ネウロイの欧州大侵攻から九か月が経過していた。
その間に起きた出来事は、カールスラント全土を完全占領、ネウロイは行く手を遮るものを薙ぎ払う如き勢いでガリアや近隣諸国に攻め入った。
マジノ線は二週間ほど耐えることには成功したものも、隣国から侵攻されマジノ線を含む地域は包囲、そしてマジノ線司令部から全滅の電文が打たれ、守備隊の全滅を確認した。
ネウロイは花の都パリが陥落、必死の民兵や兵士の抵抗を突破し、エッフェル塔を観光する者は誰一人いなくなった。ただそこにあるのは死体と瓦礫だけである。
ガリアや各国の残存兵力は西へと撤退を開始、その間に幾万もの火砲や人員、ウィッチも失ってしまう。
そこで各国家元首たちは欧州からの部隊の撤退作戦、通称ダイナモ作戦が施行された。
ドーバー海峡を超えて避難民や部隊をブリタニアに輸送する作戦が企てられる。そのためパ・ド・カレーに収集する必要があった。
幸いにも輸送船は扶桑とリベリオン、旧式ではあるがブリタニアから運用することになった。しかし如何せん輸送船が足りない、海上輸送する部隊や避難民の人員が多すぎるのだ。なのでブリタニアは民間船をも徴収した。その徴収には帆を用いる小船も例外ではなかった。
パ・ド・カレーを中心に何重の防衛線が張られることとなる。平原に掘られた塹壕、街を全体を用いた奇襲専用の砲、また常に制空権を抑えるために精密に編まれた防空網と厳重な守りを示した。
そのような強固な陣を組めるのは一人の存在があったからだ。
「あぁ、早く奴らの大攻勢起きないかねェ……」
ランデル中将はかつてネウロイの攻勢を受け、基地から奇跡的に脱出することができた。その先で出会った部隊と合流、各師団で決別してしまった部隊を纏め、おおよそ二個旅団程の戦力に仕上げた。一旅団ずつ平原や市街地に配置することで部隊の均一性を保ち、一隻でも多く輸送するための時間を作ることにした。
最も彼には民間人を守るという意思はさらさら存在しない、むしろ楽しむために殿部隊である守備隊の指揮権を志願していた。彼にとって民間人は基本的には邪魔になるが稀に使える武器としか見ていなかった。
実は二日前に少数のネウロイによる攻勢が行われたが、防空網による制空権保守によりJu87隊の爆撃やbf109の空戦、そして極めつけのウィッチ隊による攻撃。
被害を最小限にまで抑え、無事に死守することのできたランデル中将は各国の新聞の一面に飾られ、悪魔の魔術手という異名を獲得した。
そんなある日、彼の防衛戦に突如として一両の戦車が姿を現した。
平野には合わないような泥だらけの塗装、そこに薄くすすが目立つ砲塔である。しかし砲塔に描かれたエンブレムが歴戦の貫録を醸し出していた。
最初兵士たちは戦車を見た瞬間に色合いから敵だと判断、対戦車砲の砲撃を命じた。M1897 75mm野砲は本来ガリアの兵器ではあるが倉庫に眠ったままだと勿体ないというランデル中将の計らいで用いられた。まあ本当は砲声を聴きたいだけだとは思うが。
依然としてこちらに撃ってはこないのに不信感を持った小隊の指揮官が双眼鏡で覗くとただの戦車であることが判明した。
すぐさま攻撃を中止、指揮官は向かって自転車を漕いだ。
「止まれそこの戦車、部隊名と氏名、それと階級を述べよ!」
戦車の頭からぱかりと蓋が開かれる。中から青髭が薄く生え、クラッシュキャップを被った男の姿があった。
車長であろう男から強烈な臭いが彼の鼻を刺す。恐らくは長らくの期間、戦闘や撤退をしてきたのであろうと思わせる程である。同じく彼に対し悪寒が巡る。原因は彼から漏れ出す殺気だった。殺気は常人の兵士が出しうるものよりも断然違っており、例えるなら獣と真正面に対峙したような感覚である。
もしそのまま砲撃を続けたら、車長は戦車に攻撃の指示を出していたかもしれない。防衛線に設置された幾門の砲が彼の一両に対し砲先を揃え、放ったとしても確実にこちら側は痛手を受けていただろう。
「はっ、こちらはジェネフ中尉でございます。部隊は山羊隊であり戦車長を務めました」
「そうか、では残りの戦車は?」
「いいえ、この車輌だけが生き残りでございます」
「…よくぞここまで来た。歓迎する」
