仮面の理   作:アルパカ度数38%

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1章7話

 

 

 

 どがぁん、と瓦礫が弾けた。

流星のごとき速度でティグラへと飛んでゆく白光に、クイントはウォルターの無事を確信する。

すぐさま煌く白光と橙光が幾重にも交差し、幾何学的な図形を描いていった。

その速度は以前の戦いを遥かに超えており、矢張りウォルターは天才だと思わせる物である。

ウォルターとティグラの怒号が響くが、それを無視してクイントは意識を目前のナンバー12に戻した。

ナンバー12も、迂闊にクイントらを始末してしまってはティグラに先に殺されると気づいているのだろう、戦いはまだ始まっていない。

 

「お互い、新事実を知った訳だが……」

「お互い、今やる事は変わらないようね」

 

 拳を上げ、重心を低く。

体中の空気を押し出すように息吹を吐いて、クイントは構えをとる。

押しとどまっていたウィングロードが再び発生を開始、並行に重なった複雑な地形を描き始めた。

それと時を同じくして、ナンバ−12が杖を構え、深緑色の円形魔方陣を足裏に発生させる。

 

(リニス、ちょっといいかしら?)

(はい? 何でしょうか)

 

 念話を繋ぎ、クイントはそうリニスに問いかける。

午前中の作戦会議では、結局作戦と言える程の新しい作戦はできなかった。

ただ、一応ウィングロードを幾重にも走らせ、近接戦闘での多重角度から攻撃できたほうが良い、と言うだけの話。

その程度しか対応できない程に、ナンバー12の透明化直射弾は脅威だ。

普通に考えればただの小細工でしか無いのだが、仕組みが分かっても尚通用する小細工は、恐ろしい物である。

これなら低い魔力量ながらも執務官にまで至れた事にも納得できる。

これまで何度も痛感してきた先輩の強さを再度実感しつつ、クイントは続きを口にした。

 

(ちょっとだけ口先で試したい事があるの。

 もしも隙ができたら、そこを突破口にできるかもしれないわ)

(口撃、ですか?

 そうですね、手が乏しい今、試せることは試してみるべきです)

(ちょっと、卑怯なやり口だけどね……)

 

 自嘲気味の口調で念話を閉じると、クイントは再びナンバ−12を見据える。

相変わらず、酷い姿だった。

流れるようなブロンドの長髪は一本残らず消え去っており、代わりに見えるのは肌色でどこか筋張った感じの地肌のみ。

白磁のようだった顔面は焼け爛れて赤黒くなっており、そこかしこからは筋繊維のようなものが見え隠れしている。

ぷっくりと花弁のようだった唇は真っ白でめくれ上がったような形。

豊満だった乳房は、黒いコートの上からはあった形跡すら見つからなかった。

かつての面影を残すのは、その青い瞳だけである。

 

 これが、あの美しかったインテグラ先輩なのか。

そう思うだけでクイントは胸が苦しくなる。

加えてこれから、その先輩に卑劣な口先で口撃をし、墜とさねばならないとすれば、苦しさもひとしおである。

 

 だが、先のウォルターの復活を思えば、そんな苦味など吹っ飛んでしまった。

クイントは、ウォルターと店主との関係など知らない。

だが店主を己の手で殺してしまった、と言ったウォルターの青白く染まった顔は、見れたものではなかった。

仕事上絶望する人間の顔はよく見てきたが、あの自信が服を着て歩いているようなウォルターがそんな表情をしたと思うと、やりきれない。

そして同時に、ウォルターがそれを更に乗り越えティグラとの戦いに舞い戻ってきた事に、クイントの胸が熱くなる。

ウォルターのあの激烈な言葉を聞いたかのようになる体を押しとどめ、クイントは口を開いた。

 

「先輩、貴方はいつも、家族が一番大事だと口にしていましたよね」

「……そうだな、今更隠す事でもないか。

私は、インテグラは、家族を一番大事にしていたさ」

 

 二人が同時に飛び出し、リニスの直射弾が降り注ぐ。

誘爆する直射弾の煙に紛れ、ナンバ−12が出現。

構えた杖を透明化しながらクイントへと殴りかかる。

右、と判断し拳を振るうクイント。

それに反し、相当の重量と魔力のこもった一撃がクイントの脇腹を襲った。

 

「——がっ!?」

「私がある事件を捜査している際、知ってはいけない事を知ってしまったみたいでな。

その時私は瀕死の状態に追い込まれたが、存在しない部隊の隊員を一人殺ったよ」

 

 しかし、左右のどちらから来るか悟らせないために片手で構えなければいけない以上、両手持ちと比べれば威力は落ちる。

クイントは咄嗟に地面と垂直にウィングロードを展開、壁のように使って自身をウィングロードの上に押しとどめた。

そのまま反撃に移ろうとすると同時、周囲を飛び交っていた薄黄色の直射弾が、発生した深緑色の直射弾に命中。

咄嗟にクイントも拳を振るうも、手応えは薄い。

爆煙を煙幕として使ったナンバ−12は、再び距離をとってしまう。

 

「それが目に止まったんだろうな。

私は問われたよ、生きたいかってな。

何をしてでも生き残りたいか、と」

 

 再びクイントは構え直し、愚直に直進。

かと思えば、リニスの念話に合わせて並行するウィングロードに次々に飛び乗り、透明化直射弾の魔力煙を避けて走る。

 

「私は、家族の事を放って死ねなかった。

だからさ、私は存在しない部隊の人間としてその為に何でもやった。

もらった金は家族に渡るようにつぎ込んだし、夫も息子が無事に生きている事さえ知っていれば、私は何だってできた」

「……そうね、分かるかもしれない」

 

 呟きつつ、クイントは自身をナンバ−12に当てはめて考えていた。

今自分が死んだら、残る夫はたった一人だ。

残された夫がまた何処かへ踏み出せるまで見守る事を許されると言うのならば、どんな代償でも支払うと言ってしまうかもしれない。

だが、しかし。

 

「……ふん、まぁそう言ってしまえば、私もティグラと大して変わらないのだろうな。

あの子は自由の為に、私は家族の為に、人を殺してでもやりたい事がある。

違うとすれば、それが自分一人の為では無い、と言う事ぐらいか」

「……そうだったら、良かったんだけどね」

「何?」

 

 疑問詞を吐き出すナンバー12に、クイントは複雑な跳躍起動を持ってして突撃。

しかしそれでもナンバ−12はクイントを追う直射弾を切らさない。

当たり前と言えば当たり前だろう、クイントが移動するコースは後ろのリニスを見れば分かるのだ。

この程度の悪あがきに頼らねばならない程に焦っているのか、とナンバ−12は思うだろう。

その心の緩みに口撃と攻撃を叩きこむのが、クイントの目的だった。

 

