復讐者ーーー憎悪の産声   作:海郷

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file1 page2 無垢()憎悪()

 男は……地獄の中で一人、息をしていた。

 

 

 森の木々はことごとく燃え、折り重なる焼死体の山、それ全てにも火が周り、焼き焦がす。たんぱく質が燃える独特の匂いが鼻をつき、熱気に溶け出した脂肪を、唇がベタつく事で感じ取る。

 男の喘ぎは、息苦しさ故か……消え逝く命への悲哀からか。

 

 兵士である男が血の匂いの次に、何度も嗅いできた人が焼け逝く香り。夥しい死が転がり、白煙となって立ち昇る。

 

 男は、ゆっくりと辺りを伺う。何人原型を留めているか、男には確かめようがなかった。

 己の部下だったもの達が炎へ消える様子を、男は見つめていた。……両膝から先がない男には、それしか出来なかったから。

 噛み締めた男の唇の端から、熱い血が流れ落ちる。それは男の悔しさ、怒りを凝縮したかの如く、どこまでも赤黒かった。

 

「クソが……壊滅じゃあ……ねぇか……がふっ」

 

 途切れ途切れの呼吸。言葉を発するため、熱された空気を吸い込んだ男は、肺を焼かれる激痛を感じながら、喀血した。

 

「申し訳……ありません、陛下……貴方に……預かった兵を……こん、な……」

 

 もはや自分が呼吸をしているかも分からなくなった男の意識が、徐々に薄くなる。

 最後に消え逝く命灯を見つめる二つの瞳。その双眸は燃え上がる炎を寄せ付けない程に、冷酷な青の光を宿していた。

 

「オオオオオォォォォォォ!!!」

 

 朱の鬣を振り上げ威を示すは、王たる者。怒の真骨、紅の炎を従えし王獣……。

 

 絶対者は佇む。自らが築き上げた……骸と紅蓮の舞台で。

 

 

 

 

 

 

 

 バルバトス王国、執務室。

 

「これは……何という事だ」

 

「はい、早急に対策すべき案件かと思い、一刻も速く陛下の御耳に入れなければと……」

 

「ああ、ご苦労だ……アレク」

 

 質の良い檜で出来た机を指で叩きながら、彼は呟いた。その顔は沈痛に耐える様な苦々しいものだった。その対面に佇む青年もまた同じ表情を浮かべている。

 ドレイクは執務卓に両肘を付き青年を労う。今彼は親子としてではなく、上司と部下、主従の関係としてアレクに接する。

 そこに違和など無く、アレクもまた出来うる限り震えを抑え、淡々とした口調で報告書を読み上げる。

 

「国境付近での被害は……死者三百、重軽傷者は千を超えています、なお、急遽編成された即応討伐隊百名のうち帰って来たのは……二十二名、だそうです」

 

 それを聞いたバルバトス国王、ドレイク・ルナフリーナ・バルバトス三世は疲れた様に目元へ手を当てる。その手をそのまま上へ滑らせ、若干白髪が目立つ頭髪を後ろへ撫で付けた。

 この動きが、ドレイクが自分を落ち着かせる時にする癖だと知っているアレクは、ただ黙って王の言葉を待つ。

 永遠にも感じる間も、大時計が振り子を振って時間を進める、それだけが部屋の音を支配していた。

 

 静寂を破ったのは、ドレイクの少し掠れた声。

 

「あそこの国境部はモンスターの活動が活発だ。だから特に練度の高い大隊を置いていた筈だ」

 

 長い、長い溜息……彼は今一度言葉を頭で捏ね回す。捏ねる手は疑惑と否定で染まっていた。

 しかし、いつまでも黙ってる訳にはいかず、ドレイクは口を開く。

 

「隊長も頭が切れる奴だ……決して徒らに兵士を死なせる男ではない」

 

「ええ、彼は強い兵士でした……」

 

「でした?……まさか」

 

 国王の言わんとしている事に得心がいったアレクは、重々しく頷いた。返す部下の言葉に小さく反応するドレイク。半ば確信を持っていながらも、彼はアレクに問い掛ける。

 

