セルゲイ・ワレンコフは4代目フェザーン自治領主であると同時にフェザーンでも有数の資産家一族であるワレンコフ家の当主であり同家が運営するワレンコフ財閥の会長でもある。
銀河帝国初代皇帝ルドルフは貴族制度を導入し貴族に所領を与えたがそのほとんどは銀河連邦時代に開発途中で放棄された辺境惑星であった。
当然開発を進めるための資材は必要となるのでいくら税制面で優遇されているとはいえ痛い出費になるのは目に見えていた。また開発や商売の素人である貴族は資源開発が上手くいかなかったり、せっかく見つかったり収穫できた物資を商人に安く買いたたかれることに頭を悩ませていた。
そこに目を付けたのが初代当主ボリスであった。彼は惑星開発のための資材を格安で貸し付け開発のアドバイスを行うコンサルティング業とその惑星で収穫した農作物や鉱物を適正な価格で買い上げるバイヤー業を貴族に対して行った。そして売りたい客と買いたい客を結び付けて取引の仲介業も行うようになった。ボリスは積極的に貴族に売り込みついには全体の60%もの貴族の顧客を獲得し、低迷していた帝国の経済の活性化に寄与した。その見返りに物資を運ぶための流通経路の優先使用権と開拓権を手に入れ帝国の流通網を手に入れその利益をもとに金融業に手をだしついには帝国随一の資産家として名を馳せるようになった。
15代目ミハイルの時代、レオポルト・ラープの働きかけよりフェザーンの設立に関わった。フェザーン移住後は事業の拡大に努め巨大な企業集合体を作り上げワレンコフ財閥の全盛期を築いた。
そんなワレンコフ財閥も一族から優秀な人材が現れず経営の低迷が続いていた。しかし26代目当主セルゲイは歴代当主の中でも比類なき経営手腕と人望に恵まれ経営を立て直しワレンコフ財閥の中興の祖と呼ばれるようになった。
その後政界に転じ財閥の実務を自身の右腕であるジョン・メイナードに任せてフェザーンの4代目自治領主に就任した。
セルゲイは政治家としても辣腕を振るい帝国、同盟双方に人脈を張り巡らせていった。
帝国歴472年 宇宙歴781年 6月28日
アントン・ヒルマー・フォン・シャフト技術少将は帝国軍科学技術総監部に所属する軍事科学者である。シャフトの上司であるユルゲン・フォン・アイヒベルガー技術総監は地球教なる宗教に傾倒していて現実主義のシャフトと馬が合わず彼の派閥には属していなかった。現在は技術部の監査を行っているが野心家で虎視眈々と総監の地位を狙っていたが、アイヒベルガーは研究者として確固たる地位を築いていた。
そんなアイヒベルガーも近年は大した成果を上げておらず、この機会を利用して同僚や上司を押しのけ出世できないかと考えていた時その男は現れた。
「旦那様、お客様がいらっしゃっておりますが・・・」
「客?今日は誰も訪ねてこないはずだが?一体誰が来ているんだ?」
「それが・・・ワレンコフ財閥の統括本部理事のジョン・メイナード様がいらっしゃっているんです」
「何!?すぐに通せ!」
使用人に案内されてきたその男はどこにでもいそうな中年であった。人の良さそうな笑みを浮かべているがあのワレンコフ財閥の重役がただの人の良い男のはずがない。
「初めまして、シャフト少将。私はワレンコフ財閥統括本部理事のジョン・メイナードと申します」
「アントン・ヒルマー・フォン・シャフトと申します。ワレンコフ財閥の方が私に何の御用でしょうか?」
ワレンコフ財閥と言えばフェザーンでも有数の企業集団で帝国にも強い影響力を持つ。出世のために利用できる期待があったが同時にフェザーン人の商才の恐ろしさもよく知っていたシャフトは用心深く切り出した。
「突然の訪問申し訳ありません。ですが貴方を見込んで頼みたいことがあるのです」
「頼みたいこと?」
「ええ、単刀直入に申し上げますとホルス・ボディ社の製品を帝国軍に正式導入にしていただきたいのです」
「ホルス・ボディの製品と言うことは人工臓器ですか?確かにホルス・ボディの製品は我が国の義肢よりも性能が良いですがアイヒベルガー総監の開発した義肢もなかなかの性能を誇っておりますぞ?」