「貴方の夫は、死んだわ」

『リボルバーナックル』

 

 クイントは至近から拳に魔力を収斂。

カートリッジを吐き出し、回転するリボルバーナックルの衝撃波を拳に乗せて撃ち出す。

目を見開いたナンバ−12は、それでも反射神経のみで防御魔法を貼るが、それすらも打ち砕きクイントの拳はナンバー12の胸部に突き刺さる。

肺の中の空気を吐き出すナンバー12。

吹っ飛んでいく彼女を、しかし回り込んでいたウィングロードが受け止めた。

辛うじて意識を繋いだナンバー12は、即座に飛行魔法で飛び立つ。

タッチの差で、クイントの蹴りが空を切った。

 

「何を言っている、あの人の生死どころか健康までつい一週間前に確認したばかりだ。

ティグラの殺人には全て私がついていった、そんな筈が……っ!」

「最後の6人を除けば、でしょ」

 

 それでもクイントの勢いは止まらない。

そのまま空中へ踊りだし、半回転しながらの二連蹴りをナンバー12に叩きこもうとする。

辛うじて間に合ったナンバー12のデバイスがそれを受け流すが、胸部が痛むのか、それとも会話の内容故にか、顔を歪ませながらであった。

 

「馬鹿な、そんな偶然が……!」

「さっきウォルター君の言っていた、店主ってさ。

元局員のラーメン屋の店主、なのよね」

 

 決定的な言葉に、ナンバー12が硬直。

それでも戦士の勘が至近から透明化直射弾を発射し、クイントの腹部に直撃する。

吹っ飛ばされていくクイントはウィングロードに降り立ち、そのまま地面に対し垂直にローラーブーツで登っていった。

何にせよ、一旦距離が離れたのならば、とナンバ−12はすぐさま深緑の魔方陣を展開。

無線配信されているクラナガンのニュースに即座に目を通し、その中に自分の夫の名が死者として載っているのを見つけた。

 

「……嘘、なんだろう」

 

 声を震わせながら、ナンバ−12は言う。

胸を抑え、震える手でデバイスをつかみながら続けた。

 

「此処の無線ネットワークをハッキングして作った、嘘の記事なのだろう? これは。

お前たちが確実に勝つ為の、策略……」

 

 と言いつつナンバー12が、クイントを追って視線を上げる。

するとその視界に、眩く輝く巨大な薄黄色の光が見えた。

一瞬目を細め、すぐさまナンバ−12はそれが無数の直射弾の発射台だと気づく。

と同時、ナンバー12の四肢を立方体のバインドが縛り付けた。

絶望的な状況に、それでもナンバー12の口をついてでたのは、己の夫の死を否定しようという言葉であった。

 

「……嘘、なんだろう?」

「……ごめんなさい、本当よ」

 

 助けを請うように、ナンバー12は天を仰ぐ。

僅かに、沈黙がその場を支配した。

ウォルターとティグラの戦闘音だけがその場に響く。

残る呼吸音さえ聞こえそうな程の静謐。

しかし誰一人それに答える者はおらず、代わりに断罪の言葉がリニスの口から吐き出された。

 

「……フォトンランサー・ファランクスシフト」

 

 指揮棒を振るうかのように、リニスの手が振るわれる。

それと同時、32基ものスフィアから毎秒7発ものフォトンランサーが発射された。

その光景は、正にフォトンランサーの豪雨であった。

質量を持った雨が、まるでナンバ−12を押しつぶすかのように空中で踊らせる。

3秒間、672発にものぼるフォトンランサーが命中した後、リニスは天に向け手を掲げた。

32の発射台が集結、一本の巨大な矢と化す。

 

「スパーク……エンド」

 

 静かな言葉と共に、最後の一撃が放たれた。

優に音速を超える速度で雷撃はナンバー12へと命中。

バインドごとナンバー12の意識を、破壊した。

 

「——……っ!」

 

 声にならない悲鳴をあげ、クイントは地面に垂直なウィングロードを走り、ナンバー12の元へと飛び込んでいく。

高さが揃った辺りで、視線をナンバー12へ、膝を曲げてウィングロードに手を突き、飛び立った。

空中でクイントは、ナンバー12を抱きとめる。

そのまま地面へと墜落するかのように思えた二人の元に、薄黄色の魔力が形作ったフローターフィールドが多重発生。

二人分の体重を受け止め、地面にふわりと下ろした。

 

「……先輩」

 

 クイントはナンバ−12を膝枕する形で横たえる。

勝ったというのに、最悪の気分だった。

夫を愛する気持ちがどれだけ心の中を占めるものか、クイントはよく知っている。

子供が作れないと知った時、夫がクイントの事を受け止めてくれた事も記憶に新しい。

そして家族に対する思いが強いのは、クイントだけではない。

視界の端ではリニスも苦虫を噛み潰したような顔をしており、家族への思いを利用した後悔が見て取れた。

 

 ナンバー12は、僅かに目を開いており、意識はあるようだった。

手を天に伸ばし、何かを掴みとろうと握り締める。

しかしそれは空を切り、何も掴まないままにナンバ−12の胸の上へと戻っていった。

目を細め歯を食いしばるクイントに、優しげな声でナンバ−12は言った。

 

「……何時か、こんな日が来るんじゃあないかと思っていた」

 

 ナンバー12の目に、涙が浮かぶ。

涙滴は大きさを増していき、決壊。

重力に従いナンバ−12の横顔を流れていく。

 

「私が殺している相手にも家族が居るんだと言う事は、分かっていた。

なのに自分の家族だけは奪わないでくれと、そう叫ぶ事の罪深さも分かっていた。

分かっていて、辞められなかった」

 

 静かな涙であった。

真っ白になった唇が動く様は、まるで蛆が踊っているかのよう。

そのグロテスクな光景は、まるでナンバ−12の末路を指し示しているかのようだった。

 

「ただ、大切なだけだった。

……いや、それも違うのかな。

それだったら、見守る必要なんて無かった。

家族を信じて逝く事もできた筈だった」

 

 胸の上に開いておいていた手を、握りしめるナンバ−12。

刺さった爪に溢れた血が、掌を伝い、胸元へと零れ落ちる。

ぽつぽつと、雨粒のように落ちる血が飛び散り、小さな円を作った。

 

「だからこれは、ただの私の我儘だ。

私は……自分の我儘で、夫を殺してしまったんだ」

「……それは……」

 