「はい、帰還した兵士の報告では、大隊長は討伐戦に参加し一番槍と……撤退時の殿を務めたそうです……」

 

「そう、か」

 

 ドレイクは脱力し、椅子の背にもたれた。瞳を閉じる彼は、男の勇気を讃え、それを無駄にしない為の最善を思考する。

 

 

「陛下、この問題を内々で処理するのは悪手かと……」

 

「ああ、分かってる……ハンターズギルドへ使いを出せ」

 

「御意に……それとお父様」

 

「どうしたアレクよ」

 

 報告書を卓の上に置くと、アレクはいつもの様に眉を八の字にして父の顔を覗き込んだ。そして、水分がぬけた様に少し、窶れた頬に手を当てた。

 

「重圧は理解しております……しかしながら、お父様には家族が、民が付いています」

 

 だからどうか、頼って下さい。ふっ、と柔らかく微笑む、その一瞬後には、王国騎士団副団長の仮面が王を見つめていた。

 

「本当に、年はとりたくないものだ」

 

 ドレイクは、一礼して部屋を去る青年を、目を細めて見つめていた。それから彼の残した報告書を手に取った。

 

「お前は、何故此処を目指すのだ……炎王龍、紅の獅子王よ」

 

 もう呟きは……誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 バルバトス王国は、深い森林帯の奥に存在する。

 軍事とそれを支える兵士の装備を作るため、錬鉄と加工それら二つに対しての特に高い技術を持っていて、建国数百年の歴史を支えていた。

 それらの存在こそが、バルバトスをかの集合大型都市、ドンドルマにも劣らない程堅牢な都市と呼ばせた。ドンドルマと違う点は、優れた技術ではなく、強靭な兵士達と確かな練度がそうさせていると言う点だ。

 警邏の兵士一人でさえ、アオアシラやドスジャギィを相手取って討伐できる程の戦闘力を持っていた。

 過去には、一個大隊が近隣で暴れ回っていた『恐暴竜』イビルジョーを討ち取ったという記録も残っているのだ。

 

 個にして屈強、群にして無敵。バルバトス王国騎士団は文句なしに、当時世界最強の軍隊であった。そう、あの日までは……。

 

 そして、彼等の上に立つルナフリーナ家の人間は、漏れ無く一騎当千と言うのが相応しい、歴史ある(つわもの)たちの家……その栄光は最早煤塵に帰したが……。

 

 

 運命とは突然で、暴虐とは理不尽で……。

 ……一夜にして一つの歴史に幕を引く、それ程規格外の怪物。

 奴を……紅蓮の獅子を今も……今も私は追っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後の砦が陥落した」

 

 執務室を見回し厳かに一言、ドレイクは呟く。その場の全員の顔に緊張と落胆が走る。

 

「これで奴と、我々の間を隔てるものはない……」

 

 それに補足する様に報告するのは、長女のローズ。

 

「偵察からの報告だと、王城への到達予想時間は……凡そ八刻程度かと」

 

「決戦、となるでしょうね」

 

 淡々と報告するローズ。皆の心を代弁するが如く、覚悟を込めて言葉を放つのは、長兄アレク。ローズは真紅の、アレクは蒼の甲冑にそれぞれ身を包み、兜は二人とも小脇に抱えてあった。

 

「そうだ、そしてこれは同時に撤退戦だ……出来るだけ多くの民を救う為の闘いだ、アンネリーゼ……」

 

「ええ、既に外周区域の人々は避難勧告に従い、西への避難団は出発してるわ、王城に奴が着く頃には、王国の国民のほぼ全てを城の背に送れるでしょう」

 

 アンネリーゼも、眩い黄金の甲冑を纏いしゃんと立つ。その姿には一片の違和感も無く、一人の強者が立つのみだった。

 

「よし、呉々も要らん面倒事で足を止めない様に、現地の兵士には注意を払うよう厳命しといてくれ」

 

「ええ、伝令にはそのように」

 

 彼女の報告へ満足気に頷くと、釘を刺しつつも、次の議題へ。

 

