――もう、嫌だ。
ある日、勝鬨勇雄は梁山泊塾から逃げ出した。プロとなるまでは大会、学校、梁山泊塾だけが自分の世界。それまでは両親に会えない。過酷な環境の中、彼はずっと孤独だった。
たとえ大会で優秀な成績を残しても褒められることはなく、勝って当然だ、といった空気に満ちていた。
どんなデュエルであれ、負けることは許されない。信じられるのは自分だけ、どんな手段を使ってでも勝たなければならなかった。殴り飛ばした。蹴り飛ばした。塾の誰もがやっていたことだった。そうするのは当然だった。
鍛えた己の肉体は同年代の子と比べて強かった。閉ざされた世界ではそれに気付かなかった。梁山泊塾に入ってから初めての大会。いつも通りのデュエル、いつも通りの勝利。ふと、先ほどまで争っていた相手達を見た。
「――――っ」
怯えていた。震えていた。自分が彼らにつけた痛々しい痕が、今も目に焼き付いて離れない。
――もう、あんなのは嫌なんだ……!
「はぁっ……はぁっ……!」
後ろを振り向かず走り続けた。とにかく遠くへ行きたかった。空はどんよりとした曇り空。いつ天気が変わってもおかしくない。そうだ、自分に青空は似合わない。ぽつり、と鼻頭に冷たいものが当たる。
「あ、雨……」
ここに自分を守ってくれる傘は無い。どうしようもない自分を置いてくれた場所を、自ら捨てたのだ。
か弱い子供が真っ暗な道の真ん中で、一人どこへ行こうかと立ち止まって、周りを見て気づく。どこにも道が無いことに。そら見ろ、と今まで痛めつけた人々が指差して笑う。
「…………」
本降りになってきた雨に体温が奪われる。もう、どこにも行く場所なんてない。このまま自分は世界から消えていなくなってしまうんだ。そう、思っていた。
「母さん! あれ――」
――彼に会うまでは。
びしゃびしゃに濡れた髪をタオルで拭かれる。柔らかいそれは心地よい香りがした。よかったら、と着替えも用意されていた。きっと彼の服なのだろう。
どうぞ、と引かれたので取り敢えず椅子に座る。テーブルの向かい側には緑と赤の髪色をした彼がいる。彼はこっちに身を乗り出して話しかけてきた。
「ねぇ、お父さんとお母さんは?」
「…………」
いつか会える、そう信じてデュエルし続けた。筈なのに、顔も声も薄ぼんやりとしか思い出せない。梁山泊塾での過酷な鍛錬に押し流されてしまった。子供を忘れる親がいないように、親を忘れてしまう子供もいない。……じゃあ、忘れてしまった自分は何だ?
「……っ、じゃ、じゃあ……」
「もう、いい」
まさか返事が無言とは思っていなかったのだろう。予想外の展開で、次どう話を繋げるべきか困惑していた。静寂を割いたのは意外にも紫色の髪の少年。くう、と彼のお腹がなった。
「……!」
恥ずかしそうに俯く。そういえばあれから何も食べていない。着の身着のまま飛び出して、後のことは全く考えていなかった。
「お腹減ったの? ……! 母さん!」
「はいはい、わかってるわよ」
彼の母親がてきぱきと何かの用意を始めた。かちゃかちゃと金属音がする。
「母さんのパンケーキはすっごい美味しいんだ!」
「ぱんけえき」
なんだろうかそれは。美味しい、ということは食べ物なのだろう。部屋に甘い香りが漂う。
「さあ、できたわよ」
目の前に丸くて茶色のふわふわした何かが何枚か乗った皿が置かれる。これが、ぱんけえきなのだろう。
「遠慮しなくてもいいわよ、これは君の為に作ったんだから。残したら承知しないわよ?」
優しく微笑まれる。……どこか塾の面々と似ているような違うような何かを感じた気がするが気のせいだろう。
「ん、む」
ぎこちなくナイフとフォークを使い、パンケーキを切り分ける。恐る恐る一口。ふわり、と顔がほころぶ。
「…………あまい」
なんの変哲も無いパンケーキだったが、彼には極上のご馳走だった。ぽろぽろと涙がこぼれる。こんなに美味しいものを自分なんかが食べていることに罪悪感を感じる。
「大丈夫!? どこか痛いのか……?」
急に泣き出した自分を見て少年はおろおろしている。自分なんかに心配しなくていいのに。
「な、んで……! なんで、なんで!」
言葉が纏まらない。なんで。その言葉だけがぐるぐる渦巻いて。
「おれなんか、どうでもいいのに……!」
「っ、どうでもよくない!」
「でも……!」
ここは暖かい。だからこそ、ここに居てはいけない。
「大丈夫よ、一人や二人増えたぐらいどうってことないわ」
「ほら、母さんもこう言ってる!」
――ここに、居ていいのだろうか。許してくれるのだろうか。
既に涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃになっている。ぐじゅ、とすすりながら涙声で話す。
「――かち、どき。勝鬨勇雄。おれの名前」
「おれ、榊遊矢! よろしくな、勝鬨!」
真っ暗な道に、一筋の光が射した。彼の父親、榊遊勝は素晴らしいエンターテイナーだった。どんな人でも、彼のデュエルする姿を見るだけで笑顔になった。
――そんな日が、ずっと続くのだと思っていた。
「父さんは、逃げたんじゃない……!」
「……ゆうや」
ストロング石島とのデュエル開始時間になっても、榊遊勝は現れなかった。
あの時から、彼を取り巻く環境は一変した。どこへ行けども卑怯者の息子と言われ、蔑まれた。
――違う、父さんは卑怯者なんかじゃない!
