「なあハインツ、一緒にクリスのお見舞いに行かないか?」
「…」
基地の多くの隊員が寝静まった頃、普段は誰一人訪れることのない部屋にて珍しく一人の訪問者の姿があった。
その正体は人狼と同じくカールスラント軍に所属しているバルクホルンで、彼女は入室しドアを閉めて、近くにあった椅子に腰かける。人狼は自身の武器であるモーゼルを床で分解整備を行っているので、敷かれていた新聞紙の上には無数の部品が存在した。
人狼は彼女の話を聞いているのかいないのか黙々と銃身に溜まった煤を拭きだしている。
それでも彼女は話を続ける。
「数か月前に病院の院長から電話があってな、どうやらクリスに私以外の多額の金が送金されて、しかも病院で療養する子供たちにもおもちゃや絵本を送る紳士がいると聞いた」
「…」
「その正体はお前なんだろ。ハインツ」
「…」
ピタリと人狼の手が止まる。
人狼は初めて彼女の顔を下から覗くように凝視する。怒りや羞恥という感情が込められてもいないにも関わらず、無意識に人狼から圧力がかかる。バルクホルンは人狼と長い付き合いのためその程度のことは慣れていたが、理解の少ない人間だと思わず怯んでしまう。
「何故お前に至ったかは至極単純、送金については南リベリア大陸から送られていることが判明している。それにクリスのいる病院にしかその送金やおもちゃが送られてはいない」
彼女はその証拠となる発言を行う。すると人狼はゆっくり立ちあがると、部屋の隅に置かれていた二つの木箱を持って近づき、彼女にその内部を見せる。
中には新品の可愛らしい人形や絵本が込められており、それはまさに人狼がその正体を明かしたことを意味し、バルクホルンは薄っすら笑みを浮かべ安堵した。
バルクホルンは今まで、四年前とは違った雰囲気と態度に戸惑いを隠せずにいて、一時は冷徹かつ残忍な者へ変貌を遂げたと不安視していた。だが、今となってはその疑いは晴れた。
子供の頃と同じく、無口で威圧的で不器用ながらも弱者や子供を思いやれる気持ちを有していたからだ。
「だからお前はクリスと対面する権利がある。今からでもミーナは夜勤をしているから休暇申請書が間に合う。きっとクリスもお前を望んでいるよ」
「…」
「そしてそれは私からの望みでもある」
「…」
「……だめか?」
「…」
バルクホルンは油まみれで汚れた人狼の手を躊躇することなく握りしめ、こちらの顔を伺う。いつものような勇敢で恐れを知らない兵士の顔ではなく、歳相応の少女としての顔であった。
人狼は暫時沈黙を貫くも彼女の想いに根負けしたのか、人狼は立ち上がると机の引き出しを開ける。中には封筒が存在し、一つの封筒の封を切る。そして休暇申請書を取り出すと、記入欄に書き込み始め、ものの数分で記入し終えた。
あらかじめ休暇申請書が入った封筒の封が切られていなかった様子から察するに、人狼もバルクホルンのように休暇しなかったのだ。
記入し終えた申請書を見た彼女は笑みを浮かべた。
その後バルクホルンと共にミーナのもとへ赴いて申請書を提出した人狼、ミーナはバルクホルンを一見すると
バルクホルンは数刻遅れて意図に気付き、顔を赤らめて必死に弁解するがそれは逆にミーナを笑わせるだけで効果はない。なお、その原因となった人狼は顔を小さく傾けた様子で疑問符を頭に浮かべていた。
バルクホルンと人狼は送迎車に乗せられて基地から市街へと運ばれ、病院の前で降ろされた。運転手が言うには夕方の五時になるまで自由にしてもいいとのこと。
「違うぞハインツ! 私らはクリスのお見舞いに行くだけだからな!デ、デートとかじゃないからなッ!」
「…」
人狼に対しても彼女は弁解している。周りを通り過ぎる通行人からは老若男女に問わず微笑ましい視線と笑みを向けられて余計彼女はむず痒くなり、羞恥の炎で身を焦がしていた。頭からは沸騰しているのか湯気も出ている。なお依然として人狼は無表情かつ普段の態度だが。
「さっさと入るぞ! クリスも最近目を覚ましたらしいし、喜ばせないといけないな!」
「…」
人狼は彼女の返答に頷くとクリスの居る病室へと足を進める。院内にはアルコールの臭いが常に香り、怪我をした子供が車椅子で看護師に運ばれていたり松葉杖を突いている大人の姿もある。そして異色の雰囲気を放ち、看護師をナンパしようとする義足の男もいる。