「ハンターズギルドへの件はどうなっている、アレク」

 

「申し訳ありません……使いの者の言葉によればこの頃各地での古龍の活性化により、炎王龍程のモンスターに対抗出来るハンターは全員出払ってると……最大限の支援として、大型兵器と、弾丸その他設備の支援を引き出すのが精一杯でした」

 

「……やはりダメか、この時期の古龍(奴ら)は本当に凶暴、と言うことか…………支援の到着はどうなっている」

 

「既に出発しているとの事です。問題がなければ四刻から五刻程度で、王城への搬入が完了する見込みです」

 

「恐らく大型の弩や大砲の類いだろう、と考えると設置も入れればギリギリだな、私が陣頭指揮を執る……アレクは付いて来い、ローズは偵察隊からの続報を纏めておけ、それとクリフには装備の点検を手伝う様に伝えておけ」

 

 二人は、実にぴったりとした動きで臣下の礼を取る。

 

「「御意に」」

 

 部屋を出た二人を尻目に、最後に残ったアンネリーゼは珍しく、少し躊躇いながら言葉を残した。

 

「ねぇドレイク……私は少しだけ、遅れて行くわ」

 

 

 

 

 その日はいつもと様子が違っていた……中庭に目を向けたルーは動く兵士達を見つけた。彼等は四人で集まって、床に何かを括り付けている。そんな光景が中庭の至るところで見られた。

 朝から城の中を忙しなく動く兵士達。皆ガチャガチャと甲冑を鳴らし、その手にはよく分からない大きな筒や、幅広の斧、兎に角何かしらの武器を持って城のあちこちを行ったり来たり。

 

『仕事があるから、妹弟達と一緒に旅行へ行って来なさい』

 

 この言葉に確かな違和感を感じていたルーは、周りが思ってるより数段聡い少女だった。母が残り、父を手伝うと言うところも彼女の疑念を深めた。

 しかし、ルーはその時は何も言わなかった。彼女は確かに同年代の子供と比べて聡明で、そこで抗議をする事が何の意味もないと分かっていた。

 疑念を無垢の仮面に押し沈め、少女はこの異変の一日を流した。

 

「厨房に行ってもヴィーノおじさん居ないし、ライノのお兄ちゃんも忙しいって言うし、エカテリーナ先生は来ないし、それに……」

 

 チラリと後ろを見ると、メイドのエリーナも、何やらゴソゴソと部屋のクローゼットを漁り、少女が楽に入れるくらいの背嚢に彼女の服を押し込んだりしている。

 それを横目に、窓辺に肘を掛けつまらなそうに空を見あげる少女。その視線の先には夕日を背に、ごま粒程の影が集まって、空を行っていた。

 わざと大きな声で、歌う様に少女が呟く。

 

「鴉が一、二、三……十六匹〜、仲良く空を飛んでいる〜」

 

「どうかなさいましたか?お嬢様」

 

「あ、みてエリーナ!鴉さんが十六匹!あっちの空に飛んで行ってるの!!」

 

「?、ええと、あれの事でしょうか?」

 

 傍らに立ったエリーナへ無邪気に笑うルーは、彼方、日に照られた影を指差した。

 

「お嬢様は本当に目が良いですね、私にはあれが鴉なのかも分かりませんでした」

 

エリーナはほんの少し驚いた表情で、ルーに対し感心した様に言葉をかけた。その嫌に芝居掛かった仕草に、ルーの中で不愉快の靄が大きくなる。無論悟らせない。

 

「ええー、ふつうに見えるんだけどなぁ」

 

「ふふ、学術の方も良好の様ですし、この前の弩の稽古でも大変優秀と教師も申していましたし、きっと奥様も鼻が高いでしょうね」

 

 少女はいつもより口数が多いメイドを、鉄の様な冷えた瞳で映し込む。だが、まだ仮面(表情)を砕くことはしない。

 

「うん、わたしもね!お母様やお兄様、お姉様みたいな凄い人になってお父様のお手伝いをするの!」

 

「ふふ、そうですね……お嬢様ならきっと、成れますとも」

 