どれだけ必死に訴えても、変わってしまった世界は元に戻らなかった。
誰にも見られないよう、ゴーグルをつけて静かに泣くその姿が、梁山泊塾にいた頃の自分と重なった。
「……強く、なりたい」
傷つけるためでなく、守るための力を。遊勝塾の一塾生である自分の力を皆に知らしめるのだ。誰もが認めるほど強くなれば、きっと――。
「これで終わりだ! 覇勝星イダテンでダイレクトアタック!」
元々デュエルの才があったらしい勝鬨は、入塾してからめきめきと頭角を現した。こんな自分を受け入れてくれた遊勝塾の皆へ恩を返す、その為のデュエルを続けた。
鍛えた体は相手を傷つける為でなく、デュエルのパフォーマンスに活かすよう進言された。アクロバットでは遊矢に及ばないが、演武なら負けはしない。伊達に元梁山泊塾生ではない。梁山泊塾から離れてだいぶ経ち、ほとんど我流になってしまったが、観客が純粋に楽しんでくれるのならそれでいいだろう。
『決まったぁ〜っ! 素晴らしいタクティクス、素晴らしいコンビネーション! 優勝は、遊勝塾の勝鬨勇雄だ〜っ!』
会場が歓声で揺れる。拍手の雨が降ってくる。梁山泊塾にいた時には考えもしなかった光景が広がっていた。
表彰式も終わりさあ帰ろうかと出口へ向かう。おおい、と手を振りながら近づく人影。ゴーグル、ペンデュラムのネックレス。間違いない、榊遊矢だ。
「お疲れ様、勝鬨。あのコンボ、この間俺とやったデュエルのだよな!」
「ああ、あれなら意外性があって盛り上がるからな」
大会が終わったといってもまだ人は残っている。ひそひそと卑怯者、嘘つき、何でここに、と言われていることには気づいているのだろう。遊矢は無理して笑っている。陰口は自分が睨みつけただけでぴたりと収まった。この程度でひるむようなら言わなければいいものを。
「あっと、それで、皆で優勝祝いのパーティーするって。食べたいものがあったら何でも言っていいぜ」
何でも。そう言われて思いついたのは優勝記念パーティーには似つかわしくない、ささやかなデザートだった。
「…………パンケーキ」
まだ少し恥ずかしい、あの時の思い出の味。
「わかった! 母さんに伝えておくよ」
舞網市で行われるタッグデュエル大会。その控え室から移動する最中、ふと遊矢が何かを思いついた。
「あ、俺の名前とお前の名字で遊勝! なあ、これって運命じゃないか!?」
「……そうか? 偶然だろう」
表情を変えることなくざっくり切り捨てる。それを見た遊矢はがっくりと肩を落とす。
「お前なー、父さんの名前で塾の名前だぞ、遊勝塾! 俺とお前で遊勝コンビ! いけると思うけどなー」
ため息をつき、握りこぶしをつくって遊矢へ向かい腕を伸ばす。それを見て遊矢も握りこぶしをつくって腕を伸ばす。こつん、と拳同士を合わせる。
「そんな肩書きが無くとも、これだけで十分だろう」
『続きまして第二試合――』
次の試合を知らせるアナウンスだ。今回の大会は、いつもと勝手が違うタッグデュエル。二人のコンビネーションが物を言う。ずっと共に切磋琢磨してしてきたのだ、どんな戦術を使うかなんてわかりきってる。何も問題はない。
「出番だぞ、遊矢。準備は大丈夫か」
「――ああ!」
デュエルフィールドへの入り口。光に満ちたそこへ足を踏み出す。ゆっくりと深呼吸し、いつもの表情、いつもの声で遊矢が高らかに口上を述べる。
「Ladies and gentlemen! 我ら遊勝塾の華麗なコンビネーションを、どうぞ心ゆくまでお楽しみください!」
梁山泊塾って子供がずっといるべき環境じゃないよね?多分逃げ出す子供いるよね?な思いつきから書いたネタです。
……勝鬨君にパンケーキ食べさせたい。