彼女、シズネと過ごした日々はこの上ないくらいに楽しかった。
いつぶりだろう、と思い巡ってみたけれどそれは遠く古い思い出だった。しばらく思い出さなかった懐かしい記憶はまた僕の心にそっと寄り添ってくれた。
『いつか必ず君を認めてくれる人が現れるよ』
君が信じて、と言ってくれたから僕は君に信じて欲しい、と思った。
そして、君は信じて待っていた僕のところへその身を削ってまで来てくれた。
僕はずっと君を信じて待っていた。だから、どうか君を信じていた僕を信じて。
染まってしまう僕を信じて。どうか、僕を怖がらないで。
僕の意識が押し潰されていく。いや、僕の意識が段々と塗られている、と言った方が正しい。
僕の心が段々と遠くなる。端から順に、ゆっくりと塗られていく。徐々に体の感覚がおかしくなっていって爪が尖り、牙が伸び、小さな体が大きくなって殻を破ってゆく。
眼を閉じ、瞼の裏に見えたのは海の中の景色。大好物の魚を食べて満腹、海から這いずって陸に上がる。そこでいつもの遊戯。透明な泡を従わせて優美に中心で戯れる。
優雅な景色を見ていたその時、まるでスイッチが入ったみたいにぷつんと何かが切れて僕は目を開いた。
真っ白だった僕の心に色が――染まる。
体をどう動かせばいいのかが手に取るように分かる。まるで、生まれた時からそれを知っていたような気分だ。
尻尾の薙ぎ払い。僕はその攻撃を熟知している。だから簡単に避けられるし、おまけに反撃にも打って出られる。
タマミツネが滑走して離れていく。勢いをつけて突進してくる算段だろう。させないよ、と僕は平然とタマミツネの隣を同じように並走する。一瞬で過ぎてゆく僕の視界の中でタマミツネだけがくっきりと視認できる。
ぎょっと目を見開いたタマミツネが逃げるように旋回する。僕もすぐに体を捻って角度を調整して追いつく。
そして、勢いよく飛びついた。慌てふためいたタマミツネは制御を失って岩壁にもの凄い速度で突進した。僕は即座に飛び降りて水辺を何度も転がる。
「グルルルゥゥ」
僕は唸った。警戒を怠っていないぞ、と知らしめるためだ。力の差を見せつけるためだ。
それでも、多分、タマミツネは対抗して咆哮してくるだろう。僕も多分、そうするから。
予想通りタマミツネは平静を装って現れ、吼え散らかした。びりびりと伝わってくる空気に僕は負けまいと吼え返す。
先に仕掛けたのはタマミツネ。僕に向かって一直線に跳びかかって来た。僕は後ろに跳んで間合いから外れ、タマミツネが着地すると同時に今度は僕から跳びかかる。
右の剣を振り下ろし、立て続けに切り苛む。
「ギャゥウッ!?」
多分、タマミツネはこれを予期していなかった。驚愕の声色が僕の耳に響いてくる。そこからは恐怖ともとれる感情が込められていた。
僕の耳を刺激するタマミツネの悲鳴。同じだからこそ、知っているからこそそれは犇々と伝わって来た。
止めてくれ、殺さないでくれ、と。
それでも僕は斬り続けた。泣こうが、喚こうが僕は剣を振るい続けた。
分かる。身勝手だよね。その気持ちは誰よりも分かってあげられる。僕も苦しいよ、辛いよ。でも、僕はハンターで君はモンスターだから狩らないといけない。
ごめんね。どうか、安らかに眠っておくれ。
僕の体へと血が弾け飛んだ。
血の臭いが纏わりつく。まだ体の感覚が狂っているみたいだ。
意識が混濁としている。僕はいつも戻る時、自分の記憶を巡っている。
『人の皮を被りやがって! この化け物め』
『気味が悪い。二度とここに立ち寄らないでくれ』
思い出されるのは酷い罵倒の数々。どんなに親しくなっても、どれだけ普通に振舞っても誰も本当の僕を認めてはくれなかった。
普通じゃない僕がこんなことを言うのはおこがましいのかもしれないけれど僕は普通でありたい。僕を普通だと認めてほしい。
それが望めないのなら神様。僕を
まだ意識が覚束なくてシズネの姿が確認できない。シズネはどう思っているのだろう。拒絶されたら、怖がられたら、シズネが変わってしまったら僕はまた独りになってしまう。
シズネの足音が近づいてくる。僕は不安に押し潰されて目を閉じてしまった。
「セン、大丈夫!?」
そんな不安は呆気なく吹き飛んだ。
まだ意識が混濁していて僕が聞き違えたのかもしれない。恐る恐る僕は口を開いた。
「ど、どうして……?」
「どうしてってセンがとても辛そうにしてるから。えっと、何かあるなら相談してほしいな。私、センに頼りっぱなしだったから力になりたくて……」
照れくさそうに顔を赤らめるシズネはいつもと変わらなくてこんな僕のことを心配してくれて。思ってもみなかったから僕の中で不安と驚きと嬉しさが錯綜する。
