ここは緑に包まれた河川の上流域、渓流。
豊かな源泉に恵まれた渓流には多種多様な生物が共存し、競争している。大地だけでなく、湖や空や地中でさえも生物は生きている。
そう、ここは生物の楽園だ。同時に生存競争の激しい煉獄でもある。
そして私にとってここは数え切れないほどの夢が詰まっていたはずだった。でも今となってはただの見慣れた近所の仕事場。クエストを受けては立ち寄るだけの狩場でしかない。
いつからこうなったのだろう、と私は流れる雲を見ながら考えていた。あれほど緊張して野を歩き、新鮮な景色に心を擽られていたのが嘘みたいだ。
私があんなにも夢見た狩猟生活は味気なく、枯渇に苦しむだけなのかな。これが現実なのかな。
いや、そんな筈はないと私は意気込んで前を見た。
そこに見えたのは泡が宙を踊り、淡い青空へと飛んでゆく幻想的な景色。その中心に咲いた一輪の華。そう見間違うほどに美しく鮮やかな竜。
泡狐竜、タマミツネ。最近、この辺りに棲みついた所為でユクモ村の林業が捗らなくなった。林業の職人を襲いかねないのでやむを得ず狩猟することになった。
ハンターの本懐だ。願いだ。
さあ、剣を取って。
私は
◆ ◆ ◆
――やってしまった。
奇襲をかけるまでは良かった。だけど、その後の立ち回りをもっと丹念に考えるべきだった。タマミツネが放つ泡に弄ばれ、満足な動きができなかった。そのままタマミツネの独壇場になり、結局タマミツネを本気にさせることすら出来なかった。
いつもはもっと事細かに考えた筈だったのに。数日前から期待して夜遅くまで考えたことも沢山あった。
私は憂鬱になりながら痛いだけの足に包帯を巻きつけた。私は応急処置に使った血の滲んだ包帯を捨てて空が橙色に染まっていることに気がついた。
「あっ、お風呂……もういいや」
気乗りしない。私は頭の中で足が痛いから、用事があるからと口実を並べてベッドに背中を押し付けた。
何の面白みも感じない天井を見ながら私は一人考え込んだ。
ハンター駆け出しの頃の私は危なっかしくて青臭かったけど夢と希望に満ちていた。比べて今の自分はどうだろうと見直してみる。
ランポスぐらいならどうってことない。確実に実力はついている。今回のタマミツネ狩猟の依頼だってギルドマスターから直々に頼まれた。
でも、面白くない。
世界は広い。飛竜の代表とも呼ばれる天空の王者リオレウスや黄金に輝く電光を身に纏う無双の狩人ジンオウガなど魅力溢れるモンスターは山ほどいる。
だけど私には実力も経験も足りない。ハンターは命あっての物種だ。と、偉人ぶって言っても私は下位なのでそのクエストを受ける資格すらない。
「一層のこと、辞めてしまおうかな……」
何の気なしに呟いた私は次の瞬間に後悔していた。
ハンターを辞めて別の道を探すなど有り得ない。生活ができないのもそうだし、これまでの自分の夢を否定するのが我慢ならない。
私はすぐにそれを思い出して徐に本棚に手を伸ばした。一冊の古びた本。手慣れた位置、感触に私は心地よさを感じた。
暇さえあれば昼夜問わず何度も読み返した冒険譚。ほとんどの文章は一言一句違わずに暗唱できてしまうくらい私は読み込んだ。
私はこの物語に引き込まれてハンターを志した。
世界には氷の大地、砂の海、炎の洞窟。その数だけ生態系があって無数の生き物が息づいている。想像もできないような見たことのない景色が広がっている。決して飽き足りることのない物語がそこにある。
「世界は無限大だ」
私は記憶にしっかりと残っている文章を声に出してみる。すると、心にすっと入ってくる何かがあった。
足の痛みも忘れてしまうような心地よさに私はゆっくりと目を閉じた。
忘れてはいけない。私はまだ世界を知らない。
退屈なんて言っていられない。私は居ても立ってもいられなくなって足の怪我も忘れて借家を飛び出した。
向かったのは石段を上った先にある集会浴場。長い石段を上って改めて実感したけど足が痛い。それでも私は石段を駆け上って真っ赤な暖簾を潜った。
ほんのりと温泉の匂いが漂う集会浴場。先ほどクエストを失敗したと報告するために立ち寄ったばかりだが、中は少し変わって見えた。
それもその筈。私は中央に備えられた食卓に見慣れないハンターがギルドマスターと話していたのを見つけた。
(流れの人かな……?)
