慕情届かねど   作:芦田 夏糸

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 サクラはとうとう、逃げられなくなった様です。


 


第三話(R‐15)

彼は薄暗い小屋の中で一羽の大きな鷹を腕にとまらせていた。

大きな羽をたたみ、頭を垂れている。

 

明日の遠出の為に、鷹の体調を確認しに来た。

例え狩りに行かなくとも、朝に夜と小屋に来るのは彼の日課でもある。

専属の鷹匠師も居るが、自分の鷹は時間が有る時くらいは面倒を見たい。

 

そして考え事があると、鷹小屋に何時間も篭る事さえあった。

最近は[例の人]と再開を果たし、またこの小屋に篭る時間が増えている。

 

無言で鷹を撫でているその姿は一見、小難しそうな事を考えている様にも見えた。

だが、実はそうでも無い。

 

今日は何を話そう。今日はどう接しようか。

普段は堅物を気取っている。しかし、彼も中身は年頃の男子だった。

口を一文字に噤んで、眉間に皺を寄せていても、その頭の中では甘い想いを滾らせている事だって有る。

 

只彼の場合、被っている堅物の仮面が厚すぎるのだ。

その為、彼をよく知らない人物からすれば、何を考えているか分からない冷徹な男だと思われてる。

 

「あっ、兄さん。やっぱり此処に居た」

 

背後で戸の開く音がした。

小さく開かれた戸の隙間から、声変わりが終わった少年が顔を覗かせる。

薄暗い小屋の中に、青年を見つけ軽やかなな足取りで入ってきた。

青年は彼の名を呼ぶ。

 

「ああ、お前か。どうした」

「鷹狩りに行くんだったら、俺も付いていこうかなって、思ってさ」

 

弟も鷹狩りが好きだった。

いや、本当は[鷹狩りをしている兄]を[見ているのが好き]である、と言った方が伝わり易いだろう。

鷹を放つ兄の顔は、昔よく見せていたキラキラと輝く幼き日の眼になる事を知っているからであった。

 

弟の提案に、青年は誤魔化す様にして口元に弧を描く。

 

「いや、明日は俺一人で行きたい」

 

いつもなら甘えて 自分も行く、と 付いてくる弟に明日の準備るすよう促すが、明日はどうしても連れて行けない。

兄のいつも違う態度に、弟は小首を傾げた。

「駄目だ」

 

何とか付いていこうと口を開こうとする弟に、念を押して言いつける。

すると聞き分けの良い弟は、残念そうに口を紡ぐ。

鷹を止まり木に渡らせながら、その膨れっ面に すまない と、付け加えた。

 

小屋の狭い入り口を腰を屈めて、くぐり抜ける。

自室へと戻る長い廊下を歩き、弟はその後を後ろ手を組んで付いてきた。

 

「じゃあ、お土産頼んだよ。冬支度の為に新しい狐の外皮が欲しいんだ」

 

 -若い雌のやつ。雌は毛が柔らかいから好きなんだよ。

 

兄は必ず何かを仕留めて持ってくるだとうと確信しているらしい弟は、難しい注文を付けてきた。

それに苦笑しながら返事を返す。

 

「狐か、難しいな。無理だったら兎で我慢してくれ」

「兎かぁ。それでも良いよ。兎だったら灰色が良いなぁ」

「それも難しいな」

 

自室の戸を開き、中に入ると術の指南書が何冊か床に散らばっていた。

それを目にして、遅れて部屋に入ってきた弟を見やる。

 

「見たら片付けろと言った筈だぞ」

「帰ってきてからするつもりだったんだ」

 

この弟は人前では年齢にそぐわない冷静な態度を振舞うが、兄の前になると途端に子供へと帰る。

指南書を広い集めて、元あった棚へと戻していく。

青年は最後の一冊を手に取る。

 

「父様の巻物は全部兄さんが貰ったんだ。時々俺にも見せてくれよ」

「片付けるならな」

 

巻物は棚の高い位置に置いてある。

まだ背の足りない弟は兄である青年に頼まなくては、読む事が出来ない。

青年は広い自室の奥に有る押し入れの戸を開ける。

そこには自分の物では無いモノも多く仕舞われていた。

 

その殆どは亡き母の[遺品]である。

弟を産むと同時に事尽きてしまった母。

生まれ落ちた時から乳母に育てられた弟は、母の面影にも触れる事が出来ない。

 

