台所にある水菜、人参等の野菜と数種のきのこを切り終えてある事に気づく。
(肉が無いな)
彼は手を洗い、台所を出て行き、倉庫から肉を持ってくるとある異変に感じた。それは彼女が全く動いておらず、立ち尽くしているということだ。
(もしかして野菜切ってた時から動いていないのか?今度は何してるんだか……)
裸になってきたり、襲われたりと短時間に色々な行動を取ってきた彼女の思考回路は彼にとって全く読めないものだった。その上、先程の行動と比べ、今は明確な意思が見えにくく、彼の不審感を募らせる。肉を切りながら何度も彼女の方を見てみるが、困惑する他なかった。
「腹減ってるか?」
「…………」
「そこに座ってていいぞ」
「…………」
「……寒くはないか?」
「…………」
幾度と無く声を掛けてみるが返事は無い。溜息の中で肉を切り終えると具材を纏めて脇に起き、手を洗って彼女へと近づいて肩を揺する。
「おい、何してるんだ」
「…………っ!!」
すると一瞬だけ二人の目が合う。彼が見た彼女の目には僅かながら涙が浮かんでいるのだった。
「お前……」
彼女は彼に顔を見られまいと咄嗟に俯く。彼は刹那的な出来事でまさかと思っていたが、床に落ちた数滴の雫を見て確信を得た。
「……こっち来い」
彼は彼女の服をつまみ、引く。すると彼女の体は容易に動いて、歩みを始める。足取りはふらついて、躓きそうでもあった。彼はある程度の加減をしながら進み、十数分前まで座っていた椅子に彼女を座らせる。彼は再び向かい合って座ると、一息ついて口を開く。
「一つ言っておく。俺はお前を抱く事も出来なければ、お前に殺される訳にもいかない。はっきり言ってお前の望みに答える事は恐らく出来ない」
「…………」
「しかし、俺はお前を引き取ると決めて、現に引き取った以上、俺はお前の望みを出来るだけ叶えるつもりだ。勿論、お前が長い間暮らしてきた時間に相当する待遇を俺は保証出来ない。そんな中でも、お前はこの場において自由に振る舞っていいし、その事に気に病む必要もない」
それだけは気に留めておけ、彼はそう言うと台所へと戻ろうとした。
「…………違う」
「……違う?」
「そんな事……私は、私は望んでない!」
どうして……どうして……!!何で皆そういう事を言うの!!どうして!どうして皆……
「寄って集ってそんな……私は、ただ…………」
これ以上の言葉は続かない……私は一体この先何ていうつもりだったのだろうか?
「……お前、一体何がしたいんだ」
「…………そんなの」
そんなの……私が聞きたいくらいだよ……
暫くすると彼は姿を消していた。私の方は落ち着きを取り戻していて、頭の整理をする。
(どうしてあんな事言ったんだろ……)
少し前の私の行動がフラッシュバックして死にそうなくらいの恥ずかしさを覚える。何だか私が私以外の別人になったみたいだ。私はそんな特殊な感覚に耐えながらも更に記憶を辿る。アイツに何か言われて、私が怒った。それだけは覚えているのだが……もしかして記憶にないだけでアイツは失礼な事を言っていたのか?十分な心の整理のないまま彼へと感情をぶつけたのであまりはっきりとは覚えていない。
(んー……何だろうこのモヤモヤとした感じ)
「飯、出来たぞ」
私が私自身とにらめっこをしているとアイツはまたいい匂いをまとわせながらやって来た。彼の手には大きな鍋を持っている。しかし急に止まって次第に困った様に溜息をついた。
「あぁ、いや鍋敷きを忘れたんだ」
彼の奇行に目を向けるとそう言った。ナベシキとは一体何なのだろうか?