ハンターの中には流浪する者もいる。ギルドを介さずにハンターを名乗る者達のことだ。単に属さない者もいればギルドを嫌っている者もいる。生態系を崩す迷惑なハンターも時々いるようで異端者と忌み嫌う者も多い。
でも、どうやら彼は流れのハンターではないらしい。会話を盗み聞く限り、要請されて迎えられたハンターらしい。
この時の私はまだ引きずっていたらしい。きっと私は卑屈になっていた。だから、彼が来た理由が私の
ギルドマスターは失望してしまったのかな。私はやっぱりハンターに向いていないのかな。所詮、私の夢は絵空事なのかな。
「――ッネ……シズネ!」
「は、はいっ! 何でしょうかっ?」
突然、我に返った私の声は驚くくらいに裏返った。少し経って目の前がはっきりしてきて私は私の顔が真っ赤になったのが分かった。
やれやれ、といった様子のギルドマスターから察するに私はずっと呆然としていたらしい。どれくらい私は呆けていたのだろう。考えるだけで顔が熱くなる。
ふふっと小さく笑い声が聞こえて私は顔を伏せながら横目で見た。この辺りでは見慣れないハンターが口に手を当てて笑っているのが見えた。
恥ずかしい。記憶を抹消したいくらい恥ずかしい。
「こほん、話を続けるよ。彼はセン君。君にはこれから彼とパーティーを組んでほしい」
「えっ、パーティーですか? あの、それは……その……」
私はこれを断れる立場なのか。意見を言って良いくらいハンターとしての実力があるのか。そんな考えが私の頭を過ぎった。
途端、私の言いたい言葉は引っ込んで気持ちは萎縮してしまった。
「分かりました。あのっ、お見苦しい第一印象でしたが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
「うん。お互い頑張ろうね」
差し伸べた私の手を握ったのはあまりにも小さな手で私は驚いた。
よく見るとセンは私よりも小柄で年下のようにも思えた。柔らかな声。おっとりした碧目に平凡な茶髪。私は彼に強さとは真反対のような印象を受けた。
私は値踏みするような目で防具を見た。見たことのない意匠だ。防具と呼ぶにはとても軽装で頑丈さに関しては頼りなさそうな感じがする。
彼が武装していなかったら私は子守りを任された、と思うだろうな。
「気になるかい? 僕の格好」
「あっ、その……見たことない防具だなあって」
「特注なんだ。見ての通り、僕は体が小さいからね」
そう言うセンの目は私にはどこか悲しげに見えた。
ハンターの外見は重要視される。例えば身に着けている武器や防具は自分の強さを示す宣伝の道具にもなる。体つき、雰囲気、人柄も重要だ。私みたいにユクモ村みたいな小規模での活動となるとそこまで見られないけど、街では必須になると思う。
そういう意味で小柄なセンは不利なのかもしれない。そういう私も性別という点で他人事ではないのだけれど。
「私も分かるよ、困っちゃうよね。私も女だからってよく色々と言われるの。そんな時、私は何だと~って言い返しちゃうんだけどね」
「ああ、そういう意味じゃなくてね。ほら、彼らは大きいから――僕は羨ましいんだ」
「彼ら……?」
私はセンの言葉を聞いた時、一瞬だけ違う世界を生きている気がした。彼の目は眩しいくらいに輝いていて言葉の意味は分からなかったけどその輝きが今の私には足りないような気がして羨ましかった。
重なるなあ。昔の私と、今の彼が。
「あっ、そうだ。僕にユクモ村を案内してよ。ほら、ご当地名物ユクモ温泉たまごとかさっ」
「でも、もう夕暮れだよ?」
「うーん、残念。じゃあ、シズネの家に連れて行ってよ。そこでユクモ村の話をしてほほしいな」
「えっ、でも……まあ、いっか」
私は初対面の男女が夜に同じ屋根の下にいるのはどうか、と考えたけどセンは年下――年齢不詳だけど――だから大丈夫、と納得した。
センは早速、と言った様子で何が待ち遠しいのか早足で集会浴場を出て行った。私はギルドマスターに一礼してから痛む足を庇いつつセンの後を追った。
「あっ、この本」
片づけ忘れた私の大好きな冒険譚の古本を見てセンが甲高い声をあげた。