 反射的に反論しようとして、クイントは口をパクパクと動かし、それからつぐんだ。

何も言う言葉が思い浮かばなかった。

ウォルターも店主を殺してしまったと言っていたが、その台詞よりも彼女の台詞の方が遥かに真実に近い響きを持っていた。

そしてそれは、クイントの言葉では到底覆し様のない事に思えたのだ。

悔しさから、歯を噛み締めるクイント。

それを、聞き分けのない子供を見守るような目でナンバー12が見つめる。

 

「クイント、お前はこんなふうになるんじゃあないぞ。

家族への思いと、自分の我儘とを、履き違えるんじゃあない。

そうでなければ……、何時か取り返しのつかない事になる」

「……はい、先輩」

 

 気づけばクイントも、涙をこぼしていた。

悲痛なナンバ−12の境遇は、ある種自業自得とは言え、嫌でもクイントの身に置き換えた場合を想像させる。

クイントにとって未だ想像でしかない子供を残しての状況だと思えば、こみ上げる涙は増えるばかりであった。

そんなクイントを優しげな目で見つめ、ナンバ−12は伸ばした手でその頬を撫でる。

愛おしげな仕草でそれを終えると、突如ナンバー12は目を見開いた。

 

「……っ! クイント、こんな事言えた義理じゃあないが、私の子を頼んだぞっ!」

「え、何を……っ!」

 

 ナンバ−12は突如クイントを突き飛ばすと、立ち上がり、全力で飛び込むようにしてクイント達を距離を取る。

次の瞬間、閃光が走った。

続いて、爆音、土煙。

思わず両腕で顔を覆ったクイントの体に、脂っ気のある何かが幾つか張り付く。

しばらくしてから、クイントが震える両腕を開くと、ナンバー12は消え去っていた。

代わりに赤黒い肉の破片がそこら中に散らばっているだけ。

 

 クイントは、両手を地面につき、放心した。

背後のリニスも同じような感覚を覚えたのだろう、膝をつく音が続く。

これまでの経験から、クイントは勝利が誰かを救う訳では無いと知っていた。

勝った事がすなわち誰かの幸せになるとは限らないと、知っている筈だった。

なのになんだろうか、この無力感は。

体中が鉛になったかのように重く、喉奥からは吐き気が、目からは涙が溢れていた。

もっと誰かが救われていい筈だったと、そんな言葉がクイントの脳裏を過る。

 

「……私は、ウォルターに加勢しにいきます」

 

 と、リニスの言葉を受け、自失していたクイントは、小さく、あ、と声を漏らした。

確かに二人ともそうすべきだ、狂気の殺人者となったティグラはまだ残っているのである。

クイントはふらつく体で立ち上がり、体からナンバ−12の肉片をふり落とした。

それから、つい先ほどまでナンバ−12が居た場所へと視線をやり、一瞬、目を細め歯を噛み締める。

後ろ髪を引かれる思いでそこを視界から振り切り、ウォルターらの戦いへと視線をやる。

極大の白光と橙光が交錯。

丁度、決着がつく所であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぉおぉおおっ!」

「てやぁああぁっ!」

 

 絶叫と共にティルヴィングを振るう。

魔力で超強化されたティルヴィングを袈裟懸けに振るうも、ティグラのムラマサは剛力で強引に僕の攻撃を捌いてみせた。

しかし、強引な防御のツケとして、ティグラのバリアジャケットに小さな傷が生まれる。

されどティグラには痛がる様子どころか、それに気づいているかどうかも分からない程度の反応しか無い。

溢れる生命力による無限のスタミナに、僕は内心舌打ちしつつ、旋回。

再びティグラへと向かって突き進む。

 

 僕が思うに、ティグラの強さは3つある。

一つはその膂力の強さ。

僕の巨大なティルヴィングの斬撃を何とも無いかのように捌き、攻撃はカタナによる物とは思えぬほどの強さである。

一つはその生命力の高さ。

いくら戦っても体力を消耗しない、長期戦になればなるほど強いそのスタミナの高さである。

そして最後の一つは、近接魔力付与斬撃の、バリエーションの豊かさであるように思える。

 

 通常は近接魔力付与攻撃は強力な物を一つ用意しておき、それを姿勢によってアレンジして使うのが空戦での常套手段である。

対しティグラの見せた魔力付与斬撃は、三種類。

上段からの振りおろし、大鷹の剣。

中段からの突き、大猪の剣。

下段からの払い、大虎の剣。

通常一つしか持たない魔力付与斬撃を、それぞれの姿勢に特化させた魔力付与方法で発現させる事により、効率を高める事ができているのだ。

その分デバイスの容量は食うのだが、そこはロストロギアの面目躍如である、こと近接戦闘においてはティグラに不足した魔法は見当たらない。

つまり、近接戦闘においてティグラには弱点がない。

対し僕は、遠距離戦闘は近接戦闘の補助としか使っておらず、ティグラと戦うレベルでは近接戦闘しかできない。

八方塞がり感のある展開であった。

 

「はぁぁああっ!」

「わぁぁああっ!」

 

 斬撃が交差。

再びティグラのバリアジャケットに薄い傷を作るも、矢張りダメージが通っているようには思えない。

そして僕の動きは最高潮から劣り始めてきたものの、ティグラの動きは未だに全開。

このままいけば押し切られる、と、嫌過ぎる勘の囁きが脳裏に走った。

状況打開の為の魔法はあるが、使うならば必殺の隙に使わないと、このタフさでは復活される恐れすらある、その状況は避けたい。

別に種が割れたからと言って脆弱になる魔法ではないが、そう何発も使えない魔法なのだ。

 

 まぁ、それについては考えながら行くしかない。

ティグラの6人分の生命力とやらを解析しながら戦っていた僕は、基本方針に変わりは無い、と決める事にする。

それから僕は、やっと口を開いた。

 

「お前は……自由の為なら、人殺しも厭わないって言ってたよな」

「……そうですよ?」

 

 突然の言葉に、ティグラは空中で一瞬静止。

あの何処か狂気の響きのある声で、返してくる。

矢張り変わらぬ答えに、僕は内心で震えつつもそれを隠し、続けた。

 

「俺は……人の命を尊いとは思っている」

「…………」

 

 ティグラは僕の言葉を無視してこちらへ突撃。

僕もそれに応じて、再び剣を振るう。

ティグラの剣のわかりやすい点として、構えでどの攻撃が来るか分かるということがあげられる。

上段で兜割りか袈裟逆袈裟、中段で突き、下段で胴か逆胴。

勿論分かった所で対応できるかは別なのだが、解析しない訳にはいかない。

 