青年はそっと壊れ物を扱う手付きで、仕舞われていた着物を取り出した。

駆け寄ってきて弟は好奇心で大きな黒い瞳を、更に大きくさせる。

 

兄の肩越しに見る、藍色の打掛。

よく見られる金や朱色の、煌びやかな打掛ではない。

遠目から見れば質素なそれは、近くに寄ると想像して以上の目を見張る質の物であった。

袖や足元を牡丹や黒椿が彩る中、首元へ昇っていくに連れ薄紫色になっていく色彩の変化は、流れるように白んでいく空と雲を表している。

 

その見事な打掛に、弟は息を飲んだ。

 

「これ、母様の…?」

「そうだ。俺が子供の頃、良く着ていた」

 

 -お気に入りだったんだろうな。

 

遠き日の思い出に目を細める。

横から伸びてきた白く細い手が、物珍しそうに打掛を触った。

滑らかな肌触りに溜息が出そうになる。

 

「でも、兄さん。この着物を出して、何をするんだい?」

「…。時々出してやらなければ、蟲が喰うだろう」

 

少し置かれた間に、弟は訝しげな表情を見せたが、それにまた反応を返してしまえば、また深く聞かれてしまうだろう。

その視線を無視して、着物を持ち運びし易い様に畳んだ。

 

「俺は今から書物がある。好きな巻物を取ってやるから、自室で見ろ」

「…はーい」

 

本当はまだ居たかったが、部屋の主である兄に帰るように背を押されてしまった。

それに付け加え、見たかった巻物を何本か預けてくれたので、文句は言わない事にする。

部屋を飛び出し、長い廊下に出た後、背後で戸の閉まる音を聞いた。

 

弟は長く伸ばした襟足を翻し、兄の自室を振り返る。

戸の隙間から微かに見える灯りから分かる事は、机に置いている蝋燭に火を灯したのだろう。

胸元に抱えた巻物を見下ろし、弟は廊下に根を張りそうになる足を無理矢理自室の方向へと向けた。

 

最近兄の様子がまた可笑しくなっている事には気づいていた。

 

自分を見る目が、一層優しくなり。

乱雑に扱っていた筆を取り、書物をしている事も多くなっている。

 

何度も紙を丸めて、書き直している姿も目にした。

しかし、筆を置く時に全て燃してしまうのでどんな内容か見た事が無く、見せてもらう事も無い。

昔は汚かった字も、何かに目覚めたのか書物をしている内に達筆になっていった。

それは良しとして、その宛先が気になってしょうがないのだ。

 

今の青年は充実している日々を送っているのだろう。

しかし、敵対している千手の少年と会っていた、兄の少年時代に似通ったモノを感じていた。

 

あの頃の兄は、良く笑った。

そんな兄は好きであったが、如何せん会っている相手が好かない。

敵対関係にあたる千手となぞ。

また、会っていたとすれば自分はどうすれば良いのだろう。

 

(兄さんはまた俺に何か隠している)

 

歯がゆい思いを膨らませた。

しかし、今は一族でも重要な立場にいる青年は浅はかな考えでは行動するとは思えない。

結局は、弟も兄を信じて口を噤むのだ。

 

 

 *

 

 

上忍の待機所『人生色々』

こそに親友が任務から帰ってきた手続きをしていると聞き、サクラは風呂敷を抱えてその姿を探す。

非番である筈のサクラが待機所に来ている事に、疑問を感じた同僚達に何度か尋ねられたりもした。

サクラは一言 いのに渡すものがある。 と、言って深く聞かれぬ様にしたが、親友の名を持ち出すと簡単に納得されるのが不思議だ。

 

沢山並べられた長椅子の前で立っていると、薄い金髪のポニーテールを視界でとらえる。

間違いない。いのだ。

それにドキリとしながらも、深く息を吸い込み。叱られる覚悟で声をかけた。

 

 ・ ・ ・

 

「で?」

「[で?]って、怒ってないの?」

 

此処では会話し辛い、立ち話も難だ。そんな理由から椅子と机が置いてい有るだけの空き部屋を借り、二人は長机を挟んで向かい合って座る。

親友の拍子外れな反応に、サクラはガクリと肩を落とした。

 何であの時いきなりキレたのよ! そう、まくし立てられる様にして、怒られると考えていたからだ。

しかし、いのはサクラの持って来た包みの中身の方が重要であるらしい。

 

「スゴーイっ!!このケーキさ、開店一時間前から並ばないと買えないヤツじゃない」

 