「うん!だからもっとお勉強しなくちゃ!!……エリーナ?」

 

 無垢の下の蛇が、鎌首を持ち上げた。

 

「っ!!お嬢様?ど、どうかなさいましたか?」

 

「……エリーナ?」

 

 ルーは見てしまった。目をほんの一瞬逸らしたエリーナの、苦しげな表情を。ルーの不安げな表情へ、誤魔化す様に笑いかけるエリーナ。

 ああ、やっぱり……と彼女の仮面の下で、で風船の様に落胆と嫌悪とが膨らむ。薄っぺらい笑みの仮面に、ヒビが入る。彼女にはもう我慢の限界だった。

 

「さあ、お嬢様……行きましょう」

 

 するりとルーから表情が抜けた。そこには太陽の様な笑顔とも、周りすら暗くする不安な顔とも違う、唯々無機質な能面が一つあった。

 訝しむエリーナへ、少女は切り出す。己に仕えるメイドに問う。この城が今から辿る運命を暴く為。

 

「戦うお父様と……お母様の邪魔をしない様に?」

 

 今度の驚きはさっきの比では無く、エリーナは固まった。そこにはつい瞬きの前までの、天真爛漫と言った笑顔が鳴りを潜め、怒気を双眸に宿す、エリーナの知らない顔をする少女がいた。

 

「今まで色んなとこに旅行に行って……それはみんな素敵な思い出。でもその時はいつも、みんな一緒だったよ……それに」

 

 彼女は、彼女(シルク・ルナフリーナ・バルバトス)として、最も彼女を追い詰めるのに適した(人格)にして吐き出す。そうやって少女は彼女を追い立てる。

 

「お父様と……お母様がピカピカの鎧を着ていたのが……しつむしつから見えたんだよ……戦うお仕事は辞めるって、この前お父様は言ってたよね?エリーナ、お父様は何をするの?ねぇ?お母様はどうして鎧なんて着てるの?ねぇ……エリーナは、いいえ……」

 

 みんなは私に……どうして隠し事なんてしてるの?

 

 一歩、ひたりとルーが踏み出す。ずり、とエリーナが気圧された様に一歩後ずさる。

 無垢と怜悧と疑念とほんの少しの嫌悪の感情。全てが混沌と渦巻く瞳が、哀れなメイドを追い詰める。その時だった。

 

 コンコン、と優しく扉がノックされたのは……。

 

 

 

 

 

 

ーーーーー

 

 

「……もうそろそろか」

 

 背後の白城を仰ぎ、愛娘の寝室を見やる。エリーナは上手くやっているだろうか、と思慮し……。

 

「あの子は聡いから、ばれてしまうんだろうなぁ、今更ながら、エリーナには酷い役目を負わてしまったな……」

 

 ドレイクは、この歳になって何度目かわからない溜息を吐いた。なおもその瞳に宿る闘争心にひと時の萎えも無い。風に乗る呟きに込もるものを、この場に立つ誰しもが同じ思い、覚悟をもって居た。

 そうして一通り、一度広間を見たドレイクは落胆した様子で呟いた。これだけの装備をもってしても、ドレイクの不安気な表情が晴れることは無かった。

 ドレイクは、白銀の甲冑を纏い、城壁から空の彼方を見つめ、背後の影に言葉を放つ。

 

「不徳の父をどうか、許して欲しい」

 

「何を言いますか」

 

「お父様のそう言うところ、私嫌いよ」

 

 傍らに立ったアレク、ローズが口を揃える。二人とも王国騎士団の鎧に身を包んでいる。

 驚いて振り返るドレイクに、アレクは柔らかく、ローズは不敵に微笑んだ。今まで奔走して居たんだろう。甲冑から飛び出す顔の額には、びっしりと玉の汗が滲んでいた。

 

「貴方以上の父も、王もおりませぬ」

 

「私達がここに立つのが、何よりの証明ですわ」

 

 子供達の真っ直ぐな言葉に、顔を歪めるのは一人の父親だった。

 

「まったく……お前達を抱き上げたのがまるで先日の様に感じるのに……」

 