ジェネフは戦車から飛び降りて彼と握手を交わす。彼の手は汚れており、当初指揮官は拒絶反応を起こしかけたがそれは生き伸びた彼への侮辱だと感じ取り、両手でジェネフの汚れた手を包み込んだ。
「…あっ!? こんなにも汚してしまった!」
「何、気にするな、此処には海水がたんまりとあることだ。思う存分に身体を洗うがいい」
「やったぜ! 一ヶ月ぶりに身体洗えるぜ」
先程の態度とは一変し、ジェネフは子供のようにはしゃぎだした。指揮官は目を丸くし口をあんぐりと開けた。鋭すぎる殺気から激しい狂喜に移ったからだ。オンとオフが日頃から激しい彼に慣れるにはかなりの年数が必要である。
彼が叫んでいると運転席のハッチから一人の眼鏡を掛けた男が顔を出す。眼鏡を掛けた男もまた強烈な臭いを出しており、指揮官に対し敬礼をしながら所属の部隊を述べる。
「自分はエドガー・ブリンクマンであります。山羊隊の隊長車輌の運転手を務め、階級は兵長です」
「ご苦労であったな」
「はっ、しかし貴殿と合流ができて喜しいの一点張りでございます」
「他の搭乗員はどうした?」
「本来はこの二人でございます」
「他の搭乗員は?」
「馬が合わないと車長が断り続けた結果です。通信手や装填手は全て車長が務めていました」
「た、多忙であるな…」
内心、我儘かつ行動的なジェネフに対し畏敬の念を抱いた。
しかしとある疑問を抱いた。それは本来とエドガー兵長は言っていたからである。彼は尋ねる。
「一つ馬鹿な質問だが、その口調だと誰かがまだ居るらしいが」
「勿論居ますよ、大丈夫だから出ておいで」
するとキューポラから打ちだされた砲弾の如き勢いで何者かが飛び出した。一度の跳躍で車内から出てきたので彼は大変驚いていた。
そして、地上に降り立った正体を拝見して更に驚く。
「ハ、ハインツ中尉だと!?」
「…」
正体は人狼であった。人狼は彼に敬礼を向ける。
瞬間的ではあるものも、彼は呼吸困難に陥った。人狼の眼光や雰囲気は彼を貫通し、先程のジェネフよりも数倍以上の恐怖が植え付けられて、足の震えが止まらずにいた。
仮に戦車と人狼を双方相手取ったら部隊は壊滅していただろうと想定し、額から冷や汗が止まらずにいる。
「ゆ、行方不明になっていたはずなのに何故に貴方らの戦車隊と合流しているのだ…!」
「それは私が直々に話しましょう」
と、ジェネフが答える。
「えー、途中で拾った。それだけです」
全く説明になっていない発言がより一層悩ませる。あまりの酷さに呆れたのかエドガーはため息を漏らしながらジェネフの補足していく。
「どうやらハインツは列車に乗ってる最中、ネウロイによる攻撃で列車が壊され、徒歩で避難民を誘導する部隊と合流を果たしたそうです。そこから我らと一緒に行動を取っています」
「よくもストライカーユニットが無いのにここまで……」
「それがハインツは素手で撃破して乗り越えたらしく」
「はあっ!? 素手だとッ!!」
「まあ世界初のウィザードなので番狂わせくらいありますよ」
心底驚いた指揮官を嘲笑うかのようにジェネフは嘲笑を浮かべる。まるで自分のことを誇示するかのようにである。
そんな中人狼は地面に座り込んで、すやすやと寝てしまった。その際だけ、普段から見せない素性が微々ながらも浮き出ていた。慌ててエドガーは起こそうと声を掛ける。
「ちょっとハインツ、あと少しで司令部だから」
「いや休ませよう、流石の奴でも疲れたんだろうぜ。それに一度寝ちまうと命の危険があるまで起きねえぞ」
「…載せますか」
「だな、申し訳ないのですがちょいとばかし手伝ってもらえませんかね」
「あ、あぁ構わない」
かくして人狼を載せた戦車は本部へ向かって動き出した。
砲声飛び交う悲惨な戦地から平原に一筋の金属同士が軋む音だけとなり、戦地では中々お目に掛かれなかった大輪の花たちが人狼たちを興味津々に見つめている。
時折、潮風が人狼の前髪を揺らし、平穏を髣髴させていた。
しかしそこには、異形の化物が隣に居座っていることを忘れてはならない。
M1897 75mm野砲
フランスで生まれた野砲で1897年に採用。
七十五ミリと大きく、大砲界の革命児で改装すると一分間に十五発撃てる。
なお大量に輸出され、世界中に広がることとなる。
第二次世界大戦において砲不足だったドイツは鹵獲したものを用いた。