 -食べたくても、並ばないといけないしィ。そんな時間も無いから諦めてたのよ~。

 

木苺、ラズベリー、ブルーベリー、透明な薄いパリパリの水飴に包まれ、シットリとしたシフォン風のスポンジに、甘さが控えめの生クリーム。

見ているだけでも甘酸っぱく、乙女心を擽られるそのワンホールのケーキを見て目を輝かせる親友にサクラは呆れた。

お皿はどうする、フォークは付いて来なかったのか、言いたい事を好き放題のいのに尋ねる。

 

「怒ってないわけ?」

「あー、怒ってない。許す許す。ねぇ、早く食べましょうよ~」

 

すっかりケーキに夢中だ。

サクラはいのの性格を良く知っているからそこ、この反応の意味している訳が分かる。

興味の有る事、夢中になった事には、トコトンのめり込むが。

興味が失せた事には、どうでもよくなってしまう事を。

 

つまりは[少年と青年と、サクラの関係]は彼女の中で[どうでもよい事]に振り分けられてしまったようだ。

 

 -…それを謝りに来ただけだから、私は帰るわよ。

 

昨日悩んだ事は一体何だったのだ。

青年からデートの誘いで、もう頭の質量が足りていないと云うのに。

サクラはパイプ椅子を引いて、立ち上がろうとする。

 

「ちょっと待ちなさいっ」

 

しかし、いのの大きな声に止められてしまった。

 

「サクラ、これを私に押し付けて逃げる訳じゃないでしょうね!」

「それどう言う意味よ?」

 

すると、いのはケーキに付いて来たプラスチック製の先割れスプーンを、サクラに向けてニヤケながら言った。

 

「太るならアンタも一緒よ!ほら、紅茶用意して!待合室にポットあるでしょ。茶葉もあった筈よ」

 

 -早く、早くっ

 

どうやらこき使う気でいるらしい。

小さな事を気にしてしまうサクラの性格からしてみれば、いののこう言ったサバサバしている性格が好ましくも、羨ましい。

仕方が無い。我が儘に付き合ってやろう、と。サクラは今度こそ、パイプ椅子から立ち上がる。

 

 -ちょっと待って!

 -何よ、また注文付ける気なの?

 

再び止められたサクラは、少し不機嫌を装う。

すると、いのは嬉しそうな顔で言った。

 

「深くは聞かないから、進行状況だけは聞かせなさい」

 

 -甘い話をしながら、甘い物を食べるのって、癖になるわよねぇ!

 

サクラからの[土産話]と[土産物]に目を輝かせる。

そんな彼女なサクラは思わず辛辣になってしまう。

 

 -いのの場合、癖って言うより中毒よ

 

しかし、それに付き合う事がどれ位楽しい事かは、サクラが一番知っている。

親友の笑い声につられて、自分も笑ってしまうのであった。

 

 

 

 

サクラは待ち合わせ場所に来ていた。

正確に言えば、待ち合わせ場所の近くにいる。

 

大きな岩の上に座り、溜息を何度もつく。

 

いのは気にはしていなかった。

しかし、サクラは親友に感じるままの怒りをぶつけてしまった事を、どうしても気にしてしまう。

 

(何にイラついているのか、自分でも分からないわ)

 

感情をコントロールする事が出来ない己の未熟さに、サクラは不甲斐なく思う。

膝を抱えて、背を丸めた。

自分の膝に額を当てて、目を瞑る。

 

(そこだけ聞くと、最低な女よね、私…)

 

この際、卑屈になってしまうのは仕方が無い事だ。溜息と共に自分を蔑む乾いた笑いを吐き出す。

ふと顔を上げる。

染まった紅葉が、サクラの頬を掠めて地面へと落ちた。

赤い葉を、指先で摘み上げ目の高さまで持ってくる。

 

 -急に訳の分からない事で怒るだなんて…

 

彼女は自分の事はよく知っている。

そんな事簡単に感情の起伏を押し止める術を知っているなら、今まで生きてきた17年間は苦労しなかった、と。

 

強い風が吹いた瞬間に、掌に置いていた紅葉が攫われていった。

高く、高く舞い上がりながら風景に溶け込んで見えなって行く。

 

それを眺めてい、また溜息をついた。

 

(少年くんに話したいとか、一瞬考えてちゃったし…)

 

そして、自分の考えを思い直して居ると、何か違和感を感じた。

合って話したい。それでは、まるで、

 

(違う違う!な、慰めてもらおうなんて、考えてない!!)

