神様失格   作:トクサン

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逃亡の私

 

 女性というのは酷く難解です。そもそも人の機微に疎い私が、ましてや異性の事に関して敏感になるなど土台不可能な話で。ストレートに好意を告げられた私ですが心の何処かで『恋の熱は冷めやすい物、熱病の様なモノだ』と決めつけていた節があります。つまり私は由紀子さんの想いに対し真正面からぶつかる事を避けていたのです。

 

 その結果がこれです。

 

 委細を語る事は出来ません、それは男の尊厳的な話でもありますが何よりも下に走る――いえ、やめましょう。人にとって知らない方が幸せという事柄は確かにあるのです。

 

 その日の夜の出来事確かな爪痕と熱情を私に刻み込みました。性に関する知識など又聞きか実体験でしか得られない時代です、ましてや書物など厳格な父の管理下にあっては入手など不可能でした。

 とどのつまり私は由紀子さんという一人の女性に文字通り蹂躙された訳です。否が応でも彼女の好意を感じずにはいられませんでした。婚約も結んでいないのにその様な行為に走るのはふしだらだ、きっと妹か姉が居ればそう口にしたでしょう。俗にいう婚前交渉というものです、しかし私にとって衝撃的なソレは私自身の意思など介在しませんでした。運動が出来ないと言うのは謙遜でも何でも無いのです。私の筋力は健康的な女性のソレに劣ります、細身な体では由紀子さんの力には抗えず――。

 

 気付けば朝、日の差し込む早朝でありました。

 

「………」 

 

 目覚めたのは実家の温い布団でも、自室の布団でも無く他人の、それも異性が使っていた布団の中。ふんわりと香る女性の匂いと仄かな性臭。私は天井の木目をぼんやりと眺めながら「天井の染みを数えている内に終わった」と内心で呟きました。そうは言っても凡そ半刻もすれば意識が飛んで何が起こったのかも理解していなかったのですが、殆ど全裸と言って良い状態の自分を見れば凡そ想像はつきました。

 

 もぞりと布団から寝返りを打ち隣を見れば、なんともまぁ憎たらしい程に安らかな笑みで眠りに落ちる由紀子さん。その表情は満足げで心なしか優越感に浸っている様にも見えました。私を組み敷き好きな様に蹂躙できたのが余程楽しかったのでしょうか、彼女自身も初めてだとは言っていましたが正直眉唾物だと考えています。

 

 私は彼女を起こさない様にゆっくりと布団から這い出ると、肌寒い朝の空気に体を晒しながら散らばった着物を集めて着込みました。幸い皴になるような事も無く、ぎゅっと帯を締めればいつもの私。廊下に出れば丸窓の向こう側に朝日が見えました。澄んだ空気の中で見える太陽は酷く美しく。

 

「そうだ、逃げよう」

 

 その言葉は実にすんなりと私の口から出て来たのです。

 

 

 ☆

 

 

 そもそも私は女性経験など数える程しかないのです。清い男女交際とは何か? 最初は文通から、次に散歩? 手を繋ぐ所から逢瀬を重ね、最期に接吻? 良くは分かりませんが最初から棒をぶっさす付き合いが正しい事でない位は分かります。私は学がありませんが決して馬鹿では無いのです、多分。

 

 という訳で私は未だ由紀子さんが起きて来ない事を幸いと、自室に戻って夜逃げ――この場合は朝逃げだろうか――の準備を整えました。今までに稼いだお金をちゃぶ台に置き、手慰みにと由紀子さんから頂いた紙に筆で『今迄、有難うございました』と書き記す。お金は私の謝罪の気持ちという奴です、私とてこの行為が正しいものだとは思っていません。

 

 しかしどうにも良くない予感――いえ、確信があるのです。このまま此処に留まり続けたらいつの間にか、本当にいつの間にか由紀子さんと夫婦(めおと)となる未来がありそうだと。昨夜の情事でもそうですが彼女の私を見る目は普通とは異なります。まるで蛇の様なと言っては失礼でしょうか、昨日のアレコレで吹っ切れた彼女の執念と感情は正に津波の如く。私は彼女のその膨大な感情、愛情とも呼べるソレが恐ろしくなりました。

 

 理想とも言える田舎生活ではありましたが致し方ありません、私はもう十八ですが結婚するのにはまだ少々早いと考えているのです。女人を抱いて逃げると言うのは聊か、いえかなり外聞が悪い事ではありますがこればかりは感情の問題。私は実家から逃げた時と同じようにしずしずと民宿を抜け出しました。

 

 

 さて、何処に行こうか?

 ボロボロのバス停、ブリキ板が屋根の小さな木造椅子。そこに座ってぼうっと空を見上げながら私は次の行き先を考えていました。路銀はあれから少したりとも減ってはいません、稼いだ分は丸々置いて来た為増えてもいませんが今の私の心の拠り所は路銀の額がそのままである事だけでした。

 

 最初は昨日の女性――外交の仕事に勤める女性に連れて行って貰おうとも考えましたが、昨日あれだけ深酒したのです。早朝から活動するのはさぞ辛いでしょう。私は早々にその案を切り捨て、取り敢えずこの村を離れる事に決めたのです。

 

 古く錆びたバス、くたびれた帽子を被った運転手が私を見つけ車両を止めます。がたごと揺れながら停車したバスは濁った空気を排出しながら揺れています。扉を押し開けて中に入ると乗客は私一人、当然です。始発の朝早いバスに乗車する人など殆どいません、特に郊外の田舎町なら尚更。

 私は運転手の直ぐ後ろの席に座ると彼の肩を叩いて問いかけました。

 

「このバスは何処まで行きますか?」

「終点ですかい? この車両は緑ヶ丘まで行きますよ」

「お幾らで」

「一円あれば向こうまで、大分遠いですがね」

「ありがとうございます」

 

