神様失格   作:トクサン

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臆病な私

 

 

 意外と言うべきか、それとも彼女の予想通りと言うべきか。教師こそ拒否した私でしたが民宿での従業員生活は中々どうして良い生活でした。

 朝昼夜の食事に寝床もある、仕事と言えば布団干しやちょっとした調理・食事の配膳、掃除に買い出し、浴場の清掃くらいなもので大変という程でもない。それこそ客が来ても大抵は女将である母の幸恵さんが大半を対応してくれるので殆ど裏方の仕事ばかり。そもそも滅多に客が来ないので気楽なものです。

 

 私塾が休みの日は由紀子さんも手伝ってくれますが大抵は居間で茶を啜りながら他愛のない雑談をするだけで一日が終わります。家の裏庭でちょっとした野菜の栽培もしていますがその辺りは幸恵の管轄、給料はちょっとしたお小遣い程度ですが無いよりマシです。なにより住む場所と食事が出るだけで十二分、私はこの生活を一ヵ月続けるうちにすっかり馴染んでしまいました。

 

 由紀子さんは私という男性を家に据える事に成功したせいか常に上機嫌で、最近では街を歩いていると「三都郷の若旦那」と呼ばれる始末。何でも彼女が『良い人が出来た』と井戸端会議で言いふらしたせいで私がその相手だと思われているらしいのです。誤解ですと声を大にして反駁したいところでしたが、何分小さな街、情報が伝わるのが速いこと速いこと。それに実際家に住まわせて貰っているのも一目惚れを告白された事も事実ですし、結局私は愛想笑いを浮かべて「どうも」と頭を下げる事しか出来ませんでした。外堀を埋められている気がしないでもありませんが、あの一目惚れ騒動以降彼女が迫って来るような事はありません。熱が冷めたならばそれも良し、虎視眈々と機会を伺っているのならまぁ――未来の私に期待しましょう。

 

 時折二人で買い出しに出る事もあります、寧ろ由紀子さんは休日に二人で外を出歩きたがりました。私は余り由紀子さんと出かけるのが好きではありません、何故なら二人で歩ていると主婦の方々から熱い視線を頂くのです。大抵は由紀子さんが大袈裟に――それはもう意図的に――私の腕を掴んで胸に抱き寄せるのですが、そうすると一層視線が突き刺さるのです。はしたないと窘めるべきなのでしょうが事実上立場は彼女が上、私には何も言えんのです。きっと厳しい視線は男性陣のものでしょう、それが嫉妬なのか公共の場で何をしているという咎める視線なのか、私にはもう分かりませんでした。

 

 色々と疲れる所はありますが概ね順調で平和、正直に告白すると実家よりも居心地は良い位でした。街の人々は素朴で優しく、田舎特有の排他的な雰囲気を持ちません。それが三都郷という民宿に属した為に同郷判定を頂けたのか、それとも単に誰にでも手を広げる習わしなのか、それは分かりませんが。

 

 私が民宿に勤めた事で僅かではありますが客足も増えました。自惚れになりますが私目当ての女性客です。その頃の私は自身の容姿についててんで失念していて大抵好意的に接して来る彼女達に大変困惑しました。

 休日になると由紀子さんが女性客を私から露骨に遠ざけ、まるで威嚇する猫の様に毛を逆立てるのです。それでも度々足を運ぶ彼女達も彼女達ですが。私目当ての女性客は偶々此処の街に仕事、或は何かしらの用事で滞在する事になった若い女性たちで、こんな小さな街にこんな男がいたなんてと驚き安い民宿価格もあわさって滞在期間を伸ばしたり、休日に泊まりに来たりしました。

 それで私の懐に金銭が入るのは有難かったのですが宿泊客の相手――女性限定――をすると大体由紀子さんは拗ねるのです。客である以上もてなすのは当然、しかし由紀子さんはどうも独占欲が強いのか私が女性にへらへら笑って相槌を打つのが気に入らないようでした。

 

 ハッキリ言って私と由紀子さんの関係は変わっていません。居候と家主、この場合は幸恵さんが家主だろうか? だとしても生活を支えているのは確かに由紀子さんでした。立場としては上司と部下、決して恋仲と呼ばれるソレでは無く、彼女の嫉妬は所有物を誰かに盗られたくないという子ども染みた感情である事はよくよく私も理解していました。大抵嫉妬とはそういうものなのです。問題は私が未だ彼女と男女の仲ですらないという事でした。

 

 あの日以降動きはなく、時間が経てば新鮮だった生活も馴染みある物に。

 街で若旦那と呼ばれても実際は唯の居候。何だ、危惧する事は何もなかったじゃないかと思い、こんな生活を続けていくのも悪くないと思っていた頃。

 私はその考えが甘かったことを思い知らされました。

 

 切っ掛けは少々豪胆な女性の酔い、その女性は中央の方で西洋との外交を行っている方でした。何でも西に輸出する為の絹を近くの街に見に来たと、この国の絹は大変外から高い評価を受けている様で彼女は直々に視察に赴いたとの事でした。

 女性でその様な社会進出を行っているのは珍しい、私は単純に彼女を尊敬し敬意を持って接しました。私は華族に生まれながらその様に生きる事が出来なかった人間です。単純に身一つで成り上がったその女性に憧れを抱きました。

 

 彼女は酒で滑りを良くした舌を忙しなく動かし様々な事を語って聞かせてくれました。それはこの国の外の事、私が書生時代に学ばなかった事ばかりです。宿泊していたのがその女性だけだった為私は付きっ切りで彼女の相手をしていた訳ですが、幸恵さんも料理を作る為に裏方へと回っており人の目も無く熱心に相槌を打つ私に気を良くした彼女は私の肩を掴んでこう言いました。「貴方の所作はどこか気品を感じます、もしや良い家柄の出なのではないでしょうか? 何故、こんなところに」と。