「では、今度は私達が支えますわ、お父様」

 

 ローズの言葉に、敵わないと言った様子で頭をかく父親。そこへのしかかるように抱き着いたのは金の甲冑。

 

「ふふ、本当にこんな子供達を持てて幸せね?ア・ナ・タ?」

 

 いつのまにか、後ろから抱きつく様に現れたアンネリーゼにドレイクは苦笑した。首に回す手には黄金のガントレット。全身を覆う鎧も、同じ輝きを放って輝いていた。

 

「急にどうした」

 

「昔あんなに呼ばせようとしてたから……死ぬ前に叶えてあげよーかなぁってね」

 

「縁起でもないことを言うんじゃない」

 

 呆れた様子で妻を嗜めるドレイクは、遠巻きに見たら、談笑をするただの夫婦の様な暖かさがあった。

 ふっ、と柔らかい笑みが、アンネリーゼから引いて、

 

「ふふふ……貴方は、()()()?」

 

 それは本来、戦場へ立とうという人間にはしてはいけない問いだろう。

 だがアンネリーゼは信頼していた。彼になら迷わないと思うだけの、ドレイクという人間への信頼を。

 

「ああ、死地に後悔は不要だよ……私は一分一秒悔いがない様生きたつもりだ……それにな」

 

 彼はアンネリーゼの信頼の通り、言葉と共に、そこで後悔を吐き出し断ち切る。

 

「これ以上あの天使達を見つめたら、折角の覚悟が瓦解してしまうしな……っと、時間か」

 

 ドレイクの言葉にかぶる様に、運命の鐘の音は鳴る。中庭で装備の点検を行っていた兵士達が、一斉に城壁を仰ぎ見た。彼等は待つ。王の声を……皆、侵略者への奮い立つ力を怒りを、決意を……心の炉に焚べて、後は着火を待つばかりだった。

 ドレイク……人の王は、ゆっくりと中庭を見回した後、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして……。

 

「武勇を刻みし益荒男達よ!!!問おう!!その意気!!!」

 

「オオオオオォォォォォォ!!!!」

 

空気を震わせるが如く、吼える。

 

 己の覚悟を燃やして、王は叫ぶ。呼応する様に見上げる兵の目に闘志が宿り、返す鬨は天空をも慄かせる。

 

「我が矛よ!!我が盾よ!!!護るべきものを背に送る兵よ!その命燃やせ!!!汝らには我がいる!!!」

 

 全ての思いを昇華させ、吐き出す。加熱した空気は地を揺らす程の震えとなって、その場に居た兵士達を文字通り震え立たせる。

 

「我は常に汝らの前を行こう!!我らが!!文字通り汝らの槍であり、誇りである!!!」

 

ドレイクは今までで一番長いためを作る。天上の雨雲さえ吹き飛ばさん怒号が……空気を荒れ狂わせる。

 

「天下無双の名の下に!!バルバトスに栄光あれ!!!!」

 

『栄光あれぇぇぇぇぇ!!!!』

 

 茜色の空の先、夕焼を引き連れ、紅の獣王は飛来する。

 

 

 

 鬨の声の少し前、馬を駆り深い森を駆ける一団がいた。彼等は皆一様に深緑の外套に身を纏い、フードで頭を隠していた。

 その中でも一際小さな影、バルバトス王国第三王女は未だ、自らが住み家たる白亜の城から目を離さずに居た。

 

「お父様、お母様、アレク兄様、ローズ姉様」

 

 彼女の目の先の王城からの、全てを震え上がらせる鬨が響いた。

 彼女は勿論、その声を聞いていた。

 

 炎王龍・テオ・テスカトル

 

 古より地を支配する「動く天災」その一つ。

 食物連鎖という枠組みから外れたその存在。

 父と母、そして兄姉の命を奪うだろう存在。そうやって割り切れてしまうほどに、彼女は歳不相応な成熟さを持っていた。それがどれだけ異常な事だろうか。

 エリーナの……そしてあの時部屋に来た母の言葉に従い、頷いた時。二人は揃ってホッとしていた。

 