 私は御礼を言うと静かに椅子へと身を預け、ぼうっと一月過ごした街並みを眺めるのでした。

 

 三時間程でしょうか、バスに揺られて時折眠りながら辿り着いた緑ヶ丘、そこから更にバスを乗り換えて終点まで。それを二度程繰り返し時刻はすっかり夕方、自分が今どこに来たのかすら分からないまま私は去り行くバスの背を見送りました。

 

 山の向こう側に赤く染まった太陽が沈んで行きます。少々長く座り過ぎた為か体が酷く凝っていて、その場で伸びをすると左右に体を倒して骨を鳴らします。ぱきこきと子気味良い音が鳴って、私は幾分か気分を入れ替えました。

 

「少し、大きな街かな」

 

 山に囲まれた盆地、乗り継いだ先で辿り着いたのはちょっとした規模を持つ街。そこは私が暮らした村よりは数段大きな人の集まる場所でした。都会とは呼べないもののある程度二次産業を取り入れた地方都。バス停はその街の外側に設置されていて、一緒に乗っていた乗客たちは皆街の方に向かって歩き始めました。

 

 私も民宿か宿を探すべきだろう。

 

 そう思って街の方に足を向けようと思いましたが、余り人の多いところが好きではない私です。数分ほどその場に突っ立った後、街の外周に向かって私は歩き始めました。中央にはいきたいと思いませんでした。それにあの村よりも大分大きな街です、民宿の一つや二つ位はあるでしょう。そう考えて街の外側から見て回る事にしたのです。

 

 外周には聳え立つ円筒に黒煙を吐き出す工場が沢山ありました。私にとっては余り見慣れない設備です、あまり大きな街を自由に出歩く事が無かった私はそれらを眺めながら街を練り歩きました。

 

 そうして暫く歩いていると幾つか民宿や旅館を見つけることが出来たのですが、大抵この時間は既に客室は満室で申し訳無さそうに断られてばかりでした。あの村とは真逆、人の溢れるこの場所は需要が大変大きいらしい。私は頭を下げる女将に愛想笑いで手を振りながら、渋々旅館や民宿を後にしました。

 

 さて困った、寝る場所がない。

 

 私は途方に暮れました。見れば太陽は既に沈み、ガス灯が街道を照らしています。キラキラ輝く光の中を歩く人々はまばら、既に帰宅の時間です。私の様に荷物を抱えて歩いている人などおりません。ほとほと困り果ててしまった私ですが野宿出来る程の度胸も体力も無く、兎に角空き室のある旅館や民宿を探すしかありませんでした。

 そんな折です、とんとんと優しく肩を叩かれたのは。

 

「もし、そこな男の人、少し良いかい?」

「私ですか……?」

 

 後ろから肩を叩かれ、私は振り向きました。其処には胴着と思われる衣服を纏った一人の女性が立っていました。私と同じ位の身長で髪を一つに括っています。肩には長い布袋を乗せており武術を嗜んでいるのは一目で分かります。随分と勝ち気な――男勝りな女性だと思いました。

 

「膨らんだ荷物を持って右往左往、さっきあの旅館から出て来たのを見たけれど、もしかして宿を探しているのかい?」

「はぁ、えっと、その通りですが……」

 

 彼女は上から下まで私を眺めると、ニカッと太陽の様な笑みを浮かべながら問うてきました。どうやら先程旅館から肩を落として出て来たのを目撃されていたらしく、彼女は私が宿探しに難儀している事を見抜いておりました。

 

「ならどうだい、道場(ウチ)に泊まりに来るのは」

「えっ」

 

 突然の提案、私は突如差し出された救いの手に困惑しました。「いえ、しかしそんな、見ず知らずの方の家に突然お邪魔するのは……」と私が渋い顔をすると、彼女は「ミソギって呼びな」と言いました。

 

「禊、私の名前だよ、ほらコレで見ず知らずの人じゃないだろう」

「あ、そうですね……って違いますよ、私が言いたいのは、その、女性がこう簡単に男性を自宅に誘うのは危機感が無いと」

「ははは、その細い腕で私を襲うかい? 無理だよ、素手でやっても私が勝つさ」

 

 パンパンと程よく焼けた肌を晒し、自身の二の腕を叩く禊さん。鍛えられた腕は確かに引き締まっていて、私のそれと比べると雲泥の差だった。私は目を逸らしながら「貴方の意図が分かりません」と言った。しかし禊はぐいぐい距離を詰めると、「袖すりあうのも多少の縁、困っている人は助けるべし、私の父の教えでね」と笑いました。

 

 何とも溌剌とした女性です、私はこのような性格の女性と出会ったのは初めてした。兎も角女性とはお淑やかで、貞淑で、物静かなものだというイメージが私の中には存在していたのです。それは私の通っていた学び舎での書生であったり、我が妹や姉から受けたイメージでした。まぁ尤も、そのイメージは由紀子さんと出会った時点で崩れ去っていたのですが。

 

「ささ、もう日が暮れてしまう、夜は冷えるからね、帰ろうじゃないか」

「え、あ、ちょっと!」

 

 背をぐいぐいと押され街道を歩かされる私。

 抵抗しようにも彼女の手のひらから伝わる力は私の脚力を大きく上回り、そのままずるずると彼女の意図する方向へと押し出されてしまう。人の行き来する街道で私は彼女の実家のある方向へとなすが儘、連れていかれるのでした。

 

 





 一話凡そ4000~5000字、十万未満での完結を目指しています。
 取り敢えず女性のところを転々とするのでこんな感じです。
 尚、主人公は年上キラーです、小さい子が大好きな方はごめんなさい。

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