「鍋敷きってのは……そうだな簡単に言えば厚手の布だ。机等が焼けない為に使う」
取り敢えず戻るか……と一人呟いて、再び遠ざかった。私はその行動に興味を覚えて彼の後を追う。そして十秒も経たないうちに歩みを止める。
「何だ?今少し立て込んでいるんだが」
彼の冷ややかな言葉に心拍数が跳ね上がる。
「…………ぁぁぁ、その……」
「ん?早くそこを退け。飯が冷める」
「な……な、べ……き」
「何が言いたい?」
「ぇ……と、私は……」
何でこんな時に声が出ないんだろう。緊張で体が強張り、口元は思うように動かない。鼓動はこれ以上に無いくらい速く、大きくなり、アイツにも聞こえてるのでは無いかと錯覚するくらいだ。
「おい……おい!しっかりしろ!大丈夫か…………!」
頭はくらくらするし……気分も悪くなるし……何やら遠い方で声が聞こえた……気がした。
目が虚ろになったかと思うと急に膝から崩れ落ちた。俺は咄嗟に鍋をコンロに置き、膝を折り曲げて彼女を受けとめる。もしやと思って額に手を当てると強い熱を帯びている事が分かった。顔は真っ赤でふうふうと息を切らしていて、全身の力が抜けている。見たところただの風邪だと思われる。恐らく伝染病の類では無いとは思うが、この手の事には詳しくはない為、正確な事は分からない。
「一先ず寝かせるか」
足と背中を両腕で抱え込み、寝室へと運ぶ。そしてベットへと横たわらせて布団をかける。後は飯と薬と氷枕か。飯は丁度用意してあるが、薬は何錠かしか残ってないだろうし氷なんてものは無い。買い出しに行く準備をするか、と思ったが辺りは真っ暗。もしかしなくても汽車は走っていないだろう。
「飯食って寝るか……」
この先が思いやられる……俺が今日、寝る前に抱いた感想だった。
何ということもなく視界がぼんやりとしていく。未だ見慣れない天井の風景から私自身の置かれている状況は理解できたのだが、何故か体の動きは鈍く、気持ちが悪い。それに暑い。何とか首だけ動かして部屋を見渡すと昨日見た鍋が置いてある。それでもやはり状況が飲み込めず、移動を試みてみる。勢い良く布団を跳ね除け、ベットから起き上がった。
「はぁぁ……寒い」
その瞬間から外気が一気に肌身に触れ、身体が小刻みに震える。それから間もなく寒さに耐え切れず、布団へと篭もる。しかし、布団をかぶってもなお、寒さは収まらなかった。
「やはり起きていたか」
布団の中でもぞもぞと蠢いていると知らない間にアイツがやって来ていて、例の鍋を脇に置いて近づいてくる。
「調子はどうだ?」
「…………」
「顔色は前よりは悪く見えるが……どれどれ」
何かよく分からないが、こちらの方へと手を伸ばしてきた。私は反射的に布団の中へと顔を突っ込み、膝を胸の方へと引き寄せて縮こまる。
「……はぁ、まぁ取り敢えず飯を食え」
ぼんやりとそう聞こえた後、何やら聞き慣れない音がする。布団の隙間からこっそり覗いてみると例の鍋を何やらスプーンで弄っている。それから少量中身を掬い、私の目の前に突き出す。私は少し抵抗を覚えたが、それを受け入れる他無く、顔を布団から僅かに出してソレを飲み込む。思うように口を動かせず、咀嚼出来ずに喉を通ったが、むせる事は無かった。
「……分かった分かった。そんな目で見なくても食わせてやるから」
彼は続けてスプーンを前に突き出す。彼のその言葉に私は苛立ちと反発心を持った。まるで物欲しそうに見ているような言い草だったからだ。しかし実際に反抗的な態度を示す程の気力と体力が生憎今は無い。結局のところ彼の為すがままに動く事となった。一連の動きに慣れてくると私の口は淀み無く、一心不乱に動き始める。あの時と比べて美味しい。一番の差はここは鮮烈な匂いと風味、そして味の濃さ。あの時のは決して食べられない訳では無かったが、この味を知ってしまったらもう満足できないかもしれない。
ソレが最後の一口となると、アイツはポケットから木箱を取り出した。蓋を開けると中には紙に包まれた小さな欠片が幾つかある。それを一つ摘んで紙を剥ぐと中から白い粒状の何かが姿を現した。
「……?」
「ん、もしかして薬が珍しいか?」
薬……それは人間がある時に飲む物だと聞いたことがある。確か妖精には必要ない筈……
「…………んん」
「あぁ、薬が苦手なのか」
違う。それは私には必要の無い物だ。だから私に近づけないで。
「これは味の酷い薬じゃない。信用できる筋から購入しているものだ。だから安心しろ」
そう言ってスプーンの上に一粒置き、口元へと近づけてくる。そうじゃない、そういう事が言いたいんじゃなくて……
するとアイツは突然スプーンを突き出した。歯と歯の僅かな隙間をすり抜けて口内へと入り、喉に流れ込んでいき、薬が拒否反応を起こさずに体内へと入る。
「んぐっ…………」
「これで一度寝れば治るから安静にしていろ。後、今から町へ買い出しに行ってくるが何か買ってきて欲しいものはあるか?」
「………………」
そうか、じゃあ行ってくる。アイツはそう言った後、鍋を持ち去った。そして暫くすると遠くの方で扉が開閉して、鍵が閉まった。
「もう……」
これ以上言葉が続かなかった。心にぽっかりと大きな穴が空いた感覚と、胸が締め付けられる感覚が身体中を徐々に占めていく。もう……何が何だか……分からないよ……
雑念を振り払う為に無理に寝ようと布団に潜り込んでみた。しかしその行為は暗闇と無音を作り出すだけで、逆に眠気は吹き飛ばされてしまった。それは私の中から不安や絶望といった負の感情が溢れ出させ、大蛇の様にとぐろを巻くだけでなく、より肥大させる事になったのだった。