神様失格   作:トクサン

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急変と私

 

 

「ただいま重虎、今日はちょっと大きい奴獲れた」

「お帰りなさい……って、うわ、大きい」

 

 彼女と生活を共にして二ヶ月程、既に夏も終わり秋へと差し掛かった頃。銃を抱えながら家の扉を開けたヨミさん、その背後に転がる大きな獲物の姿に私は驚きの声を上げました。無学な私ではその動物が何と呼ばれるものか詳細は分かりませんでしたが、彼女が獲って来た獲物は鹿でした。

 成体のものよりは一回り程体が小さいですが、それでも十二分に大きな体です。

 いつもは獲れて兎や狐、タヌキなどです。そう考えるとこの鹿はとても大きな成果でした。

 

「流石にこれは食べきれない、皮とか、角とか、肉とか……色々村で売って来る」

「はい、分かりました、じゃあ私は食事の準備を済ませておきますね」

「うん」

 

 彼女の口数も随分と多くなったように思います。喋り方はぶっきらぼうなままですが、それが彼女本来の喋り方なのだと私は理解していました。外面は冷たく見えてもその実、誰かの温もりを求める小さな女性です。驚いた事に彼女は私の一つ年上でありました。年上と言っても一年の開きはなく月単位で早く生まれただけですが。

 

 私は丁度一月前に十九になりました、そして彼女は二十です。誕生日など祝わなくなって久しく、今日は何日だろうかと思い立った日、自身の誕生日が既に過ぎている事に気付き笑ってしまいました。尤も今日が誕生日だと気付いたとしても私は特に何も言わず、恙なくいつも通りの日常を送るのでしょうが。

 そもそも私の出生を祝ってくれる人など――我が愛しい姉妹位なものでしょう。

 

 ヨミさんとの生活は今までの生活と様々な点が大きく異なりました。

 まず基本的に生活は二人きりで村に降りなければ他人と話すような事はありません。態々山奥まで登って来るような奇特な人はおらず、私とヨミさんは文字通り二人きりの生活をしておりました。その為食料や水、その他必要なものは自給自足で自分達でどうしようもなければ村に降りて金銭で取引するか、もしくは村で調達出来なければ隣街まで行って購入していました。

 

 隣街は麓の村と比べれば比較的大きな場所で萬屋や呉服屋、食品を扱う店などもありました。日用品などはその街で大抵揃える事が出来たのです。

 大きな獲物を仕留めた時は隣街で売却します。皮や角などは大層高く売れました。殆どはヨミさんが売りに出かけるのですが、偶に日用品や家具などを買うために二人で出かける事もありました。そういう日は大抵泊りがけです、毛皮や角を売り払った金で宿に泊まり少しだけ贅沢な食事にありつきました。

 そんな日は二人で鍋を囲いながら、しみじみと会話したものです。

 

「ヨミさんは凄いですねぇ……小さい頃からこうやって自分で生きる術を持っているんですから、私にはとても真似出来ません」

「違う、私はこれしか出来ない」

「出来る事がある人は皆そう言って謙遜するんです、私からすれば出来る事が一つでもあるのならそれは素晴らしい事だと思うんですよ」

「重虎も出来る事、沢山ある」

 

 彼女は強い瞳と微動だにしない表情でそう言いました。心の底からそう信じてやまないと言いたげです。私はそんなヨミの眼差しに苦笑を零しながら首を振りました。

 

「私に出来る事なんて多くはありません、私の代わりは確かに居ないかもしれませんが、残念な事に世の中には上位互換が出回っているのです」

「……上位互換?」

「私より余程、出来が良くて有能な人ですよ」

「……良く分からないけれど、私には重虎が必要、重虎じゃないと嫌だよ」

 

 鍋で湯だった豆腐を口に放りながら彼女はそう言いました。私はその言葉に笑みを浮かべ、「ありがとうございます」と告げました。誰かに必要とされるのは初めてではありません。大抵私は、その感情の大きさに耐えられず直視する事を避けていました。

 けれどヨミさんの言葉はすんなりと私の胸に沁み込み、単純に嬉しく――正面から受け止めるだけの余裕がありました。

 果たして彼女と由紀子さん、禊さんの違いはなんなのか。

 それは私にも分かりませんでした。

 

 彼女は夜、私の布団に潜り込んで暖を取ります。一緒の布団で寝るという行為に禊さんとの生活で慣れ切ってしまっていた私ですが、彼女のそれはある意味私を『男』として見ている為の行動でした。

 けれどヨミさんは純粋に、ただ単純に私が温かいからという理由で布団に潜り込んでいました。ならば道具の湯たんぽを買えば良いのではと彼女に与えてみた事もあるのですが、彼女は三日と経たず再び布団に侵入してきました。

 

 曰く「あれは、何か違う」との事。

 