 今回は、中段であった。

カートリッジの炸裂音と共にムラマサが橙色の光を帯び、銀光が煌く。

超高速の胸、喉、頭蓋と三連続で迫り来る突きを、僕は咄嗟の高速移動魔法で回避した。

背後に回りこみ、直射弾を即時発動限界の10発打ち込むも、あっさりと弾かれる。

 

「何故なら人の命がどれだけ輝く事ができるか、俺は知っているからだ」

「……それで?」

 

 先日クイントさんに語った内容の焼き直しに、ティグラが怜悧な声で返した。

内心はそう来るだろうと分かっていても傷つき、まるで血が滲み出ているかのように痛い。

本当はそれだけで口をつぐみ、自分の言葉を何度も検証したいけれど、必死で僕は続ける。

 

「だが……俺はそれよりも更に優先している事があった」

「奇遇ですねぇ」

 

 僅かに嬉しそうな声を出すティグラ。

たったそれだけでほっとしそうになる内心を、僕は全精神力を込めて抑えこむ。

表情筋を操作し、鉄面皮を作り続けた。

 

 旋回した僕らは再びの激突に備える。

ティグラは魔力を収束、僕は直射弾を剣戟と同時に出せる4発身に纏い、突撃を開始。

視界の中の互いが急激に拡大していく。

 

「それは、自分の信念に気づいていない奴に、気づかせると言う事だ」

「あら……っ!」

 

 喜色の混じった声と同時に、僕らは激突する。

袈裟の斬撃は同時に激突。

そのまま僕は翻るようにして上段から切り落としを振るうも、ティグラもまた同じようにバック宙のような動きで旋回、僕の首を狙っていた。

それを直射弾2発で遅らせ、その隙にまたもや僕が上になってティルヴィングを振り下ろす。

ティグラが追いつくその場所に、先んじて直射弾を発射。

回避姿勢を取り硬直したティグラに、半回転しながらのティルヴィングの切り上げを放つ。

しかしそれすらも高速移動魔法で逃げられてしまい、かすり傷しか作ることは出来なかった。

 

「それじゃあ、貴方の目的も叶ったんですね? それは良かった。

私にとって、貴方は殺すべき相手であると同時に、恩人でもありましたから」

「…………」

 

 怒涛の四連撃も、バリアジャケットを僅かに凹ませただけ。

矢張り生命力で強化されたティグラは、近接戦闘においては僕と互角だ。

決定的な一撃を当てる為の隙が必要なのだが、勘で経験を補っている上体力で劣る僕の方が、先に隙を見せてしまう事だろう。

 

 そしてティグラの言葉は、重たくも真実であった。

そう、僕の信念とはUD-182の遺志を継ぐ事である。

それをわかりやすく言語化するならば、曲がった事をやっている相手をぶん殴り、真っ直ぐに自分の道を見させる事だ。

これをもう少し丁寧に言えば、ティグラに言った台詞になる。

そう、ティグラを殺人鬼として覚醒させた事を、僕は喜ばねばならない筈なのだ。

 

 喜んだのなら、笑わねばなるまい。

命を落とした人が居て、それが6人も居て、しかも知り合いがうち1人居たと言うのに、笑わねばならないのだ。

その罪深さに僕は今すぐ失神してしまいそうなぐらいの頭痛を覚える。

だが、それでもやらねばならない。

表情筋を統制し、歯茎が見える程に口を開き、えくぼを作り、目を僅かに細めた。

 

「その通りだ」

 

 果たして、僕はUD-182のような笑みを浮かべる事ができていただろうか。

できていたとしても、僕は死者を冒涜し、既に後戻りできない場所まで進んでいるのだ。

今更帰る場所など無いと、強がりばかりでできた紛い物の心を、口にする。

 

「だが、同時に命が大切だって事も確かなんでな。

嬉しい、確かに嬉しいさ。

だがそれ以上に、ムカつくんだよ、お前は」

 

 そう、UD-182はその信念を命よりも優先するような人間だったが、だからといって、決して命をないがしろにするような人間でもなかった。

本当は僕は他人の命の心配をする余裕がなく、自分の命の心配で精一杯な小者だ。

けれども笑みに怒りを混ぜ、攻撃的な物にし、僕は理想の表情を創り上げる。

 

「自分の歩むべき道を見つけた、それはいいが、なんだって人殺しの道なんだよ。

いや、人殺しを嫌がって他の道へ行くよりはよっぽどマシだ。

マシだけれど、ムカつくのさ、てめぇは」

「……酷い言い草ですね」

 

 困ったような表情で言いつつ、ティグラは再び突貫してきた。

こちらも牽制の直射弾を打ちつつ突っ込んでいく。

カートリッジの薬莢が奏でる二重奏と共に、互いの剣が魔力光を纏った。

 

『大鷹の剣』

『断空一閃』

 

 いつしかの焼き直しのように相手の剣を撃ち落とそうとするも、タイミングを調整され、僕の剣は空振った。

僅かに遅れて、ムラマサの鋭利な刃が僕に迫る。

せめてもの回避策として、そのままティルヴィングの慣性のままに高速移動魔法を発動。

しかし攻撃をかわしきるには至らず、僕の背中に斬撃が叩きこまれる。

 

「……っ!」

 

 背中に焼きごてを押し付けられたかのような痛みが走った。

声にならない悲鳴を上げつつも一気に距離を取り、ティルヴィングを構え直す。

 

『骨や神経までは達していませんが、太い血管に傷がつきました。

現在バリアジャケットで圧迫しています。

戦闘用リソース確保の為、回復魔法は発動していません』

「オーケイ」

 

 ティルヴィングの自己診断に頷き、僕は中段に構えつつティグラと距離を保ちながら動く。

丁度円の直径の両端のような位置につきつつ、互いの出方を見ながら回転していった。

その間も、僕は口で語る事を辞めない。

 

「だから、これは俺の信念を守る為の戦いじゃあない。

これは俺がムカついたからやる、ただの喧嘩と変わりねぇ物なのさ。

俺は、お前が人殺しをするのが何か気に食わねぇから、ぶっ倒す!

