【完結】死に芸精霊のデート・ア・ライブ   作:ふぁもにか

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15話 残機となった女の子

 

 夢唯が大好きな姉の、砂名の死を目撃してからというもの。

 夢唯の時間は驚くほどあっという間に過ぎていきました。砂名の遺体が検視され、検視を終えた砂名の遺体が引き取られ、葬式が行われ、火葬され、遺骨がお墓に納められ。そのすべてが夢唯にとってはほんの一瞬の出来事でした。

 

 夢唯は、砂名を失ってからというもの。毎日砂名を想いながら、砂名を求めながら生き始めました。自分の部屋ではなく砂名の部屋で過ごし、砂名のベッドで目を覚まし、砂名の化粧道具で身なりを整え、夢唯にとってはぶかぶかの砂名の洋服で己を着飾り、砂名の好きな本を、漫画を、雑誌を読み、砂名の好きなアニメを、ドラマを、映画を鑑賞し、砂名の遺した物をひたすら嗜み続けました。

 

 夢唯が眠っている時は、砂名が生きている夢の中で2人一緒に安寧の時を過ごし。夢唯が起きている時は、砂名が死んでいる現の中で、たった1人で砂名に関する物をかき集めて慰みにし。生と死、夢と現。一体どちらが本当なのか、本物なのか。両者の境界があいまいに歪んでいく中、夢唯は己の欠けた心の穴を他の何かで必死に埋めようとしていました。

 

 夢唯は毎日、霜月家のお墓に通いました。お墓には、毎日のように砂名の友人が訪れ、砂名の死を心から悼んでくれました。砂名を殺した、まだ見ぬ犯人に対して激怒してくれました。残された夢唯のことを心配してくれました。夢唯は悲しみの渦中にいながらも、お姉ちゃんのことを改めて誇りに思いました。お姉ちゃんはこんなにもたくさんの人に好かれていた凄い人だったのだと、夢唯は改めて砂名の凄さを認識しました。

 

 

 ◇◇◇

 

 

【――ねぇ、君。力が欲しくはない?】

 

 砂名の死から2か月が経過した、雪がしんしんと降り積もるとある日のこと。もはや日課と化した墓参りを行っていた折、夢唯の眼前に謎の存在が姿を現しました。まるで全体にノイズがかかっているかのように姿形を捉えることのできない何者かが、まるで旧知の友人と偶然再会したかのように、気やすく話しかけてきました。

 

 

「……あなたは、誰なのです?」

【私が誰かだなんて、今は些細なことだよ。それより、聞かせてほしいな。君は、力が欲しくはない?】

「別に、いらないです。自分の素性すら明かせない奴が、善人っぽくふるまいながら押しつけてこようとする、胡散臭い『力』なんて、ボクには必要ないのです」

【それはどうかな? 私は、君が誰よりもこの力を欲していると判断した。だからこうして姿を現した。……力を得なくて本当に良いのかい?】

「うるさい、黙るのです! どうせお前は悪人なのです! ボクに力とやらを押しつけて、それで何か対価を得るつもりなのでしょう? 高額でただの壺を売りつけようとする悪逆非道な宗教団体と何ら変わりないのです! 家族を失ったばかりの傷心の子供相手なら騙せると思ったですか? ふざけるな、ふざけるな!」

 

 何者かからの問いを、力を、夢唯は拒否しました。ノイズまみれの何者かが諦めずに言葉を重ねて夢唯の心変わりを狙うも、しかし夢唯はギリリと歯噛みし、何者かを指差して激昂しました。何者かの働きかけは逆効果となってしまったようです。

 

 

「この詐欺師め、今すぐボクの目の前から消え失せるのです」

【私は何か、君をイラつかせてしまったのかな? それなら申し訳ないね。悪気はなかったんだ】

「消えろって言っているのがわからないのですか!」

 

 夢唯は胸ポケットに挿していたペンを何者かに投げつけるも、命中しませんでした。否、ペンは何者かの体を貫き、しかし何者かの体を突き抜けて虚空へと飛んでいくのみでした。対する何者かは、ペンが当たった箇所がノイズでぶれるだけで、ノーダメージのようでした。

 

 

「くそッ、どこまでもボクをバカにしやがって……。ボクは絶対に『力』とやらを欲しないです。だから、もう二度とボクの目の前に姿を現さないことです!」

【――そう、残念だよ。なら、君が変心した頃にまた提案しに来るとしよう】

「もう来るなって言ってるですよ、ボクはッ!」

 

