Angel Text   作:こたつ@ミカン

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つまらない意地

 「おはようございます。ネルンお嬢様」

 「おはようございます。良い朝ですねネルンお嬢様」

 「今日がお嬢様にとって良い一日でありますように……」

 すれ違う人全てが私を見るや否やそんな恭しい態度を取る。毎朝起きれば、こんなのの繰り返し。一見してみれば悪く言う者はほとんどいないだろうが、ここにいる皆、私の機嫌を取る事に必死で、正直私の事はどうとも思っていないだろう。私は周りの者に一瞥しながら歩いていると、不意に通路の奥側にいる女性と目が合った。すると彼女はすぐさま走り出し、数秒もしないうちに私に抱き着いた。

 「おはよー!今日も可愛いなぁ」

 「お姉様……お止め下さい」

 抱き着く力は弱くなく、簡単には振り解けない。痛かったり苦しいわけではないが、何となく徒労感が湧いてくる。こういう時は、大抵朝から良い気分にはならない。

 「そんな事言ってさー、嫌がってる感じでもないじゃーん」

 「十分嫌がってます」

 彼女は構わずほっぺたをつんつんしてくる。爪を立てていないので痛くはないのだが……

 

 

 

 「お姉様は相変わらずなんだから……」

 私は彼女の手を掴もうとする。しかし、その手には触れず、指は空を切り、私の人差し指と親指が触れ合う。すると頬を突かれていた時よりも妙に質感を帯びた。私はその違和感から意識をはっきりとさせた。空気は埃っぽく篭っていて息苦しく、そして視点はさっきもより低い。

 「今のは……」

 私は文字通り、夢から現実へと一気に引き戻された。余韻に浸る事も、光景を思い出す事も出来ずに。ここには煩わしい使用人も陽気な姉もいない。不意に眼に日光が入り、目を擦る。その影響か視界は段々と明瞭なものになっていった。窓へと視線を向けると日は差している。今は朝なのだろうか?

 状態を起こし、腕を伸ばす。そして身体が数か所程パキパキと鳴る。私は立ち上がり、恐る恐る部屋の外へとゆっくり歩き始めた。

 通路は二方向しかなく、左か右かの二択だった。左の通路の突き当りには扉が、右の方は少し大きめの部屋があった。

 (左か……)

 私は寝起きの思考回路で必死に最良の解を探す。これからの事を考えるとどう考えても家を出ていった方がいい。奴隷なんてどんな扱われ方をされるだなんて到底想像できない。疲労はなく、怪我もない。唯一気になるのは空腹だが……それは何とかなるだろう。

 (今しかない……!)

その答えを弾き出すと駆け出し、すぐにドアノブに手を掛けて、回し、そして力一杯押す。鍵はかかってない。

 「これなら……!!」

 私は外へと飛び出す。すると、視界を遮る者がいた。

 「っっ………!!」

 眼前の状況を知覚するにはそう時間はかからず、私の高まっていた興奮は一気に絶望へと染め上げられる。

 「ん?あぁ、起きたのか。随分と寝坊だな」

 低く男の声が頭に響く。すぐ目の前にアイツはいた。予想外の光景に私の身体は固まり、目は大きく見開き、心拍数は上がり、呼吸は乱れていく。

 「腹減っただろう、準備するから待ってろ」

 ゆっくり、私に近づいていき、そして私の後ろをコイツは通って家の中へと入っていく。

 

 家の中へと入っていく?

 

 私の呼吸がほんの一瞬だけ、止まる。その間に勢い良く身体を家の方へと向けた。アイツは私から遠ざかっていく。身体は固いまま、目は見開いたまま、その光景を目にしていた。ただ、呼吸がまた再開されると、私の心は言葉にし難い妙な気持ちになる。私は結局のところ、コイツの後ろ姿から発せられた、有無を言わせぬオーラに圧倒されてもと来た道を引き返す事となった。

 

 

 

 コイツに付いて行って、先程まで寝ていた部屋の前を通り、大きめの部屋の中に足を踏み入れた。広間は物は多くないが整理はされていて、決して広いとは言えないが、一人暮らしなら身の丈に合っていると言える。

 「そこに座ってろ」

 コイツはそういうと奥の方へと行った。姿が完全に見えない訳ではないが、何をしているのだろうか?取り敢えず、椅子を引き、腰掛ける。暫くして仄かに良い香りがしてきた。何というか、嗅いだことのない香りだが……心地良い。しかも次第にその香りは強くなっていく。そこからまた時間が経つと、コイツが両手に容器を持ってきて、机の上に置いた。中に入っているのは何やら白色の液体で、緑、白、橙といった物体が浮かぶ。匂いの正体はこれか。コイツは向かい合って座るとスプーンを此方に渡して、手を合わせた。

 「頂きます」

そう言うとスプーンを使い、その白い液体を口に入れ始めた。私も恐る恐るコイツの様にソレを口にし始める。温かく、塩っぱいような甘いような……何となく優しい味だ。言っては悪いが風貌に反して、案外マシな物を作れるらしい。 

