源提督は酷く機嫌斜めであった。と言うのも、陸奥に用事が合ったのに、その陸奥が鎮守府を留守にしているからだった。彼女は休日だとあって、同じく休日の山城と龍田と一緒に遠出をしているらしかったが、源提督にとってはそんなこと関係ない。休日だろうがなかろうが、俺が来いと言っているのに来ないのはけしからん、と憤っているのだ。
憂さ晴らしに艦娘の一人や二人をやってしまおうか、と拳銃を弄りながら陸奥の帰りを待っていると、陸奥が鎮守府に戻って来た。
「おい、陸奥を呼んで来い」
陸奥の帰りを知らせて来た艦娘に命令し、さらに待つこと数分。源提督の前に陸奥が姿を現したのだが、その佇まいに驚かされた。
何と言うか、覇気がないのである。顔も前を向いて、背筋はきっちりと伸びてはいるものの、瞳に輝きがないのだ。いつもは研ぎ澄まされ、澄んだ眼差しだと言うのに。
これは、遠出をした際に何かあったものと思われた。珍しいことがあるものだと、先ほどまでの憤りもどこへやら、ウキウキ、ニヤニヤとなって来る。
「陸奥、ただいま参上仕りました」
陸奥が深々と頭を下げる。
「そんな挨拶はどうでもいい。何かあったんだろ? 俺に話してみろ」
言われた陸奥は、一瞬何のことかと疑問であった。が、直ぐに、昼食の際後ろの席で男が話していたことが思い浮かぶ。そして、源提督に気付かれない程度に、嫌そうな表情をした。
あの話をしたところで、この男を笑わせるだけである。ここは適当にやり過ごしてから、とっとと本題に入ってもらうべきだと、顔を上げた。粘着質な視線が、陸奥に纏わり付く。
「面白い話ではございません。お耳汚しになるだけかと」
「面白いかどうかは俺が決めるんだよ。話せ、命令だ」
源提督の瞳の奥で、鋭い光を放つものが見えた。話さなければ話さないで面倒なことになりそうだったので、陸奥は話すことにした。
「では、お話いたします」
そうして、陸奥は今日の出来事を話した。
話を聞き終わった源提督は、案の定笑った。しかも嘲る様な嫌らしい笑いである。どうしてそんな下らないことで悩んでるんだ、と笑いで語っている。ただ、その対象は陸奥ではなく、話の男の方であった。
「馬鹿なことを言う奴もいるもんだな。艦娘が恐い? 艦娘に傷つけられる? 挙句には、艦娘が人間を支配するだって? ふんっ、馬鹿ばかしいったらありゃしねえな。そんなことあるわけねえよ。あいつらが人間様に逆らうような度胸があったら、俺はとっくに殺されてるっつうの。そんな度胸がねえ、根っからの奴隷根性だから、今があるんだろうがよ。おかしくって腹が痛くなりそうだぜ」
自分がその艦娘に殺されそうになっているとは露知らず、源提督は上機嫌に語る。
陸奥の瞳が侮蔑の色を伴った。度胸がないとか奴隷根性だとかは知らないが、心優しい艦娘たちに提督の抹殺を決断させるまで苦しめ続け、このような発言を恥ずかしげもなく晒す、この男が憎たらしい。汚らわしい奴め、と胸の内から燃え上がるものを感じ、
(お前が殺されておらんのは、俺が止めてやってるからに過ぎん。それもお前のために止めてやってるのではない、艦娘の未来のためよ。今に見ておれ、お前のような悪鬼は、遠からず天の裁きが下る。いや、この俺が下らせてやるわ!)
拳を握った。
そこで、はてなと小首を傾げる。胸の内に滾るどうしようもない感情といい、声出さず叫んだ言葉といい、握られた拳といい、自分は、まったく意識していなかった。ただ、無意識かと問われれば、それも違う気がする。不思議な感覚だ。
この時、唐突に鬼怒の顔が思い浮かんだ。
「陸奥さん、ようやく決断してくれたんだね」
鬼怒がそんなことを嬉しそうに言う姿が見えた様な気がした。
(何を考えていたのだ、陸奥。しっかりしろ! お前まで怒りの矛先が赴くままに、短絡的な結論を出そうと言うのか。艦娘の未来が掛かっているのだぞ、もっと冷静になれ!)
