神様失格   作:トクサン

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終焉の地・改め

 何日――いや何ヶ月? もしかしたら年かもしれない。

 

 私は随分長い事我を忘れていた様な気がします。『彼女達との生活』は決して酷いモノではなく、食事と休息の約束された軟禁生活の様なものでした。肉体的に考えればそれ程悪い境遇ではないのでしょう。しかし精神的な意味では酷く疲労を強いられました、特に夜は――いいえ、掘り下げるのはやめましょう。悲しいのはそれ自体を苦にするほど私の体が軟弱ではなかった事でした。

 

 ここの生活で私の姿はすっかり変わってしまいました。

 元々それなりに見れる程だった肌色は真っ白に、髪色も精神的な疲労からか白髪が目立つようになってしまい、顔立ちは変わらないものの全体的に更に細く――病弱な印象を相手に持たせる体になってしまいました。

 

 老けたのかと私は思いましたがそんな事は無く、若さをそのままに髪を白く体が小さくなった様なものです。最初の日以降脱走を試みなくなった私では精神的な殻に籠って自分の心を守るので精一杯でした。恐らくその殻も限界に至っているのでしょう、この白髪(しらが)と痩せ細る体はその証左でした。

 

 ヨミさんはまだ待っているのだろうか。

 待ち続けているのだろうか。

 

 ふと自身の殻に籠りながらそんな事を考えます。彼女と交わした約束を私は未だ忘れていません、必ず帰ると誓いました。けれどこの身は余りにも矮小に過ぎ、非力な己では現状を打破するどころか挑むだけの勇気すらありません。結局ヨミさんの身を案じつつも『案じる事しか出来ない』私です。

 

 日々降り積もる想い、反して過ぎていく時間。申し訳ない、申し訳ない、ただそう繰り返しました。後にも先にも逃げ出した相手に恐怖では無く罪悪感を抱いたのはその時だけでしょう。

 

 日々献身的に食事を与えられ、夜は獣の様に貪り食われ、日、週、月、年、飽く事無く繰り返される日々はやがてどれ程異常であっても【日常】と呼ばれるに至り。黒くより黒く濁った瞳を持つ彼女達はいつしか――その瞳の色に狂気を色濃く宿し始めました。

 

 私の上で爛々と瞳を輝かせ揺れ動く彼女、そんな彼女を見上げながら私は無感情に体を脱力させます。彼女達は最初ただ私を貪り食らうだけで満足していました。けれど人間と言うのは酷く傲慢で強欲な生き物です、現状が普通と呼ばれる状況に至るといずれ慣れ、更に上の環境が欲しくなります。それはもっと自分の欲を満たすような食らい方であったり、或は【獲物を独占できる環境】であったり。

 

 だからそうなる事はある意味必然だったのでしょう。終盤、彼女達は私の頭上でうわ言の様に呟いていました。「もっと」、「もっと」と。それが何を意味するのか私は理解していながら見て見ぬ振りをしました。

 

 最期の夜、終焉の訪れた日。

 

 私が完全に沈黙し為すがまま、為されるがまま、逃げもしないと理解した二人は遂に衝突しました。土台無理な話だったのです、あれ程狂気的な感情を持ちながら折り合いをつけて『共有する』など。

 

 家の中から幾つかの銃声が鳴り響き、物が落ち、割れ、静謐な空間が瞬く間に破壊されました。そんな状況にありながら私は身動ぎ一つする事無く、ただ天井を見上げたまま何も言わず、感じず、考えず。

 そっと瞼を閉じました。

 そうしていれば全ては瞬く間に過ぎ去るからです。

 

 酷く疲れていました、交わる事と抗う事、何よりこうして生きる事に。いつしか疲労は精神を越え肉体に、やがて瞼を下ろした私は呼吸さえ忘れ。

 誰かの、胸の裂けるような悲鳴を聞き。

 

 そうして私はいつしか廃れた人間と成ったのです。

 

 

 ☆

 

 

「これが私の語れる全てです、いやはや、長い話になって申し訳ありません」

「なに、語れと云うたのは我よ、どれだけ長い語りであろうと責めはせん――しかしまぁ、何とも波乱万丈と言うか、女難に満ちた生というか、凡そ人間の愛憎が詰まりに詰まった旅路であったな」