 ふと、我に返ると私は容器の底をカンカンと無駄に音を立てていた。無くなった事も気付かなかったということか……私は無意識にソレを堪能していたという事に気が付く。

 「もう食い終わったのか?随分と早いな」

 余計なお世話だ。コイツの声に若干苛立ちを覚えたが、口には出すまい。また例の場所に戻ったかと思うと、今度は両手に大きな銀色の容器を持ってきた。近づくにつれてあのいい匂いがするので、あの液体が入っているのだろう。コイツはソレを掬って、容器へと注ぎ込む。別に食いたくない訳では無いが、少しコイツの思い通りに行動している様に見られるのは癪なので、私はゆっくりと、意識的にスプーンを動かす。

 「口に合って何よりだな」

 そう言って私の気持ちを見抜いてか立ち上がり、皿を手に持って運んでいった。そして今度はコイツの方から水が流れる音が聞こえる。私は再び、手元の容器が空になるのに気が付くと、直接銀の容器へとスプーンを持って手を延ばす。するとその手に急に激痛が走る。

 

 「熱っ……!?」

反射的に手を引くと銀の容器に手が引っかかり、カランカランと甲高い音を立てて床へと落ちていった。幸いな事に液体自身は思った程の熱さは無くて、多少濡れたが火傷はしなさそうだった。

 「何だ何事……はぁ、大丈夫か?」

 「…………」

 ……ここまで恥をかいたのは生まれて初めてだ。他人にここまで無様な姿を……ましてや自分の失態でこんな姿を見られる事になるなんて……私はこの屈辱を忘れる事は二度と無いだろう。

 すると唐突に視界が塞がる。

 「……!?」

手を顔に当てると布の様な感覚がした。掴んで引き離すと原因は白いタオルと分かった。近くに目をやるとアイツは床を拭いている。

 「取り敢えず、風呂に入るか」

 立ち上がると私の手を引いて外へと連れて行く。そして、お風呂らしき所の中へ誘導した。

 「…………その」

 「ここから、水が出る。ある程度溜まったら蛇口は捻ってくれ。後はこっちで温めるから、温かくなるまで水で我慢してくれ」

 「あ、いや……」

 「前いた所とは勝手が違うだろうが、勘弁してくれ」

 「そうじゃなくて……」

 

 私は彼の手を引く。

 

「トイレ…………」

「ん?あぁ、すまない。気が利かないで。トイレはここを出て左だ」

 「………………」

 ……最悪だ

 

 私は乱暴に手を振り解き、その場からすぐ様離れ、ドアを閉めた。

 

 

 

 「嫌われたな……」

 俺は蛇口を捻り湯船に水を溜め始める。何度か水に手を当てた後、火をつける為に外へと向かう。

 「薪に余りはあるし、マッチも……まだ残ってるな」

 

 上着の中にあったマッチの箱を開けて、一本取り出す。そして近くにあった薪を何本か腕に抱えて、焚口へと火のついた薪を放り込んだ。パチパチと火の粉が飛び交い、小火は次第に周囲の薪を巻き込んで大きな炎へと姿を変えていく。それから、脇に置いてあった筒を口に当て、大きく息を吸い込み、そして吐き出す。すると一気に炎の勢いは増し、煙が立ち昇った。

 (赤いな……)

 不意にあの女の事を思い出す。彼女の目と同じ赤い色だ。あの感じからすると第一印象は世辞にも良いとは言えず、もしかしなくても最悪と思われたのだろう。

 「全く、先が思いやられる……ゴホッゴホッ」

 突如、煙が器官に入ってきた。それは思考回路を塞き止めるかの様に呼吸の邪魔をして、やむを得ず咳き込む。その影響か、何を考えていたか忘れてしまった。

 「ゴホッゴホッ……んん、やれやれ……にしても、他人の為に風呂を沸かすというのは初めてだったか……」

 俺は取り留めもなく、くだらない事を考えながらひたすら空気を焚口へと送り続けた。

 

 

 

 「もう嫌ぁ…………」

 焦燥感に駆られ、髪の毛をの本能の赴くままに掻き乱す。こんな事を続けていくうちに、頭に激痛が走り始め、それがその強い感情を抑えていき、ふと我に返る。あぁ、恥ずかしい事この上ない、私がどれだけ阿呆で間抜けな事をしているかが、言葉で表せないくらい愚かで、惨めで、もう死んでしまいたいくらいだ。負の感情だけが心に積もり続けていく、もう本当にどうしようもない。

 「もう……なんでこんな目に」

 思い返してみると、私はここに買われて奴隷として来たのにアイツからの辱めを受ける事は無く、自らの失態でこの状況に陥っている。

 「……これから私どうなっちゃうのかな」

 どうしようもない、そうは分かっていたのだがどうしても溜息をつかずにはいられなかった。

 「はぁ、風呂……入ろ」

取り敢えず私はトイレから出て、重い足を引き摺るながら風呂へと戻る事にした。

 

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