ここでいう人工臓器とは人工心臓などに限らず、義肢や義眼など肉体を機械で補う機械全般を指す
劣悪遺伝子排除法等の国策のせいか帝国では人工臓器や遺伝子治療の分野の研究は疎かになりがちであったがその分野に変革をもたらしたのが技術部総監のアイヒベルガーであった。彼は従来の筋電動義肢をさらに発展させて生身以上の性能を発揮する義肢を開発した。見た目も生身に極力似せて触らない限り見分けのつかず装着者の心理的負担を減らすことに成功した。
「ですがアイヒベルガー総監の専門は義肢でしょう。義眼等の感覚器官や臓器の代替器官に関しては我らに一日の長がございます。私が売り込みたいのはそちらなのです」
「確かにその通りですが・・・そう言えばホルス・ボディ社の製品は自治領主のご令息・・・失礼ご令嬢のために開発されたと聞きましたが」
「ええ、その通りでございます。ですが開発費用もかなりの額になりまして・・・ただ腐らせるのは勿体ないと売り込んでいるところであります」
「娘の不幸も商売の種にするとは・・・さすがはフェザーン人、と言うべきでしょうか」
「恐れ入ります」
シャフトの皮肉を笑って受け流すメイナードの上司のセルゲイにはマリアンと言う娘がいる。
本来なら大富豪の子として何の苦労もない人生を歩むはずだったがこの世に生を受けた時からマリアンの運命の歯車は狂いだした。
マリアン・ワレンコフはワレンコフ財閥の当主でありフェザーン自治領主のセルゲイ・ワレンコフとその妻アイリーンとの間に生まれた。
二人は長い間子宝に恵まれずもう子は授からないだろうと諦めていたが懐妊の知らせをこれ以上なく喜んだ。
しかし幸せは長くは続かなかった。
出生後すぐに重度の免疫不全症を患いクリーン・ルームから一歩も出られなくなったのだ。
医者からは5歳まで生きられないだろうから覚悟するようにと宣告された。
長らく子宝に恵まれずこれが最後のチャンスであった夫妻にとって最後通牒にも等しかった。
―――権力や使い切れない金を持っていてもどうにもならないことはある。
後日セルゲイはそう語ったそうだができることは迷信まがいなことも含めて全部行った。
父親としてマリアンを死なせたくなかった。また一族の当主としてもマリアンを死なせるわけにはいかなかったからである。
ワレンコフ一族は一枚岩と言うわけではない。当時セルゲイが強いリーダーシップを発揮して一族をまとめていたが、後継者の座を巡って一族内の有力者たちは派閥を作り上げて水面下では争いが絶えなかった。
このまま後継者争いで一族内での骨肉の争い発展する事態になったらワレンコフ財閥が分裂しかねなかった。
若い愛人を囲って子供を作ることもできたが愛妻家のセルゲイはアイリーン以外の女性を作るつもりが全くなくその手も使えなかった。
おまけに帝国本土ほど厳格ではないがフェザーンでも才能が認められない限り跡継ぎは女より男が優先されることが多い。
いつまで生きられるかわからない女の子より健康な男を後継者にと一族から声が上がるのは目に見えており、またマリアンと結婚して後継者の地位に就こうとする者が湧いてくるだろう。
そのため夫妻は少しでもマリアンの立場を有利にするため一計を案じマリアンを男として育てることに決めて名前も男性名にして登録データにも男として登録した。
女であることを隠しマリアンを狙う輩から守るため、専門の医療チームごとマリアンを病院に隔離して外部との接触を完全に断ちマリアンの情報を一切外部に出さないまま6年の月日が過ぎた。
その間セルゲイたちは必死にマリアンを治すすべを探した。そしてオレーク・アントロポフと言う医用生体工学を専門とする医師がセルゲイの資金援助のもと従来より高性能な人工臓器の開発に成功した。
ただしマリアンの場合全身疾患のため前例がないほど広範囲の手術になる。そこでアントロポフは脳以外の全ての部分を機械に置換する全身義体化手術を提案した。
ただし義体の制御のためには脳にナノマシンを注入して神経細胞と結合させ脳をコンピューター化する電脳化手術も行う必要があった。