 

急激に早くなる心拍数に、青年の手の形と低い声を思い出してしまい耳まで真っ赤になる。

それを小袖で隠し、サクラは再び溜息を付いた。

 

この時代に合った遠出らしい格好を、と思い。

サクラにしては珍しい小豆色の着物っぽけも動きやすい服を選んで着てきた。

 

母の部屋に忍び込んで、勝手に持ち出して来た服だ。

しかし、口煩いが娘を甘やかしてしまう母は気づいたとしても、小言を云うだけで終わる筈だろう。

鷹狩りと言うのなら、人里には降りないとは思う。

が、それでも一応見た目は気にしておきたい。

 

休みであるが為に、今日は何時もの任務服ではない。

彼にこんな姿を見せるのも、実は初めてなのである。

 

(ちょっと考えた。ほんの…少しだけど、別に変な事は考えてないわ!)

 

頭の中に居る自分が、またそう言って逃げるんだから、と。

言われて一番キツイ一言を己に突き刺した。

 

 

サクラは[余計な事]を考えるのを止めた。

もしこの青年が、[その人]本人であっても、サクラにとってはいつまでも小さなマセた[少年]である事には変わりはない。

 

マセた少年は、逞しくも麗しい青年へと成長しても。サクラの事を忘れては居なかった。

そちらの時間の経ち方からすれば、数年以上は経っている筈だ。

しかし、彼は云う。

片時も忘れた事は、無い。と。

 

サクラにとっては、数週間前の別れであっても。

青年からすれば、数年前の出来事であり、小さな思い出でさえ忘れた事が無いと云うのだ。

実際[最近の出来事]であった事にせよサクラが忘れていた事を、青年はシッカリと覚えていた。

 

(それって、私としては凄い恥ずかしい事よね…)

 

誰も居ないと思い、むくれ顔をすると、背後から息を殺した笑い声がした。

その気配にサクラは身体を跳ね上がらせる。

勢い良く振り返ると、青年が木に背中を預け、腕を組んで立っていた。

 

何やら、腰に沢山の袋や包みを下げている。

一番気になるのは、肩に背負っている包みだ。

余程大切なものなのか、鹿か、猪の毛皮を一巻きして防水を施している。

 

鷹狩りの道具だろうか、興味を持ち、それ等をまじまじと観察していると。

何か大きな疑問が頭に引っかかった。

観察する前に、何か思う事がある筈である。

 

「ちょっと、いつから!?」

 

そうだ。

全くと言って気配を感じなかった。

 

大岩から落ちてしまいそうになる程慌てるサクラが、余程可笑しかったのだろう。

青年は悪戯に成功した子供の様に、歯を見せて笑った。

それが、どうも面白くないサクラは今日は絶対に笑わないし、驚かないと心に決めた。

 

自分でも子供っぽいと思うが、癪に触る。このままでは引き下がれない。

それは、随分と前から背後に立たれ、自分の百面相を見られていたと云う事実と、不甲斐なさが拍車をかけた、サクラの意地でもあった。

 

まだ納得のいかない様子のサクラに、ニヤリと笑いかける青年の表情を見て身構える。

何かやらかして来そうだと。

 

(そう思えば、鷹狩りがどうのって言う前に。鷹が居ないじゃない)

 

そこで気づけば良かった。

バサリと一度羽音を立てて、青年の方へ体を向けていたサクラの背後から、頭スレスレに鷹が飛んでいった。

大きな鷹は、青年の小手をつけた腕へととまる。

一瞬の出来事に呆気に取られたサクラの顔を見て、また青年は高らかに笑った。

 

またしても、[悪戯]に成功したのである。

 

「もう!行きましょう、少年くんっ」

 

こんな馬鹿をやっていないで、サクラは行くように促した。

しかし、青年は笑う事を止め、少し難しそうな表情で何か言いたそうにしている。

何事だろう。何が気にかかったのだ。

返答と待っていると、青年が口を開いた。

それは、サクラも気にしていた事であった。

 

「その[少年くん]はいい加減止めてくれないか…」

 

 -俺はもうそんな歳じゃない。

 

そんな事、見た目で分かる。

しかし、お互いにお互いの名前が分からないのだ。

二人もそれを暗黙の了解として、深く聞かなかった溝が今更であるが、違和感を感じる様になってきた。

そして、無理も生じ始めている。

 