 夢唯は何者かとの距離を詰めて拳を繰り出すも、何者かは次の瞬間には姿を消していました。墓地に残るは、何者かへの苛立ちをひたすら積み重ねた夢唯1人だけでした。

 

 

「……はぁ、はぁ。何なのですか、奴は。気持ち悪いのです。不愉快なのです」

 

 雲行きが変わり、墓地にポツポツと雨が降り始める中、夢唯は肩で荒く息を繰り返しました。それから数分後、呼吸を落ち着けた夢唯は、おもむろに呟きました。

 

 

「この世界は、腐っているのです。あんなに素敵なお姉ちゃんを殺して、あんなふざけたモザイクをまとった詐欺師を調子づかせるだなんて……こんな世界は狂っているのです」

 

 この時。砂名のおかげで嫌いなものが減っていた夢唯の心に、嫌いなものが増えました。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 砂名を殺した犯人についての捜査が一切進展しないままに、砂名の死から時を経る内に。段々と霜月家のお墓に人が来なくなりました。あれほど砂名のことを想っていたはずの砂名の友達たちが1人、また1人とお墓に通わなくなりました。夢唯は、姿を現さなくなった彼ら彼女らを薄情者だと断じました。所詮、砂名への想いは偽物で、真にお姉ちゃんのことが大好きなのはボクだけなのだと、確信を深めていきました。

 

 夢唯は砂名への依存をますます深めていきました。起きている間は、砂名が夢唯に語ってくれた内容をノートに書き記し続けました。夢唯の知り合いをすべて砂名と比較して、砂名に至らないグズだと判定して距離を取りました。自宅に帰ったらすぐに砂名の部屋に入り、砂名の部屋で深呼吸をして、砂名の成分をどうにかして体の中に取り込もうとしました。

 

 そのような日々が、3年間続きました。中学生だった夢唯の体は若干ながらも成長し、高校1年生になりました。しかし夢唯の砂名至上主義は一切揺るがず、夢唯は脳裏に常に砂名を思い浮かべながら、砂名をひたすら求めて生き続けました。すっかり砂名のことを忘れ、誰1人として墓参りをしなくなった自称友達連中を嫌いながら、見下しながら高校生活を続けました。

 

 そんなある折。9月某日の夕暮れ時。夢唯は高校から帰り、砂名の部屋へと足を踏み入れて、衝撃に目を見開きました。砂名の部屋に、何もなかったのです。ベッドも、本棚も、机も、テレビも、化粧台も、姿見も。砂名の部屋に置かれていたあらゆるものが消え失せていたのです。

 

 

「え? え?」

 

 夢唯はわけがわかりませんでした。3年前に砂名の死亡現場を目撃してしまった時と同等以上の衝撃を喰らい、視界がチカチカと明滅していました。前後不覚に陥り、夢唯は思わず膝をつきました。その夢唯の背後から2人分の足音が聞こえてきました。

 

 

「夢唯、いつまで過去に縛られているつもりなんだ?」

 

 夢唯は声の元へと振り返りました。それは、お父さんでした。いつも偉そうにソファーにふんぞり返ってテレビで野球観戦している、3年前と比べてずいぶんと見た目が老いてしまったお父さんでした。

 

 

「夢唯、もうあなたは高校1年生なのよ? いい加減に、現実を見なさい。過去にすがりつかないで、未来を見なさい」

 

 お父さんの隣には女性がいました。一々ルールにうるさくて神経質ですぐ怒鳴ってくる、3年前と比べてずいぶんと白髪の多くなった、扱いに困るお母さんでした。

 

 

「もしかして……」

「あぁ、私たちがこの部屋の物をすべて捨てたんだ。……もう、十分だろう? もう、私たちは十分に苦しんだ。悲しんだ。家族を殺された遺族にだって、幸せになる権利はある。一生、悲しみ続けないといけない義務はない。私たちが悲しみの渦の中に閉じ込められたままというのは、それこそ加害者の思う壺だろう。……なぁ、夢唯。砂名のことは、忘れようじゃないか? 砂名はいなかった、砂名を殺した犯人はいなかった。そうだろう?」

「そうよ、夢唯。もう、忘れましょう。砂名も、夢唯がずっと砂名のことを引きずりながら生きてほしいだなんて思わないわ。砂名のことは忘れて、未来を生きましょう? 私たちは、幸せな3人家族だった。そうよね?」

