その①
銃声が聞こえた。梅雨が明けて然程の時間が経っていない、快晴の日だった。
その時陸奥は、秘書艦として自室以外に与えられた執務室で、書類に目を通しているところであった。銃声が聞こえると、陸奥は書類を机の上に置いて、眉間を揉み解す。別段、文字を読み過ぎて目が疲れたわけではない。ただ、別の疲れではあった。
またか、と言いたげな表情を浮かべ、実際に「またか」と呟く。銃声の原因はある程度想像がついた。どうせ、源提督が乱心しているのであろう。最近、彼の趣味は鳥に対して拳銃を放つという、ある種の狩りのようなものになっていた。
「艦娘に対しての火遊びでないから別に良いが、もう少し大人しくなれぬものか」
特に気に留める様子が、陸奥には見られない。陸奥とて、昔は野の獣に向けて矢を放って狩っていた時期があるのだ。鳥にとってみれば酷い話だが、陸奥にとってはどうでも良いことである。鬼怒から寝物語を聞かされてる身としては、話題にする話ですらない。気になることがあるとすれば、銃声が煩いことぐらいだ。
「やれやれ、さて、もう一仕事やるとするか」
銃声のことは意識から外し、再び書類に目を通そうとした時、廊下をバタバタと駆け回る音がした。ドアに目を向ける陸奥。何かあったのだろうか、嫌な予感がする。
瞬間、一人の艦娘が駆け込んだ来た。鬼怒であった。
鬼気迫るという顔だ。何かあったのだ。それも尋常ではない何かが。もしかしたら、先ほどの銃声が事件を引き起こしたのやもしれない。陸奥は鬼怒の言葉を待った。
「扶桑さんが、撃たれた」
陸奥に強い衝撃が走った。
必死の形相と重たい口調の鬼怒に、嘘ではないことを理解する。そうと分かれば、こんなところで書類に目を通している場合ではない。陸奥は、椅子を倒しながら、勢いよく立つ。
「鬼怒、案内しろ」
「うん」
鬼怒が背を向けて走り出すと、陸奥も後に続く。
埠頭まで出ると、そこには十数名の艦娘たちが円となって何かを取り囲んでいた。円の中央からは、すすり泣く女性の声と、呻き声をあげる女性の声が聞こえる。
その円に陸奥が近付くと、艦娘たちが陸奥の名を呼びながら円を解いた。そして陸奥が見たのは、左胸を押さえながら苦しむ戦艦扶桑と、扶桑の姿に悲痛の声をもらす姉妹艦山城の姿だった。陸奥に気付いた山城が、嗚咽と共に言葉を吐き出した。
「助けて……お、お姉さまを、助けて……陸奥」
無論のことだ。
扶桑の下まで向かい、陸奥は片膝を地につける。
痛々しい姿だった。白の着物だからか、左胸の血染めが大層目立つ。その左胸を押さえている右手も、赤々としていた。顔には玉のような無数の汗が浮かび、美しい黒髪がべたりと貼り付いている。だが、陸奥は安心していた。
致命傷ではない。当たり所が良かったのだ。これならば、艦娘の身体能力を念頭に置けば命に別状はなかった。もう少しずれて、心臓部をやられていれば危なかったが。
その旨を話すと、山城の顔に笑顔が出て、様子を見守る艦娘たちの間にも安堵の空気が流れる。とは言え、何時までもこのままにはしておけない。
「誰ぞ、扶桑を医務室まで連れて行ってやれ」
名乗りを挙げたのは、当然と言えば当然の山城と、他二名の艦娘。彼女たちは扶桑を励ましながら、医務室へと向かって行った。
扶桑たちを見送ってから、陸奥は居並ぶ艦娘たちに鋭い視線をやった。
「何があった?」
「私が話すわね」
一歩前へ進み出たのは、軽巡洋艦の龍田だった。感情を面に出すようになってからは、いつもおっとりと破顔している彼女であったが、今回の件には苛立ちが隠せないらしい。手に持つ薙刀を、折れよとばかりに握り締めている。
「あなたのことだから、ある程度は想像ついていると思うけど、犯人はあの男よ。理由なんて知らないし知りたくもないけど、あの男は、突然山城さんに拳銃を向けたのよ。それを扶桑さんが庇った。私はその様子を見てるだけしか出来なかったわ」
龍田は陸奥を見つめて、まばたき一つせずに言い切った。
この時、陸奥は不甲斐ない気持ちでいっぱいだった。油断していたのだ。自分が鎮守府に来てから、大きな事件など起こっていなかった。自分がいれば一先ず問題は無いなどと、甘い考えを持っていたことがつくづく馬鹿らしい。そんな馬鹿らしさの所為で、みすみす扶桑という犠牲者を出してしまった。自分の甘さが恥ずかしいばかりだ。
陸奥は、もう一度ずらりと艦娘たちに視線を向けた。
皆、憤りを隠せない様だった。陸奥が鎮守府に来る前であれば、日常のありふれた光景として終わっただろう。しかし、感情を出すようになった今は、そんなこと出来ない。
拳を握りしめる者、歯を噛み締める者、鼻息を荒くする者とそれぞれ怒りが面に出ている。鬼怒もまた、地面の血痕を睨みつけていた。
「許さない。絶対に許さない。もう、我慢出来ない」
誰かが言った。
思いは同じなのか、同意を示すように頷く艦娘たち。不穏な雰囲気を放ちながら、示し合わせたように陸奥に視線が集まる。
陸奥は、深い恐怖を覚えた。彼女たちは自分に何を言いたいのだろうか。自分に何を言わせたいのだろうか。分からないわけではない。いや、分かる。望まれている答えを返すことは簡単だ。その答えは、この坂東鎮守府に安寧と秩序をもたらすだろう。
でも、それは敢えて考えないようにしていた答えだ。その答えを、彼女たちは言わせようとしている。冗談ではない。誰が軽々しくそんな答えを口にするものか。
鬼怒を見る。
「陸奥さん、決断の時だよ」
彼女がそう言っているように、陸奥には思えた。
まだだ。まだ、その時ではない。もっと他に、穏便な方法がある筈だ。それまで、それまで辛抱していてくれ。心の中で陸奥が言う。
陸奥は身体ごと振り返ってから、逃げるように歩き出した。その後を、鬼怒たちの視線が矢となって追った。ぐさりと強烈に突き刺さる。許さないという怨念が、陸奥に向けられているような、そんな気さえしてしまう。無我夢中で、陸奥は歩いた。
われを取り戻した時、陸奥は自室の中に入っていた。呼吸が乱れていたので整える。整えながら、先ほどの鬼怒たちの様子を思い出す。
(鬼怒は近いうちに、俺に謀反を起こせと言うに違いない。しかし、それは無謀と言うもの。あの男一人ではない。この国全てを敵に回すのと同義。暫く待て、別の方法がある筈なのだ。暫く待つのだ)
暫く、暫く、と陸奥は自分に言い聞かせるように呟き続けた。