「でも、コレが一番呼びやすいのよ」

「一度板についた事は仕方が無い、か」

 

 -…だが、いつかは名で呼び合う事になるだろうな。

 

行くぞ。と一言だけ言うと、山道を歩き始めた。

その後ろ姿を追いながら、サクラは何度もその言葉を頭の中で再生させる。

 

(それって、どう言う意味…)

 

 

 ・ ・ ・

 

 

サクラは今日は絶対にしないと心に決めていた事、破ってしまう事となる。

 

先ず、最初の狩りを見た時だ。

純粋な気持ちで歓声を上げ驚いて見せてしまった。

兎を狙っていたであろう林に潜む狐を見つけ出し、鷹を放つ。

鷹は真上を旋回しながら、タイミングを待ち。そして、急降下して狐の急所を尖い爪で掴み、離さずに絶命させた後、羽を広げて捕らえた獲物を覆う。

青年は歩み寄ると鷹を避けさせ、腰に下げていた袋から肉片を鷹へ与えた。

 

鷹が獲物を捉える姿なぞ、初めて見たサクラは全てにおいて感心する。

 

 -中々、面白いものだろう。

 

青年が、持ち運びし易い様に狐を荒縄で縛りながら言う言葉に。

サクラは声を出さずに何度も頷いだ。

気持ちは、アカデミー生だった時に行った社会科見学をしている気分だった。

 

それから、兎を二羽。雉を一羽。

土産に頼まれたと言っているものは全て捕らえた。

その後、山の深い麓へと歩き、轟々と音を立てて流れ落ちる滝の側で休憩する事になった。

此処を折り返し地点として、休憩が終った後は山を降ると教えられた。

 

赤く染まった葉が、透き通った川に流されていった。

澄んだ川は鏡の様に、紅葉を映し返す。

この川の先には

 

青年は荷物や獲物を全て下ろし、血塗きを始めた。

狐の毛皮と肉を分け終わった後、木にとまらせていた鷹を腕に呼び寄せ、狐の肉をを摘ませる。

 

その動作、全てが手馴れていた。

それ等に感心しながら、サクラはそれを[見学]する。

 

(趣味って、本当だったのね)

 

只のカッコつけだと思っていた趣味は、どうやら[本当]だったらしい。

いのに無理矢理参加させられる合コンでは、やってもいない趣味や、大して詳しくもない話を大袈裟に言う男を相手させられる。

そこで、自分の拙い知識を披露するのだが、それ以上にその話に詳しいサクラが口を挟むと黙って酒を飲むだけとなるのが、非常につまらない。

 

 -飯にするか。

 

捌き終わったのか、毛皮を丁度良い枝に干して、火遁を使い集めた枯れ枝に火を灯す。

兎の肉が焼ける香ばしい匂いに、食欲をそそられる。

ジッと黙りながら待つ事が出来ないサクラは、青年に昔の話を振る。

 

 -ねぇ。もう組手とかはしないの?

 

再会を果たしてから、一度も拳を突き合わせた事がなかった。

少年であった時は、事ある毎に組手を申し込まれ、それが習慣の一つでもあった筈だ。

だが、青年から返って来た返事にサクラは呆れを感じながらも、馬鹿にされた気分になる。

 

 -俺に勝てなくても組手をするか?[お姉さん]

 

自信に満ちた顔で言ってきたのだ。

 

(何よそれ。体術なら負けないわよ!!)

 

それから腹を満たしても、サクラはずっと無言だった。

別の作業をしていた青年が、サクラに近寄ってくるまでは。

 

 

青年は大切そうに背負っていた包みをサクラの前で広げて見せた。

絶対に何を言われても目を合わせまい。

しかし、あっさりとサクラは好奇心に負けてしまう。

 

「川の近くだ。寒いだろう」

 

香の匂いだろうか。

防水の用に巻いていた、獣臭さが移らぬ為の工夫とみた。

 

「少し香るが、獣避けでもある。帰りはコレを被っておくと良い」

 

 -返さなくてもいいぞ。

 

それをサクラの頭に被せるようにして渡す。

急に塞がれた視界に、サクラは小さな悲鳴を上げた。

 

「な、何?」

 

手でたくし上げ、確保した視界から青年を覗き見る。

彼は満足した様子で腕を組んでいるが、その意図が分からない。

悪戯に連続で成功しただけにしては、ご満悦過ぎやしないか、それ程満足した様子だった。

 