シンプルでいいだろう?」

 

 精一杯、僕は男らしい笑みを作った。

それにくすりと微笑み、ティグラは返す。

 

「私は自由になりたいと言う信念を掲げているのに、貴方はそんな程度の理由なんですね。

なのに……心で勝っている筈なのに、未だ互角ですか」

「あぁ、てめぇは負けるのさ。

ただムカつくと言う理由で戦っているだけの、俺にっ!」

 

 本当は僕だって信念の為に戦っている。

けれど口に出したら意味の無い信念だから、口に出せなくて。

それでも、ティグラなら悟られてしまうかもしれない、そんな不安が何処かにあった。

 

 ——けれどティグラの微笑みは、本当に仕方がないなぁ、と諦めの混じったような表情で。

それに僕は結構ショックを受けている自分を見つけた。

 

 それで僕は、やっとのことで気づく。

僕は、何処かでティグラと自分を同一視していたのだ。

自分の信念の為に人の命すらも切り捨てる、そんな所が僕らは似ているのだと。

似ているから、分かってもらえるかもしれない。

そんな風に僕は、甘えたことを考えていたのだ。

 

 けれど現実は違った。

ティグラは自分の真の信念を声高々と上げる事ができ、僕は自分の信念を隠し紛い物の信念を掲げていて。

ティグラは僕の紛い物の信念を信じ、それを僕の本当の信念だと思っていて。

僕の信念は、誰一人にも気づいてもらえない。

僕とティルヴィング、一人と一機だけの秘密。

今更僕は気づいたのだ、これから一生、僕は他人に信念を見つけさせながらも、僕の信念は誰にも分かってもらえないのだと。

 

 視界が真っ暗になるようなショックだった。

全身から活力が抜けて行きそうになるのを、必死で抑える。

こみ上げてくる吐き気に我慢し、まるで極寒の地に居るかのように震えそうになる体を全力で固定した。

絶望とは、この感情の事を指しているのだろうか。

そんな言葉が浮かんでくるぐらい、僕は酷い状態だった。

 

「行きますよっ!」

 

 けれど現実は、待っていてくれない。

ティグラは僕の隙を見つけたのか、超加速でこちらへと突撃してくる。

こちらもそれに合わせて直射弾を10発発射、軽業師のようにそれを避けながら突っ込んでくるティグラを待ち構える。

見に徹したこちらを警戒したのか、ティグラの攻撃は最速の突きであった。

頬に軽い傷を作りつつ避けるこちらを、目を瞬くように見つめるティグラ。

それでも反撃に移ろうとする僕に後退しつつ、まさかと叫ぶ。

 

「そうか、この会話は体力切れを隠すための詐術。

ウォルター君、貴方はもう限界ですねっ!」

「……クソッ!」

 

 現実には死ぬほど活力が消え失せてしまっただけなのだが、体の動きが鈍いと言う事実に変わりはない。

そのまま袈裟、突き、正面と繋げてくるティグラの剣戟を必死で防御し続ける。

まさに狂気を孕みながらも信念の乗った剣だからだろう、その一撃一撃は物理的にも精神的にも果てしない重さであった。

受けるこちらの両手から血がにじみ始め、体のあちこちには小さな傷ができ始める。

上方のティグラから下方の僕が受ける姿は、まるでティグラの凄まじい剣戟が僕を地面まで叩き落とすかのような勢いであった。

 

「ムラマサっ!」

『大虎の剣』

 

 胴体を狙う斬撃を縦にしたティルヴィングで防ぐも、滲む血が僅かにティルヴィングを滑らせる。

押し込まれた剣の腹が頭蓋に辺り、小さい腫れを作った。

元々気分の悪さから来る頭痛に加えて、二重奏の痛みが僕を苦しめる。

 

「うぉおぉおおおっ!」

『大猪の剣』

 

 喉を狙った突きを首を振って回避、ティルヴィングを薙ぎ払うも、あっさりと避けられる。

円弧を描く軌道で再びこちらへ戻ってきて、再び連撃を僕に見舞った。

必死で防御する僕をあざ笑うかのように、小さな傷は増えてゆく。

 

 駄目だ、これではいけない。

故に僕は、マルチタスクを一つ使い、思考の中に埋没する。

確かに、僕はこれからずっと一人と一機で戦い続けるだろう。

誰にも理解されないのではない、誰かに理解されたら終わってしまう、そんな道程をだ。

きっと孤独だろう、きっと辛いだろう。

だけれども。

 

「それでいい……これでいい……!」

 

 小さく、勇ましげな言葉をつぶやく。

すると心の中でも、少しだけ勇ましさが湧いてくるような気がした。

そうだ、僕はたとえ孤独でも、寂しくても、それが果たしてUD-182の遺志を継がない理由になるだろか。

違う。

絶対に、ならないのだ。

脳裏に描かれるUD-182の笑みが、僕の心を照らす。

 

 あの誓いが、僕の胸の中に浮かんだ。

——なら——、僕がそれを継いで見せる!

あの言葉を言えたのが、僕の一生で一番の宝物だから。

だから僕は、もうこの道を歩む事を迷わない。

道程はあまりに辛く、尻込みしそうだったけれども。

それでも、僕はこの道を歩み続けてみせる。

 

 思い描くのは、UD-182の言葉で燃え上がる自分の心。

腹腔が熱くなり、全身に回る熱が血潮を熱くする。

四肢の指一本一本まで沸騰しそうな血液が周り、全身に活力が溢れてゆく。

燃え盛る内心を胸に、僕は叫びだしそうなぐらいの気迫を全身に込めた。

 

「終わりですっ!」

『大鷹の剣』

 

 橙色の魔力光と共に振り下ろされるムラマサ。

その攻撃は、僅かに油断が滲んだのか、少し大きく読みやすい。

今だ。

内なる勘の叫びに従い、僕は叫んだ。

 

「そっちがなぁああぁっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 薬莢がスローモーションで落ちていくのが見える。

全神経が集中し、刹那しか無い隙間に僕は自分の剣を割りこませた。

 

「断空一閃ッ!」

 

 ティグラのムラマサを、何時かと同じく叩き落す。

無理にでも持っていたなら簡単だったのだが、この場では武器を手放してでも後退すべき、と判断したのだろう。

ティグラはムラマサを手放しつつ全力で後退。

ただの斬撃では、バリアジャケットを傷つけるのが限界の距離にまで離れる。

ニヤリ、とティグラの微笑みが目に入った。

が、それもどうでもいい事だ。

 

『ロード・カートリッジ』

「——二閃ッ!」

 

 こちらもまた、野獣の笑みを見せていたのだから。

白光を纏った切り上げがティグラへと直撃。

バリアジャケットを引き裂き、ティグラの本体へと魔力ダメージが突き刺さる。

 

「か……は……っ!」

 

 肺の中の空気を全て吐き出すティグラ。

本来であれば脇腹から心臓まで駆け抜ける筈だった剣戟は、ついにティグラの意識を奪った。

墜落していくティグラ。

それを尻目にティルヴィングの排気口から魔力煙が吐き出される。

咄嗟に僕はバインドを発動、ティグラの四肢を拘束。

念のため二重三重に展開し、ティグラを完全に魔法行使不可能状態にまで追い込んだ。

それからようやく、現実感が僕に追いついてきた。

 