 だから彼女達は思い違いをしていたのだ……この娘の魂胆を。

 

 彼女は千里の先からすら見逃さんと、王城を凝視した。それ以外何も見えんと、煉瓦の継ぎ目の変化すら見逃さないと集中する。

 

 そして、彼女は見た。

 

 丁度、少女達の一行とすれ違う様に、暗天を翔ける獅子の後背を。少女の瞳孔が恐怖と驚愕へ見開かれる。そしてそれは数瞬の後苦痛へと変化した。

 

 最初に感じたのは、背中へ走る……熱。

 

 次に頬を打つ衝撃。次に、遅れる様に鳴り響く轟音。最後に、馬と人の断末魔。五感を揺さぶる悲鳴に、少女は何よりも、誰よりも困惑した、

 

 炎王龍は何も……何もしていない。ただ、体から振り落ちる彼の老廃物が、偶々馬を駆ける一団の上へ降り、偶々松明へ引火して爆発した。後はもう連鎖的に全てを巻き込み消し飛ばす……彼の通った跡を、示す様に森は薙がれた。

 敵意すら向けれず、直線状の命全てが蹂躙される。

 

 そして、少女が生き残ったのも偶然だった。

 

 背が小さかった事、馬を繰るエリーナが松明を持っていなかった事、背後の城を見る姿勢が、偶々しゃがむ様な姿勢になってた事……そんな偶然が重なって、彼女は数少ない生存者になった。

 

 少女の目の前が靄がかった赤に染まっていた。頭を打ち付けた衝撃で、少女の意識が、端から闇に染まる。ここで意識を失っていれば、運命はきっと違っただろう。

 

 だが、彼女はそこで信じられない行動に出た。

 

 上下の歯で唇の肉を挟み、喰い千切る。新たな痛みを脳が知覚し、その激痛で気付けする。まるで熟練の兵士の様な対処を、十を数えたばかりの少女のした事と……一体誰が信じるだろうか。

 意識がはっきりした途端、背中が燃えあがる様な痛みを訴える。大の大人すら耐えかねる程の拷問を、少女は弓なりに背を反らせながらも、生傷(下唇)を噛み締め耐え、ぐるりと上を向きそうになら目玉を強引に押し戻す。

 

 その全て(最期)を看取るまで決して果てない、と…………ルーは千切れんばかりに瞼を開かせた。

 

……その彼女の瞳の奥には、暗き狂気が灯る。

 

 

 

「うぅ……」

 

 頭に鈍い痛みを感じて、バルバトス王家筆頭メイド、エリーナ・サリバンは顔を上げた。どうやら彼女は、松明を持ってなかった故、外套がある程肌を守ってくれたらしかった。

 彼女が気絶したのは、爆発と落馬の衝撃故だった。周囲を探る様に見回していたら、()()が目に入った。

 

「そん……な」

 

 そして驚愕と、混乱が彼女の頭を駆けていく。

 

 城が……王城が燃えていた。

 難攻不落と呼ばれたバルバトス王城が、煉獄の檻に囚われている。眩しい白亜は、今は紅に煇り、エリーナの頬を照らしている。

 分かっていた。だが、実際に目の前でそれが起きて認められない自分がいる。

 

「私は、どれくらい気を……」

 

 慌てて取り出した懐中時計は、城を出た時の記憶から、ほんの……ほんの二刻もたっていなかった。

 世界最強のバルバトス騎士団が、時計の短針を二つ進める前に城を落とされる。その事実は徐々にエリーナの頭へ染み込み、次に自分がすべき事を、ずいと前へ押し出してくれた。

 

「お嬢様……王子様」

 

 足が産まれたての子鹿の様に震える。エリーナはぎこちない動きで周囲を伺って回った。時に這い蹲る様に、時に木にもたれかかる様に少しずつ、そこから動いた。

 

「誰か!……誰か返事を!!」

 

