神様失格   作:トクサン

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迂闊な私

 

 青天の霹靂――とでも言いましょうか。

 室田さんの言葉は少なくない衝撃を私に叩きつけました。婿、婿と仰いましたか今。私は暫くの間間抜け顔を晒し、それから再起動を果たすや否や「は、婿、ですか?」とたどたどしく問いかけました。室田さんは本題を切り出した事で吹っ切れたのか、「そうだ」と神妙な顔つきで頷きます。

 

「えっと、誰が、誰の?」

「オメェが、花奈の」

「正気ですか」

 

 思わずそんな言葉が口から飛び出しました。無礼である事は承知していましたが言わずにはいられませんでした。私の言葉を聞いた室田さんは「おうよ」と頷き、私の目を確り捉えています。彼は本気でした、しかし私は困惑顔のままたじろぎます。

 

「婿って、娘さんはまだ十五でしょう? それに私にはこの商店を継ぐ力なんてありません」

「もう十五だ、ちと早いが嫁に出してもおかしくはねぇ歳さ、それにもっと昔なんざ十超えたばっかで嫁ぐなんてのも珍しくなかった、それとお前は言う程馬鹿でも無能でもねぇよ、分からなければ教えるし周りに手伝って貰えば良い、それにここ数ヶ月で客に顔を憶えて貰っただろう?」

「えぇ……まぁ、はい」

「まぁその顔忘れろってのは無理だろう、商売やる上で顔が良いってのは利点の一つだ、それに俺も直ぐ引退する訳でも無い、ボケた老人になるまでは手伝ってやる、どうだ?」

「しかし……花奈ちゃんの意志はどうなるんです?」

「これはアイツが言い出した事だ」

 

 私は室田さんの言葉に思わず面食らいました。まさか花奈ちゃんから言い出した事だとは夢にも思わなかったのです。何故? と疑問に思いました。言っては何ですが私と花奈ちゃんは『そういう仲』になるような事は何一つ行ってきていません。私も仕事場にいる店主の娘さんとして彼女を扱ってきました。私にとって彼女は女性ではなく少女なのです、愛でるべき対象であっても愛すべき対象ではありませんでした。

 

「俺も最初はどうかと思ったが、元々俺ぁ当人同士好き合ったなら契りを結べば良いと思っていたんだ、親が一方的に決めつけた奴と結婚するなんぞ納得もいかねぇだろう、お前の話は聞いたがまぁ、俺から何か言う事はねぇよ、オメェは真面目だ、少なくとも仕事に打ち込む姿勢はな、それに――この商店継ぐのに乗り気じゃなかった花奈がオメェと一緒ならやっていけると言った、なら親としては最大限応援してぇだろう」

「………」

 

 私は何と言葉を返せば良いか分からず口を噤みます。心の中では「あり得ない」と思っている自分と、しかし二人の好意を無下にするのはどうにもという感情が鬩ぎ合っています。私はこういう点で酷く優柔不断でした。恐らく父が私を勘当した背景には、こうした判断力のなさも含まれていたのでしょう。

 口を横一文字に結んで俯く私に旗色が悪いと悟ったのか、それとも単純に話を急ぎ過ぎたと思ったのか、「あー」と間延びした声を上げた室田さんは私の肩を叩きながら告げました。

 

「直ぐに決めろってのは酷な話だろ、別段急ぎでもねぇ、じっくり決めてくれて構わねぇよ、ただアイツが行き遅れになる前には決めてくれ、明日からいつも通り頼むからよ、な?」

「……はい」

 

 

 ☆

 

 

 結婚、結婚か。

 私はとぼとぼと帰路を歩きながら考えていました。婚姻を結ぶなど私はまだまだ先の事、もっと未来の事だとばかり思っていたのです。私もそろそろ十九、兄は二十二で兵役検査も終えた立派な成人でしたが、私が家を出るときは婚約こそしていたものの結婚には至っていませんでした。

 

 今はどうなっているかは分かりませんが、私もその年代で結婚するのだろうと漠然と考えていたのです。故に今回室田さんから頂いた話は――少々早過ぎる様に思えました。

 私ですらそうなのです、花奈ちゃんに至っては早過ぎるどころの話ではないでしょう。昔はもっと幼い頃から契りを結んだと言いますが夫婦の在り方など時代と共に移ろうものです。私には早すぎる伴侶の存在は決して当人に利を齎さないと考えていました。