陸奥は自分で自分を窘めた。大した効果はなく、このままでは取り返しのつかないことになりそうであったので、咄嗟に別のことに意識を飛ばす。
「話はこれまでに、それよりも、何か御用件があったのでは?」
「ああ、そう言えば、そうだったな。まあ、何だ、ちょっと山口の方に用事が出来たんでな。ほら、藤原は勿論知ってるだろ。あいつが、俺と会って話がしたいって言うんだよ。本来だったらあいつがこっちに来る予定だったんだが、俺さ、自分の家に他人を入れたくないタイプなんだよね。ってことで、俺があいつの鎮守府に行くことになったんだ。それでよ、何かお前と適当に四、五体ぐらい艦娘を連れて来いってことらしいから、お前、来い」
思いもかけないことで、早々と陸奥の意識がこちらに飛んだ。
先ずは嬉しさである。ここのところは、鬼怒たちの存在もあって寂しさはなかったのだが、故郷に対する思いが消えたわけではない。帰りたいという気持ちもまだあるし、一度帰って故郷の空気を堪能したかった。姉は元気にしてるだろうか、弟子の弓はさらに上達したのだろうか、思いは馳せて行くばかりである。
けれども、その嬉しさは、驚きによってさっさと引っ込んでしまった。
一体この男は何を言っているのだろうか。どうしてわざわざ顔を合わせて会う必要があるのだ。今の時代は電話というものがあるのだから、それを使えば良いのではないか。
一応提督であるこの男と、秘書艦である自分が同じ時間帯を留守にするということですら問題なのに、さらに四、五名の艦娘も一緒。鎮守府の守りはどうすると言うのだ。
非常識極まりないことを言って、源提督も藤原も軽はずみなことをぬけぬけとする、藤原の秘書艦である大和の奴は何をしてるんだ、と思ったし、これでは姉の長門や妹分の加賀に久々に会えると素直に喜べないではないか、とも思った。
「ご用件のほどはよく分かりました。しかし、提督と私の二人が鎮守府より不在となるのは危険ではございませんか。指揮を執る者がいないと言うのは、また、四名ないし五名までもとなると、少々考え直した方が宜しいのではないかと」
源提督は、両腕を組んで思案する素振りを見せてから、大きな欠伸を一つ。
「気にしすぎだっつうの。そもそも今日、お前と他の奴らがいなかった時も問題無かったし、大体、過半数がいなくなるわけでもねえし、お留守番ぐらい出来るだろうよ。とにかく、もう決まったんだよ。用はこれで終わりだ。ごちゃごちゃ言わずに、準備をしろ。後、連れて行く艦娘はお前が適当に選んでおけ」
これ以上問答する気はないらしい。話を強引に切り上げられてしまった陸奥は、もう何を言っても覆ることはないだろうと説得を諦め、源提督に背を向け、部屋を後にした。
部屋を出てから廊下を歩いていると、陸奥は鬼怒の姿を見つけた。幻や気の所為ではない、本物の鬼怒だった。鬼怒は早足に陸奥との距離を縮める。
「陸奥さん」
陸奥の名を呼びながら、控えめに鬼怒は微笑んだ。
さっき、故郷のことを思い出したからだろう、鬼怒の姿が故郷の誰かに似ていると感じた。そうしてすぐ、加賀に行き着いた。
どこが似ているのかと言われれば、明確に答えは出て来ない。試しにポンと鬼怒の頭に手を置いて撫でてみると、恥ずかしそうに身動ぎする。加賀と同じ反応だった。加賀も頭を撫でた時は、恥ずかしそうに顔を赤らめ、でも嬉しそうにするのだ。そっくりだ。
まるで、姉妹のようだった。
(決まってしまったものはしょうがない。今は素直に、皆に会えることを喜ぶことにしよう。ふふ、加賀に紹介してやらねばな。お前に新しい妹が出来たと)
同行させる艦娘の一人を陸奥は決めると、他の面子はどうしようか、鬼怒の頭を撫でながら考えるのであった。