 

 お父さんが、お母さんが、お姉ちゃんの私物をすべて処分した。

 お父さんが、お母さんが、お姉ちゃんのことを忘れようとしている。

 

 夢唯はますます混乱しました。目の前にいるのが本当に両親なのかすら疑わしくなりました。あんなに素敵で立派でカッコよくてキュートな一面もあってウィットに富んでいてユーモアに満ちていてみんなをいつだって笑顔にしてきたお姉ちゃんのことを忘れようとする両親が、偽物に見えて仕方がありませんでした。

 

 

「……」

 

 夢唯はゆらりと立ち上がりました。

 夢唯の双眸には、ノイズまみれの両親の姿が映っていました。夢唯が涙を流していたから、両親の姿がぶれてしまっていたのかもしれません。しかし夢唯はぶれぶれな両親の姿を見て、かつて墓地で出会ったノイズだらけの詐欺師を連想しました。

 

 両親までもがおかしくなってしまった。両親すらも砂名のことを忘れようとするようになってしまった。夢唯はぐちゃぐちゃな感情の暴走に身を委ね、衝動のままに砂名の部屋の窓を開けて、ベランダの手すりに飛び乗り、2階から庭へと飛び降りました。足がじんじんと痛みましたが、構うものかと夢唯は自宅から逃げるように走り出しました。「「夢唯ッ!」」という両親の声を無視して走り続けました。

 

 

「は、は、はッ――」

 

 走って、走って。走って。ひたすら走って。夢唯を狙いすましたかのように豪雨が襲いかかる中、夢唯は構うことなく走り続けました。目的地は、霜月家のお墓でした。両親が自宅にあった砂名の私物をすべて処分してしまった以上、もはやお墓に納められた砂名の遺骨だけが、この世界に唯一残された砂名の痕跡だったからです。

 

 いくら、娘がこの世界で生きていた証拠を消し去る外道な両親であっても、さすがに遺骨までは処分していないはず。夢唯は砂名を求めて必死に足を前へと踏み出し続けました。

 

 

「――あぐッ!?」

 

 自宅の二階から飛び降りて駆け出したせいで、今の夢唯は靴を履いていませんでした。そのせいか、墓地への近道のために薄暗い路地裏を走っている最中、夢唯は足を滑らせてしまいました。夢唯は一心不乱に走っていたせいでロクに受け身を取れずに、顔から派手にスッ転んでしまいました。

 

 

「うぅぅぅ。お姉ちゃん、お姉ちゃん……」

 

 夢唯は激痛を訴える鼻を押さえながら立ち上がろうとして、しかし足に力が入らずにその場にペタンと座り込みます。涙をポロポロと零しながら、砂名を呼び続けます。夢唯の求めに、当然ながら砂名は反応してくれません。それでも夢唯は砂名を求め続けます。

 

 

「……どいつもこいつも、薄情者ばかりなのです。みんな、お姉ちゃんのことを好きだとか大事だとか、勝手なことを言って、そのくせみんなお姉ちゃんのことを忘れようとするのです。さもお姉ちゃんが最初からいなかったかのように、人生を再開しようとするのです。ありえないのです。バカげているのです。トチ狂っているのです。みんな、みんな大嫌いなのです。……でも、安心してください。ボクは、ボクだけは決してお姉ちゃんのことを忘れません。ボクだけはちゃんと、お姉ちゃんのことを全部、覚えているのです。お姉ちゃんとの思い出はしっかりノートにも書いているし、頭にも刻んでいるのです。そう、例えば7年前の、おじいちゃんの命日の時のお墓参りでお姉ちゃんがボクに言ってくれたことだって――あれ?」

 

 うわ言のように言葉を紡ぎ続けていた夢唯が、ぴたりと止まりました。思い出せないのです。7年前に砂名が夢唯に話してくれた内容を思い出せないのです。あの時、能天気なお姉ちゃんにしてはかなり深いことを言ってきたなと、お姉ちゃんの凄さを知らなかった当時の夢唯は印象深く感じていたはずなのに、砂名の具体的なセリフを一切、思い出せないのです。

 

 