 

「断ろうか……」

 

 家の手前、その路地で足を止めた私はポツリと呟きました。受けるにしても私にはその資格も、能力もない様に思えて仕方なかったのです。ましてや相手は十五歳の少女、夢と希望に溢れる若人です。こんな無能で落第者の自分を夫として迎えるなどと――彼女の未来を閉ざすようなものだと思いました。

 しかし、いざ断るとなるとあそこで働き続けるのは難しくなるのではと気付きます。花奈ちゃんの好意と店主の厚意を跳ねのけるのです、無論良い顔はしないでしょう。折角軌道に乗って来たと思っていたのに、私は段々と気分が沈んで行きました。

 

「ただいま帰りました」

「おう、お帰り」

 

 夕方、家に帰って来た私を出迎えたのは禊さん。室内用の着物姿で溌剌と笑う彼女は、「ご飯できてるよ、久々に料理してみたんだ」と言って居間を指差しました。沈んでいた私はせめて家の中で位は元気を出そうと、その笑みに釣られて「珍しいですね」と頷いて見せます。下駄を脱いで肩を並べて廊下を歩く私達。禊さんは今日は休日で一日鍛錬をしていたようでした。

 

「偶には料理もしないと腕が鈍って仕方ない、任せっきりは良くないからねぇ、本来こういうのは女の仕事だろう」

「男だとか女だとか、私達に関して言えば別段気にする様な事ではありませんよ、私は居候ですし、得手不得手は誰にだってありますから、禊さんの代わりに剣を振れと言われても私には無理ですし」

「ははは、違いない! 重虎に剣を持たせた日の事はまだ憶えているよ」

 

 此処に来て直ぐ、禊さんに「男児なら剣を扱えた方が便利だ、それにそこまで線が細いと心配になる」と言われ多少剣術を習っていました。しかし私には剣術の才が一等存在しないようで、剣を振り回すどころか剣に振り回されてばかりでした。結局基礎鍛錬は教えて頂けたものの「重虎の場合は剣を使うより柔術や徒手空拳の方がマシだ」と称されてしまいました。男としては情けない限りなのですが、まぁ凡そ予想出来ていた事です。私には肉体的才能が皆無なのですから。

 

「今日は魚を買って来たんだ、丁度生きの良い奴が売っていてね」

「買い物を?」

「あぁ、丁度入用のモノがあったんだ」

「そうでしたか」

 

 居間に辿り着くと湯気を立てた味噌汁と白米、綺麗に調理された魚が配膳されていました。「味は大目に見て欲しい」という禊さんの言葉に苦笑を零しつつ、軽く手を洗ってから食卓に着きます。魚は鯖の味噌煮です、中々どうして手間が掛かっています。禊さんが対面に座った事を確認した私は「頂きます」と口にすると箸を使って一口、そんな私をじっと見ている禊さんはどこか不安げでした。もぐもぐと咀嚼すると仄かな甘みと味噌の深み、新鮮な魚の味が口の中に広がります。

 こくんと呑み込んだ後、私は「どうだろう……?」と感想を急かす禊さんに向かって一言。

 

「……うん、美味しいですよ禊さん」

「! そ、そうか……!」

 

 私がそう言うと禊さんはぱっと表情を明るくさせ、もそもそと自分の分を食べ始めます。へらっと緩い表情を隠さず食事を進める彼女の姿に私はなんだか体から力が抜けてしまいました。何だかんだ言って彼女の存在は私にとって小さくないものになっていたのでしょう。そりゃあ四ヶ月も一緒に過ごしたのです、情の一つや二つは湧くでしょう。

 

「今日は何をしていたんですか?」

「ん、重虎を見送った後は鍛錬をして、道場の掃除を少し、後は買い出しと料理かね」

 

 嬉しそうな表情でそう答える禊さん。私が求めていたのはこういう、平穏で普通な生活なのです。他愛のない会話、他愛のない生活、他愛のない日常。つまり中身がなく、変化も無く、充実も充足もないかもしれないけれど、【在る】だけで満足するような――そんな生き方。ある意味あの田舎での生活もそうだったのですが、私は今の生活も大層気に入っていました。

