事件より一ヶ月が経った。この一ヶ月、特に大きな問題はなかったものの、日ごとに不穏な空気が流れているようには感じる。扶桑を傷つけた源提督の蛮行に、これまでの遺恨を含めて報復してやろうという動きが、艦娘たちの間で出ているようだった。
そんな艦娘たちを、陸奥はそれとなく抑えてはいた。彼女たちも、後ろ盾の陸奥に止められてしまえば強行に及ぶ気はないらしい。表面上大人しくはしていた。
そんな緊張の日々が続く中、陸奥の姿は家族向けの飲食店にあった。何をするためかと言えば、無論食事をするためだ。この日は珍しく休暇だった。別に行く予定はなかったのだが、事件以来交流の増えた山城と龍田が是非にと言うので、だったらと訪れたのである。
広い店の中は、昼食時とあって人が多い。家族連れは勿論、恋人、友達、はたまた一人で食事をしている者も多くいる。この賑わいには、陸奥も感心するばかりだった。
店員に連れられた席に座って、食事を注文する。後は頼んだ食事が来るまで時間を潰すだけである。無料の水を飲みながら待っていると、山城と龍田が陸奥をじっと見ていた。
「どうした?」
「今日は付き合ってくれてありがとう。こうやって、あなたとゆっくり食事をしたいと思ったから、時間を貰ったわ。本当にありがとう」
山城が恐縮とばかりに頭を下げた。倣って龍田も頭を下げる。
「そのように頭を下げることではない。俺とて、お前たちとの飯は楽しみなのだ。今日は堅苦しいことも、日ごろの疲れも忘れて、美味い飯を堪能しようではないか」
実のところ、陸奥は二人に誘われて嬉しい気持ちでいっぱいだった。彼女たちが自分からこういう行動に出るようになったことが、嬉しかったのだ。
どうせだったら、鬼怒や他の艦娘たち皆で食べたかったが、彼女たちは仕事中だ。悪いが三人だけで楽しむことにしよう。そんなことを思っていると、龍田がムッと唇をすぼめた。
「陸奥さ~ん、今、別の女のことを考えてなかったかしら?」
龍田の意図が伝わったのか、山城も便乗する。
「私たちという女がありながら、ね」
拗ねたような物言いを受けて、陸奥はたじたじとなった。
別にお前たち恋人や妻ではないのだから、俺が何を考えてようが勝手ではないか。いや確かに、食事をしようという時に別の女のことを考えられるのは面白くないのか。そもそもなぜ、俺が鬼怒たちのことを考えてるのが分かったのだ。頭の中でぐるぐると思考を駆け巡らせていると、龍田と山城が悪戯成功とばかりに声をあげて笑った。
「ふふ、陸奥ったら真剣に考え過ぎだわ。冗談よ、冗談」
「そうよ。もう、陸奥さんたら、まるで男みたいに反応するんだもの。揶揄い甲斐があって、とっても面白いわ~」
二人してあまりにも愉快そうにするものだから、陸奥も馬鹿にされたと怒るより楽しい気分になって笑い声を上げた。
「お前たちは酷い女だな。いつか、とんでもない目に遭っても俺は知らんぞ」
「陸奥さん以外にこんなことしないも~ん」
「ほほう?」
陸奥がおどけたように言うと、三人はまた声を出して笑った。
ひとしきり笑ったところで、店員が注文の食事を持って来た。テーブルの上に並べられた三人分の食事から、湯気が立ち昇る。
陸奥は先ず、香りを目一杯鼻で吸い込んだ。焼き鮭や、焼き栗、茸の香りを嗅いでいると、昔の事が脳裏によみがえる。どれもこれも、蝦夷に馳走してもらったものばかりだ。彼らは、自分の子供のように可愛がって、良くしてくれた。その記憶が鮮明によみがえって来る。
香りを楽しんだ陸奥は、続いて味を楽しむことにした。舌鼓を打つと、やはり懐かしい味が飛び込んで来た。味付けはまったく違うが、それでも懐かしい。
「それにしても、暢気なものよね」
ふと龍田が、食事の手を止めてそんなことを言った。