「僕が……怖くないのかい?」
「怖くなかったって言ったら嘘になっちゃうかな。でも、今はただのセンだし、優しいセンを私は知っているから今は全然怖くないよ。それに……すごく格好良かった。だって、あんなの初めて見たし、やっぱり私はまだ知らないことだらけなんだなあ、って……えっ?」
知らぬ間に僕の目から涙が零れ落ちていた。
「!? 本当に大丈夫?」
「大丈夫。嬉し泣き、だから……」
「そ、そっか。じゃあ、何かあったら言ってね。こんな私だけど……力になるから」
そうだ。思い出せ。僕の中にあるのは辛く苦しい思い出ばかりじゃない。
『僕が君を認めたことを忘れないでくれ。そして、この広い世界で君を認めてくれる人が、必ずいることを忘れないでくれ』
やっぱり、君の言うことは正しいみたいだ。
神様。僕はもう自分を偽るのは止めることにします。
だから、先の願い事を聞かなかったことにして下さい。僕はやっぱり、シズネと同じ人間でいたいです。
◆ ◆ ◆
私達はタマミツネの狩猟を終えて無事にベースキャンプに帰って来た。
辺りはもう三歩先が見えないくらい真っ暗だ。頼りの照明である三日月は薄い雲で見え隠れしてしまっている。
私は夜の渓流が初めてだ。いつもは夜に来る意味がないし夜まで長引いてしまうこともない。だから私はユクモ村の外で夜を過ごしたことがない。
時折、聞こえてくる遠吠えと木々の騒めき。近くで物音がする度に私は布団の中でびくっと動いて目をぎゅっと瞑っていた。
夜の渓流がこんなに怖いとは思ってなかった。怖くて眠れない。センはもう寝ちゃったのかな。
不安に押しつぶされそうになった私は丸まったセンの後ろ姿に思い切って声をかけてみた。
「セン……起きてる?」
返事は返って来ない。寝ているみたいだ。私は布団の中で手探りしてセンの手を借りようとしたけど止めた。起こしちゃったら迷惑だろうしそれに起きたら起きたで恥ずかしい。
私は仰向けになって満天の星を見上げた。点々と光る星空には時々、流れ星を見ることができた。そうすれば少しだけ怖さが薄れるような気がしたから。私は怖さを紛らわそうと思いに耽った。
私はまた少し強くなれたのかな。あのタマミツネと互角に戦えたのだから少しぐらいはそう思いたい。
はっきり言ってリタイアも考えたけれどしなくて良かったと思う。生きて帰ることが原則なハンターという職業からしてみれば私の選択は間違いだったのかもしれない。
でも、センのことがあったから今まで薄れてしまっていたけれど私は久しぶりに生き返った気分だった。一杯に汗を流して、生き残る為に考えて、訳が分からなくなるくらい走っていたあの時の私は自信を持って生きていた、と言える。
時間が過ぎていくだけじゃなくて私はお腹の底から呼吸して一生懸命に心臓を打った。今までにないくらい私は生きていた。
(私はハンターなんだなあ……)
と、改めて感じた。
多分、いや、きっと。こんな機会をくれたのはセン。私は寝返りを打って星空から目を離してセンの後ろ姿を見た。
「私ね。センに会えて良かったなって思う。退屈な時間がなくなって、閉じこもっていた私の世界が広がって久しぶりにわくわくできたから。きっと、センの旅についていったらまだまだ沢山楽しいことがあるんだろうけど私はこんなだから迷惑かけちゃうかな。それにユクモ村も心配だしね。だから……私がもっと強くなったらセンの隣で胸を張って旅がしたいな。……って、聞こえてないよね。えへへ、誰に言ってるんだろう、私……」
どうか、この想いが続きますように。願いが叶いますように。そう思っていた私は多分、神様か流れ星に向けて言ったのかな。
夜の空に光っていただけの小さな星がこんなに綺麗だったなんて。
初めて過ごしたベースキャンプでの夜はとても怖かったけれど綺麗な星空を見た感動を私は覚えていたい。
知らないことだらけのこの世界で、また少し私の世界が広がった気がする。
◆ ◆ ◆
タマミツネを狩猟して渓流の環境が安定してからもセンはしばらくユクモ村に残り続けていた。
定期的にやって来る飛行船に乗るまでの間、残るというだけでまたどこかへ旅に出かけるらしい。私は思い切って旅の目的を聞いてみたのだけれど覚えていない、と笑って誤魔化された。
センといる時間はとても楽しくて私としては残ってほしいけれど我がままは言いたくないし、センを困らせたくない。
だから、私はお別れの時間が迫っていることを忘れて今の時間を楽しんでいた。
暇があるのなら私はいつもセンと一緒にいた。気のせいかもだけどセンはよく自分の話をするようになった。故郷での狩猟生活とか、旅路で見たモンスター達の話とか。