電脳化や全身義体化の前例はなく人体実験ともいえるこの手術にワレンコフ夫妻は難色を示し他の治療方法を探すように指示した。
しかしそうも言っていられない事態が発生した。病院で火災が起こったのだ。
原因は電気配線のショートであったそうだが、火の回りが早く逃げ遅れた人間が何人も亡くなった。
マリアンは一命を取り留めたが重傷を負い延命させるには義体化手術を受ける道しか残されていなかった。
事態は急を要していたのでアントロポフは独断で執刀を行い奇跡的に手術は成功した。
愛する我が子の命が失われかけている現実に打ちのめされたワレンコフ夫妻は再起不能に陥りかけたが手術の成功の報を聞き立ち直ることが出来た。
その後マリアンはリハビリを経て脳と脊髄の一部以外を機械に置き換えることを代償に自由に動ける体を手に入れた。
そしてこの一件でアントロポフは医用生体工学の権威として名を馳せるようになった。
しかし全身義体化手術は莫大な費用がかかる上に手術してもマリアンのように上手く体を動かせるとは限らないのでほとんど普及しなかった。電脳化も脳を機械化することに難色を示す人間が大多数でこちらもあまり普及しなかった。
そして今年の年始に正式にセルゲイ・ワレンコフの娘として後継者に指名された。
この時初めてマリアンが男でなく女であることが公表され大騒ぎになったが10歳ながら大人並みの頭脳を持ち、持ち前の明るさとコミュニケーション能力の高さで周囲に溶け込んでいたマリアンはおおむねの人間に受け入れられた。
後継者として指名されたマリアンの次期当主としての教育が始まった
各分野の一流の人間が教師についたがマリアンが才能を発揮したのは経営ではなく物理学と情報工学であった。
セルゲイはマリアンの個性と希望を尊重して10歳のマリアンの飛び級での大学入学を許可した。それが今年の初めの出来事であった。
「・・・それなら帝国への売り込みも納得ですが先ほど申し上げた通り人工臓器に関しては開発者であるアイヒベルガー総監が権限の一切を握っており私には手が出せないのです」
「それは重々承知しております。さてここからが本題ですがシャフト准将はアイヒベルガー総監が技術総監の地位にふさわしい人物だとお思いですか?」
「・・・仰る意味がよくわからないのですが」
「もっとわかりやすく申し上げましょう。アイヒベルガー総監は以前は優秀な科学者として結果を出していたようですが今では大した成果も上げられずにいます。今こそ優秀な研究者にその地位を譲る時ではないでしょうか?シャフト准将のような優秀な方に・・・」
シャフトはごくりとのどを鳴らした。
メイナードはアイヒベルガーの失脚を仄めかしその片棒をシャフトに担がせようとしている。危険は伴うがこの話を逃したら出世の糸口を逃しかねないので慎重にメイナードの様子を観察しながら話を進めた。
「褒められて悪い気はしませんが上司である総監がその地位にある以上私にはどうにもできませんよ」
「ではその地位が揺るぎかねない事態が起こったらどうでしょうか?」
「・・・と言うと?」
「はっきり申し上げましょう。私どもにはアイヒベルガー総監を失脚させるネタを掴んでおります。それをお伝えする代わりに先ほどの人工臓器の正式採用を認めていただきたいのです」
「ではお聞きしますがなぜ人工臓器をそこまで売り込みたいのですか?危険を冒してまで帝国に売り込まなくとも開発費用の回収は出来るでしょう」
すでにホルス・ボディ社の人工臓器はフェザーンや同盟領で広く流通しており十分利益は出ている。しかし戦艦等の大きな利益が見込める高額商品を売り込むためならまだしもなぜ人工臓器を売り込むために切り札を切るのかその真意が見えないのだ。
「これは失礼いたしました。シャフト准将がお気になさるのも当然でしょう。こちらも包み隠さず申し上げます。我々の目的はホルス・ボディ社製品のデファクトスタンダード化にあるのです」
「デファクトスタンダード?」