「……勝った……のか……」

 

 ティルヴィングの切っ先を下げ、肩で息をする。

ティグラに対する僕の戦術はたった一つ、正面突破であった。

近接戦闘において技術的には格上であるティグラ相手にできるのは、ただのスペック勝負に追い込む事だけ。

それには僕の肉体のスペックでしかできない、魔力付与斬撃の二連続が最適だった。

一撃でもティグラのそれを上回るそれですら、ティグラ相手では二撃目は威力不足になる。

それなら二連続でやればいいだけと言う、単純明快な答えであった。

 

「……っ痛うッ!」

 

 が、当然無茶なやり方ではある。

元々魔力付与斬撃自体魔力で身体能力を補助しての一撃必殺で、そこには普通切り返しの猶予すら無いと言う。

今回のように撃ち落としに使うのに無理やり身体能力でなんとかしているが、普通はこれも筋を痛めてしまうそうだ。

なのに魔力付与斬撃を二連続で行うなど、体を痛めるどころか、壊してでもできない。

それができてしまうのが僕の体の凄さなのだが、それでも痛烈な痛みが残るのは致し方なしか。

それでもその痛みが僕に勝利を告げているように思い、僕は小さく叫ぶ。

 

「……勝ったぞ……ッ!」

 

 天を仰げば、いつの間にか完全に夜になってしまった外が目に入った。

その中にキラリと光る星々は、まるで僕を祝福しているかのように思えたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 僕が下に降りると、クイントさんとリニスさんがこちらへ寄ってきた。

その姿に大きな傷は無く、完全勝利だった事が伺える。

 

「ウォルター!」

「ウォルター君!」

「良かった、そっちも勝ってたんだな」

「……えぇ、そうですね」

 

 と、何でか微妙な顔をされる僕。

一体何でだろうとまず思い当たるのが、僕の傷の多さである。

小さい傷がいくつかと、背中に大きな傷が一つ。

対し二人は大きな傷を一つも負っておらず、見目にはちょっと汚れただけに見える。

内心思いっきり凹みそうになるが、それにしては二人の様子がおかしい。

僕の顔の疑問詞を読み取ったのだろう、リニスさんが口火を切る。

 

「ナンバー12は、自爆させられました。

もう生きてはいません」

 

 思わず、目を見開いた。

咄嗟にティグラの方へと振り返るが、意識を無くしているだけで自爆しそうにはない。

ほっとしてしまったが、それもナンバー12の後輩であるクイントさんに酷い話だろう。

結局何とも言えない顔を作りながら、二人へと視線を戻す。

 

「そう、か……。冥福を祈る。

兎に角、こっちも勝ったぜ」

 

 とティグラを指さすと、二人を引き連れティグラの元へと行く。

その途中で僕はさりげなくムラマサを拾っておいた。

自動送還機能を持つムラマサだが、ティグラが魔力行使不可能に追い込まれればその機能も使えない。

となればリニスさんが持って逃げる可能性もあると考えての事だ。

視界の端で何とも言えない顔をしているリニスさんを見ると心が痛むが、それでも僕はムラマサを手放さない。

 

「……う、うぅ……」

 

 と、丁度そこでティグラが目を覚ましたようだった。

これからこの我儘な女を管理局に連れていき、更に管理局の非正規部隊から守らねばならないと考えると、憂鬱な気分になる。

けれどそれが勝利の味であると言うのなら、案外悪い気がしないのだった。

僕は肩をすくめ、口を開く。

 

「さて、ようやく眠り姫のお目覚めか。

これからお前は管理局に逮捕される訳だが、身の安全は何とか俺達で保証してみせるから——」

「うぅん、違います」

 

 僕は咄嗟に、ティルヴィングを構えた。

バインドで拘束されている現状で何をするのか分からないが、ムラマサはロストロギアである、どんな不思議機能があるか分かったものじゃあない。

しかしそんな僕の反応が的外れだったのか、クスクスと笑ってからティグラが口を開く。

 

「くす、そういう意味じゃあないですよ。

ただ、この事件は……」

 

 ティグラがバインドで拘束された先の手首を回し、指先を天に向ける。

指先は、白い粒子となって少しづつ消え去ろうとしていた。

 

「私が死んで終わり、っていう事です」

「……え?」

 

 思わず、疑問詞が口から漏れた。

それはクイントさんとリニスさんも同じようで、疑問詞は3つ輪唱する。

 

「馬鹿な、一体何で……っ!」

「今までのムラマサの使い手の中には6人分の生命力ぐらい溜めていた使い手はいくらでも居ました。

それに6人分を超える生命力を誰かに分け与え、それをゆっくりと注がれる外部タンクのように設置した人もいくらでも居ます。

でも、私のように6人分もの生命力を一気に使おうとした人間は、居なかったんですよね」

 

 はっ、と気づいた。

それならばティグラの現状が理解できる説明が思いつくが、絶望的過ぎて考えたくない。

けれどティグラはそんな事気にせず、続きを口にする。

 

「そんな事を試してみたからでしょうね、過剰な生命力を込められた私という器は、空気を込めすぎた風船のように、壊れてしまったのです。

それでも人を切り続け、その生命力を吸い続ければ生きてはいけたでしょうが……、それも自由とは言い難い身。

結局私の求めた自由など、何処にも無かったと言う事ですか」

 

 掠れた声で言うティグラの瞳には、何一つ写っていないかのようだった。

先程まで狂気じみた精神力が宿っていた体には、覇気の欠片も存在しない。

生ける死体のようだ、と僕は反射的に思ってしまう。

信念の道先に求めた物が何も無かった人間は、こうなってしまうのか。

哀れむと同時、まるでこう言われているような気すらする。

お前も何時かこうなる、と。

 

「くそっ、最後まで足掻けよ、諦めるのかっ!?」

「はい、すいません、ウォルター君。

君の言葉で信念を見つけられたと言うのに……それを諦めてしまって、曲げてしまって」

 

 そう儚い笑みを浮かべるティグラは、既に肘や膝の辺りまで光の粒子となって消え去っていた。

思わず掴みかかりたくなるも、掴んだところから崩れてしまいそうな現状に僕は何もできない。

 

「それでも何でですかね、結構スッキリしているんですよ、私は。

勝負にも負けて、足掻く事も止めて、信念すら曲げて、それなのに。

何でだろうなぁ……」

 

 何処か遠くを見つめるティグラに、僕は何一つ、気休めすら言う事も出来なかった。

それはクイントさんとリニスさんも同じなのだろう、二人の言葉も何一つ聞こえない。

代わりに戦闘の後で荒くなった呼吸音だけが、その場に響くのみだ。

 