「辛くなかったと言えば嘘になります……自分が居なければ彼女達も、もっと平凡で幸せな一生を送れていたでしょう、私は生れ落ちない方が良かったのです」

 

 重虎はそう言って苦笑いを零し、長らく語って聞かせたせいか僅かに乾いた喉に手を当てた。長い長い語りであった、凡そ自身の記憶に色濃く残る部分を全て語って聞かせたのだから。途中相槌を打ちながらも黙って重虎の語りに聞き入り最終的に何とも言えない表情で佇む話し相手。

 

 世は彼を『神仏』と呼ぶ。

 

 正確に言えば彼ではなく彼女でもないのだけれど、彼の姿は男とも女とも取れる中性的な顔立ちに中背中肉である為に便宜上そう呼称していた。

 

 場所は『天照神坐』と呼ばれる神仏の住む場所。其処は人が極楽浄土やら天国と呼ぶ場所で在り周囲の景色は凡そどんな場所よりも美しく幻想的な空間だった。地面は広大な海、遥か先には太陽が沈みかけており赤と青、そして雲の白色が混ざり合って視覚を刺激する。上を見上げればどこまでも澄んだ茜色、神仏は水上の上で胡坐を掻き、また重虎は正座で対面していた。

 

 

 藤堂重虎、享年――二十三歳。

 

 

 死因は『腎虚』である。これは恥ずかしがるべきなのだろうか、それとも悔しがるべきなのだろうか。どちらにせよ重虎は自身の死因に対して思う事は無かった。なにしろ死んだと実感できる事が何一つなかった故に。恐らく能面の様な表情をして布団の中で冷たくなっていたに違いない。

 

「生まれなければ良かったと言うが、世に生れ落ちる命には必ず何かしらの【生誕理由】がある、バタフライ効果という言葉が人類には存在したろう、汝の些細な行動が人類栄達に何かしら関与したのかもしれん」

「バタフライ――? 良く分かりませんが、そうなのでしょうか……」

「確証はないがな、我は全知ではない、全能ではあるが全てを知るなど面倒な事この上ないだろう、人が言う程神仏は『ホトケ』ではない、我らにも趣味趣向があるのでな」

「結構、俗っぽいんですね」

「所詮は生物、人類の上位者に過ぎん、ソレに何を期待するというのか」

 

 ベースが人類なのだから上位者である神仏もまた『それ相応』だろうというのが彼の弁。良く分からなかった本人が言うのだからそうなのだろう。彼は自分の膝に肘を立てると溜息を一つ吐き出した。

 

「さて、語りは聞いた、汝の魂にどす黒くへばり付いた『アレ』の理由も知った、その上でどうするか――汝はどうしたい?」

「どうしたいと言われても……書物で読んだ事があるのですが、世には『輪廻転生』という説があるとか」

 

 重虎がいつか読んだ書物の内容を一つ挙げてみれば神仏は眉を潜め、「何だそれは」と詰まらない事を聞いたと言わんばかりに背を伸ばした。

 

「字面からするに魂を螺旋の如く使い回せと言うか、馬鹿を言うな、下界の魂に幾つもの生を張り付けるなど、腐り落ち赤子の頃より廃人が末路よ」

「そんなに酷いのですか……?」

「酷いどころの話ではない、基本魂は使い捨てぞ、世に生きる魂の総数など決まっておらん、放って置いても増えていくものを何故態々更に増やす真似をせねばならんのだ、我々とて好き好んでこの様な場に居るのではないのだからな」

「はぁ」

 

 気の無い返事をして頭を下げる重虎。世の中は自分の知らない事ばかりであった。しかし知らないからこそ自分が死んで天照神坐などという場所に来ても落ち着いて語って居られるのかもしれない。いや、最初の頃は大分取り乱した自覚はあるけれど。

 それでも常人と比べればマシであった、何しろ最後の数年は廃人として生きていたのだから。

 