 震える身体に鞭を打ち、必死な呼びかけに応えるのは、煌々と照らす炎とそれを宿す木々の弾ける音だけだった。

 ……ある者は、首から上が柘榴みたいに弾けていて、灰色の脳漿が散乱してた。

 ……ある者は、落馬の際に落ち方が酷かったのか、首があり得ない方向に曲がっていた。

 ……ある者は、息をしていた。しかしエリーナは駆け寄ると顔を歪ませる。その全身に痛ましい火傷を負って、なお呼吸だけが浅く続いていたからだ。それを生きていると言うほどエリーナは間抜けではなかった。

 

 充満する死。その中で小さな命の灯火、それを見つけて……ついに、メイドは歓喜に涙した。

 

「ガルフ様!ガルフ様!お気を確かに!」

 

 エリーナの繰っていた馬から数十歩のうち、白馬の亡骸の影に、第三王子であるガルフが背を預けていた。ガルフは幸いにも、頭が軽く切れている以外の目立った外傷は無かった。

 恐らくは、咄嗟に従者が庇ったのだろう。彼の隣には、ぼろぼろの外套を纏った死体が転がっていた。本当なら、供養してやるべきだ。しかし、彼女は一直線にガルフへ近寄ると、呼吸を確かめる。

 

 それをするのは全てが終わってから。

 

 彼は密かな息をエリーナの首筋に吹き掛けながら、弱々しく生を繋いでいる。彼女はガルフを背負い、残る2()()を探し続けた。

 

 どれくらい探しただろうか?

 

 彼女は半ば諦めと共に、気絶していた愛馬の元へ帰る。そして気づいた。彼女の立つ所から数メートルの先に血痕の道がある事を……。

 王子を背に負ったまま、彼女はそれを辿っていた。流るる川はまるで……死にかけの兵士の匍匐の跡。まさか、そんな事はあるまいと、願望に近い否定を浮かべながら一歩一歩……徐々に細くなる血の川を進む。それは城の方へ向かって伸び続けていた。

 

 そして見つけた……見つけてしまった。

 

 彼女の視線の先にあるのは、燃え落ちるバルバトス王城。その灯りが、幼き背中に影を塗っていた。

 彼女はその場にへたり込む様に座っている。その外套は肩甲骨の辺りが大きく破け、彼女の綺麗だった白肌を抉る様に、火傷が蹂躙していたのが覗いた。外套から溢れる眩しかった銀髪も、煤と泥に汚され、くすんでいた。

 まるで、悲劇的な絵を描く画家の作品の様な。それが現実の上にあるものとは思えない程綺麗な構図だった。

 

 その一枚は、実に象徴的にこの国の哀哭と重苦を顕していた。

 

「お嬢、様……お嬢様!!!」

 

「エリー、ナ?」

 

 エリーナはすぐに彼女へ駆け寄る事は出来なかった。何故なら見惚れていたから……しあし、ハッと正気に戻った彼女は、その感情を否定する為に、蹴飛ばす様に駆け寄って行く。

 声に、彼女(被写体)が動いた。灰色の集線を振り乱し、その顔が振り向く。

  顔中に泥を振り塗り、頬と額の皮は破けている様だった。右目は歪に閉じていて、透き通る翡翠が、影の中で怪しく光った。

 下唇に着いた流血の跡が伸び、顎を真っ赤に染めている。薄皮にはまだ少し血が滲んでいた。それは晩餐後の怪物みたいで、幼い少女の肢体と合わさると強烈な違和を生じさせる。

 

 その姿を見た途端エリーナはまた足を止めた。彼女はは護るべき主君を前にして恐怖の念に身を震わてしまったから。それは何も、彼女の痛ましい姿に対してではない。

 

 

 

 

 

 こんなにも痛々しい姿を晒していた。自分の居場所が燃え落ちている。なのに……なのに、彼女は本当に…………本当に嬉しそうに……笑みの形に顔を歪めていたからだ。

 

 そのちぐはぐな姿に、エリーナは仕えてから初めて、得体の知れない何かを少女から感じた。実はルーの皮を被った化け物でした、と言うような寝言も、今なら彼女は簡単に信じられた。

 

「ねぇ?エリーナ……私ね、とってもやりがいのある夢を見つけちゃったの、お母様との約束が早速守れそうで嬉しいわ!」

 