「……私たちが一刻でも早くネウロイを殲滅しないとな」
「…」
ネウロイが侵攻し人類に過大な被害を生み出していることにバルクホルンは実感し、より決意を固くする。この病院では比較的処置のしやすい患者を搬送しているので重傷者の姿はないが、他の病院や軍病院では死神が重病者の命をいくつも回収している惨状だ。五体不満足の患者も少なくはない。
「……なあハインツ、もしもだがクリスが私のことを嫌っていたらどうする」
「…」
「ほら、今まで私はクリスと会ってなかったことを知ったらさ…嫌われちゃうよな……」
「…」
クリスの居る病室の扉前まで辿り着いた人狼と彼女だが、彼女はここにきて今までの態度や行動を振り返ってしまったため日和ってしまった。自らで行こうと決めて人狼も誘った彼女は何処にいったのやら。
悶々と最悪な状況を不安視しし頭を抱える彼女に対し、人狼は扉を勝手に開けた。そして彼女の背中を押して強引に室内に入れた。
「お、お姉ちゃんッ!!」
「ク、クリスっ!?」
突如として押し入った侵入者に驚く様子のクリスだが、姉の顔を確認するやいなやスリッパも履かずに彼女の胸元に抱き着いた。バルクホルンは最悪の想定が外れたこととクリスに嫌われていなかったことに安堵したとともに、こうしてクリスが元気に抱き着いてきたことに感動した。
バルクホルンは最愛の妹を強く抱擁し、もう逃げないと告げるようであった。山よりも高く海よりも深い姉妹愛が室内に溢れた。
人狼はその様子を入り口から覗くように眺める。人狼とて普段は喋ったり意見を基本具申しないが、空気は読める。二人が満足するのを待ち、邪魔にならないよう扉を閉めて気配を消していた。
「そうだクリス。お前に会わせたい人がいるんだ」
「会わせたい人?」
「入ってくれ」
バルクホルンの指示のもと、人狼は扉を開けて入室した。
クリスは馴染みの人狼のことを視認して一度は明るいが、すぐに俯いてしまい、顔に影を落としてしまう。
予想していた反応とは違う彼女の反応にバルクホルンは首を傾げ、彼女に問う。
「どうしたクリス。昔一緒に遊んだハインツだぞ」
「うん。それは知ってるよ……」
「ならどうして喜ばない?」
「……私だけ生き残ったから」
ポツリと彼女は呟くが、その言葉は小声であっても場の空気を凍らせるには十分すぎるモノだった。
クリスは当時住んでいた地域の住民と一緒に避難していた。その避難民には人狼と一緒に暮らしていたハンス、ルーカス、ノアがおり、四人は基本的に一緒になって行動していたのだ。
しかし、避難民を狙うようにネウロイが襲来してルーカスは皆を守るために爆弾を抱いて外へ出て爆死、ハンスは爆風で飛んだ木片が急所に当たり絶命、ノアは爆発により飛来した瓦礫に上半身を吹き飛ばされて死んだ。
あくまでも自分のせいではないとわかっていながらも、途方もない罪悪感を抱いてしまうのは当然だ。しかも大人でも抱くのにましては少女である。
「ごめんなさい…ごめんなさい……!!」
「仕方がなかったんだクリス。お前は悪くない、お前は悪くないんだ……ッ!」
「ハインツお兄さんごめんなさい……!」
「…」
ただただ泣きじゃくるしかないクリスをバルクホルンは抱きしめて落ち着かせようとしていた。人狼はクリスのもとへ寄ると、バルクホルンごとクリスを抱擁する。巨躯で長い腕は二人を包むのは容易い。人狼の腕には二人の少女の温度が伝わり、鼻を啜る声が双方から聞こえた。
そう、バルクホルンも泣いていたのだ。あと少し早ければ避難民を救えたのかもしれないという意味のない葛藤と妹が抱える罪悪感に共感した。それに死んだ三人と一緒になって遊んだことがあり、若くして死んでしまった彼らに悲しみを覚えた。
二人が泣く中、人狼は涙を流せない。人狼は悲しむことはあっても涙の流し方など知らないのだ。姉妹が泣き止んで落ち着くのを人狼はひたすらに抱きしめて待っていた。
義足
紀元前から作られており、下肢切断者が装着していた。
病院で医師の処方・リハビリ計画に基づき、義肢装具士が製作する。下肢の切断後、機能の再現を目的に装着する義肢で、目的により、訓練用・常用・作業用に分類される。
機能的義足、装飾用義足、部位別分類が存在して発展途上国の人々のため、プラスチックや竹の義肢の開発が進められている。
そして大隈重信も義足を着用していた。