 

 私は彼女の観察眼の鋭さに驚き、流石に国同士を繋ぐ高官は違うと思いながら恥ずかし気に首を撫でまわし頷きました。私も彼女の陽気な雰囲気にあてられ、そして語られた西洋の知識に少しでも報いねばと自分の事を語ろうとしたのです。

 内容は掻い摘んで、いつか由紀子さんに話した内容を更に簡潔にしつつ答えました。要するに自分はそこそこ良い家に生まれたが無能が故に放逐されてしまったのだと。

 すると彼女は私の手を掴み強い口調告げました。

「私の元に来ませんか?」と。

 

 私は驚き、そして慌てて拒否しました。相手は外交の仕事人です、それも最近活発になって来た諸外国との交流を管理する人間。そんな大それた事を自分が例え一端でも担えるとは思えませんでした。それどころかそんな世界に飛び込む事自体、私には難度が高かったのです。渡世を選ぶ知性位は私にもありました。

 彼女はチラリと厨房の方、恐らく幸恵さんの姿を確認したのでしょう。幸恵さんの姿が見えないと確認するや否や私を押し倒す勢いで詰め寄りました。

 

「貴方はこんな――言っては悪いけれど小さな村に居るべき人ではありません、とても美しく物腰も柔らか、それは貴方の才能なのです、この国には今『人をもてなす』人材が求められています、諸外国との外交をより円滑に進めるための人材です」

「お、お気持ちは嬉しいのですが、私は、その、学がありませんし、ましてや国交など夢の又夢、粗相があっても責任が取れません」

 

 顔を赤くして熱弁する女性に私は困った表情を浮かべて答えます。何度も何度も根気強く自身の不便性を説き、何より此処の生活が気に入っていると述べました。彼女は酒の力もあったのでしょう、一時は腰を落ち着けて杯を手にくるくると中の酒を遊ばせましたが、ふと私を上目遣いで眺めると恥ずかしそうに頬を掻いて言いました。

 

「いえ、すみません、今のは方便です……正直に話しますと、その、私は貴方を傍に置く理由を欲しています」

「? 言葉の意味が良く……」

「貴方に好意を抱いているのです」

 

 衝撃であった、暫くその事実に硬直した。照れた表情で私の顔を伺う女性は自分で口走った言葉の意味を良く理解していない様にも見えました。私は暫く間抜け面を晒し、何を言えば良いのか分からず言葉に窮しました。

 

 まただ、またこの状況だ。

 その時私の脳裏に描かれたのは一ヵ月前、由紀子さんに一目惚れですと告げられた時の場面。私はこの時、漸く自身の実家の力を思い知りました。後ろ盾のない人間の美貌はこうも牙を剥くのかと。正確に言えばそれは牙でも何でも無く好意という名の救いなのですが。

 しかも間の悪い事に――。

 

「藤堂さん?」

 

 由紀子さんが帰宅しておりました。

 食堂に続く扉、その引き戸を中ほどまで開けた状態で由紀子さんが私達を見ていました。私塾から帰って来た所なのでしょう、手には教材一式の入った風呂敷を抱え外向き用の着物姿でした。彼女と目の合った私は思わず肩を跳ね上げます、此方を見る由紀子さんの瞳の何と黒いこと黒いこと。

 まるで妄念と憎悪に蓋をされたかの様な黒さ、真っ直ぐ見ていると此方が吸い込まれてしまいそうな深い色をしていました。まさか今の言葉を聞かれていた? 私の背にひんやりとした汗が流れ落ちます。

 

「ん、っと、これは……民宿の方でしょうか?」

「えぇ、此処の女将の娘で『由紀子』と申します――少々、其方の【重虎】に仕事の話がありまして、お時間宜しいでしょうか?」

 

 シゲトラ。

 そう呼び捨てで、それどころか名前を直接呼ばれたのはこれが初めてでした。酔っている女性は深く頭を下げてそういう由紀子さんに「それなら、まぁ、仕方ありません」と口にし、私の肩をそっと抱き囁く様な口調で告げました。

 すっと由紀子さんの瞳が細まる。私は悲鳴を上げそうになりました。

 

「先の件、どうか考慮して頂けますよう、お願いしますね?」

「………ハイ」

「――重虎?」

「ハイ!」

 

 呼ばれたからにはいきます、いきますとも。前者には恐る恐るといった返事、後者にはおもわず背筋を正し腹の底から返事をした。私が食堂を出るその瞬間までビシビシと背に視線が突き刺さっていましたが今は気にしていられる状況ではありません。きびきびとした動作で廊下に出た私は、そのまま前を歩く由紀子さんの背を追い二階に上がりました。

 民宿の客間は大抵一階にあります、風呂や厠などもそうです。二階は主に由紀子さんや幸恵さんの生活する空間、故に入ったのは片手の指で数えられるほど。そして二階の一番端っこの部屋――恐らく由紀子さんの部屋だろう――の襖を開け放たれ、一歩横にずれた由紀子さんが笑顔で告げました。

 

「どうぞ」

「…………」

 

 襖の奥に在るのは未知の領域、即ち異性の生活する空間。そして顔は笑っているが何かオソロシイ雰囲気を醸し出す由紀子さん。この空間に入ったら最後、後戻りできない様な気がする。そう思って恐る恐る由紀子さんの顔を直視するも。

 

「入って下さい――今すぐ」

「はい」

 

 断れる勇気も権力も、今の私にはないのでした。

 

 





 この小説には書き溜めもプロットもありません、不定期更新となります。
 出来れば春休み中に完結させたいです。(希望)

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