「あ、そうだ、最後に一つだけ、ウォルター君にお願いがあるんですよ」

「……何だ?」

 

 聞き返すと、まるで花弁の開くような、素敵な笑みを浮かべてティグラは言った。

 

「ムラマサを、破壊してください。

それには自動転生機能があります、このままでは私の死と共に新たな主の元に行ってしまう」

 

 表情とは打って変わって、淡々とした言葉だった。

なのに何処か人を従わせる力のような物があり、僕は頷いてしまいそうになるが、それをどうにか抑えて理由を聞く。

 

「……何故だ?」

「理由は、2つあります。

一つは、ムラマサが私から自由を奪う原因だったから。

もう一つは、ムラマサが戦闘経験の憑依という形で、私の人格を侵食し始めたからです」

 

 驚きすぎて、今度こそ言葉もでないぐらいだった。

そういえば、僕はムラマサの戦闘経験の付与について、どれほどの物であったか少しも知らなかったのだ。

成る程、経験の付与なんて言う物をされれば、人格に影響が出るのも分かる。

とすれば、今のティグラの行動もどれほどの部分がムラマサに影響されたのかどうかも分からないのか。

 

「人殺しが増えるから、なんていう綺麗事を言うつもりはありません。

私は、私の自由を侵食したムラマサがこれからも自由に人の手を渡っていくのが、許せないのです。

お願いします、ウォルター君」

「……あぁ」

 

 耐え切れず、僕は頷いた。

それから気づき、ふとリニスさんを振り返る。

彼女は一瞬目を見開き、それからムラマサと僕との間で視線を数回往復させたが、結局にっこりと笑って頷いてくれた。

それに感謝しつつ、僕はムラマサを逆手に持ち、地面に突き立てる。

 

「いけるか、ティルヴィング」

『イエス、マイマスター』

 

 カートリッジを使用、薬莢の跳ねる音を背景音に僕は全力でティルヴィングを袈裟懸けに振り下ろした。

 

「断空……」

『……一閃』

 

 キィィン、と甲高い音。

宙へ跳ね上がった柄側のムラマサが回転しながら落ちてゆき、最後には地面に突き刺さる。

それを見届けて、ティグラは口を開いた。

 

「……ありがとう、小さな英雄さん」

 

 それを最後に、ティグラは顔面まで白い粒子となって消えてゆく。

後には僕が作った、何重にもティグラを拘束していたバインドだけが残っていた。

 

 天を見上げる。

ボロボロの廃工場からは夜空が見え、星々が光っているのもまた見えた。

先程までは僕を祝福しているかのように見えたそれは、今は命の輝きの儚さを表しているかのように思える。

 

 一つ、流星が煌めいた。

まるでティグラの命が地に落ち燃え尽きる、その瞬間を表しているかのようで。

僕は目を瞑り、静かに彼女の冥福を祈る。

 

 酷い無力感であった。

僕は、勝った筈だった。

けれど僕は、救えなかった。

誰一人救われないまま、この事件……後にムラマサ事件と呼ばれる事件は、終わりを告げたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あー……」

 

 寝ぼけた声を出しながら、僕は目を覚ました。

腰を上げ、寝癖のついた髪をピョンピョンと跳ねさせたまま、目を何度か瞬く。

掛け布団を横にやって足を地面に下ろし、サイドテーブルのリモコンに手を伸ばし、テレビをつける。

普遍的な大きさの四角いテレビでは、今朝のニュースをやっていた。

 

「魔導師連続殺人事件、解決ねぇ……」

 

 テレビではムラマサを得たティグラによる単独犯とされており、ナンバー12の事は欠片も匂わせていなかった。

被害者の声だのに憂鬱な気分になりつつ、寝間着を脱いで洗濯カゴへ。

黒いシャツと黒いジーンズに着替え、顔を洗いに行く。

戻ってきてからトーストを焼き始め、冷蔵庫からハムの塊を取り出した。

眠気覚ましのコーヒーを入れ、誰も見ていない事を再確認してからミルクと砂糖を入れて口にする。

うん、やっぱり今の僕ではコーヒーのブラックは駄目だ。

少しづつ慣れなければ、と言う謎の使命感に燃えつつ、適当に野菜を刻んでサラダを作り、ドレッシングと共にダイニングテーブルまで持っていく。

切ったハムとトースト、ホットコーヒーを運び、朝食の準備ができた。

 

『何処がですか、ちゃんとトマトも食べなさい』

「……はーい」

 

 がくり、とうなだれつつ、トマトを切り分けサラダに追加。

代わりに、トマト味が少しでも薄れるように、と呪いの視線を送りながら多めにドレッシングをかけた。

無意味なのは分かっているけれど、毎日ついやってしまうのだ。

 

 テレビでは魔導師連続殺人事件の詳細を、小道具を交えて説明していた。

毒舌で知られるコメンテーターが管理局の対応の遅さを批判し、最初からSランク相当の魔導師を動かすべきだったと言っている。

それを聞き流しながら食事を続け、トマトも含めどうにか完食し、シンクに持って行きさっさと洗ってしまう事にした。

この事件に関する情報開示の少なさについてまで批判の声が続き、その辺りでアナウンサーが強引に話を切り上げてしまう。

 

「まぁ、そんなもんか……」

 

 それでニュースは他の事件へと移っていき、それを背景音楽としながら僕は食器を洗い終えた。

それからティルヴィングをセットアップし、体の状態を確認する。

断空二閃の負荷はあれから二日経った今でも残っており、訓練のペースも落とさざるを得なかった。

早朝訓練のできない現状に、焦りばかりが募っていくが、完治も近いと聞いたのでどうにか我慢できそうである。

 

『この分なら、明日には早朝訓練を再開しても良いでしょうね』

「そりゃあ良かったよ」

 

 肩をすくめながら、ティルヴィングを待機状態に戻そうとすると、ティルヴィングの宝玉が静かに明滅した。

 

「どうしたんだ、何か言いたい事でもあるの?」

『いえ、マスターはこの事件にどのような感想をお持ちなのか、まだ聞いていなかったと思いまして』

 

 僕は、即座に通信妨害・視認妨害などの数種の妨害結界を発動。

決して僕の喋る言葉が外の誰にも漏れないようにしてから、瞼を閉じ、静かに一連の事件の光景を思い浮かべた。

クイントさんとの出会い、ティグラとの戦闘、リニスさんの勘違い、ティグラに言葉が通じたと思った瞬間、店主が死んだと知った時、ティグラの狂気を知って、そして自分の孤独を再確認し絶望したあの時。

