だけど」

 

 そして、全力で握り締められた。

爪が皮膚を破り、血が滲む程の力で。

 

「だけど僕は、店主さんを殺してしまった事を、認めなければならない」

 

 膝を立てる。

ガクガクと震える膝に力を込めて、危なっかしい動きでウォルターは立ち上がった。

 

「だけど僕は、店主さんの命を背負わねばならない」

 

 ウォルターはティルヴィングを手に取り、地面に突き刺した。

ティルヴィングを杖代わりに、フラフラとした動きを止める。

 

「だけど僕は、何時かまた来る選択の時、命より信念を選ばねばならないっ!」

 

 伏した顔を上げ、ティルヴィングを引きぬく。

天井に向けて掲げられたティルヴィングは、まるで己が途方もない遠くを指し示しているかのような錯覚を、一瞬覚えた。

機械である己にそんな錯覚などありえないと言うのに。

 

「そして……僕は今、ティグラに……勝たねばならない」

 

 静かに言い、ウォルターは両手でティルヴィングを構え直す。

活力は無かった。

常に比してウォルターの握力は弱く、呼吸すらも上手くできていないようだとティルヴィングは捉える。

しかしそれでも、ウォルターは狂気の光を目に宿し、幽鬼のような表情でティルヴィングを構えた。

瞳とは対照的に、悟りきった高僧のような、静かな言葉で告げる。

 

「僕は……UD-182の志を継ぐ、たった一人の人間なんだから……」

 

 直後ウォルターの足元に、白い円形の魔方陣が発生。

ウォルターはその魔方陣に反発するかのように空中に踊りだし、再び戦場へと突き進んでいった。

 

 

 

 

 


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