「違う! そんな、そんなわけはないのです! ボクは全部覚えているのです! ボクは賢いのです。日付から容易に曜日を導き出せるくらい賢くて、お姉ちゃんから褒めてもらえるくらいに賢くて、薄情者どもとは違っていて……そうだ! 1年前、ボクが『犬はギャンギャンわめき散らすから嫌いだ』って言った時にお姉ちゃんが返してくれた言葉は、えっと、えっと――」

 

 夢唯は己の記憶を掘り起こし始めます。砂名との思い出を振り返り始めます。そして、夢唯は絶句しました。確かに、砂名についてしっかりと思い出せるエピソードもありました。だけど、詳細を思い出せなくなっていたエピソードもあったのです。

 

 

「……そんな」

 

 夢唯の顔がどんどん蒼白になっていきます。夢唯にとって、大好きなお姉ちゃんとの思い出をたった1つでも忘れてしまっているという状況自体が、酷く衝撃的でした。

 

 みんながお姉ちゃんのことを忘れようとしている。こんな状況で、ボクまでお姉ちゃんのことを忘れてしまえば、今度こそ、お姉ちゃんが死んでしまう。誰の頭の中からもお姉ちゃんのことが消えてしまえば、お姉ちゃんがこの世界に生きていたことすら証明できなくなってしまう。嫌だ、お姉ちゃんを死なせたくない。お姉ちゃんを殺したくない。なのにどうして、ボクはお姉ちゃんとの思い出を全部思い出せない? ありえない。こんなことはありえない。

 

 

【久しぶり。私のことを覚えているかな?】

 

 ますます雨が激しくなり、夢唯の小さな体を容赦なく打ちつける中。呆然と虚空を見上げる夢唯の眼前に、何の前触れもなく何者かが現れました。それは、3年前に夢唯に謎の力をプレゼントしようとしてきた怪しさMAXのノイズまみれの人物でした。

 

 

「あなたは……二度と来るなと言いましたよね?」

【そうだね。だけど、そろそろ変心したかと思ってね。改めて聞きに来たよ。――力が欲しくはない?】

「誰が、あなたの力なんて……」

 

 夢唯は3年前と同様に何者かの働きかけを拒否しました。けれど3年前と違い、夢唯の拒否の意思はずいぶんと弱まっていました。

 

 

【君は、知りたくはないのかな? どうして君の姉は死んだのだろう? 死ななければならなかったのだろう? どうして犯人は一向に捕まらないのだろう? どうして犯人はわざわざ、君の姉の脇腹に大きな風穴を開けるような難解な方法を採用して殺したのだろう? 君の姉の死には多くの謎が残されている。だけど、何一つ謎が解明されないまま、事件は迷宮入りしようとしている。……君はこの流れをただ見ていることしかできない。力があれば、何かが変わるかもしれないのにね。自力で犯人を見つけ出して、復讐できるかもしれないのにね】

「力があれば……」

【君は、許せないとは思わないのかな? 姉を殺した犯人はきっと今日ものうのうと生きている。反面、姉は何も悪いことをしていないはずなのに、周囲の人間からだんだん忘れられていく。君はこの流れを止めることができない。力があれば、この流れに抗えるかもしれないのにね。薄情者どもに姉の素晴らしさを存分にわからせて、姉を忘れるということがどれほど冒涜的な行為なのかを教えられるかもしれないのにね】

「力が、あれば……」

 

 何者かは今が好機だと言わんばかりに夢唯が力を求めるように言葉を重ねていきます。何者かが提示した、力を入手した際のメリットは、どれも夢唯にとって魅力的な内容でした。しかし夢唯は踏ん切りがつかず、力に飛びつきませんでした。一方的に施しを与えてくる生粋の善人なんてお姉ちゃんくらいしか存在せず、この自分の名前すら明かさない謎の人物の施しには絶対に裏があると推測していたからです。

 

 

【今の君は無力なただの人間だ。けれど、力を手にすれば君は、精霊になれる。精霊になれば、人間の枠組みから外れた存在になれる。人間は時の経過とともに脳みそが老いてしまって、思い出を忘れてしまうけれど、精霊は老いない。君の強固な意志さえあれば、ずっと姉のことを覚えていられるかもしれないよ?】

「ッ!」

 

 しかし、何者かが最後に口にしたその一言は、夢唯にとってあまりに甘美でした。自身が姉のことを少しずつ忘れていくことに恐怖していた夢唯の心を強く惹きつける誘惑でした。

 

 

【力が、欲しくはない?】

「――ッ」

 

