ピチャ、ピチャ
男が一人、ゆっくりと森の奥深くへと歩みを進める。男は大きめのフードを深く被り、尚且つ霧雨が振り続けて視界が悪い為、表情が少しも伺えない。背は特別に高い訳では無いが格好がかなり不気味な為、どちらかと言えば目立っている。しかし彼を訝しげに見る者なんて一人いない。何故ならこの場に彼以外の人は無いからだ。今この森はいわば彼専用の森であって、木々が鬱蒼と生い茂るこの場に彼は馴染んでいるようにさえ思えてくる。
彼がこの森に入って、暫くすると森の中に淡く灯る光が一点、彼の視界に映りだす。それと共に怪しげな雰囲気を漂わせる小屋が徐々に姿を現した。それは決して小さい訳ではないが、天までそびえ立つ木々のせいで平凡で在り来たりな建物の様に見えてしまう。近くまで来てみると、遠目では分からなかったが、壁に細かな宝飾が施されているのが見え、主人の拘りが浮き出てよく感じられる。彼は軽く三回程扉を叩き、慣れた手付きでドアノブを回し中へと足を踏み入れた。
建物の中はありとあらゆる物で溢れ返っていた。生活雑貨から骨董品的な物まで様々な物が陳列され、それらは蝋燭の火の僅かな明かりでぼんやりと照らされていた。彼は扉を閉め、膝の辺りが隠れる程のコートを脱いで、中にあったフックにコートを掛けた。
「おぉ、やはり旦那でしたか。いらっしゃいませ」
すると木の軋む音と共に男の声が奥の方から聞こえてきた。猫背でいる為、背の高さは男の胸あたりで低く、乞食と呼ぶのに背格好が相応しい。ただし、服装は建物の外装の様に凝っている。
「何時もの。それとこの銃の修理を」
そんな館の主人の佇まいに構う事無く彼は淡々と話を続け、先程着ていたコートの中から銃を出して渡した。
「毎度。それで、今回はトーラスですか……あー、結構摩耗してますねぇ。これだと暫くかかりますが……宜しいですか?」
「構わない。次来た時までに直しておいてくれ」
「承りました。それじゃあ何時もの物も取ってくるので少々お待ち下さい」
そう言うと、主人はぺこりと頭を下げ、再び店の奥へと消えていった。一方取り残された彼は内部を見渡すような事はせず、ポケットから財布を取り出し、暇を持て余す様に硬貨を数え始めた。
「はぁっ……はぁっ……」
吐く息は白く、そして暖かい。けれどもその息は直ぐに消えてしまうから、また息を吐く。ここに来てその行為を何回繰り返しただろうか……今日は特に寒く、この一連の動作に終わりが見えない。
「何時もより暗い気がするし……雨降ってるのかな」
そうは言っても雨が降ってるかなんて分かりっこないのは分かってる。ドアも無く、窓も無い。おまけに壁は厚く、冷えを我慢して耳を壁に付けても何も聞こえない。でもその疑問を口に出して思考を巡らすだけで寒さを考えないでいられる……そんな気がした。しかし、実際そんな事は無くて、寒さで体が小刻みに震えている事にはとっくのとうに気づいていた。
「はぁ……どうしてこんな事になっちゃったんだろう」
少し前まではこんな状況に置かれるなんて思ってもいなかった。狭く暗くそして寒いこの場所に閉じ込められるだなんて。そんな愚痴のような弱音を吐いているとギシギシと気の軋む音がし始め、やがて止まり立て付けの悪い鉄の扉は開いた。
「ハハハ、そうは言うなって。もしかしたら今から少しはマシになるかもしんないからさ」
「…………」
私の声に呼応する様にあいつは姿を見せた。まだご飯の時間でも無いのに何の用かと思っているとあいつは手錠を掴み、乱暴ながらもこの牢獄から引っ張り出してきた。
「……旦那?少しはあっしの話を聞いて欲しいのですが?」
「断る。まさかお前がそんな物に手を出していたなんて驚きだな」