「はい、デファクトスタンダードとは結果として事実上標準化された基準のことを指します。現在の帝国、同盟には国交が存在せず国際規格が存在しません。逆を言えば帝国、同盟双方にホルス・ボディ社の製品が流通してスタンダードとなればそれが事実上の国際規格となり市場での優位性を保ち販売戦略を有利に進められます。戦艦などのように両国で規格が決められているものでは難しいですが人工臓器のような発展途上の商品はその段階まで至っていないので今がチャンスなのです」
「なるほど・・・」
シャフトは経済にはそこまで詳しくないが大体何を企んでいるのはわかった。要は帝国、フェザーン、同盟に共通する規格をホルス・ボディ社で決定できればわざわざ帝国向け、同盟向けと作り分けせずに済むし市場でも優位性が保てるのだろう。
「それでこちらの提案に乗っていただけるのでしょうか?」
「・・・仮に私が拒否した場合どうなさるおつもりで?」
「別の人間にその役割を担っていただきます」
おそらくそうなればメイナードはシャフトを排除して自分の息のかかった別の人間を使って目的を達成する。それを実現するだけの権力と金がワレンコフ財閥には存在するのだ。そうなればシャフトに残されるのは失脚の末の惨めな人生である。
「・・・わかりました。そのお話お受けいたします」
「賢明なご判断です。それでは早速こちらが知る情報をお伝えいたします。こちらの書類をご覧ください」
「これは・・・サイオキシン麻薬の密造密売ルート!!?」
「ええ、アイヒベルガー総監はサイオキシン麻薬の密造と密売に関与しております。これが公になればアイヒベルガー総監の失脚は確実でしょう」
サイオキシン麻薬は化学合成された麻薬で帝国のみならず同盟でも社会問題になっている。この麻薬を撲滅するために帝国、同盟で極秘捜査が行われたこともあったそうだが根絶やしにすることは叶わず現在に至る。当然帝国内でもサイオキシン麻薬は厳しく取り締まっており密造密売などに手を出したら当人に見ならず一族に類が及びかねない重罪である。
メイナードが差し出した書類にはアイヒベルガーがサイオキシン麻薬の密造と密売の元締めとして関与した証拠の数々が克明に記されていた。
「この情報はヘル・ワレンコフのフェザーン自治領主としての立場を利用して情報を収集したのですか?」
「ワレンコフ財閥を甘く見てもらっては困りますね。自治領主の権力に頼らずとも我らは我らの独自の情報網を構築しております。商売は情報が命ですからね。常に網を張ってどんな情報も逃さずいたからこそ今のワレンコフ財閥があるのです」
人の良さそうな笑顔でメイナードはのたまうがシャフトは帝国軍や憲兵隊でも知りえない情報を得ることのできるワレンコフ財閥の情報網が恐ろしかった。
しかし自分の身に降りかからなければ問題ないと意識を切り替えて今度のことを思案した。
「ですがこの情報をどうやって憲兵隊に流すのですか?」
「私がリークしても良いのですがそれではシャフト少将の手柄になりません。そこでシャフト少将の監査官としての地位を利用します。こちらをご覧ください」
メイナードに促されて書類を確認するとそこにはサイオキシン麻薬の密造密売ルートに技術部が利用されていたことが記されていた。
アイヒベルガーは技術総監の地位を利用して現在使われていない研究所でサイオキシン麻薬密造を行っていたらしい。
彼は密輸にも手を出していたがその方法は驚くべきものであった。
「まさかオーディンから持ちだす場合は兵器の中に麻薬を隠して運んでいたとはよく考えましたね・・・」
ビーム兵器が実用化され久しいがミサイル等の実弾系の兵器も現役で、技術部は日々改良して試験発射を繰り返している。一応軍事機密なので技術部以外の人間が中を検めることもない。アイヒベルガーは徹底した情報管理と試験を利用した大胆な方法でオーディンの外にサイオキシン麻薬を持ち出していた。
まず中身が空のミサイルを用意してその中に麻薬を詰め込んで発射。中が麻薬なので爆発せず単なる不発弾としてそのまま放置される。時間をおいて麻薬ブローカーが不発弾の中から麻薬を回収して銀河中にばらまいているそうだ。