私はセンのその反応を見た時、気持ちが高ぶって思わず前のめりになっていた。
「知ってるのっ!?」
「うん。大好きなんだ」
「私も、私もね。大好きでね、でも、共感できる人がいなくて、すごく嬉しい!」
「そうなんだ。素晴らしい作品なのにね。特にこの作者は彼らのことをよく知っていてしっかり描いているところが凄く良いと思うんだ」
「うん、うん。私はね、この本に描かれた氷の大地とか砂の海とか夢一杯の世界がとても好きなんだ」
思いがけない好みの一致に私は先まで落ち込んでいたことを忘れるくらいに興奮した。
それから私とセンは晩飯を食べることも忘れて本の話で夜遅くまで盛り上がった。思い出してみれば近所に迷惑になるくらい大きな声だったかも。
結局、センは絨毯の上で寝てしまい、私も話し疲れてぐっすり寝てしまった。朝起きて聞いたことだけれどセンに借家は用意されてなかったみたい。最初、躊躇していたけれどセンとはもっと本について話がしたい。共感できなかった年数分だけ話し込みたいから一緒に寝泊まりすることになった。
そして、私は足が完治するくらいの日数をセンと過ごした。彼がここを訪ねた本当の目的のことも忘れてしまって。本当は一番に私が頑張らないといけないことを後回しにして。
でも、時間は待ってくれない。センと過ごす日々が楽しかった分、その日はあっという間にやって来た。
◆ ◆ ◆
(しがない旅人、かあ……)
今朝、みたらし団子を嬉しそうに頬張るセンに訊いた質問の返答を私は頭の中で再生していた。
私は小さく切り分けたこんがり肉に息を吹きかけながらセンを盗み見た。同じく私と折半したこんがり肉を美味しそうに食べるセン。
旅をしている割に日焼けをしていない白い肌。屈強なハンターとは思えない体型と雰囲気。彼をハンターだと思ったのは温泉に入るときに見た傷跡くらいだ。
何か訳があるのかな、と何度か思ったけど訊く気にはなれなかった。誰しも聞かれたくないことはあるって言うから。
そういう私も最近、業績が右肩下がりで上手くいっていないことを隠している訳で。
「支給品、確認するよ」
「あ、お願い」
先に食べ終わったセンはこんがり肉の匂いが広がらないように処置してから支給品ボックスに歩いていった。
私も急いでこんがり肉をお腹の中に詰め込んで準備をする。
先ず防具の確認。青熊獣、アオアシラの甲殻や腕甲を使った防具だけど脚の部分はタマミツネに徹底的に壊されたのでユクモノハカマを代用している。愛着湧いていたけどこればかりは仕方がない。
武器は鉄刀【神楽】。いつか凍刃って太刀にしたいのだけれどこんな私では凍土に行くことは叶わない。でもいつかは行きたい、と思っている。
兜を被る前に真っ黒の髪の毛を後ろに束ねる。黒い長髪にライトブルーの目。湧き水を鏡代わりにするのが私の中で密かなお約束。いつの間にか癖付いていた。
「よしっ」
「僕も終わり。はい、シズネの分」
「ん、ありがと」
渡された革袋の中身を覗き見てから私は腰に巻かれた紐に結び付けた。応急薬と砥石が少々、支給専用の閃光玉とペイントボール。今回はしっかり二人分だけ支給してもらっている。
準備は万端。私にとってはこれがリベンジ戦になる。気温もちょうど良いくらいで足の怪我も気にならない。何より、その実力は分からないのだけれどセンがいる。
私は負けた感覚を払拭したくて大きく息を吸い込んで気を引き締めた。
「よし、行こう!」
まるまるです。
並行して執筆している拙作がありまして、しばらく狩猟描写がなく飢えた作者は少女とタマミツネが戦う場面を落書きぐらいに書いていました。決して少女を戦わせるとかそういう趣味じゃないので。いや、本当に。
この作品はその落書きにストーリー性を加えたものになっています。そんな感じで成り立ちは適当なので緩い感じで読んで頂けたらな、と思います。
タグにある通り短編で終わりは呆気ない感じになるかと思いますが打ち切ったとかじゃないので。
ちなみに作者は一人称が初めてでぎこちないところが多々あるかと思います。もちろん、一人称の話に限らず気が向いたら是非、感想の方、お待ちしています。