「私たちが命懸けで戦っている間、この人たちはこうしてのんびりと平和な日常を満喫してるんでしょ? ほんと、暢気よね~」
吐き捨てる龍田の口元に、歪んだ笑みが出る。陸奥はその口元から、底知れない冷たさを見て取った気がした。ほんの数分前に、自分に向かられた温かさは一切ない。
仕方のないことだと思った。源提督という存在がある以上、人というものに対して、良い感情を持てないのは必然であろう。陸奥は龍田を咎めるようなことはしなかった。
「あら、龍田。そんな暢気な彼らのお陰で、こうして美味しいご飯が食べられるんだもの。別に良いじゃない」
山城が冷ややかに言った。
彼女も彼女で思うところがあるようだ。
こういう食事の席だ。多少の不満は外に出した方が良い、と二人に好きなよう言わせていた陸奥は、偶然、背後の席から漏れて来た話を聞き取った。
「深海棲艦も恐いけどよ、俺は艦娘ってのも恐いと思うね。考えてもみろよ。ミサイルとかでも倒せない深海棲艦を倒しちまうんだぜ。しかも、深海棲艦と違って陸でも普通に生活が出来る。もしも、深海棲艦がいなくなったら、矛先がこっちに向いてくるかもしれねえ。ちょっと機嫌損ねたら、大砲や爆弾が飛んで来るぞ。どころか、一発ぶん殴られただけでやばいんじゃないのか? このままじゃ、俺たち人間は、艦娘たちの御機嫌伺をしながら生きて行かなくちゃいけなくなる。下手をしたら、国を乗っ取られるんじゃないのか? そしたら、人間は皆殺しか、奴隷だな。俺はやだぜ、そんなことになったらよ」
この会話は聞き逃してはならない。そう直感した陸奥は、一言一句聞き逃さないようにと、耳を立てる。すると、男の話を冗談だと思ったのだろう、友達らしき者が軽口を叩いた。
「アニメか漫画の見過ぎだって。そりゃあ、深海棲艦とか艦娘とか現実の話とは到底思えないけどさ。現実じゃないと言えば、艦娘って、皆美人ばっからしいじゃん。良いなあ、誰か一人ぐらい俺の所に嫁に来てくれないかなあ。艦娘は俺の嫁ってか、はははは!」
「俺は別に笑い話なんかしてねぇって。マジで真剣に考えろよ。人類の危機だぞ」
「えっ? 美人の奴隷になるんだったら良いんじゃね? 寧ろ感激しちゃうかも。冴えねえおっさんやおばさんなんかにぺこぺこしてるより、美人のお姉ちゃんの方が良いじゃん」
友達が真剣になってくれないからだろう。男はこれ以上話を続けようとはしなかった。
ただ、友達は真剣にならなかったが、背後の席で聞き耳を立てていた陸奥は、真剣にならざるを得なかった。雷に打たれたような衝撃が、彼女の身体を刺激していた。
これは拙い話だ。この話の意味するところ、それは、源提督をどうにかしたところで、坂東鎮守府に平和は訪れない、ということである。そればかりか、深海棲艦を撃滅、あるいは和解しても、艦娘の戦いは終わらない。始まりだ。艦娘の生存を賭けた戦いの。
一般市民の中に艦娘を嫌悪する者がいるというのは、そういうことなのだ。陸奥は、自身を悩ませる問題が、さらに根の深い場所にあることを悟った。
「これはいかん」
「何が?」
無意識の陸奥の言葉に、山城が反応した。随分と箸が進んでいないから、どうしたのかと怪訝に思っていたらしい。
龍田も不安そうにしている。
どうもない、とは言えなかったが、二人に男の話を聞かせるのは愚策も良いところだ。話をしたら、人への悪感情を増して、しまいには、望み通り殺してやるとか言い出しかねない。話は胸の内に秘めておくことにして、
「提督のことよ。このままではいかんな、と思ってな」
そう、誤魔化した。
山城と龍田は、これ以上何も聞かなかった。折角の食事だもの。辛気臭い話は止めて、楽しもうじゃないかと思ったのだ。
以降は三人、食事を存分に楽しんだ後、街へ出て他の艦娘たちへの土産を買ってから、鎮守府へと戻った。