 私にはよくわからない感覚ですが彼女なりに何らかの基準――或は温かさとは別な何かを私に見出しているらしいのです。彼女を拒もうとは思いませんでした、自分でも不思議な事だと思うのですがヨミさんに限っては無感情になる事がなかったのです。求められても何も返さず、それどころか無言で逃げ出すような私にとっては天変地異と言っても良い程の変化でありました。

 

 一緒に過ごし始めて三ヶ月も経つとヨミさんは「家を大きくしよう」と言い出しました。元々狩りを行う上である程度の休息と身を清める事が出来れば良いと建てられた物件です、そろそろ風も冷たくなり本格的な冬の到来を感じさせました。ヨミさんは夏と秋の間に貯めるだけ貯め込んだ金銭の一部を使って、私達の住んでいた山小屋を拡充しました。

 

 大工は村に居た源三さんという方に依頼、大体どこの村にも大工さんは住んでいます。幸い源三さんは時折村に肉やら皮やらを売りに来ていた私達を知っていた様で、快く小屋の拡充を行ってくれました。

 西洋ではこういう行為を『リフォーム』と呼ぶらしいのですが、新しく建てるよりも工程が少なく比較的早く完成しました。一番苦労したのは資材を上まで運ぶ事でしょうか、それでもそれ程大規模な工事でなかった事が幸いしてか、凡そ二ヶ月ほどで家が広く快適になりました。

 

 本格的な冬の到来です、やはり職人技というのでしょうか、私の聞きかじった程度の補修ではなく完全に隙間を塞ぎ僅かに広くなった家は過ごしやすいものです。風呂も新調し囲炉裏も変えたせいか山小屋というよりちょっとした新居でした。

 

「やっぱり本業の方は凄いですねぇ」

「うん」

 

 子どもの様な感想を漏らし、新居で冬の生活をスタートさせた私達。冬の間は他の季節程活発に猟師は動きません。特に寒いのが苦手な彼女は大抵家の中で囲炉裏を前に丸まっていました。

 その分私が村や町に行って食料を買い込み、凍った河の氷を溶かして飲み水にしたり井戸水を確保していました。街に居た頃はあまりした事がない苦労でした、山を上り下りしたせいか体力も人並みについた気がします。

 

 彼女も家で丸まってばかりではなく、時折ふらっと外に出てはウサギや狐を獲って来たり、或は私の家事を手伝ってくれたりしました。

 楽な生活ではありませんでした。

 けれど不思議と、辛いと思った事はありませんでした。

 

 夏が過ぎ、秋が過ぎ――そして冬を越え、春が来ました。

 

 

 ☆

 

 

 その日は暖かく晴れやかな日でありました。未だ溶け切っていない雪を照らす太陽、冬が終わり春の訪れを感じさせる良き日です。そんな日に私は昨日、陽気にあてられてか走り回っていた鹿を仕留めたヨミさんの代わりに、皮やら角やらを隣町に売りに来ていました。春になったとはいうものの未だ寒さは残ります、そんな中で毛皮の需要は僅かも陰りを見せず。思った以上に高値で売れた為私は喜び、足りなくなっていた生活必需品を買っていた時。

 

 ――ふと聞き覚えのある声が耳に届きました。

 

「あの、すみません、二三お聞きしたい事があるのですが……」

 

 その声は私に向けられたものではありませんでした。思わず足を止め振り向きます。振り向いた先にあったのは女性の背中、先程私が生活品を買っていた商店の店主に着物姿の女性が何かを訪ねていました。その女性の後ろ姿に私は見覚えがありました。いえ、見覚えがあるなんてモノではありません。背中は確かに知っている人物のものだったのです。

 

「実は私の夫が行方不明になってしまって……髪が黒くてくせっ毛の、身長は私より少しだけ高くて体の線が細く、とても綺麗な顔立ちをしています、そんな男性を見かけませんでしたか? この街に居たという人の話を聞いてやってきたのですが……」

「うん? くせっ毛で、綺麗な顔立ちの男……そいつぁ――」

 

 ふと、店主が此方を見ました。そして分かり易く「あっ」という顔をしました。

 私はサッと顔を蒼褪めさせると踵を返し、駆け出します。買ったばかりの日用品の入った風呂敷を抱え全力疾走です。凡そここまで全力で逃げる事は生涯ないだろうという程の走りっぷりでした。

 何故逃げるのか? という問いには、寧ろ何故逃げないのかという言葉で返しましょう。

 

 私は後ろを振り返る事なく全力で逃げ出しました、その時頭に在った考えは「絶対に捕まってはいけない」という事だけでした。村に来る時に乗せて貰った旧型のトラクターに飛び乗り、血相を変えて戻って来た私に運転手の男性は大層驚いていました。

 

「お、お願いします、早く、早く出して下さい!」

「お、おう? どうした兄ちゃん、えらく顔色が……」

「良いから、お願いします!」

「わ、分かった、分かった」

 