「アイヒベルガー総監の派閥に属している人物は全員麻薬の密造密売に関わっています。これが公になればアイヒベルガー総監の派閥が技術部から消えます。シャフト少将はこの告発により階級も上がるでしょう。そうなれば技術部で貴方以上に高い地位を持つものはいなくなり技術総監の地位も手に届くでしょう。そうそう、今日私がここを訪れたことは内密にお願いしますね。では約束を違えぬようお願いいたします」
メイナードが帰った後早速シャフトは行動を起こした。
アイヒベルガーがサイオキシン麻薬を密造しているのはディアン・ケヒト義肢装具研究所といい、昔アイヒベルガーが義肢開発に使用していたが現在は閉鎖中の施設であった。電力会社に問い合わせると閉鎖中にも関わらず多量の電気を使っていることが判明したが、技術部の上位機関の軍務省にはその事実は伏せられていた。
この事実を軍務省に報告してからはあっという間に事が進んだ。
憲兵隊は極秘裏にサイオキシン麻薬を回収に来たブローカーの摘発に成功してサイオキシン麻薬の密売ルートの全容解明に乗り出した。
同時に軍務省職員とシャフトがディアン・ケヒト義肢装具研究所に乗り込み麻薬の密造現場を押さえた。
その結果アイヒベルガーとその派閥に属する人間は逮捕され技術部の一大スキャンダルへと発展した。
しかし全容を解明する前に首謀者のアイヒベルガーは服毒自殺してしまった。軍の不祥事から目を逸らさせるため軍務省は麻薬の密造密売を見抜いたシャフトの功績をクローズアップした。シャフトは中将に昇進して臨時ではあるが総監の地位について技術部の人事刷新を命じられた。
それと同時メイナードとの約束通りにホルス・ボディ社の人工臓器を帝国軍の正式採用品に登録した。
調べてみると正式採用する前からホルス・ボディ社の製品を使用している人間は貴族を中心にそれなりに存在した。今まではすべて自己負担であったが正式採用となったので軍の補助の対象になる。対象者のリストを見ると10年近くホルス・ボディ社の義眼を使い続けている者もいた。
やっと一段落ついた頃軍務省からアイヒベルガーの調査を命じられた。
本来なら憲兵隊の仕事であるがサイオキシン麻薬と共に研究も外に持ち出されていたらまずいので念のためアイヒベルガーの今までの研究についても調べるようにとのことであった。
シャフトとアイヒベルガーは同じ大学の工学部を卒業しているが学年が被っていないので在学中どのような研究を行っていたか詳しく知らなかった。
調べてみると彼は最初から工学部に所属していたわけではなかった。もともと物理学部に所属していたが、トラブルがあったらしく3年次に工学部に転部していていた。研究内容は宇宙船の重心計算だったそうだが大学、大学院での成績は決して良いものでなく技術部に入れたのも貴族としてのコネと金を使ったかららしい。
しかし突如彼は化けた。
アイヒベルガーは38歳の時、ある論文を発表した。
その内容はビーム兵器を反射させる素材についての研究であった。ビームを反射する素材自体は昔から存在したがその耐久精度は低く低出力のレーザーしか反射は出来なかった。
しかしアイヒベルガーが開発した特殊な鏡面コーティングが施された反射材ならば実戦に使われる高出力ビームにも耐えられる。
彼はその画期的な研究を一人の部下と共に完成させたことになっていたが、発表当初から開発成功させたのは部下の功績でアイヒベルガーがその功績を奪い取ったと噂が付き纏った。その後部下が事故死し、アイヒベルガーが反射材を利用した武器開発から降りた後は別の技術部の人間が開発を引き継いだ。反射材を利用した反射衛星砲は現在惑星防衛において活躍している。
しかしその9年後、今度はたった一人で新型の義肢装具を作り上げ以前の噂を払しょくした。
たがここで一つ疑問が持ち上がる。
なぜアイヒベルガーは反射材を利用した兵器の開発をせずに専門外の義肢装具の研究に手を出したのだろうか?