「何か未練はあるか? 神仏とて情はある、特に『汝ら一族』は色々と因果な生を歩む故な」

「一族? ……私達の一族は何か特別なのですか」

「特別というよりは特殊と言うべきか、様々な世界で様々な結末を迎えている、機械人形に成り果てたり、剣の道を極めたり、或は異形の娘の為に――いや、これを語った所で詮無き事、それより未練よ、あるならばさっさと吐き出すと良い」

「未練、未練ですか……」

 

 どこか投げやりな神仏の態度に戸惑いながらも重虎は正座のまま俯く。未練と一口に言われてもパッと思いつく事は無い。最後の方は完全に思考を飛ばしていた、殆ど植物人間と言って良いだろう。

 けれどたった一つだけ重虎の心に残っている事があった。それを未練と呼ばず何と言えば良いのか、重虎は一つ頷き口に出した。

 

「――ヨミさんに謝りたい」

「ほぉ、あの猟師の娘か」

 

 語りを聞いていた神仏は面白そうな声でそう口にする。重虎はその言葉に頷きながら自身の感情を一つ一つ形に――言葉にする様にゆっくりと言った。

 

「多分の彼女の事だから何年も……本当に何年も待っていてくれたと思うんです、だから私は彼女との約束を破ってしまった事が何よりも辛くて、何よりも悔いています、出来る事なら彼女に一目会って、ただ約束を破ってすみませんでしたと、謝りたいんです」

「謝罪――それが汝の未練か」

「えぇ、彼女にもう一度逢えるのなら、どんな形でも、どんな場所でも構いません」

「まだ叶えるとは言っていないのだがな……まぁ、良い」

 

 神仏はそう言うと真っ直ぐ重虎を眺め、「魂は基本的に使い捨てである、この言葉に偽りはない、例外はなく、汝もまた本来は虚無に消える存在よ――しかし」と何処か意味深に笑った。

 

「何事にも例外は存在する、人が『天使』と呼ぶ存在よ、天からの遣い、即ち我が神仏の尖兵、これに召し上げられた魂は色褪せる事無く、その後も姿形を保ったまま存在する事が出来る」

「天の遣い……ですか」

「汝が望むのならば召し上げよう、謂わば上位者の付き人よなぁ、ただし天の遣いとなれば『人に戻る』事は永遠に無い、その魂擦り切れるまで――否、神仏の力を取り込むのだ、廃人など以ての外、狂い死ぬ事も出来ず永遠に魂をすり減らす日々と、それが代償として与えられる汝の義務、さて重虎、汝はどうする?」

 

 人としての消滅を望むのならば右手。

 天の遣いとしての生を望むのならば左手。

 

 好きな方を取れと口にして神仏は両手を差し出した。重虎は差し出されたその両手を見て口を噤む。彼は面白そうに口元を緩めるだけでそれ以上何かを言う事は無い、重虎だけで選べと言外に伝えていた。神仏は全能であるのだろう、しかしソレにしては随分と俗が過ぎると思った。これではまるで人間だ、彼は重虎の人生を面白そうに眺めるだけだった。

 

「……天の遣いとなれば、ヨミさんに逢えるのですか?」

「無論、先程魂は使い捨てと言ったがな、稀に居るのだ、【自力で輪廻を回す化物】が、凡そ総ての魂が廃れ狂い死ぬ輪廻に於いて正気を保ち、尚も生き続ける精神的怪物がな、天の遣いとなった者が駆り出されるのは正にソレよ、我ら神仏は違反を嫌う、そして介入を嫌う、世界は在るがままが一番美しい、故に我らが直接手を下すのではなく魂を掬い、肉を与え、天の遣いとするのだ――汝が我が左手を取った暁には娘の居る世界に派遣する事を約束しよう」

 

 そうして世は浄化される。

 重虎には理解出来ない話であった、そもそも重虎にとって世界とは今まで生きて来たあの場所、あの時代、あの時間だけである。それ以外の場所など想像も出来ない。だから本当は神仏が言っている事の一割も理解出来ていない。

 ただ一つだけ理解できたのは――ヨミさんが彼の言う【自力で輪廻を回す化物】に成り果てたという事だけだった。

 