 彼女に相談しよう、私はそう思いました。

 頭の悪い自分ではどうしようもないかもしれないけれど、禊さんなら何か良い方法を思いつくのではないかと考えて。ましてやこれは男同士の話でもありません、女性ならではの視点から物事を見れば相手を傷つけずに断る事も出来るかもしれない。

 私はそう考え、勇んで口を開きました。

 

「禊さん」

「うん?」

「少し、相談があるのです」

 

 ニコニコと上機嫌な禊さんを前に私は箸を持ったまま軽い口調で切り出しました。私としては本当に、この他愛ない会話に織り交ぜても良い様な、そんな気軽さを持って相談しようとしたのです。私は重々しい会話が大の苦手でした、故に努めて明るく話そうとしたのです。

 

「実は今日、室田さんに――花奈ちゃんの婿に来ないかと言われました」

 

 からん、と。

 禊さんは箸を取り落としました。

 

「――――」

「……禊さん?」

 

 私は俯き、若干早口で先の言葉を口にしました。故に箸を落した音が耳に届くと同時、顔を上げて禊さんを見たのですが。

 彼女の表情は凝り固まっていました。表情は上機嫌な笑みを浮かべたままでしたが、その口元が硬く引き攣っています。箸を取り落としたまま一向に拾う素振りを見せない禊さんは静かに椀をちゃぶ台に置くと、「………聞き間違いかね、もう一回頼むよ」と呟きました。

 私は「はぁ」と気の無い返事をして、再度「室田さんに、娘さんの婿に来ないかと言われました」と説明します。禊さんは私の言葉を聞くや否や表情を笑みから、すっと真顔へと切り替え――両手をちゃぶ台に乗せたまま私を見つめました。

 

「………婿、婿か」

「はい、どうやら商店の跡継ぎが欲しいようで……正直、私に務まるとは思えないのです」

「―――」

 

 私はつらつらと自分の意見を語り並べ禊さんの助言を求めるのですが、彼女はどこか上の空で私の話を聞いていない様でした。相槌も返事も無く、私は禊さんの様子がおかしい事に気付き口を噤みました。それから一分、二分、妙な沈黙が続いて禊さんは微動だにしません。

 平穏な食卓が一変、まるで通夜の様な状態に。私は反省しました、こんなはずではと思ったのです。彼女の事です「男ならウジウジするな!」と発破を掛け豪快な策の一つや二つ授けてくれると考えていたのですが。目の前の彼女は酷く真剣で、まるで戦に行く前の武士(もののふ)の様でした。

 そしてようやく考えが纏まったのか禊さんは俯いていた顔をゆっくりと上げるとボソリと呟きました。

 

「駄目だ」

「えっ」

「婿に行くなんて、認めない!」

 

 言うや否や、禊さんは身を乗り出すと私の両腕をがっしりと掴みました。突然の事に驚いた私は椀と箸を取り落としてしまい、ガチャンと音を立てて椀の中の白米がちゃぶ台の上に飛び散ります。

 目線は欠片も禊さんから逸らしていませんでした、彼女の表情は切羽詰まった様な――まるで鬼の形相でした。

 

「み、禊さん?」

「今更、私をこの広い家に、独りぼっちにするのか」

「い、いえ……そんなつもりは」

「駄目だ、私は絶対に――絶対に認めないぞ!」

「禊さん!? お、落ち着い――」

 

 身を乗り出した禊さんはちゃぶ台を乗り越え、私に向かって飛び込んできました。折角の料理が台無しに、飛び散るそれらを脇目に私は禊さんの逆鱗に触れてしまったのだと理解しました。

 今思えば彼女の寂しがり屋は、恐らくもう取り返しのつかない所まで進んでいたのでしょう。それこそ私がこの家を出るなどと口にしたら――どうしようもなく、暴走してしまう程に。

 





 ランキングありがとナス!
 基本毎日投稿を心掛けておりますが、投稿されない日は別の奴を書いているかヤンデレを探しに街を徘徊しているものと考えて下さい。ひじき。


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