「い、いや……これには深い訳が……」
「この体勢でなら聞いてやろう。これはなんだ?目的はなんだ?」
彼は主人の額に銃を向け、言い放つ。
「えーとですねぇ……うちの同胞がちょいとドジを踏みやがりましてね……貸しを作る形でコイツをあっしの所に匿っていたって訳ですよ」
冷や汗を滲ませて吐く言葉を聞きながら、彼はストッパーに手を掛けて溜息を着く。
「ちょっ、ちょっと!?あっしはこれに関して法外な事はしてないですよ!?」
「俺はお前は奴隷商業に足を突っ込んでないからお前の事を贔屓にしてるんだぞ。それに……」
彼はちらりと目線を彼女の方へとやる。
「白髪で、赤目……どう見ても妖精。しかも見たところ国の保護に掛かってる様な代物だろうが。法外中の法外。関わるのも悍ましいくらいだ」
「そ、それを言うならあっしもこんなんに関わりたくも無いですから!!」
ブンブンと腕を振り必死に弁明をしようと試みるが彼は表情一つ変えない。暫く主人を睨んだ後、彼はゆっくりと腕を下ろした。
「で、要件はなんだ?聞くだけ聞いてやる」
「へ?あぁ、えーっとそれで、何だかんだたらい回しにされた結果ここにコイツは流れ着いた訳です」
主人は血の気が引いた状態からひと呼吸をおいて状況説明を続ける。
「さっきも旦那の言った通り、コイツがここにいるとバレたらあっしらは終わりです……なので旦那がコイツの面倒を見てくれれば……」
そう言い終わるや否や彼は再び銃を向けた。今度は額に銃を押し付けるような形になり、最早銃口は当たっている。
「ひぃぃぃ!無理なのは重々承知してます!ですが旦那……ここは一つ頼みますよ」
「断る」
「こ、この案件は、あっしの貸しを返すつもりだと思ってアンタに頼んでるですって!!」
「……ほう?」
その言葉に彼は眉を顰めるが、間髪入れずに続く。
「アンタ以外に適任はいません!今回だけはどうか……どうか頼みます!!」
その姿勢に彼は驚き呆れていたが、顔色一つ変えずすっと腕を下ろす。
「……まぁいい、そこまで言うなら今回だけは特別だからな」
「はい!!これで貸し借りは無しですから!!」
「…………ったく」
「はぁ……全く旦那は横暴なんですから」
彼は悪態をつきながらも銃をしまった。一方主人の方はというと胸を撫で下ろして、そこに連れられていた彼女に付けられていた手錠を外した。
「ふぅ……取り敢えずアンタは今日から旦那のモノだ。ここよりは待遇は良くなるだろうが……まぁ頑張れよ」
「………………」
主人の言葉に耳も傾けず、手錠が取れると彼女は腕をフラフラと振った。
「じゃあ旦那これが何時ものやつです。今後とも御贔屓にお願いします……ってアレ?旦那、何時もより多いのですが……?」
「傘とこの娘にきちんとした身なり、あと帽子つけてくれ。それで余ったら釣りは要らない」
「畏まりました、少々お待ち下さい」
主人は訝しげな表情に一瞬変えたが、直ぐに笑顔が戻り主人は彼女を連れて、三度店内の奥へと消えていった。
ピチャ、ピチャ
しとしとと雨の降る中、森の中を歩く。地面は泥濘み、少し歩きにくいのだが、久しぶりに外の景色を見て気分が何故か昂ぶっているのでそこまで不快ではない。それにしても一体これから私はどうなるのだろうか
「奴隷……」
一つ、分かる事はある。それは私はコイツのモノでコイツの所有物であるという事。この世界で奴隷と言えばどのような扱いをされるかなんて子供でさえ分かっている。奴隷自身に権利など無く、死ぬまで一生飼い主に仕え続ける。私のような長く生きる種族は代々その家に仕わされる事もあり、酷い待遇が続くというのが一般的な認識だが。
