サクラは気づいていた。分岐点はすぐそこまで迫っている事を。
何処かぎこちない動作だ。
椅子に座るその姿は落ち着いて見えるも、目だけを動かして周りを観察している様子からして、落ち着かないのだろう。
店員が丁寧にメニューと呼び鈴を手渡す。
呼び鈴は振って鳴らすタイプのモノだ。
それを渡されたサスケが、それを手に取りジッと眺めている。使い方が分からないのだろうか。
現実主義を好む彼は、庶民が西洋の上級貴族の真似する事態が物珍しいに違いない。
心の中で莫迦だとも思っているかも知れない、がしかし、彼の目は人よりも多く語る。
今、彼の瞳はその余りの物珍しさに少年の如く好奇心で一杯になっていた。
(…あれ?)
何処かで同じ感情を、サクラは体験していた。この不思議な程愛おしい感情は何処から湧き上がっているのか。
お腹の底から、温かく柔らかな[それ]が脊柱を伝い、心臓を揺るがし、脳に甘い刺激を送りつける。
その感覚を、サクラは[愛おしい]のだと知っている。
再び、サスケにその様な感情を抱きそうになっているのか。そう思い、己に嫌悪感を抱いた。
だが、冷静になれないサクラは見落としていた。
その[愛おしい]と云う、は[母性]と云うモノと、隣り合わせなのだと。
複雑に絡み合う感情の糸を弄りながらも、サクラはベル片手のサスケに向き直る。
説明しようと口を開きかけた時、サクラ達が座るテーブルからすぐ横の女性客がそれを鳴らした。
サスケがそれを目の端でしっかりと見て観察いる姿を、サクラは靄がかった感情を置いて吹き出しそうになったが、なんとか堪えてみせた。
こう言う所は昔と変わらず素直でないのだ。
素直に、説明してくれ、と言えば誰でも教えてくれる事を聞けない。
はい、かしこまりました。と低くも通る声の中年男性が、店の奥からゆったりとした歩でやって来る。
この西洋被れな店がくノ一達に受けているのが、何となくサスケにも伝わっただろう。
彼女達は幾つ歳を重ね様とも、子供の頃に憧れた[姫]の姿を忘れられない者達が程んどである事をサクラは知っている。
つい最近まで、己のその一人だったのだから。
それを何処か遠くの方で見ている気がする。
嬉しくて浮ついているのでは無い。それだけは確かだった。
(それなのに、どうしてこの店を)
彼は無理をしてこの店に入ったのだろう。
甘い物を好まないサスケが、この店に入るなぞ。切っ掛けすら無い筈だ。
サスケが何故この店を知っているのか。
それなりにくノ一達には人気の店である為、噂にはなっているだろうが。
いのか、同期生であり関わりのあるくのいちから聞き出したのだろう。
ほら、お前も選べよ。 サスケがテーブルに置いたメニューを押してサクラに渡す。
気持ちが落ち着かない今なら何を飲んでも同じ味に感じてしまい、濃いも薄いも分からないだろう。
何時もなら楽しみながら選ぶが、そんな余裕など無い。
仕方なしに、季節の葉のブレンドを注目する。
すると、サスケはゆったりとした動きで片手を上げ店員を呼んだ。
どうやら、彼は注目する品をもう決めていたらしい。
手を上げるサスケの横顔が、仄かに明るい橙色の電球に照らされ浮かび上がった。
彼の白い肌が丁度良い色に見えるのは、その所為だ。
鼻を啜ったのか小さくスンッと云う音を聞いた。
すっと通った鼻筋を見ながらぼんやりする。
目線をスライドさせると、サスケの烏の濡れ羽色をした髪の隙間から耳が見えた。
それを元にして、意識の中で記憶と重ね合わす。
(あ…耳の形…)
同じだ…。
意識した事も無かった、耳の形。
髪を伸ばし、隠され、見えづらくなった彼の耳も側部のフチが巻いて深かった。
そんなサクラは、周りの雑音に近い声すら耳に届かない。
斜め向かいの二人席に座るくのいち達が、サスケとサクラを見て目を丸くし。
ヒソヒソと口元を隠していたとしても、サクラは気が気でないのだ。
何としてでも、何かヒントを得らなくては。
同じ一族でもあり、そして、この世に蘇った火影達から直接マダラと云う人物の話を聞いた彼は、サクラにとって重要人物だった。
「サスケ君は、さ」
「何だ?」
ぽつりと零した言葉は彼に届いて居た様だ。
サクラに向き直り、話を聴く体制になったサスケを見て、矢張り昔より丸くなったと感じた。
「うちは、マダラについて。何か知ってる…?」
―今更って思うでしょうけど。何でも良いの。
情報が欲しくって。それに、綱手師匠も彼の事は詳しく知らないみたいで。
この賭けは上手く行くか手応えが感じられない。サスケはマダラの名を聞くなり顔を顰め、サクラから目を離してしまったのだ。
余程気に障ったらしい。
「俺は知らん」
(嘘、だ)
サスケは嘘をついていた。
この男は嘘を付く事に関して、恐ろしく才能が無い。
普段からポーカーフェイスを決め込んでいるが、それが一旦崩れるとズブズブと自ら深みへと嵌まり、抜け出せなくなる徹底的短所を持ち合わせながらも。
そして己に知られず、自分自身に嘘をつく事は天才なのである。
何とも複雑な性質なのだ。
「何で、世界に幻術を掛けようとかしたのか、とかね?それを決心させた切っ掛けとか、」
「俺が知る訳が無い」
-それに、考えた本人はもう居ないだろう。
全て終わった事だ。関係無い。
サスケはそれだけと吐き捨てると、運ばれてきた緑茶を一口含んだ。
然りげ無く、鋭い千本で心に小さな穴を開けられズキリと胸が痛む。
そう、居ない。それは変わらない事実だ。
彼は孤独の中、一度死に。
再びこの世に帰ってきては、痛みを引きずりながら帰っていってしまった。
世界が一つになったのを、遠くで見届けて。
ここで振り落とされてなるものか。此方は天から垂れてきた糸に縋る思いなのだ。
-…しつこくて、嫌だと思うけど、必要なの。
サスケ君は初代様達と一緒に、あの時来たでしょう?