だから、私もハンターになった頃の話やユクモ村の話をセンに話した。
センと一緒にいる時間はとても楽しくて毎日が退屈だった時が嘘みたいだった。
それでも、いや、だからこそかな。お別れの日はあっという間にやって来る。
「明日……だね」
ハチミツを採取するクエストを受けた私達。その帰り道で私は思わず言葉を落とした。
雰囲気が少し寂しくなる。センは私のことを見ずに空を見上げながら答えた。
「そうだね。早かったなあ……」
私から切り出したのに言葉が見つからない。この時を何度も頭の中で予行練習したはずなのに本番になった途端、どんな言葉をとってみても物足りない気がした。
結局、私とセンの間には沈黙が流れてユクモ村へと進む足の音だけが私達の間に聞こえていた。
時間はあっという間に過ぎてしまう。気づいたら明日になって何もなしにお別れは嫌だ。今ここで言わないと私は一生後悔する。
私は思い切って何を話すかも考えずに口を開いた。
「「あの――っ」」
私の声とセンの声が重なってしまう。折角、湧いてきた勇気が私の中に引っ込んで私は口を噤む。
そんな私の様子にセンは先立って言ってくれた。
「じゃあ、僕から……」
センは足を止めて一拍置く。
私はつられて足を止めて振り返った。やたらと大きい夕陽の真ん中に立つセンのシルエット。思わず目を眇める。
「僕と旅をしてくれませんか」
思いがけなかった。いや、実際は心のどこかで期待していたのだから思っていたのかもしれない。
でも、それでも――嬉しくて。そして、悔しくて。
「そ、そのことなんだけど……っ! 私はまだまだハンターとして未熟でセンに迷惑ばっかりかけちゃうし、それにユクモ村の人達にも全然恩返しができていなくて……だから、ね――」
「――僕は……君の本音が聞きたい。ああ、行く先かい? 先ずはロックラックへ行く。そこで砂上船に乗って砂の海を見たい。それからはそうだなあ……凍土に行こうかな」
私はセンに、凍土に行って鉄刀【神楽】を凍刃に強化したい、と伝えたことを思い出す。センは覚えていてくれた。
「先に凍土に行きたい。それだったら……ついて行きたいなっ」
私は意地悪っぽく笑って言った。
「決まりだね。これからもよろしく、シズネ」
「よろしくね。セン!」
◆ ◆ ◆
どんどんとユクモ村が小さくなってゆく。
視界一杯に広がるのは私がいつも見上げていた大空。
いつも行っていた渓流があんなに小さく見えるなんて。空からの景色がこんなに綺麗だなんて。雲が掴めそうだなんて。
私は胸のドキドキが止まらなかった。何が見られるのかな、どんな人と会えるのかな、どんな生き物がいるのかな。
私は冒険譚の中でも大好きな一節を思い出していた。
氷の大地、砂の海、炎の洞窟……世界は不思議と魅力で一杯だ。
君の世界は果たして狭いだろうか。否、広いだろうか。
私は考える。世界は無限大だと。世界は時間と共に姿を変えてゆく。砂漠が昼に暑く、夜に寒いように。山に雪が降り積もり、緑が芽吹くように。命が命を産み落とし、また果てていくように。
私は世界を旅する。未だに私は空の果てを、海の底を、地の終わりを見たことがない。
見たいと思ったのなら、行きたいと思ったのなら、会いたいと思ったのなら
さあ、旅をしなさい―――――
私は目を閉じながら流れてくる風を感じていた。もうユクモ村は見えない。それでも飛行船の下にはまだまだ世界が広がっている。
隣で柵に身を預けていたセンが突然、話しかけてくる。私は目を開けてセンを見た。
「シズネ……」
「ん、なに?」
センは真っ青な大空を背負うかのように手を広げて、とても純粋で、見るだけで楽しくなるような笑みを浮かべた。
「ようこそ、モンスターハンターの世界へ――――」
まるまるです。
二人の旅はこれからだ、というよく見る終わり方ですが、如何だったでしょうか。少し急ぎ足だったかもしれませんね。
ここで少し二人の名前について説明を。
シズネについて。
彼女に関してはあまり深い意味はありません。ユクモ村は和風のイメージがあるので日本人よりの名前にしたいな、と思っただけです。あとはサ行を入れたいな、と思い、シスナやシーア、シカネと候補を並べた結果、シズネに落ち着きました。
センについて。
彼の名前は「染まる」の訓読みをそのまま使いました。四話最初辺りに、真っ白だった僕の心に色が染まるという表現があります。詳しくは番外編になるかと思いますが、センは真っ白な自分の心を別の色に塗り替えることで変化しています。
まだ回収し切れていない伏線もありますので良ければ、番外編も読んで頂けたら幸いです。
それでは。