 普段見せない私の慌てっぷりに何かを感じたのか、男性は素早くエンジンを掛けると村までの道のりを走り始めました。私は深く硬い椅子に背を預けながら息を吐き出します、あの後ろ姿、私は忘れません。

 

「由紀子さん………」

 

 言葉は走行音に紛れ掻き消されました。

 村へと戻った私は山を駆け上り、いつもの半分近い時間で家まで戻りました。まだ寒いというのに全身汗だくで、それこそ白煙を立ち昇らせながら息も絶え絶えに帰って来た私を見てヨミさんは驚きます。私はふらふらと覚束ない足取りで家に入り持っていた風呂敷をヨミさんに押し付けました。

 彼女は私に何があったのかと問いかけようとして、私は手のひらでそれを遮りました。

 

「重虎……?」

「ヨミさん、私はっ、ハァ……私は少しの間、此処を離れます」

「えっ」

 

 驚きの表情を浮かべるヨミさん。それはそうでしょう、同居人が突然帰って来るや否や突然出て行くと言うのですから。勿論帰って来ない訳ではありません、数日――もしかしたら数週間かもしれませんが――由紀子さんの目を晦ます為に出て行くだけです。

 

 もし彼女が麓の村に辿り着いたら十中八九この小屋に辿り着くでしょう。あの辺鄙な田舎村から此処まで追って来たのです、正に日本横断と言って良いでしょう。それ程の執念を持つ彼女を撒くには一端姿を消すしかないと思ったのです。

 

 私は箪笥の中から自分の持っていた路銀を幾つか持ち出し、そのまま山を下ろうとしました。流石に野宿は出来ないので近隣の村を梯子して数日宿に泊まり、場合によってはもう少し遠出して民宿にでも身を寄せましょう。

 そしてほとぼりが冷めた頃に戻って来よう、そう思いました。

 

 しかし路銀を袖に入れ出て行こうとする私の手を掴み、止める存在がありました。ヨミさんです、どこか切羽詰まった様な表情で「何で? どうしたの?」と問いかけて来ます。普段抑揚のない声で喋る彼女にしては珍しく焦燥感の滲む声色でした。

 

「……先程、隣街で知り合いの顔を見つけたんです、どうにも私を探しに来たみたいで――私はどうしてもその人に逢う訳にはいかないんです」

「知り合い? 重虎はその人に逢いたくないの?」

「えぇ、だから早くいかないと――!」

 

 ぐっと力強く引かれる腕。ヨミさんは出て行こうとする私を引っ張り、「大丈夫、まだ来ない」と言いました。そして淡々と隣街と麓の村がどれ程離れているのか、そして仮に村についても其処からこの小屋の存在を知る時間。更に言えば慣れない山道を登って来る時間も考え、その上で再び大丈夫と告げました。

 

 私は何度と大丈夫と繰り返され、自分が恐怖に支配され酷く焦っていた事を自覚しました。故に一度大きく息を吸い込んで気を静めます、確かに少し考えれば分かる事です。仮にこの周辺に私がいる事が分かったとしても麓の村での聞き込み、更に山奥に在るこの家を見つける時間、もっと言えば隣街から麓の村までは公共交通機関が存在しません。だからこそ歩くか車で行き来する必要があるのですが、車で十分の距離でも人の足では一時間近く掛かるでしょう。

 

 大抵私達は獲物を売りに行く時隣街の商店に用意して貰った車に乗せて貰います。そもそも獲物の体が大きいからというのもありますが、田舎の生活では馬や車が必需品になりつつありました。特に商店などモノを多く運ぶ生業は特にでしょう。故にこの時代高価な自動車を商店は所有していました。ある意味こういう出張買取の様なもてなしが浸透して来た時代でもありました。

 しかし彼女は此処まできっと歩いて来る事になるでしょう。そう考えれば私にはまだ大分時間が残されている事になります。

 

「兎に角少し落ち着く、白湯でも淹れるから……ちゃんと話、聞かせて欲しい」

「……えぇ、すみません」

 

 困り顔の彼女に窘められ、私は再び家の中へと戻りました。

 

 





 ヨミさんパートはヒロイン複合なので10000字で終わりません。
 凡そ20000字かけます。

 感想評価お気に入りありがとうございます。
 それらを私に投げつけると一つにつき10文字くらい進みます。
 嘘です。
 
 こういう小説の何が良いって商業小説だとモクモクと100000字位自分の世界だけで感想も評価も無く無味乾燥なまま書いていくのに、少しずつ作品を書いていく中で「ちゃんと見てくれて、さらに評価してくれる人が居る」というこの安心感がある事ですよね。
 「私の感想一つで変わるわけ」と思っている人が居たら好きな作品の作者に「ヤンデレうっほほい!」と送ってみて下さい。
 「気狂いかな?」ってなるので。

 ちなみに私は気狂いです。

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