被せられたそれを、たくし上げた時。

あまりの触り心地の良さに、サクラはハッとする。

これは、何だろう。

 

そっと頭からずらして行き、滑り落ちたそれが肩に掛かる。

 

 -あっ

 

短く、驚きに声を上げる。

それは打掛だった。

 

それはそれは見事な物で、母の持っているどんな着物よりも高価だと素人の目でも分かる。

大名の姪である姫の護衛任務時、サクラには一生買えないだろうし羽織る事も出来ないだろうと思っていた物が、今、手にしているのだ。

それが、信じられない。

 

「こ、これっ!」

「俺が持っていても、意味が無い」

 

 -好きに使ってくれないか。

 

鮮やかな紅葉を背景とし、美しい打掛を羽織ったサクラを恍惚とした表情で見ている。

サクラは困惑していた。

こんな高値の物を貰い受けて良いのだろうか。

 

それ以上に、心配なのは青年の押しが本格的になって来た事だ。

遠出に、贈り物。

親友から言わせれば、 脈アリでない方が可笑しい。

 

「気持ちは嬉しいわ…。でも、受け取れない」

 

サクラは困り果て、打掛を肩から外しながら、それを青年へ返そうとする。

しかし、再び肩に掛けられ、目で何故と問われた。

 

(これ以上、期待を持たせたらいけない、っていのに言われたばかりなのに)

 

ケーキを頬張り、得意げに言ってみせた親友は言っていた。

『男はそのまま放置させておくと、図に乗り出して、終いには彼氏面をするから。切る時はスッパリ切りなさい!』と。

だが、詰め寄る事はあっても、詰め寄られた事の無いサクラは、一体どうやって[切れば]良いのか、避ければ良いのか。

その術を知らないのだ。

 

「私。何もしてあげられないし。あげる物も、ない、の…」

「餓鬼だった頃に沢山貰った。それで良い」

 

桃色の髪を、筋張った大きな手で撫でられる。

身を固めていると、片手で腰を抱かれ引き寄せられた。

ああ、コレでは逃げられない。サクラはまるで他人事の様に頭の隅で、ぼんやりと思う。

撫でられていた髪の一掴みを口づけられ、甘やかな吐息と、熱い視線を感じながらサクラは恥ずかしさで唇を噛み締めた。

 

 -…そうだったかしら?

 

震える声で笑い、誤魔化そうとするサクラを、より一層強く抱き寄せた。

誤魔化そうとも逃がさない。それを態度で示される。

青年は薄緑色の瞳を見詰めた。

 

 

 -俺が貰ったものは、それ以上に価値のあるものだった。

貴女は、兄弟や歳の近かった友人が次々と戦場で死する中、唯一、夢に理解を示し、俺を[温め]てくれた。

 

 

敵対していた一族の崩れに襲われた時、助太刀をしてくれた事。

足に負った怪我を治してくれた事。

修行に、相談に、自分の夢を笑わないで聞いてくれた事。

 

初めて手を握った話や、口付けを交わした記憶。

 

サクラの慕い想っている、正体の知れぬ恋敵を探して。一族の若い男共が恋話をしている時は、知れず聞き耳を立てたり。

春が来る度に、咲き乱れる桜の木を見て思い出し呆けてしまう事。

 

戦場で力尽きそうになった時。走馬灯で流れてくる笑顔と、身体が覚えている温かさ。

もう一度会うと約束し交わした口付けに突き動かされ、走り抜けて来れた事。

 

「俺の想いは、」

 

 -語ろうとも、語り尽くせない。

 

いつの間にか、髪を撫でていた手が肩に乗せられていた。

流れる様な動作で抱きしめられ、柔らかい落ち葉の中に、ゆっくりと押し倒され重なり合う。

耳元に寄せられた形の良い唇が、サクラの鼓膜を揺する。

 

「俺の名は――――」

 

 

告げられた名前に、桃色の長い睫毛を伏せ、目を瞑る。

白む空を切り取った打掛を羽織り、橙、黄、朱色に彩られ、白い肌を晒しながら[桜]は咲き誇った。

 

(…避けられない。[切れ]無いわよ、いの…)

 

逞しい肩越しに、青い澄んだ空を見上げ。

サクラは、遠い未来に居る親友の言葉と、慕っていた少年を思い浮かべる。

そして、熱くも心地よい微睡みに、理性を沈めた。

 

 

 

 

 『誰かがやれねば。』

 

 

 

 

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