意識の覚醒。泥沼から這い出るかのような、体の気怠さを感じながらローズは目を覚ました。
しかし、視界は真っ暗だった。
「――っ!? んんっ!?」
声も出せない。視界も口も塞がれ、身動きもまた封じられていた。
「よぉ、目覚めたか、『監視者』」
声を掛けたのは雅だ。そしてその背中に隠れるようにして『ラヴ』もまたそこにいた。
場所は屋敷の地下牢。少しばかし『ラヴ』が楽しげなのは、かつてはそこに『ラヴ』自身が囚われていたからだろう。報復という訳ではないが、そこにローズが囚われていることが少しばかり面白いのだ。
そしてローズは微かな息遣いや匂いなど、全身の感覚を鋭敏化させてローズの存在を感じ取り、まるで見えているかのように顔を向けた。
「ッ!!」
「…………。ったく、だから嫌いなんだよ、こういう奴ら」
言って雅は口を塞いでいたハンカチを取る。哀れみ、或いは同情にも似た視線を雅はローズに向けていた。
ローズは口を塞ぐものがなくなった瞬間、雅の手に噛み付いた。肉を引き千切らんとする勢い。下に見るな、という警告だ。しかし、雅は一切の抵抗を見せず、滲み出した血を淡々と眺めていた。
この程度、『あの時』に比べれば屁でもない。余裕の笑みを浮かべて雅は少しからかう。
「どうだ、半吸血鬼の血の味は?」
「ッ」
言葉と同時にローズは血を吐き出し、ぺっぺっと残りを全て吐き出そうとする。
「所詮、半吸血鬼だ。血を飲み込んだくらいじゃ、吸血鬼にはならねぇよ。傷が回復するくらいだ」
ふふっ、と雅の後ろで『ラヴ』が笑う。
「……何が、目的なの?」
ローズの問いに雅は少し困った顔をする。特に何をするかを決めている訳ではなかった。唯、屋敷の前でローズが死なれるのは夢見が悪いし、とはいえ野放しにここに置いておくと『ラヴ』の行動が阻まれる。それだけの理由でこうしているだけでだった。微妙な沈黙の間に『ラヴ』は音もなく霧となって、ローズの体に気付かないくらいの速度で体重を掛けていく。気が付けば『ラヴ』はローズに絡み付いた状態だった。
そして耳元でそっと、ごく当たり前のことを囁く。
「何だと思う?」
「ッ!?」
ビクッと、ローズは体を強張らせる。蛇に睨まれた蛙、といった状態だ。しかし、実際は吸血鬼に絡み付かれ、舌を首元に這わされているのだから、数段階程状況は悪い訳だが。
「レイ、やめとけ。そいつにとっちゃお前は、凶悪犯罪者みたいなもんだ。あと何かエロい」
「吸血鬼に性欲はないけれど、半吸血鬼にはあるんだね。不思議だ」
「吸血行為自体が、そういうことじゃなかったっけか、確か」
「それは時と場合による。食事でもあるし、性行為でもあるし、はたまたもっと原本的本能でもある。――らしい」
「さいでっか。……とりあえず、離れてやれ」
「分かった」
小さく頷いて『ラヴ』はとたとたと雅の元に歩み寄る。露骨に、ほっとローズは肩を下ろした。足元まで来ると身長差が三分の二くらいだと明らかになった。見た目だけで言うなら兄妹のようだ。
しかし、立場は『ラヴ』の方が上だ。アイコンタクト、視線を送るだけでその意図を理解した雅は、やれやれと溜息を吐いて、胡座をかく。『ラヴ』は雅が組んだ足の上に胴体を背もたれ代わりにして、ちょこんと座った。
「さて、よく見ろ。これがお前達が忌み嫌ってきたご先祖様だ。なぁ、お前、こんな奴を監視する為だけに一生を費やすのか?」
「あ。酷いなぁ、餌のくせに」
後先を考えずに行動するのは、雅の悪い癖だ。
雅にとっては、唯の何気ない質問でしかない。これからローズは『監視者』としての役目を、数十年間送ることになる。それを良しとする人生観が、当然雅にはない。それ故の問いだった。
しかし、それはローズにとっては逆鱗だった。
「ふざけるな! お前に何が分かるんだ」