(逃げるという選択肢は……)
もう二度と外に出られるなんて思っていなく、しかも鎖に繋がれる事なく普通に歩けている。もっと言えば傘はコイツ自身が持っているので両手は自由だ。千載一遇の機会と言えた。
(でも、流石にこの状況は……)
とは言いつつこの雨で足場の悪い中、果たしてコイツから逃げられるのか、そもそもこの森は何処まで続いているのか……
(後、お腹空いた……)
それらを考慮すると私は逃げ道を探すのを止めた。焦るのは良くないし、また機会があるかもしれない。取り敢えずついていこう。
「……寒くないか?」
ぽつりそう聞こえた気がした。私に話しているのだろうか?普通に考えてみれば、周りには私しかいないのだからそうに決まっているか。
「まぁ、いい。これから暫く歩いた先で汽車に乗る。帽子は絶対に脱ぐな。いいな」
一方的に話を切るとまたピチャ、ピチャと足音だけが鳴る。そうこうする間に森をぬけ、開けた場所に出た。そこで簡易的な建物を通り、階段を何段か登るとコイツは高台で歩みを止めた。どれほど時間が経ったのだろうか、何かが音を立てて迫って来る。黒く此方へと向かって来るその何かは薄闇の中で煙を噴出しながら停止した。
「乗るぞ」
短く呟くとその何かへの中へと入っていった。初めて見る物に少々面を食らったが私はコイツへとついていった。
中は広く外装に似合わず思いの外洒落であった。コイツはここの中央で止まると此方に振り向いた。
「座れ」
「…………」
私は促されるがままに腰を下ろした。
「詰めろ」
「…………」
詰めろ、と言われてもどういう意味かよく分からなったが、手を開いて押すような仕草をしてきたのでこの大きな席は二人用だと言う事に気が付いた。道理で大きい訳だ。私は無言で端に寄るとコイツは隣座った。すると間もなくしてこれは動き出し、私の体は強く揺れて目が見開いた。
「汽車は初めてなのか?」
「…………」
「まぁ、最近は汽車だと運ぶ時に足がつきやすいって言うし、乗ってて精々車か……」
「…………」
「今からあと数駅……ってもお前には分かんねぇか。もう一時間したら汽車を降りて、また暫く歩くと家に着く。もう夜も遅いがもう少しだけ頑張ってくれ。何だったら寝ていい……って、ん?」
コイツは私の顔に視線を向けた。
「……まぁ、いいか」
「…………」
そう言うとふぅっと息を吐いて椅子に寄り掛かる。どうやら私が目を瞑っているのを見て、もう寝てしまったと判断したのだろう。
「しかし、まさかこんな事になるとはな……」
女はすうすうと寝息を立て始めた。余程弱っていたに違いない。その上でこんな雨の中歩かせるのも少し可哀想だとは思ったが、あの森を一言の音を上げずに歩き抜くとは流石は妖精と言える。それはともかく、問題はコイツをどうするか、その一点だ。殺したり、捨てたりするのは簡単であり合理的だが、なにせ国が指定してるレベルで稀少な妖精だ。髪の艶、瞳の色、何と言ってもコイツが放つ気配その物がコイツの稀少さを確固たる物としている。前に何度か妖精を見た事があるが……コイツは別格だ。そんな奴を殺してもしバレたならば関係者諸共全員処刑。良くて俺だけが処刑。捨てると足がつく可能性もある為もっと有り得ない。
となると残された選択肢はコイツを生かし続けるという事のみ。頼まれた以上俺の家に住まわせる他無いだろう。
「さて、一番気になるのは……」
妙に引っかかるのはあいつの言葉だ。普通であればこんな依頼をアイツがしてくるとは考えにくく、何か意図があるのだろうが……
(取り敢えず、帰ったら飯だな)
俺はコイツと窓に映るコイツの像を交互に見つつ、大きく息を吐いた。