シャフトはその当時はまだ大学院で研究していたので当時のことを知らなかった。古参の技術部職員に話を聞いて回った後、伝手を使って当時の技術部総監のトマス・フォン・ハイネマンに事情を話して当時のことを聞いてみることにした。ハイネマンは75歳であったが生気に満ちており現在も航空宇宙工学の権威として第一線に立ち続け活躍していた。アイヒベルガーの話を聞くと複雑そうな顔をして語りだした。
「アイヒベルガーか・・・あいつは技術部総監になどなれるような能力を持っていなかったぞ」
「ですが事実彼は画期的な開発に成功していますよ」
「それはな、奴の功績ではないのだよ」
「とおっしゃいますと・・・?」
「反射材開発着手の少し前に奴はコネを使ってブラウンと言う男を自分の助手として技術部に配属させた。ブラウンは平民ながら優秀な物理学者で恩師の後を継いでM理論について先進的な研究を行っていた」
「M理論の先進的な研究とはどのような内容なのですか?」
専門は違うが先進的な研究と聞いて興味が湧いた。シャフトの様子を見たハイネマンは笑いながら
「畑違いでも先進的な研究と聞くと興味が湧くだろう!儂は彼の恩師と友人だったんじゃ。彼の恩師がM理論に基づいた新型ワープエンジン開発をしていたのは聞いておったが政治的な理由・・・要は貴族同士の権力争いに巻き込まれ研究は中止してしまった。その弟子のブラウンが研究を受け継いで新型ワープエンジンを開発しようとしたが今度はブラウンが退職に追い込まれ結局開発には至らなかった・・・
全てを失ったブラウンを拾ったのがアイヒベルガーだ。奴は金銭面の援助と同時に家を用意してやってブラウンの妻と娘を住まわせ彼の家族の生活を保障した。その恩に応えるようにブラウンは研究に励んだ。その時のブラウンの様子は今でもよく覚えておる。彼は鬼気迫る様相で家に帰ることなくずっと研究しておった。残念なことに反射材開発後に事故で娘を残して妻と死んでしまったがな・・・」
「まさか反射材の開発をしたのは・・・」
「名目上はアイヒベルガーが研究を主導していたことになっているが実際に研究開発を行っていたのはブラウンの方だ。アイヒベルガーはそんな奴だ。自分一人では大したことは出来んよ」
「ですが義肢装具の開発は一人でなさっていますよね?先ほどのお話と矛盾しませんか?」
「そう、矛盾しておる。しかしその矛盾は正すべきものではないのだ」
そう言ってハイネマンは静かに目を閉じた。シャフトはハイネマンがアイヒベルガーの評価を下げるために嘘をついて悪く言っているのだと最初は思っていた。しかしアイヒベルガーを観察していると彼が嘘をついているようには見えなかったのだ。事実同じような聞き取り調査を古参の技術部職員にして回ったが皆同じような回答をしていた。しかし他の職員と違うのは矛盾についての見解だ。他の職員はアイヒベルガーの矛盾については答えられず言葉を濁していたがハイネマンは矛盾の先にある事実を知ったうえでそのままにしておけと言っているようだった。
「矛盾を正すべきでない?何故でしょうか?」
「シャフト中将は『パンドラの箱』の話はご存知かな?」
「確か開けてはいけない箱を開けてしまい災厄がこの世にまき散らされた話でしたか」
「これはそれと同じ類の知ってしまったら厄介なことになるものだ。上層部に睨まれず帝国の秩序の犬に捕まりたくなかったら何も詳しく調べんことだ。まぁ知ったところで得をする人間はおらん。調査をここで打ち切って適当な報告をしても上層部も文句は言わんだろう。すまんが儂も色々忙しい身の上でな。これで失礼させてもらおう」
肝心の疑問は解けず、事の真相に興味もあったがこの件には触れてはいけない部分があると察した。上手く出世するためには知らなくていいことは調べず長いものには巻かれるに限る。シャフトは助言通りにそこそこに報告をまとめて上層部に提出した。
ハイネマンの言う通り上層部は何も言わなかった。ただなぜか一人皇帝陛下の側近であるグリルメルスハイゼンだけが事件の詳細な調査報告書を要求してきたが提出した以上のものはないと回答したら何も言わなくなった。
その後シャフト自身も指向性ゼッフル粒子の開発と自身の派閥作りに忙しくなってアイヒベルガーのことを思い出すことはなくなった。
後々、シャフトはそのことを後悔するがそれには数年を要する。
原作開始前なので出来事はほぼオリジナルになっています。まだ導入部分なので話は動きませんがあと2~3話はこんな感じです。
原作ではワレンコフについてほぼ描写がないのでほぼオリジナルキャラになってます。