「謝罪の場は設けよう、その代償は汝の魂そのものである」

「……天の遣いとなれば、死なないのですか」

「正確に言えば【死ねなくなる】、例え肉体的な死を迎えても魂が固定されている、肉体など幾らでも作れば良い、汝が幾度死に絶えようと何度でも娘の元に送り返そう」

「私は何をすれば?」

「やり方は好きにすれば良い、最終的に世を乱す行為を正せば文句は言わぬ、魂が放って置いても増える様に天の遣いも飽く程居るのでな、神仏に届き得る世界は特に面倒だ、何事もなければ汝の世界も固定化されよう――さて、人の旅路を聞き貪るのは好きだが問答は嫌いだ、急ぎ選べ、右か左か、汝の好きな方を」

「………」

 

 右を選べば人として死に、左を選べばこの神仏の遣いとして死後を生きる。

 何とも突拍子もない話ではないか、重虎は手を浮かせながらそう思った。自分が死んだ事さえ未だ信じられないというのに、けれど目の前の存在が超常のソレだという事は嫌でも理解出来た。選ばなければならない、他ならぬ自分が、己自身で。

 右手を見る、左手を見る。重虎は永遠を生きるという実感を抱かない、魂と言う良く分からない存在も感じない、ただ理解している事は左手を選んだ瞬間自分は気が遠くなる程の時間を生きるという事だけ。

 思考は一瞬、迷いもまた――一瞬。

 

 重虎は神仏の左手を握った。

 

「――汝、後悔はしないか」

「分かりません、自分が死んだことさえまだ信じられないんですから……けれど謝りもせず消えてしまったらきっと後悔します、それだけは分かります」

「一時の感情に身を委ねて永遠を無為にする、愚かな行為よ、浅ましき人間よ、【我ら神仏の生き地獄】、その矮躯で挑むとは……だが尊重しよう、我らは人間が好きなのでな」

 

 彼はそう言って笑うと両手で優しく、包む様に重虎の手を握った。瞬間そこから流れ込んで来る熱、それは滾る血潮の様に重虎の体を駆け巡った。その様な感覚は初めてだった、まるで暖かい太陽に包まれている様だった。

 

「我ら神仏は個体によって持つ力が異なる、この地である『天照神坐』の名から分かるだろう、我は太陽を生み出した神仏よ、故に汝に分け与えるは日輪の力――この時より汝、天の遣いとして生きる事、ゆめその務めを忘れるな」

「……はい」

「泣く事もあろう、笑う事もあろう、時には絶望し弱音を吐き、もう投げ出したくなることもあるだろう、涙を流す事を許す、絶望する事を許す、挫ける事を許す――だが投げ出す事だけは許さん、そして決して忘れるな、汝の覚えた感情を、それは生きる糧であり人が生きるのに尤も必要な物だ、それが枯れ果て血潮の通う機械人形と汝が成り果てた時、その時汝が救済を願うのならば」

 

 我自ら、汝の魂を砕こう。

 それが天の遣いとしての最後であり、彼の神仏――【天照】の持つ最後の情であった。

 重虎は正座を崩す事無く両手を水面に着き、深々と頭を下げた。そうする事が自然であるかの様に。神仏は重虎を笑顔で見下ろしていた。その笑みの内容を重虎は理解していない、ただ重虎にとってこの選択が人生で最も重要な選択である事だけは分かった。

 

「藤堂重虎です、改めて――宜しくお願いします」

「天照神坐主神――大神『天照』、良く励めよ」

 

 

 




 テンプレ転生する為に六万字必要だったなんて信じたくない。転生というよりは抑止力みたいな物ですが。
 でもね、ほら、主人公がここまでアレだとちょっと小説の見せ所としてどうなの? って感じありますし……ありません? 第一話で言ってますがコレ一応ファンタジー小説(仮)なんですよ、多分、恐らく、私もちょっと良く分からないけれど。
 
 因みに次話から恐らく年代が飛びます。「渡る世間」と同じですね、世界観としては多分「太陽の子」か「我が愛しき」の所より更に先です。主人公が死んだ所から天の遣いでリスタートと言うのも考えたのですが……争奪戦勃発している最中に主人公放り込んだら大変な事になりそうだなぁって(小並感)

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