 少女は酷く弾んだ声を紡ぐ。エリーナの視界でまた、彼女の姿が歪んだ。現実の彼女の歪み(笑み)も、一層大きくなる。

 

「私の平穏と、幸せを奪ったあいつを地の底まで追い詰めて!追い立てて……殺す、絶対に!殺してやるんだぁ」

 

 殺す、その部分には……この世の憎悪全てを濃縮した様な殺気が乗っていた。紡ぐ怪物(ルー)の顔は万華鏡みたいにくるくると、憎悪と歓喜でぐしゃぐしゃに染まる。

 思わずエリーナは聞き返してしまった。それがルーから出た言葉と、彼女は信じたくなかったのだ。

 

「殺す……」

 

「そう!殺すの……あいつも、あいつの雌も、あいつの子供も!!全部!!ぜぇぇぇんぶぅぅ!!!!……骨の髄まで残らないくらいに……」

 

 跡形も無く……ね、そう暗く嗤う少女。その手は腫れていない翡翠の目下に添えられる。

 

「私ね、生まれてこの方、初めてこの眼に感謝したんだ……遠くからでも、あいつの全てを暴く事が出来たから」

 

 返事はいらない、いやさせない……そんな様子で少女は、矢継ぎ早に言葉を投げつける。

 

「右目の上と、左側の角に……右から袈裟懸けに入るキズ……右目の傷は深そうだったし、角の傷は表面を削るくらいだったから……きっとそう簡単には消えない」

 

 言うだけ言うと、彼女は蹌踉めきながらも立ち上がり、王城を、彼女の旧居を見据えた。

 

 そして、十の年を数えた少女は、実に優雅に跪いて見せた。

 

「お父様、お母様、アレク兄様、ローズ姉様」

 

 バルバトスを象徴する最後の一人。国を引き換えに、忠義の狂戦士が生まれ落ち、純真無垢な()天使は死に絶えた。

 

「次に此処に帰る時には、奴の首を、必ずや陛下に捧げて見せましょう」

 

 

 そして、時は流れ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある都市の港湾。人のごった煮と言っていいそこに、一人の少女と一人のメイドが外套とロングドレスの裾をそれぞれ旗めかせ、佇んでいた。その視線の先には、巨大な帆船が一隻停泊してる。

 

「お嬢様……本当に行かれるのですか?」

 

 後ろに控えたメイドが控えめに進言する。周りからの好奇の視線など、彼女には入っていなかった。

 少女は振り返ると大きく頷く。

 

「ええ、もう決めた事よ、それにお国の推薦だしね……エリーナは国にあるお父様達の神墓をお願い、偶に様子を見るくらいで構わないから」

 

「……畏まりました、お任せくださいませ」

 

「ありがとう……それとガルフにもよろしく言っておいて」

 

「必ずお伝えしましょう……どうか武運を、お嬢様」

 

「エリーナも元気で……ね」

 

 少女は儚げに笑う。最近こんな風な笑顔が増えたな、とメイドはどこか他人事みたいに思った。彼女は美しく熟れ育った事がさら喜ぶべきはずだ。

 しかし、本質には……魂は、憎悪の光が核をなしている事には変わりなく、エリーナはその事を諦めていた。

 

 

 前を向いた少女の見据える先に……奴はいる。彼女の瞳は憎悪で濡れていた。瞳を閉じれば、紅蓮の回廊を昇る憎き紅獅子の後背がすぐに思い出せる。

 

「待ってなさい……私がこの手で……引導を渡してあげる」

 

 彼女の見る水平線の先……新大陸に『緑紅星』の光が灯るのは、直ぐ先の未来だった。

 

 その瞳は異色。

 

 左の眼は新緑より透き通る翡翠。

 

 右の眼は燃え上がる炎を思わせる真紅。

 

『異色眼の悪鬼』『双色の星』数々の異名と伝説を残した、亡国の女狩人。

 

 これはその伝説を綴った物語のプロローグ、滅びの序曲(オーバーチュア)

 

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