 夢唯は小さく息を吸い、ノイズまみれでロクに顔を視認できない何者かを睨みました。

 きっと、この詐欺師はボクを見下ろして、あざ笑っている。なんてチョロい女なんだと、嗤っているに違いない。――それでも、ボクは。

 

 

「……良いでしょう。あなたが何を考えているかはわかりませんが、乗ってやるのです。けれど、ボクはあなたの駒ではありません。あなたの企みごと、踏みつぶしてやるのです」

【やれやれ、どうして私はこうも君に敵認定されてしまっているのかな?】

「あなたが無駄に全身にモザイクをまとっているのがいけないのです。ほら、とっとと力とやらを寄越すですよ。モザイクさん?」

【またその呼び方……次からは少し見た目を変えようかな】

 

 夢唯がガルルと敵愾心を燃やしながらも何者かに手を差し出します。対する何者かは小さくため息を零してから、夢唯の手のひらの上に何かを召喚しました。それは、ぼんやりとした鈍色の輝きを放つ、宝石のような結晶体でした。

 

 

【さぁ、それに触れて。受け入れて】

 

 夢唯はふよふよ宙に浮く謎の宝石に恐る恐るといった手つきでそっと触ると、宝石は輝きを増した後に、夢唯の胸の中へと吸い込まれていきました。刹那、夢唯の胸を起点として、全身が全く別の存在へと書き換えられていくかのような気色悪い感覚が襲ってきました。

 

 

「あ、あぁあああああああああああああ!?」

 

 やっぱりボクは騙されてしまっただけだったのだろうか。ノイズまみれの詐欺師の手のひらで踊らされていただけだったのだろうか。ボクはここで死んでしまうのだろうか。夢唯は己の体を容赦なく駆け巡る衝撃に震え、両の肩を抱いて衝撃をどうにかやり過ごそうとしました。そうして、数分後。少しずつ夢唯を襲う気色悪さが消えていく中、夢唯は肩からゆっくりと両手を離して、地面の水たまりへと視線を移しました。

 

 そこには夢唯とよく似た、しかし夢唯と違ってあまりに美しい黒髪の少女の姿がありました。その少女は白を基調としたきらびやかな教祖服をまとっていて、まるでRPGで中盤くらいに主人公パーティに倒される悪い教会の神父のような装いだとの第一印象を抱きました。

 

 

「うッ!?」

 

 と、ここで。夢唯は頭に鈍痛を感じ、思わず頭に手を当ててうめき声をあげました。その時、夢唯は気づきました。己の頭の中に、精霊についての知識が増えていたのです。

 

 精霊はこことは違う隣界との行き来ができる謎の存在であること。隣界からこの世界に姿を現す時に空間震を発生させて周囲の一定範囲の空間を消滅させてしまうこと。精霊は最強の矛たる天使と、絶対の盾たる霊装をその身に備えていること。夢唯の天使は、夢幻を司る〈夢追咎人(レミエル)〉と称されるものであり、様々な技を器用に使える無形の天使であること。

 

 

「これが、精霊……。最近やたらと日本で増えていた空間震を発生させる元凶に、ボクはなってしまったのですね。つまり、ボクは今日から人類の敵。そうですよね、モザイクさん?」

 

 夢唯はノイズまみれの何者かに問いかけるも、返事はありませんでした。夢唯が宝石に触れて精霊に至った際に、いずこかに姿を消していたようでした。

 

 

「……まぁ良いのです。目撃者がいない方が都合が良いですから」

 

 〈夢追咎人(レミエル)〉で実現できる内容を把握した夢唯は、己の道を決めました。己のやるべきことを定めました。夢唯は早速、定めた方針へと突き進むために〈夢追咎人(レミエル)〉を行使しました。

 

 

「〈夢追咎人(レミエル)〉――【願亡夢(デザイア)】」

 

 夢唯は〈夢追咎人(レミエル)〉の光に包まれ、光が収束した時には全くの別人に成り代わっていました。ちんまい体つきの夢唯から、長身痩躯のスレンダーな体つきをした砂名へと変身していました。

 

 

 夢唯は3年前からずっと考えていました。

 どうしてお姉ちゃんが死んでしまったのだろう。どうしてお姉ちゃんが死ななければいけなかったのだろう。たとえあの日、お姉ちゃんの部屋で誰かが死ななければいけなかったとして、どうしてお姉ちゃんが選ばれてしまったのだろう。どうせ誰か1人が死ぬ運命だったなら、どうしてボクが死んで、お姉ちゃんが生き残る、ではダメだったのだろう。そのように夢唯はずっと考えていました。想いは日に日に強くなる一方でした。