…うちはマダラの…昔の話とか。そんなのは聴かなかった?
賭けだ。それも負ける率が高い危ない賭事。
サクラの師匠は賭けは滅法弱いが、サクラには自信があり。
ここが潮時だと勘が耳元で囁く事がある。
だが、今回は風向きが悪かった。
諦めてはどうだ。と、後頭部に響く低い声が聞こえた。止めてくれ、そんな声は聞きたくない。
そんな事は思ってなどいない。諦めたら、諦めたら、彼が、
([一人]を選択しなければ成らなくなる)
本当は誰よりも、寂しがり屋で有る筈の彼を引き止め、そしてその原因の元を探らなければ。
どんなに深い根だろうと、複雑に絡み合う蔦だろうと。
元を探ればしっかりと始まりが有るのだから。
サクラはサスケに見えないテーブルの下、己の膝のに乗せた手で、力と気合いを込めて拳を作った。
彼は諦めなかった。そして待った。
その結果が、あの戦争だ。
上手くけばもしかすると、戦争を無かった事にも出来るかも知れない。
戦争が始まる原因も緩和出来るかも知れない。
未来に、過去の課題を置いたままにしてはならない。
食い止める事が出来たのなら。
その鍵を握っているのは、不思議な時間旅行を繰り返すサクラ自身だ。
重いどんよりとした空気を悟られない様に、焼ける熱さを保つブレンドティーの飲み込む。
最早何の味で、何と何が合わさっているのかすら分からない。
サスケが逸らした目を再びサクラに戻す。
黒く、感情が分かりにくい瞳でサクラを見据えた。
(あっ)
サクラはそれを見て、またも彼から青年を透かし見てしまった。
(鼻の形。目の釣り上がり方。そっくりだわ)
思わず手を伸ばして、なぞりたくなる。優しく、ゆっくりと。
久しぶりね。今日はどうしたの?何を話しましょうか?何処かへ行く?質問を投げかけながらも、互いの肌に触れ合い想いに浸りながら、存在を実感する。
(駄目!なんて事を考えてるの私!最低よっ…)
「サクラ。お前、」
-誰を見ている。
言葉の意味を脳よりも逸速く理解した心臓が脈を早めた。
遅れて反応した脳が、サスケの言葉を頭の中で壊れたテープレコーダーの様に繰り返している。
[誰を見ている]。俺を通して誰を見ているのだ、と。
彼はサクラの瞳が映す陰りに気づいていた。
「少なくとも、[俺]じゃないな」
自傷気味な皮肉を潜めた笑みを向けられる。
久々に見た彼の[笑顔]はサクラの胸を抉った。
先程感じた、甘い痺れは片手を上げ去っていってしまった。
心臓が張り裂け血液が洪水を引き起こしそうだ。
潤した筈の喉の奥が、くぅと鳴る。
突き刺さる言葉は、両の手を広げてサクラの首を締め付けた。
サスケは言葉数が少なく、誤解を受けやすい難解で遠まわしに伝える時がある。
しかし、これは彼にしては珍しくも直球だった。
サクラは[サスケ]を通して[彼]を見ていた。
[サスケ]を見ていない。それをサスケは察知している。
自分を通して誰かを見ている、と。
サクラは泣きそうに鳴るのを、必死に抑えた。
きっと顔は無表情を気取っていたとしても、心の中に居るサクラは酷く顔を歪めていただろう。
[現在]か「過去]か。
見逃していた問題点が、サクラを背後から[言葉]と言う刃物で切りつけた瞬間だった。
-私は肝心な時に[くのいち]に成りきれない。
無力な女では終わりたくないのに。