どれも鮮明で、まるで今それが起こっているかのように思い浮かべる事ができる。

僕はティルヴィングを待機状態に戻すと、ベッドに腰掛けてからまずはとクイントさんとリニスさんの現状に思いを馳せた。

 

 ナンバ−12との会話——と言っても、詳しい内容は知らないが——を聞いて、クイントさんは家族の事を大切にする事を改めて決意したらしい。

そんなクイントさんは、昇進してゼスト隊と言われるエリート部隊に移る事になったと聞く。

と言っても、その部隊は正義感が強く上層部との折り合いが合わない人間が多いそうだ。

本人曰く、厄介者は纏めておこうと言う事らしい。

それでも元気そうにしていたので、心配は要らないだろう。

 

 リニスさんは結局ムラマサを手に入れるという目的は果たせなかったが、それでも得る物はあったのだそうだ。

それが何かは知らないが、リニスさんはあのあと一日僕の部屋に泊まった後、僕の元を去っていった。

何処か希望に満ちた表情をしていた彼女の事だ、先日言っていたどうしたって両立できない事も、彼女ならどうにかできるのではないかと思う。

 

 ——そして、僕。

僕は民間協力者として事件解決に強く貢献したばかりではなく、そこに口止め料も入って、莫大な報奨金を得る事ができた。

これまでの賞金稼ぎも十分な収入だったが、それを遥かに上回る金の入り方である。

賞金稼ぎでのレベルアップが見込めなくなっている今、これからは管理局の介在するような大きな事件に民間協力者として参加すると言うのは、一つの魅力的な未来として考えられた。

少なくとも、賞金稼ぎよりはUD-182の目指していた姿に近づく事だろう。

とまぁ、そんな風に未来の展望はできたのだけれども。

 

「——今回の僕は、誰一人救えなかった」

『ノー、マスター。貴方はティグラがこれから殺すはずだった人間を救った筈です』

「……そりゃ、そうだったな。

それじゃあ言い直すよ、僕は全員を救えなかった」

 

 今度こそ、ティルヴィングは僕の言葉を否定しなかった。

当たり前だ、ティグラもナンバ−12も死んで、僕が介入してから7人もの被害者が出てしまったのだ、全員を救ったなどと誰も言えないだろう。

けれど、ティルヴィングは鈍く明滅して言った。

 

『しかし、今回の事件は、根本的に全員が救われる事はできない事件だったのでは』

「そうかもしれないな、だけど——」

 

 瞼を閉じ、僕は思い描く。

ティグラが己の信念に気づいた上で普通の生活に戻り。

ナンバー12が再び店主と夫婦として一緒にくらし。

死人は誰も出ず、誰もが自分の信念を見つける事ができる。

そんな未来など存在しない、分かっている。

けれど。

だけれども。

 

「UD-182だったら、何とかできていたかもしれない」

 

 多分、これは過剰評価なのだと分かっている。

狂信に近い、間違った思いなのだと分かっている。

けれど、紛い物の僕でさえここまでできたのだ、本物の彼ならばもっと多くの人を救えたかもしれない、と思ってしまうのだ。

 

「例えば僕がティグラの事をもっとよく分かっていたのなら。

今からでも元の生活に戻ろうとする事が、元々選択していた普通を選ぶ事こそが、最も自由だと説得できていたのかもしれない。

UD-182なら、アイツなら……二戦目の僕のようにティグラの心を取り違えず、真のティグラを見抜けていたかもしれないんだ」

 

 後悔は胸に重く、まるで体が鉛になってしまったかのようだった。

憂鬱さが体から活力を無くし、瞳から力が抜けていくのが分かる。

 

「本物のUD-182は、今の僕よりももっと完璧だった。

僕はもっと、完璧を目指さねば……ならない」

『了解しました。マスターは、完璧を目指さねばなりません』

 

 そうやってティルヴィングに復唱してもらうと、僕は自分で言い聞かせるだけでなく、誰かが僕に言い聞かせてくれるかのように思える。

勿論、それは錯覚だ。

それに本物のUD-182でさえ完璧とまで言える程だったかは、分からない。

何せ僕らは“家”の中で培養される身だったのだ、事件など僕らが外に出ようとして起こすぐらいしか起きなかった。

必然UD-182の精神的な実力を見る機会も少なく、解決できた規模も小さい物である。

それではUD-182が完璧であったかなど、分からない。

 

 でも。

だけれども。

 

 こうやって完璧な存在が何処かに居て、それを僕が真似ているのだと思うと、こう思えるのだ。

何時か僕も、こんな悲劇を解決できるようになれるのではないか、と。

こんな悲劇を無くす事ができるのではないか、と。

それは小さく純粋な子供が夢見るような事。

僕のような、絶望に囲まれ自分の価値を信じられない子供が見る夢ではないと、分かっている。

分かっていても、想いたかった。

僕は完璧になれるのではないか、と言う妄想を。

 

「…………」

 

 黙しながら、僕は窓の側へと歩み寄る。

窓を開けて、窓枠に腰掛け、僕は空を見上げた。

目も覚めるような青に、白い雲。

旅立ちの時と同じ、青空。

UD-182の墓と、同じ青空で繋がっている場所。

視線を回し、誰も僕を見ていない事を確認した後、僕は防音結界をはり、言った。

 

「僕は……もっと君のように、完璧になってみたい」

 

 僕は、UD-182に対して話しかけていた。

届かぬ言葉と分かっていても、胸にあふれる想いが言葉となって出てきてしまうのだ。

だから僕は、続ける。

 

「君のくれた誰もの心を動かすような炎だけではなく……誰かを悲劇から救えるような、力も欲しいんだ」

 

 僕は、何時かUD-182がやったのと同じように、そして僕がリニスにやってみせたように、天に向け掌を掲げた。

震えるほどに力を込めて、それを眼前にまで下ろし——、握り締める。

爪が皮膚に食い込み、血が滲む程に力を込めて。

 

「掴みたいんだ、求める物を。

それを、絶対に諦めたくないんだ」

 

 それが不可能な事ぐらい、僕にだって分かっている。

それでも僕は、その力を掴んで見せたい。

UD-182の言葉に後押しされながら、僕は言った。

 

「許して……くれるかな」

 

 蒼穹は静かに言葉を吸い込み、そして変わらぬ表情を見せるばかりであった。

当たり前の現実に、僕はそれでも表情を柔らかくして、窓枠から部屋の中へと戻る。

返事は無い。

けれど、僕の胸の中のUD-182は笑っているかのように思えて……。

僕は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 


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