 

 お姉ちゃんは凄い人だった。人を笑顔にさせる天才、友達を作る天才。まるで物語に登場してくる、非の打ちどころのない聖人君子のような人だった。

 

 反面、ボクは何の長所もない、お姉ちゃんに寄生している害虫でしかなかった。お姉ちゃんの限られた人生の時間をいたずらに搾取するクズだった。加えて、こんなにもお姉ちゃんのことを敬愛しているはずなのに、他の薄情者どもと同じように、お姉ちゃんとの思い出を段々と忘れてしまう最悪最低の醜悪な女でしかなかった。

 

 こんなボクなんかを生かして、人類の宝にすらなりえたお姉ちゃんを殺す世界は間違いなくトチ狂っている。どこまでも陰湿で、性根がねじ曲がっているとしか思えない。

 

 

 ――だから、運命を書き換える。

 

 

 あの日、確かにお姉ちゃんは死んだ。

 けれど、お姉ちゃんの死は、ボクの死によってなかったことにする。

 お姉ちゃんはボクを残機として消費して、この世界に再臨するのだ。

 

 そうだ。あの日、死んだのはお姉ちゃんじゃなかった。あの日、死んだのはあくまでボクだった。お姉ちゃんはボクを贄として、この理不尽だらけな世界で寿命を全うする。世界はそうあるべきだ。それこそが正しい世界の在り方だ。

 

 

 ……いや、違う。それだけではまだ足りない。

 この世界は一度、偉大なお姉ちゃんを殺した前科がある。

 ボクが書き換えた運命を、世界が修正しにかかるかもしれない。

 

 そんなことはさせない。もう二度とお姉ちゃんが殺されないように。世界に消されてしまわないように。みんなから忘れ去られてしまわないように。お姉ちゃんが死ぬかもしれない要素を徹底的に排除する必要がある。お姉ちゃんを殺した犯人を見つけ出し、断罪する必要がある。この世界にお姉ちゃんという存在をこれでもかと刻み込む必要がある。世界をお姉ちゃん色に染めきってやらないといけない。全人類がお姉ちゃんなくして生きていけなくなるように、お姉ちゃんに世界征服をしてもらわないといけない。

 

 これこそが、ボクがこの世に生まれた意味だ。

 誰よりもお姉ちゃんのことが好きなはずなのに、当然のようにお姉ちゃんとの思い出を忘れてしまうような矛盾まみれの醜い人間の、正しい命の使い道だ。

 

 

「【迷晰夢(ミスディレクション)】。……お前は、家に帰るのです。まずは心配させてしまったことをお父さんとお母さんに謝って、そこからは夢唯らしく日常に溶け込むのです」

「わかったのです」

 

 夢唯は、天使で己の幻影を生み出しました。これから砂名の残機として消費される自分の代わりに、霜月夢唯として生活してもらうための贋物を作りました。夢唯により生み出された幻影ことシャドウは、夢唯の命に即座に首肯し、音もなく路地裏を去っていきました。

 

 

「……この命は、すべてお姉ちゃんのために」

 

 夢唯は何もかもが嫌いな女の子でした。苗字も名前も髪も声も体つきも嫌いでした。そんな己が、何より大好きな砂名の礎になれることに、薄く微笑みを携えて。

 

 

「【剥誅夢(アムニージャ)】」

 

 夢唯は己の記憶の改竄を行いました。

 かくして。霜月夢唯は、霜月砂名として生まれ変わり、しばしの期間を経て、世界征服に向けて動き始めたのでした。

 

 




霜月夢唯(むい)→霜月砂名の妹。千葉の高校に通う1年生。実は砂名に変身した上で記憶を改竄していた精霊:扇動者(アジテーター)だった。謎の精霊ファントムからの二度目の誘いを受け入れる形で精霊になって早速、己の記憶を改竄して、砂名として世界征服をする道を選んだ。
ファントム→何らかの目的を抱えて、何人もの人間を精霊に変えてきた謎の存在。男とも女ともわからない声に、全身にモザイクがかった姿形をしているのが特徴である。中々に強情な夢唯を精霊にさせるのに割と苦労していた模様。

次回「殺害依頼」
 

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