激高と同時に銃弾が一発、雅の右肩を貫通した。強烈な威力のせいで着弾と同時に当たった右肩が脱臼する。だが、同時に『ラヴ』が動いていた。いや、正確に言えばローズよりも『ラヴ』の方が行動は早かった。
ローズの行動を先読みしての行動。しかし、予測よりも数秒早いローズの行動のせいで、雅の頭部を狙った弾丸が肩に逸れたのだ。そして、その後ローズは両手を『ラヴ』の小さな方手で掴まれ、背中を足で抑え込まれた。
「…………」
はぁ、と溜息を吐く。肩に穴が開いていたのは一瞬だけ。即座に傷は塞がり、脱臼もまた自然と治っていた。ローズと『ラブ』、両者の行動に雅は一切の反応ができなかった。もともと、反射神経や運動神経は良い方ではない。
「とりあえず、殺すなよ、レイ。約束だろ」
「……うん。だから、はい」
掴み上げていたローズの手から銃弾を奪い取り、雅に投げ渡した。
「んなおっかないもん、投げんな!? バカか!?」
「大丈夫だよ。頭みたいな複雑な部分に当たらなかったら、雅は雅のままだから」
「頭に当たったら俺じゃなくなるってことだろ!?」
はぁ……、と雅は頭を抱える。不老不死、無敵の吸血鬼様は生命を脅かされることがないせいか、危機管理はどうにも苦手なのだ。しかし、雅に溜息を吐かせた原因は別にあった。
それは一つの想定だ。雅はローズの体、服を調べ、最後には口を無理矢理に開ながら、その想定を確信にへと変えていく。
「手錠抜けの技術、ハンドガンの早撃ち。腰にはニトロ爆薬か。両足元には投擲用のナイフがそれぞれ十本、靴は改造済みで底にナイフ、踵には火薬を積んで脚力を上げてるってところか。んでもって、右奥歯に仮死薬、左奥歯にその毒の解毒薬」
淡々と雅はローズの服にそして体に仕込まれたもの、そしてローズの得意な攻撃手段を暴き出していく。
「次起きた時、お前は病院だ。んで、よく考えろ。――お前はそれでいいのか? 人間でなく、人形で」
ガッと、雅は一度躊躇ってから、ローズを拳銃のグリップ部分で殴った。角の鉄の部分で殴ったのだ、出血は酷くローズの意識は一瞬で掠め取られていた。雅はその後に、自分の腕を引き千切り、まるでコップから水を零すかの如く、腕の中の血をローズに掛けた。雅の、半吸血鬼の特徴――傷の高速修復。その後使った右腕は意識するだけで喪失し、また同時に肩から先ににゅぅと生えてくる。相変わらずピッ◯ロだなと他人事のように雅は思う。
傷は治っても意識は数日は戻らないはず。雅はローズが仕込んでいたあらゆるものを外していく。
「たかが十五歳が、手錠抜けやら早撃ちやらを覚えていい訳がねぇんだよ。千年も、こいつらはこんなことをずっとやってんのか、バカらしい」
「……雅、千年じゃないよ。九百五十六年だよ」
吐き捨てるような雅の言葉に、ローズは無意味な訂正をする。そしてその訂正は補足になっていた。『ラヴ』の子孫達は九百五十六年間、ローズのような不遇の人間を生み出し続けていたのだ、と。
「さいでっか。……ちょっと、こいつを偶然発見して救急車を呼んで病院に運ばれるのと見送って来るわ」
「分かった。待ってる。ちょっとお腹空いてるから早く帰ってきてね」
「今日は俺が気を失うまで食っていいぜ。そうでもしねぇと、寝られねぇだろうからな、今日は」
「ほんと? やったー」
「せめて抑揚くらいはつけてくれよ」
そう言いながら、雅はローズを抱えて屋敷を出ていく。
こうして西条雅とアビー・ローズ・ヘイリムズの出会いは、最悪の形で終わった。
これはまだ一年も前のこと。西条雅もローズも十五歳、中学を卒業した後、高校に入学する前の微妙な時期の出来事だった。
アビー・ローズ・ヘイリムズ。名前に特に意味はない。けど、カッコイイよねぇ、ミドルネームって。アビーの家系では「役目」によってミドルネームが決まるという裏設定。
亨と耀をそろそろね。書きたいよね。